十五年前
ホンコンHEAVENの淀んだ雲が月を撫で、風に引き裂かれて流れて行く。
途切れ途切れの月光の下、一発の銃声は高らかに夜のしじまを切り裂いた。
川向こうのイエローエリアには屋台の灯りがまだ見えるが、崩れかけた廃墟が並ぶだけのこのレッドエリアに人の気配はない。
銃を携えた男は、眼前でどうと倒れ伏した人影へふらふらと近づいて行く。
男はドラッグ、それもひどく質の悪いシロモノをキメているようで、とりとめのないつぶやきを口の中で繰り返しながら、垂れるヨダレを気にする様子もない。
中毒者は焦点の定まらない目で、足元で倒れた浮浪者を見やると、ゆっくりと広がっていく血だまりが面白いのかケタケタと笑い始めた。
途切れ途切れの月光の下、一発の銃声は高らかに夜のしじまを切り裂いた。
川向こうのイエローエリアには屋台の灯りがまだ見えるが、崩れかけた廃墟が並ぶだけのこのレッドエリアに人の気配はない。
銃を携えた男は、眼前でどうと倒れ伏した人影へふらふらと近づいて行く。
男はドラッグ、それもひどく質の悪いシロモノをキメているようで、とりとめのないつぶやきを口の中で繰り返しながら、垂れるヨダレを気にする様子もない。
中毒者は焦点の定まらない目で、足元で倒れた浮浪者を見やると、ゆっくりと広がっていく血だまりが面白いのかケタケタと笑い始めた。
ひとしきり狂ったような笑い声を上げていた男は、ピタリと笑うのをやめ、据わった目で照準を浮浪者の頭蓋に定めた。
中毒者の指が引き金を引くその2秒前。その指が、地面にポトリと落ちる。
あえ?と中毒者は間抜けな声を上げると共に崩れ落ち、どうと倒れ込む頃には首と胴体は泣き別れていた。
霞む目で捉えた一瞬の出来事を、浮浪者は中毒者が事切れてからこの場にもう一人居合わせていることに気がつくのに少々の時間を要した。
慣れた手つきで血を払い、刀を鞘に収める人物の姿が月明かりに照らされる。
いつのまにか、空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。
着流しに袴を身につけたその姿はかつて日本と呼ばれた国を支配していた集団、侍そのものであった。ただ一点、シャープなデザインの眼鏡が彼が現代にいる人間だということを小さく主張している。
年の頃は40代ほどであろうか。義体技術隆盛の今、外見なぞ人物を測るのになんら頼りに世の中にはなってしまったが、その鋭い眼光は超えてきた修羅場を偲ばせる。
「……運がありませんでしたね。」
侍は浮浪者を一瞥しただけであったが、浮浪者の傷は致命傷だった。
最近縄張りを荒らしている極道崩れの売人を黙らせてほしい、という三合会の依頼を受けて来てみたものの、後味の悪いことになってしまった。
だが、ここで居合わせたのも何かの縁。せめて看取るくらいはと侍が浮浪者の元へ屈むと、か細い声でを言っているのが聞こえた。
「どうか、この子を。」
見れば、浮浪者の体の下から小さな手が覗いている。
父親が覆いかぶさり、最期まで守り通した幼い少女は、恐怖のためか頬を涙で濡らしたまま気を失っていた。
それだけを絞り出した浮浪者は、そのまま動かなくなった。
あえ?と中毒者は間抜けな声を上げると共に崩れ落ち、どうと倒れ込む頃には首と胴体は泣き別れていた。
霞む目で捉えた一瞬の出来事を、浮浪者は中毒者が事切れてからこの場にもう一人居合わせていることに気がつくのに少々の時間を要した。
慣れた手つきで血を払い、刀を鞘に収める人物の姿が月明かりに照らされる。
いつのまにか、空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。
着流しに袴を身につけたその姿はかつて日本と呼ばれた国を支配していた集団、侍そのものであった。ただ一点、シャープなデザインの眼鏡が彼が現代にいる人間だということを小さく主張している。
年の頃は40代ほどであろうか。義体技術隆盛の今、外見なぞ人物を測るのになんら頼りに世の中にはなってしまったが、その鋭い眼光は超えてきた修羅場を偲ばせる。
「……運がありませんでしたね。」
侍は浮浪者を一瞥しただけであったが、浮浪者の傷は致命傷だった。
最近縄張りを荒らしている極道崩れの売人を黙らせてほしい、という三合会の依頼を受けて来てみたものの、後味の悪いことになってしまった。
だが、ここで居合わせたのも何かの縁。せめて看取るくらいはと侍が浮浪者の元へ屈むと、か細い声でを言っているのが聞こえた。
「どうか、この子を。」
見れば、浮浪者の体の下から小さな手が覗いている。
父親が覆いかぶさり、最期まで守り通した幼い少女は、恐怖のためか頬を涙で濡らしたまま気を失っていた。
それだけを絞り出した浮浪者は、そのまま動かなくなった。
レッドエリアでは珍しくもない、薬物中毒者の強盗。
ここは力が力を制する、動物的な法則を美しとする掃き溜め。そこを歩く人間の程度など、知れたものだ。拾った子供なぞ、明日の自分の食い扶持に変えられるカッパー程度にしか思わない。そんな人間の吹き溜まり。そんな人間だからここにいる。
だが、たとえ人買いへ売られゆくとしても、一縷の光に人は縋ってしまうものであろう。
我が子がこのまま野垂れ死ぬよりは、と。
ここは力が力を制する、動物的な法則を美しとする掃き溜め。そこを歩く人間の程度など、知れたものだ。拾った子供なぞ、明日の自分の食い扶持に変えられるカッパー程度にしか思わない。そんな人間の吹き溜まり。そんな人間だからここにいる。
だが、たとえ人買いへ売られゆくとしても、一縷の光に人は縋ってしまうものであろう。
我が子がこのまま野垂れ死ぬよりは、と。
だが今日、この場においては。
「その仕事、請け負いましょう。」
征したのがこの男であったのならば、話は違う。
侍は少女を抱きかかえ、その場を後にする。
「私が一度も成せなかったことを成し遂げた。そのあなたの命に、殉じましょう。」
侍の名は征四郎。
“風見禽” 氷条征四郎。
“風見禽” 氷条征四郎。
その瞳が暗く霞む理由は、己が過去への懺悔か、後悔か。
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