31代目スレ 2009/12/24
その日も、
ミズル・グレーデンは愛車のレンジローバーに乗って鼻歌交じりにハンドル
を握っていた。
隣町のデパートで買い出しをした帰りだった。今日はこれからミズルの両親が経営する
L&Eコーポレーションのガレージを使ってのクリスマスパーティがある。従姉妹のラーナ
は少し苦手だけれど、仲良しのマーくんも、あとなんとかいう名前のクラスメイトもいる。
町と町との間、民家は少なく、工場や倉庫が建ち並ぶエリアに入る。
急ブレーキの鋭い音を聞いたのは、十字路にさしかかったときだった。
真っ黒なアルファロメオだった。ウインカーも出さずに、爆音を立てながら夜道を走り去っていく。
「あっぶないなあ、もう」
ミズルは頬を膨らませながらハンドルを握りなおした。
ミズルはクルマの運転が好きだった。中学生でもなんでも、好きなものは好きなのだか
ら仕方がない。それに、ミズルは好きなことをガマン出来るタチではなかった。ついでに
いえば法律だとか決まり事だなんて言葉は聞いただけで眠たくなるから、無免許だなんだ
といわれても意味がよく分からなかった。
それだけに、ミズルは乱暴運転が嫌いだった。あんな運転をしたら、クルマがかわいそうだ。
シャーシー越しに道路が伝えてくれるデコボコなリズムを感じることが出来ないのだろうか。
気を取り直して発車しようとしたときだった。顔の真横で、バンと大きな音がした。
「うわっ」
ドアに誰か貼り付いている。高等部の
ミナト・カノウだった。今までに見たこともない
必死な形相をしている。
「ミズル、いいから出せ」
「ええ、でも」
「いいから、出せって」
「乗せてくれ!」
窓を開けるが速いが、ミナト・カノウは一方的にドアロックを解除し、後部座席に飛び込んできた。
「ええと、なに、ドルオタさん」
「勝手にヘンなあだ名付けるんじゃねえよ!」
「うちのパーティに来たいの?」
「なんで中学生のパーティなんかに紛れ込まなくちゃならねえんだよ!
メチャクチャいたたまれないわ!」
「んもう、じゃあ、なに?」
「さっきのクルマ! あれ追ってくれ!」
「どうしたの?」
「AKB48のライブチケット、盗られた!」
ミナト・カノウは、
OG学園内でも有名なアイドルオタクだ。よく校内でオタ芸の練習
をしては、風紀委員に叱られたり金髪の先輩に小突かれたりしている。
今日は大事な大事なクリスマスイブライブの当日だそうだ。ネットオークションで熾烈
な戦いの結果見事チケットを獲得したミナトは、上機嫌でOG駅に向かっていた。その
途中、商店街での出来事だ。見知らぬ男にぶつかったかと思うと、大切なプラチナチケット
をスラれていたという。
もちろんミナトは慌ててあとを追った。しかし、相手はクルマに飛び乗った。悲しいかな、
ひとの脚と自動車だ。ここまで追いすがったものの振り切られ、ちょうどそのときミズル
たちが乗るレンジローバーに遭遇したという。
「降りろ。まっすぐ帰って、自分が今晩なにをすべきか考えろ」
ランディが冷たく言い放つ。
「AKBのライブ観に行くことに換えられることがあるわけねえだろ!」
「お前、しょっちゅう観に行ってるじゃないか」
「当たり前だ! 『会えるアイドル』っていうのがAKBのコンセプトなんだからな!」
「じゃ、今晩くらい会えなくたっていいじゃないか」
「ふざけんなよ! 今夜はクリスマスイブだぞ!」
「クリスマスイブにアイドルのコンサートに必死って、お前悲しいぞ」
「お前はすぐさまCRマクロスに大枚突っ込んじゃってるひとに謝れ!」
「自業自得だ、それは」
「だいたいクリスマスイブに男子中学生とドライブしてるようなヤツにいわれたくねえよ!」
「俺はこいつが妙な真似しないように監督してるんだよ!」
「じゃ、まず無免許運転をやめさせろよ!」
「それはいくらいってもやめないんだ」
「やめないよぉ」
「悲しいなあ! 男子中学生しか相手にするヤツいないって!」
「アイドルに必死な男がなにいってるんだ」
「ドルオタさんもうちのパーティ来る? 女の子いるよ。
うちの従姉妹と、なんとかいう同級生だけど」
「お前、同級生の名前くらい覚えてやれよ!」
「なんだっけ、えっと、ラン、ラン、ラン?」
「それお前よりだいぶ年上のフリーターだよ!」
「ひと文字くらい思い出してやれよ!」
「えーと、ラーナといつもつるんでる子。
あとマキネさんも来るよぉ」
「マキネがいたってうれしかねえよ!」
「ひとの姉だか妹だか捕まえて失礼なこというんじゃねえ!」
「じゃあ、お前は兄だか弟だかとして、あいつが客観的にモテるように見えんのか!」
「まあモテはしないだろう!」
「そうだろう!」
「なんの話してんの、ふたりとも」
クリスマスイブの夜だ。道路は、トロトロと走るクルマでいっぱいだった。その間を
縫うようにしてレンジローバーを飛ばす。やがて、アルファロメオの後部ランプが見えて来た。
「あのクルマだ!」
「ええと、追い着けばいいの?」
「横付けしてくれ! あとは俺がやる!」
「なにするつもりだ、お前は」
「あっ、ちょっと、ハコ乗りはやめてよ。シャレてないなあ」
周囲からは次々と明かりが消えていた。このままアキハバラまで行くつもりか。
アルファロメオは元々スポーツ性を前面に打ち出したクルマだ。直線での加速は恐ろ
しいものがある。対して、ミズルのレンジローバーはオフロード性能を重視している。
純粋なスピード勝負では分が悪い。
「んっん~、なぁんかこう、ゾクゾクしちゃうなあ」
ミズルはぺっぺと手に唾を吐きかけてハンドルを握りなおした。
「運転中にハンドルから手を離すな!」
「Pちゃん」
「お前はイブにまで俺を子豚呼ばわりか!」
「ちょっと、後部座席移ってシートベルト絞めててくんない?」
「は?」
「お尻、振るからさあ!」
ミズルは両手にぎゅっと力を込めてハンドルを回転させた。横向きに急激なGがかかる。
ランディがなにごとか喚きながら後部座席に転がっていくのが視界の端で見えた。しかし、
すぐに見えなくなる。コーナーが終わるやいなや、ギアを切り替えた。アクセルを踏み抜く。
足元からウォンとエンジンの唸る音が伝わってきて、レンジローバーが猛烈な加速を始めた。
心臓が、トットッと心地よいリズムを刻んでいるのが分かる。
ミズルは、絵を描くしか能のない子だといわれている。自分でもそう思っている。絵を
描く以上の能力なんて、特に必要ないし、なくてもいいと思っている。
だから、クルマの運転はミズルにとって純粋な趣味だった。仲良しのマーくんがたまに
連れてくる、よくわかんないオジさんたちからの期待もなにもない。単純にやっていれば
楽しいというだけの行為だ。この行為に全身を浸すことは、絵筆を握ることとはまた違った
悦楽だった。
「さあ、俺のハンドル捌きは性格悪いぞ!」
アクセルを踏み抜いた。暴れ始めるハンドルに、体重をかけてしがみつく。
アルファロメオのランプがチカッチカッと輝き始める。と、その明かりがするすると
小さくなっていく。こちらに気付いて加速したか。
「もっと飛ばせ!」
「お前なにやる気になってるんだよ! 停めろ!」
「奥歯噛んでて、舌噛むよ」
クルマは峠に差し掛かっていた。民家はおろか、道路標識も信号機もない。フロントを
駆け抜ける風がハンドル越しにひたひたと頬を叩く。
アルファロメオはさらに加速していた。車間距離がじりじりと開いていっている。もう
減速などしていられない。ミズルはアクセルを小刻みに踏みながらハンドルを回した。
加速度に、眼球がぎゅうと押し潰されるのがわかる。一瞬、視界が真っ黒に染まった。
ブラックアウトか。一瞬だけだ。ミズルは目をかっ開いたままハンドルを握った。せばまっ
た視界の中で、さっきより少しだけ大きくなったアルファロメオの尻が見える。
「行っけるかなぁ、行っけないかなあ」
ミズルはぐっと唾を呑んだ。
コースはずっと直線が続いている。一度は詰めた車間距離を、またじりじりと開かれつつある。
「Pちゃん! この先にコーナーある!?」
「ダメだ! この先ずっと直線だよ!」
「ありがと!」
重度の方向音痴であるランディが、ナビをデタラメに見ていることはわかっていた。
ミズルは確信を持ってアクセルを踏みつけた。
アルファロメオの後部ランプがじわじわと近づいてくる。
やがて、行く先にコーナーが見え始める。
ミズルは無意識に鼻をヒクつかせていた。ハンドルをまわして。アクセルを踏んで。
レンジローバーがそう訴えかけている。それは、いいモデルを見つけたときに囁きかけ
てくる声に似ていた。クルマを走らせるのは、一種の芸術なんだなとわかる。
ミズルはもはやアクセルを踏みっぱなしにしていた。荒れくるう車体を、ハンドルに
しがみついて制御する。
アルファロメオが近づいてくる。あと10メートル、5メートル、2メートル。
ここだ、とレンジローバーが声を飛ばしたように感じた。ミズルは鼻の奥にツンと突
き刺さるものを感じながら車体を振りまわした。車体が雄叫びを上げながらアルファロメオ
と横並びになる。
「よし!」
「待って!」
ミナトがドアに手をかけようとしているのを、ほぼ無意識に止めた。
まだ、まだだ。ここじゃない。レンジローバーは、まだこの先に行きたがっている。
「オーケーオーケー、おれもL&Eの子だ!」
ハンドルの奥、ラージ・モントーヤ伯父さんが付けてくれた秘密のスイッチを叩いた。
途端に、視界が再度のブラックアウトに襲われた。今度は長い。なかなか視力が回復しない。
しかし、視力など必要なかった。ミズルの五体はいまやレンジローバーと完全に一体化していた。
真横にいるアルファロメオが距離を詰めてくる。ガン、ガンと不細工な衝撃が車体を
揺らす。ガードレールに擦れて、お気に入りのキタノブルーの塗装がガリガリと削れていく。
クルマを使ってなんてことをするんだろう。ミズルの胸に怒りが宿る。
「馬脚を現したね。クルマが泣いてるよ!」
ミズルはハンドルをいっぱいに回した。
車体が跳ねる。シートベルトがミズルの胴体をぎゅうと締め付ける。後部座席では、
ミナトとランディがひっしと抱き合ったまま転げまわっていた。
フロントライトが闇夜に軌跡を刻み込んでいる。
ガードレールに突っ込むような姿勢のまま、レンジローバーが加速を続ける。ぶつかる。
そう思った瞬間、心地よい加速度がミズルの後ろ髪をさあっと駆け抜けていった。
コーナーを抜けた。アルファロメオは、右手後方にいる。追い抜いたのだ。
「よっしゃ!」
レンジローバーのエンジンが勝利の雄叫びを上げる中、ミナトが後部ドアに手をかけた。
「前へ進め、立ち止まるな、Got it!」
ドアが開き、暴風が吹き込んだ。
「行く手阻むRiver! River! River!」
たぶん、AKB48のなんとかいう歌なんだろう。高らかに歌いながらミナト・カノウは
夜の闇の中に飛び出した。フロントライトで照らし出された空中で、鍛えられた両脚が「つ」
の字を作るのが見えた。
「運命のRiver! River! River!」
ミナト・カノウの跳び蹴りがアルファロメオのフロントガラスに突き刺さった。車体が
激しくスピンしながらガードレールにぶつかる。それでもミナトは振り落とされない。
まるで両脚をフロントに縫いつけているようだった。粉々に砕け散ったフロントガラスの
奥に、ぬっと両手を差し入れている。
「恋をするならこの次は、あんた名義の恋をしな」
お前もだよ、とランディが呟く中、アルファロメオのフロントがボンと爆発した。もう
もうと立ちこめる白煙の中、のしのしと歩いてくるミナトの顔は勝利に輝いていた。頭上
に得意げに上げているのは、AKB48のプラチナチケットだろう。ミズルにとっては
もはやなんの興味もないことだった。
「あ、やべっ、AKB行くのに、最後娘。でシメちゃったよ!」
「ミズル、出せ」
「あっ、ちょっと待てよ、ついでだからアキバまで送ってってくれよ!」
「だって、もうパーティ始まっちゃう」
「ダフ屋が当日チケット売ってるだろうから、お前らもライブ観ればいいじゃん」
「興味ないなあ、アイドルなんて」
「そういうのがあるなら、こんなカーチェイスする必要なかったんじゃないのか?」
「うちのパーティにおいでよ。ついでに紫雲さんち寄ってこう。
いまなら妹さんたちも来てるかもよ」
「興味ねえよ! カッちゃんとこの妹なんて!」
「じゃ、お前はいったい誰がいたら満足なんだ」
「前田のアッちゃんだろ、小野エレピョンだろ、小嶋のはるにゃんだろ」
「もういいよ! ミズル、こいつここに置いてけ」
「ああ、なんか、もう、どうでもいいな」
「あっ、ちょっと待てよ!」
「じゃあね、メリークリスマス」
今日は、なかなかいいクリスマスイブだった。
アスファルトを踏みしめるレンジローバーのタイヤが、げっぷをしているようだった。
最終更新:2010年12月23日 13:33