ミナトルート

19代目スレ 2007/10/09

【午後1:00 自宅】
【午後2:00 商店街】
【午後3:00 ゾンボルト家】
【午後4:00 学校】

;IF ミナトフラグが立っている

■むしろその弟で行く?
●兄貴で行く
→トウキ選択へ

●弟で行く
【午後1:00 自宅】
 気怠い、休日の昼時だった。
 ボーッとした頭のまま目覚まし時計を見ると、すでに午後1時をまわっていた。
 昨日、遅くまでネットゲームをやってたからな。
 家の中は、どこかシンとしている。親父とおふくろは留守のようだ。
 なにかガチャガチャと聞こえるのは、兄貴だろう。
 俺はアクビをしながら、パジャマ姿のまま1階に降りた。
 キッチンで冷蔵庫の中を見ると、いいものがあった。ティラミスだ。
 炊飯器からどんぶり一杯の白米を盛りつけ、その上にティラミスをぶっかける。
 ハシをぶっ刺して、親の敵のようにグチャグチャと一心不乱にかきまわす。
トウキ「お百姓さんに謝れ」
 声に振り返ると、兄貴が立っていた。
 とっくの昔に起きていたらしく、すでに身繕いを済ませている。
 また、彼女とどこかに出かけるつもりなんだろう。クソ。
ミナト「なんだよ、兄貴だって、俺の兄貴なんだからご飯にティラミスかけたくなる瞬間があるだろ!」
トウキ「ねえよ、そんな発想すらなかったよ」
ミナト「その発想の貧困さが、兄貴がご飯にティラミスかけない原因だよ!」
トウキ「いいよ、俺、貧困な発想の持ち主で。ご飯にティラミスかけたくねえし」
ミナト「なんだよ、もう、俺なんてこの上七味唐辛子までかけちゃうもんね!」
トウキ「お前、世界中の飢えた子供たちに謝れよ」
 玄関の方から呼び鈴の音が聞こえた。
 兄貴が浮ついた顔で出て行く。
クリハ「こんにちわ、トウキくん!」
 玄関口には、胸のない女の子が立っていた。
 クリハ・ミズハといって、胸はないけど兄貴の彼女だ。
 つきあい始めて、もう1年以上になる。
 『1年も続いてたら飽きないか』とか、『あのコ胸ないじゃん』と俺は散々いってるんだけど、別れる気配は一向にない。
 どうせ、今日もデートの予定があるんだろう。
トウキ「じゃ、ミナト、いってくるぞー」
ミナト「うっせバーカ、うっせバーカ!
 兄貴なんか無い胸に頭ぶつけてご飯にミルフィーユかけてりゃいいんだ!」
 返事もなく、玄関がパタンと閉じた。

 無人になった家の中で、俺は虚しくため息をついた。
 俺と兄貴は、双子の兄弟だ。
 小さいころから、それはもう『はいはい、そーだよ、双子だよ』といいたくなるくらいそっくりだといわれ続けてきた。
 それが、いつからだろう。
『逆にお兄さんと似てないよね』、
『顔のパーツはおなじなのに、これだけ似てないって逆に興味わくよね』
『お兄さんに比べると、逆に残念な感じするよね』
 といわれるようになった。
 根拠はわからない。だいたい、『逆』ってなんだよ、『逆』って。
 最大の違いは、やっぱりあれだろう。
 兄貴には彼女がいるんだけど、俺には彼女がいない。
 ああ、言い忘れた。
 俺の名前はミナト・カノウ
『カノウ兄弟の彼女いない方』、『カノウ兄弟の打ったこともないパンチを得意だと主張してる方』、
『カノウ兄弟の北枕とか異常に気にする方』、『カノウ兄弟の高級な店とかビビッて入れない方』。
 最近、変な肩書きが増えた。

■考える
●今晩のおかず
 今晩のおかずは不機嫌モードの沢尻エリカさまだ。
 異論は認めない。

●兄とのこと
 おかしい。どうあってもおかしい。
 俺たちは血を分けた兄弟のはずだ。
 兄貴が花田勝氏だったとしたら、親父は先代貴乃花で、俺は激ヤセ貴乃花親方のはずだ。
 兄貴が松田龍平だったとしたら、親父は松田優作で、俺は松田翔太のはずだ。
 兄貴がゲッツ板谷なら、親父はケンちゃんで、俺はセージのはずだ。
 やめよう。松田翔太はともかく、激ヤセ貴乃花親方やセージになったって仕方がない。
 第一、兄貴はゲッツ板谷じゃない。

 俺と兄貴は双子だ。顔も能力も、ほとんどおなじはずだ。
 なのに、なんで俺には彼女がいないんだろう。
 兄貴にあって、俺にないものって、なんなんだ?

■トウキにあってミナトにないもの
●容姿
 いや、俺たちは双子だぜ? 顔はそっくりのはずだ。
 そういえば、兄貴の笑顔は『爽やか』で、俺の笑顔は『なんか条例に触れてそう』と評されてるような気がするけど。
 まあ、たぶん、そんなのは微々たる違いだ。

●人格
 いやいや、そういう形而上学的なことじゃなくてさあ。
 もうちょっとフィジカルに行こうぜ?
 でもつくづく不思議なんだけど、俺はどうしてネットゲームで一度もパーティーを組めたことが無いんだろ。
 ちゃんと、プレイヤーを見つけたら積極的にコミュニケーションをはかってるんだけどな。
 特に女性プレイヤーに対しては、職業とか年齢とか住んでるとことかケータイ番号とか、フレンドリーに聞いてるのにな。
 ひどいときは、相手が強制ログアウトしちまうんだ。
 これは、いくら考えても理由がわからない。

●出会い
 そうだ、それだよ。それこそが、俺と兄貴の最大の違いだよ。
 思えば、兄貴は昔から社交的なやつだった。
 バイトだって、兄貴は接客業が多いけど、俺は工場に突っ立って、ほら、あれだ、魚の形したしょう油の容器にフタ付けたりとか、そんな感じだもんな。
 よし、そうと決まったら、もうネットゲームなんかしてる場合じゃねえ!
 俺は歯磨きをするために洗面所に向かった。

【午後2:00 商店街】
マキネ「あれ、ミナトじゃん」
 とりあえず商店街に出てきた俺は、知っている顔に出くわした。
 同級生のマキネ・アンドーだった。
 健康的に日焼けした小麦色の肌に、砂色がかった金色の髪を持っている。
 休日だっていうのに極端なミニスカートに改造した制服を着て、ふくらはぎがロボットみたいに見えるルーズなソックスをはいている。
 学校で見かけるときより目線の位置が高いと思ったら、靴底が10センチくらいもある靴を履いていた。
 両親がどういう育て方をしたのか知らないけど、このマキネっていう女の子の頭の中は90年代のニホンで止まっている。
 いまどきポケベルを自由自在に操れる女子高生っていうのも、こいつくらいのものだろう。
マキネ「なにしてんの? まさか、この店に入るの?」
 マキネが鼻先で示した先には、最近できたっていうパンナコッタ専門店があった。
マキネ「やめた方がいいよお? この店、ゲテモノ専門店だから。
 お客は全員罰ゲーム目的で、働いてる人も本社でなんかやらかして飛ばされたリストラ予備軍ばっかっていう噂だし」
ミナト「マキネは、この店入ったことあるのか?」
マキネ「まさか。あたし、どっちかっていうよティラミスの方が好きだもん。
 やっぱガイエンマエのお店のがチョベリグだよね」

■どう答える?
●ティラミスは好きじゃない
ミナト「俺は、ティラミスあんま好きじゃないな」
マキネ「へえ、そう」
 会話は一切盛り上がりを見せなかった。

●ティラミスは好きだ
ミナト「俺もティラミスは好きだな。特に、ホッカホカのご飯にかけて、七味をぐっちゃんぐっちゃんに混ぜると、こたえらんねえぜ」
マキネ「え、へえ、そうなんだ」
 マキネは、なんだかそそくさした様子で俺の前から去っていった。

【午後3:00 ゾンボルト家】
 あてどもなく歩いていると、ゾンボルト家の前まで来ていた。
 俺の高校の一年先輩である、ゼフィア・ゾンボルト先輩が住んでいるところだ。
 ゼフィア先輩の姿は見えないが、代わりにいやなものが目に入った。
リトゥ「ゼフィア先輩に、なにか用なの?」
ハザリア「いや、この家の倉ならなにかしら古いものがあるだろう。
 ヨロイカブトかカタナでもかっぱらって、適当ないわくを着けてミツハルに売りつければ」
マリ「まず考えるのがイカサマか、お前は!」
 ハザリア・カイツだ。マリ・コバヤシとリトゥ・スゥボータのダテ姉妹もいる。
 俺は、なんだかこの世の理不尽を見たような気がした。
 あのハザリアっていう男は、オタク雑誌と古新聞と古雑誌と怪奇小説を頭の中に突っ込んで激しくシェイクしたような人格の持ち主だ。
 それなのに、どういうわけかまわりにはいつも女の子がいる。
 俺の存在に気が付いたのか、ハザリアがこちらを見た。
 俺は、その姿に向かってびしと指を突き付けた。
ミナト「チクショー! お前の、お前の人生がそれで正しいと思ったら大間違いだからな!」
 溢れる涙がこぼれないように、俺は上を向いて走り出した。

【午後4:00 学校】
 しばらく泣きべそをかきながら、俺は考えたんだ。
 ハザリアは、どう考えたって好きこのんで付き合いたい相手じゃない。
 それでもあいつのまわりに女の子がいるのは、部活をやってるからだ。
 そうだ、そうに違いない!
 俺なんて、部活っていったら中学のとき部員の8割が幽霊部員な囲碁部に週一で顔出して、適当にダベって終わりだったもんな。
 高校に入ってからはもっぱら帰宅部で、出会いも会話もないバイトに励んでる毎日だ。
 そうだよ、部活だよ。
 学生の青春ていったら、スポーツで流す爽やかな汗に、健気な目で見守るマネージャー、その間に芽生える恋だって、あだち充先生のころから決まってるじゃないか!
野球部の人「あ、困ります」
 休日の学校だった。
 グラウンドで練習に励んでいた野球部の人は、俺の申し出をあっさり断った。
 あまりにも素の表情で断られると、かなりへこむ。
ミナト「なんで!? 俺、戦力になるよ?
 パンチ打ったことないけど、たぶんホームランなら打てるよ!」
野球部の人「あの、野球っていうのはチームプレイなので。
 1人の能力が突出してるからって勝てるものでも。
 それに、1年も折り返し地点過ぎてチームもまとまった時期に突然来られてレギュラー要求されても、士気にかかわるっていうか」
 恐るべき正論だ。俺は二の句を失った。
野球部の人「あと、あなたA組の人ですよね」
ミナト「そうだけど」
野球部の人「A組の人、とくに男子は身体能力が人間離れし過ぎてるから、公式戦には出られませんよ」
ミナト「うっそぉ!?」
野球部の人「入学式のときに聞きませんでしたか?」
 そういえば、入学式でそんなことをいっていたような気がする。
 あのときの俺はときメモファンドで頭が回らなかったから、まったく覚えてない。
ミナト「じゃ、俺運動部入れないの?」
野球部の人「まあ、どこも門前払いでしょうね」
ミナト「じゃ、俺の青春はどうなるんだよ!
 爽やかに飛び散る汗と、健気に見守ってくれるマネージャーと、やがて芽生える恋はどうなるんだよ!」
野球部の人「うちのマネージャーは男ですよ」
ミナト「えぇ~、そんなのありかよ、ルール違反じゃねえの?」
野球部の人「マネージャーっていっても炎天下で動きまわらなくちゃいけませんし、女の子には厳しいんじゃないですかねえ。
 どこの学校も、たいていマネージャーは男ですよ」
ミナト「なんだよそれ、数々の名作スポ根のあれやこれはデタラメだっていうのかよ!」
野球部の人「まあ、マンガですから」
ミナト「いやだ! もう信じられねえ! もうあだち充なんか信じねえ!」
野球部の人「あだち充先生の悪口いわないでくださいよ」
 ムッとした顔をしてる野球部の人の前で、俺は考えた。
 そうだよ、なにも部活は運動部だけじゃない。
 むしろ、運動部なんて男ばっかじゃないか。
 女の園っていったら、なんていっても文化部だよな。
 あのハザリアだって、考えてみれば文化部だし。
 そうと決まったら、野球部の人なんか相手にしちゃいられねえぜ!
ミナト「よぉっし! もう、金輪際運動部なんかに近寄るもんかぁっ!」
アイミ「えっ」
 視界の端に誰か映ったような気がしたけれど、俺はすでに走り始めたあとだった。

 校舎の中に入った俺は、早くも落胆していた。
 休日ということで、ひとっこ1人いない。
 文化部なんて普段なにやってるかわかんなかったんだけど、ほんとにあんまり活動してないんだなあ。
ナヴィア「あら、ちょうどよかった」
 怜悧な声に振り返ると、最近見知った顔があった。
 最近月面都市から引っ越してきた、ナヴィア・クーランジュという女の子だった。
 手の先にイーゼルをぶら下げている。どうやら、彼女は美術部に入っていたようだ。
ナヴィア「今度のフェアで展覧する作品を制作してるの。ちょっと協力してくれる?」
 有無をいわさぬ様子で、ナヴィアは俺の前に立って歩き始めた。
 小振りな、ちょっとカッコいいお尻の形をしていた。

 数えるほどしか入ったことがない美術室は、かすかなテレピン油の匂いが漂っていた。
 どのくらい時間が経っただろうか。
 いわれるがままに全裸になった俺は、教壇の前に立ち続けていた。
 その間、ナヴィアは休むことなく絵筆を動かしている。
 ただ気になるのは、彼女の見ている先が、明らかに俺から90度の方向にある胸像だけだということだ。
ミナト「あの、ナヴィアさん」
ナヴィア「誰が喋っていいといったの」
ミナト「俺は、モデルを頼まれたんじゃ」
ナヴィア「誰がそんなことをいったの」
ミナト「じゃ、俺はなんでここに立ってるのか」
ナヴィア「あなた、道ばたに転がっている石が、なにか理由があって転がっているとでも思ってるの」
 つまり、まったく意味はないらしい。
 もう、日が暮れかかっている。窓の外では空が真っ赤になっていた。
 長時間おなじポーズのまま突っ立っているというのは、思いのほかこたえる。
 足がぷるぷると震えてきた。
 なんだか遠くの方から地響きが聞こえたような気がするけど、ナヴィアはそれでもまったく動じない。
 白磁に似た色の肌が夕日を受けて、光沢すら放っている。
 絵筆が動くたびに、スカートから伸びた白く長い脚がわずかに動く。
 それ自体が絵画的な光景の中で、ナヴィアの目は鋭く尖った光を宿していた。
 ちらりと、その目が俺に向く。
 小さな唇が冷然とした笑みを刻んだ。
 俺は理解した。
 彼女は嗜虐の悦びを味わっている真っ最中だ。
 そして、俺に被虐の悦びを与えようとしている。
 どこか倒錯した感覚に、俺の頭はクラクラと揺れ始めた。
アルヴィ「やあミナトくん! やっぱり来てくれたんだね!」
 ガラッと美術室の扉が開くなり、明るく弾んだ少年の声が飛び込んできた。
 この世のすべてが光で満ちていると信じて疑っていないような顔だった。
 ナヴィアの弟、アルヴィ=ヴァン・ランクスだ。
 休日だというのに、制服をかっちり着込んでいる。
 『やっぱり』とかいってたけど、俺はこいつとなにか約束をした覚えはない。
 だいたい、知り合って間もないんだ。まともに喋った記憶さえない。
アルヴィ「君も神のお声を聞いたんだね。さあ、一緒に信仰の道を歩こうじゃないか!」
 なんだか得体の知れないことを口走っている。
 かつかつと快活な足取りで近づいてくるや、アルヴィはぐいと俺の腕を引っ張った。
アルヴィ「姉さん、彼、連れてくよ」
ナヴィア「勝手になさい」
アルヴィ「うん!」
 いやなところで似た姉弟だ。アルヴィは有無をいわさず俺を引っ張った。
 俺、まだ全裸なんだけど。

アルヴィ「もちろん、神の正しく恵み深い御心は、僕たちが祈らなくても成就するよ。でも、僕たちはこの願いを通して、神の御心が僕たちにおいても成就するようにと祈るんだ。
 神の御意志を阻もうとする、すべての邪悪なる者たちの言葉を打ち砕くためにね。
 それら悪しきものとは、悪魔や、この世、それに僕たちの肉の欲から出た意志のことさ。
 神の御心が僕たちの上で成就するのは、神の御言葉が僕たちの信仰を強め、人生の終わりに至るまで僕たちを信仰深く生かしてくださるときにほかならないよ。
 これこそ、正しく恵みに溢れた神の御心なんだ」
 『福音部』とかいう表札が貼られた部屋の中だ。
 窓の外では、日がとっぷりと暮れていた。
 俺は、いつ終わるともつかないアルヴィの説教を延々と聞いていた。
 全裸のままでだ。
 なんだか頭がボンヤリしてきた。
 神の存在とか宇宙の意志とかと一体になってもいいんじゃないかなぁとか、そんなことを考え始めていた。
 たしかアルヴィの祖国の神さまって龍かなんかだったような気がするけど、そんなことどうでもよくなってきた。
ミナト「なあ、神さまって、ほんとにいるのかなあ」
アルヴィ「もちろんいるさ。天からいつも僕らを見守ってくださるんだよ」
 そうか、見守ってるんだ。全裸の俺を。
 彼女もいなくて、密室で男と二人、全裸で神さまの話を聞かされてる俺を見てるんだ。
ミナト「そうか、いるのか。神さまって、いるんだなあ」
アルヴィ「もちろんいるとも! さあ、ともに祈ろうじゃないか!」
 なんだか泣けてきた。
 俺は全裸のまま顔を押さえた。
 頬を伝う涙は燃えるように熱くて、そのくせ胸の中は凍てつくように冷たかった。

;ENDING
;黒で塗りつぶし(裏画面も含む)
#FILLBLACK
=1
;ENDING後
;エピローグ
 また、あのころの夢を見ていた。
 ウェイトレスが冷たい視線を俺に向ける。
ウェイトレス「あの、お客さま、当店では8時間以上のご使用は」
 返事もせず、俺はキャリーケースを引きずりながらソファを立った。
 もう、夜が明けている。
 今日も一日、生きていかなければならないのか。頭が重くなる。
 ポケットの中の小銭を探る。
 数日前からネットカフェに泊まるカネも無くなり、24時間営業のファミレスやファーストフード店に泊まるカネも尽きかけている。
 重たい腕を動かして、携帯電話を引っ張り出した。
ミナト「あの、ジョブナンバー03594627のカノウです。今日なんですけど、なにか仕事は……。
 えっ、引っ越し屋ですか」
 前の仕事で痛めた腰が、ズキズキと痛む。
 椎間板ヘルニアという言葉を、必死で頭の中から追い出した。
 いまの俺には、医者にかかる余裕なんかない。健康保険なんか、もうずっと払っていない。
ミナト「あの、できたらデスクワークを、あっ、はい、そうですか、じゃ、また」
 のろのろと、俺は電話をかけ直す。
金融業者「は、また? あー、おにーさん、や、もーおじさんか。こんがりブラックだかんねえ。
 いーとこトゴ、うんにゃヒサンてとこかな。どーする?」
 10日で5割、1日で3割。そんな利息が払えるはずがない。
 重いため息をつきながら、携帯電話をポケットに戻す。
 今日一日、どうやって生きていこう。途方に暮れる。
 もう、どれだけの間まともなものを食べていないだろう。どれだけの間ベッドで寝ていないだろう。どれだけの間フロに入っていないだろう。
 考えることはただひとつ。ぐっすりと眠りたい。
 夢の中で暮らすことができたなら、どんなに幸せだろう。
 見る夢は、決まってあのころのことだ。
 あのころの俺はガキだった。彼女がいないというだけで、自分の人生が最悪だと思っていた。
 いまは、あのころに戻りたくて仕方がない。
 彼女はいなくても、寝るところがあった。食べるものがあった。フロがあった。友だちがいた。そして、未来があった。
 いまの俺にはなにもない。
 恋人はおろか、友人も、学歴も、定職も、寝床も、資格も、雇用保険も、人権も、なにもかもがない。
 警官が俺の前を通り過ぎていく。俺は反射的に顔を逸らす。
 重い、重いキャリーケースを引きずりながら、俺は今日も人混みの中に紛れ込む。
 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。気が付くといつもそう呟いている。
 今日は寝ることができるだろうか。
 明日、この足は動くのだろうか。
 ああ、俺はいつ幸せになれるんだろう。
 キャリーケースはカタコトと無情な音を出すばかりだった。

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最終更新:2009年11月14日 11:14
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