ゼフィアの武士道エイティーン

31代目スレ 2010/3/18

 ◆
 身ひとつに美食を好まず。
 宮本武蔵はそう書き表している。
 両脚の鋼を床に着け、親指を重ねて正座をする。
 背筋を伸ばし、正面を見る。上体を前に傾け、両手を前に滑らせるようにして両膝の前
に着ける。両手の人差し指と親指で三角形を作り、その中央に鼻先を埋めるようにして
頭を下げる。
 頭を上げ、両手を足の上に軽く置く。そのまま、しばし黙想する。
 しんと静まりかえった道場の空気に香りが加わった。外で咲いている花からだろうか。
その香りを、無視するでもなく心の中から追い出す。
 心を無に、ただただ静謐の境地に向かっていく。
 長く深く呼吸をして、ゆっくりと右足を立てる。左足を起こし、立ち上がる。
 竹刀は左手に持ち、立礼。それから竹刀を腰まで上げ、左手の親指を鍔にかける。3歩
前進し、右手で竹刀を握り左手で柄頭を握って竹刀を構え、蹲踞の姿勢を取る。
 蹲踞のまま、ふたたび心を無にする。
 俺の名はゼフィア・ゾンボルト。このOG学園高等部で剣道部の主将をしている。ただ
し、幽霊部員ばかりでまともに活動しているのは俺一人だ。

 ◆
「あっ、せんぱぁい」

 今日も、彼女はぱたぱたと道場に入ってくる。

「礼くらいせんか」
「へ、なんでですか」

 道場に入るときには一礼をする。武道をする人間にとっては当たり前のことだ。近ごろ
では年数を重ねるたびに礼をしなくなる人間が多いから、嘆かわしいことだ。

「そんなことより先輩、駅前のパチンコ屋に『CRトップをねらえ』が入ったんですよ。
 行きましょうよ、ね、行きましょうよ」

 彼女の名前はミスティリカ・レックス。生まれも育ちも地球だが、両親はアトリーム
というすでに滅亡してしまった惑星で産まれた異星人だ。だからなのか、地球の常識に
少し疎いところがある。
 どうやら俺は、彼女に気に入られてしまったらしい。毎日道場に来ては、俺をパチンコ
に誘ってくる。
 パチンコ。なんと呪わしい言葉なのだろう。あの、銀玉を弾く感触、ヘソ入賞からの
演出、リーチがかかったときの高揚感、大当たりが出たときの虚脱感にも似た達成感。
どれをとっても麻薬のような強制力を持つ。ひと頃、俺は彼女の言葉に乗るままにパチ
ンコに熱中してしまった時期がある。痛恨の極みだ。

「パチンコは、もうやらん」
「ええ、なんでですか、やりましょうよ」
「やらんといったらやらん!」

 パチンコは恐ろしい遊戯だ。大量の時間とカネを消費し、得るものはあまりにも少ない。
あんなものは、もう2度とやってはいけない。1度でもやってしまったら、またズブズブと
あの無為な時期に戻ってしまうような気がする。背筋にぶると悪寒が走る。

「レックス、お前はなぜそう、俺にパチンコをやらせようとする」
「だぁって、剣道やってる先輩も好きですけど、剣道を踏み外した先輩はもっと好きなんですもの」

 レックスは裸足でぺたぺたと俺の前まで歩いてくると、すとんと座り込む。当然正座で
はなく、膝を崩している。短すぎるスカートから、白い太腿が半ば以上露出していた。

「宮本武蔵は」
「あっ、ちょっと、待って、ストップ。
 わたし、まだ『バガボンド』5巻までしか読んでないんですよ。
 ネタバレやめてください」

 なんと嘆かわしい。

「レックス、お前はまだ若い」
「先輩は見た目若くありませんけどね」
「俺に道を踏み外させようと血道をあけているわけにはいかんだろう」
「まあ、バイトとかしてますけどお」

 俺にパチンコの資金を融通していたのは彼女だった。なぜ身銭を切ってまで俺を堕落
させようとするのか理解に苦しむが、事実やっているのだから仕方がない。

「毎日道場に来るなら、どうだ。いっそ剣道部に入ってみないか」
「ええ、ヤですよ。汗臭い」
「いいから、構えろ」

 もはや問答無用。彼女をどうにかしない限り、俺は永久にパチンコに誘われ続ける。
ふたたびパチンコという名の魔道に足を踏み入れるわけにはいかない。
 俺はレックスに向かって竹刀を放り投げた。

「行くぞ!」

 レックスが竹刀を拾い、あたふたと立ち上がった。

「メェーンッ!」
「わっ、わっ」

 レックスはばたばたと足音を鳴らしながら道場の中を逃げ回る。
 やはり、素人だ。それに、女性な上に年下だ。本気を出すわけにはいかない。軽く面
を一本入れて終わりにしよう。
 俺は中段に構え、レックス目がけて踏み込んでいった。
 ダメだ。打ち込めない。レックスはまたばたばたと俺の間合いの外に行ってしまう。

「尋常に勝負せい!」
「えぇ~、汗臭い」
「来ないのならこちらから行くぞ!」
「もう来てるじゃないですかぁ」

 踏み込む。また、ダメだ。打ち込めない。レックスはばたばたと逃げていく。しかし、
完全に逃げているわけではない。知ってか知らずか、俺の間合いの一歩外という距離を
保っている。経験者であれば、もう10本は打ち返して来るところだ。
 素人には違いない。しかし、ひょっとしたら才能があるのかもしれない。
 手加減の必要はないのかもしれない。
 俺は竹刀を構え直した。左足を前に出し、剣を持った右手を耳のあたりまで上げて左手
を軽く添える。八相の構えに似ているが、違う。示現流、蜻蛉の構え。幕末の昔、新撰組
すらも震え上がらせた構えだ。

「ちえぇぇぇぇいっ!」

 裂帛の気合いを込めて打ち込む。外れた。レックスはまたしても避けた。しかも、後ろ
にではない。横に滑るようにして避けた。
 間合いに踏み込まれた。示現流は二の太刀いらず。一撃をかわされたあとの隙が大きい。

「え? えっと、メン」

 コツンと、レックスの竹刀が俺の眉間を打った。

 ◆
 なんという油断。ビギナーズラックなどではない。純然たる、俺の心に出来た隙、いや、
慢心が原因だ。
 ゾンボルト家の道場で、俺は黙々と素振りを繰り返していた。
 心を無に、無に。ダメだ。出来ない。翻るスカートから覗く太ももが脳裏をかすめる。
いかん、いかん。こんなことではまったくダメだ。

「愚息」

 いつの間にか、道場の上座に親父殿がいた。
 父は、示現流の達人だ。今でも軍で剣道を教えている。その父親に、俺はいつか勝ち
たいと思っている。もっとも、今の今まで勝てたことは一度もない。

「また負けたのか」

 また、というのが癇に障った。そういつもいつも負けているように思われているのか、
俺は。少なくとも公式試合で、同世代の選手とやって負けたことは一度もない。

「構えろ」

 言われるままに、俺は親父殿の前で中段を構えた。

「ちぇぇすとぉーっ!」

 まさに裂帛の気合いだった。防御の構えをとる時間もない。小手打ち。俺の竹刀は
無様に床の上に転がった。手首がじんと痺れる。

「お前は、なんのために剣を持っている」
「それは、もちろん親父殿を」
「俺は、やがて老いる。お前は俺が老いるまで待つのか」
「そんなわけは」
「俺を負かしたあと、お前はどうするつもりだ」
「それは」

 愕然とした。永遠の目標であると思われていた親父殿も、気付けば髪に白いものが
混じり始めている。本人がいうまでもなく、老いる日はそう遠くない。
 親父殿に勝つ。それが俺の目標だった。しかし、そのあとは。そう訊かれると、
まったくなにも思いつかない。

「しばらく、剣を持つのをやめろ」

 怒っているわけでも失望しているわけでもない。ただ淡々と言い残し、親父殿は道場
から出て行った。

 ◆
 いったい、俺はどうしてしまったのだろうか。俺はこうまでに弱かったのだろうか。
 その日、俺は部活に出るでもなくOG町の真ん中を貫く川の縁に座り込んでいた。

「おう、どうした、坊主」

 背後から、ぬっと大きな影がかかった。重震のマグナス氏だった。
 重震のマグナス氏は、元はこの地球を侵略してきた修羅という一団の将軍だった。
現在はイスルギという会社で営業の仕事をやっている。大柄ながら動きは素早く、竹刀
を取っても俺はとても敵わない。俺が勝てない人間の一人だった。

「なに黄昏れてんだよ」

 どっこいせと俺の横に腰掛けて、重震のマグナスしはショートホープに火を点ける。
美味そうに煙を吸うと、タラコ唇でにっと俺に笑いかけた。

「父に、剣を持つなといわれました」
「へえ、あの親父が、えっらそうに」
「俺は、もうどうしたらいいのか」
「甘物でも食えばいいんじゃねえのかあ」
「しかし武蔵は」
「ムサシ? ああ、この世界で有名な剣の修羅な」
「ご存じでしたか」
「『五輪の書』っつったか。俺様もざっと目を通してみたが、ありゃくだらねえな」
「マグナス氏! いかに氏の御言葉でも、それは」
「だって、あれ、団塊世代の自叙伝みてえなもんだろ」
「ダンカイ?」
「ああ、坊主の歳じゃ知らねえか。
 戦後復興とか、学生運動とか、バブル経済とか、全部見た世代をそう言うんだとよ。
 そういう連中がな、定年して暇になったら、たいてい自分の人生ってのを振り返るんだとよ。
 ムサシってのが『五輪の書』を書いたのも、60のときだろ?
 似たようなもんじゃねえのか?」
「しかし」
「いい若ぇモンが、オッサンの昔話に付き合うもんじゃねえよ」

 こんな説教するようじゃ、俺もオッサンだな。ぺしんと額を叩き、重震のマグナス氏は
からからと笑った。

 ◆
 俺はなぜ剣をやるのか。
 その答えはまだ出ない。しかし、それでも、俺はまだ剣を志している。

「せんぱーい」

 そして彼女は、今日も校門で俺を待ちかまえていた。

「ねえねえ、部活やらないんならパチンコやりましょうよ、パチンコ!」
「パチンコはやらない」
「ちえー」
「その代わり」
「なんです?」
「甘味でも、食べにいかないか」
「は?」

 レックスは虚を突かれたような顔をした。

「ちょっと、どうしちゃったんですか。先輩」
「身ひとつに美食を好まず、宮本武蔵はそういった」
「ちょっと話が見えないんですけど」
「宮本武蔵はもう卒業だ。これからは、武士道で行く」
「新渡戸稲造ですか」
「それとも違う」

 俺は、俺の人生を歩むしかないのだ。それこそが、俺の武士道なのだ。

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最終更新:2010年12月23日 13:48
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