31代目スレ 2010/3/10
◆
タフでなくては生きてはいけない。ソフトでなければ生きていく資格がない。
こういう、切って捨てるような言い方がわたしは好きじゃない。
タフでもソフトでも、ひとはひとである限り生きていく資格があるはずだ。
特にここ、無秩序で節操のない街、
OG町では。
事務所の電話が鳴り響くのは、3日ぶりだった。もう、お昼をずいぶんすぎている。
わたしは起き抜けのボンヤリした頭で受話器を取った。
「はい、こちらバランガ探偵事務所です」
◆
真っ赤に光る鉱石を両手でうんしょうんしょと運んで、境内に並べる。
もう、春が近い。わたしはお気に入りの帽子を脱いで、額の汗を拭った。
「ルサイケちゃん、こっちでいい?」
「・・・・・・」
ルサイケ・エフェスちゃんが無言で頷いた。本当はなにかいっているのかもしれない
けれど、あいにくと聞き取ることが出来なかった。
ここ、ケイサル神社の蔵にしまわれていたミルトカイル石を天日干しするから手伝っ
てと欲しい、という依頼だった。探偵というより便利屋さんの仕事だけど、こんな仕事
でもやらないとご飯が食べていけないというのが実情だ。昨日からなにも食べていない
お腹がぎゅるると自己主張する。
「・・・・・・」
ルサイケちゃんがちょいちょいと社務所のほうを指差した。お昼にしよう、といって
くれているらしい。
ありがたい、でも腹3分目ぐらいにしとかないと。
と、そのときだった。
突然、わたしの背後でパシンパシンという音が弾け飛んだ。とっさに振り返る。たった
いま並び終えたミルトカイル石が、ひとつ残らず粉々に砕けていた。
「誰ッ!」
声を飛ばしながら、わたしはショルダーホルスターに納めた拳銃のグリップを握っていた。
そして、その姿勢のまま硬直した。
神社を囲む防風林の中に、細いシルエットが浮かび上がっていた。木陰に隠れていても、
特徴的な銀髪が確認出来る。その色合いは、ずっとわたしの脳裏に刻み込まれていたもの
とまったく一緒だった。
「待っ・・・・・・」
声をかける寸前、シルエットは身をよじるような仕草をして、その姿を消した。
気が付けば、わたしは荒い息を吐きながら神社に棒立ちしていた。
「お兄ちゃん」
クォヴレー・ゴードン。幼いころからわたしの面倒を見てくれていた、大好きなお兄
ちゃん。でも、ここ数年姿も現さなかった。そのお兄ちゃんが、なぜいま、ミルトカイル
石を狙うんだろう。
◆
その部屋は相変わらずスナック菓子とチョコレートの臭いで充満していた。
「メャーちゃん」
月面都市出身のメャーちゃんこと
紫雲芽夜ちゃんは小さくアクビをしながら首をもたげた。
みるからに億劫そうな仕草でわたしを見る。ぽよんと大きなバストの上には、相変わらず
ゲーム機のコントローラーが乗っていた。
彼女は、わたしの知り合いには珍しく学校卒業後に地球に移住してきた。地球のほうが
最新ゲームがより早く入手できるから、という理由らしい。働いているのかいないのか、
いつ来ても部屋の中でゲームをやっていた。
「なんです」
「検索をお願い」
芽夜ちゃんは半分寝ぼけたような目のまま、キーボードを引っ張り出した。カタカタ
と猛烈な勢いで叩き始める。最新RPGの画面が表示されているテレビの横で、パソコン
のディスプレイに光が灯った。無数のウィンドウの中で、わたしにはわけがわからない
文字が怒濤のように流れ始める。
「検索条件は」
「ミルトカイル石、クォヴレー・ゴードン、ケイサル神社」
「へえ、ゴードンさんが帰ってきたんですか」
芽夜ちゃんの言葉に、わたしは無言だった。少女時代のあのころなら、お兄ちゃんが
帰ってきたというだけで手放しで喜べた。でも、いまは違う。いつまでも幼いままでは
いられない。彼のやったことは、紛れもなく器物損壊なのだ。
「検索条件が絞り込めませんね」
「アインスト」
「グラシアス」
わたしの呟きとほぼ同時に、芽夜ちゃんはキーボードを叩き終えていた。
「わかりました。犯人が次に向かう場所は」
犯人、か。そうだ。犯人だ。自警行為は法律で禁止されている。お兄ちゃんがいま
やっていることは、紛れもない犯罪行為なのだ。
◆
「それで、うちか」
「うん、あるんでしょ、ミルトカイル石」
「まあ、あるけどさ」
タカヤ・ナンブくんは若干迷惑そうな顔をしていた。彼がミルトカイル石撤去のバイト
をしていたのは学生時代だ。そのとき、撤去したミルトカイル石をいくつか物置に放り込
んだままだったらしい。
お兄ちゃんがミルトカイル石を狙っているなら、必ずナンブ家を襲ってくるはずだ。
「クォヴレーさんか、懐かしいなあ」
タカヤくんは呑気顔でミルトカイル石に腰掛ける。
そのミルトカイル石が、突如パリンと割れた。
来た。わたしはショルダーホルスターからH&K USPを引き抜いた。気配は上から。
安全装置を解除しつつ、銃口を天井に向ける。
銃声が轟いたのは、わたしが引き金を引くよりもコンマ5秒早かった。
「出てきてくれ、クォヴレーさん」
押し殺したその声は、ヴィレアムくんのものだった。すり足で物置に入ってくる。手
にはワルサーP99が握られていた。
「クォヴレーさん!」
天井からしなやかなシルエットが降ってきて、ミルトカイル石の上にすっくと立った。
わたしは思わず声を漏らしそうになった。
お兄ちゃんだ。クォヴレーお兄ちゃんが、わたしの記憶と寸分違わない姿ですぐ近くにいる。
「クォヴレー・ゴードン。あなたを器物損壊の現行犯で逮捕する」
静かな声で告げるヴィレアムくんを、お兄ちゃんはじっと見つめていた。
「この石は、壊さなければならない」
「この石を壊されるわけにはいかないんだ、クォヴレーさん」
「この石はアインストを呼ぶ」
「対アインスト用の研究にも必要なんだ!」
ヴィレアムくんは、いま公安で働いている。公安は国家の利益のために行動する。
このミルトカイル石の重要性を考えれば、いままでのミルトカイル石破壊事件、
そしてナンブ家をつかんでいるのは当然だった。
「それだけじゃない。
ミルトカイル石は新エネルギーの研究にも必要不可欠な物質だ。
あなたの独断で壊させるわけにはいかない」
「この世界を守るのが俺の使命だ」
「それは、俺だっておなじだ!」
「ふたたび、アインストの襲来を許せばどうなる」
「軍隊が対処する」
「力が及ばなければ」
「そう言うときのために、ミルトカイル石の研究は不可欠なんだ!」
ヴィレアムくんは一分のブレもなく銃口をお兄ちゃんに向けていた。そしてお兄ちゃ
んの手の先には、わたしとおなじUSPが握られている。
「もう、やめて!」
わたしは、すでにUSPを握る手を下ろしていた。膝がガクガクと震えている。とても
立っていられない。無力な少女時代に戻ってしまったような錯覚を味わっていた。
「もう、お兄ちゃんがそんなことする必要ないんだよ!」
ヴィレアムくんは公安刑事になった。わたしは探偵になった。ほかのみんなだって、
成人して、それぞれの道を歩いている。
「わたしたちはもう幼くない!
お兄ちゃんに守ってもらう必要なんかないんだよ!」
わかっている。お兄ちゃんが、なぜここ数年姿を現さなかったのか。
スーパーヒーローはなぜ顔を隠すのか。それは近しい人々を守るためだ。警察のように
組織的なバックアップを持たない私的な自警行為は、個人的な恨みを買う。その恨みは、
本人ではなく家族や友人に向かう可能性がある。自警行為について深い歴史を持つアメリカ
について知っていれば、誰でも辿り着く結論だ。だからこそ古来からスーパーヒーローは
顔を隠し、素性を隠してきた。
お兄ちゃんは、わたしたちを守るために姿を隠したんだ。
「もう、この町にスーパーヒーローなんかいらないんだよ!」
わたしは、涙を流しているのだろうか。流していたくない。あのお兄ちゃんに、弱い
ところを見せたくなかった。いつだって強く笑っていたかった。
「俺は、これ以外の生き方を知らない」
USPを手にぶら下げたまま、お兄ちゃんが呟く。それは、どこか無力感を伴った
呟きだった。
「お兄ちゃん」
帰ってきて。
ずっと言いたかったひと言が、喉につっかえて出てこなかった。
わたしはもう幼くない。お兄ちゃんが積み重ねてきたものの重さを、たったひと言で
打ち砕いてしまう傲慢を知っていた。
「お兄ちゃん!」
だからわたしに出来ることは、ただお兄ちゃんを呼ぶことだけだった。
お兄ちゃんはわたしの顔を見ると、浅く頷いた。わかっている、そしてすまないといっ
ているようだった。
「また会おう、ゼラド」
お兄ちゃんがミルトカイル石を蹴る。
ヴィレアムくんがなにか叫んだ。と同時にタカヤくんちの物置の天井がぐにゃりと歪んだ。
お兄ちゃんの姿が消えていく。
「くそっ!」
ヴィレアムくんがお兄ちゃんの名前を呼んだ。
◆
どれだけ時間が経っただろう。
あたふたしているタカヤくんを背中に、ヴィレアムくんがこちらに歩いてくる。
「泣くなよ」
わたしは応えず、ぐっと帽子の鍔を引いた。
「この町に、涙は似合わないもんね」
わたしは、まだ弱い。だから、強くならなくちゃいけない。
お兄ちゃんが、安心してこの町に戻って来られるように。
最終更新:2010年12月23日 13:46