31代目スレ 2010/4/16
これは、昭和33年、わたしが小学1年生のころに撮ったわたしの写真だ。
ここに移っているのは、わたしの家族たちだ。
そしてこれが、わたしのお母さんだ。
これは、戦後の昭和を、その並外れたバイタリティで生き抜いた、バランガ家の物語だ。
■このスレほぼ五周年記念作品■
■■バランガ家の歴史■■
ゼフィアお祖父さんが事業に失敗したのは、昭和19年のことだった。
当時祖父が経営していた炭鉱会社で事故が起こり、責任を取らされてのことだった。
それはまあいつものことで大したことではない。
長女のゼラド叔母さんは零戦工場で働いて一家の生活を支えた。
当時、福岡に住んでいた一家のお隣には、クォヴレーさんという人が住んでいたという。
「赤紙が来たんだ」
「えっ」
「軍隊に、行くことになった」
「それは、おめでとうございます」
「めでたいものか」
「生きて、帰ってきてください」
クォブレーさんが戦死したとの報が入ってきたのは、それから半年後のことだった。
そして昭和20年6月19日、福岡大空襲で焼け出された一家は、町外れの小屋住まいを余儀なくされた。
戦争が終わったのは、その約2ヶ月後のことだった。
「先輩せんぱぁい、東京じゃ象ってでっかい生き物の話題で持ちきりだそうですよぉ!」
「ム、そうか。では、博多の子供にも象ば見せてやろうではないか!」
このときゼフィアお祖父さんがタイで買い取った象は80過ぎという高齢で、日本への
航海中にあっけなく老衰で死んでしまった。
「なんということだ!」
「バンコクを出たときには元気だったんですけどねえ」
「それで、象の本体は?」
「丁重に葬りましたけど、海に」
「なにかっ、なにか象を象徴出来る遺品はないのか!」
「この尻尾くらいですかねえ」
「皆の衆! これだ、これが象の尻尾・・・・・・」
「ふざけんなーっ!」
「象はどうした、象はーっ!」
象を楽しみにしていた博多市民の怒りは凄まじく、この日以来ゼフィアお祖父さんは
博多の嫌われ者になってしまった。
そのせいだけというわけではないが、一家は東京に移り住むことになった。
このときの家族構成はゼフィアお祖父さん、長女のゼラド叔母さん、長男のアオラ叔父
さん、次女のマリお母さん、三女のリトゥ叔母さんだった。
395 名前:それも名無しだ[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 01:32:42 ID:AskO0A1M [2/4]
「先輩せんぱぁい、東京じゃ、深夜喫茶っていうのがバカ流行りしてるんですよ!」
「うむ、ひとつ、やってみるか!」
「お父さん、もういいから、堅実に暮らそ? ね?」
「いいや、もはや一意専心! このゼフィア、必ず再起してみせる!」
ゼフィアお祖父さんの連れ込み喫茶が1年足らずで潰れたのは、いつものことだった。
一家の生活を支えるため、ゼラド叔母さんはダンスクラブでダンサーとして勤めだした。
それが、ゼラド叔母さんとスレイチェル伯父さんとの出会いとなった。
「ダンスで相手の足を踏まないコツは、踏むことを恐れないことである」
「わかりました!」
「あうっ! 本当に踏まれたのは初めてである!」
これを縁にゼラド叔母さんとスレイチェル伯父さんは結婚した。
これを機に、一家の生活は上向きに変わった。
マリお母さんは雑誌社に編集として就職、リトゥ叔母さんは女学校に入学した。
「いいからさっさと原稿を書けよ」
「黙れ、黙れよ!」
大学に合格したアオラ伯父さんが奇妙な行動を取るようになったのも、この頃である。
「ライチラライチララライチ!」
「アオラ! いったいどうしちゃったの!?」
「おれはアインツ・ヴィレアムさんに着いてくって決めたんだぁーっ!」
アオラ伯父さんが加入したのは、後に『ライチ光クラブ』と呼ばれる秘密結社であった。
『ライチ光クラブ』は当時大学生だったアインツ・ヴィレアムが中心となってワカメ業を行い、
わずか四ヶ月で銀座に本社を構えるほどに成長した時代の寵児であった。
当時、敗戦により価値観の崩壊した若者達の中には、このように「ワカメこそがすべて」
とうそぶく者が少なくなかった。
396 名前:それも名無しだ[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 01:33:28 ID:AskO0A1M [3/4]
「すぐにアオラを脱会させてください!」
「よせよ、姉ちゃん」
「なにいってるの、こんな怪しげなクラブ活動、お姉ちゃん許さないからね!」
ゼラド叔母さんの心配をよそに、アオラ伯父さんはますます『ライチ光クラブ』の活動
にのめり込んでいった。
「ライチラライチララライチ!」
当時、『ライチ光クラブ』は『ライチ』と呼ばれる人型ワカメ兵器を製造し、世の中を
ワカメの渦中に叩き込もうとしていた。
「なんとかアオラをあのヘンな会から抜けさせなくちゃ」
「べつに、無理に脱会させることないんじゃないのか?」
「もう大人なんだし」
姉妹の足並みが揃わない中、クォヴレーさんが帰ってきたのはまさに寝耳に水だった。
クォヴレーさんは敗戦の後、長らくシベリアに抑留されていたのであった。
「お帰りになったのですね」
「家族のみんなは元気か」
「うん、アオラはちょっと、おかしなことになってるけど」
「というと」
「なんとか光クラブってところに入っちゃって」
「なんだって」
シベリア抑留によってすっかり反ワカメ主義に洗脳されていたクォヴレーさんにとって
は聞き捨てならぬことだったのだろう。すぐさま行ってアオラ伯父さんを連れ戻した。
アインツ・ヴィレアムが逮捕されたのは、それから1ヶ月後のことだった。
397 名前:それも名無しだ[sage] 投稿日:2010/04/16(金) 01:34:26 ID:AskO0A1M [4/4]
昭和27年、私が産まれた。
フラフープを発売しようとして失敗したゼフィアお祖父さんは、私の子守り係となった。
スレイチェル伯父さんは事業を広げようとする半ばにして胃ガンにて急逝してしまった。
一家をけ牽引したのは、やはりゼラド叔母さんだった。
マリお母さんは私を産むと同時に専業主婦となり、リトゥ叔母さんも元気に生きた。
そして昭和33年、東京タワーが完成する。
これが、私たち一家の写真である。
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ハザリア「こんな具合でどうだろう」
マリ「もの凄く、ダイジェストっぽいな」
最終更新:2010年12月23日 13:52