クォヴレー失踪事件

31代目スレ 2009/12/13

 お客が来たのは、お昼寝を邪魔された日曜の午後のことだった。
 お隣に住む、幼馴染みのヴィレアムくんが慌てた様子でうちに駆け込んできた。

「大変だ、久保さんが!」

 クォヴレーお兄ちゃんが消えた。ヴィレアムくんの話を、わたし、ゼラド・バランガ
は最初信じなかった。
 お兄ちゃんには、並行世界を護るっていう使命がある。並行世界っていうのは何千何万
とあるから、使命はなかなか終わらない。わたしが知る限り、お兄ちゃんはもう20年近く
あちこちの世界に旅立って戦っている。
 そういうわけだから、お兄ちゃんはよく家を留守にする。でも、なにもいわずにいなくな
ったりなんかしたことはない。絶対に、わたしやお母さんたちに挨拶をして行く。そして、
「必ず帰ってくる」って約束してくれる。お兄ちゃんが約束を破ったことはない。

「久保さんと組み手をしていたんだ」

 ヴィレアムくんは、よくお兄ちゃんとプロレスごっこみたいなことをしている。わたしは
ケンカなんか大嫌いだからそんなことはして欲しくないんだけど、ヴィレアムくんはお兄ちゃん
が帰ってきたとなると週2ペースでお兄ちゃんに挑戦してる。たぶん、ヴィレアムくんの
趣味みたいなものなんだろう。もちろんお兄ちゃんが負けるはずがない。今までの戦績は、
ヴィレアムくんの0勝たくさん敗だ。それでもヴィレアムくんはお兄ちゃんに挑み続ける。
 ますますあり得ないことだった。あの真面目なお兄ちゃんが、ごっこ遊びといっても
勝負を途中で投げ出すはずがない。

「本当なんだ!」

 ヴィレアムくんの話はこうだった。
 間合いを詰めてこようとするお兄ちゃんに対して、ヴィレアムくんは膝を合わせて対応
しようとした。こないだ見たK-1の真似だそうだ。ところがお兄ちゃんは、その脚をかっさ
らってヴィレアムくんを放り投げた。
 倒れたヴィレアムくんが起き上がってみると、お兄ちゃんは忽然と消えていたそうだ。

 ◆
 わたしは半信半疑のまま、ヴィレアムくんに案内されて現場に向かった。
 ヴィレアムくんとお兄ちゃんがプロレスごっこをしていたのは、ケイサル神社の境内
だそうだ。
 ケイサル神社っていうのは、わりとつい最近この町に出来た神社だ。もとは廃墟のよう
なところだったのを、ケイサル・エフェスおじいちゃんが改装して住み着いたんだ。ケイ
サルおじいちゃんはまつろわぬ霊たちたちの王様だから、まあ神主っていえば神主って
いえないこともない。
 神社の境内は、しんと静まりかえっていた。ひと気はまったくない。一応社務所のほう
も覗いてみたけど、ケイサルおじいちゃんは留守みたいだった。

「いったい、どうしちゃったんだろう」

 わたしは境内の中央に立って腕組みをした。

「俺をからかって隠れたのかな」
「お兄ちゃんがそんな悪ふざけするはずないよ」

 お兄ちゃんは、おおよそ冗談とかおふざけという言葉からはほど遠いひとだ。
 じゃあ、なんでお兄ちゃんは消えたんだろう。
 このままお兄ちゃんが帰ってこなかったらどうしよう。ちくりと胸が痛くなる。
 そしてひとつの可能性に行き当たる。お兄ちゃんが黙っていなくなることがあり得る
としたら、それは誰かを護るため自分を犠牲にするためだ。この場合、近くにいたヴィ
レアムくんのことだ。
 わたしははっと息を呑んで、出かけた言葉を引っ込めた。
 男の子っていうのは、ヘンなところでプライドが高いものだ。ここでわたしの推理を
口にすれば、多分ヴィレアムくんは傷付くと思う。

「とにかく、探してみようよ」

 わたしは目を大きく見開いて神社の中を探し始めた。
 ケイサル神社はオーソドックスな造りで、ちょっとした小山の上に立っている。階段を
登ると鳥居があって、灯籠が並ぶ奥に本殿がある。わたしは本殿のまわりや賽銭箱の裏を
探してみた。やっぱり誰もいない。境内のまわりに広がっている地面を見てみたけれど、
足跡はなかった。
 話によると、ヴィレアムくんは鳥居を背にお兄ちゃんと向かっていたそうだ。つまり、
お兄ちゃんは神社から出ていないっていうことになる。この神社がまるごと大きな密室
みたいなものだ。

「まさか、なにかあったんじゃ」

 ヴィレアムくんが不安そうな顔をする。
 わたしは大きく深呼吸をした。キュゥンと、頭の奥で脳ミソが動き始めるのがわかる。
 今までにも、こんなことが何回もあった。おかしな事件が起こって、謎を解かなきゃ
ならない状況だ。

 本当をいうと、わたしは推理っていうものがあんまり好きじゃない。推理っていうのは、
ひとを疑うことだ。わたしは、相手が誰であっても疑ってかかるのはよくないと思う。
 でも、事件っていうのは誰かが悲しい思いをするものだ。わたしがイヤな思いをするのと、
誰かが悲しむのを比べると、迷ってなんていられない。
 わたしはもう一度神社のなかをまわってみた。賽銭箱や鳥居、灯籠を押してみる。どれも
びくともしなかった。隠し通路みたいなものがあるようには見えない。

 わたしはもう一度考えてみた。当たり前だけど、隠し通路っていうのは隠れていないと
意味がない。つまり、普通じゃ考えられない方法で入り口が開くように出来ていなければ
ならない。お兄ちゃんが隠し通路を使ったとしたら、痕跡があるはずだ。
 灯籠の中を見る。落ち葉が積もっているだけだった。
 賽銭箱にも、不審な継ぎ目みたいなものはない。
 そのときだった。ふと、目に着くものがあった。
 手水舎だ。手を洗うための水を溜めておく水盤の下に、溝が作られている。その溝が、
ちゃぷちゃぷと水で満たされていた。
 おかしい。たしかにこの神社は、もとは廃墟だった。でも、いまは悩み相談だとか
いって参拝してくる人がけっこういるっていう話だ。あんがい几帳面なケイサルおじい
ちゃんが、溝を水でいっぱいにしておくはずがない。
 つまり、溝に栓みたいなものがされていて、溝をせき止めているんだ。

「あ、おい、ゼラド」

 わたしは手水舎に駆け寄った。
 目をお皿にして溝を見てみる。あった。溝の一部に、丸い栓がされている。

「あ、なんだよ、これ」
「待って!」

 栓に手を伸ばそうとするヴィレアムくんを、わたしは慌てて止めた。
 お兄ちゃんは一瞬で消えたんだ。溝から水が流れ落ちるには、少しだけど時間がかかる。
なにか、一瞬で出来る方法があったはずだ。
 あ、そうか。
 わたしは水盤に載せられていたひしゃくを取った。水をひとすくいして、溝に落とす。
溝はいよいよ水でいっぱいになって、いまにも溢れそうになった。

「ゼラド!」

 ヴィレアムくんがわたしに手を伸ばす。
 ひょんと足場がひっくり返って、わたしは空中に放り出された。ケイサル神社の下には、
地下室があったんだ。
 高さは三メートルくらいだろうか。わたしは真っ逆さまに落ちた。地面にぶつかる!
わたしは思わず目をぎゅっとつむった。

「うぐっ!」

 背中でヴィレアムくんの声がした。
 落下は止まっている。でも、わたしの身体に痛みはなかった。
 ほっぺたに、妙に熱いものが当たっている。

「うひゃあっ!」

 わたしは思わず飛び退いた。ヴィレアムくんだ。ヴィレアムくんが、とっさにわたしを
抱きしめて地面に激突したんだ。
 心臓がばっくんばっくんとうるさい。ほっぺたに、薄いシャツ越しに感じたヴィレアム
くんの胸板の体温が残っていた。

「ゼラド、無事か」

 大したケガはしていなかったらしい。ヴィレアムくんは顔をしかめながらも立ち上がる。
 地下は、ちょっとした教室ほどの広さがあった。洞窟みたいだけど、暗くはなかった。
壁が薄ボンヤリと光っている。
 出口はどこだろう。それに、お兄ちゃんはどこにいるんだろう。
 ぐるりとあたりを見まわしたわたしは、地下室の奥にうずくまっている人影を見つけた。
お兄ちゃんじゃない。もっと小さい。女の子だ。

「ルサイケちゃん!?」

 ケイサルお祖父ちゃんの孫みたいな存在であるルサイケちゃんだった。わたしの声に
振り返った顔は、青ざめて震えていた。

「どうしたの!?」

 駈け寄ろうしたわたしを、追い抜くひとがいた。ヴィレアムくんだ。

「ゼラド、すぐにここから出るんだ!」
「どうしたの」
「ルサイケがそういってる!」

 ルサイケちゃんはひどく小声で喋るんだけど、どういうわけかヴィレアムくんには
聞き分けられるらしい。ルサイケちゃんをさっと抱き上げたかと思うと、わたしを見た。
 なんだ、誰にでもああいうことするんだな。わたしの胸がなんだかモヤモヤし始める。
なんだろ、いったい。

「出口はどこだ?」

 きょろきょろとあたりを見まわし始めたヴィレアムくんの顔が、はたと止まった。
 わたしはヴィレアムくんの視線を追った。
 お兄ちゃんがいた。でも、違う。お兄ちゃんは少し青みがかった銀色の髪を持っている。
それが、真っ赤に変わっていた。目つきもなんだか悪くなっている。

「ゼラド・バランガというのか、汝は」

 妙に反響する声で、お兄ちゃんの顔をしたなにかはいった。

「あなた、誰。お兄ちゃんじゃない」
「我は闇、我は絶望、我は破滅と終焉をもたらす者。
 戦い続ける愚者を駆逐し、世界を永遠の安寧に導く者」
「なにいってるの!?」
「我が名はクボウレイ。前知的生命体の命を摘み取ろう」
「クボウレイって、あなたなにいってるの!?」
「こう書く」

 お兄ちゃんの姿をしたなにかは、地面にしゃがみ込むと、やけに長く伸びた爪で
ガリガリと『駆暴麗』と書き付けた。

「やめてよ! お兄ちゃんの名前にヘンな当て字しないで!」
「ファファファ、100倍破滅の臭いがする」
「そんなもの、させなくていいから!」
「ゼラド、下がってろ!」

 わたしにルサイケちゃんを押し付けて、ヴィレアムくんが駆け出した。駆暴麗とか名乗
ったヘンなのに跳びかかる。その身体が、空中で止まった。天井から大きな爪のようなもの
が2本突き出して、ヴィレアムくんをつまんでいた。

「失せろ。汝のような背丈の高い男に用はない」
「くそっ、離せ!」

 脇腹から血を滲ませながらも、ヴィレアムくんがもがく。でも、爪はがっきりとヴィレ
アムくんをつかんだまま離さない。

「ヴィレアムくん!」
「汝のような育った女にも用はない」

 駆暴麗がふと上を見る。天井からまた2つ、爪が現れてガリガリとまわりの土を削り始めた。

「なにをする気!?」
「知れたこと。ここから出るのよ」

 駆暴麗がニヤリと笑う。お兄ちゃんの顔で、なんてイヤな顔をするんだろう。

「ケイサルめ。我をこんなところに閉じこめたつもりか」
「ここから出たら、どうする気?」
「いったはず。全知的生命体を駆逐する」
「そんなこと、させないんだから!」

 わたしはルサイケちゃんを背中にかばって、駆暴麗に跳びかかった。お兄ちゃんの、
細く引き締まった腕に飛び付く。
 間近で、お兄ちゃんの顔が醜く歪むのが見えた。

「この男の脳にある情報よりも凶暴だな、ゼラド・バランガ」
「お兄ちゃんを返して!」
「知的生命体は皆そうだ。なにかを護ろうとして、凶暴になる。
 誰も黙して平和を待とうとしない」
「待ってたら、平和になるっていうの!」
「いつかすべてが滅べば、宇宙は平和になる」
「そんなこと、許さない!」

 ファファファ、と駆暴麗は異様な声で笑った。

「この男もおなじことをいっていたな。
 その童女を護ろうとして」

 ようやく、すべてに合点がいった。お兄ちゃんは、この地下室でルサイケちゃんが
駆暴麗に取り憑かれそうになっているのを感じ取ったんだ。そして、ルサイケちゃんを
護るために自分が代わりに取り憑かれた。お兄ちゃんはいつもそうだ。誰かのために
自分を犠牲にしたがる。
 待ってるわたしが、どんな気持ちでいるかも知らずに。

「あなた、絶対に許さない!」
「黙れ」

 天井から爪が飛び出して、わたしの肩に突き刺さる。激痛に、思わず声が漏れた。でも
駆暴麗の腕から手を離すことはしない。離すもんか。

「わからない小娘だ。汝のような育った女に用はない。
 我は本来、童女と見まごうばかりの童子にしか取り憑かないのだから」
「なにいってるの!」
「この男の脳を調べたぞ。どうやら、我の器に相応しい童子がこの町にはいるようだ」
「誰であっても」
「アオラ、とかいったかな」

 頭が、カッと熱くなった。この駆暴麗は、アオラを、わたしの弟を狙ってる。

「絶対に許さない!」

 わたしは駆暴麗の腕から手を離した。握り拳を固めて、駆暴麗に殴るかかった。痛い。
わたしは格闘技なんて習ったことない。拳が裂けて血が滲んだ。

「アオラに手出しなんかさせない!」
「愚かなりゼラド・バランガ!」
「愚かなりラルヴァ!」

 突然、洞窟をびりびりと揺るがすような大声が響いた。
 ルサイケちゃんだった。ううん、違う。やっぱり目つきが悪くなって、瞳がうっすら
と輝いている。その背後には、火で出来た土偶のような影が浮かび上がっていた。

「ぬぅぅ、ル=コボル!」

 ラルヴァと呼ばれた駆暴麗が口にしたのは、意外な名前だった。
 ル=コボルは、超古代人の絶望かなにかが固まって出来た精神生命体だ。以前、わたしの
幼馴染みであるクリハにちょっかいを出して追っ払われたはずだった。

「ラルヴァ! 貴様、我を出し抜くつもりか!」
「器を見つけ出せぬ貴様がノロマなのだ!」

 ふふふ、とル=コボルと呼ばれたルサイケちゃんは不敵に笑う。

「我が何故なかなかこの小娘に取り憑かなかったかわかるか」
「10歳を越えているからであろう」
「いいや、この小娘、すでに17になる!」
「なに」

 たしかにルサイケちゃんは小柄で童顔だけど、いくらなんでも10歳児呼ばわりはひどいと思う。

「ふふふ、それがどうした。しょせんは一瞬、仮初めの器」
「では、貴様がいま取り憑いている器はなんだ」
「たしかに、少々歳を取りすぎているが」
「それどころか、戸籍上の年齢は四十路近い!」
「なぁにぃっ!?」

 ラルヴァが、死にそうな絶叫を上げる。

「童子にしか取り憑かない貴様には、耐えられないであろう!」
「バカな、バカなぁ!」
「お互い似たような身の上。
 精神生命体である我々にとって、アイデンティティの崩壊は死に等しい!」
「おのれ、おのれぇぃっ!」
「消えろラルヴァ! 器を選び損ねたウッカリ者め!」

 口を絶叫の形に固めたまま、お兄ちゃんの髪の毛がもとの銀髪に戻っていく。ラルヴァ
が出て行ったんだ。
 同時に、天井から生えていた爪も消えた。どさと音をさせて、ヴィレアムくんが落下する。

「あの」
「礼などいらぬ」

 ルサイケちゃんに取り憑いたル=コボルがニヤリと笑う。

「我もまた、器となるべく童女を探している身なれば」
「そんなこと、させないんだから」
「汝に何が出来る」
「この町はわたしの庭だもん。誰も、泣かせたりなんかしない」
「今の汝にそれが出来るのか」

 わたしの返事を待たないまま、ル=コボルは消えた。ルサイケちゃんの身体ががっくり
と膝を着き、その場に倒れる。

「ゼラド」
「ゼラド!」

 お兄ちゃんとヴィレアムくんがわたしに駈け寄ってくる。
 わたしは、その場に立ち尽くしていた。
 お兄ちゃんは帰ってきた。でも、ル=コボルはいつかまた現れるかもしれない。ラル
ヴァだって、完全に消えたわけじゃないかも知れない。
 また危ないことが起こったとき、わたしにはあのオバケたちを止められるのだろうか。

「ゼラド」

 お兄ちゃんに声をかけられた。

「迷惑をかけたな」
「ううん」
「あいつのいうことなら気にしなくていい。
 お前たちに危険を及ぼすなど、この俺がやらせない」
「うん」
「俺もいるしさ」

 ヴィレアムくんがなにかいってたけど、耳には入らなかった。
 今日この場は、お兄ちゃんとヴィレアムくんがいたからどうにかなったんだ。でも、
いつまでもこのままじゃいけない。
 なにかしなくちゃ、なにかしなくちゃ、と思いながらわたしは家に帰った。

 家に帰ったら、ディストラお姉ちゃんが焼き魚を失敗してお母さんにお説教されていた。

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最終更新:2010年12月23日 13:32
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