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  • 黎明の英雄-Schicksals Symphonie-

テイルズオブバトルロワイアル@wiki

黎明の英雄-Schicksals Symphonie-

最終更新:2019年10月13日 22:26

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黎明の英雄-Schicksals Symphonie-


「今だけ、その道を支えてやる。この“時空剣士”ミトス=ユグドラシルが」

仲間を喪って、人間に裏切られ、姉を喪い英雄として敗北した挙句、天使やハーフエルフとしても崩れかけている。
そんなニンゲン・ミトス=ユグドラシルは、まるで獣に喰い散らかされた屍肉の様な哀れな風貌で、継ぎ接ぎの皮と芯で辛うじて地に立ちそう吐き捨てた。
どうしようもなく朽ちてしまったミトスの身体は、見せ物にしても流石に見るに堪えない代物だ。
しなやかで張りがあった筈の肉は、精力を失い乾燥し、皹割れた地表の様に萎びていた。
天使の輪が光り、艶があった筈の金髪は、血と油に汚れてすっかりくたびれてしまっている。
死に損いも死に損い。体躯と対照に酷く綺麗な天使の翅は、取って付けたようで最早笑い種だ。
しかしカイルの目には、そのゴミの様な四肢は確かに凛と、一人の完成されたニンゲンとして見えた。
有象無象を静止に至らせる無慈悲な絶氷……いや或いは万物を灰燼に帰す地獄の豪火か。
力強く猛りながらも、冷徹で幽邃な圧倒的覇気。
器と呼ぶ物があるなら、この威厳にも似た清冽な存在感の事を言うのだろう。
カイルは、熔解した後に固まって妙に歪んだ大地に立つミトスをまじまじと見つつ、そう思った。

「ミトス、お前」

……ソレ、取って大丈夫なのか。
要の紋を指差しそう続けようとしたが、カイルはいや、と呟き言葉を飲み込んだ。
確かにエクスフィアの直接装備は身体に毒とはロイドから聞いていた。
だが、この状態のミトスにそれを訊くのは野暮過ぎる質問だと思ったからだ。
ミトスからしてみれば、こんな有様の身体に触ろうが何だろうが、きっともうどうでもいい事なのだろう。

カイルは両手で紫色に染まってしまったズボンを握ると、黄昏の魔手に浸蝕される空へと目を泳がせた。
程無く呆れた様な溜息と舌打ちが、もう一人から一つ。
【それでいい。馬鹿は余計な事を言うな。時間がないんだ、黙って見てろ馬鹿】
「ばッ……!? に、二回も言う事ッ」
『おいミトス、呑気に喧嘩をしている場合では!』
【五月蠅いよ、餓鬼共】
ミトスはしたり顔をしたまま心底苦しそうに笑うと、心外だと食い付くカイルから視線を外した。

油断すれば今にもぼろぼろと崩れ落ちてしまいそうな脆弱な脚腰。
関節を動かす度にみぢりみぢりと千切れる、余りにも頼りない神経。
“辛うじて”瞬きをする度に、ねとりと目の縁から溢れる黒い体液。

……ああ、クソッタレ。ミトスは腹の底から、自らを呪う様に唸った。
部品共が、末端が最早まともに命令を聞きゃあしない。
生憎と油を差してる時間は無いし、ボルトを締める余裕も無ければ補強する道具も無い。
今の僕には無い物が多すぎて、何かが有る事の方が異常になっている。
皮肉な話だな。元々、僕には何も無かった筈なのに。それが自然だったのに。
でも今は、これが自然とは到底思えない。欠損はやっぱり、異常なんだと今更気付くんだ。
……だが、手前らの主は腐ってもこの僕だ。これからギアはまだ上がるぞ。
この程度でへばってたら即ゲーム・オーバーだ。
僕とこの肉とはもう腐れ縁のレベル。
ま、肉体なんて無機生命体にとっちゃキャラメルに付いてるおまけの玩具並だけどさ。
でも、折角なんだ。最期まで付き合わなきゃ損だぞ? このポンコツハーフエルフ。
バイト代の代替に良いモノ見せてやるから、もうちょっとだけ残業してけよ。

五月の蠅を軽くあしらい、ミトスは己が相棒へと視線を移す。
使ったのは僅か2日程度というのに、今じゃ随分と手に馴染んでいる。
何故かと少しだけ考えて、直ぐに得心した。少なくとも、エターナルソードよりはこの身体のサイズに合っている。
『ミ、と』
アトワイトの消え入りそうな電子音に、ミトスは今から行うべきことを再確認する。

【悪いけど、悠長に語ってる時間がない。“剥がす”よ】



何時になく険しい声色にアトワイトはマスターへ声を掛けることを止め、その表情を窺った。
震えている……否、“肩を揺らして笑っている”。
何処をどう見渡しても残骸以下の肉体。だが、その笑みはただそれだけでミトスを死に損ないの少年と認識させなかった。
むしろ、何処か若返っているとさえ錯覚するその笑みは、生まれた瞬間の生命の溌剌さに近い。
しかしこの状況でなおも笑うのか。これは言うなれば、そう――――――狂気の類。
本人は自らが形作る表情の意味に気付いているのだろうか。
絶望的なまでの制限時間――否、それさえも疾うに終わっている――を添えたこの逆境を、無意識に愉しんでいる事に。
ならばこの意識外の狂的な愉悦は、何処に向けられたものなのか。
カイルへの? ……いや、十中八九違う。ならば誰へ、何へ?
(……違うワね。そんな複雑なものじゃない)
コアクリスタル、そしてそこに寄生するエクスフィアにかかる斜陽の光線をミトスの掌が遮った時、アトワイトは脱力するように溜息をついた。
『ミトス……』
【何?】

これは、彼女が道端で小銭を見つけた時のような笑みは―――――――――大人の鼻を明かすため。

『痛く、しないでね?』

この子供が大人への悪戯を思い付いたかの様な笑みは――――――――――ミトスが追い求めた大人の背中への。

【死ねバカ】



【17:55'10】



エクスフィア。人間に着床することでその人間の長所を強化する増幅器であり、
鉱石でありながらヒトに寄生しその感情・精神を餌にして成長する歴とした“生命体”。その呼称である。
エクスフィアは通常、要の紋という接続装置を介して肉体に装備する。エクスフィアの直接装備は身体に猛毒である故に、だ。
毒素と言う名の力の代償。増幅させるためには肌につけなければならないのに、直接つければ寄生されるという矛盾。
自然はそう簡単に人間へと力を授けないということらしい。
だが、ヒトには知恵があった。
かつて世界が統合されていた頃よりも更に昔、ドワーフは持ち前の技術を活かし、その毒素を抑える特効薬<要の紋>を精製したのだ。
だが、ヒトが火を使う術を覚えたとしても火の恐ろしさが減じるわけではないように、エクスフィアの呪いは厳と存在しつづけている。
要の紋無しにエクスフィアを剥すと、身体を形成するマナが毒素に蝕まれ、暴走――――肉体構築バランスとマナの結合を崩す。
それは人間を人間と構成している結合の崩壊。つまり、心身共に怪物の様に成り果てるという事だ。

『お、おい……!』

それが今、目前で繰り広げられようとしている。
ミトスはあろう事か、アトワイトのコアクリスタルに直接寄生したエクスフィアを剥そうとしたのだ。
その行動へと声を荒げながら咎めたのは、当然同じソーディアンであるディムロスだった。
無論、寄生者が人間の場合ではなくソーディアンの場合にもそのルールが適用されるかは定かではない。
が、エクスフィアが貪るものが人間の生命ではなく“精神”である以上、
人格を持つ武器であるソーディアンに及ぼす危険性は、単純機械のそれを遥かに凌駕する。
なにより、この弱ったアトワイトの様子。これは確実にエクスフィアを利用して限界を超えた“利息”だ。
この状態からコアクリスタルに癒着したエクスフィアを剥ぎ取る事は、相当危険なのではないか。
彼女が破損する可能性を少なからず感じとったディムロスには、ミトスの行為を見過ごす事は到底出来なかった。


【何だよ】

ミトスが目を細めながら低く呟く。心底面倒臭そうな声だった。
『気でも違ったか!? 直接装備したエクスフィアを剥すなど到底正気の沙汰とは思えんッ!』
【何だそんな事か……心配無用だよ王子様。ただの応急処置さ。魔法使いの仕儀に口を出すと、舞踏会に間に合わないよ?】
ミトスはカイルが所持しているディムロスへと嘲笑を浴びせると、アトワイトのコアクリスタルへと手を伸ばした。
『応急処置!? 何を言ってッ』
「ディムロス」
す、とカイルが興奮に紅く輝くディムロスの刀身をはたく。
何事かとディムロスが見上げると、カイルは首をゆっくりと左右に振ってみせた。
冷静なカイルの様子に、ディムロスはコアクリスタルの発光を止め、喉元まで競り上がっていた怒声を飲み込む。

「信じよう」

……信じよう。はっきりとした口調で、カイルはそうディムロスを諭した。

   <信じる事。信じ続ける事。それが本当の強さだ>

一閃。
切っ先からグリップまで、思わず身震いする様な電流が走った。
脳裏に浮かぶ青年の顔。重なる面影、真の強さ。ディムロスは思わず息を飲んだ。
(……あぁ。確かにお前の血を引いているよ、この莫迦は)
何処までも真直ぐで、図々しくて熱くて、危なっかしくて……どうにも放ってられん。
ディムロスは苦笑いを堪える。創られた記憶と知りつつも、呆れざるを得なかった。
確かにミトスは負けを認めているだろうさ。そして、もうこちらへの殺気もない。
それでも、今の今まで敵だったミトスをそうも即座に信じるのか、マスターよ。
他に道がないとは言え、それが最善だとは言え。そこまで純粋な目で私に信じろと言うのか。
これでは……まるで。

【立場が逆だね?】

ミトスが辛そうに嗤った。
ディムロスはむっとして、ミトスへと視線をやる。
……そこには、まるで全てを見透かしたかの様な嫌らしいしたり顔があった。
ディムロスはコアクリスタルの奥底で低く唸った。そうだ。信じる。それしかないのだ。
全く、スタンと言いカイルと言い……つくづく私を辱める。
これではどちらが導かれているのか分からんな。まだまだ私も駄目だ。

『……もう! 黙って聞イていればミトスも随分と性格が悪いわね』
痺れを切らしたアトワイトが、呆れた様に苦言を零す。ディムロスは僅かにたじろいだ。
声色の節々に混ざる不自然な機械音にコアクリスタルを点滅させつつ、アトワイトは続ける。
『安心シてディムロス。後遺症の可能性はともかく、破損まデはいかないのは今日の朝に一度確認済みよ』
アトワイトがミトスの行為に殆ど声を上げなかったのは、主への忠誠と言うよりはその経験によるところが大きい。
【言うなよ。面白くないなぁ】
母親へ仕掛けた悪戯が失敗したかの様な、そんな不服そうな表情を浮かべると、ミトスは口を尖らせた。
「ぶッ」
ディムロスを杖にバランスをとっていたカイルは思わず噴出す。そんな顔もするのか。
と、途端にミトスの顔が険しくなる。カイルは慌てて視線を流した。
……ひー、おっかないおっかない。

【……ま、いいや。じゃあいくよ。観客も居ないのに仲良く漫才してる場合じゃない】


ミトスは残った指を器用に動かし、アトワイトのコアクリスタルに寄生するエクスフィアを引っ張った。
『あふッ』
アトワイトの喘ぎに被さり、コアクリスタルが鋭い悲鳴を上げる。
みしみしと、太い木の幹が重機でブチ折られた様な音が辺りに響いた。
次いで、エクスフィアが一度だけどくんと脈打つ。心臓を彷彿とさせる様な、有機的な躍動だった。
カイルは目を凝らし、エクスフィアを観察する。
癒着しかかったエクスフィアがどくんと脈打つ。
アトワイトにへばり付いている輝く魔触手は、まるで毛細血管の如くコアの奥深くまで張り巡らされていた。
うねうねと蠢きならがら輝くその魔触手は、恐らく高濃度のマナで構成されているのであろう。

『……あまり見ていて気持ちの良いものではないな』

それを無理矢理にぶちぶちと引き剥がす作業を見ていたディムロスが、ぶっきらぼうに零した。
剥し終えたミトスを見たまま、そうだね、とカイルは顔を顰める。
度々上がっていたアトワイトの喘ぎは苦悶に溢れていた。

エクスフィア。ロイドやミトス達の住まう世界の力。
その強さは、ミトスやアトワイトとの戦いで身に染みて理解している。
だが、同時にその恐ろしさもカイルはしっかりと理解していた。
コレット、シャーリィ。方向性は違えど心や身体を、その石に囚れた人たちがいた。
クラトス、ロイド。力を得た代償として、人間としての死を失ってしまった人たちもいた。
ヒトが人である為の最大の証を、エクスフィアは喰うのだ。
カイルにとって、それはエクスフィアの恩恵やエクスフィア自体にに悪意が無いことをを差し引いても認め難いものがあった。

カイルは黙ってディムロスのコアクリスタルを見つめた。
なら、レンズはどうだというのか。人格さえ完全に模倣し、ヒトの願いを束ね精神さえも宿す遊星からの物体。
(もし、レンズがエクスフィアのように使われていたら、あの現代みたいになるのかな)
エルレインの手によって改変された現代。全人類が頭にレンズをつけ、
神の眼から放射されるエネルギーに生かされたあの世界は、正にレンズに寄生された世界だった。
意思を食らう石、エクスフィア。願いを集める物質、レンズ。
無機物にヒトの心が侵されるというのは、少なくとも正しいことではないはずだ。

「……ディムロス、ごめん」
『唐突だな。脈絡もない』
「エクスフィアを見てたら、鉱物が……無機生命体ってのが、やっぱり納得いかないなって思った。
 でも、ディムロスもアトワイトも……剣でも、無機物でも、生きてるって…………ああ、畜生」
うまく言葉が纏まらず唸るカイルを見て、やはり正直な奴だなとディムロスは思った。
幾ら恩恵があろうと、人間を、有機生命を不幸にするエクスフィア、無機生命体という存在を認めきれない。
だが、今その手に握っているディムロスもまた形は違えど、ミトスの定義に従うなら無機生命体だ。
イコール、ディムロスを、ソーディアンを認められないというところまで論理が飛躍したのだろう。
眼は口ほどにものを言うとはいうが、カイルのはそれ以前のレベルだった。
『気にするな。お前の想いは正しいさ。戦時のこととはいえ、人格を兵器に写すなど正気の沙汰ではないからな』
ディムロスは昔を懐かしむように言った。かつてなら自らを唯の剣だと嘯いたであろうが、
例え複製の人格であろうと、その人格さえ粗悪品の可能性があっても、あの滾った血潮の熱さは人間のそれだった。
今なら、ソーディアンにも心があると認められる。故に、自分達やエクスフィアが如何に禁忌の存在であるかを認識できる。
「……なんで、ソーディアンだったんだろう」
カイルが、誰に聞かせるでも無くつぶやいた。天地戦争において、地上軍が劣勢だったのは知っている。
それを覆すために、強力無比な局地戦仕様の決戦兵器が必要だったことも理解できる。
でも“何故それが、意思を持つ剣でなければならなかったのだろうか”。
『お前も知ってのとおりだ。我らソーディアンとマスターが同調した時、その力は何倍にも膨れ上がる』
その力が、戦争に勝つためには必要だった――――――ディムロスはそこまでは口にしなかった。


「分かってる。でも、ディムロスにも……ソーディアンにだって、心はあるんだ。生きてるんだ。
 そう思ったら、少しだけ辛くなった。もっと他に、心を傷付けない方法がなかったのかなって」
バカだな。ディムロスは素直にそう評価した。
ソーディアンに人を見出すとは。何処まで父親に似ているのか。だが、それは正論のみが持つ愚直な響きだった。
スタンとの別離を思い出す。ダイクロフトとこの世界で二度別れたが、その痛みが変わることは無い。
モノに心を与えてヒトを成す。その全てを悪しと断ずる気は無いが、やはり自然ではない。
そして自然で無いものは、いずれ何がしかの悲劇を生む。
ソーディアンに人格崩壊のリスクが付いて回ったように。剣であるはずのアトワイトが壊れかけた今のように。

『戦争だったからな。生きる為には、捨てなければならないものもある』
「うん」

ディムロスの言葉に、カイルは頷いた。選ぶことの意味を知ったカイルはディムロスの言葉をしっくりと受け止められた。
だが、それでも。彼女はどうだったのだろうか。彼女なら、きっとその程度の危険性は知っていただろうに。
カイルが識る彼女なら、意思を持つ剣以外の選択肢を創りだせただろうに。
(ハロルド……)
ミトスの腕から奔る光を見つめ、虚空に呟くソーディアン・メーカーの名前。
誰よりも神を否定した彼女なら、その解を持っていただろうか。


遠い目をするカイルを一瞥してミトスは舌打ちをした。
【チッ……怪我人に仕事をさせておいて黄昏かよ。良い御身分だこと】
『仕事って、貴方が勝手にやり始めたことじゃ……ふあっ』
文句を言うよりも早く、ミトスがアトワイトを構成する回路の“勘所”を強めに直す。
『い、いま、セ、セクは』
【痛くしないで、なーんて言ったのは何処の誰だっけ? 分かったら少し黙ってろ】
アトワイトの嬌声なんぞ何あるものかと、ミトスは直ぐに作業に意識を戻した。
ミトスとて本気でいらついている訳でもなく、この精密作業の前ではそんな余裕もない。
確かに昼に一度エクスフィアの換装作業は行ったが、あの時はそれまでアトワイトもエクスフィアを使っていなかった。
ソーディアンの同調機能を逆に用いたコレットの外部操作。村全体を覆うほどのディープミスト。
ミトス及び自身のエクスフィアのEXスキル調整。そして極めつけはテトラスペル、そして射撃系術撃の際の高速精密演算。
いずれも、エクスフィアによるソーディアンの性能強化無くして成しえないことであった。
そして、ミトスの望みを支える為にアトワイトがどれだけのものを差し出さなければならなかったのか、その答えが今ミトスの指先に示されている。
【アトワイト】
厭味にか、主の命令を律義に履行していたアトワイトにミトスは小声で剣の名を零した。
アトワイトは相槌代わりにコアクリスタルを輝かせる。
【悪いね。ここで死ぬつもりだったんだろうけど、そういうわけにも行かなくなった】
『いいわよ。今の私の願いは、彼と共にあること。出来ることなら、貴方も見届けたかったけど……ごめんなさい』
【変な気遣いは止めてよ。僕はもうこんなザマだ。今更見届けるモノもない】
憂うアトワイトの未練を断ち切る様に、ミトスは唇が半分無くなって露出した歯ぐきを見せる。
【代わりと言っちゃなんなんだけどさ、一つ、頼まれてくれない?】
何を、と彼女が聞く前にミトスがコアクリスタルに顔を近づける。
エクスフィアとコアクリスタルの間に糸を引く光を繊細に断ち切りながら、ぼそとミトスは言った。

【あいつをしっかり見届けとけ】

何故、と訊きたい衝動にアトワイトは駆られた。その言葉が余りにも意味深過ぎたからだ。
何か言葉の裏にずっしりと大きな槍を据えている様な、そんな印象を受けた。
アトワイトはミトスの表情を覗き込む。深い影の向こう側には、険しい表情が掘られていた。
『分かッたわ』
アトワイトは応じる。裏に据わる槍ごと意志を受け取ったが、しかし詮索はしなかった。
裏に孕まれた明確な意味は理解しかねたが、そこに何かがある事を理解しただけで充分だったからだ。
【何だ。意外と素直だな】
ミトスの口が歪む。皮肉ったらしい口調は、しかしやけに温かかった。
危険そうなラインを全て断ち切ったことを確認したミトスが、エクスフィアを摘み一気に引き抜く。

【……姉さんほどじゃないけどさ、良い奴だよお前】


重油の様に汚く粘性を帯びた血液をぼたぼたと零しながら、ミトスは微笑んでみせた。
それに応えるように、アトワイトも少しだけ笑ってみせる。
マスターの笑顔は酷く醜かった。
身体は笑えないくらいにグロテスクだったし、言葉にはいちいち皮肉が混じるときた。
相変わらずの呆れた子供っぷりだ。
だけど……だけど不思議と、悪い気はしなかった。むしろ全てが心地良い響きに感じられた。

【あ、あとさ】
ミトスは空を見上げながら、思い出した様に呟く。
アトワイトは何かしら、とコアクリスタルを輝かせた。
【もし戻れたら、クルシスを頼む】


は?


気の抜けた表情で空を仰ぐミトスへと、アトワイトは目を白黒させながら質す。
『……貴方、今、何て?』
そんなアトワイトの様子にくすりと笑うと、ミトスはさもそれが当然であるかの様に、言葉をさらりと繰り返した。
【だから“もし戻れたらクルシスを頼む”って。四大天使がもう誰も居ないんだ。
 どのタイミングから僕がいなくなるかにも因るけど、オリジンとの契約もなくなるし、調整者を失った世界は荒れに荒れるだろうね。
 まあ、下界も下界で碌な事にはならないだろうな……なあんだ、考えてみるとヤバいな】
邪魔だった神子<ゼロス>の死により教皇は権威を増大し、やがては国王達を毒殺しハーフエルフ狩りを始めるだろう。
予備素体<セレス>を担ぎあげて、後はテンプレートの傀儡政権の出来上がりか。
ミズホは次期当主を失い、迷走は避けられない。現テセアラの神子はミズホと個人的な関係を持っていたはずだが、
それも断たれれば、容易に状況はひっくり返るだろう。
シルヴァラントに至ってはもっと酷い。何せ世界を調停するクルシスの中枢が軒並み居なくなるのだ。
クラトスが抜けて、レネゲードを纏めていたらしいユアンが死んで、再生の儀式は進まず、衰退の一途をたどるだろう。
ハーフエルフ社会もユアン殺害のレッテルを張り付け、ディザイアンとクルシスの残党との抗争に巻き込まれる事は想像に容易だ。
世界が統合されていたら話は別だが、ロイドが死んだ以上それも怪しいか。

もし、この世界の結果が元の歴史に反映されるならば―――――
コレットの時間軸か、ミトスの時間軸か、マーテルの時間軸か。
どの段階から“改変”になるかは分からないが、少なくともまともな歴史にはならない。
レネゲード残党、残る五聖刃を中核としたクルシス残党・ディザイアン連合、教皇旗下テセアラ軍。
少なくともこの3つは遠からず争いになる。最初はテセアラだけの競り合いになるだろうが、
規模の小さいレネゲードは確実にシルヴァラントを巻き込むだろう。
それを止める為のコレットを中核としたシルヴァラント・ミズホ連合が動くか……
少なくとも四つ巴……戦争は必至だ。とてもではないが避けられはしないだろう。
コレットの仲間もまだ残っているらしいが、一個人でどうにか出来るレベルの流れじゃない。
特需でレザレノあたりは若干潤うだろうが、経済でコントロールは―――――――――――

【……それに、五聖刃にも怪しい動きをしてる奴等が居たみたいだしね。となると正史も危うい。
 特にロディル辺りは僕が居なくなった世界で何をしでかしてるか分かったもんじゃあ】
『嫌』

ぴしゃり、とアトワイトははっきりと断言する。ミトスはむっとした表情をアトワイトへと向けた。

【アトワイト】『イ・ヤ』
【そこをなんとか】『絶対嫌』
【頼むからさ】『幾ら頭を下げられても嫌なものは嫌なの』

予想以上の頑固さに、ミトスの目尻がひくひくと振れた。こいつ、もう一度エクスフィアぶち込んでやろうか。
『そこまで心配しなくてもいいんじゃないの? 貴方の姉さんの居ない世界に、興味は無かったんじゃないの?』


改変ポイントを場合分けしながら未来をシミュレートしたミトスはアトワイトに言われて初めて、自分のらしくなさに気付いた。
全く……この僕が姉さまの居ない世界の心配なんかするなんて、どうかしてる。
ミトスは口を半開きにしたまま、ぼんやりとそう思った。
胸中で少しだけ自嘲する。とんだお人好しもいたもんだ。こりゃあ、どっかの英雄に毒されたか。

『確かにね。でも、姉さまの望みは、世界が無くちゃ始まらない』
差別のない世界―――――本当の意味でマーテル=ユグドラシルが夢見た世界。
自分では無理だった「理想」。今でも叶うとは思っていない。
でも、あんなバカな人間がいるのなら……もう一度だけ、奇跡を願ってみたくなる。
それはきっと涅槃寂静の遥か彼方の確率。でも、ゼロではない。
奇跡を諦めた彼に出来るのは、それをゼロにしないことくらいだ。
いつか奇跡が叶うという夢を、見続ける為に。

『そんな目で睨んでも折れないわよ。大体どウやって? 私はただの剣よ?』
【知らないよそんなの】

ミトスは肩を竦め、アトワイトを馬鹿にする様に語尾に笑いを含めた。
その余りにも自分勝手な様子に、とアトワイトは言葉を失う。
これは驚いた。天使様は即答策無しときたか。
【ああ、じゃあこうしようか……これはマスターからの“命令”だ、ソーディアン・アトワイト】
ミトスはアトワイトに不満を入れられぬよう、間髪を入れずそう続けた。
あっけらかんとしたミトスを見つつ、めいれい、とアトワイトは胸中で繰り返す。
そう言われてはどうにも具合が悪い。
コアクリスタルの中で口を少しだけまごつかせながら、アトワイトは溜息を鼻から零した。

『意地が悪いのね、最期まデ』

……本当に、意地悪よ。
ぽつりと呟かれたそれは、怒りと諦観、そしてほんの少しの優しさの響きに包まれていた。
【ハッ! 言ってろ。大体そんなの今更だろ?】
ミトスはそれに気付いていたのか気付いていなかったのか、笑い飛ばす様に言葉を返す。
アトワイトはそよぐ葦の音色に耳を傾けながら、苦笑を零した。
相変わらずね、と一言。

ミトスは醜く、けれど今まで以上にとびきり柔らかく笑ってみせた。

【お前に、四大の空席を与える。お前の瞳から、僕は世界を見続けよう。だから見届けろ。
 僕が辿り着けなかった道の本当の果てに、何があったのか――――――それを僕に見せてくれ】

そういってミトスは外した自らの要の紋をとりだし、震えた指先でかつてエクスフィアがあった場所に近づけていく。
エクスフィアによる毒を抑える為の要の紋ならば、アトワイトに残留する毒にも効果があるか。
ミントの時にも行った手法だが、もう気休め程度だとしても何もしないよりはいいはずだ。
だが、アトワイトにはその行為がまったく別の意味合いをもっているような気がした。
まるで、叙勲式だった。今までと、そしてこれからの彼女の功績を讃える為に。
そして、己が瞳をその水晶の角膜に託すために。

【……“任せていいな”】

断る事だって、アトワイトには出来た。剰え、本当は解っていた事があった。
たかだかどこの馬の骨か分からない剣一本、増えたところで崩壊寸前の組織を纏める事なんて出来はしない。
ましてや戦争を止める事なんて。
けれど、関係ないのだ。そんな理屈くだらない。
ミトスの願いに対する答えは、最初から一つしか存在しないからだ。
ミトスは恐らくアトワイトが言うであろうその唯一の答えに、
ありがとう、なんて高尚な謝辞は言わないだろうし、アトワイトもそんなもの要らないだろう。
彼女にとっては世辞も抜きで、その笑みだけで充分だ。
だから、アトワイトは胸を張ってこの台詞を言える。


『勿論よ。私、良い女だから』

マスターとソーディアンの関係なんて、総じてそんなものだ。



【17:56'00】



【記念品だ】
ミトスはそう言うと、エクスフィアと自らのスカーフをカイルに投げた。
緩やかな放物線を描きながら胸の間に着地したそれを、カイルは慌てて掴む。
ミトスはそんなカイルの様子を鼻で笑うと、カイルが握るエクスフィアを顎でしゃくった。
【好きに使いなよ。僕にはもう必要ないし】
アトワイトのコアクリスタルに要の紋を癒着させつつ、ミトスは自嘲する。
『それは?』
ディムロスが訊く。アトワイトに要の紋を装備させる理由はない筈だと思ったからだ。
「形見さ」
ミトスは口の端を吊り上げながら応えた。カイルがミトスへと怪訝そうな表情を向ける。
【冗談だよ。あいつの時もこうしたけど、アトワイトの後遺症を抑えられるかもしれない。
 ま、気休め程度だね。けど、それでも無いよりはマシだろう。運が良ければ、言語障害位は抑えられるさ】
ミトスはそう言い終わるや否や、それよりもお前、とアトワイトを翻してカイルを指す。
その意味を理解しかねたカイルは首を傾げた。
【早く箒に跨がってディムロスとマナを練っとけよ。何時でも出発出来る様に、さ】
疎ましそうに目を細めて夕日を見るミトスは、そう言うとカイルへと背を向ける。

【あぁ、そうそう。言い忘れたけど時計をそこら辺に置いといてくれない? 正確な時間を見たいからね】
カイルは頷くと、ポケットから時計を取り出し、地元に放った。
時計には目もくれない。とてもじゃないが、地獄を指しているだろう長針を見る気にはなれなかった。

「ディムロス、あと少しだけ力を貸して」

自分は、墜ちる為に翔ぶのではない。昇るんだ、帰るんだ。何があっても、あの人の元へと。
『当たり前だ、馬鹿者』
例え翔ぶ為の翼が――――――太陽に焼かれる蝋の翼でも。



【17:56'35】



焦げている。緋色の世界を見て、そう感じた。
空が、地平線が、大地が……そして、未来さえもが。
落ちる日は墜ちる愚直な英雄が世界に投影された物に見えた。
遠く霞む落陽の焔は、何かを迫る様にじりじりと肌を刺す。
噎せ返る様な汗と血と煤の臭いが辺りを包んでいた。
常識を逸脱した熱により液状化し大きく歪んだ大地は、どこまでも奇妙に写った。
先の戦闘に焼かれ、からからに乾いた空気が、双眸の粘膜を刺激して仕方がない。
身体が、痛い。
表面だけでなく、中身も限界近くまで擦り切れていた。
精神もズタズタだった。気を失いかける自分に鞭を打って、精神力を残り一滴まで搾り取る。
重い瞼の裏側に、幻覚が見えた。天使と自分の首輪が爆ぜる映像が、意識の淵で繰り返される。
その隣に、約束した人が墜ちるさまが見えた。
暗い未来を握り潰す様に、明るい未来を逃がさぬ様に、オレは拳を強く強く握る。
本当の終わりは時間じゃない。拳を崩したその時がきっと、デッドエンドだ。

「……終わったよ。何時でも行ける」


詠唱を終わらせたカイルが呟いた。声は少しだけ低い。
ディムロスはカイルを少しだけ見ようとしたが、やめておいた。

『ミトス、箒の問題はどうする? 正直1エリア分耐えられるかは――――』
『私がサポートするわ。水に圧力を掛けて蒸発モさせない様にコントロールする。
 これなら熱処理問題は解決するでしょウ?』
アトワイトの言葉に成程、とディムロスは唸った。要するに常にユニゾンアタックをする様なものか。
確かに解決はするが……徒に神経を遣いそうだ。ソーディアン2本の操作など、カイルのキャパシティを凌駕している。
だが、それ以外に手が無いならば行くしかない。

【それにだ】

ミトスがアトワイトをカイルに放りながら、少し声を大きめにそう切り出した。
酷使されるだろう未来に覚悟を燃やしていたディムロスは、その声に現実へと引き戻される。

「ちょ、まッ」

カイルは空を割きながら回転するアトワイトを慌てて全身で追った。
“ソーディアンには鞘がない”。
カイルはアトワイトをキャッチしつつ、そんな当然の事すら無視するミトスを怒気を孕んだ双眸で睨む。
【まぁ聞けよカイル。水の圧力と冷却、熱……条件は揃ってる。
 ソーディアンのポテンシャルなら、即席の水蒸気機関を作る事も充分に可能だ。
 まぁ速度がどの程度上がるかは僕には判らないけど、上手く操ればまだ時間はどうにかなるだろうさ】
すいじょうききかん、と小難しい顔をして小首を傾げるカイルを一瞥すると、ミトスは両手を上げながら肩を竦めた。
【残念だけど、馬鹿に説明してる暇は僕にはないよ? それよりアトワイト、チャージだ。
 カイルとディムロス、お前のマ……いや、晶力を最低限だけ残して限界まで全部僕に寄越せ】

ミトスは輝石の周囲に光るEXジェムを、窮屈そうに弄りながら言う。
ミトスはロイドの様に器用ではない。本来、EXスキルは何かをしながら手軽に変えられるものではないのだ。

【限界まで絞れ。死ぬ気で……いやむしろ殺す気で搾り取れ】
「いや殺すのはやめろよ!」
【黙れ馬鹿。どうせもう死んだ運命だ。だったらもう一度くらい死んでみろ】

ミトスは憤慨するカイルを鼻で笑い一蹴すると、セットされたEXジェムを確かめる様に指でなぞる。
【ここまで来ると哀れを通り越して吐き気がするね。お前、知力を低下させる装備品か何か持ってないか?
 そいつを捨てろ。少しは馬鹿が治るだろうよ】
死相を歪めて冗談めかすミトスに、カイルは喰ってかかった。
だが、振り上げられた拳が最頂点で止まる。
「そんなものある訳……………あ」
【…………………? おい、どうしたんだよ。とっととチャージを】
アトワイトのコアクリスタルが一際鈍く光る。ミトスは雲行きが怪しくなった流れに不安を覚えた。
『?? 晶力の伝導率が落ちて…………ちょっと、カイル。貴方、何持ってるの?』
「……………………………………エート、ソノデスネ……」
【………………………………………………おい真逆、お前】

カイルの懐からポロリと何かが落ちる。
コロンカランチャカポコと転がり落ちたのは、非常に禍々しい気を放っていた。いたのだが――――――

『カイル―――――――――――後で説教だ』

―――――――――ケンダマダッタ――――――――。

notice:
魔玩ビジャスコア――――――魔将ネビリムを封じた魔装具のひとつ。
攻撃力:変動、知力:-30、回避:100、幸運:-50――――――“知力:-30”。





【お前がここまで馬鹿だとは……こんな奴に負けたなんて末代までの恥だな……】
「そ、そこまで言う事ないだろ!」
『馬鹿者! お前がそれを捨ててさえいれば、知力が上がって戦いが楽になっていたかもしれんのだぞ!!?』
「う……スミマセン」
ディムロスの小言を直立不動で聞きながら、アトワイトを介してTPを根っこから
持って行かれているカイルは何処か枯れ木に残った最後の一葉を思わせた。
戦闘中とのギャップに舌打ちしながらミトスは少しだけ目を細めた。
(だが、あの回避力が無ければ1分保たなかっただろうね。しかも、補正無しのラックで僕<英雄の天運>を上回ったと)
馬鹿さ加減と、本当の意味での“悪運”に喉を鳴らしながら、ミトスは要点を切り替えた。

【まぁ、いいさ。取り敢えずそれを寄越せ。無いよりはマシだ】

差し出された手に、カイルはビジャスコアを渡す。
何に使うのかはカイルには到底分からなかったが、寄越せと言われたら差し出すしかない。
ミトスがビジャスコアを握り、カイルの手がけん玉から離れる。

瞬間、ビジャスコアを握ったミトスの腕が―――――否、“ミトスの腕であり続けようとしていた棒”が落ちた。
けん玉の重さにさえ耐えきれないと言わんばかりの、重力に服従した落ち方だった。
【……フン。まぁ、保った方か】
その自然法則に過ぎる光景を前に一歩後ずさるカイルを尻目に、ミトスは器用に足の指でけん玉を拾い上げる。
ポンと宙に上げて、器用に頭の上に着地させる。
そうしてミトスは何事もなかったかのようにカイルに背を向けた。それが意味する事をカイルは知っている。

【これでもうお前等に用はない。そろそろ餓鬼の顔にもうんざりしてたんだ……さっさと行け。時間が無い】

四秒。
ミトスが背を向けてから過ぎた無意味な時間だ。
おい、とディムロスがカイルを急かすがカイルは動じない。
ミトスは背に感じる痛い程の視線に、馬鹿が、と呟く。
『……カイル?』
アトワイトが心配そうな声をカイルに掛けた。
ミトスは恨めしそうに唸り、頭から下ろしたけん玉を蹴り上げ、振り返る。
崩れそうな表情で上唇を噛むカイルの表情が、そこにはあった。
ふざけるな。ミトスは先ずそう思った。単純に覚えたのは呆れよりも怒りだ。

【おいッ、僕は時間が無いって言ってるんだ!】
なんて面だ……考えてる事が丸分かりだ。これだから馬鹿は。

舌を打ち苛立ちを顕にするミトスを、カイルは真直ぐ見つめた。
ディムロスとアトワイトが時間が無いと咎めるが、カイルはそれを無視して口を開く。
「ミトス、お前は」
【待った】
わざとらしく声のトーンを上げ、ミトスはカイルの言葉を遮った。
たじろぐカイルを尻目に、ミトスは早口で続ける。

【お前には待ってくれてる人が、居るんだろ?】
   ....
……お前には。
カイルは何か言いかけた口を悔しそうに噤むと、への字に唇を曲げ、目を細めた。
マーテルの事を聞くのは、少し酷だと思ったからだ。
同時に、野暮な事を訊こうとした事を少しだけ反省する。
もう諦めて壊した―――――違う、覚悟したんだ。現実に覚悟させられたんじゃない。
きっと、自分から壊す選択をしたんだ。歩いて行くと決めた――――例え、そこに屍があろうとも。

「……うん」




天使は四千年もの気が遠くなるような間、御丁寧に研き続けてきた自慢の枷を躊躇い無く壊した。
それは、なんて勇気の要る選択だろう。どれだけ辛かったろう。
悠久にも似た苦しみはあまりにも茫漠としていて、カイルには想像もつかなかった。
考えると頭が爆発しそうになり、目眩を覚えたのでカイルは考えるのを止める事にする。
だが、そんなカイルにも一つだけ分かる事があった。
四千年の呪縛から解き放たれた少年の顔が……まるで生まれ変わったかの様に清々しいという事だ。
カイルはディムロスを確りと握り、ミトスを凝視する。
一瞬見せた清々しいそれから険しいそれへとシフトさせたミトスは、焼けた大地にぽつりと置かれた時計を一瞥していた。
ミトスは中途半端な表情を向けるカイルに気付くと、顎で先を促し、心底鬱陶しそうに溜息を零す。

【行け。そして、二度と振り返るな。
 お前の道は僕の4千年でもまだ足りない。一度でも顧みたら、人間の内には届かないよ】

ミトスはそう呟くと、少しだけ儚げに唇の端を吊り上げた。
カイルはこくりと頷き、箒をくるりと右に回転させる。
木々が、これからカイルが受けるであろう試練に恐れ慄き、ざわざわと奇妙に騒ぎ立てた。
からからに乾いた空気が、箒に巻き付いてばさばさと螺旋を描く。
それは英雄を見送るにはあまりにも不気味な演奏だった。
「なあ、何でここまでしてくれたんだ?」
【さぁね。気まぐれと、暇潰しと…………まあ、そんなとこさ】
焼け焦げた地平線が陽炎に蕩け、天と地は紅い化物に飲み込まれる。
血腥い臭いだけが空気に充満し、カイルは吐き気がするような思いだった。
英雄の旅立ちだと言うのに、景色はどこまでも殺風景で冷たくて……
そして……どうしようもなく死んでいた。
そう、間違えるな。ここは生と死の狭間<デッドオアアライブ>じゃない――――確定した死郷<オールデッド>だ。
カイルはきりりとしたその瞳で、森の最果てのその先、待ち人を見る。
そうだ、とカイルは汚い風の中で思った。
それでも自分は此所に居る。汚れても、醜くても飛んでいる。
助けてくれる人がいる。待っててくれる人がいる。言わなきゃいけない事もある。
……後ろなんて、振り返るもんかよ。

【取り返してこい。お前になら――――――――――いや、なんでもない】
「……ありがとう、ミトス」

刹那、カイルは風になった。
その背中に熱い何かを感じながら、カイルは吹き荒ぶ。
まるで未来に吸い寄せられる様に、後ろから押される様に、真直ぐにカイルは翔んだ。
どこにだって、きっかけはある。救われるものがある。誰にだって、譲れない想いがある。
現実がどうだろうが世界がどうだろうが、関係ない。
墜ちる口実のずっと奥には、必ず翔ぶ理由が燻っているものだ。


【死ぬなよ、馬鹿】

ミトスは嬉しそうにそう呟いた。
夕日を居抜く一投の矢の如く翔び去ったカイルの背を見送り、傍らで虚ろに光る懐中時計を一瞥する。
未来。死のデッドラインが現在に届くまでまで――――――――あと、170秒と少し。






















――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――準備、終わった?

 時間はたっぷり上げたよ。私からの出血大サーヴィス。いや実際は出てないけど。

 陣形は万全? 駒のコンディションは想定内? 保険は重ね掛け? 懐のナイフはちゃんと聖別法銀? 戦略戦術抜かり無し?

 ああ、そう。準備イズカンプリィション? それはそれはとてもとっても重畳々々。

 よかった――――――――――――――――これで“必死こいて積み上げたモノが全部ブッ壊れても文句ないよね?”



 嗚呼ァァァあああアあァAaaAAAあああああああッッッ駄目だ駄目駄目、全ッ然駄目だね!
 何をするかと思えば下らない塵手! その程度の悪足掻きで一体何が攻略出来るって? ええ!?
 24時間、1440分に88400秒ッ。人類に、生命に、否無機物でさえもッ、万象等しく縛られなければならぬ絶対の法ッ!!
 その壁に蜉蝣が一匹立ち向かったところで寿命が幾ら変わると?
 ハッ! 笑止! 羽虫が一匹騒ぎ立てたところで、時間という絶対の魔法<タイム・リミット>は壊せないッ!


 だが! そう、だ・が・し・か・し、だ……このベルセリオスの揚げ足を取り、尚且つ抗うその覚悟、自信や良し。
 乞食じみた手にズル賢い事この上無い攻め、ああ結構じゃあないか。
 あすこでオッ死ねば多少は見てくれ良く終われたのになぁ。
 そりゃ最早成りも振りも構ってられないよなァ。無様に這い蹲っても生かしたいよなぁ?
 くくくッ、いやそう考えると面白い! 意地でも“私”に勝とうとする気持ちが透けて見える様で実に良い!
 結構結構。そうではないと心の折り応えがないというものッ!
 希望の暗示、最期の反抗、限界を超えた努力の結晶ッ!
 導き出される手は那由他不可思議無量大数の内、たった一つ!!
 ああ成程それはまさに、陳腐な言葉ではあるが一般的に言う“奇跡”と呼ぶに相応しいだろうよッ!
 お前ら“希望側”がいつも最後に縋るのはそれだ。私も、だァい好きだよォ?
 だって……その手が決まる寸前、王に喉元に刃を当てた瞬間、絶頂に達する刹那、希望の爆発的快感。

 “それを唾を吐き掛け粉々に捻り潰すのは、磨き上げ終わった玉を本人の目の前で笑いながら踏み砕くのは、さぞかし愉快な事だろうからなァ?!”

 さぁ、これで終わりか? 違うだろ? まだまだ隠し持ってんだろ? こんな安手だけじゃないだろ?
 次はどんな手で来る時の紡ぎ手? 常に全力で来いよ、さもないとその瞬間に終わらせるよ?
 貴様が積み上げた努力・叡智・戦略。どんな手でも一つ一つ丁寧に微に潰してやろう。最後まで、何一つ残さずね。
 オセロといっしょさ。お前らが白く白く積み上げれば積み上げるほど、それが地面に墜ちた時に裂く柘榴は真っ黒に熟れる。
 その傲慢ちきな表情が屈辱と絶望の色に染まると思うと、実に痛快だッ!
 結構! その鬼をも畏れぬ指し手、実に結構ッ! これだからバトルロワイアルはッ!
 乗り掛かった愚船だ、朽ち果てるその時まで付き合おうッ!

 ……ジャッジ、判定者サイグローグ。“通し”だ。“私は―――――絶望側はこの手を認めるッ!!!”

 ククククッ! 了解しました。これより、第七最終戦――――B3撤退戦を開始します…………ッ!!

 一流のプレイヤーはチェックメイトを悟った時点でリザインする。
 徒に盤を掻き回すことは恥であり、未来を読み切れぬ自らの無能を示めすことに他ならないからだ。

 さぁ始めるよド三流? 自らの無能、その醜悪―――――――臓腑の底から絞り出せ!!


――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Turn Shift



【17:57:15】



枯れ禿げた荒野に徐々に緑が目立ってくるのは、徐々に戦域を離れつつある証だ。
死より生へと近づく道。なのに、咎人を祓う煉獄を思わせる大空にカイルは強い眩暈を覚えた。
世界を刻々と染め上げる茜色自体に、まるで重さがあるかの様だった。
時間という名の、どうしようもない壁が、上からじわりじわりと切迫する。
勝利にそぐわぬ暗過ぎる現実に息が詰まる様な思いだった。
……だが、それでも。
『過熱か…………アトワイト、もっと冷却速度を上げろ!!』
『やってるワよ!! だけど、下手に出力を上げたら凍る。その意味が分からないワけじゃないでしょ?!』
『チィィッ……』
焦れるのはカイルの後腰に交差して固定されたディムロスとアトワイト。だが、それも無理からぬことだった。
アトワイトがラジエータとしての機能を担ったことによって、再び飛行可能になった。
もう飛べないとさえ思っていたことを考えれば、感謝こそすれ怒りなどあるはずもない。
“だが、足りないのだ”。実際、今現在の速度は戦闘時の6割弱。とてもではないが、音速は超えられない。
ディムロス達にそのエネルギーが無いわけではない。それを受け止められるだけのキャパシティが箒に残っていないのだ。
ミスティブルームは魔法の“箒”―――植物だ。火力が強すぎれば、燃える。
それを抑える為の冷気とて過ぎれば凍る。そして凍った植物は脆い。なにより、火力そのものを減じてしまっては元も子もない。
つまり、どちらの力が強すぎても箒にダメージが入ってしまう。
それを避ける為には、絶妙なバランスの熱機関サイクルが必要だ。しかし、
(……分かってたけど、処理速度が落ちてる。限界を越えた経験が裏目に出るとはね……)
エクスフィアを失い能力を落とした(正確には元の水準まで戻った)ハードと、限界を越えたハードを動かしてきたソフト。
その二つの齟齬がアトワイトの総合能力を若干――――だが、確実に落としていた。
なにより、あまりにも対極過ぎるマスターに率いられてきたアトワイトは、その性能を完全にカイルと同期できていない。
そして、それを理解しているからこそ彼女は自らにリミッタ―を掛けることで辛うじてアジャストしているのだ。
全ては必然とした理路の整然――――故に、全力が出せない。


<――――詩に曰く、将を射んと欲すれば先ず馬を射るべし。序盤<ギャンビット>は素直に。さあ、どう出る?>


秒単位で減速していくのを錯覚するディムロス。エンジンを廻しているからこそ分かる致命的損失が、彼の眼に映る距離を無限に延ばしていた。
『くぅ……もう、無理、なのか』
『ミトスが何とかしようにも……これではもう…間に合わないかもしれないわね』
ソーディアンの口から僅かに、しかし濃密過ぎる感情が洩れる。
覚悟はした。立ち向かう覚悟も、受け入れる覚悟も。だが、今回の相手――確定した運命――はあまりにも悪過ぎる。
「諦めない……まだッ、こんな所で!!!」
『『!?』』
それさえも吹き飛ばさんほどの意思が、ディムロス達を伝う。
幾度となく運命を乗り越えてきたカイルにとって、それは意思を挫くものには成り得ない。
向かうべき場所、求めるモノが見つかったのなら、後は唯突貫するのみなのだから。
カイルの皮膚を赤銅の覇気がうっすらと纏う。
そしてそれがディムロスとアトワイトにも伝わり、輝きをを介して繋がり合う。
そう、それは魂魄の輝き。限界を超えるという意思の具現。天使を、英雄を乗り越えたスピリットブラスターが、今運命を―――――――




<宣言―――――――――敵手強制破棄≪インバリット・アタック≫>


――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――

 下座の仕掛けた一手が、黒き一閃にて斬り裂かれる。
 無惨に散る展開の裂け目から、ベルセリオスが凶悪な笑みを浮かべた。
 「何度も何度も黙って通すと思った? 莫迦が。
  お前も分かってたろ? どっちでもいいって、どっちが勝っても問題ないって。
  だからさぁ“こいつがソーディアン2本持って脱出に足掻くパターンは想定済み”なんだよおおおおお!!!!」
 ベルセリオスの背後から黒き渦が現れる。処刑<エクセキューション>。それは、あらゆる希望を赦さぬ、闇の絶望。
 「一番最初に炎剣がSBを使用したのが2日目深夜。そして今3日目夕方2度目のSB使用。
  つまり“SBの再使用には少なく見積もって12時間以上の溜めが必要だと言える”」
 ベルセリオスは至極真っ当な理屈を振りかざして、水を差した。
 闇の圧力が、論理という名の重圧が一切合財を押しつぶす。夢も、希望も、事実の前にはチリに同じ。
 「絶望手、受理しました。
  下座は本手を撤回するか、絶望手を上回るロジックを、溜めを要さずに発動てきた理由を提示してください」
 ジャッジの裁断が、更に希望を締め上げる。ジャッジは公平にして絶対。そこには一切の憐憫も同情もない。
 だが、サイグローグは内心でほうと嘆息をついた。
 ルールには秘奥義は回数縛りがあるが、SBやOVLにはそれがない。
 加えて言えばクライマックスモードと違い使用間隔制限も提示されていない。
 その気になればSBを根性で発動した、という理屈で強引に突破することも不可能では無い。だが――――
 ビタ、と女神の手が止まる。強引に歩を進めようとしたその運指が、凍りついたように止まった。

 「気付いたね? 偉い偉い。後一歩前に進んでたら、終わってたよ?」

 ベルセリオスが女神の筋肉の硬直を恍惚に見つめる。知能の無い獣ではこうはいかない。
 今この瞬間だけに囚われるモノには、プレイヤーたる資格すらないのだから。
 「後一歩で、睾丸潰されても牛がグチョグチャの挽肉未満になっても本気を出せない糞野郎に墜ちるところだったのになあ?」
 そう。それでは海神戦でSBを使わなかった理由が説明できない。
 あれだけの辱めを受け、それでも立ち上がってなお本気が出さなかったということになってしまう。
 いや、それどころか、これまで炎剣が立ち向かってきた全ての危機にたいして手抜きしていたという主張さえ罷り通すことになる。
 そしてそれは、英雄と成ろうとする駒に永遠に消えぬ傷を付けることになるだろう。
 見事、とサイグローグは素直に感心した。退けば地獄、進めど煉獄。
 僅かばかりの逃げ道さえ潰すベルセリオスの指手は合理かつ盤石、精密にして悪辣。
 それこそが上座の、ベルセリオスの骨頂だ。その仕手によって、何匹の獣が葬られたことか。
 硬直は一瞬。だが、それこそが儚き道を刹那に砕く。
 宇宙を統べるロジックの細網が、傷んだ蝶を絡め捕る―――――――

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Shift Break



――――――覆すほど甘くは無かった。
「ガッ……」
『カイル!?』『……内臓機能と代謝機能低下……余剰のグリコーゲン、殆ど無い……何これ、酷使し過ぎでしょ!?』
口元から血にもなれない薄い唾がカイルから漏れ出、スピリットブラスターの気流が淡く霧散する。
驚愕するディムロスを脇目に療兵の本領で分析を行ったアトワイトは呆れたように呟いた。
時間が無いため簡易のメディカルチェックではあったが、カイルの疲労がどん底を三層ほど打ち抜いた状況であることだけはハッキリしていた。
昨夜のE2城から数えてもロイド、クレス、シャーリィ、そしてアトワイトとミトス。僅か24時間足らずの間にこれほどの激戦があった。
そう幾らカイルの心が、魂が強かろうとその器は15歳、未だ成長途上の肉体なのだ。
精神が肉体を凌駕すると言えば聞こえはいいが、その精神は肉体の健全より育まれるのも事実である。
『労働基準法を無視しているって次元じゃないわよこれ……ディムロス、貴方……』
『言いたいことは山ほどあるが、とりあえず、基準を天使に置くのだけは金輪際止めておけ!』
ディムロスの反論は至極もっともだった。加えて言うなら、そのボロ雑巾の身体の僅かなエネルギーもミトスがチャージで奪ってしまっている。
二刀は言い合いにはならなかった。そんなことは死んでからでも遅くは無い。
しかし、カイルさえも口を動かせない本当の沈黙は、二刀の中で燻っていた意識を思い起こさせるのに十分だった。
分かっていたこととはいえ、現実の壁は厚過ぎた。
元々無理で当然、死んで必然の挑戦だ。合理を是とする軍人としての思考が、燃料を全て使い切って尚燃えようとする主の痛々しさに鎌首もたげる。


――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――

 「そら、鈍ったよ。鴨撃ちだ」
  動きの止まった英雄に、ベルセリオスが畳みかけるように絶望を霰と降らせる。覚悟なんて移ろう蜃気楼に過ぎない。
  こうして流れを淀ませれば自ずと揺らぎ、勝手に崩れていく。一体幾つの駒が、その色を保てたと思っている。
 「正直さ、よく頑張ったと思うよ?―――――――だけど、もう無理だ」
  畳みかけるベルセリオスが、目元をひん曲げて謳う。
 「軍人の駒動かしてるんだからさぁ、冷静な判断ってのをしなよ。
  マスターは青息吐息。エネルギーは乏しく、私がSBの線を潰した今、加速する手段が無い。
  そもそも加速出来たところで、時間が足りないって話はとっくの昔だ」
  聞き分けのない子供をあやす様に、ベルセリオスが優しく語る。
 「ほら、簡単だろう? 理由もハッキリしている。むしろ諦めない理由が無いくらいだ。
  だからさ、そんな“えせソーディアンマスター”なんて護る意味が無いって」
  わざわざ敵にチェックメイトの流れを説明されなければ分からないとは、今までの評価も雲散霧消だ。
 「それとも何? 無茶でも頑張るのが美徳とか思ってるクチ? 
  何人間気取ってんの? 無理だって。そういや、この炎剣だって言われたんだよ。元相棒にさ。なんて言われたと思う?」
  目線、手筋、話術。そのどれもが“絶望”に集約する。少しでも、ほんの少しでも壊れてほしいと、折れてほしいと願うように。
 「ウルセェオマエミタイニニンゲンヤメタヤツニナニガワカル―――――――――グフヒャヒャッハァ!!。
  いや正しいね、流石英雄(笑)。どーせ人間じゃない無機物とか神なんざに、人間の不合理は理解できないんだからさぁ。大人しく“理”に縋っておけよ」
 まるで人間以外を下等と詰る様に、ベルセリオスは盤を、下座を見下す。
 「もうさ、いいじゃない。最善は尽くしたんだからさ。ここで死んでも誰も文句は言わないって。
  アレだろう? あんまり駒が成長目ざましいから、ちょっとグラァってキタんでしょ? 
  ひょっとしたら何とかなるんじゃないかって、思っちゃったんでしょ」
 力の限りを尽くして、それでもまだ足掻くなんて無様過ぎて泣けてくる。
 「無理だから。相手が魔王とかなら分かるけどさ。“現実”相手じゃそれも限界ってね」
  無理。この二文字ほど今の状況を集約する言葉なあろうか。理が、策が無ければ、根性だけでは徹らぬものがある。
 「だから、ね? 最後のチャンスだ―――――――――大人しく負けとけ」
  ごり、と逃げる駒に絶望を叩き込む。ベルセリオスの言う通り、状況は初手から既に女神の負け。一手潰れれば、覆す奇跡さえも願えない。

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――



やはり、無理なものは無理なのか。ディムロスの中で封じられていたモノが目覚めかける。
戻ったところで、その後のカイルはしばらくはまともに戦えない。ミクトランに対抗する為の手段もハッキリ言って未計画。
所詮は、この足掻きさえ遥か天上より見下ろすミクトランの余興にしかならないのではないか。
自分でも信じられぬ程の弱気……いや、理由は薄々分かっている。
自分には、共に死んでくれる“つがい”が直ぐ傍にいる。その僅かな満足が、死を微かに甘くしている。
(なんと、脆いことか……カイル、俺は――――――)

ディムロスの煩悶が電気信号と化す直前、物理的な振動が刀身を伝った。
カイルの手の震え、服を通じて伝わる汗の冷え。

「まだだ……まだ、諦め……ッ!!」

それは、雁字搦めにされた獣の咆哮だった。意思だけは折れぬのに、身体が、世界が言うことを聞かぬ。
言の葉と裏腹にぼたりとカイルの口から零れる一滴の雫。
それは汗よりも苦く、血よりもくどく、脳髄よりも塩辛い。
希望に満ち溢れた少年の、末期の一滴はどんな美酒よりも糞不味い。だから良いのだ。

(……だと、言うのか……ッ 無理なものは、何処まで行けど無理だというのか……ッ!?)



<希望側、受け手無――――――「宣言。自手修復≪リカバリング≫」>――――・――――・――――Turn Shift



―――――――――――――――ふざけんなよ! ここまで連れて来ておいて、そんな無責任なことを言うなよ!!

(ッ!?)
カイルが吐き出した特濃の呪いにディムロスは心の底から憤慨する。
ここまでの現実を直視してなお、立ち上がろうとするカイルに自らを恥じる。
(俺としたことが、何を迷っている。こんな時、スタンなら折れたか……否!)
神の眼、空中都市、ベルクラント、そしてミクトラン。千億の絶望を前に屈しなかった我が相棒。
奴ならば、この程度の壁程度で躊躇しなかったと確信する。
だったら、カイルは? ありとあらゆる英雄の形を超えていかなければならないカイルが、
“スタン=エルロン如きが超えられる壁”程度に躊躇していいと思うのか――――――――

『っつ、ざけるなァァァァ!!!!!』
『「!?」』

――――――――――俺、頭良くないせいかさ、聞き分けも悪いんだ。だからどれだけ無理だって言われても、納得できない。
『なんだカイル、その弱弱しい音は!? まさかこの程度の障害で折れようとしているのではあるまいな!?』
ディムロスがカイルを叱り付ける。いや、自らが弱さを吐くことでその醜悪を具現する。
『お前は莫迦だろう!? 何を聞き分けの良いことをッ!? その程度の無理に今更何を納得している!!」
ディムロスが叫ぶ。カイルの弱さを、そしてなにより自分の弱さを壊すように。かつて奴がそうしてくれただろうと。
「……ディムロス」
『天命にお前自身を譲るな!』
それは無知であり、短慮からくる無能だったかもしれない。百人見れば百人笑い、千人聞けば千人が嘲る愚劣さだろう。
だが、だからこそなのだ。だからこそ奴は絶望と向き合えた。その中でも消えないものを見出せたのだ。
『なんだその震えは! 笑わせる! ならば何故お前の心臓は今ここに動いている?
 足は、拳は、脳は、何故そんなにも必死になっている!? その双眸は、何故前を見るッ!』
思い出せ。天地戦争の頃も、その千年後も、きっとその18年後でさえ、何時だって絶望はあった。それこそが今更だ。
その時に自分が何を言われてきたか。カイルに、そして、スタンに。


――――――――――ディムロス、お前の本当の気持ちを聞かせてくれ。軍人としての判断じゃなく、お前自身がどう思っているのかを。
『何故ミトスを超えた。何故命を賭け、傷を負っても生き延びた。傷みは、疵は、お前の体に刻まれた歴史は決して嘘を吐かんッ!!
 お前の歴史は、まだ生きたがっていたではないか!“もう”ではない!“まだ”……“まだ”だ!!』
人間だから時に膝を折ることもあるだろう。だが、膝が折れるのはそれまで立って頑張ったからだ。
真なる絶望は本当に本当に頑張った者にしか得られない。そして、本当に本当に頑張った者は、真なる希望を得る資格がある。

――――――――――“お前は剣の形をしているけど、人間だろ”? そんなお前はこの状況をどうしたいんだ?
魂の底から吐き出た絶望。だが、その更に奥にある希望―――――――それこそが、人間を人間たらしめる。
傷を、歴史を辿り、そして思い出せ。絶望を乗り越える、現実を超えた始まりの願いを。
『帰ると約束したのだろう! ならば!!』
「―――――――――――――ああ、勿論!」
陰っていたカイルの顔が上がる。
「そう、全部呼吸するよりも簡単な事だったんだよね。俺は運命なんかに俺を譲らない。あの人と……約束したんだからさ!」
“運命に抗う”。もとよりそれはカイルの専売特許。思い出せば、後は水を吸うがごとく。
戻るって、言ったんだから。だったら……
「……守らなきゃ。帰らなきゃ、生きなきゃ! ああそうさこんな所で死んで堪るかよ!
 こんな、こんな……こんなちっぽけな現実に俺の世界が止められて堪るもんか!」
『ならば前を見ろ。行け、超えろ! 翔べカイルッ! ブチ壊せ、英雄カイル=デュナミス!!!!
 五臓六腑に全神経、四肢から手足の先まで死ぬ気で動かせッ!!!!!
 この程度の絶望に屈するようでは、ミトスはおろかスタンさえも超えられないぞ!!!!』
「ああ、俺の歴史を勝手に終わらせなんかしないッ! まだ、諦めるもんかあァァァァァァッ!!!!!」
千年前に棄てて、今取り戻した我が人間の性。みすみす奪われてなるものか。


真なる絶望? 笑止、あのバカの血を引くこの真のバカを諦めさせたければその3万倍は持ってこい!!


『アトワイト! 晶力の出力データと箒の熱サイクルデータをこちらに回せ!!」』
ディムロスがアトワイトに声をかける。その声は今までと同じ冷静さを持ちながらどこかが僅かに違う熱を帯びていた。
『いいけど、次はどんな無茶をするツもり?』
『無茶が前提か……いや、強ち間違っていないなッ』

――――――――――――――だったら、一緒に考えよう。やれることは全部やってやろう。
              お前と本当の意味で協力し合い、この世界を守る方法を見つけたいんだ。
やれることは、全てやる。絶望するのはその後でいい。
そして今やれることは、カイルを護る為に本当の意味で“協力”することだけだ。

『カイルとのリンクを切れ。コレットやミトスはともかくカイルと今直ぐ同調はできまい。全力で排熱に注力しろッ』
『そんなことしたら今度こそ箒が壊れるわよ!?』
驚くアトワイトに、ディムロスはさも当然のことのように吠えた。
『問題無い。我が、全てをマニュアルで調整するッ!!』
カイルに2本を器用に操れという方が土台無理なのだ。ならば、自身が中継点となることでその負荷を軽減させる。
『……言い争う時間も惜しいわね。カイルのバイタルも渡すわよ。任せていいわね?』
『すまんな。その代わりエスコートは任せろ』
諦めたように、アトワイトは自身が管理していたデータをディムロスに流す。
こうなった時のディムロスが梃子でも動かないことを彼女は知っていた。
『了解。カウント5からMAXにするわよ。恥をかかせたら許さないから』
そして、こういう時のディムロスが期待を裏切らないことも。
「ディムロス……」
『まったく、見所があるかと思えば抜けも多い。まだまだ未熟だな。戻ったら覚悟しろ、骨の髄まで鍛え抜いてやる』
申し訳なさそうなカイルに、ディムロスが呆れたように呟いた。志高くとも器は幼い。
『だから―――――――ここは預けろ。お前が見出した路、今は俺達が切り拓こう』
「うん……お願い!!」
なんとも。例えリーダーの役を辞めても、まだまだ自分の役割は多そうだ。


『5』
『聞こえているだろう、見えているだろうよ、ミクトラン。
 死が定まってなお無様に生き足掻こうとする我らを見下ろして、さぞ気分が良かろうな!!』
黄昏の天空にディムロスは吼える。かつてパートナーだった英雄のように、少し前世界に吠えた黒翼のように胸を張り、高らかに。
『4』
「だがそれもだけ今だけだ。俺達は決してあきらめない!!」
気力を振り絞り、カイルが言葉を紡ぐ。口に出せば意味と成る。そしてそれは、カイルの心に力を与える。
『3』
『どれだけ難しくとも、どれだけ苦労しようとも、必ず“そこ”まで辿り着く!!』
それは決意でさえなかった。高められた意思が紡ぐは絶対の未来であり、ならば既に勝利は約束されている。
『2』
「地面に根を張る植物のように、しっかりと生きている俺達人間の強さ!」
天空を、異界の狭間を超えた先の王に、いや、その向こうの絶望そのものよ。目に、耳に、心に刻み尽くせ。
『1』
「『必ず思い知らせてやる、覚えておけ!!』」
幾千幾万の絶望にさえ屈さぬ一なる希望―――――それこそが、英雄の力なのだと。

『行くわよ……出力全開!! セット、ブリザード!!』
『イクティノス、技を借りるぞッ! セット、エクスプロ―ド!!』
ディムロスとアトワイトのコアクリスタルが輝き、赤と青の力が箒の中に注がれていく。
絶対零度と無限熱量が相殺、増幅されていく炉心は最早極小の恒星に等しい。
その中心に座して熱量を制御するディムロスの負荷は想像を絶する。
だが、ディムロスはそれを成していた。アトワイトと、そしてカイルの意思を受けて自らの力を相乗する。
安ッぽい男の意地と、一番最初にこの血の通わぬ剣を相棒と言ってくれたスタンへの借りを以て、臨界点ギリギリで安定させる。
『『コアクリスタル二重起動<ツインリンクユニゾン>――――――ゴッドブレス!!!!!』』
反発する二つの属性が混じり合い、気流と蒸気が螺旋に渦巻く。
「物語は!」
『ここから!!』
『始まるッ!!!』
限界。現実。運命。バトルロワイヤル。
この刹那に、そんな陳腐なものにどれだけの意味があるって?
そんなもの、紙よりも薄くて空気よりも軽くて、豆腐よりもずっと脆い。
「運命を!!!」

―――教えてやるよ。息をするのよりももっと簡単な、奇跡の起こし方!!

『『「ブッッチ抜けええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇェェェェェェェェッッッッ!!!!!!」』』
火と水より生れし神の息吹が箒を、カイルを南へと押していく。
風をベースとしたその推力は今までの火力よりも安定し、耐熱的にも箒への負荷は小さかった。
アトワイトとディムロスを重ねたからこその、理想的推進力が少年を未来へと進ませる。だが、
『…………汲めて8割…………これでも足りんと言うのかッ!!』
箒の耐久力。カイルの負荷。それら全てを帳消しに出来るほど都合よくはない。
最高速度の8割。それがディムロスに引き出せた、限界の限界だった。
全力を出しても間に合わない時間だというのに、これでは、とても。
『諦めないで。ここまで出来たなら、きっと行ける』
アトワイトが、ディムロスを激励する。根拠のない気休めよりも密度の高い音だった。
『貴方がカイルを信じているように、私も信じてる。
 カイルが全力で走れば間に合うと言った時、言ってたわ。“僕じゃあるまいし”間に合わないと。
 私のマスターなら、不可能を可能にできるかもしれない。カイルに超えられないものを、超えられるかもしれない』
『時空剣士―――――まさか、狙いは――――――』
ディムロスが固唾を呑む中、アトワイトは天を仰く。
こちらで出来ることは全てやった。あとは天命を待つしかない、天の御遣いが運命を捻じ曲げるその瞬間を。



――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Turn

 「修正手を受理……通しです」
 サイグローグの宣言と共に、先ほどまでの熾烈な駒音が止む。
 静止した盤上には首の皮一枚でギリギリ、しかし確かに上座の攻めを受け切った炎剣があった。
 南方へ前進する炎剣を疎ましそうに見つめていたベルセリオスが、舌打ちと共に下座に向き直る。
 「チッ……やってくれたね。この手筋、あの剣を非人間扱いした私への当てつけかい?」
 ねめつけるような視線を受け流す様に下座は無言を貫き、やがてベルセリオスは諦めたようにどっぷりと椅子に沈こんだ。
 「フン……まあ、いいよ。ここまでは所詮前戯だしね」
 サイグローグは顎を擦りながら、盤を精査する。
 「どうする? こっからなんだよ。貴方が本気で私の包囲網を破るなら、こっちをなんとかしないといけない」
 ベルセリオスの組んだ炎剣脱出不可能のロジックは大別して二つ。「速度」と「時間」だ。
 速度を出せないから、間に合わない。そして“速度を出せても時間が無いから”間に合わない。
 「さあ、見せてみろよ。時間を、世界遍く通ずる絶対の法を破る、神の奇跡を!!」
 「言われずとも」
 女神が駒を掴む。それは先ほど引きこんだ、傷んだ天使の駒だった。

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Shift



【17:58'30】



彼女の願いが空を渡る頃―――――――――――――彼女の主はけん玉遊びに興じていた。
飛行機、つばめ返し、円月殺法、世界一周etc。
唯一残った足指をまるで手のように扱って回し、時には蹴り上げて中空に弄ぶ。
宙高く昇った珠は酷く窪んだ眼窩から覗くと、まるで三つ目の月のように見えた。
遊ぶなんて、それこそいつ振りだろうか。顔を動かす体力も惜しいミトスは心で苦笑した。
(多少行く先が違っていたら―――――――僕も、こんな風に遊べたのかな)
ミトスは目を細めて、ほんの少し前の過去を思い出す。リアラが語った自身のIF。
そこには、ミトスにも友達がいたらしい。けん玉を遣うハーフエルフの子供が。名前を、確か――――
(悪いね“ジーニアス”。何処で死んだか知らないけど、僕にはとんと意識が無い。
 怨むなら僕の初期配置だけ弄った指し手を怨んでくれ。お前とは、遊んでやれそうもない)
けん玉を弄ぶのは名前しか知らぬ同族への惜別か。
その真意は兎にも角にも、中空に浮かぶ4つの球体の内、赤き太陽は消え失せようとしていた。

(そろそろか。バカ共の首尾は分からないのがもどかしいけど…………仕方ないね)
【スキル起動。キープスペル、スペルチャージ、リズム、スピードスペル】

ミトスが自らの輝石に意識を通す。輝石を安定させる要の紋を敢えて捨てることで、逆にリミッタ―を壊す。
要の紋もアトワイトも無き今、これが正真正銘最後の技錬。
正直に言えば使用したいスキルはもっとあるが、無いものを強請るほど子供ではない。

【- ・・-- -- -・-・ ・-・ ・--・・・・--・(日月星。昼夜の狭間、黄昏の一番星に並びし天の三精よ)】

ミトスが詠唱を始めると共に、足指と剣玉の動きが速度を増していく。
口の殆どを失ったミトスのそれは字義的な意味で詠唱ではなかったかもしれない。
だが魔術の本質は世界、そしてマナへの語りかけだ。必要なのは集中と意思。
それさえあれば、例え舌を切られても何かを護ることができる。

【-・・- ----・- ・・-・・- -・・ ・・- -・(休生傷社景死驚開。道に惑う旅人を導く地の八門よ)】

剣玉の珠と糸と剣先の軌跡が、立体の陣を刻んでいく。
それはミトスが刻んだ中で今までで一番複雑で、一番美しい紋様だった。
何が自分をここまで駆り立てているのか、その意味を問うように彼は世界に呼び掛ける。

【-・ ・-----・- ・・-・・  --・ ・・・--・(掛けて二十四、人の運命を廻す歯車の速度よ)】


ミトスには分かっていた。もう、カイル達は間に合わない。どれだけの速度で走ったところで夜は来る。
ギンヌンガ・ガップ―――死都ニブルヘイムへと通ずる魔界の門は奴の運命を呑みこもうとその顎を開き始めている。
だが、自分ならば。その開門を僅かに遅らせることができる。

【-・・--- --・-・・-・ ・--・・・・--・(天地人。その源流、命数を掌握せし王よ。
 契約者―――時空剣士・ミトス=ユグドラシルが、失効たる契約に敢えて今此処に願い奉る)】

カイルのエネルギーを奪っても、その回復は微々たるもの。
肉体はどころか、霊的器官が潰れかけている今、初級魔術でさえも放てるかどうか。
優良種たる血を失いてマナはろくに視えず、剣士を壊し剣も握れず、五衰近付く今天使でさえない。
アトワイト無き今晶術は使えず、ハーフエルフとしての属性魔術も使えず、天使でなく天使術は使えず。
“だからどうした”。
我が名はユグドラシル。これでも一度は世界を救った、世界の支配者。
魔剣が無かろうが、たかが人一人の運命――――――――――――捻じ曲げられなくて、何が時空剣士か!!

故に、それはミトスが使える最後の魔術。
ミトスの周囲に12等分に刻まれた真円の魔法陣が4枚発生する。



【17:59:――――その慈悲を以て、彼の運命を“稼げ”―――――――――――テトラスペル・タイムストップ×4!! ――θθ】



秒針が12を刻んだ刹那、世界はその心臓を止めた。


――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Turn

 「こ、この手は……ッ!!」
 さしものサイグローグも盤上の光景を見て絶句する。白と黒しかないモノクロームの中で更なる灰色に切り取られた世界。
 タイムストップによる時間停止。しかも、それを4枚重ねで発動を狙うとは。天使を最後の最後まで生かしたのは、この為か。
 サイグローグはこの様な手を下座が用いるとは思わなかった。予想だにしていなかったというのもあるが“そもそも不可能だからだ”。
 今までの手筋から考えて、この戦法には絶対に無理な理由が存在している。
 (どうするか、ここは私が指摘するよりないか――――)
 だが、そんなサイグローグの思惑さえも切り裂くように、下座の美しき指先が更に動く。
 見惚れるような道化の視線には、ベルセリオスの歪む唇は映っていなかった――――――――

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Shift



【--:--:--】




「ディムロス、これッ……」
剣山の如く突き立つ草木。固着する大気。停滞する光の速度。
音よりも光よりも早く変貌した世界に、カイル達は驚愕をせざるを得なかった。
世界から命を奪いきったような灰色の世界は、水迷宮の悪魔が<時>を奪う現象そのものだ。
『ストップフロウ……否、タイムストップか!? だが、何故我らが入門している!?』
クライマックスモード、そしてタイムストップ。
マーダーに、そしてミクトランに抗う者達が何よりも警戒していた現象が、今眼の前に展開している。
だが、この世界に於いてこの状況はあり得ない。
ミクトランがマナを操作したのか、この世界には微小かつ悪質な制限――――“術対象敵味方識別無効”がある。
敵味方の区別が無いこの世界のタイムストップにおいて、その中で動けるのは術者だけのはずだ。
だが、カイル達は認識している。自分達が時の止まった世界を動いていることを。
何故か。人の身体だった頃なら頭を抱えていただろうディムロスは頭を捻りながら周囲を見渡す。
やはり、自分達以外に動くものは無い。まるで、自分達が世界から守られているかのよう――――――
『アトワイト、お前、その光は』
そこでディムロスは気付いた。自分達を守る“何か”。その中心がアトワイト……否、そこに装備された鉱石であることに。
『これ……ミトス、貴方……』
要の紋。ミトス=ユグドラシルが天使に墜ちた時より彼と共にあった、輝石と対を成す最古の宝石。
その宝石に直に触れて、アトワイトは改めて理解する。
自分が託されたモノの重み。そして、それを託してくれたという信頼。
(安請合いするんじゃなかったかしら。こんなに重いものだなんて、思わなかった)
だが、その胸中とは裏腹にアトワイトの意思は漲っていた。
(任せなさい。貴方の願い、未来の果てまで届けてあげる)
要の紋の光と連動するようにアトワイトの刃が煌めく。
コレット、そしてミトス。二人の天使と同調してきたその経験、能力を全力で解き放つ。
エクスフィアを失った今、異常ともいえた全盛の力は既に無い。
(ミトスの固有マナはこの刀身が憶えてる。後は、それをカイルに―――)
それでいいと彼女は思った。ミトスの願いを、ミトスの意思を継ぐ。生きていく理由がある。ただそれだけで、人は強く在れるのだから。
ミトス=ユグドラシルの代理として、世界を見届けるという意味が。
『これは、晶力……いや、マナとやらが、我にッ!? アトワイト、お前……』
『つべこべ言わず疾走りなさい! こんな子供騙し、長くは保たないのよ!!』
ディムロスの驚きを一蹴するアトワイトの罵声。一番最後までミトスの状態を見ていたからこそ、彼女には分かっていた。
タイムストップの連続詠唱。そんな大魔術に、はたして彼の身体が何処まで耐えられるのか。
『カイル、今の貴方なら私とディムロスを通じて分かるはず。お願い……ミトスの夢を、こんな場所で終わらせないで…………っ!』
「分か、ってる………! あいつの、運命もォ、俺が…………持っていくッッ!!」
アトワイトの想いが、ディムロスを経由してカイルに通ずる。
双刃を介して奴の、ミトスの激情が伝わるような錯覚をカイルは覚えた。
これは支援なんて生易しいものなんかじゃない。

―――――――超えるって、決めたんだろう? ついてこれなきゃ、其処で死ね。

カイルは走る。原初の英雄が贈る、終の試練を見事達しようと疾っていく。
吹き荒ぶ荒野の嵐を布一枚で護り裂くように、時の凪を掻き分けてゆく。
四千年の長きに渡る英雄の業。その地獄が、決して無駄で無かったと示す為に。
静止した時間を斬り裂いて、最後の英雄が未来へと突き進む―――――――――ッ!!



【--:--:--】





奇怪。その魔術を形容する言葉はその一つしかなかった。
本来なら1つしか現出しないはずの時刻盤が4枚。そしてその中心に立つ残骸。
もしもこの単色世界を認識できるものがいたならば、それは生贄を捧げる儀式にも見えただろう。
だが、紛れもなくその贄こそが魔陣を統べる主であり、この昼夜を分かつ黄昏の狭間を“斬り裂いた”存在であった。

鼓動を認識し、領域を選定し、そして一点を隔絶する。
眼には見えぬ紅い糸を手繰る様に、四千年を共に歩んだ半身とも言えた要の紋、そしてそれを託した彼女の位置を“信頼する”。

全ては当然の帰結であった。
如何に速度を上げようが、疲弊しきった一人と二振り。あまつさえ漕ぐ船は半壊した箒。
余程要領良くやったところで、飛翔の真似事を整えるのが精一杯だ。

軋みを上げる時計の音に、未完の呪文を滑らせていく。
波も渡らぬ世界に音が響き、そしてそれが更に波を静めていく。
詠唱が効果を生み、生まれた効果が詠唱を紡ぐ暇を作り出す。

速度だけではどうこうならないこの状況。時間が足りぬこの状況。
運命を司る悪意が組み上げた不可能奇問。
それを破る手は一ツ―――この前提条件を打ち砕くことに他ならない。

眼にも心にも映らぬ時間の流れ。稚魚にとっての滝がそうであるように、絶対に逆上がることの出来ぬ河。
それを天使は堰き止める。幾戦を経て培った連詠の技術と、辛うじて残った剥奪間際の称号の残滓を絞り出し、世界を逆しまに捲き返す。
我が要石を鍵に、我が仇者の衣を盾に、我が半刃を槍としてこの絶対次元にモーゼの奇跡を構築する。

マクスウェル術法体系の初等呪文。
Distance(距離)=Velocity(速度)×Time(時間)。
ゴールまでの距離が不変一定、速度は下降減衰――――であるならば、“所要時間を弄繰り回すより他は無い”。

タイムストップ連続詠唱による、長時間の停止。究極の時間稼ぎ。
最後の問題はミクトランの、否、悪意が布石し敵味方識別無視<ターゲットレス>の縛り。
ここで詰むはずのロジック。これ以上はあり得ぬ壁。だが、英雄にそれが無意味であることは先刻承知だ。
昨日の味方が今日の敵であり、今日の敵が明日の味方であるバトル=ロワイアルに於いて、
このような小細工を施されるまでもなく敵と味方の境は存在しない。
あるのは、自分と他人の区別だけ。この世界に入門できるのは、自分のみ。

だったら“自分と言う領域をもう一つ創り上げるまで”だ。

カイル=デュナミス脱出の為の鍵は、速度と時間。
そしてその内の一つ<速度>を得る為には、ディムロスとアトワイトが一“刃”同体の境地に達する必要がある。
ソーディアン同士の共鳴<ユニゾン>が叶うならば。ディムロスとアトワイトの間に回路が徹るならば。
例え違う世界であろうとも、姉の魂が重なりあう奇跡が真だとするならば。
ミトスとアトワイト、カイルとディムロス、人刃一対の同調があの一時の夢でないと願うならば。

音も光も渡らぬ野外の無響室。眼を閉じれば虚ろだけ。
これぞ真実、これぞ現実。惑わす音も、眩ます光も閉ざせば宇宙にお前もヒトも独り法師<ぼっち>。
見えぬ聞こえぬ届かぬ叫びは、四千年を経ても反射しない。誰の心にも響かない。
だが、少年は詠った。届けと―――否、届くと歌った。
かつてその宿願は伝わらなかった。どれだけ声を大きくしようが、低くしようが、想いは、願いは届かなかった。
違うのだ。“つたえる”とは“つたわる”とは“そういうものではないのだ”。
楽器は剣二本で事足りる。要の紋をメトロノームに。歌詞は彼女が憶えている。
心に焼き付いた刹那の剣戟音に、天使が鼓動は確信する。

魂よ、運命に響き合え――――――――――――これがミトス=ユグドラシルの周波数<固有マナ>だ。

ソーディアンの同調能力、その離れ業が交響曲を紡ぎだす。
かつて英雄だった少年は己が全ての小細工を以て唯一人の聴衆を――――カイル=デュナミスを“英雄”に偽装した。



――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――

 「なんと、強引な……ですが」
 粗く、言い方を誤れば無謀な一手。だが、とても力強い一手だ。サイグローグはその気性には珍しく、素直な溜息を付いた。  
 盤上から息づくそれはまるで、荒々しくも雄大で、慈悲深く世界を覆い包む海のように。
 呼吸が、止まる。聖なる者はその美しさに息を呑み、邪なる者は肺に水を詰まらせるように。
 二人の英雄が紡ぐ第5番。盤上を踊るその大いなる旋律を前に、ヒトは唯立ち尽くすことしかできない。
 (傍観者たる私の仮面まで震わすとは……ククククゥクック……コレだからヒトの、心の輝きはッ、選択はッ!!)
 サイグローグがその仮面の口元を強く押さえつける。それは女神の指から放たれる波動から仮面を護る為か、
 それとも仮面の内側から漏れだしそうになる何かを抑えつける為か。
 ジャッジと言う最高の観覧席からこの戦いを眺めることができる己の幸運を噛みしめながら、サイグローグは認識した。
 コレが時の紡ぎ手、世界の存続と繁栄を司る女神の――――神の一手なのだと。
 これならば、開くかもしれない。否、開く。
 四つの音が開かずの扉を叩く。その先の奇跡をその手に掴む為に!!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――・・・・ン

  扉が開いたのはその時だったように思う。ただ、錆びついた軋みの響きが老婆の泣声のようだったが。

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Intercept……


時の大魔術が天地を縛る。体中から血と泥混じりの汗を噴出し続けながら、ミトスは声無き詠唱を続けていた。
まだ走っているのか。よろよろ進んでいるのか。もう動いていないのか。
もうアトワイトやカイル達の状態がどうであろうと把握する術は無く、その余裕もない。
だが、それで術が止まることは無かった。
耳に伝わる掠れた何かをかき消す様に。ただ紡ぎ、ただ歌う。その道を誰かが進んでいるのだと信じて。

―――――――ブゥー・・・・ン
<それがお前の“奇跡”か。しぶといったらありゃあしない。まるで夏場の羽虫のやうだ>

静止した時間をミクトランが認識できるのか、できないのか。
首輪の時刻判定は内蔵式か、電波式か。カイルの首輪は止まっているのか、どうか。
ありとあらゆる不確定要素が薄皮一枚を隔ててミトスの喉元に刃を震わせている。
だが、怯みはしない。それは失敗する要因にはなっても、挑戦を諦める理由にはならない。
失敗して当然。カイルもミトスも既に死んだ身であり、死よりも恐れるべきリスクなどないからだ。

―――――ブゥー・・・・ン
<ああ、うるさいなあうるさいなあ。傷んだ翅で、バタバタバタバタ。障る障る耳に眼に虫唾に障る>

気を抜けば一瞬で飛ぶ。脳味噌の中を千の蟲が這いずる感覚の中で、ミトスは碌に残っていない歯を食いしばった。
視界が霞み、舌先が詰まったように喉に窄む。肌先の傷口が、神経一本一本に針を刺されたように鋭く尖る。
ハッキリ言って、割に合わない仕事だ。大人しく一人で死んでいた方がいっそ楽だったろうに。
自嘲するミトス。だが、悪態に歪むことのない顔は真剣そのものだった。

―――ブゥー・・・・ン
<何処にも行けないんだよ、何処にも行かせないんだよ。視えないのかよその虫ピンが>

周囲に展開した4つの時計を、ミトスはじぃとねめつける。
ブンブン煩い時計共、どうかまだ動いてくれるなと。今は1分1秒でも惜しいのだ。
自らの感覚が過敏になっている為か、顎を伝う脂汗とそれを拭う腕が無いことを鬱陶しく感じ――――

“汗が出て、それを感じている?”

―ブゥー・・・・ン
<じゃあさ、見せてやるよ。釈迦の掌の真実を、猿でもわかる絶望を>


ミトスの内側に生まれた疑問。それを自分の中で咀嚼するよりも早く“解答の方がミトスに歩み寄った”。
時計の内の一つが、震えだす。否、針が無理矢理曲がり始めた。

“時計も動かぬ世界――――――その中で這いずり回る不協和音”。
“感覚無いはずの天使――――――その中で確かに存在する五感”。

それは、ちょうど夏の河の景色に似ていた。雪が溶けて増大した河の水に耐えかねる寸前の堰に。
堰き止めていたはずの水が溜まりに溜まりて、劣化した堰よりちょろちょろと水が流れ出す。

ブゥー・・・・ン
<今更リザインなんて認めないよ。コレがお前が紡いだ神の一手の“結果”だ。啼いて這って受け止めて――――>

ピシリ、ピシリ。2つの亀裂がミトスの耳に走る。
一つは、時計盤を滑る音。なら、もう一つは? 
既にその答えに思い当っていたミトスは、首をその背中にゆっくりと向ける。
壊れる音が、毀れるオトが、その耳朶をぬるりと這っていく。




<CHECKMATE――――“自害しろ”>
(パ(バ)キ(ギ)ン(ン))



【1-:--:--:72】



時の流れに押され堤が“決解”する。
壊れたのは時計が1つ――――――羽が“2つ”。


「――――――――、ァ―――――、――――ャ――――!――――!!!」
ミトスの絶叫が静寂の中に響き渡る。それは姉の死体を見たときよりも大きな音だった。
情緒も何も無い唯の生理現象が引き起こした絶叫。故に、それは何より分かりやすい。
血液が煮沸する色や三半規管が逆巻きされる振動、筋繊維で弦楽を弾かれる喝采が身体と呼べる部位全てで同時多発する。
紛れもない“痛み”。カイルの時とは違う、幻覚や想起などではない“現実”がミトスの脊髄を揺さぶった。

【―――――4番車、封鎖。脱進、逆―――止――――】
だが、ミトスはその痛みに溺れる訳にはいかなかった。飛び出そうな眼球が、天体の配置がズレかけたのを認識する。
痛みを絞り尽くすように眼を細めたミトスは、蹴足で零れかけた剣玉を拾い紋様を追加で書き込む。
すると剣玉の糸が伸びて堤の綻びをくくる様に、再び時間のベクトルが静まる。
「ァプッ―――――ンマッ――――」
安堵する暇も無い。堰が切れたのは痛覚だけではなく、その小さな口からも血流が滂沱と落ちている。
血のあぶくを湧かしながら、ミトスは否応にも理解した。
かつて泥水を浴びるほどに覚え込まされた古い感覚を、自分が今から終わるということを。




――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――

 「翅を、このタイミングで……ッ」
 様々な言葉が浮かんでは消えるこの状況で、サイグローグが辛うじてそれを口に出した。
 神が繰り出した一手に対し、人間の一手が炸裂する。
 それは神々の手に比べ地味で小さな一撃だったが“確かに心臓を撃ち抜いていた”。
 「そう、いうことですか……天使の心臓喪失……前例が適応される………」
 双剣の天使。かつて己が理想に燃え、いつか理想を抱いて死に、そして理想を棄てて護り抜いた男。
 その運命を決定づけたのは、ある一人の少女を救おうとした結果だった。
 人間を生命たらしめる心臓を失い、人として死んだ。
 それでも天使として未練がましく現世にしがみ付いた。意思の力だけで動く死骸と成った――――そう、ちょうど今のコレのように。
 「精神が……術力<テクニカルポント>が尽きれば“終わる”…………なんとも、痛烈な……ですが……」
 古い証文だが、有効なことに変わりは無い。この大掛かりな魔術に対し、即席のカウンターとして引っ張り出したのだろう。
 (ですが“何故2枚”? 一気に、全部壊してしまえばいいものを)
 壊れた翅が意味するのは、マナが尽きかけていることと輝石が壊れかけていること、つまり天使としての終わりだ。
 このクライマックスを破りたいベルセリオス側としては早々に終わらせこそすれ、態々延す意味は無い。
 (何故、2枚? 一体、何を待って――――――――ッッ!!)

 道化は漸く、漸くそれに“とっかかった”。
 堪らず漏れだそうになった言葉を手で抑えつけて、牛のように反芻する。
 (…………今、2枚減った…………“何枚から”減った……?)

 成長した天使の翅は、合計で12枚。

 道化は反芻する。

 天翔翼に対抗する為、ディバインパウアを強化して1枚。

 盤面を反芻する。

 崩れた肉体を無理矢理活性化させて1枚。

 棋譜を反芻する。

 その身体で立ち向かって1枚。

 過去を反芻する。

 渾身を振り絞り空間転移して、2枚。


 虹の七色、七枚の翅。それが、天使に遺された答えの全てにして、運命の筋道。


 結論は、正解は既に出ていたのに。
 そう嘲笑うかのように、ベルセリオスの指がもう一度弾かれる。

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――



【17:--:--:84:92】





ビシビシビシ。
続いて三重奏。一枚を失ったことで、残る三枚の時計に負荷が増加する。
かつて美麗とまで称された天使の歌声は、既に聞くに堪えぬ阿鼻と叫喚に成り下がっている。
傷み、老い、朽ちる…………それは最早人間だ。
ココロなどという曖昧なもので定められるものではなく、種族区分としての人間だ。
今、ミトス=ユグドラシルは少しずつ、しかし確実に人間と化していた。

だから、その魔術は人間には時間は過ぎたる力であり――――――崩れ落ちるのも已む無しだ。
【――――――――――――3番、くる、―――――――秒し、ん―――――壊―――】

<“仕掛けていた”というのですか……伏線を…あの段階で……テトラスペルさえ……破滅の鍵………>

終ぞ耐えかねたか。2枚目の時計と、更に2枚の翅が砕け散る。
大火の前の如雨露の如く、大雨川の堤防の如く。一度崩れかけたモノが朽ちるのは早い。
だが間違えてはいけない。それが“当然”なのだ。
本来火は燃え盛るものであり、水は下に流れるもの。それが“自然の流れ”だ。
それをヒトは小手先の知識と技術で、制御下に置いたと勘違いすることもあった。
それを消そうなど、塞ごうなどということが“おこがましいのだ”。
そして、過去より来て未来に向かう時間の流れは自然の極みである。

だが、ミトスは抗った。既に自らに起こった現象を正確に理解しているのに、抗い続けた。
術を解けば、時間の流れに押し潰される。一度流れを許せば、もう止める力さえ残っていない。
今や、少年に出来るのは間に合うと信じて肺の無い身体で走り続けることだけ。
崩れかけた魔術に紋を継ぎ足して継ぎ接いで、更に無様に紡ぐだけ。
もしかしたら、もしかしたらと扉を叩き続ける。次の一回で開かれると信じて。

<きっかりと、確実に一歩手前でオとす……引き下がって他の選択肢を探す余裕を与えない。
 もしかしたら届く、その一歩手前まで引き込んでから―――――呑む……これが、絶望……>

だが、届かない。“届かないことが確定してしまった”。
赤い靴をはいた子供の“オチ”は、万億読み返そうが不変。

莫迦でも分かる。足の指が欠けていなければ幼子でも、解ける。
自然であることは、現実は何よりも“強い”。それに逆らうことを奇跡と讃えるならば―――――知らしめなければならない。


   あるところに知識はあっても知性の足りないカスな餓鬼がいました。
   餓鬼はなけなしの12ガルドで武器屋に行きショートソードを5ガルドで買いました。
   その後、道具屋に行き、1個2ガルドのアップルグミを買おうとします。

   坊や、幾つ買うんだい?

   「○つ」

   問題です。

   坊やは幾つと言ったでしょうか?
   坊やは幾つ買えたでしょうか?
   坊やはそもそも道具屋に入る資格があったのでしょうか?
   薄汚れた“雑種”が町に入っていいのでしょうか?
   その金は盗んだものじゃないのか?
   あのファンダリアの花も何処かから奪ってきたのか?
   世界を一つにとかバカじゃないの?
   万歩譲って、一つになった世界にお前の居場所なんてあるの?
   多分無いんじゃないの?
   生きている意味なんてあるの?

   死んだ方が、いいんじゃないの?


『    G           ィ      ン  』


骨の折れる音。翅の砕ける音。空いた心臓から血が流れる音、2番車の長針が止まる音。時間が軋む音。もう一枚翅の砕ける音。終わるオト。
荘厳なる交響曲を覆い尽くすノイズの海に包まれて、英雄でも天使でも少年でも肉片でも無い屑が、地面に倒れ伏す。
そして、残骸の眼の前で遊び主を失った剣玉が遊泳を止め、剣を地面に突き立てた。

あとは、何も無かった。何も動かなかった。誰も動かなかった。動けるモノがなかった。
残る第四節。一番車の大発条は辛うじて動いているが、回りも重く、直に停止するだろう。
四には届かず、死に至る。ここに、唯一の解は算出された。

<知れよ、劣悪。運命は――――――変えられないから運命なんだ>

様々な韻律が夕闇の四十万に木霊する。
大自然――――運命の怒りに触れた愚かな子供を蔑む為の嘲笑合唱だった。



【17:5-:--:96:18:76】



――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Turn END.

 ……これが現実だよ。
 ベルセリオスが冷酷に呟く。肉体破損。精神力枯渇。輝石損傷。―――そして、止めの翅の枚数不足。
 何より足りない時間。根性ではどうにもならない物理的不可能の、壁。
 サイグローグは顎を擦りながら胸中で唸った。“完璧に”詰みだ。
 天使個人の能力では“絶対に”・“100パーセント”打破出来ない。

「で? どんな気持ちだい? セコい手まで使って紡いだ希望とやらを微塵に砕かれるのはさ?
 ……ねぇ、どんな気持ち? どんな気持ちどんな気持ちィィぐフふヒヒヒヒひゃふフヒヒハはァヒャヒャハハハヒャハァッ!!」

 ベルセリオスの頬肉が、さながらディストーションを掛けられたモンスターの如く醜悪に歪んでゆく。
 それを見た女神はその整った顔を僅かに顰めた。
 傲慢無礼な態度を咎める気は疾うに失せていたが、マナーの悪さは矢張り鼻につくものだ。
 サイグローグもそれを感じているのか、わざとらしく咳払いをしてみせる。
 「だが、評価しない訳じゃあない。これでも感服したんだ私は。
  成程、確かに手は善かった。グッド。素直に褒めよう……いや、素晴らしいよ“時の紡ぎ手”。
  “ド三流”は訂正する……“一流”だよ、お前はさ。
  唯一の動かし方を外・内要素を上手く活用し、更にサイコロの出目を常に六に固定する。
  それにより奇跡は必然となり、故にこの時間の壁を壊せる希望手へと炎剣を誘える……」
 が、ベルセリオスはサイグローグの咎めなぞ何処吹く風。
 品の無い下衆染みた笑みをその顔に張り付け、肩を揺らしながら女神を見下す。
 だがその言葉は見下している筈の女神の手を褒め称えるものであり、珍しく真っ当なものだった。
 奇跡だの一流だの素晴らしいだの、とてもプライドが高いベルセリオスの口から出た言葉とは思えない。
 故に女神は目を丸くして、僅かに驚いた様な顔を向ける。
 真逆、あの人を見下す事しか知らないベルセリオスが少しでも理解を示して―――


 「……ッワケねぇだらぁぁあぁああァァァァッ!!! ワケねえぇぇぇんですよぉぉォォオォッ!!!
  ゲロクズ同然の天使を横取りして、死ぬ運命ならと酷使して何が希望ッ!
  視点変えれば犠牲役の傷を抉って血潮を絞り出して灰になるまでぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり痛めつけてるだけだろぉよぉぉッ!
  文字通りただの横暴、ハッ! 自分は上から犠牲役を私刑しといて、誰かを救ったつもりでドヤ顔か!
  ねぇどんな気分だったどんな気持ちだった!?
  あれだろォ? 大方“いい事した”って気分だったんだろォ?
  何だ? お前、メシアにでもなったつもりか!? 誰かを殺して誰かを生かす、それが神の一手で希望ゥ?
  ヒャハッ、ハヒハハヒャァ! これは笑い種だなッ!
  ……これが一流な訳あるかよ、ヴゥワあァァァァぁぁぁァか!!!! ド三流に決まってんだろうがよォォォッ!!
  そこまで残酷な事をしといて成立する残滓を神の一手と言うなら、それは随分とッ!
  ――――――――――――安  い  奇  跡  だ  ね  ッ  !」

 女神の鼓膜をびりびりと揺らすベルセリオスの声は、蔑みと憤怒に満ち満ちていた。
 一通り唾を撒き散らしながら吠えたベルセリオスは、粗暴にサイドテーブルからワインボトルを掴む。
 それを勢い良く口に宛行うと、年齢相応に発達した喉仏を力強く脈打たせながら力強く飲んだ。
 「……おい、何とか言ったらどうだ“ド三流”? 悔しいんだろ?」
 しばしの静寂の後、額に血管を浮かべたベルセリオスが、荒々しい息遣いと共にそう吐き捨てる。

 「一生懸命積み上げたモン崩されて、悲しくてたまらないんだろぉ? あァ解るよその気持ち。
  こっちとしても心が痛んで痛んで痛んで痛んでいたんでいたんでいたんでイタンデ――――――――――――」

 ベルセリオスは肩を竦め、頭を左右に振り項垂れてみせた。
 同時に眉を顰め、悲壮感に同情のスパイスを乗せた猫撫で声を零してみる。
 こっちとしても辛かったんだ、と。選択は仕方なかったんだ、と。
 ベルセリオスは皮肉にしかなり得ない飴を女神の豊満な胸に投げ付け、そして。


 「――――――――――――それが堪え難いくらい、快感だよ!」


 ……蔑みに満ちた極上の黒い笑みを浮かべた。
 思わず顔を顰めたくなる様な下品な哄笑が辺りに響く。
 唾をまき散らしながら腹を抱えるベルセリオスを、女神はけれども顔色一つ変えず観察していた。
 道化師は溜息を吐く。矢張りこれが現実。言い返す事すら女神には許されない。その要素すらないからだ。
 どう足掻こうと絶望。正にその言葉の通りだった。コールするまでもない。
 “女神は敗者だ”。
 劣勢を感じさせないそのポーカーフェイスも、敗者となった今、道化師の目には滑稽にさえ見えた。
 徐々に女神の表情に深い影が落ちてゆく。流石にこの屈辱は、神と言えども堪え難いのだろう。
 道化師は同情すら女神に覚え、もういいだろう、と眉間を揉みながら右手を挙げる。
 「ベルセリオス様静粛に……。下座、もういいですね……?」

 絶望を届ける王、道化師……この場に居る女神以外の全員が思った。女神の負けだ、と。
 天使一人の力ではもう如何しようもない。それが現実だ。
 誰かの力を借りようにも、その“誰か”が居ない。
 ならば時の魔王に頼む? ……無理だ。何故なら天使の世界の理が崩れるからだ。
 天使の世界での、時の王は精霊王オリジンだ。天使は別世界に時の魔王が居る事を知らない。
 剰え、時の魔王が手を貸す理由がそこにはない。
 故に“詰み”。

 「勝者……上座、ベルセリ―――」







 「先程言いましたねベルセリオス。“ストレートフラッシュ”、と」






 そう。“詰み”。誰もがそう思ったろう。“女神以外の”だが。
 凛とした清冽な声色で、女神が道化師のコールを遮る。その声色には弱気など微塵も存在しない。
 今更敗者に、いや真逆女神から口を挟んだ事に道化師も驚いたが、
 一番驚いていたのは他でもないベルセリオスだった。
 「……それが?」
 吊り上げていた唇の端をひくひくと痙攣させながら、ベルセリオスは平静を装う。
 恐る恐る窺った女神の双眸は、諦観の闇に溢れるどころか、むしろ決意と勇気に燃え上がり、光に満ちていた。
 得も言われぬ悪寒がベルセリオスの身体を駆け巡る。背筋が凍る様な鋭い視線が、ベルセリオスの胸を深く抉った。
 「私も手札を揃えさせて頂きました。確りと。
  ベルセリオス、貴方は致命的なミスを冒しました。貴方は―――惜しまず最強の役を提示すればよかったのです」
 柔和な面持ちに文字通り女神の様な微笑を浮かべながら、ゆっくりと駒へと細く華奢な指先を伸ばす。
 そこには疲労困憊の上、満身創痍の天使が横たわっていた。
 振れれば崩れてしまいそうなその体躯を、優しく労る様な慈愛に満ちた柔らかな掌が、けれども強く包み込む。

 「悲しい事ですが、孤独な貴方には千年を経ても決して理解出来ない事でしょうね。
  人の絆が、覚悟が、信念が……時に、神を打破し得る事を」
 「何が言いたい……!?」

ガタン、と椅子が倒れる音。鼻息を荒くしたベルセリオスは犬歯を剥き出しにし、女神に食ってかかった。
 しかし女神は動じない。立ち上がったベルセリオスを睨み、座ったままゆっくりと口を開く。
 「“そこが貴方の思考の限界”だと言いたいのです。彼等の歴史は、貴方程度に屈しはしない。
  幾ら絶望手が来ようが、彼等はそれを覆せる力を秘めています」
 タァン、とチェス盤に打ち付けられる駒の軽快な音に、道化師は仮面の下に三日月を作る。
 過信と慢心は隙を生む。何時か何処かで四大天使の一人がそう謳った。
 盤を支配する王とて、それは変わらない。抜かったな王よ。女神との違いはそこだ。
 これだからゲームは面白い。さぁ、しかし現実は非常だ。天使個人の力ではこの壁は打破出来ない。“絶対に”。
 強固過ぎる運命を前にどんな手を見せる? 見せてみなさい、希望の紡ぎ手!!!

 「何故なら彼等は……“貴方と違い一人ではないのですから”!」

 フォーカード?
 成程、確かにギャンブルではこの上ない安全手だろうよ。確率的にも実に稀有だ。
 ……だが、甘い。それでは誰も奇跡とは呼ばない。それだけでは殺せない。
 運が良ければ誰でも出せる無難な役なんて、必要ない。
 1/4165、その程度の確率では意味が無い!

 「さて。こちらの、いえ……“ド三流”の手番ですが―――」
 にっこりと笑う女神の皮肉に、王の表情がみるみる歪んでゆく。
 顔色は真っ赤になっていたが、しかし直ぐに青ざめていった。
 待てよ、と。これ<ストレートフラッシュ>以上の手があるとすれば、それは運をも超越した―――
 「驕った事を悔やんでも……もう遅いですよ?」


 ……さてそれなら、ストレートフラッシュ?
 1/72193.3もの低確率、ならば確かに勝利は確実になるだろう。恐らく誰もがそこで満足する役。
 ベルセリオスもそれを分かっていたが故にそこで留めた。少なくとも逆転はされないだろう、と。
 だが足りないのだ。それでもなお足りない。まだ到達出来ない。それでは及ばない……!
 現実を砕くには、運命にも似たシナリオを打破するには、遠く遠く及ばない!
 保身に走るならそこ止まり。ミスを恐れる逃げの思考。ある程度の利に満足する、偽者の王者!
 だが未来を開拓するには、逆境を乗り越えるには……自力で毎回、最高の手を持ってこなければ話にさえならないッ!
 賽を振るなら常に六の目を。牌を切るなら頭を崩し更に高みの役を、掛けは常に持ち金全額を!
 運を超越した絶対の命令をッ! 定まった未来さえも覆せ!!
 何、問題はない。なにせ1%=100%のバトルロワイヤル、確率なんて存在しないのだから!
 全てが必然であり奇跡! 役を考える時間も要らない。悩む必要も要らない。

 だって―――“最初に配られた手札で既に十分なのだから”!

 準備は最初から整っていた。
 絶望の王が国士無双<ストレートフラッシュ>を放った時から、未来が覆されるのは決まっていた。
 たかが国士、そんなものは少しの運と力があれば成立つ。
 運命を壊すなら、狙うは一点。天和並の奇跡手ッ! 国士など足元にさえ及ばない!

 「き……さ、まァ……!」

 さぁて、紳士淑女の皆様。
 お待ち兼ねの答え合わせだッ! 揃った役は、勿論最強1/649720ッ!

 「受けて貰いましょうか、ベルセリオス――――――――――――――――――――希望の一手<ロイヤルストレートフラッシュ>を!」

 偽者の王者よ、目前の盤より消えろ。希望一つも捻り潰せずして何が絶望か!
 目を見開いてよく見ておけ!
 細く拙い希望の一閃が闇を切り裂くその瞬間ッ、さぁさぁこれより……真の王者のお通りだッ!!

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Shift!!!! Game has not ended yet!!!!


凍り付いた沈みかけの夕日は、まるで僕を忌み嫌うかの様にぎらぎらと大地を照り付ける。
天へと伸びる事を諦めてしまったかの様に幹の途中からばきりと折れてしまった樫の木だけが、僕の身体を夕日から守ってくれていた。
遠く固まった陽炎は、直ぐ側にある未来の様にどうしようもなく、景色を崩し歪めていた。
やっとの思いで首を回し、血反吐を吐きながら空を一瞥する。
流れる事を諦めた雲は、水分を招入れる事を止めていたのか、細く頼りない。
唾を飲み込むと、土と鉄が混ざり合っただけでは到底出来ない様な苦く複雑な味がした。
ぴくりとも身体が動かなかった。いや……むしろ僕は動く事を諦めかけていたんだと思う。
何かが崩れてゆく予感は、少し前からしていた。
決して抗えない壁がある事くらい、僕にだって分かるつもりだ。

虫一匹居ない世界は死を待つ老人の様に穏やかで、僕は一人だけ理不尽な置いてけぼりを食らっている様な気分だった。
僕は必死に命を繋ぎ止める為に土に噛み付いた。小石が余った歯を砕き、歯茎をじくじくと痛め付ける。
ふと目前を見た。名前も知らない群青色の花が一輪、うなだれている。
“痛い”。
人として当たり前の感覚が、今では呪いたくなる程に重く身体にのし掛かる。
虫一匹殺せない様な静寂が、けれども僕の翅を、マナを、四肢を確実に喰い潰す。
残酷なほど静かに訪れる終焉は、自然の摂理は、絶対の魔法は……余りにも冷酷に僕を嗤っていた。


「……―――――――――――――――――――――!!!!!!!!」

喉が焼け、朽ち裂ける感覚。声は愚か咆哮にさえ成らない呪詛の様な何かが、血肉と共に僕の口から溢れ出す。
怖いくらいに紅く濡れた夕焼けに抱かれ、世界から無音の罵声を浴びながら―――――――――――――僕は、初めて真の絶望を知った。


<諦めちゃえよ。もう無理だって判ってんだろォ?>


“嘘だ”。
ミトスは紫色の唇をぶるぶると震わせながら、その三文字を腹の奥から搾り出す。
かたかたと音を上げる血塗れの歯は、最早残っている数の方が少なく、その隙間の風通しは実に良さそうだった。
生温い吐息が、馬鹿にした様な笑い声を上げながらミトスの口から零れる。
<身体、動かないんだろ? どう見てももう無理だろ?>
“嘘だ”。
少しでも触ると崩れ落ちてしまいそうなか細い声で、ミトスは莫迦みたくそう繰り返した。
青ざめた顔を小刻みに左右に振ると、光沢を無くした毛髪が、渇いた頭皮と共にぱらぱらと抜け落ちる。
肌の上を醜く這う脂汗が、ぽたりと渇いた大地に滴った。
音が死に尽くした白い世界の脳天に罅が入ってゆく。血で紅く染まる景色の中、天使は砕けてゆく世界を見た。
<ねぇそれなのにまだやれるとか、思ってんの? 思っちゃってんの?>
“嘘だ”。
背に鈍く輝く二枚の翅を見つめたまま、ミトスはどうしようもない現実に沈黙する。
―――限界。
たったそれだけの二文字。しかしその二文字の魔法の言葉の大きさに……ミトスは目眩を覚えた。
<いっそ終わった方が今よりもずっと楽になれるんじゃない? 本当は知ってんだろぉ?>
“嘘、”
背にある虹色の翅は次第に色を失い、病に侵される様に黒く変色してゆく。
どうすれば、とミトスは縋る様に師匠の輝石を見た。輝石は沈黙し、ちっとも光らない。
ミトスに渇いた笑みが浮かぶ。今更誰かに頼ろうというのか。
今まで一人だったくせして、それを望んだくせして虫が良過ぎる。
<動かなきゃ、頑張らなきゃいいんじゃない? 諦めた方が、いいんじゃない?>
“……ぅ、”
何かの力に縋るのか、この僕が? 一体何処の誰が力を貸してくれるんだ?
無理だ。誰も居ない。アトワイトも、姉様も、ユアンも、クラトスも。
なんて……孤独で無力。
<な? だって無理だもんな? 仕方ない事だよな? どぉせ終わるんだもんなぁ?>
“―――”
ミトスは死んだ様にぴくりとも動かない。
地に俯すその小さな身体はまるで……天に立つ強大な神に屈伏した、陳腐な奇跡の様に意味も価値もなかった。
<なら“こう”思ってもさぁ、いぃィよなああぁァ?>
“―――――――――――――――”
世界が軋む音がした。むわっとする様な強い熱気が、ミトスの身体を包み込む。
崩れた腹の孔からじわりと溢れる胆汁の生臭さ。
穴という穴から吹き出る脂汗の嫌な感覚。
神経そのものを焼かれる様な凄まじい激痛。
泥と血と脂が濃縮された塩辛く苦い味。
肉体が千切れ、文字盤が崩壊する音。
……味覚、聴覚、触覚、痛覚、嗅覚。
それぞれが不協和音を響かせ合って出来た愉快な五重奏は―――人間を辞めて生きてきたミトスにとって、壮絶な拷問だった。
堪え難い苦痛、歩み寄る絶望。紅黒い感情の坩堝。
故にミトスは現実に屈伏する。“こう”思わざるを得なかったのだ。


<“僕ってもう、死んでもいいんじゃない?”>



【17:59:--:66:66:66:66:666:666:666:6666:666666:666666666――――――】





べきべきめきめきばきぱきん。

信念が、強さが、根本から盛大な音を上げて崩れ落ちてゆく。
遠く遠く、七色の翅が、希望の権化がまた一枚―――無残に砕け散った。
冗談。ミトスは無表情のままそう思った。翅は背に在る筈で、本当はずっとずっと近いからだ。
だがどうした事か、ミトスにはそれが果てしなく遠く、まるで自分には無関係であるかの様にさえ聞こえたのだ。
ミトスは理由を考えようとしたが、止めた。
考える前に理解したからだ。
ミトス=ユグドラシルは、もうこの現実に興味を失いかけている。殆ど諦めている。
簡単な事だった。少し考えればわかる事だ。“無理なものは無理だ”。

「ぢぐぅッ、ヂょおッ……!」

ミトスは吠える様に唸る。血走った双眸は、赤黒く染まった大地を見据えていた。
畜生……畜生。ミトスは壊れ掛けの螺旋仕掛けの玩具の様に、そう繰り返し唸る。
不可能。
その大き過ぎる三文字は巨大な虫ピンとなり、ミトスの身体を現実へと展翅していた。

……もうそろそろ終わってもいいんじゃないか。
ミトスの中の8割はそう言って姦しく笑っている。如何、足掻いても地獄は地獄。
億に一つ奇跡は訪れない。財布の中の駄賃が増える事は、物理的に有り得ないのだ。

“箱の中を見るまで猫が死んでいるか否かは分からない”。

かの有名な猫の逸話だ。だがそれは、中の様子が分からないから成立する。
ところが今回はどうだ。予算も買うモノも決まっている。フィフティ・フィフティは成立しないのだ。
“死んだ猫を箱に居れても、猫は何時までも死んだまま”。
―――至極当然の、幼稚園児でも理解出来る真理だった。



<じゃあさ《では、願いなさい。神に助けを乞いなさい。
 さすれば永遠の幸福を差し上げましょう、ミトス=ユグドラシル》>



夢か、幻か。ミトスの脳内に直接語りかける声は、まるで聖母の様に慈悲深く聞こえた。
それまで動こうとしなかったミトスの身体が、ぴくりと動く。
助けを求めれば、神に平伏し靴に口付けをするならば。
……そうすれば或いは、現実を覆す事が出来るかもしれない。
何故ならば相手は神だからだ。物理法則なんてものは意味が無いだろう。
ミトスは震えながら渾身の力を振り絞り、俯せから仰向けへと体勢を移行させる。
皹割れた唇から小さく息を吸うと、ミトスは目尻を歪めて表情のみで笑った。
言う言葉は最初から決まっている。ミトスは幻聴に心底感謝し、そしてにいと唇を横に伸ばした。



「断る」




ミトスは天を嘲る様にそう零す。寸分の迷いすらない、清々しい否定だった。
「確がに゛、僕だけ、じゃ……もう……無理ばぼ。でぼ、僕は、譲だだい。
 お前、に……言ばれで目がダめだ。
 黙ッ、てれ……ば、大人デぃく死んだがも……じれないのに……残念、ばっば……ね?
 誰かに゛指図ッ、されるのば……嫌い、なんだ」
そう言うとミトスは唾を天に向けて吐く。
それが自分に返って来ようが、知った事ではなかった。

「やっばり、嫌……なんだよ。
 ごこま゛で、来で、諦めぶ、なんでッ……嫌、なむ……だ。ばから……ッ」

そこまで言って、鼻の奥に激痛が走った。爛れた粘膜が剥離し、鼻で息が出来なくなった。
眼球を鈍痛が駆け、左目に光を感じなくなった。左頬を生暖かい液体が伝う感覚がした。
破裂したか、とミトスは笑う。
堪え難い痛みに、しかしミトスは先程とは違い、絶望よりむしろ嬉しさを感じていた。
まだ。まだやれる。
逆境だからこそ味わえる究極の生の実感は、死が目前のミトスにとってとてつもない幸福に違いなかった。
この瞬間の幸福を越えるものが、果たして神程度に造れるのか。



「信じだッで……いいじゃない゛か」



決断させたのは、神だ。ミトスは血の泡を吹きながら空を仰ぐ。
幸せも不幸せも、救いがあるのもないのも含めて現実だ。ましてやそれを決めるのは自分。
これ以上の救いなんて、幸福なんて要らないし、期待もしない。
だから助けも許しも乞わない。
神に奇跡を頼るくらいなら……生きだ方が(死んだ方が)マシだ。
相手が仏だろうがなんだろうが関係ない。誰かの思い通りに歩いてなんか、やるもんかよ。

自分の歴史は、誰のものでもない。自分のものなんだ。誰かに終わらせられる訳がない。

ミトスは立ち上がろうと歯を食いしばる。
両手が無い状態で立ち上がるのは、酷く骨が折れそうだった。
残照に焼かれる蜉蝣の様に惨めに翅を羽ばたき、魔力を搾り出す。
イカれた激痛に電流が走る頭の奥底には、幼い馬鹿の顔が浮かんでいた。
どうしようもなく真直ぐで、どうしようもなくもなく狂ってて、どうしようもなくムカつく餓鬼の顔が。



『信じよう』



あの時、わざわざ意地を悪くしてまであんな事<応急処置>を言ったのは、あいつを試す為だった。
本物なのか、そうでないのか。……結果あいつは本物だった。本物の“馬鹿”だった。
どうしようもない餓鬼。利用されるかもしれない、そんな一抹の不安すら覚えない掛け値無しの阿呆。

「箱、の中ど……駄賃は、3……ガどゥド。
 買ばなぎゃッ、だらだい゛、グミ……2つ。1ッ個、2……ガルド」

その阿呆が……何で、そんなに真直ぐ僕を見つめるんだよ、クソ。

「“死んだ猫を箱に入れても、猫は何時までも死んだまま”。
 “足りない金貨を箱に入れても、枚数は何時までも足りないまま”。
 成、程……確……かでぃ、幼稚え゛ン児でぼ、理解、でぎる、真理……ばッた、よ。……でも、」

何でさっきまで敵だった僕を信じていられるんだよ。
何で、ニンゲンの癖に僕を越えると信じれたんだよ。
何で、四千年の苦痛よりずっと先に在る最果てを見れると……信じてるんだよ。
そんなんじゃあ――――――



「……駄賃が道端に落ぢでい゛ない……だ、なンて、誰が……言っだんば?」



――――――僕がお前を信じない訳にいかないじゃないか、くそったれ。



《……いいでしょう。一度完全に過たねば願えないというなら―――無様に死になさい、ミトス=ユグドラシル》

誰かが目前に居るのか、居ないのか。
それとも頭に語り掛けている誰かが居るのか、或いはこれは幻聴なのか。
激痛の一方通行に霞む景色の中、朧気に宙に浮かぶ光を見ながら、ミトスは肩を揺らして嗤う。
「……馬鹿か、ぼ前」
この声が本物だろうが偽者だろうが、自分は果たして喋れているのかとか、そんな事は何だっていい。
「僕……ば、“僕とアイツは”……ぼゥ、おッ死ンで、るんだ。
 今、更……死ぼッ、ぢらつかざれで……何処のッ、誰、ばッ……怖気、付ぐかでィ゛ょ……ぉ……ッ!」
溢れ出す時の重圧に、迫り来る終焉の鼓動に堪えながら、ミトスはカカカと砕けた顎を開いて笑う。
体液の飛沫を全身から迸らせがくがくと膝を揺らしながら、ミトスは折れた木にもたれ掛かった。
とすん、と体重を受ける細い木はびくともしない。
生気を根こそぎ吸い取られたミトスは、さながら枯れ掛けの雑草の様に軽く弱くなってしまっていたのだ。

《愚かな……無謀と知りながら、現実へ歯向かうとは》

「喋り……がでェ、ぶな゛……ぼグは……ぼ前、がッ、ギらい……ばッ……」
背後から不吉な音を聞いた。
大自然の雄叫びが、現実の濁流が、時空の割れ目をびりびりと揺らしている。
右耳から血と水が溢れた。鼓膜がマナ不足により腐敗し、耳たぶと一緒にびたびたと土を汚す。
右脚の感覚がなくなった。腿が剥れ脛は砕け、スカスカになった白い骨が渇いた皮膚を喰い破る。
腹が朽ちて、穴だらけの腸が飛び出た。少しでもマナを得る為に、左半身へのマナ供給を殆ど遮断した。
文字盤は残り一枚。翅も一枚。天使の啖呵を前にしても、現実はそれを嘲笑う。

「ぞれび……僕゛、はッ、生憎゛……ばけぼな……ァ……!」

ミトスは焦点が合わぬ右目で世界を睨んだ。
それでも譲らない。神にも頼らない。何故なら自分は。



「――――――――――――――――“がみざまなんでじんじな゛い”ッ!!!!!!」



1ガルドの奇跡<エンジェル・ロア>。

在るか無いかすら分からぬ可能性に掛けたミトスの決意は、神をも否定した。
だが、それでも過ぎる制限時間。足りないマナ、崩れる肉、亀裂が走る翅。
高らかに口上を謳ったミトスだったが、その胸の内は焦躁に満たされ、今にも喉から怨嗟の声が溢れ出しそうだった。


【最期だ……オリジン】

ミトスは心の中で呻く様に呟く。
時空剣士として最期の言葉を、決意を、言える内に言っておきたかった。

【僕をもう一度信じろなんて言わない。だけど、あいつになら託せる。託せるんだ】

一度精霊王でもあるオリジンを失望させたのは、他でもない自分の所為だ。
……問うた先から応えは無い。
時空剣士であるクレスが生きている可能性がある今、返事がないであろう事は薄々分かっていた。
いや、そうでなくとも自分は愛想を尽かされているか。
ミトスは僅かに自嘲すると、それでも構わないとオリジンへの言葉を続けた。

【本当にどうしようもないくらい馬鹿で脳天気で、図々しくて、馴々しい……僕はそんなあいつが、大嫌いだ】

時計の針が震え、徐々に激しく歪んでゆく。
びしりと世界が悲鳴をあげ、時の狭間から現実が押し寄せる。
寂しく一枚生える翅は最早、七色六対の頃の華麗な様子は見る影もなかった。
罅だらけになり、光を失った翅はその三分の一が砕けている。

【でも、そんなあいつだから。僕が破った誓いを、あいつなら。だから、】

それでもミトスは、必死にタイムストップの追加詠唱を唄った。
ぐちゃぐちゃの生ゴミ同然になりながらも、崩壊が防げぬであろう未来を見なかった。
見たくなかった。見れなかった。
ミトスは叫ぶ。声帯から血を吹き出し、背骨と肋骨を砕きながら、醜く叫ぶ。
色素が抜け銀色になってゆく髪の毛一本まで神経を巡らせ、集中力を研ぎ澄ます。
……何故そうまでして、人間の為に命を遣うのか。何故、諦めずに信じ続けるのか。
その理由は、たった一つだけだ。

【あいつの、カイル=デュナミスの時間を、】



“全てを賭してでも、守りたい夢<未来>がある”。



「守だぜろ゛ォお゛ぉオオぉォおォぁァぁあぁア゛アぁぁあぁぁア゛ぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!」

―――それは、四千年にも渡る悲劇の幕を降ろすにしては余りにも馬鹿馬鹿しく単純で。
そして思わず吹き出してしまいそうな程に、何処までも愚直過ぎる理由だった。


……だが。

(動け。守れ。防げ。前を見ろ。あと一秒、いや半秒。堪えろ、堪えろッ、堪えろォ……ッ!!)

だが、それはあくまでも天使が諦めない理由であり、確定した死<運命>が覆される原因には決してなり得ない。

(あいつの道を見たいんだ。守るんだ。あと半秒あれば、紡げる未来があるかも知れないんだ!
 この瞬間に何かを変えられるかもしれないんだ。ざッけんな動け動け動―――ッぶォあ゛ッ!!?)

悲しいかな、天使の限界は疾うの昔に越えているのだ。
安い根性論でどうにかなる話ではなかった。精神力や体力といったレヴェルではない。
正真正銘の、ヒトとしての限界だ。それは寿命と言ってもいいだろう。

(タイムスと……加、詠しョ、陣変え……四、破、割れッあ゛あァァァァあがッ!!
 嫌。誓っ、嫌だ嫌ッ嘘だま、だやれッる……こんなの、ごのくらい゛何とか、マナ、時間……無ッ)

ミトスの心臓が一度だけ、どくんと跳ねる。
永久に近い時間にすっかり忘れてしまっていたその躍動は、実に奇妙な感覚だった。
血潮が全身に巡り始め、赤血球中のヘモグロビンは長すぎる休暇から復帰し、その重い腰を上げる。

(違ッ、畜生止まれ止ま止とと魔まれととトまれ戸ままれれ止斗ッまれまとっレれとま止まッ……れ!)

身体中が軋み始め、損傷した箇所から血が吹き出す。四千年ものツケは、死んだ身体に生というマナ爆弾を突き付けた。
ミトスは途端にもがき苦しみだす。今までとは比べ物にならない、形容すら出来ない苦痛。
その正体は即ち―――“老化”そのものだった。
今のミトスは少年の姿、13歳程度の見た目だ。
鍛え抜かれた肉こそあれど、結局は矢張り究極の“餓鬼”。
そしてミトスは生命力であるマナを抜き、エルフの血を失っている。更に輝石損傷。
その状態から天使ですらなくなると、どうなるか?
……天使として、無機生命体として終わる事は即ち是、四千年間の全てを身体に返却するという事だ。
つまり、殆ど単なる人間と化したミトスの小さな杯は、突然注がれた四千リッターもの酒に堪え切れる訳もなく―――。

(いだァ……あ゛ッづ、血がお輝石ォ、生き、四翅マナ枚、出来、りッ……ォ゛!
 まだ……終わり……たくな、夢を見、死、痛……諦め……な、ッ………嘘、違ッ、もう、ッ)

一枚だけ残った背の翅は五分の四以上が砕けている。
今のミトスは既にその九割以上が、成金前の烏以下の脆弱な凡人だった。
「おご……ぱっぐ、ぷふォ……オ゛ゥお゛ォお……ッ! がら゛ぁぁぐっぷァァァァ……ッ!!」
ゲリラ豪雨で堤防が決壊する様に、時間という必然で強固な、“絶対の魔法”が一気に世界に逆流し始める。
残酷な様だが、それはごく自然な事だった。たかが人一人がそう容易く時間を越えられる筈がない。
津波、雷、竜巻、火事、地震、雪崩、そして不可逆な時の流れ。
何時だって人間は……雄大過ぎる大自然の力の前に絶望し、平伏す他ないのだ。

(……も、足り゛魔……限ッ界、不、可……。止、……な、翅ッ……壊、)

もう防げない。どうにもならない。
血走った目玉が飛び出そうになるくらい、目を見開いてマナを練った。
全部の歯が砕けるくらい歯を食い縛って、堤防に重い土嚢を積み上げた。
それでも矢張り、表面張力にも限界があるのだ。
翅が、文字盤が、遂に砕け―――――――

「悪、ぃ……カ、ル゛……も、ゥ、僕ッ……に……は、止゛、、め……らッ、な゛――――――――――――」



【17:59:00:9999999999999999999999999999999999999999999999999―――――――――――――――――】
















―――――――――どうした。もう終わりか?














ぱぁん、とフライパンで思い切り殴られた様な衝撃が脳天から髄を経て爪先まで走り抜ける。
プリズミックスターズ顔負けの満天の星空が、ミトスのブラックアウトした視界に広がった。
ミトスは思わず息を飲む。ぐんと濃縮された時間の中で、燃える様な紅に輝く石を見た。
破綻の最中に凍結した青黒い世界の中で、その石だけが圧倒的な存在感を放っている。
沈む陽よりも熱く、己の心臓よりも紅く、七色の翅よりも眩しい。
それは絶望の大渦の中で輝く―――確かな希望の一等星だった。

走馬燈。
ミトスは全身に染み入る景色と音に、その三文字を先ず思った。
続けて、低く威厳のあるこの声が誰のものなのかを考える前に理解する。
一秒が無限に伸びた究極意識の中では、百四十六万日間の記憶を優雅に泳ぐのも赤児の手を捻るより簡単だった。
『く……ラ』
これは現実か、夢か。もう自分は死んでいるのか、未だ生きているのか。
確かなのは一つだけ。今の自分には眼の前の“これ”を認識する意識が残っているという事だ。

“せんせい”。

間違いなくその声は、目の前に浮かぶ姿は……クラトス=アウリオンそのものだった。
だが、仲間でも部下でもなく、現在から数えて思い当る近しい関係をすっ飛ばしで、ミトスは彼をそう呼んだ。
懐かしい匂いをミトスは鼻腔に感じた。
全て幻だと判っていたが、記憶はミトスの感覚を根こそぎ奪っていった。
【少なくとも私の知っているお前は、この程度で音を上げる程弱くはなかったはずだが。
 ……真逆、たかが数千年程度のブランクで腕が鈍ったとは言わないだろうな、ミトスよ】
そう嘲っているような仏頂面の瞳の奥が、古きよりさらに古いものを想い起させたからかもしれない。

もう驚く気も無かった。ただ決して予見していた訳ではない、驚くには十分な出来事だ。
だが、心の何処かで、願っていたかもしれなかった。
全てを終わらせようと思った直前、カイルに“それ”を渡された時から。
もしも、僕以外の誰かが僕の物語を終わらせるのであれば、それはきっとお前なのだろうと。

ミトスは笑う。皮肉が混じった、けれども生気が満ちた声色だった。
続けて中空のそれを疎ましそうに睨む。
どの面を下げてこんな死に損ないに会いに来たのかと。
『……よくも、“あんなの”をけしかけてくれたね。おかげで僕はこのザマだ』
何事にも動じない表情を壊したくて、吐き捨てる様に言の葉を垂れた。
だが、クラトスは応えない。厳しい顔をしたまま腕を組み、口を間一文に閉ざしていた。
飽く迄もだんまりを決め込む腹らしい。別に気にはしないが。

……思えば昔からそうだった。
こっちが感情的になればなるほどクラトスは仏頂面になり、必死な自分が馬鹿みたいに思えた。
ただ、昔ほど昂ることは無かった。
必死な自分は呆れるほど馬鹿臭かったが、今はそれほど不快ではない。
『どんなつもりかは知らないけど、僕程度を止めるのにあんな神殺しの剣を引っ張ってくるなんて。
 いつか必ず後悔するよ。アイツはお前の息子とは根本が違う。いずれ星さえも斬るよ……たった一人の為だけに』
ミトスは静かに呟く。
あの戦いの後、最初にカイルに手渡されたクラトスの輝石が、全てを彼に理解させていた。
“カイルが何故墜ちなかったか”。
疑問に思っていた事が、たたが石ころでミトスには綺麗に解く事が出来た。
聖女殺し―――ミトスが構築したあの洞窟の絶望からカイルを護り、そしてこの戦場にカイルを導いた“縁”を。

魔装を持っていながら、何処までも幸運な奴め。
そりゃあ墜ちないはずだった。なにせ最高のセコンドをつけていやがったんだから。
ここまで来ると呆れてモノも言えやしない。
律義に、その願いを届けようとしやがったのか。どこまで―――どこまでバカなんだ。


『……もしかして、あいつらに同情した? 悲劇の運命に閉ざされたあいつ等の愛に、自分を重ねた?』

小馬鹿にしたようにミトスの言葉に、網膜のクラトスが僅かばかりに歪む。
天空の天使と牧場の家畜。まるで絵空事の様な禁断の恋物語。
エクスフィアの鎖によって結ばれたその小さな愛の終点は、あまりにも無残で……しかし約束された運命だった。
運命に導かれ愛する者をその手にかける慟哭は、15才だろうが4028才だろうが、変わることはない。

何かを言おうとしたクラトスに、ミトスは目だけで笑ってそれを制した。
皆まで言うなよ、今更言葉にされたら、身体以上に心が惨めだ。


『今なら、分かるよ。誰だって、喪ったら、痛いに決まってる』


自分よりバカな奴がいると、存外自分の馬鹿さを受け止められるらしい。
それを認めたくないから八つ当たりするしかなかった事が、心底情けなかった。
その情けなさを紛らわせる様に、滲み出る腐肉や黒血と共に弱音を吐露する。
……或いはそう。聞いてほしかったのかもしれない。
そう考えると胸の奥がじくりと痛んだ。

『四大天使。無機生命体。優良種。クルシス英雄時空剣士……―――――ハッ………なんて、下らない』

憎悪に殺して、復讐に溺れて、四千年間一歩も動いて来なかった。
幾ら大層な肩書を持った所で、僕の時間は何一つ動いていなかった。
進む事は忘れていた。体内時間は止めていたくせして、無駄なものばかり大きくなった。
両手から零れたものは計り知れない。何時からこうなってしまった。一体、何時から。
『……そんなもの、何の意味も無い。
 ……“姉さまと幸せになりたかった”。その想いだけで、十分だったんだ。後は何も要らなかった』
ミトスは自嘲しながら、吐き捨てる様に叫んだ。
四千年。無駄に過ごす時間にしては、余りにも永過ぎた。何故この考えに至らなかったのか。
一人だったからか、誰も信用しなかったからか。人の話に聞く耳を持たなかったからか。
『なあ、クラトス。今更僕の前に現れて黙り込んで、一体何の用だよ。
 まだこんな力が残っているなら、息子にでも会いに行けばよかったろうに』
首を少し傾け、クラトスに質す。
何の用なのかは、本当は考えれば理由は解るとも思ったが、考える事は億劫だった。
網膜に映る像は組んでいた腕を解き、少し間を置いて口を開く。

『伝えるべきことは、疾うに伝えた。後は、ロイドの決めることだ』

今更会ったところで、言う事は何もない。
……視線一つ動かさず、クラトスは事務的な口調でそう締めた。
ミトスは口を尖らせる。最初の質問には触れていないクラトスが、少しだけ癪だった。

『じゃあ、なんで―――あぁ、カイルを助ける為か』

少しだけ、自虐を込めて笑ってみせる。その為に僕の尻を叩きに来たのか。ご苦労な事だ。
“心の何処かでは、もしかしたら望んでいた事かもしれない”。
予感も前例もあった。でも、その理由が自分な訳がないんだ。そんな事が今更赦される筈がない。
―――けれど、そうであればどれだけ救われただろう。
『精が出るね。そこまでしてあいつの未来を、』
『一つ聞くが』
言葉を遮られ、ミトスは訝しげにクラトスを見た。何だよ、と視線だけで先を促す。
同時に、ミトスは少しだけ違和感を覚えた。何故口を挟む。アレの為だと言うなら……。
クラトスが口を開く中、ミトスは眩しい光にゆっくりと目を細める。



『弟子を案じることが、師としてそれほど可笑しいか?』


言葉に詰まった。口を開いても、情けなく動くだけで二の句が継げなかった。
やるせなさに下唇をぐっと噛む。笑う気すら起きない。やっと呟いた答えが、それか。
畜生。卑怯じゃないか。あの馬鹿の為じゃないのかよ。
折角あいつっていう逃げ道があったのに。言うに事欠いて、僕かよ。
お前はなんて……なんて、馬鹿で、厚かましくて、図々しい奴なんだ。
まだ、僕を、そう呼んでくれるのか。
お前を我儘に付き合わせて、両手両足では到底数え切れない時間を奪った僕を。
お前の死体の首を落として裏切り者と罵倒したこの、僕を。
まだお前は―――――――――――――弟子と、そう呼んでくれるのか。
……いや、最初からクラトスはそうだった。僕が一人でいいからと、師匠と呼ばなくなっただけだった。
あの時は師弟の関係なんて、煩わしいと思っていたから。
他人の力を借りずに一人で生きるには、邪魔な肩書きだ、と。
でも断ち切ったと思っていたのは……やっぱり僕だけだったんだ。
お前だけは何時も、師匠気取りだったっけ。

ミトスは溜息を吐くと濡れた双眸を強く閉じる。瞼の奥が熱い。
喉から溢れ出しそうな言葉も。伝えたい数え切れない気持ちも。
全てをぐっと胸に押し込み、ミトスは震える呼吸を押し殺す。
零れそうな何かを抑えながら目を開けば、崩れかける世界の中、ぎこちなく微笑む師が見えた。

―――あぁ、敵わない。

胸中で唸る様に苦笑する。何もかも全部バレていたのだ。
この気持ちだって、僕が言いたい事だって、僕が我慢しているモノだって、全て。
“後はお前が選ぶだけ”、そういう魂胆か。
……なんだよその顔。無理して笑うもんじゃないのにさ。
全くお前は天晴な奴だよ。最期までとことん、僕の師匠のつもりなんだな。

ミトスは苦笑する。ふと空を仰げば、弾ける世界が見えた。
崩れ逝くモノトーンの景色は、もう直ぐ全てが終わる事をミトスに直感させた。
この幻の幕間さえも無くなれば、正真正銘の終焉だ。
ミトスの意識が現実へと戻ってゆく。痛みが神経を再び焼き始める。
残った脚も崩れ、遂に五体不満足となった。
希望に伸ばす手は無い。未来へ歩く足も疾うに無い。それでもなお惨めに這いずり、ミトスは輝石へと向かう。
溢れ出す汗すら出し切って、皮膚は酷く崩れていた。口の中は砂利と血に溢れ、嫌に土臭い。
滲み出た脂だけが、やにの様に顔に纏わり付いていて心の底から不快に感じられた。
色も、音も、希望も、そしていずれは命さえも。
何もかもが無くなってゆく世界の中、醜く這うミトスと輝く石だけが在った。
ミトスは震えながら色褪せた輝石を見下ろし、血走った目で凝視する。

一度決めた言葉だ。守ってやる。現実なんか越えてやる、止めてやる。
それに未来一つ変えられずに名乗れるほど、時空剣士は温い称号ではなかったはずだった。
でも、もう一人ではどうしようもなくなってしまった。だから、だから……だから。
神にも誰にも頼らない、そんな僕が今更誰かを頼るなんて、縋るなんて……都合が良過ぎるとは思っている。
僕から一方的に断ち切った鎖が残ってたからって、未練たらしく噛み付くのは馬鹿らしいとも思ったさ。
だけど、赦されるならば、僕の我儘を聞いておくれよ。他の誰でもなく、お前に聞いて欲しいんだ。
神でも、アイツでも僕の影でもない。相手がお前だからこそ、聞いてほしいんだ。
聞いてくれるだけでいいんだ。それ以上は何も―――いや、やっぱり望ませてくれないか。“頼むよ”。
これは、僕が、ミトス=ユグドラシルが初めて自分の為に願った夢なんだから。
「く、ラ…………ぉス」
震える口で、わななく歯で、輝石を銜える。何時しか流暢に喋る事すら出来なくなっていた。
どうやら、もう戻ってしまうという事らしい。思ったよりも時間はない様だ。
渾身の力を顎に込める。筋肉は未だやられていない。存外運だけは良いらしい。


これが僕の選択だ、クラトス。少しだけで良いんだ。贅沢は、多くは望まない。
元より命はくれてやるつもりだった。だから応えてくれよ。
ユアンが、もしあのニンゲンにその力を与えたというのなら、僕にだってきっと。
なぁ、クラトス……僕から断ち切った鎖が、まだ生きているというのなら。
お前がまだ僕を弟子と呼んでくれるならさ。
絆というものを、この一瞬だけ信じてみてもいいだろうか。
こんな僕にも、そんなものを信じる資格はあるだろうか。
少しだけ、それに頼っても、いいだろうか。
夢を見ても、いいだろうか―――。









「―――――――僕にッ!!! 力を、貸じでくだざい゛ッ……師匠お゛ぉぉオォおぉぉォォぉぉッ!!!!!!!」








此所が運命の終わりだと誰が決めた。死に場所だと誰が言った。
絶望の淵にて噛み砕かれた輝石は、崩れゆく漆黒の世界の中で、きっと何よりも力強く輝いていたに違いない。
幾重にも重なる影の中にて、光の結晶達が流麗に舞い踊る。
同時に何もかもを漂白し尽くしてしまうような希望の白が、世界を呑み込んでいった。
その中でただ一人だけが呑まれずに在る。凛と前を見据える死に損ないの胸に、標が輝いている。
数多の星屑をその標に集わせた天使、ミトス=ユグドラシルは僅かに顎を上げて瞳を閉じた。
瞼の向こう側には、二度と師が映る事はない。けれども、鎖は確かにそこに在った。
確りと繋がっている。幾ら道を違えようが、幾ら情を殺そうが、心と心は切れない絆で確かに繋がっていた。
希望は胸に灯る熱。想いは背を押す力。絆は永久を生きる鎖。夢は運命を断ち斬る剣。
未来への願いは、それら全てを凝縮し奇跡へと昇華させる――――――――――七色の翅。

ミトスの背から旋風が巻き起こる。虹色の光明が、白亜の世界に満ちた。





「輝石融合<エンジェルコール>――――――――――――――まだ、歴史は終わらせない」





運命は人の命よりも強大で重い? 故に断ち切れないだって? 笑止千万。
ならばこの小さな胸に宿る絆は、想いは――――――――――――――救いの塔より遥かに大きく、デリス・カーラーンよりもずっと重い。




――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――

「ぐうぅ、こ、こんなッ、馬鹿なッ!! あッ、あり、ありえ、う、ウググググッ」

こんな局面で英霊召喚<リザレクション>だと?
つい十二時間前に指した手だぞ? 二度もやるか普通!?

「“有り得ない”、ですか? ……これはまた随分可笑しな事を言うのですね、ベルセリオス」

女神の満面の笑みが、ベルセリオスの暴れる双眸の隅に映る。
何が可笑しいものかと口を開き掛けたベルセリオスを咎める様に、女神はすっと右腕を掲げた。
ベルセリオスは何事かと女神の肩から伸びた腕の先、天を貫く細い指先をゆっくりと目線だけで追う。
指先からは四つの光……いや、四つの金色に輝く鋭い杭が風を切る様な悲鳴を上げていた。
ベルセリオスはごくりと唾を飲む。この杭の正体が理解出来ない程、愚かではない。
そう、何せこれは“今まで自分が使ってきた手”そのものなのだから。
唖然とするベルセリオスの顔を見て、女神が優しく微笑む。何と恐ろしや、神の微笑。
容赦無き論理の牙が、遂にベルセリオスを断崖絶壁へと追い詰めた瞬間だった。

「【“天使”は“蒼雷”の輝石による“烏”の成金をその目で見ている事を確認要求。
 ―――――即ち手法と結果、可能性を“天使”が知っていた事は疑い様のない事実である】!」

ドズン。
女神が叫んだ瞬間、鈍い音と共にベルセリオスが短い悲鳴を上げる。
虚空に漂っていた黄金の杭の一つが、光の速度にてベルセリオスの右肩を深々と射抜いていた。
ベルセリオスは苦悶に血走った目玉をひん剥き、杭が刺さる肩をがばりと見る。
“堅い”。
一筋縄では外せない強固な理。強度は即ち正確さ。これは欠点無き正当な主張。

「【先の決闘後にて、“群青”の輝石が“天使”の手に渡った事実を提示。
 ―――――充分な旗は立っていた。故に輝石の利用が認められる事は明らかである】!」

ドズッ。
肉を抉り抜く音と共に続けて二撃目。左肩に食い込む杭に、ベルセリオスは唾を撒き散らしながら絶叫した。
杭から注がれ、身体を巡るは矛盾と言う毒。やがてその毒はベルセリオスの口から否定の言葉を溶かしてゆく。
“有り得ないなんて言葉は認めない”。
女神の強く崩れぬ意思が、論理武装を纏いベルセリオスの四肢を蝕む。

「【“炎剣”と“紅蓮”や“狂牛”と“料理人”の様に、精神世界での意思疎通による覚醒は既に何度も認められた手。
 ―――――ロジックが通用しない幻想界下での影響故に完全否定は不可能である】!」

眩い閃光の中、三撃目。右腿に杭を打たれ、ベルセリオスは獣の様に中身の無い台詞を叫ぶ。
犬歯を剥き出しにして身体を無理矢理動かそうと試みるが、椅子と肉を繋ぐ杭はびくともしない。
根性論では如何にもならない強固さ。パーセンテージは100。準備は万端、用意されていた不可避の論理連撃。
“ざけんな……認めてたまるかお前がそれを使うなんて。それは私の十八番だろうが”。
ベルセリオスは女神を一億回殺す勢いで睨む。
ぎらぎらと脂ぎった執念の瞳が女神の整った顔を、豊満な乳房を、肉付きの良い身体を滅多刺しにした。
しかし女神は醜悪な視線に眉一つ動かさず、杭に力を注ぎ続ける。いや、それどころか。

「【輝石を手にする事で、対象者は輝石の持ち主の記録や、溶けた精神体を垣間見る事がある。
 ―――――これは“烏”と“神子”により証明されている。“天使”のみが例外であるとの主張はロジックエラーである】!」

それどころか……四撃目の杭をとどめとばかりに放つのだ。
左腿に金色の杭をめり込ませながら、ベルセリオスは遂にがくりと項垂れる。
中途半端に開かれた口からは、最早悲鳴すら出る事はなかった。
抗えない。壊せる訳がない。当然の結果だった。これだけ強固な杭を破壊する牙など、何処にもある訳がない。
否定は元より不可能。確率や可能性を超越した、必然の奇跡。


全身で息をしながら、ベルセリオスは汗だくの顔をがばりと上げる。
女神の冷酷な瞳が、見下す視線が、ベルセリオスの理不尽な憎悪に満ちた面を貫いた。



「四連命題――――――――――――――以上より、この一手【絆と想い、論理による奇跡】は絶対に侵す事の出来ない完璧な手であると宣言します!!!」



Quod Erat Demonstrandum<証明完了>。
女神の清冽な、それでいて威厳のある声がホールに谺する。
論理が具現した四つの杭はまさに“天使”が今編んでいる究極四連術式の再現。
テトラ・ロジックとも言うべき絶対の法が、否定する限りは外せぬ魔杭となり、最早虫の息のベルセリオスを貫いていた。
そしてこの手を否定する材料は今、存在しない。先程のスピリッツブラスターの件とは訳が違う。
そしてこれは砕かれた“蒼雷”の輝石ですらない。前例や矛盾が無い以上、制限も課されない。
この世界のルールを上手く突いた見事な一撃、紛れもないループホール。

「はぁ、はぁ、はッ……う、ぐッ、ぐぬぬ……」

生気を無くし燃え尽きた様に疲労しきったベルセリオスが弱々しく、けれども腹の底から天を呪う様に唸る。
ロジックの鎖では搦め取る事の出来ない、小さな綻びすら見せぬ完全なる“定義不可能”。
何と言う事だろうか。女神はベルセリオスが最も得意とする論理戦を真っ向から挑んできたのだ。
しかもそこには反撃の刃を入れる僅かな隙間すら存在しない。何処から見ても完全完璧なロジックだった。
その全てはベルセリオスを完膚なきまでに叩きのめす為。
ただその為だけに、敢えて女神は理詰めを攻撃の主軸に起用した。
真逆ここで自分の手を使われるとは思っていなかっただろうベルセリオスは言葉を詰まらせ、わなわなと拳を震わせる。
地面に無理矢理這い蹲され、苦汁を舐めさせられる事の……何と言う屈辱か。

「クククッ……クック、クハハハハ……これはこれは……!」
観戦に徹していたサイグローグは、ここで漸く肩を揺らして笑みを零す。
仮面の下から覗く瞳は、がくがくと顎を揺らしながら悶絶するベルセリオスの姿を鮮明に映し出していた。
椅子から崩れ落ちそうになりながらも、冷静を保とうと深呼吸を試みてはいるが……最早その姿は滑稽としか言い様がない。
自信満々だった先程とは打って変わりすっかり青褪めてしまった表情は、
ベルセリオスにとってこの一手が如何に予想外であったのかを如実に物語っている。
女神の放った希望の一手<ロイヤルストレートフラッシュ>は、ゆっくりと、しかし確実にベルセリオスの首を締め上げていた。
剰え、この一手はまだ終わっていないときている。
女神の広げる展開に入り込む権利すら、ベルセリオスには許されていないのだ。
つまり、これは完全なる空間断絶。
論理結界により青黒く凍て付いた盤は、女神以外に触れる事すら叶わぬ独壇場。

絶対不可侵領域形成<クライマックスモード>。

何者にも侵されない聖域とも言うべき強力な盤上支配。想いと絆に論理を乗せた究極の戦況凍結。
対戦相手は何も言えず、ただただターン<ゲージ>終了まで攻撃を受け続け、悶え苦しむのみ。
これこそが女神の持つ真の能力。そしてそれをこの場で使ったという事は、確実に“勝ちにきている”。

ベルセリオスが暴れれば暴れる程にロジックの杭が身体を貫き、凍った盤上に触れようとする度に指先は強制停止される。
成程確かに最強の一手に違いなかった。最早イニシアチブは完全に女神にある。
前戯でこの有様となれば、これ以上の希望の波はベルセリオスにとって危険過ぎる。
ベルセリオスもその程度の事は重々承知だろう。だからこそ顔色にまで出して焦躁を感じているのだから。
(……こんな切り札を用意していたとは……奇跡の名は決して伊達ではないと、そういう事ですか……しかし……)


「ぐぅッ……だ、だがッ、そんな搾りカスのカスのカスを今更引っ張ってきたところでどうなるってんだッ!」

そう、確かにその通りなのだ。サイグローグは顎に手を当て、胸中で深く頷く。
輝石融合<エンジェルコール>による“天使”の復権。
予想外の一手ではあった。あったが……“それだけ”だ。
単にベルセリオスに一泡吹かせるつもりにしては、労力の割に利が合わない無駄な一手。
輝石破壊で体力や精神力が回復する訳でもないのは、“蒼雷”による“烏”の成金の流れで既に定義されている。
故にあくまでも石のみへの影響。今回の影響は翅の枚数と輝石に走る亀裂リカバー。成金とは異なるが根底は輝石の修復。
だが今の“天使”の条件では、それを以てしても秘奥義超級のタイムストップ四連は流石に不可能だ。
精神力不足による魔術効果低下、即ち停止時間減少。ダメージによる集中力不足がもたらす詠唱時間増加。
挙句が効果発動中の硬直による長いラグ。例え完成したとして、不完全な四連術式になるのは明らか。
これでは“天使”は満足しないだろうし、何より停止時間を考慮したところで“炎剣”の脱出には到底間に合わない。

「ぐふ、ぐふふふふふふ。ぐふふふふふふふふふひひゃははははッ……そうさそうだよなぁ……?
 こっちはなぁんにも焦る事なんかねぇんだよなぁ……ぐふふふふ。
 だあってぇ、“天使”のキャパシティはぁ! 最早とッッッくに不足が確定してんだからよぅ!!
 これは【絶対】だ! どうよ! 【100%】だぜぇ【100%】ぉ!! 否定出来る? 出来ねえよなあぁぁ!?
 たかが死に損ないのゴミクズ石程度で四連タイムストップなんてふざけ腐った手に足りる訳がッ! ぬえぇぇぇぇんだよおぉぉ!!!
 何が絶対不可侵領域形成!? くッッだらねぇ!
 クライマックスだかなんだか知らねえがよお、負荷がゼロになる博打でもやらない限りはそん な  、  も       ん――――――――――――――」




…………………………………………………………………………ぁ。




薄暗いホールに残響する叫び声の中、腑抜けた声がベルセリオスの口から零れ落ちる。
嘲笑に弧を描いていた唇は歪に固まり、頬はぴくぴくと痙攣を繰り返していた。
今にも飛び出そうな程にひん剥かれ、血走った目玉は忙しなく虚空に流れている。
見る見るうちに血の気が抜けてゆく顔は、この部屋を照らす青白い灯の影響にしては酷過ぎた。
何に気付いたのかと盤上の情報を見た道化師は、思わず口元を押さえる。そういう事かと。

「さ、サイグローグ!! 2日目E2城の情報封鎖申請!!
 “群青”の死亡状態を固ちゃ―――――――」
「遅いッ!!」

ベルセリオスが助けを求める様にサイグローグへと震える声で叫ぶが、それを女神の言の葉が白刃へと変化し一刀両断する。
速く正確に急所を狙う一撃は、最早容赦の欠片も無かった。
女神の持つ威光が、情報の羅列が、真直ぐに放たれる。
瞬く間にロジックの鎖へと黄金の光は姿を変え、そしてベルセリオスの四肢を椅子へと磔にした。

――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――

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