レシタール夫妻の結婚式


23代目スレ 2008/04/16(水)

 ものごころついたときから、あたしには父親がいなかった。
 あたしのお父さんはどこにいるの?
 母さんにそう訊いても、「お父さんは遠くにいるのよ」と答えるばかりだった。
 あたしは、お世辞にも聞き分けのいい子供じゃなかった。あっさりと自分の境遇を受
け入れることなんて、できるはずがない。
 たとえば、幼稚園の父親参観日だ。
 二軒隣りのゼラドがお父さんのほっぺたをつまみ、お隣のヴィレアムがお父さんの前
髪を引っ張ってる間、あたしはサポートロボットのエルマを積み木の山の中に突っ込ん
でいた。
 それでも、人間十何年も生きていれば変わっていくものだ。泣いても喚いてもどこか
らか父親が降って湧いてくるわけじゃなし、あたしには母さんもエルマもいる。うちは
そういう家庭なんだと、そう考えるようになっていた。
 そうして、高校生になったある日のことだ。
 家に帰ると、見たことのない子供がリビングで寝転がってテレビを観ながら屁をこいていた。
「やぁレイナ、大きくなったね!」
 呆れたことに、この子供があたしの父親だった。
 名前はルアフ・ガンエデン。見た目は子供だけど、中身はオッサンだ。
 より正確にいえば、ぱっと見は子供だけれど、よくよく見れば金髪には白髪が混じっ
ているし、かすかに加齢臭もする。下っ腹なんかはぽっこり突き出していて、明らかに
メタボリック症候群の兆候があった。
 つまり、顔つきがやけに幼いほかは、正真正銘単なるオッサンだった。
 このオッサンは昔、バルマーというところでインチキ霊感商法の親玉みたいなことを
やっていた。ところが、このインチキがバレた。当然、真実を知った者は怒りくるった。
なかでも怒ったのはシヴァーという、あたしの同級生のおじいさんだ。ボッコボッコ
の半死半生の目に遭わされながらも命からがら逃げ出したオッサンは、その後各地を転
々とし始めた。逃亡半分、罪滅ぼし半分で、探偵をやってみたり正義の味方の真似事を
してみたりしていたらしい。その中でなんやかんやあって母さんと出会い、あたしが生
まれたということだった。
 この、『なんやかんや』の詳細はいまもってわからない。聞いたことがあるような気
がするけど、忘れてしまった。たぶん、今後聞いても忘れると思う。
「これからは家族全員一緒だよ! さあお父さんの胸に飛び込んでおいで!」
 まあお父さん、会いたかったわ!
 そんなセリフが吐けるほど、あたしは聞き分けのいい子供じゃなかった。 


 ◆
 その日は、珍しく母さんが朝から食卓にいた。
 ずっとあたしを女手ひとつで育てていた母さんは、家を空けることが多い。どこでな
にをやって稼いでいるのか、ぷらりとどこかへ出かけ、そのまま何日も帰ってこない。
たまに在宅しているかと思えば、昼過ぎまで寝ているというのが常だった。
「それでさ」
 件のオッサンはテレビに映っているお天気お姉さんに目尻を垂らしながら、茶碗に山
盛りにされたご飯を頬張っていた。
「アギラさんの甥っ子さん、いるだろ? ほら、角でタバコ屋やってる。
 お見合い、失敗したんだって」
「ふぅん」
 母さんは寝ぼけ眼のままフォークでスパニッシュオムレツをつついていた。
「惜しかったなぁ。今度こそ仲人できると思ったのに」
 どこでなんの影響を受けてきたのか知らないけれど、このオッサンはたまに仲人をや
りたがることがある。
 もっとも、その企みが実現したためしはない。なにしろ、この町の住人ときたら地域
ぐるみでフラグクラッシュしてるんじゃないかと思うくらい縁が薄い。ここ数年、結婚
式が開かれたという話を聞いたことがない。
「あのさぁ、あんたさぁ」
 母さんは興味なさげにスパニッシュオムレツをかきまわしつづける。
「仲人仲人いうけど、
 仮にセトメさんちのお見合いが上手くいっても、あんたは仲人なんかできないからね」
「え、なんでさ」
「だって仲人って、普通既婚者がやるもんでしょう?」
「そうだね」
「あんた、結婚してないじゃない」
「あっはっは、うちの奥さんは面白いことをいうねえ。
 こんな大質量な愛の結晶までこしらえといてさ」
 あたしを箸で指すな。そして大質量っていうな。
「そうじゃなくてさぁ」
 母さんは小さくあくびをかみ殺した。
「籍入れてないじゃない、あたしたち」
「は」
 オッサンは箸を口に運びかけた格好のまま凍り付いた。
 そのまま、たっぷり三十秒ほどが経過した。
「え、あれ? そうだっけ?」
「そうよ」
「入れてなかったっけ?」
「入れてないわよ。あんた、あたしのとこに転がり込んできたときも、出てくときも、
 この子が生まれたときもバタバタしててさ。籍入れるどこじゃなかったじゃない」
「え、えぇっと、それじゃ、なにかい?
 僕ら、今日の今日までドキドキ同棲生活続けてたっていうこと?」
「特にドキドキはしてないけど、ま、そうなるわね」
「えぇ~、マズい、マズいよぉ~、それはぁ~」
 オッサンは急に頭を抱え始めた。
「ねぇ、僕ぁ教師だよ? 聖職者だよ? 生徒の模範となるべき人物だよぉ~?」
「あんたにそういう自覚があったとは驚きね」


 なんのイヤガラセか、このオッサンはあたしが通う学校で教鞭を執っている。専門は
歴史だ。本当かウソかはともかく数百年生きているというから、思い出話をしているよ
うな感覚で授業をしているんだろう。
「尊敬するルアフ先生の真似して、
 同棲生活し始めちゃう生徒が出てきちゃったらどうするんだよぉ~」
「ま、それはそれで、その子の人生なんじゃないの?」
「よし、セレーナ」
 オッサンはテーブルの上に身を乗り出して、母さんの手をしっかとつかんだ。
「結婚しようか」
「イヤよめんどくさい」
 母さんはすげなくオッサンの手を振り払った。空になった食器を重ねて、食卓を立とうとする。
「えぇ~、なんでぇ~?」
「なんでって、あんた入れようにも戸籍ないじゃない」
「戸籍ならあるよ。教職に就くときにさ、イェーガーさんからもらってきたもん。
 ほら、あのとき、お醤油借りに行ったついでに」
「ああ、あのとき」
 どうやら、戸籍というものはお醤油を借りに行くついでに手に入れられるものらしい。
「ねぇ~、いいじゃん~、減るもんじゃなし」
「減りはしないけど、離婚歴は増えるかもしれないしねえ」
「ちょっとぉ~」
「ああ、ハイハイ」
 洗い場に向かいながら、母さんはそっと肩をすくめた。
「じゃ、今日の帰りにでも役所寄って婚姻届もらってくるから」
「ちょっとちょっとちょっと!」
 オッサンは大げさにテーブルをばしばし叩き始めた。
「書類一枚で済ますつもりかい!? イヤだよ、僕ぁ、そんな乾いた夫婦関係は!」
「はなから乾いてるじゃない」
「乾いてないよ! 潤ってるよ! もう、しとどに潤ってるよ!」
「やめてよ、朝っぱらから」
「ねぇセレーナ? 君だってさ、遠い遠い昔は夢見る女の子だったわけじゃない?」
「ま、わりとごく最近までね」
「結婚式とかさぁ、やっぱ憧れるものだろう?」
「やめてよ、いまさらウェディングドレスなんて歳でもあるまいし」
「ほらごらんほらごらん!」
 オッサンは突然勝ち誇ったような顔をして立ち上がった。
「とっさにウェディングドレスなんて言葉が出てくるっていうことは、そういうことだよ!」
 ちらりと振り返った母さんは、苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。



 ◆
 困ったことに、あのオッサンは妙なところで妙な行動力を発揮する。
 結婚式会場やら招待状やらの手筈はいつの間にか整えられて、あたしたち母娘はあれ
よあれよという間に式当日を迎えていた。
「いけませんよセレーナさん、新婦がそんなに飲んじゃぁ」
「シラフじゃやってらんないわよ、こんなの」
 エルマにがみがみいわれながら、母さんはまた一本ウィスキーのボトルを開けた。
 新婦側の控え室だった。母さんは借り物のウェディングドレスの裾をからげて脚を組
み、かったるそうに頬杖を突いていた。あと1メートルも近づけば、強烈なアルコール臭
が鼻を突くはずだ。とてもじゃないけど、これからバージンロードを歩こうって人間に
は見えない。
「マタニティ・ブルーというやつか?」
 壁にもたれかかって腕組みをしていたスレイさんが、クスリと笑う。今日の式では、
母さんとは長い付き合いのスレイさんレーツェルさんの夫婦が仲人を務めることになっ
ている。
「マリッジ・ブルーの間違いじゃない?」
「あ、そうだったな。どうも、私は式を挙げていないから」
「挙げればいいじゃない。あんたのとこは、旦那が稼いでるんだから」
「タイミングが合わなくてな」
「じゃ、代わる?」
「冗談いうな」
「あ~ぁ、バックれちゃおうかな」
 母さんはゲップ混じりのため息をついて、ウィスキーのボトルに直に口を付けた。
「いいじゃないかべつに、結婚式くらい。やって困るものではないだろう」
「あんたたちの肴にされるかと思うと、たまんないのよ」
「そんなことはないさ。みんな、お前を祝福に来てる」
「あたしを、ねえ」
 母さんは薄く笑った。自嘲のような諦観のような、不思議な笑い方だった。
「本当だ。私たちの仲間内で、ちゃんとした式を挙げた人間は少ないからな」
「そりゃぁ、あんたたち、ポンポンできちゃった婚するからでしょ」
「そういうお前は、ふらっとどこかへ行ったかと思ったら、その子を抱えて帰ってきたのだろうが」
「そうだっけ?」
「そうだ。父親について、私たちはずいぶん噂したんだぞ」
「あら、あたしは最初かホントのこといってたわよ? 誰も信じなかっただけで」
「まさか、あの人だとは思わないじゃないか」
「そうねえ、今にして思えば、別のオトコかも」
「今さらそんなこといったってダメだ。娘さんを見ればわかる。父親そっくりじゃないか」
 そんなことあるはずがない。スレイさんの言葉に、あたしはひとりブスッとした。
「今思えば、なんだったのかしらねえ、あの妙なベビーブームは」
「戦争が終わって、みんな浮かれていたんだ」
「ねえスレイ、あんたあのとき、幸せだった?」
「まあな」
「ふぅん」
 母さんはまた頬杖をつき始める。
「お前は、どうなんだ。いま、幸せか?」
「見ればわかるでしょ」
 お時間です。アクア先生が母さんを呼びに来た。
 母さんはウィスキーを一気に飲み干して、大儀そうに立ち上がった。


 ◆
 意外というかなんというか、式は粛々と進行した。
「汝、健やかなるときも病めるときも、
 喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しきときも、
 これを愛しこれを敬いこれを慰めこれを助け、
 その命ある限り真心を尽くすことを誓いますかと問い掛けるのも私だ」
 仮面を被った胡散臭い神父が決まり文句を述べる。
 オッサンは終始ニタニタ笑っていて、母さんはかったるそうな顔をしていた。
 あたしはといえば、式の間じゅう会場の隅に突っ立って、アホみたいにステンドグラ
スを睨みつけていた。

「一粒一粒が特注のライスシャワーだ。遠慮はいらん。全粒持ってけ!」
 ナンブさんのとこのキョウスケさんが盛大にライスシャワーをばらまく中で、母さん
たちが式場から出て行く。
「おめでとー」
「おしあわせにー」
「今さら感が漂ってるけどー」
 祝福の言葉を浴びながら、母さんはやれやれといった風情でブーケを放り投げた。
 黄色い歓声を上げる女の子たちの中で、除雪車のように突き進むふたつの影があった。
アクア先生とミッテ先生だった。見ていて悲しくなるような形相でブーケに向かって手
を伸ばしている。
 ブーケがふたりのうちのどちらかに落ちる、まさにその寸前だった。世界バレーの選
手もかくやという高度でジャンプし、ブーケをブロックしてしまう人物がいた。ラミア
先生だった。
「なにするんですかぁっ!?」
「いや、バレー部顧問の血が騒いで」
「いつバレー部の顧問なんかやってたんですかっ!」
「来週頭」
「じゃ、いま関係ないじゃないですかっ!」
「いまはバスケ部の顧問だから」
「だったら、いまのブロックはなんだったんですか!」
 言い争うふたりをよそに、花の甘い香りがあたしの鼻先をくすぐっていた。
「あ、レイナ、いいなぁ」
 横にいたゼラドが指をくわえる。
 いったい、なにがどうなったんだろう。ブーケはあたしの手の中に収まっていた。
「じゃ、レイナ、母さんたちいまから新婚初夜だから」
 オッサンを小脇に抱えて、母さんがケラケラ笑っていた。
「2、3日あけるから、晩ご飯はイェーガーさんちで呼ばれなさい」
 母さんは留守が多かったから、あたしは一通りの家事はできる。ちっちゃな子供のこ
ろじゃあるまいし、お隣に晩ご飯をごちそうになる必要なんかない。そんなことくらい、
母さんだって知っているはずだ。
「ちょっと母さん!」
 母さんは振り向いて、ぱちりとウィンクをした。
「今日のは、見本ね」
 なにもいえないでいるあたしを尻目に、母さんたちはオープンカーに飛び乗った。後
部に括り付けられたカンカラを盛大に鳴らしながら発車する。
 オッサンが短い手をぶんぶんと振りまわす姿が、見る見るうちに遠ざかっていった。
 あたしは送りの言葉を発することもできず、ただただ立ち尽くしているほかはなかった。
 ああ、うちはこういう家庭なんだ。
 あたしがそんなふうに考えられるようになるまで、たぶん、あと1、2年かかると思う。

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最終更新:2009年10月17日 14:14
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