24代目スレ 2008/06/22(日)
クラスの男の子たちの話題といえば、なんとかいうカードゲームのことばかりです。
ああ、くだらない。バカバカしい。子供っぽくて見ていられない。
校門をくぐってから出るまで、またほとんど誰とも言葉を交わさずに過ごしました。
ああ、今日は天気がいい。
天気がいいから、チェーンソーを担いでお出かけをしよう。
▽
ラーナ・モントーヤ。中学二年生。背は低くて痩せっぽち。胸はぺったんこで、緑がかった
ような色の髪を短く切りそろえています。そういう外見だから、スカートをはいていないと、
ほぼ確実に男の子に間違われます。
自分の部屋の姿見に映るわたしの姿は、地味でつまらない中学生そのものです。
わたしは制服を脱ぎ捨てました。代わりに水玉ドット柄のシフォンワンピースを頭からかぶります。
ラズベリーピンク色をしたセルフレームのオシャレ眼鏡を低い鼻の上にちょこんと載せて、
幅がわたしの手の平ほどもある工具ベルトをウェストにぐるりと巻き付けます。各種ドライバ
ー、ペンチ、スパナ、ドリル。愛用の工具の数々を念入りに磨き上げて、ひとつひとつベルト
に納めていきます。
そうしているうちに、わたしという存在がだんだんとただの中学生とは別のものに組み変わ
っていくのがわかります。
家を出る前に何十秒かお父さんの部屋に入るのがわたしの儀式です。
お父さんは遠くの研究所に出向していて、家にはあまり帰ってきません。だからお父さんの
部屋はいつも雨戸が閉め切られていて、しんと静まりかえっています。本棚にはたくさんの専
門書、ラックの中には古い音楽ディスク、床のあちこちにはわけのわからないガラクタが転が
っていて、デスクの上にはスペアの眼鏡が置き忘れてあって、ゴミ箱の中ではずっと前の晩ご
飯に出たのをこっそり捨てたセロリがぱりぱりに乾燥しています。
お父さんの匂いに包まれていると、ふつふつと湧き起こるものがあります。
わたしのお父さんは研究者です。でも、わたしはお父さん似の娘ではありません。この部屋
にある専門書の半分も理解することができません。
かといって、お母さんに似ているわけでもありません。お母さんはロボットに乗ってレスキ
ュー業務などをしていますが、わたしにはロボットを運転することはできません。やってみれ
ば真似事くらいはできると思いますけれど、お母さんもお父さんもラウル叔父さんもミズホ叔
母さんもデスピニスさんも、頑としてわたしをコックピットに近づけようとはしません。
「子供の乗るものじゃないわよ」
もらう言葉はいつもおなじです。
「行ってまいります」
ズック靴を突っかけて、チェーンソーをぶら下げて、私は家から出ました。
▽
『バランガ』という表札のかかった家のインターホンを鳴らすと、おっぱいの大きなお姉さん
がばたばたと足音をさせて出てきました。
「どうも、こんにちは」
「あら、あなた」
ゼラド・バランガさん。この町ではちょっとした有名人です。銀色の髪をしたキレイなお兄
さんや、前髪のうっとうしいお兄さんや、いつもウェストのあたりをさすっているお姉さんや、
大声でゲラゲラ笑うヘンなお兄さんに囲まれて、いつもわいわいと楽しそうにしている姿をよ
く見かけます。
「なにかご用?」
「ええと、ここに、おっぱいが大きくてエロくて、
もち肌が淫猥で、黒々とした髪が淫らで、白いエプロンが逆に背徳的で、下唇が悩ましくて、
くるぶしがどこか卑猥で、歩き方からしてほんのり猥褻で、細い指先にふしだらな空気をまとわせていて、、
かっちり着込んだメイド服が不思議としどけない感じに見える、
ひと言で言い表すならエッチなメイドさんがいると思うんですけれど」
「お姉ちゃーん、お客さーん」
「通じたんですか、いまので」
どうやら、通じたようです。件の背徳的なおっぱいの持ち主がスカートの端をつまみ上げて
ぱたぱたとやって来ました。
「あら、この間の」
このメイドさんとは、以前道ばたで会ったことがあります。大きなおっぱいをしているのに、
あまりブラジャーをしない主義なのだそうです。なかなか倒錯した思想の持ち主です。
「こんにちは。幽霊退治をしに行くので、手伝ってください。ギャランティは支払います」
「ええと」
簡潔に用件を伝えたわたしの前で、メイドさんは細い眉毛を八の字に曲げました。
「幽霊ビルの解体依頼が来たのでロボくんのとこに行ったら、じゃぁここを訪ねた方がいいと
勧められました」
ロボくんというのは、いつのころからかこの町に住み着くようになった、正真正銘のロボッ
トです。上半身は10歳くらいの男の子なのですが、下半身はといえば機械丸出しの四本脚です。
名前は
マーズというそうなのですが、あだ名で呼ばれていることの方が多いようです。実年齢
は三歳に満たないというのに、怪しげな商売ばかりしている、妙なロボットです。
わたしがあのロボットに抱いている感情は、憧れというのとは違うでしょう。コンプレックス
の一種に近いと思います。わたしよりもずっと幼いのに、広い世界を飛び回っている姿に、
妬みのような感情すら覚えます。
「ええと、ラーナちゃん? どうして幽霊物件ばっかり扱うの?」
わたしは以前にも幽霊物件を扱って、ニセ札製造犯に遭遇したことがあります。
「わたしは幽霊とか見たことありません。見たことないものは見てみたいです」
「お姉ちゃん、見せてあげられないの?」
「そういわれても」
メイドさんが困った顔をします。
「メイドさんは、なんですか、いわゆる、霊感の強いひとなんですか?」
「霊感が強いっていうか、あのね、うちのお姉ちゃん、実は人型機動兵器で、
悪霊をエネルギー源にして動いてるんだよ」
なにをいっているのかわかりません。
「悪霊をエネルギー源って、それどういうことなんでしょうか」
「そういえば、どういうことなの、お姉ちゃん」
「そういえば、どういうことなのかしら」
ゼラド・バランガさんの質問に、メイドさんは首を傾げます。
「胸の中でちっちゃい悪霊さんが歯車をまわしているんじゃないかしら」
「そんなに働き者なのだったら、すでに悪霊ではないのではないでしょうか」
「働き者でもなんでも、悪霊は悪霊ですから」
「働き者に悪いひとはいません」
メイドさんは感心したように桃色吐息を漏らします。
「手伝ってはあげたいんですけど、わたし、これから晩ご飯の支度が」
「行ってあげたらいいんじゃないの。
お姉ちゃん、お料理しようとしてもまな板刻んじゃうだけだし」
ゼラド・バランガさんの笑顔に、メイドさんが泣きそうな顔をしました。
▽
わたしの両親と叔父夫婦が経営しているL&Eという会社は、本来解体業者ではありません。
お嬢ちゃん、ちょっとやってみるかい。1年ほど前のことでしょうか、お父さんたちにくっ付
いて行った現場で、客先のおじさんがからかい半分にそんなことをいいました。その目の前で、
わたしは人型機動兵器を丸々一体解体して見せました。以来、ちらほらと解体の依頼が舞い込
むようになりました。
わたしは解体という作業が好きです。小さなころから着せ替え人形などにはまったく興味が
なく、目覚まし時計やラジコンカーを解体してばかりいました。
「あなた、ラーナ・モントーヤちゃんていうんでしたよね?」
OG町から少し離れた、山の中です。まぁるいお尻を振りながらわたしの前を歩いていたメ
イドさんがためらいがちに口を開きました。
「お父さんの名前は、ラージ・モントーヤさん?」
「そうです」
「あー」
昔から、お父さんの名前を聞くとこういう反応を見せるひとがちらほらいます。
この、「あー」の意味が、わたしにはわかりません。たしかにお父さんはちょっと変人です。
でも、優秀な研究者が少しヘンなのは珍しくありません。ロボットオタクのロバート・H・オ
オミヤ博士、異様な改造機ばかり作るマリオン・ラドム博士、不治の病に冒されているくせに
一向に死ぬ気配がない
フィリオ・プレスティ博士、三輪車愛好家のジョナサン・カザハラ博士。
お父さんと同程度かそれ以上におかしな研究者はいくらでもいます。
なぜわたしのお父さんだけが、「あー」といわれるのでしょうか。
「お父さんのことをわたしに聞いてもムダです。わたしはなにも知りません」
「あぁ、そうなの」
「お父さんは昔、なにかすごい発明をしたそうです」
「えっ?」
「でもそれがなんなのか、わたしは知りません。誰に訊いても教えてくれません。
お母さんたちが使っているネオ・エクサランスも、
ネオというからにはプロトタイプがあるはずなんでしょうが、
なんの記録も残っていません。
お母さんに訊いたって、カッコいいからネオって付けてるだけで大した意味はないって笑うだけです」
「じゃ、あなた、なにも知らないんですか?」
「なにも知りません」
「その、あなたのお父さんたちが前の戦争で戦ったことは」
「巻き込まれただけだと聞いています。お父さんたちはあまり話したがりません。
もともとレスキュー用ロボットを開発していたそうですから、
戦争に参加してしまったことが不本意だったからだと思います」
「デスピニスさんというひとは」
デスピニスさんとは、忙しい両親に代わってわたしと従兄の面倒を見てくれていた女性です。
見た目はおっとりした美人なのに、コロニー格闘技のファイターと互角に渡り合えるほど不自
然に強いことで有名です。そういえば、どこかこのメイドさんに似ているような気がします。
「お母さんたちの、遠い親戚だと聞いています。
たぶん、戦災孤児かなにかだったのでしょう」
「そう」
「わたしはなにも知りません、聞かされていません。
わたしは出来の悪い娘だから、お父さんたちに信頼されていないんです」
「ラーナちゃん、それはね」
まろやかな弾力のあるお尻がわたしの顔にぶつかりました。メイドさんが突然立ち止まったのです。
「下がっていて」
メイドさんが声を潜ませます。
木々に囲まれて、灰色をしたビルがひとつ、ぽつんと建っています。今回解体を依頼された
物件がこれです。もとはホテルだったといいますが、観光地でもない山奥にどうしてホテルが
建っているのかはわかりません。解体したあとも、やっぱりホテルが建てられるそうです。大
人の考えることはよくわかりません。
もとは駐車スペースだったのであろうひび割れたアスファルトの上に、潰れた空き缶がいく
つも転がっていました。そして、空き缶と同程度に潰れた顔をした男のひとが三人、地べたに
しゃがみ込んでいました。
「なんじゃぁ、おんしら」
「このホテルは解体されることが決まっています。危険ですから離れてください」
わたしはメイドさんの前に進み出ました。
「解体だ?」
男たちが立ち上がり、よたよたとわたしに近づいてきます。野良犬並の知性も感じられない
目が、ぎらぎらと獰猛に光っています。
「なんの権限があって、そんなことするんじゃ」
「権限のあるひとから依頼されたからです」
「ここがのぅなったら、ワシら、どこに行ったらいいんじゃ」
「コンビニの前とかの方が快適なんじゃないでしょうか」
「去ね。ここぁ、幽霊が出おるぞ」
「いるんですか、幽霊が」
「おるわけないじゃろう!」
「どっちですか」
「おう!」
男がベルトに手を回しました。現れたものを見て、わたしはガッカリしました。なんだつま
らない。スタンガンなら10歳ぐらいのときにほとんどのメーカーのものを解体しています。
「横着しないでください。怠け者に善人はいません」
わたしは工具ベルトからドライバーを一本抜き出しました。何秒もかかりません。スタンガ
ンはプラスチックと基板とバッテリーに分解されて、バラバラと地面に落ちました。
「直せませんよ。わたしにできるのは解体だけです」
「てめえ!」
男が銅鑼声を張り上げます。
「やめなさい!」
メイドさんがわたしを押しのけて前に進み出ます。
男たちが黙り込みました。たがいに顔を合わせてなにかヒソヒソと話し始めます。おい、
あれ。ああ、バランガ家のメイドだ。やばいな。エロいな。いや、やらしいな。やらしいという
か、もう卑猥だな。卑猥というより、むしろ淫蕩じゃねえか。メイド服が、匂い立つほどに淫らだぜ。
「やめてください! 私はエロくありません! 清純です! 清純派なんです!」
メイドさんの声に、男たちはわっと逃げ出していきました。
「ダメです。あんな、挑発するようなこといったら」
「申し訳ありませんでした。わたしのために、あんなウソまでいわせてしまって」
「ウソはいってませんから! 私、エロくありませんから! ほんとに清純派ですから!」
それでもメイドさんの声には淫水じみた潤いがあって、言葉にはまったく説得力がありませんでした。
▽
廃ホテルの中は、かすかなホコリとシンナーの匂いがしていました。
窓ガラスは一枚残らず割られていて、壁紙が剥がされて剥き出しされたコンクリートはスプ
レーを吹き付けたラクガキで埋め尽くされています。床の上は、ガラスの破片や空き缶、スナ
ック菓子の袋、カップラーメンの容器、得体の知れないソフビ人形などがうずたかく積み上げ
られていました。
どうやらこの廃ホテルは、先ほどのようなダメなひとたちのたまり場になっているようです。
「もう、こんな場所の解体を女子中学生に依頼するなんて!」
メイドさんが憤りの声を漏らします。
「依頼を出したのはホワイトカラーのおじさんです。
現場の状態なんかわかっているはずがありません」
ガラクタをズック靴でかき分けながら、わたしは廃ホテルの中に踏み行っていきました。
建築物の解体自体は、ほぼ一瞬で終わります。爆破解体なら、時間も人件費もかかりません。
ただしその前に、いくつかの手順があります。中に危険物が残留していないことを確認し、構
造を把握し、主要な柱や鉄筋を切断しておかなければなりません。
「いないみたいですね、幽霊」
「あのね、ラーナちゃん、さっきの話だけど」
「エロいか清純派かという話だったら、やっぱりエロいと思います」
「そうじゃなくて、その前の」
なにか異様な気配を感じて、わたしはその場から飛び退きました。思わずメイドさんに飛び
つきます。ふかふかした胸に顔を埋める形になりました。わたしは息を呑みました。この世に
は、なんてふかふかした物体があるのでしょう。少なくとも、我が家にはこんなもの一欠片だ
ってありません。
「あっ、ちょっと、なにしてるの」
「ふかふかしてます、ふかふかしてます、クセになるほどふかふかしてます!」
「ふかふかのことじゃなくて」
「そこに、そこに!」
わたしはふかふかした胸から顔を外し、ロビーの隅を指差しました。
暗がりの中に、ぼんやりと浮かび上がっているものがあります。深く考えるまでもありませ
ん。あれは幽霊です。あんなものが、生きているはずがありません。
幽霊は女の人でした。顔はぼんやりしていて、見ることが出来ません。長い髪を顔の前に垂
らして、口を大きな楕円形に開いていました。
「オー、オー、オー」
すすり泣くような声が絶え間なく続いています。
「あれはね、悪霊よ」
メイドさんがわたしの頭を抱えました。
「悪霊だったら、大丈夫じゃないのじゃないですか」
「悪い感情から産み出されたものを悪霊というんです。
彼女そのものは、まったく悪くないのに」
メイドさんがなにをいっているのか、よくわかりませんでした。
「彼女は、72時間かけて殺されました」
幽霊には脚が付いていました。ただし、アキレス腱を切断されています。赤黒い傷口が、悲
鳴をあげるようにぱくぱくと開いたり閉じたりを繰り返していました。
ちゅるんと、おかしな音がしました。
「もう大丈夫」
メイドさんがわたしの頭を撫でます。
幽霊の姿は、完全に消えていました。
「なにをしたんですか」
「食べました」
「食べちゃったって、誰が」
「はい、私が」
メイドさんは平然としています。
このメイドさんは、いったいどういうひとなのでしょうか。悪霊は悪いものではないといっ
た直後に悪霊を食べるなんて、なにを考えているのでしょうか。そもそも悪霊を「食べる」と
は、どういった意味なのでしょうか。
ガシャーンという音がしたのは、そのときでした。入り口のシャッターが下ろされています。
シャッター越しに、ガチャガチャと鍵をかける音がしていました。
横殴りの衝撃がやって来ます。老朽化したコンクリートに亀裂が入り、あっという間にくずれおちます。
土煙を上げながら現れたのは、一台のショベルカーでした。近くの工事現場で使われていた
ものを引っ張ってきたのでしょうか。
「見つけたかッ! 見つけたかッ! 見つけちまったかぁッ!」
運転席に座っているのは、先ほどのくだらないひとたちのひとりでした。口から白い泡を飛
ばしています。なにか、ろくでもないものでも摂取したのでしょう。
どうやら、あの幽霊を殺したのは、あの男たちだったようです。幽霊話を流したのも、威嚇
するような目をして廃ホテルのまわりにたむろしていてのも、人払いをするためでしょうか。
とてもシンプルなお話です。
「ああ、バカバカしい」
シリンダーをギシギシと軋ませながら、ショベルカーがバケットを振り上げます。充分なメ
ンテナンスもしていなければ、習熟した運転技術も持っていないことは明らかでした。
「頭の悪い使い方をしてあげないでください。機械がかわいそうです」
バケットが落ちてきてコンクリートを破壊します。破片がぴしぴしと顔に当たります。
工具ベルトに手をまわしつつ、わたしはバケットに飛び乗りました。
「解きはなってあげます」
ドライバーとレンチ。それだけで充分です。持ち上がるアームの先にはなにもありません。
バケットは地面に置き去りにされたままです。わたしは止まりません。アームの上に飛び移り、
工具を次々と持ち替えました。3段からなるアームが2段になり1段になり、とうとう完全に消えました。
車体に辿り着くなり、わたしはチェーンソーを起動させました。高速で回転する刃を外装に
突き立てます。激しい火花があたりの光景を明滅させました。露わになったコード群を引き抜
き手の平に絡ませて、点火プラグを抜き取りフィルターを外しストレーナーをつかみます。完
全に沈黙した重機から、屋根を、外装を、メーターを、ざくざくざくざくと外して進みます。
飛び散る火花を、宙を踊るナットを、舞いくるうボトルを、わたしは全身で浴びました。オ
イルの香りが嗅覚を満たしてくれます。
痺れに似た甘い感覚がわたしの全身を駆け抜けていきました。この瞬間です。ボルトひとつ、
シャフトひとつ、あらゆる部品のひとつひとつに至るまで、この機械はわたしの手中にある。
これに勝る充足感を、わたしは知りません。
わたしは陶然と微笑みを浮かべました。
「気持ちいい」
「なんなんだ、このガキはぁっ!?」
「お父さんの真似をして、お母さんの真似をして、そうしているうちに、
どういうわけかこういうことばかりできるようになりました」
シートだけになってしまった運転席の中で男が目をひん剥いています。
わたしは荒い息を吐きながら男を見下ろし、チェーンソーを持ち上げました。
「できるのはこれだけです。出来の悪い娘なので」
チェーンソーの唸る声が、ひどくやかましいと思いました。
「そこまでだぁっ!」
背後から、声。見ると、バカバカしいひとたちのひとりがメイドさんを後ろから羽交い締め
にしていました。
「それ以上やりやがると」
「やってみればいいんです」
男が放心したような顔をしました。
「やれば、あなたは人質というアドバンテージを失います。
わたしにはなんのためらいもなくなります。わかりますか」
「そういうこと、いったらダメです」
メイドさんの声は静かでした。
「ラーナちゃん」
「こいつ、動くんじゃねぇッ!」
「目を、つむっていてください」
メイドさんの言葉に従うまでもありませんでした。
真っ白にも真っ黒にも見える、異様としかいいようのない閃光がわたしの視界を塗り潰しました。
なにも見えなくなりました。なにも聞こえなくなりました。わけもわからず叫びたいような
衝動で胸がいっぱいになります。
いったい、なにが起こっているのでしょうか。
とてつもなく大きくて、とてつもなく恐ろしいなにかがわたしの前に現れている。それだけ
が、震えるほど確信できました。
「非業の死を遂げた魂は、安らぐことがありません」
これは、メイドさんの声なのでしょうか。台風が起こす唸り声にも似ています。
「72時間分の苦痛です。あなた方が産み出した苦痛です。あなた方が引き受けなさい」
耳を覆うばかりの絶叫が轟きました。
▽
コンクリートが詰められたドラム缶にノミを当てて、げんのうを打ち下ろしました。
バラバラと崩れ落ちた破片の中には、荒れに荒れた黒髪と白骨が混じっています。わたしは
しゃがみこんで、骨片をひとつひとつ丁寧に拾い集めました。
ゴミが散乱した床の上には、3人の男が転がっていました。口から泡を吹きながら、わけの
わからないことを呻いています。
「彼らは」
「悪夢を背負いながら生きることは、とてもつらいことなんです」
ぼうと、わたしたちの頭上で乳白色の輝きが灯りました。
髪の長い女の人が浮かんでいました。あれは、あの悪霊と同一人物なのでしょうか。姿形は
まったく変わっていないのに、怖いとはまったく感じませんでした。
女の人はぺこりと頭を下げました。それっきり、フッと消えてしまいました。
「彼女は」
「成仏って、いうんでしょうか。
ほんとのところどうなるのかは、見たことないからわからないんですけど」
「あれは、悪霊じゃなかったんでしょうか」
「もう悪霊じゃありません。悪い部分は、私が食べちゃいました」
「あなたは、どういうメイドさんなんですか?」
「ねえラーナちゃん」
メイドさんはにっこりと笑いました。わたしは、その下にあるおっぱいのふかふか具合を思
い出しました。
「あなたのご両親があなたになにも話さないのは、
べつにあなたのことを認めていないからじゃないんですよ。
話す必要がないと思ったから、話していないだけなんです。
それは決して悪い感情じゃないんです」
「そういうことを聞いても、わたしの中学生特有の感情は消えないと思います」
わたしは地面に置いてあったチェーンソーを拾いました。
▽
スイッチひとつで爆発は始まりました。上階から下階へ、破壊は連鎖的に続き、廃ホテルは
内側に折り重なるようにして形を失っていきました。
破片が飛び散るようなヘマはしていません。それでも爆風は起こります。
「きゃ」
メイドさんが舞い上がるスカートを押さえました。
結局、わたしは明日もチェーンソーを担いで外に出かけるでしょう。なにも知らないまま、
なにもわからないままです。
ただ、ひとつだけわかったことがあります。
あまりブラジャーをしない主義のメイドさんは、どうやらパンツもはかない主義のようです。
最終更新:2009年10月17日 14:47