27代目スレ 2008/12/28(日)
◇
お日様は、黄色かオレンジ色をしているものだと思っていました。
だからわたしは、黄色とオレンジ色のクレヨンをぐいぐいと画用紙に押しつけたものです。
あら上手。
そう褒められるのは、いつもあの子の方でした。
わたしには、どうしてなのかわかりませんでした。
あの子の描くお日様は、てんでメチャクチャなんです。青空にぽっかりと白い穴があ
いていて、中に黒や茶色の小さな点々がパラパラと散らばっているんです。お日様があ
んなふうに見えるなんて、あの子は目が悪いんじゃないでしょうか。
わたしの描くお日様の方が、ずっと正確に決まっているのに。
褒められるのは、いつもあの子の方です。
だから、あの日のことはよく覚えています。
初めて解体をしたのは、幼稚園でスケッチ遠足に行った日のことです。
わたしは、あの子が自慢げに首からぶら下げていた双眼鏡をバラバラにして池に投げ
捨てました。
◇
「そーいやさ」
あまり日当たりのよくない事務所の中です。
ソファにひっくり返って書類に埋もれていたロボくんがぽつりと呟きました。
「あんま一緒にいねーよね」
「なにがですか」
「キミとミズッちゃん」
わたしは無言でクロスワードパズルに向かいました。
ミズッちゃんというのは、わたし、
ラーナ・モントーヤの従兄弟であるミズル・グレ
ーデンのことでしょう。チビで、成績は中の下、運動はからっきし、赤茶けた髪の毛を
ボサボサに伸ばして寝癖を直そうともしません。絵を描くしか能がなくて、フラッとど
こかへ行ったかと思えば無断で民家の壁かなにかにラクガキをしては苦情と一緒に帰っ
てくる、そういう男の子です。
「従兄弟というだけで、べつに仲がいいわけじゃありませんから」
「めずらしーんじゃねーの」
「なにが」
「だってさ、このカイワイ、
キョーダイとかイトコとか、やけに仲よかったりすんじゃねーの」
「血が繋がっていようがいまいが、そりが合わない相手というのはいるものです」
あの子の絵が上手いのは、わたしが小さい頃からオモチャというオモチャを解体して
しまうからだと、そういうことになっているようです。
わたしにいわせれば逆で、あの子の絵の上手いことに無性に腹が立って、
解体せずにはいられないのです。
「ん~」
ロボくんはなにかいいかけて、書類を顔の上にかぶせました。
「やーんぴ。
おやじンとこ、おん出てきたおれのいうこっちゃねーや」
「ほんというとですね、ロボくんとミズルを会わせたくなかったんですよ」
「あー、それで、ミズッちゃんのこと、ラクガキしか能のねー子供みてーにいってたんだ」
「現にラクガキしか能がないじゃないですか」
「あーゆーなぁー、芸とゆーんだよ」
わたしにはまったく意味が分かりませんが、あの子の描く落書きにはずいぶんな値段
が付くそうです。商人を自称するロボくんが気に入るのは想像がついていました。
案の定、あの子はあっさりと『ミズッちゃん』だなんて呼ばれています。
「あの子はずるいんです。
わたしの方が勉強ができるのに、褒められるのはいつもあの子。
わたしの方が運動できるのに、褒められるのはいつもあの子。
わたしの方がカワイイのに、好かれるのはいつもあの子」
「や、カワイさで張り合うのは、なんか違ってねー?」
「なんですか、ミズッちゃんというのは」
わたしはロボくんに向かってマイナスドライバーを投げつけました。
◇
師走です。
先生方が、まだ出禁されていない飲み屋を探して走りまわる季節です。
嘘です。
でも期末テストの答案にそう書いたら3点もらえました。
世の中はかくも理不尽に充ち満ちています。
解体業者にとっても忙しい季節です。
年末に向けて、建築物の解体依頼が何件も舞い込んでいます。
わたしのやり方だと鉄材にほとんど傷を付けないので、お客さんに喜ばれています。
ライトグリーンのダッフルコートを着て、町外れの山を登ります。
お日様はずいぶん西に傾いて、枯葉の溜まった山肌を赤く照らしていました。
日没まで間がありません。
今日は1本2本解体できればいいほうでしょう。
あってないような山道の奥で、くすんだ色をした鉄塔が一本、錆の浮いた金網に囲ま
れています。
『よいこは ここで あそばない!』という看板に誰かがもたれかかっているのが見
えました。
柔らかそうな黒い布地で柔らかそうな肢体を包み込んだメイドさんでした。漆黒のロ
ングヘアは夕陽を浴びて淫靡な輝きを帯び、うっすらと砂利の積もった地面を踏みしめ
る足は、性に対する奔放さを暗に物語るように靴を履いていませんでした。
「あら、どうしたんですか」
「メイドさんこそ、なにをしているんですか」
「なんでスカートをまくり上げるんですか」
「どうして今日はパンツ穿いてるんですか」
「私にだって、パンツ穿いてる日くらいありますよ」
「裏切られた気分です」
「なんに対する信頼を寄せられていたんですか、私は」
バランガさんの家にいるメイドさん、ディストラさんでした。メイドさんのくせに家
事はあまりできなくて、パンツを穿いている日と穿いていない日では圧倒的に穿いてい
ない日の方が多いに決まっている、そういう人物です。
「どうしたんです、こんなところで」
「ああ、それは」
「あ、いいです。わかりましたから」
わたしは工具ベルトからマイナスドライバーを引き抜いて投げつけました。
「ふぎゃっ!」
そろそろとその場から立ち去ろうとしていた男の子がひっくり返ります。ベルトのバ
ックルを解体されて、真っ白なブリーフのお尻をこちらに向けていました。
「逃げることないじゃないですか、ミズル」
「だって、ラーナはおれにイジワルするじゃないか」
ミズルはスケッチブックと木炭を持っていました。紙の上では黒い線がぐちゃぐちゃ
に重なっています。たぶん、鉄塔とメイドさんを描いたものなんだと思います。この子
の絵は、スケッチ段階ではなにが描いてあるのかまるでわからないんです。
「またラクガキですか」
「いいだろ、ラーナには関係ないじゃないか」
ミズルはふてくされたような顔をして、わたしと目を合わせようとしません。
「関係なくもありません。場所を移してください」
「え、どうして」
「この鉄塔は、いまから解体します」
「なんでそんなことするの、やめてよ」
「なんでって、それは仕事だからです。
鉄塔だったら、向こうにも生えているでしょう。
そこだったらあと2、3日はそのままですから」
「ここがいいんだよう」
ミズルはばたばたと地面を手の平で叩きます。
「どこだっておなじじゃないですか」
「わっかんないかな。
この、山肌と、金網のサビ具合とまわりの木の生え具合と、斜面の斜めってるとこ。
こういう風景、なくなっちゃうのイヤだよ」
「ミズル」
わたしは、寝癖も直していない赤茶けた髪の毛をわしづかみにしてミズルの顔を上げ
させました。
「小さい頃からずっとですけれど、
わたしにはあなたのいうことがまったくわからないんですよ」
「そりゃあ、ラーナにはわからないかもしれないけど」
「ああ、よしなさいよしなさい」
メイドさんがわたしたちの間に割って入ります。
「あなたたち、いとこ同士なんじゃないんですか?
仲良くしなきゃダメじゃないですか」
「ダメっていうことはないでしょう」
「ラーナはおれのこと嫌いなんだよ」
「わかってるじゃないですか」
「もう、ダメじゃないですか」
メイドさんがひょいと腕を伸ばしてわたしをミズルから遠ざけます。
「どうしてその子をかばうんですか」
「かばうっていうんじゃないんですけれど」
「可愛がられるのは、いつもその子なんです。
褒められるのはいつもその子なんです。
まったく頑張ってないくせに。
好きなように絵を描いてるだけの子のくせに」
メイドさんが眉間にシワを寄せて困った顔をしているのがわかりました。
「おれは、世話を焼かれてるだけだよ。
ラーナはしっかりしてるから、1人でも大丈夫だって思われてるんだよ」
「わたしはしっかりなんてしていません」
「うん、考えてみると全然しっかりしてないんだけど、
ぱっと見しっかりしてるように見えるから」
「ミズル、わたしはあなたが嫌いです」
「改めていってくれなくていいよ」
「あっ、いけません。やめなさい!」
メイドさんが突然叫んだと思った、そのときです。
フッと、あたりが急に真っ暗になりました。
まだ夕方だったはずです。いったい、なにが起こったのでしょうか。
「動かないでください!」
メイドさんの声と一緒に、バシッバシッとなにかを叩くような音が聞こえます。
「逃げてください!」
わたしの肩を、なにかがかすめていきました。
いつの間に現れたのでしょう。
バサッバサッ、とカラスの羽音に似た気配がわたしたちを囲んでいます。
「ミズル」
「え」
「下がっていてください」
「待ってラーナ、そっち行くと」
わたしは工具ベルトからペンチを抜いて手近な気配に飛びかかりました。
空振りです。羽音があざ笑うように遠ざかってきます。
着地と同時に、次は右手に。
そう思った矢先、なにか丸いものを踏みつけました。あやうく転びそうになります。
「そっち、大きめの枝が転がってるから」
「ミズル」
わたしは苛立ちを隠そうともせずに声のする方に手を伸ばしました。髪の毛らしきも
のに触れると、むんずとつかみます。
「見えているなら見えているといってください」
あたりは真っ暗で、視界はまるで効きません。
「おれだって見えてないよ。
でも、さっきまでずっとここでスケッチしてたから」
ああ、なるほど。
ミズルが小学生のころのスケッチブックを見ると、当時まだ読めるはずの無かった難し
い漢字や、いまでも読めるはずのない異国の文字がそのまま書き込まれているということ
がよくあります。
どうやら、ミズルは見たものを映像として記憶にとどめて置くというような芸当がで
きるらしいです。
映像記憶といって、本来は人間が誰しも持ち合わせている能力なんだそうです。たい
ていは成長するうちに忘れてしまうものなのですが、画家のように右脳の発達した人種
はいつまでも持ち続けていることがあるようです。
いま、ミズルの頭の中にはこのあたりの地図ができあがっているのでしょう。
ギャアギャアと、カラスの鳴くような声があたりにこだましています。
「ミズル」
わたしはミズルの顔を引き寄せました。
「わたしはあなたが嫌いです」
「それはわかってるよ」
「でも、役に立ってもらいますよ」
ミズルを小脇に抱え、右に跳びます。
「えっと、そっちにはおっきな樫の木が」
わたしは木の幹を蹴飛ばし、わたしたちに追いすがって来た羽音に襲いかかりました。
ペンチに、がっきりと手応えがあります。
つかまえた。こうなればこちらのものです。
マイナスドライバーを振り下ろしました。
金属製の羽根をかき分け、相手の構造を手探りで調べます。カラスに似た鳥型のメカ
ニック、ミタール・ザパト博士制作のフロンスと同系統のシステムのようです。これな
ら知っています。手が届きさえすれば、目をつむっていても解体できます。
地面に落ちた残骸を踏んで、わたしはまたミズルを引っ張りました。
「そっちには金網が」
「そうですか」
ミズルを前方に放り投げます。ガシャンと金網にぶつかる音を追って、わたしは金網
を駆け上がりました。右手にモンキーレンチを、左手にドライバーを。一度に2羽、ま
とめて解体します。
真正面から1羽、肩で受け止めて、糸ノコを振り上げます。
あとからあとから、羽音は無数に現れます。
鉄材に傷を付けないため、愛用のチェーンソーを持ってきていないことが少しだけ悔やまれます。
わたしはミズルを背中に隠し、工具ベルトに手を走らせました。
「いけません、そういうやり方は!」
メイドさんの声が飛びます。
ゴウッと強烈な突風が吹き付けました。
ギャアギャアという悲鳴を上げながらカラスたちが巻き上げられていきます。
のみならず、わたしまで。
わたしの靴の底がふわと地面から離れました。
頭上に、なにか恐ろしいものがぽっかりと口を開けているのがわかりました。
吸い込まれてしまう。
わたしは空中で身を竦ませました。
「あ、ラーナ!」
がしと、わたしの手をつかむものがありました。
ああ、この子は、こういう手の形をしていたのかと、そう思いました。
◇
本当の日没が近づいています。
薄暗くなった林の中を歩くメイドさんの姿は、企画物のエロビデオみたいでした。
「ここは、もともと霊的磁場の不安定な場所なんです。
ちょっと様子を見に来たら、その子に会って」
「あれは、なんだったんでしょう」
「負のエネルギーに引き寄せられる、モノノケのようなものです。
きっと、私の気配に寄ってきたんでしょう」
「メイドさんは、負のエネルギーなんか出しているんですか」
「いっていませんでしたか?
わたしは悪霊をエネルギーにして動く人型機動兵器なんです」
「陰陽師のようなものなんでしょうか」
「あなたは、いまいち私が何者なのか理解していないんじゃないでしょうか」
「そんなことないですよ」
メイドさんが言葉を選んでいるのがわかりました。
あのカラスたちを引き寄せたのは、きっとわたしでしょう。
天衣無縫な従兄弟に対して妙なコンプレックスを持ち続けるわたしの心が、
あのバケモノたちを呼んだのに違いありません。
「それでもね、ミズル、わたしはあなたが好きじゃありません」
「うん」
ミズルがおずおずと頷きます。
「おれだって、ラーナは苦手だよ」
「それでいいじゃないですか。
どうせ、いとこ同士、縁の切れるものじゃありません」
メイドさんが困ったような顔をして微笑んでいるのが見えました。
ミズルが、目を見開いて立ちすくんでいます。
あのカラスにやられたのでしょう。メイドさんのメイド服は胸元が破れて、真っ白な
おっぱいが片方寒風にさらされていました。
でもメイドさんはなぜか気付いていないようなので、まあいいやと思いました。
最終更新:2009年10月17日 14:47