ルナおしおーネ暴走


29代目スレ 2009/08/12(水)

 ◆
 そろそろ夏休みの宿題のことが気がかりになってきた、昼間のことだった。
 キャクトラ・マクレディの頭上を、なにか大きな影がスッと横切っていった。

「なんだ、あれは?」

 ヴィレアム・イェーガーが空を仰ぎ、レラ・ブルーが手の中でドラムスティックをく
るくるとまわす。
 小さな住宅が建ち並ぶOG町上空を、ひとりの少女が飛んでいた。いや、少女ではない。
太陽を背に隠し、少女が地面に落とす影は民家を軽く1ダースほどすっぽりと覆っている。
全長は、少なくとも20Mをくだらないだろう。肘や膝に見える球状間接が、少女が生き物で
ないことを教えている。薄く桃色がかったロングヘアを風にたなびかせ、額にあるジュエル
状のセンサーからはウサギの耳を思わせる細長いアンテナが伸びていた。両肩を覆う巨大
なプロテクターにはライトグリーンに輝く巨大なレンズが埋め込まれ、両手両脚は白磁を
思わせる光沢を放っている。胸部に突き出した、巨大な半球形をしたものは空気抵抗を受
けて波打つように揺れていた。
 ABMDシステムを使っているらしい、生身の人間とそっくりな質感を持つ顔は、小さな唇
をきゅっと横一文字に結んでいた。その表情は、キャクトラがこの世でもっとも敬愛する人物
と瓜二つだった。

「姫様?」
「あれは、ルナお塩ーネじゃないか」
 テンキュー、とレラ・ブルーがドラムスティックで民家の塀を叩く。

「違う! あれはルナシオーネだ!」

 ルナシオーネは、以前この町でウロウロしていた住所不定無職の天才科学者3人が、
どこから資材を調達してきたのかよくわからないが、とにかく作り上げてしまった
スーパー・マシンナリー・ヒューマノイドだ。姿形はSMH-02ヴァルシオーネに似ているが、
性能はむしろ究極ロボとまで呼ばれたヴァルシオンに似ている。ほぼ永久に稼働可能な
対消滅エンジンを採用し、ガンフェアリーと呼ばれる自立稼働攻撃機と改良型のディバイン・
アームを装備している。攻撃に転じれば、強力無比な機体である。

「その危険性ゆえに、姫様が長らく手を付けることもせず学校の裏山で保管していたルナシオーネが、なぜ!」
「……」

 それは要するに長い間野ざらしでほったらかしにしてきたということじゃないのか?
というレラ・ブルーの発言を、キャクトラはもちろん聞かなかったことにした。

 ◆
『突如連邦軍基地施設付近の町に現れたこの機体は、いまだ声名を出すこともなく
 OG町上空を飛び回っています。
 あの外見はSMH-02ヴァルシオーネを彷彿とさせるところがありますが、
 ノイエDCからは「関知しない」という声名が出されております。
 果たして、あの巨大ウサギ耳少女は正体は! そして目的は!
 当局は未知の異星人の侵攻も視野に入れて慎重に調査するとの発表を』

 ワンセグ機能を開いていたレラ・ブルーが、ぱちんと携帯電話を折りたたむ。
 キャクトラは建て付けの悪い寮の扉を、体当たりするようにして開けた。靴を脱ぐのも
もどかしく、中に飛び込む。

「あら、どうしたんですの」

 入ってすぐのリビングで、ルル・カイツが憔悴した顔でビタミンドリンクを飲んでいた。
この、キャクトラより1つ年下の少女は、夏休みに入って以来なにをしているのかげっそり
と痩せこけていた。指の先には半透明のシールのようなものがこびり付いている。

「ニュースを見てないのか?」
「ルル様! 姫様はどちらに!?」
「え、さあ」

 ショートパンツとキャミソールという軽装のルルは、ヴィレアムとレラという部外者
の訪問に少し面食らったような顔をして答える。

「そういえば、午前中から見かけませんわ」

 キャクトラの背筋に、さっと冷たいものが走る。
 慌てて携帯電話を出し、ルナの番号にかける。ブツッと不吉な音をさせたきり、通話は
繋がらない。
 ルナシオーネは、新生バルマー王国の最高権力者アルマナ・ティクヴァーの一人娘である
ルナ・ティクヴァーのために作られた機体だ。起動には、ルナの掌紋と虹彩パターンが必要となる。

「よもや、姫様の御身になにか」
 何者かがルナと手の平と眼球を手に入れている。とっさに浮かんだ最悪の可能性を、
キャクトラはかぶりを振って打ち払った。

「すぐに警察、いや軍に連絡を!」
「待ってくれ、友よ!」
 携帯電話を出そうとするヴィレアムの手を、キャクトラははっしとつかんだ。

「真相は皆目わからない!
 しかし、あの機体が姫様のもので、あの姿が姫様に生き写しであることは動かしようのない事実!
 地球連邦の機体とことを構えるような事態になれば、外交問題に発展する!
 どうか、頼む友よ! 出来うる限り、内々で納めさせてくれないだろうか!」
「でも、あれが攻撃なんか始めたら」

 ヴィレアムが戸惑いを顔にする。
 人種がどうなっているのかいまいちわからないとはいえ、ヴィレアム・イェーガーと
レラ・ブルーの国籍が地球にあることだけは確かだ。バルマーの損得のために発言して
いるキャクトラの言葉を、すんなりと受け入れろというも難しい話だ。
 土下座をしろというならしてみせる。そういう覚悟で、キャクトラはヴィレアムの目
に真正面から臨んだ。

「わかったよ、とにかく、調べてみよう」
 ヴィレアムの横で、レラ・ブルーがタ・タ・タとドラムスティックを鳴らした。

 ◆
 日本家屋の中を通り抜ける風は、真夏とは思えないほど涼しく心地のいいものだった。
 しかし、いまのキャクトラにその心地よさを味わう余裕はなかった。
 ただっぴろい畳部屋の中央で、ひと組の男女が湯気を上げる鍋をはさんで正座している。

「デブの汗染みを見ると、心がギトギトするの。
 ランディ1/2にも、排骨ラーメン食べてギトギトして欲しいの」
「90年代最強の萌えキャラに謝れ」
「ブッブー、あの当時、萌えなんて言葉はありませんでしたー」
「萌えの起源なんてどうでもいいよ!」
「いいから排骨ラーメン食べなよ! そして太れよ!」
「太ってたまるか! むしろ夏ヤセしてやる!」
「そうはさせないよ!」

 マキネ・アンドーと、その腹違いの兄または弟ランディ・ゼノサキスだった。相変わ
らず、マキネはランディを太らせたくて仕方がないらしい。

「あれ、どうしたのあんたら」
「お前ら、空のあれ見てないのか?」
「なにそれ」
 マキネとランディが顔を見合わせる。どうやら、なにも知らないらしい。

 キャクトラはぴしりと正座をして軽く頭を下げた。
「無礼を承知でお願い申し上げます。
 ビアン・ゾルダーク博士へお目通りをお許し願えないでしょうか」
「なにさ、しゃちほこばんなくたって、じいちゃんならそこで盆栽いじってるよ」
 マキネは苦笑しながらアゴで庭を示し、畳の上に置いていた皿を引き寄せた。
「ほら、レラレラ、スイカ食べる? スイカ」
「よせよ、もの凄く軽蔑した目で見られてるぞ、お前」

 マキネとランディの会話を聞き捨て、キャクトラは縁側の外に飛び出した。三和土に
載せられたサンダルを突っかける余裕はない。

 ◆
 かつて地球を手中に収めかけた男は、老眼鏡の位置を直しながら携帯電話のスクリーン
に映し出されたルナシオーネを見た。

「たしかに、ヴァルシオーネに似ておるようじゃの」
「しかし、専属パイロットとして登録されているはずの姫様とは連絡がつかず」
「では、その姫様が乗っておるのじゃろう」
 もう、かなりの老齢になっているはずだ。そうとは思えないほど、ビアン・ゾルダーク
の判断は素早く的確だった。

「姫様はっ!」
 あやうく過呼吸を起こしかけ、キャクトラは慌てて息を飲み込んだ。
「姫様は、そのような軽率な行いをするお方ではありません!」
「儂は、姫君の人となりを知らぬ」
「あの方はっ、新生バルマー同様、この地球を愛しておられる!
 お父上や、義姉弟とも呼べるお方がおられるこの星を、あのお方はこの上なく愛しておられるのです!
 このような、いたずらに地球人を混乱させるような行為など、進んでなさるはずがありません!」
 キャクトラは地面に膝を着き、額を土に擦りつけんばかりに頭を下げた。

 ビアン・ゾルダークは返事をしない。老人とは思えないほど鋭い眼光を、じっとキャ
クトラの頭の上から注ぎ落としてくる。

「そして君は、この老いぼれになんの用があるというのかね」
「はっ、ルナシオーネの開発者たちは、いまどこにいるとも知れません。
 しかし、あの機体にはあなたが開発されたヴァルシオーネと共通するところが多くあります!
 なにかわかることがないかと」
「マクレディ君」

 たったひと言で、キャクトラの全身から汗が噴き出すようなビアン・ゾルダークの声音だった。
「いまも昔も、儂は地球のために行動しておる。
 その儂に、バルマーへの協力を要請するということは、
 ある種の利敵行為をそそのかすことになると、理解しておるのかね」
「無礼の代償は、この素っ首で支払う覚悟!」

 ビアン・ゾルダークはなおも無言のままキャクトラを見下ろす。
 キャクトラは額で地面に擦り続けた。

「マキネ」
「なに、じいちゃん」
「お前も、婿を取るならこういう青年にせい」
「ふーん、キャクちゃん、あたしんとこに婿に来る?」
「え、それはっ!」

 キャクトラは思わず顔を上げた。目の前に、ビアン・ゾルダークの顔があった。峻厳
な表情をくずさないまま、老眼鏡越しにキャクトラの目を見据えている。

「ヴァルシオーネに採用している人工筋肉は、通電時に特殊な電波を出す。
 ルナおしおーネとやらがおなじ技術を使っているとすれば、位置をつかむことが出来るじゃろう」
「では」
「だが、忘れるでないぞ、マクレディ君。
 儂にとっては地球の平和が第一で、バルマーの事情は2の次じゃ。
 ルナおしおーネが少しでも地球を攻撃するとあらば、儂はDC創始者としての判断と行動を開始する」
「はっ!」
「マキネ、バチュン君に連絡を取れ」
「え~、ヤダな、あいつ、ウザいもん」
 マキネが縁の下で裸足をブラブラさせた。

 ◆
 日本エリア、山梨県身延山の付近だった。
 道路に連なる自家用車の列は、ニチレンシュウとかいう地球の宗教施設に向かおうと
する観光客たちだろう。立ち並ぶ桜の木は、春ともなれば素晴らしい花を付けるに違い
ない。今は目に眩しい緑の葉が夏の日光を反射させている。
 キャクトラたちを乗せたクルマは観光客の列を離れ、ひび割れたアスファルトで舗装
された横道に入っていった。

「ああ、なんてことだ。
 珍しく元総帥から連絡を頂いたと思えば、
 スーパー・マシンナリー・ヒューマノイドとこと構えるかもしれないなんて」

 バチュンと紹介された男が、褐色の顔を青黒くさせてハンドルを握っていた。走るた
びにギシギシと軋む中古車の後部座席には、ヴィレアムとレラ、それから対機動兵器用
のバズーカ砲が乗っている。

「こと構えるようなことには」
 キャクトラは助手席で声を上げた。

「ああ、わかってますわかってます。まずは事情がわからないと」

 OG町上空を飛び回ったルナシオーネは、唐突に姿を消した。ビアン・ゾルダークに
よると、プリズム・ファントムに似た技術を展開したらしい。軍のセンサーでも位置を
つかめないでいる。
 唯一の手がかりは、人工筋肉から発せられる信号だけだった。ルナシオーネの開発者
たちの居場所が知れないいま、その詳細を知っているのはビアン・ゾルダークだけだ。
 反応はここ、身延山の奥から発せられているという。

「ねえ、あれじゃありませんか」
 バチュンが中古車のライトをカチカチと灯した。木々がみっしりと密集した向こうに、
肌色をした巨大ななにかが見えていた。

「姫様っ」
「あっ、ちょっと待てよ、あれは」

 キャクトラは中古車を飛び降りた。後ろからヴィレアムの声がする。
 服に引っかかる枝をかき分け、キャクトラは走った。身の丈ほどもある巨岩に飛び乗
り、肌色の正体を見下ろした。

「これは」
 全長20Mをくだらない巨大な少女が横たわっている。しかし、違う。ルナシオーネでは
ない。額から鋭い一本ツノを生やし、手足をブルーの装甲で覆っていた。

ダイゼラド?」
 ルナシオーネの開発者たちが、同時期に作り上げた機体だった。ルナシオーネがルナ・
ティクヴァーにしか扱えないように、この機体もまたゼラド・バランガにしか扱えないはずだった。

「ゼラド、ゼラドなのか?」
「あれって、コクピットはどこにあるんです?」
 ヴィレアムとバチュンを追い越し、レラ・ブルーがぴょんとダイゼラドの胴体に飛び
降りていった。レラの身長よりも高い乳房にはさまれた場所に、赤いジュエルがある。
 ジュエルの表面をドラムスティックでコツコツと叩き、レラがキャクトラたちを見上げた。

「あれ、なにかいっているんですか?」
「中からノックが聞こえているようです。どうも、出られなくなっているようで」
 恐ろしく耳のいいレラでなければ、聞こえない声だったに違いない。なぜか着いてきて
くれたレラに、キャクトラは心から感謝した。

「参ったな。L&Eのお嬢さんでも連れてくればよかった」
 バチュンが溶接カッターを手にしてダイゼラドの上に下りていく。ほどなくして、コク
ピットのハッチが焼き切られた。

「ぷはっ! よかったぁ、やっと出られた」
 コクピットの中は空調も効いていなかったようだ。ゼラド・バランガは銀色をした前髪
を汗で額に貼り付かせていた。タンクトップとショートパンツという、家の中にいるような
格好をしている。

「ゼラド、いったいどうして」
「よくわかんないよぉ」
 焼き開けられた穴から這い出して、ゼラドはタンクトップの胸元をぱたぱたと開く。
ヴィレアムが顔を赤くして視線を逸らすのが見えた。

「うちでルナちゃんと宿題してたら、ダイゼラドとルナシオーネがいきなり出てきて、
 わたしたちを飲み込んじゃったの」
「姫様は! いったいどこに!」
「わかんないよぉ~、こっちのモニターは1コもつかないし」

「ちょっと、大変ですよ!」
 携帯電話を耳に当てていたバチュンが顔色を変えて叫んだ。

「文京区の警視庁施設上空にルナシオーネが現れたと!」
 不味い。正体不明の機体が日本の首都東京に、しかも警視庁施設のそばに現れたとなれ
ば、地球の軍隊が黙っているはずがない。
 東京と山梨県との距離は短いものではない。しかも、いまは行楽シーズンだ。クルマを
飛ばしても電車に飛び乗っても、相当の時間がかかってしまう。

「バランガさん、失礼します!」
 長く考えている時間はなかった。キャクトラはダイゼラドのコクピットに飛び込み、
操縦桿を握った。バチッと軽い電流に手を弾かれる。ゼラド・バランガ以外には操縦
できないらしい。

「お願いです! すぐに文京区へ!」
「だいたいわかった!」
 ゼラド・バランガが頷き、コクピットに戻った。キャクトラの膝の上に乗る格好で、
操縦桿を握りしめる。すぐさまモニターに明かりが灯宿った。乳房の下にあるインテーク
から熱風が吹き出し、レラの小さな身体を吹き飛ばす。

「ちょっと待てゼラド!」
「危ないよ! ヴィレアムくんたちは降りてて!」
「これを!」

 なにか騒いでいるヴィレアムを片腕で抱きかかえ、バチュンがなにかを投げてきた。
水の入ったペットボトルだった。
「サウナみたいな場所に閉じこめられていたんでしょう。
 早く水分を補給しないと、脱水症状を起こしますよ!」
「ありがと」
 ペットボトルに口を付け、ゼラド・バランガが唇をひと舐めする。
 ダイゼラドが巨体を起き上がらせる。背部のウィングが展開し、木々から葉を飛び散らした。

 ◆
 15分もしないうちに文京区上空に到着する。
 果たして、警視庁施設の真上にルナシオーネが浮かんでいた。周囲で、軍のものらしい
ヘリコプターがバタバタと音を鳴らしている。

「姫様、姫様!」
「ちょっと待ってて」
 キャクトラの膝の上で、ゼラドがもぞもぞと動く。なにか柔らかいものがキャクトラ
の腕に当たるが、気にしている余裕はなかった。
 ゼラドの指がキーボードを叩く。反応はなにもない。

「ダメだよ。やっぱり、通信が繋がんない」
「姫様は、中におられるのですか!」
「そのはずだけど」

 それだけ聞けば十分だった。キャクトラはゼラド・バランガの身体を押しのけ、コク
ピットハッチをマニュアルで開いた。途端に突風が吹き込み頬の筋肉がびたびたと揺れる。

『止まりなさい!』
 声とともに、眩しい光がキャクトラの顔にぶつかった。軍のヘリコプターが、真っ黒な
外装をドーベルマンのように光らせながらダイゼラドの周囲を飛んでいる。

『所属を明らかにし、投降しなさい!』
『指示に従わない場合、発砲する!』
『誘導に従い、着地しなさい!』

 次々と飛び出す声に囲まれて、突如ルナシオーネが動いた。いったい、どういう理論で
動いているのか、手足をだらりと垂らしたまま恐るべきスピードで上昇していく。

「いけない!」
 モニターを睨んでいたゼラドが悲鳴を上げる。
「ルナシオーネのジェネレーターが凄く熱くなってる!
 このままじゃ爆発しちゃうよ!」
「そんな」
『動くなッ!』

 ヘリから、タタタッと短い音が飛び出す。機関銃による威嚇射撃だ。遠くの空から、
ビルドラプターの編隊が近づいてくるのが見える。このままでは、攻撃を受けるのは
時間の問題だ。ダイゼラドもルナシオーネも強力無比な機体だが、なんの防御もしてい
なければ撃墜されることは間違いない。
 ゼラドが、ぎゅっと唇を引き締めて操縦桿を握る。ダイゼラドが上昇を始めた。

「バランガさん!」
「飛び移るつもりなんでしょ。すぐ、ルナシオーネに接近するから!」
「おやめください! ここで動けば、あなたの立場が!」
「そんなの関係ないよ!」
「しかしこれでは、姫様にも陛下にもクォヴレー殿にも申し訳が!」
「行って、キャクトラ君! 誰かのためじゃない!
 自分自身の願いのために!」

 開け放たれたコクピットハッチから、ルナシオーネの顔が見えている。下からは、人型
に変形したビルドラプターたちがM950マシンガンを構えて追いすがって来ていた。
 キャクトラはぐっと息を飲み、空中に身を躍らせた。

 ◆
 吹き荒れる突風に身体を飛ばされそうになりながら、ルナシオーネの乳房にしがみつく。
機動兵器とは思えないぶにぶにとした感触の上を這い、胸の谷間に埋め込まれた緑色の
ジュエルに向かう。コクピットはあそこにあるはずだ。

「姫様!」
 キャクトラは叫んだ。と同時に、なにか硬いものが顔面にぶつかる。
 目の前にはなにもない。しかし、透明ななにかがキャクトラの行く手を阻んでいた。
歪曲フィールド、あるいはそれに類するなにかがコクピットまわりを囲んでいる。

「姫様ぁーっ!」
「キャクトラッ?」
 緑色のジュエルがわずかに持ち上がり、ルナ・ティクヴァーが顔を見せた。元から白い
その顔は、びっしりと汗で濡れ青ざめていた。

「なぜここにおるのだ!」
「姫様、そこを動かないでください。すぐにお助けを!」
「いらぬ! 離れよ!」
「姫様、なにを!」

 足の下から、ビルドラプターたちがスピーカーでなにか声を飛ばしてる。しかし、
キャクトラの耳には入らなかった。

「見よ、連邦軍が来ておる。お主の顔を見られでもすると困るのだ!」
「姫様! なにをおっしゃっておいでです!」
「元はといえば、私たちがダイゼラドとルナシオーネを長期間捨て置いたからなのだ。
 寂しがったこやつらは、私たちを飲み込んだ!」

 機動兵器であるルナシオーネとダイゼラドが、勝手に動いたというのか。人間そっくり
なその姿を見れば、不思議と違和感はなかった。

「それでは、すぐに御身をお助けせねば!」
「バルマーの立場を考えよ!
 最高権力者の娘が勝手に機動兵器を乗り回して日本の首都を騒がせたとなれば、ただでは済まぬ!」
「しかし、それはルナシオーネが!」
「機動兵器が勝手に動いたなどと、地球の軍隊が信じるものか!」
「それでは、御身はどうなります!」
「ルナ・ティクヴァーは乱心し、機動兵器を乗り回した挙げ句に自爆した!
 この件にバルマー政府はいっさい関知しない!
 そういうことにしておくのだ、よいな!」
「よいはずがありません!」
「命令だ!」
「聞けません!」
「私を辱めるつもりか!」

 ぴしゃりとぶつけられた言葉に、キャクトラは息を飲んだ。
 コクピットハッチの隙間から、ルナ・ティクヴァーの顔が見えていた。銀色のロングヘア
が、吹き荒れる風に絡め取られて踊りくるっている。青ざめて、涙をこらえているような目を
してじっとキャクトラを見つめている。小さな唇が、きゅっと横一文字に引き結ばれていた。

「自分の立場をわきまえよ。
 お主は本来、私の家臣でもなんでもない。
 未来有る、バルマーの戦士だ。
 お主は私に、祖国の財産をみすみす死なせる恥をかかせるつもりか!」

 キャクトラは、初めてルナ・ティクヴァーと対面したときのことを思い出していた。
 キャクトラはバルシェムと呼ばれる人造人間の子だ。本来バルシェムは、旧バルマー
時代の恥ずべき産物として、新生バルマー設立と同時にすべて廃棄処分されるはずだった。
 しかし、女王として即位したアルマナ・ティクヴァーは、「一度生まれたからには立
派な命である」として全バルシェムをバルマー国民として受け入れた。そうしてキャクトラ
の両親は生き延び、やがてキャクトラを生んだのだ。
 いまのバルシェムがあるのは、すべて女王陛下のおかげなのだよ。我々は全身全霊を持って
ご恩に報いなければならない。お前も、よくお仕えするのだよ。
 キャクトラは、幼いころから父親にそう聞かされてきた。
 正直なところ、幼いころのキャクトラは父の言葉をよく理解していなかった。そんなに
偉大な女王陛下は、きっと恐ろしい方に違いないと怖がってすらいた。
 しかし、成長し、引き合わされたアルマナ・ティクヴァーはユーモアに富んだ女性だ
った。そしてルナ・ティクヴァーは小柄で、信じられないほど華奢な少女でしかなかった。
 そうだ。自分は、ルナ・ティクヴァーに忠誠を誓ったのではないか。最高権力者の
娘ではない。ルナ・ティクヴァーという存在そのものに仕えると、あのとき心に誓った
のではないか。
 キャクトラはぐっと歯を食いしばり、ルナシオーネの乳房に指をめり込ませた。

「我が意に背くか、キャクトラッ!」
「私の身がどうなっても構わない、祖国がどうなっても構わない!
 しかし姫様は、姫様だけは絶対に助ける!」

 歪曲フィールドがキャクトラの全身を圧迫する。服に次々と切り傷が出来る。肋骨が
ギシギシと軋む。視界の半分が、どろりと赤いものに塞がれる。
 全身を痛みで包まれながら、キャクトラはなおも前進をやめなかった。

「姫様! お手を!」

 ルナ・ティクヴァーはいまにも泣きそうな顔をして、ふると銀髪を揺らす。

「行けぬ。このような騒ぎを起こして、祖国が、母上の立場が」
「お手を!」

 若干の苛立ちを持ちながら、キャクトラは歪曲フィールドの中に手を突っ込んだ。すぐさま
皮膚が切り刻まれ、鮮血が飛び散った。露出した肉があっという間に黒焦げになる。
 煮えたぎった油を浴びたような痛みを噛み締めながら、キャクトラは手の平をいっぱいに開いてルナへと伸ばした。

「来い!」

 ルナが、はっと目を見開く。
 歪曲フィールドが突如として消滅した。キャクトラは前につんのめるようにしてコク
ピットの中に滑り込んだ。ルナが小さな唇を開く。なにも聞く必要はなかった。その小さな
身体を抱きしめる。腕の中で、ルナの身体がびくんと震えた。そして、すぐに虚脱したように
もたれかかってくる。
 こんなに強く抱きしめては、折れてはしまわないだろうか。そう思っても、キャクトラは
腕の力を抜くことが出来なかった。

「済まぬ。なにも出来ず」
「構いません。御身と一緒なら」

 ルナシオーネは、すでにM950マシンガンやハイパービームライフルを構えたビルドラ
プターたちに囲まれていた。
 ルナが銀髪を揺らす。ルナシオーネが急上昇を始めた。成層圏の映像を映し出すモニターが、
ひとつ、またひとつと消えていく。コンソールの片隅に真っ赤な数字が表示され、刻々と
ゼロに向けてカウントダウンを始めていた。
 自分の胸で燃えているこの感情は、忠義なのだろうか。それとも不義なのだろうか。
 そんなことを考えながら、キャクトラ・マクレディは自爆のそのときを待った。

 ドスッ、とルナシオーネの機体が揺れる。
 コクピットの中を、奇妙な静けさが漂った。
 カウントダウンはすでにゼロを示している。しかし、ルナシオーネはいまだ自爆をしていなかった。

「うん?」
 ルナが顔をあげて、形のいい眉をもぞと動かした。
 コンソールから雑音が漏れる。

『うん? なんだ、通信が通じるのか。
 おい、誰か乗っておるのか。おるのなら返事をせい』
「ハザリア?」
 数日前にぷらりと寮を出て行ったきり、姿が見えなくなっていたハザリア・カイツだった。

「なぜお主がここに」
『どうもこうもあるか。せっかく南フランスを満喫しておったのに、
 突然ヘルモーズなどに連れ去られて、俺はいま、大変不機嫌である』

『親愛なる地球の皆様!』
 明るい声を響かせながら、桃色の花を思わせる形をした巨大戦艦が雲をかき分けて降
りてくる。バルマー所有のヘルモーズ、そしてあの声はアルマナ・ティクヴァー女王陛下だ。

「母上、いけません! お姿を見せられては!」
『夏の空を舞う少女人形の乱舞をご堪能いただけましたでしょうか。
 地球とバルマーの友好を祝うデモンストレーション、これをもって我々は益々の』

 アルマナの声には、無数の雑音が混じっていた。届け出がどうのこうのといっている
ところを見ると、地球連邦軍が猛抗議しているらしい。

「母上、これではバルマーの立場が」
『なにをいうのですルナ。私はルナの母親です。
 母が娘のために力を尽くすのは、当然のことではないですか』
「母上っ! 母上は、統治者失格です!」

 ころころと笑うアルマナの声がスピーカーから転がり出す。
『では、娘のあなたが母を追い落としなさい』
「母上っ!」
「あのう」

 コンソールを片手でいじりながら、キャクトラは声を出した。
『なんだ、キャクトラまで乗っておったのか』
「ハッチが開かないのですが!」
『それはそうだ。無人で暴走していると思って、運動中枢に槍をぶっ刺したからな。
 当分、指一本動かせぬ』
「それでは、出られぬではないか!」
『いまL&Eに連絡を取ったから、あの小娘がチェーンソー担いで来るまで待っておれ。
 しかし、そのルナおしおまなぶーネは一人乗りではなかったか?
 よく二人乗れたものだな』

 自分がいまだルナの身体を抱きしめていることに気が付いて、キャクトラはぱっと腕を開いた。

『キャクトラ! これはどういうことです!』
 スピーカーからアルマナの声が飛ぶ。
「も、申し訳ありません、私が着いていながら」
「母上、キャクトラは関係ないのです!」
『あなたは黙ってらっしゃい!』
『しかし、そのルナおしおまなぶーネがいまだに動けたとは驚きだな。
 てっきりカート・コバーンの代わりに死んだものと』
「おしおまなぶは関係ない!」
『恐れながら陛下、いまL&Eに連絡したのですが、
 あの女子中学生めはサンリオピューロランドに遊びに行っておってつかまらんようです』
『別の業者でもなんでもいいから、すぐに開きなさい!
 キャクトラ! そこを動くのではありませんよ!』
「は、はいぃっ!」

 アルマナの怒声に、キャクトラはびしりと背筋を伸ばした。
 スピーカーからは無数の雑音が飛び散っていた。ゼラド・バランガの泣きじゃくるよ
うな声や、レラ・ブルーがドラムスティックを叩く音も混じっている。

 それとは別に、静かなメロディのようなものがコクピットの中に流れてた。

 あとどれくらい 傷ついたなら
 あなたに辿りつけるのかしら

 碧いうさぎ ずっと待ってる 独りきりで震えながら
 寂しすぎて 死んでしまうわ 早く暖めて欲しい

「そうか」
 キャクトラは起動兵器であるルナシオーネに共感を覚えた。
「寂しかったのですね。姫様に乗ってもらえず」
「済まなかったな、ルナシオーネ」

 キャクトラの胸板に、そっと重みがかかった。
「ひっ、姫様」
「母上のご命令だ。動くな」

 キャクトラの鼻先で、銀色をした柔らかな髪の毛がふわふわと揺れる。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年10月17日 14:03
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。