28代目スレ 2009/03/01(日)
†
人間というものは一生の9ヶ月の間に、もっとも高尚な哲学的思索から、スープひと皿
を求めるさもしい情熱にいたるまで、実にたくさんの想いを馳せられる。
祖父の書棚から見つけた本の序文にあったのはこの言葉だった。
すでに1年分の単位を取り終えた
マキネ・アンドーは一足早い春休みに入った。バイク
に乗っての南米縦断旅行を始めるためだ。
この旅行のために、祖父のガレージから古いバイクを引っ張り出してきた。旧世紀に
ノートンという会社から売りに出された、旧式のバイクだ。ポデローサ(強力)号という
名前らしいが、実際のところまったく強力ではない。なにしろ、いまどきガソリンで動く
のだ。地元の公道を走っていれば排ガス規制で捕まってしまうほどの旧式だった。
何日か前から、ペルーに入った。
標高3000メートルを超える山道に、オンボロバイクがプスンプスンと抗議をし続けている。
岩だらけの道のあちこちに、十字架が突き立てられた石の山がある。ケルンといって、
旅人が悲しみを母なる大地に引き受けてもらうためのものだ。もともとは単に石が積み
上げられているだけだったが、スペイン人の聖職者によって十字架が立てられるように
なったという。ペルーの人間は、このケルンに向けて唾を吐くか十字を切る。たいてい
の場合は唾を吐く。
マキネはバイクのブレーキを小刻みに切りながら、ケルンに向けて顔を突き出した。
口の中に唾液を溜めようとしているところに、ぐいとハンドルが勝手な方向を向く。
雨期でぬかるんだ地面の上でタイヤが滑った。
放り出された。
痛みがなかったのは幸いだった。その代わりに冷たさがマキネを迎える。水だ。川とも
沼ともつかない泥水の中に、頭から突っ込んだ。
「ぷはっ!」
底は浅い。四つん這いになって水から顔を上げる。
少し離れたところで、バイクが横倒しになっていた。エンジン部分に泥をかぶり、プス
プスと不吉な音をたてている。
「あちゃあ」
泥をかき分けてバイクに駆け寄ろうとする。
肌にぴったりと貼り付く服が邪魔だった。ほとんど衝動的にライダースジャケットを
脱ぎ捨て、シャツをまくり上げようとする。
「あれ、お嬢さんじゃないですか?」
道の上に、もう何年も前に製造中止になったボロボロの軽トラックが停まっていた。
泥で汚れた窓ガラスが半分ほど開いて、ひとりの青年が顔を出している。
「あれ、あんた、
バチュン?」
褐色の肌に、薄めたココアのような色の髪を持つ青年が苦笑いをする。
「お嬢さん、バチュンていうのは名前じゃありませんよ」
「あんたこそ、お嬢さんはやめてよ。
あたし、全然そういうんじゃないし」
「なにいってるんですか、世が世なら、あなただってプリンセスですよ?」
「それさあ、たぶん、いってた母ちゃんも、そんなに本気じゃなかったと思うんだよね。
うっかりクーデター成功しちゃっても、いってた本人が一番プリンセスとか嫌がりそうじゃん」
「まあ、そうですけど」
小さいころに何度会ったことがあるこの青年を、マキネはバチュンと呼んでいる。た
しか、歳はマキネよりも3つ4つ上だったはずだ。
「なにしてるんですか、こんなとこで」
「や、バイクがイカレちゃってね」
「うちで修理できますよ。運んであげましょうか」
†
マキネの祖父は昔、DCという反地球連邦組織を結成していた。
アイドネウス島に落下してきたメテオ3から存在が予見されていた異星人の侵略に備え
て、あえて自分たちが脅威となり地球を守るだけの軍事力を持つ勢力を育てるためだとい
われている。そんな勢力が産まれなかったら産まれなかったで、そのときは自分たちで地
球を制圧し異星人に対抗するつもりだったらしい。
科学者としては破格のカリスマを持つ祖父が、どこまで考えていたものかマキネには理
解しきれない。
当時のDCにも、祖父の考えを完璧に理解していたのは5人もいなかったのではないかと思う。
全員が全員異星人と戦うつもりだったわけではないことだけは確かだ。異星人の存在自
体を信じていなかった人間が大部分だった。単に金儲けがしたいだけだとか、社会的地位
を得たいだとか、地球連邦政府の支配に反発しているという層が大部分だった。
バチュンは、そういう反地球連邦勢力を率いた人間の血縁者だった。
「あんた、いまアフリカあたりにいたんじゃなかったっけ?」
「ええ、ま、そうなんですけど」
「いま、なにしてんの」
軽トラックに乗って着いた先は、石造りの小さな家がぽつぽつと並んでいる集落だった。
民族衣装を着た女性が荷物を肩に担いで歩いている姿に混じって、ノイエDCの制服を着た
兵士が機関銃を構えて立っている。
「なに、あんたたち、まだ地球連邦と戦ってたの?」
「あ、あれは、そういうのじゃなくてですね」
連邦軍の制服を着た男が道を歩いているのが見えた。
ノイエDCの制服を着た兵士が駆け寄って行く。機関銃を構える気配はなかった。帽子を外
して、ぺこぺこと頭を下げ始めている。
†
バチュンの小屋でシャワーを借りて、泥だらけになった身体を洗い流した。
服もやっぱり泥だらけで、とても着られたものではない。
マキネは借りたタオルを身体に巻き付けて、ひょこひょことリビングに出て行った。
「お嬢さん」
「お嬢さんはやめてって」
「世が世ならプリンセスなんですから」
「もはや軽い皮肉でいってない? それ」
押し付けられたバスローブを肩に引っかけて、スポンジの飛び出したソファに腰を沈める。
「もう、ワイン飲める歳でしたっけ?」
「さあ、飲めるんじゃないの?」
「じゃあ、どうぞ」
「あ、そうだ。じいちゃんからの教えでさ。
うちじゃ、酒は食事しながら飲むもんなんだってさ」
「はいはい」
テーブルの上にグラスと、トルタスと呼ばれるサンドイッチが並ぶ。
「で、なにやってんのあんた」
「折衝、ていうんですか」
「なにそれ」
「ここは元々インカ人の居住区だったんですけどね。
水源が連邦政府に管理されてるんですよ。
それで、我々ノイエDC派の人間が現地民と連邦政府の間に立ってるって形で」
「なんで、そんなことになっちゃってるのさ」
「そりゃまあ、いざ災害かなにか起こったときに、
連邦政府の方で水源を確保できなかったら困るからじゃないですか」
原住民なんか信用できるかと、そういうスタンスか。
「現地のひとはさあ、それでいいの?」
「よかありませんけど。
いまさら戦争やるわけにもいかないじゃないですか」
「あんたらが入ってるのは、なんで?」
「現地人の方がやるより、わたしらがやったほうが上手くいくからですよ」
「なんか、ヤダなあ。そういう、イビツな感じで安定しちゃってるの」
「お嬢さんのおっしゃることももっともですけれど、
連邦政府だってべつに現地民を迫害してるわけじゃなくて、必要に備えて管理してるわけですし。
これでも、わたしらの折衝によってずいぶん進歩したんですよ?」
「だからさ、現地民てことは、ここは元々彼らの土地だったわけでしょ?
その管理をさあ、連邦政府とかノイエDCに任せちゃうっていうのは、よくないよ」
ここに来る途中、マチュピチュに立ち寄った。
空中都市の異名を取るインカの遺跡は、マキネを落胆させるには十分だった。都市の構
造を見ればわかる。社会階級が細かく定められていて、おなじ階級どうしで固まって生活
している都市だった。
この土地の人間は、上の者に統治されることに慣れきっているのだ。
「しかしお嬢さん、長い目で見るとですね」
「あたしらの生まれてくる、ずっとずっと前にはもう、ヒリュウは冥王星外宙域まで行ったっていうのに」
「は?」
「あたしらは、この街がインカのもんだったころから、変わらない愛のかたち探してる」
「なんですか、それは」
「目先のことだけ考えてりゃいいんだよ、人間なんてもんは。
目先のことも出来ない人間が、宇宙なんて行けるもんかい」
マキネはトルタスを口の中に押し込んだ。
「うし、奪還しようじゃん、水源」
†
また洗面所を借りて、髪を黒く染め上げた。
自分でも不思議な髪質だと思うが、普段は日に焼けてバサバサな金髪が、やけにしっと
りとした質感を持ち始める。
バイクの荷台に括り付けていたデイパックからマントを引っ張り出す。
アーマードモジュール研究の副産物として造られたもので、本来は医療器具だ。重力質量
と慣性質量を制御し、寝たきりの老人でも軽々と持ち上げることが出来る。ファンタジーもの
のコミックや映画に搭乗する魔法使いが着るローブのようなデザインをしているのは、異星人
をビビらせるためにモンスターのような外観のロボットを造った祖父のセンスだろう。袖や襟
からじゃらじゃらとぶら下がっているシルバーアクセサリが、アホみたいな上に邪魔だった。
「その姿は?」
「一応ガッコ行ってるんでね。センセに説教されるの、ヤダし」
「え、お嬢さん、まだ学生だったんですか?
ワイン飲ませちゃったじゃないですか」
「チクんないでよね」
「そりゃ、チクりませんけど」
「メンツは?」
「あちらに」
バチュンの小屋の前に、数十人の青年が立っていた。4人はノイエDCの制服を着て
いて、残りはヨレヨレのランニング姿だった。地元の青年団かなにかだろう。
彼らが携えている銃には、暴徒鎮圧用のゴム弾が装填されているという話だった。
「あー、あたしらノイエDCは連邦政府の圧政に屈することをよしとせず、
民族解放の理想を持ってぇ~」
ご託はいいや、とマキネは黒くした髪をかき上げた。
「もともとあんたらのもんだった水源だよ。
あんたらの手に取り戻そうや」
おう、と青年たちが声を上げる。
†
水源まわりは錆の浮いたフェンスで囲まれ、簡単な基地になっていた。
要塞と呼べるほど大層なものではない。どこにでもある浄水場の中で、くたびれた制服
姿の連邦兵がうろうろと歩いているだけの代物だ。
「機動兵器はあたしが引き受ける。
あんたらは、さっさと施設を占拠しちまいな」
返事を聴くよりも前に、マキネは足にはいたモジュールブーツの機能で上空高く跳躍し
た。モジュールマントでフィールドを形成し、風に乗って滑空する。
眼下に浄水施設を眺めながら、マキネは空を駆けた。
駆け抜けていく風が頬に心地よい。
「まずは風上から閃光弾と催涙弾を刻み込む!」
バチュンの指示により、施設内で閃光が起こった。
軍事拠点でもなんでもない浄水施設に詰めていた兵士たちだ。想定していない事態に、
対応ができるはずもない。兵士たちは身体を丸め、あっという間に無力化した。
「アハハハハ! そう、それだよ! まさに至福の反乱だ!」
ブー、ブーと耳障りな警報が鳴り響く。
ガレージの扉がゆっくりと開いて、巨体がミシミシと音を立てながら現れる。航空機の
下部にキャタピラを巻き付けた脚を生やした機動兵器だった。申し訳程度の脚を生やした
大砲が二基、あとに続く。ランドリオン1機、それにバレリオン2機か。どちらもずいぶん
な旧式だ。
「そんなんじゃあ、無限獄の扉なんか開かないよ!」
大型レールガンが空を向き、何条もの光を放つ。
空気の焦げる臭いを嗅ぎながら、マキネはマントを翻した。慣性制御を小刻みにカット
して、滑空と落下を繰り返す。じゃらじゃらと鬱陶しいシルバーアクセサリが空にジグザ
グの軌跡を描いた。
戦車や航空機を狙うために造られたレールガンは、小さすぎる上に不規則な動きをする
マキネを捕らえることができない。
もともと機動兵器が人型をしているのは、異星人を威圧するためだ。どんな兵器を所有
しているか予想もつかない異星人を相手にするには、せいぜい虚勢を張る程度の準備しか
できなかったのが現実だ。
カラクリを知っている地球人にとっては、アーマードモジュールなどはムダに手足を生
やしたデカブツでしかない。
「黒き獄鳥っていうの? 行きな!」
マントから小型の自立機が離れ、機動兵器たちの関節部分に殺到した。
「魂魄をついばんでやんな!」
ランドリオンのか細い脚ががっくりと折れて地面に倒れていく。
みずからが機動兵器開発の第一人者だった祖父が、機動兵器を擁する連邦政府に反旗を
翻すにあたり、対機動兵器用の兵器を開発しているのは当然のことだった。
あっさり無力化したランドリオンに対し、脚なんてあってもなくても大差がないバレリ
オンは動きをやめなかった。ガタつく動きで砲をこちらに向ける。
マキネはマントから高振動ブレードを抜き払った。
「闇を抱いて光を砕いてみようか!」
コックピットハッチに取りつき、ブレードを突き立てた。分厚い装甲板がバターのよう
に焼き切れて、大穴が開く。
現れたのは、まだニキビの残る若い顔だった。いつだって、前線に立たされるのは貧
しい家の子供だ。
「ひぃっ」
「降りなよ。恩給もらって、お母ちゃんに家でも買ってやりたいんだろ?」
残る1機のバレリオンからも、パイロットスーツ姿の青年がよろよろと脱出していくの
が見える。
浄水施設の屋上に、ノイエDCの旗が立った。
†
勝利に沸く青年たちのただ中に、マキネは剣をぶら下げて降り立った。
「ありがとうございます! ありがとうございます! これで村も」
「ああ、今日からこの施設は、ノイエDCの管轄になる」
マキネは剣を地面に突き立てた。
「管理費用として、村の収穫を半分こっちに納めな」
「は?」
青年たちが水を打ったように静まりかえる。
「なにをいってるんだ」
「なぁに? あんたたちは、ノイエDCがボランティア団体かなんかだとでも思ってたの?
見返りを求めるのは当然じゃん」
「ふざけるな!」
現地民らしい青年が顔を赤くした。
石が飛んで、黒くしたマキネの髪をかすめていった。
「僕たちは、僕たちは! もともと連邦政府の管理に不満があったわけじゃないんだ。
それを、無理矢理奪還させて、その上僕たちから搾取をするのか!」
「寝言いってるんじゃないよ。
軍事力も持たないあんたたちが、この水源を維持できると思ってんの?」
マキネは片手で剣をぶらぶらさせながら青年に迫った。
「本来自分たちのもんだった場所をさ、他人任せにしてきたのはあんたらじゃん。
任せた相手の好きにさせな」
「お前なんかの好きにさせるもんか!」
「いいの? 苦労するよ?」
「構うものか!」
そうだ、そうだ、と青年たちの声が次々と重なる。
「罪魂を欲して、むさぼって、自らの魂まで食い尽くす。
あんたらの甘ったれた魂魄があたしを呼んだんだ。
その上で粋がるんなら、粋がって見せな」
青年が腰に手をまわした。
黒い星を刻み込んだ旧式の拳銃が現れる。
「苦しんで、もがいて、そして落ちるがいいさ。煉獄ってとこにね!」
銃声が鳴り響いた。
「でもさ、煉獄ってとこは地獄よりかは一段マシで、
頑張りゃ天国に行けるんだってさ」
レーザー兵器が実用化されようが重力兵器が開発されようが、火薬を爆発させて鉛玉
を撃ち出すという、この単純極まりない武器が消滅する日は来ないだろう。
†
ポデローサ号の修理は完璧だった。マフラーから心地よい排気音が流れる。
マキネは元の金髪に戻した頭の上からヘルメットをかぶった。
銃弾を受け止めて焦げ跡が付いたマントは、ぐちゃぐちゃに丸めてデイパックの中に
突っ込んである。
「悪かったね、失業させちゃって」
「いっそ、失業できればいいんですけれどね」
バチュンが眉間にシワを寄せてかぶりを振る。
「ノイエDCが完全に消える日は、たぶん来ませんよ」
「だろうね」
無数の民族を擁する地球を、たったひとつの政府が統治するのは、いかにもムチャな
話だった。いまも、世界各地で活動しているノイエDCは小規模ながら無数にいる。
「お嬢さん、あなたにお祖父さまの理想を継ぐ気があるのなら」
「やめてよ。じいちゃんの理想が、あたしの宿命だとは思わない。
じいちゃんだってそのつもりで、あたしに教育なんかしなかったんだろうし」
「それでは、あなたの希望はどこにあるんですか」
「まあ取りあえず、ドロンズ日記の中にかな」
ああそうだと呟いて、マキネはライダースジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
泥で汚れた封筒を抜き出す。
「べつに誰にでもよかったんだけどさ、たまたまあんたに会ったから、あんたに渡すわ」
「なんですか、これは」
「何年後かな。あたしが38歳になったら、それ開いて読んでよ」
「いったい、なにを書いたんですか」
「マキネ・アンドー、17歳の手紙さ」
ぬかるんだ地面から泥水をはね飛ばしながら、マキネはバイクを走らせ始めた。
岩だらけの道のあちこちに、十字架を頂くケルンがある。
ペルーの旅人は、このケルンに唾を吐くか十字を切るかして悲しみを母なる大地に引き
受けてもらうという。
マキネは勢いよく唾を吐いた。
最終更新:2009年10月17日 14:02