少年カイザーナックル


28代目スレ 2009/02/22(日)

 ◆
 そのダンスに、音楽はなかった
 誰も声を発しない。
 異様な緊張感が場を支配していた。
 固唾を呑む音の中心に、男がひとり直立している。
 内股にされた足が細かくステップを刻み始める。足を一歩前に出したかと思うと、長
い両腕を大きく広げた。この腕が届くエリアは自分の領土だと主張しているような動き
だった。
 トップロックから身体を沈める。左右の足が交互に伸びて、360度のステップをストリ
ートに刻み込む。そのまま、ダイナミックなウィンドミルに移行した。大きく広げられた
両脚が竜巻のように激しく回転する。
 ブレイクダンスの基本テクニックを披露している間、演者は一度も視線を下げない。
 星ひとつ見えない夜空を、まるで挑むように見つめ上げている。
 ユウカ・ジェグナンは肩から提げていたギターケースを外した。
 細かなスウィーピンを刻みながら、ダンサーが高々とジャンプした。
 タイミングを合わせて、ユウカはギターケースを振り上げた。真芯で捕らえて、振り抜く。
 小気味いいほどの勢いでダンサーの身体が吹っ飛んだ。アスファルトの上で二、三度バ
ウンドすると、軽くステップを踏み始める。

「やっぱりオマエが来たか、ユウカ」

 すっくと立ち上がったその身体は、ユウカよりもかなり高い。がっしりとした骨格の上
にしなやかな筋肉が巻き付き、光沢のある白い肌が張っている。肩口まで無造作に伸ばさ
れた髪は砂漠の砂のような色で、うっすらと整髪料を塗りつけていた。顔の彫りは深い。
まつ毛が長く、その下に灯る眼光の鋭さを強調していた。
 ユウカの知っている顔だった。

「マカロフ」
「久しぶりだな」
「こいつら、あんたのチーム?」

 深夜をまわった、公園の中だった。音もさせずに波を打っている噴水を、だぼっとした
ストリートファッションを身を包んだ少年少女たちがぐりると取り囲んでいる。なぜか、
暗黒鳥人の子や四本足のロボットまで混じっている。

「少年カイザーナックルだ」
「ハ、なに、聞こえない」
「少年カイザーナックルだ!」
 イェー、と取り巻きたちが歓声を上げた。
「ダッサ」

 昼間は子連れのマダムたちの社交場、夜は行く当てのない少年少女たちのたまり場であ
るこの公園を、ここ最近荒らしているダンサーがいるという。
 この町を守る銀髪のスーパーヒーローも、子供どうしの縄張り争いにまでは感知しない。
そもそも、殴るわけでも蹴るわけでもなく、ダンスでもって相手を屈服させるダンサーたち
の戦いを、あの朴念仁のスーパーヒーローは闘争と認識することすら出来ないだろう。
 パンクスであるユウカは、町の平和などに興味はない。たとえば学校が凶悪犯に制圧さ
れても、喫茶店のテレビでニュースを眺めながら「フーン」と呟いて終わるだろう。
 しかし、このストリートはユウカの縄張りだ。勝手なことをしている人間がいるという
のなら、ただではおかない。

「ああ、ダセぇんだ。この国は全体的にダセぇ」
 マカロフは信者が差し出したジャケットを伊達に羽織り、しなびた文化住宅が建ち並ぶ
街並みを眺めた。
「ダセぇ音楽、ダセぇファッション、ダセぇ映画、
 なにもかもがアニメとマンガとゲームだ。
 こんなとこでオマエが耐えられわけ、ねえよな」

 馴れ馴れしく肩を抱こうとする手を、ユウカははたき落とした。
「前からそうだけど、あたしを自分のオンナみたいに扱うのやめて」
「いつも俺の部屋に泊まってたじゃねえか」
「アー、あれ、あんたの部屋だったの?
 いつも5、6人転がってたから合宿所かなんかだと思ってた」

 ユウカは以前、ロンドンで暮らしていた。ステートスクールに上がったあたりから学校
に通わなくなり、裏通りをぶらぶらするようになった。
 そのころに知り合ったのが、マカロフだった。フルネームはいまだに知らない。
 イギリスは紳士の国だ。しかし、その紳士精神に馴染めない少年少女はいつも大量にい
る。マカロフは、そうした少年少女たちの顔役だった。
 マカロフのまわりにはいつもたくさんの人間がいた。決して和気あいあいとしたもので
はない。崩れかけたフラットで、安ビールの空き缶や紙巻きタバコの残骸に囲まれて、
壊れかけのギターをつま弾きながら社会への愚痴をいっているだけの集団だった。

「あたし、あのとき13、4歳だったと思うんだけど、なに、あんたロリコンだったの?」
「あんなふてぶてしい13、4歳がいるかよ」

 そういえば、マカロフはいくつなのだろう。ユウカが知り合ったときにはもう酒もタバ
コもやっていたから、たぶん成人していたのだろう。あの部屋にはパブリックスクールの
制服が転がっていたような気もするけれど、おそらく成人していたはずだ。

「聞いたぜ。
 この国じゃあ、パンクは深夜アニメやラブコメドラマのテーマソングに成り下がってるっていうじゃねえか。
 そんなファッションパンク、オマエには許せねえだろ」
「許すも許さないも、ハナから興味ないし」
「隠すなよ」
 スッ、とマカロフは長い腕を差し出した。
「帰ってこいよ、ユウカ」
「なにいってんの、あんたは」
「また、一緒にやろうぜ」
「以前、あんたとなんかやってた記憶もないんだけど」
「オマエにこの国は似合わねえよ」
「国に似合うもへったくれもないでしょう」
「話し合うつもりはないってことか」
「話し合うつもりだったなんて、あんたも年取ったんじゃない?」
「じゃあ、俺たちの流儀で話をつけよう」

 マカロフはひょいと逆立ちをすると、両脚を大きく広げて静止して見せた。マックスと
呼ばれるダンステクニックの一種だった。

「あんたのグルーピーどもの真ん中で、ダンスバトルやれっての?」
「『少年カイザーナックル』は、べつに俺のチームじゃねえ。
 仲間になってるのは、俺のダンスを見てくれたからだ。
 オマエもおなじことをすりゃあいい」
「上等」

 ユウカはレザーのジャケットを脱ぎ捨てた。赤と黒のチェックシャツも脱いで、ブラト
ップとショートパンツのみの姿になる。
 ヒューゥと、群衆の中から口笛が飛んだ。

「少し痩せたか?」
「絞まったのよ」
「肉が乗ってるとこもあるな」
「ロリコンを喜ばせる義理、ないし」
 マカロフはバック転を打ってユウカから離れた。ブリッジの姿勢から上体をまわし脚を
振りまわす。
「オーライ」
 ユウカは前転を打ち、手、肩、背中、足の順で地面に降りた。完璧なシーサイドだった。
 オーディエンスたちが声を上げる。

「ダンスもギターも、俺がオマエに教えたこと、忘れたわけじゃねえだろ」
「なにいってんの。あんたに教わったのはCメジャーの最初だけよ」

 ユウカが物心つく前からダンスの手ほどきを受けているということを、ロンドン時代の
仲間は知らないことが多い。訊かれたことがなかったし、訊かれたところで当時のユウカ
は答えなかっただろう。あのころは、いま以上にダンスを教えてくれた人物に対するわだ
かまりが大きかった。
 口をつぐむユウカの前で、マカロフは挑発的なサイドウォークを決める。
 ユウカは両腕を胸の前に構えて激しいターンを決めた。

「ヌルいな」
 嘲りですらない、ただ失望したような口ぶりだった。
「あのころのオマエは、イケてたよ。
 いつもイライラしててよ、すぐに怒って、うねって、いまにも破裂しそうだった。
 そういう状態で踊るオマエは、危険なくらいセクシーだった」
 口を動かしている間も、マカロフは止まらない。手と足が、驚異的なスピードで入れ替
わる。

「オマエ、オトコに惚れたな」
 ユウカは舌打ちを返した。
「パンクは反逆の音楽だ。
 世の中に押しつぶされて、どうしょうもなくて、それでも黙ってるのはイヤで、
 仕方ねえから騒いで踊るんだ。
 充足しちまった瞬間、そいつの中でパンクは終わる。
 ユウカ、オマエのパンクは死んじまった」

 マカロフは反論を待とうともしない。
 長い手足が武器のように舞い始める。
 ロンドンで、マカロフのダンスはひとつの伝説だった。
 一曲目で彼を知り、二曲目で惚れ込み、三曲目で崇拝するようになる。
 そう称されていた。
 いつの間にか、誰もが口をつぐんでいた。
 張り詰めた空気の中で、彼の肉体だけが動くことを許されたように躍動する。スワイプ
スの状態から上半身と下半身を巧みに回し、高々と跳び上がったかと思うと空中で回転した。
両手で着地すると同時に足を激しく回転させて、ひっくり返るように起き上がる。
 整髪料を塗られた髪から、玉の汗が飛び散った。
 この場に音楽はない。言葉もない。ただエネルギーが発散されているだけだ。
 怒り、苛立ち、なにか大きなものに押しつぶされそうで、それでも必死で抵抗している動きだった。

「誰が死んだって?」

 ロンドンにいたころと現在の自分は、かなり違う。それはユウカもわかっている。よく
なったわけでも悪くなったわけでもない。ただ変化しただけだ。

「反省した」
「そうだよユウカ、オマエにこの国は合わねえ」
「そうじゃない。ヌルく踊ってしまったこと」

 ユウカの胸の中には、赤毛の少年が住んでいる。
 ユウカのダンスが中途半端であったとしたら、それは彼への感情を中途半端に表して
しまったということだ。ユウカにはそれが許せない。
 ならばどうする。
 ユウカは片腕をピンと伸ばして前に突き出した。アゴを引いて、虚空を睨みつける。
 両腕を素早く頭上に掲げ、ショートブーツで12拍子のリズムを打ち鳴らす。
 マカロフが目を剥くのが分かった。

「オマエ、そんなのできたのか」

 彼の前で、このフラメンコを見せたことはない。
 全身の肌から汗の滴が飛ぶ。その滴をすくい上げるようにして、腕で空中に円を描く。
指をくねらせ、背中を弓なりに反らし、腰をうねらせる。
 ひとつひとつの動作に挟み込む、パソと呼ばれるステップがアクセントとなる。
 一点も揺るがない視線の先には、いつもあの赤毛の少年の姿が浮かび上がっていた。
 ユウカは全身の神経に冷水が流れているような感覚を味わっていた。
 ダンスとは、自分の肉体を完全に制御する技術だ。胸の中で渦を巻くエネルギーを、
指の先まで、髪の毛一本一本の先にまで伝達し、原初の情熱を理性でもって表現するものだ。
 背筋と大臀筋がぎゅうと絞まる。ウェストが締まり、胸が張り、女性であるユウカの
肉体をより強烈な女体に仕立て上げる。
 フラメンコは情熱の音楽だ。男を愛するための音楽だ。
 自分は、男を愛するためのスタイルを伝授されていたのか。
 頬がうっすらと熱を帯びている。男の胸板に頬ずりしているような、母親の胸に顔を
埋めているような感覚だった。
 高らかにパソを打ち鳴らし、ブエルタを打つ。

「充足? ジョークね、足んない、まったく足んない。
 もっと愛したい、もっと愛されたい。
 あたしのラヴはエゴイスティックで、凶暴よ。
 怒りよりも憎しみよりも、ずっと危険なのよ」

 アスファルトの上をスライドし、ジャケットの上に置いてあったギターを拾い上げる。
 レザーケースを剥ぎ取ってオーディエンスたちの中に放り上げる。チューニングもなに
もしていない。ピックを振り上げて、弦に叩きつけた。

「ニューヨークマラソン!」

 わっ、と声が上がった。
 誰かが飛び込んでくる。
 その胸板を、ユウカは蹴飛ばした。

「朝もはよから!」

 コール&レスポンスを一秒も休むことなく、ユウカは歌声を張り上げた。
 パンクは、カウンターカルチャーとして産まれた。王道に入ったかと思えば外れ、外れ
たかと思えば戻ってくる。一秒たりとも停滞しているときはない。簡単にいえば、ろくで
もない、飽きっぽい子供の音楽だ。そのくだらなさがエネルギーになる。

「愛はもっとそうじゃなくて、キスはもっとこうじゃなくて、
 初めて会ったときのあたし、二度目に恋したときのあたし、
 日に日にメタモルフォーゼしてく、美しく」

 少し前まで、こんな声は出せなかったなとユウカは思う。

 ◆
 熱狂の後に訪れる虚脱は、いつも心地よかった。
 アスファルトの上で大の字になって寝ころびながら、マカロフは薄く微笑んでいた。
 この微笑みに、恋をしていた時期もあったのかもしれない。

「死んじまったんだな」
「なにいってんの」
「俺が知ってたユウカ・ジェグナンは、もういないのか」
「あんたがそう感じたんなら、もういないんでしょ」
「ライク・ア・ローリングストーンズだな」
「ダッサ」

 むくと、マカロフが起き上がる。

「ほんというとさ、俺、こんど結婚するんだよ。元タカラジェンヌと」
「そう、元タカラジェンヌと」
「それで、ケンヤさんにアドヴァイスもらうためにこの国に来たんだ」
「ミステイク、その相談相手はミステイク」

 あの怒りも苛立ちも、フタをあけてみれば男性版のマリッジブルーだったということか。
人間の悩みなど、たいていはくだらないものだ。

「帰んなよ、マカロフ。ここはあんたの町じゃない」
「その前に、ひとつだけ約束してくれねえか」
「なに」
「もう、ストリートを荒らすのはやめてやってくれ」
「ハ?」

 マカロフの発言を理解するのに、数秒かかった。

「なにいってんの、荒らしてたのは、あんたでしょ」
「おいおい、俺がこの国に入ったのは今日だぜ?
 『少年カイザーナックル』にいる仲間に、
 最近この町のストリートを荒らしてるダンサーがいるって聞いてさ。
 俺はてっきり、オマエのしわざだと思ってたんだけど。
 え、違うのか?」
「なんであたしがストリート荒らすのよ」
「だってオマエ、凶暴だったし」
「あたしはあんただと思ってた」
「じゃあ、誰が」

「マカロフさん!」
 暗黒鳥人の子が息を荒げてかけつける。
「来てくだせえ、ヤツが、ヤツが現れましたカァー!」

 ◆
 ミニモニ。ひなまちゅり! ミニモニ。ひなまちゅり! ミニモニ。ひなまちゅり!
 一年中がひなまちゅり
 できれば毎日ひなまちゅり!
 女の子は願ってる!

 ロックとトランスとテクノとラップと童謡をごちゃまぜにミックスしたようなサウンド
だった。
 ケミカルウォッシュに身を包んだ男たちが、貧相な身体で不気味にキレのある動きを展
開している。

「あれはいったいなんなんだ!?
 メチャクチャだ! あんなクレイジーな音楽、聴いたことがねえっ!」

 整髪料が溶けた髪の毛をかきむしり、マカロフはマジックマッシュルームをたらふく
食らったような様相を呈していた。
 J-POPが好き過ぎて世界的なメタルバンドを脱退してニホンに住み着いてしまった
ミュージシャンによると、J-POPは世界一エキサイティングな音楽だ。
 通常、パンクならパンク、メタルならメタル、R&BならR&Bとしての、それなりの
スタイルが求められる。しかし、世界一節操がないニホン人にそんなことはお構いなしだ。
とにかくウケそうなものはなんでも詰め込んでしまう。免疫のない人間には、ちょっとした
ドラッグよりも効く。
 しかも、いま鳴り響いている音楽は、一種の怪人が作り上げたもっとも凶悪なJ-POP
のひとつだ。

「バカヤロウ! PPPHはそうじゃねえっ!
 もっと、こう! こうだ!
 そんなことでなあ、ツジちゃんの復帰を迎えられると思ってんのか!
 大人たちの汚ぇ事情でウルトラマンコスモスのブログにも顔出せねえ
 ツジちゃんをなあっ、ツジちゃんをなぁっ!
 俺たちが迎えてやらなくてどうするんだよ!」

 オタ芸師たちの真ん中で檄を飛ばしている少年がいた。考えたくないことに、ユウカの
同級生だった。

「よし、次は『アイ~ン!ダンス』だ!」
「悪い、マカロフ。最後に一曲だけ付き合って」
「勝てる気がしねえ」

 自分は、かつてとは変わっているのかもしれない。
 しかし、いいも悪いもない。変化はどこまでいってもただの変化だ。
 ユウカは弦が一本残らず切れたギターを握りしめた。

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最終更新:2009年10月17日 14:54
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