黎明の英雄-Schicksals Symphonie-
神には絶対に頼らない。何があっても縋らない。他人の力なんて借りてやるもんか。
何事も一人でやり通す。絶望も一人で克服する。問題も一人で解決する。
運命だって一人で捩じ曲げてやるし、人生だって一人で歩いてやるよ。
戦争だって勿論一人で戦ってやる。悲しみも痛みも辛さも、言うまでもなく一人で乗り切ってやる。
全ては願いの為に。何者にも頼らないからこそ、理想を追求し続ける事が出来たんだ。
一人で、一人で、一人で、一人で一人で一人で……。
何事も一人でやり通す。絶望も一人で克服する。問題も一人で解決する。
運命だって一人で捩じ曲げてやるし、人生だって一人で歩いてやるよ。
戦争だって勿論一人で戦ってやる。悲しみも痛みも辛さも、言うまでもなく一人で乗り切ってやる。
全ては願いの為に。何者にも頼らないからこそ、理想を追求し続ける事が出来たんだ。
一人で、一人で、一人で、一人で一人で一人で……。
姉様が死んでから、一人で出来ない事は何も無かったと言ってもいい。
利用出来る全てを利用して、富と名声、地位に世界の仕組みまで全部を造り上げてここまで到達した。
今までそうやって生きて来たし、その方が何かと都合が良かった。
孤独、結構じゃないか。それが何だと? 今まで生きてきて不都合がほんの僅かでもあったか?
仲間なんて、師弟なんて一々五月蠅いだけだ。どうせ何時かは裏切られるんだ。
なら最初から何も要らない。邪魔なものは望みさえしなければ、痛みなんてものは一切ない。
出来た繋がりはこっちから先に絶ってしまえば良い。
喪うものが無いから人は強くなれる。何も無いから、恐れずに戦へと向かえる。
孤独は強さだ。僕は全てを喪ってからその真理に至った。
何かを喪うから、人は“世界を救った英雄”なぞという糞喰らえな称号を手にする羽目になるのだと。
利用出来る全てを利用して、富と名声、地位に世界の仕組みまで全部を造り上げてここまで到達した。
今までそうやって生きて来たし、その方が何かと都合が良かった。
孤独、結構じゃないか。それが何だと? 今まで生きてきて不都合がほんの僅かでもあったか?
仲間なんて、師弟なんて一々五月蠅いだけだ。どうせ何時かは裏切られるんだ。
なら最初から何も要らない。邪魔なものは望みさえしなければ、痛みなんてものは一切ない。
出来た繋がりはこっちから先に絶ってしまえば良い。
喪うものが無いから人は強くなれる。何も無いから、恐れずに戦へと向かえる。
孤独は強さだ。僕は全てを喪ってからその真理に至った。
何かを喪うから、人は“世界を救った英雄”なぞという糞喰らえな称号を手にする羽目になるのだと。
でも、するとこの気持ちは何だ。何時からこんなにも、不思議な安らぎを感じる様になった。
……解ってるさ。あの馬鹿餓鬼と闘ってからだ。
あいつは本気で、僕が到達しなかった道の先を目指している。
自分の夢とリアラの夢、その二つともを本気で叶えようとしてやがる。
喪っている癖に、英雄たる意味を知っているのに、もう一度愛する人に会える気でいやがるんだ。
本当にどうしようもない奴だよ、カイルは。ありゃあきっと死んでも治りゃしない。
いや、何を思ったかそんな馬鹿の未来に懸けたくなって、ここまでしている僕の方が余程馬鹿なのかもしれないけどさ。
なぁ、お前もそう思わないか? クラトス。
……解ってるさ。あの馬鹿餓鬼と闘ってからだ。
あいつは本気で、僕が到達しなかった道の先を目指している。
自分の夢とリアラの夢、その二つともを本気で叶えようとしてやがる。
喪っている癖に、英雄たる意味を知っているのに、もう一度愛する人に会える気でいやがるんだ。
本当にどうしようもない奴だよ、カイルは。ありゃあきっと死んでも治りゃしない。
いや、何を思ったかそんな馬鹿の未来に懸けたくなって、ここまでしている僕の方が余程馬鹿なのかもしれないけどさ。
なぁ、お前もそう思わないか? クラトス。
今思えば、やっぱり一人だと思っていたのは僕だけだったみたいだ。
あの馬鹿も、アトワイトも、お前もユアンもアレも……姉様を亡くしてからは、全員利用してやる算段で組んでたのに。
何だかんだで、今も背を押されている気がするよ。僕との絆が在ったのは、多分お前だけじゃなかったんだ。
他人に縋るなんて真似は、したくないと今でも思う。でも、絆を信じる事くらい僕にだって出来る。
背が、心が熱いんだ。でも、たった一人の力がここまで大きな筈がない。
今此所に立っている僕が、お前との絆だけで出来ている訳あるもんか。
確りと在るんだ。この心に、何本もの絶対に千切れない鎖の束が。
今ならその全てを受け取れる自信がある。この鎖の束で、あと少しだけ命をこの大地に繋げられる自信がある。
だって、一度信じられたから。
……なぁ、笑えるだろ? こんなにも穏やかなんだよ、心が。清々しいんだよ。満たされてるんだよ。
手も足も無いのに、負けたのに。これから死ぬのに、こんな姿なのに。
あの馬鹿も、アトワイトも、お前もユアンもアレも……姉様を亡くしてからは、全員利用してやる算段で組んでたのに。
何だかんだで、今も背を押されている気がするよ。僕との絆が在ったのは、多分お前だけじゃなかったんだ。
他人に縋るなんて真似は、したくないと今でも思う。でも、絆を信じる事くらい僕にだって出来る。
背が、心が熱いんだ。でも、たった一人の力がここまで大きな筈がない。
今此所に立っている僕が、お前との絆だけで出来ている訳あるもんか。
確りと在るんだ。この心に、何本もの絶対に千切れない鎖の束が。
今ならその全てを受け取れる自信がある。この鎖の束で、あと少しだけ命をこの大地に繋げられる自信がある。
だって、一度信じられたから。
……なぁ、笑えるだろ? こんなにも穏やかなんだよ、心が。清々しいんだよ。満たされてるんだよ。
手も足も無いのに、負けたのに。これから死ぬのに、こんな姿なのに。
孤独なつもりで居たのにさ――――――――――――――どうしてこんなに、温かいんだろうなぁ。
この胸に在る気持ちは、“おもいで”は、皆との絆は……きっと、運命を破る剣となる。
あぁそうともさ。こんな僕でも、ずっと一人な訳じゃあなかった。こんなにも、こんなにも囲まれていたじゃないか、皆に。
行くよ、お前ら……その絆で僕の背中を、あと少しだけ押せ。
あぁそうともさ。こんな僕でも、ずっと一人な訳じゃあなかった。こんなにも、こんなにも囲まれていたじゃないか、皆に。
行くよ、お前ら……その絆で僕の背中を、あと少しだけ押せ。
【EXスキル追加:コンボプラス――――――――――――――複合スキル発生―――――――“スペルエンハンス”!!】
それはまるで一天の星影。ミトスの胸元を中心に、世界へと輝石が眩い光を放つ。
クラトスの遺した奇跡が、砕けたEXジェムの欠片が踊りながら銀色に輝き未来へと導く。
ミトスは背に熱く重い力を感じながら、色を失った彩雲が辛うじて制止している中空へと飛翔した。
七色に煌めくマナの嵐に髪をばさばさと揺らしながら、静かに血塗れた瞼を開く。
途端に目を襲う峻烈な光明。ミトスは一瞬だけ目を眩ませた。
細めた目を再び開いた時、銀と虹が混合したベールの向こう側に、ぼんやりと桃色の翅が見える事に気付く。
紫電がばちりと散り、その奥では夏の空よりも蒼く清い長髪が揺れていた。
ミトスは四千年前に嗅いだ事のある、懐かしい花の蜜の香りを鼻腔に感じる。
絶望の不毛、希望の天空―――――ならばそう、これも一つの絆の形。世界一陳腐で孤独な奇跡の具現。
クラトスの遺した奇跡が、砕けたEXジェムの欠片が踊りながら銀色に輝き未来へと導く。
ミトスは背に熱く重い力を感じながら、色を失った彩雲が辛うじて制止している中空へと飛翔した。
七色に煌めくマナの嵐に髪をばさばさと揺らしながら、静かに血塗れた瞼を開く。
途端に目を襲う峻烈な光明。ミトスは一瞬だけ目を眩ませた。
細めた目を再び開いた時、銀と虹が混合したベールの向こう側に、ぼんやりと桃色の翅が見える事に気付く。
紫電がばちりと散り、その奥では夏の空よりも蒼く清い長髪が揺れていた。
ミトスは四千年前に嗅いだ事のある、懐かしい花の蜜の香りを鼻腔に感じる。
絶望の不毛、希望の天空―――――ならばそう、これも一つの絆の形。世界一陳腐で孤独な奇跡の具現。
『仕方無い、私が最初に支えてやろう。マーテルがそう望むだろうからな。
……くれぐれも勘違いするなよ。“マ ー テ ル の 為”、だ。お前の為などではない! 分かったな!?』
……くれぐれも勘違いするなよ。“マ ー テ ル の 為”、だ。お前の為などではない! 分かったな!?』
呆れる様な台詞にミトスは思わず噴き出しそうになる。
憎まれ口と素直じゃないのは相変わらずだな、と思った。
ここまでだらしない顔を晒しツンデレを地で行くハーフエルフを、ミトスは他に知らない。
しかし最初がドジっ子とは。ミトスは唇の端を吊り上げ、肩を震わせた。
大の大人にも関わらず、目前のユアンは頬を染め一丁前に照れている。
憎まれ口と素直じゃないのは相変わらずだな、と思った。
ここまでだらしない顔を晒しツンデレを地で行くハーフエルフを、ミトスは他に知らない。
しかし最初がドジっ子とは。ミトスは唇の端を吊り上げ、肩を震わせた。
大の大人にも関わらず、目前のユアンは頬を染め一丁前に照れている。
幾ら時が経っても変わりゃしないな、お前は。
ファンダリアの花……姉様と一緒に花畑に行けなくて、お前は一人で拗ねてたっけ。
あぁ、今なら分かる。お前も喪ってさぞ辛かっただろう。
元々人間に手を貸す僕と姉様の偽善を暴く為に着いて来たお前の事だ。
人間とエルフと、その狭間の者達が手を取り合える未来を信じ始めた矢先、姉様を、婚約者を人間に殺された。
痛くない訳が、ないんだ。
ファンダリアの花……姉様と一緒に花畑に行けなくて、お前は一人で拗ねてたっけ。
あぁ、今なら分かる。お前も喪ってさぞ辛かっただろう。
元々人間に手を貸す僕と姉様の偽善を暴く為に着いて来たお前の事だ。
人間とエルフと、その狭間の者達が手を取り合える未来を信じ始めた矢先、姉様を、婚約者を人間に殺された。
痛くない訳が、ないんだ。
『こんな時にそんな寂しい顔をするものではないぞ、ミトス』
くしゃり、と突然頭を乱暴に撫でられる感覚。荒々しく、しかし、何処か優しくて。
唐突過ぎる感覚に流石のミトスも少し怯んだが、この手が誰のものかなんて、疑うまでもない事だった。
顔を見る必要さえもなかった。心が覚えているのだ、この手の大きさも、暖かさも。
唐突過ぎる感覚に流石のミトスも少し怯んだが、この手が誰のものかなんて、疑うまでもない事だった。
顔を見る必要さえもなかった。心が覚えているのだ、この手の大きさも、暖かさも。
四千年経っても何故か忘れないんだ―――――どうしてなんだろうな、クラトス。
『マーテルの為とは言ってはいるが、コレもお前の事をそれなりに心配しているのだ』
『待て。コレとは私の事か貴様。というか誰がミトスの心配など!』
『我々はお前に謝罪や同情を貰いにわざわざ来た訳ではない。胸を張って、素直に受け止めれば良い』
『おい! 無視をするな無視を!!』
『待て。コレとは私の事か貴様。というか誰がミトスの心配など!』
『我々はお前に謝罪や同情を貰いにわざわざ来た訳ではない。胸を張って、素直に受け止めれば良い』
『おい! 無視をするな無視を!!』
やれやれ。ミトスは苦笑しながら宙に浮かぶ群青色の翅を見上げた。
また現れたかと思えばこの後に及んで説教と漫才とは。相変わらず芸の無い奴等だ。
ミトスは声を上げて笑うと、鼻を小さく啜る。目前の二人はしばし居心地が悪そうに腕を組んでいた。
『……ま、まぁそういう事だ。話す事はもう何も無い。
全く調子が狂う。威張っていないお前の顔など、もう見たくもない。私は失礼する』
沈黙に耐え兼ねたのか、ユアンはそう吐き捨てマントを翻す。
輝くマナの渦に消えて行く背を、ミトスは何時までも真直ぐに見ていた。
世界に蕩ける瞬間に少しだけ覗いた横顔は、何とも言えない表情で少しだけ胸が詰まる。
勝手に喋って勝手に消える、か。さっぱりしててあいつらしいと言えばあいつらしい。
また現れたかと思えばこの後に及んで説教と漫才とは。相変わらず芸の無い奴等だ。
ミトスは声を上げて笑うと、鼻を小さく啜る。目前の二人はしばし居心地が悪そうに腕を組んでいた。
『……ま、まぁそういう事だ。話す事はもう何も無い。
全く調子が狂う。威張っていないお前の顔など、もう見たくもない。私は失礼する』
沈黙に耐え兼ねたのか、ユアンはそう吐き捨てマントを翻す。
輝くマナの渦に消えて行く背を、ミトスは何時までも真直ぐに見ていた。
世界に蕩ける瞬間に少しだけ覗いた横顔は、何とも言えない表情で少しだけ胸が詰まる。
勝手に喋って勝手に消える、か。さっぱりしててあいつらしいと言えばあいつらしい。
『では私もそろそろ行こう。時間も、語るべきも無い』
消えゆくユアンを最後まで見届け、一拍置いてクラトスが呟いた。
ミトスは惜しむ素振りすら見せず素直に頷き、顎で先を促す。早く行け、と。
その仕草に呆れた様に少しだけ笑い、背を向けるクラトス。
ミトスは少し迷い、口を開くが言うべき言葉が見つからず視線を地に滑らせる。
だがこれでいいのだ。別れの言葉はきっと要らない。柄でもない事はするものじゃない。
みるみる溶けてゆく蒼い翅。揺れる鳶色の髪、白銀の星々。
ゆっくりと瞳を閉じ、ミトスは喉元まで上がった台詞を飲み込む。
ミトスは惜しむ素振りすら見せず素直に頷き、顎で先を促す。早く行け、と。
その仕草に呆れた様に少しだけ笑い、背を向けるクラトス。
ミトスは少し迷い、口を開くが言うべき言葉が見つからず視線を地に滑らせる。
だがこれでいいのだ。別れの言葉はきっと要らない。柄でもない事はするものじゃない。
みるみる溶けてゆく蒼い翅。揺れる鳶色の髪、白銀の星々。
ゆっくりと瞳を閉じ、ミトスは喉元まで上がった台詞を飲み込む。
『行って来い、ミトス。私の自慢の―――――――』
あぁ。言われるまでもないさ。そこでドジっ子と一緒に指を咥えて見てろ。
弟子は師匠を越えるって、相場は決まってるものなんだから。
弟子は師匠を越えるって、相場は決まってるものなんだから。
【EXスキル追加:ディフェンド――――――――――――――複合スキル発生―――――――“ランタマイザー”!!】
瞼を閉じたミトスの輝石が光をより一層強く放つ。
まるで輝石そのものが呼吸でもしているかの様に、世界に渦巻く白銀がミトスの胸元へと吸い込まれていった。
果てしなく続く地平線は七色に輝いている。ミトスはそれを見ながら、背に感じる熱と重力が強まるのを感じていた。
地上でありながら絢爛に輝く世界はさながら銀河。
そしてこれが銀河であるならば、中心に構える天使にはきっと、無限の可能性があるに違いなかった。
まるで輝石そのものが呼吸でもしているかの様に、世界に渦巻く白銀がミトスの胸元へと吸い込まれていった。
果てしなく続く地平線は七色に輝いている。ミトスはそれを見ながら、背に感じる熱と重力が強まるのを感じていた。
地上でありながら絢爛に輝く世界はさながら銀河。
そしてこれが銀河であるならば、中心に構える天使にはきっと、無限の可能性があるに違いなかった。
『きっと大丈夫よ、ミトス』
聞き覚えのある声にはってして瞼を開く。
空に浮かぶ女の容姿を見た瞬間、ミトスは思わず声に出して笑ってしまった。
……何だ、お前。人間の時はそんな格好だったのか。
空に浮かぶ女の容姿を見た瞬間、ミトスは思わず声に出して笑ってしまった。
……何だ、お前。人間の時はそんな格好だったのか。
『聞こえてるわよ、心の声。全く失礼な子ね……まぁいいわ。
貴方の過去は、確りと受け取った。後は私に任せてくれて良いから』
貴方の過去は、確りと受け取った。後は私に任せてくれて良いから』
始まりは人形。意思無き道具が“任せてくれて良い”とは、大層な台詞をほざく様になったものだ。
ミトスは頬を膨らませるアトワイトを見て自嘲する。
自分は散々恨まれても良かっただろうに……むしろお前にどれだけ救われた事か。
“神には頼らない、一人でやり通す。でも、仲間に背を押して貰う事も、きっと悪じゃない”。
最初にその予感をくれたのは、他でもないお前だった様に思う。
……あぁ、成程確かに言う通りだったな。アトワイト、お前は存外“いい女”だったよ。
ミトスは頬を膨らませるアトワイトを見て自嘲する。
自分は散々恨まれても良かっただろうに……むしろお前にどれだけ救われた事か。
“神には頼らない、一人でやり通す。でも、仲間に背を押して貰う事も、きっと悪じゃない”。
最初にその予感をくれたのは、他でもないお前だった様に思う。
……あぁ、成程確かに言う通りだったな。アトワイト、お前は存外“いい女”だったよ。
『この私は幻。貴方の側に私はもう居ない。けれど、“私は貴方の側にずっと在る”わ。
ありきたりで陳腐な言葉だけれど、それだけは忘れないで』
いや、とミトスは頭を振った。決して陳腐なんかじゃないし、心配しなくても忘れない。
『有り難う……じゃあ私も行くわね。あんまり得意じゃないのよ、こういう湿っぽいの』
柔らかな表情を浮かべるミトスに、アトワイトは遠慮しがちに手を振る。
切なそうに笑うアトワイトの声が小さく震えている事に気付き、ミトスは拳を強く握った。
足元から徐々に消えてゆく像。皺一つ無い純白の服が世界に混ざり合ってゆく。
青紫色の髪が銀色の風に掠われてゆく。
ミトスは泡沫の如く溶けたアトワイトの顔を最後まで見なかった。
鼻を啜りながらだらしない顔をする女なんて、見なくなかった。
ありきたりで陳腐な言葉だけれど、それだけは忘れないで』
いや、とミトスは頭を振った。決して陳腐なんかじゃないし、心配しなくても忘れない。
『有り難う……じゃあ私も行くわね。あんまり得意じゃないのよ、こういう湿っぽいの』
柔らかな表情を浮かべるミトスに、アトワイトは遠慮しがちに手を振る。
切なそうに笑うアトワイトの声が小さく震えている事に気付き、ミトスは拳を強く握った。
足元から徐々に消えてゆく像。皺一つ無い純白の服が世界に混ざり合ってゆく。
青紫色の髪が銀色の風に掠われてゆく。
ミトスは泡沫の如く溶けたアトワイトの顔を最後まで見なかった。
鼻を啜りながらだらしない顔をする女なんて、見なくなかった。
『安心なさい、マスター……いえ、ミトス。
誇りに思っても良いのよ? こんな有能なソーディアン、そうそう居ないんだから』
誇りに思っても良いのよ? こんな有能なソーディアン、そうそう居ないんだから』
勿論だ。お前は世界一のパートナーだった。よく今までこんな馬鹿の我儘に付き合ってくれたな。
自慢に思うよ。お前は有能過ぎて、困ったくらいだ。この、馬鹿が。
自慢に思うよ。お前は有能過ぎて、困ったくらいだ。この、馬鹿が。
【EXスキル追加:ダッシュ――――――――――――――複合スキル発生―――――――“スペルボルテージ”!!】
強く、強く。更に強く。星々を廻す恒星の様に熱く、紅蓮の魂の如く滾る様に。
此所には絶望など無い。影など、闇などこの一瞬には一片も在りはしない。
そう証明するかの様に、輝石の輝きはどんどん増してゆく。
それはきっと全てを照らす聖なる光。少年が往く暗い道をも拓く道標。
ミトスは心地良いマナの風に全身を打たれながら、掠れた声で咳払いをする。
喉は疾うに潰れていた。口からは血肉が溢れていて、相変わらず死に損ないには違いなかった。
此所には絶望など無い。影など、闇などこの一瞬には一片も在りはしない。
そう証明するかの様に、輝石の輝きはどんどん増してゆく。
それはきっと全てを照らす聖なる光。少年が往く暗い道をも拓く道標。
ミトスは心地良いマナの風に全身を打たれながら、掠れた声で咳払いをする。
喉は疾うに潰れていた。口からは血肉が溢れていて、相変わらず死に損ないには違いなかった。
『ミトスさん』
あぁ、今度は誰だ。
ミトスは自分を呼ぶ声の方向を視線だけで追い、その像に思わず息を詰まらせた。
よりにもよって何故、お前なのかと。
一瞬愛しい姉の姿と重なる、聖母の様な存在感とすらりと伸びた手足。
スレンダーな体型に豊満な胸、ゆったりとした口調と甘いマナの匂い。
純白の法衣に身を包み何処か哀愁を漂わせる少女は、汚れの無い瞳を真直ぐにミトスへと向けていた。
そう。少女の名は……ミント=アドネード。
ミトスは自分を呼ぶ声の方向を視線だけで追い、その像に思わず息を詰まらせた。
よりにもよって何故、お前なのかと。
一瞬愛しい姉の姿と重なる、聖母の様な存在感とすらりと伸びた手足。
スレンダーな体型に豊満な胸、ゆったりとした口調と甘いマナの匂い。
純白の法衣に身を包み何処か哀愁を漂わせる少女は、汚れの無い瞳を真直ぐにミトスへと向けていた。
そう。少女の名は……ミント=アドネード。
ミトスは一瞬だけ顔を苦痛に歪ませ、そして何も言えず項垂れる。
当然だった。
ミントに負い目を感じない訳がなかった。
彼女を“キズモノ”にしたのは、他でもないミトス本人だったのだから。
なのに何故、とミトスは歯を軋ませる。……何故、お前が来るんだ。
何を思って、何の為に。お前にした仕打ちを忘れたのか。お前の光と希望を奪った事を忘れたのか。
お前が僕に会いに来る必要なんて、あったのか。
当然だった。
ミントに負い目を感じない訳がなかった。
彼女を“キズモノ”にしたのは、他でもないミトス本人だったのだから。
なのに何故、とミトスは歯を軋ませる。……何故、お前が来るんだ。
何を思って、何の為に。お前にした仕打ちを忘れたのか。お前の光と希望を奪った事を忘れたのか。
お前が僕に会いに来る必要なんて、あったのか。
『私が力になる事が出来るのかは分かりません。
ですが、私は貴方を助けたかった。マーテル様の影から出ようとしなかった貴方を』
ですが、私は貴方を助けたかった。マーテル様の影から出ようとしなかった貴方を』
ミトスは紡がれた像と、その言葉を直視する事が出来なかった。
今更彼女に合わせる顔なんて、一つも持ち合わせていなかった。
今更彼女に合わせる顔なんて、一つも持ち合わせていなかった。
『夢は逃げません。何時だって、夢を追う対価から逃げるのは自分です。
運命は決まっていません。何時だって、それを破れるのかと疑わず受け入れるのは自分です。
人が変わらない訳がありません。何時だって、変わろうと思わなくなるのは自分です。
居場所が無い訳がありません。何時だって、此所に立つ事を諦め嘆くのは自分です』
運命は決まっていません。何時だって、それを破れるのかと疑わず受け入れるのは自分です。
人が変わらない訳がありません。何時だって、変わろうと思わなくなるのは自分です。
居場所が無い訳がありません。何時だって、此所に立つ事を諦め嘆くのは自分です』
ミトスの胸に震えが走った。つい数時間前の記憶が、鉄砲水の様に押し寄せる。
“此所に立つ”。
口内で反芻した言葉は、ミトスの心に深く刺さった。……諦めるのは自分。諦めないのも、自分。
全てを分かろうとしていても何処か譲れずにいたミトスにとって、女の言葉は肉体的なダメージよりも遥かに“痛かった”。
何よりもそれを姉でも師でも仲間でもなく、被害者であったミントに言われた事がミトスには一番堪えた。
全てを分かろうとしていても何処か譲れずにいたミトスにとって、女の言葉は肉体的なダメージよりも遥かに“痛かった”。
何よりもそれを姉でも師でも仲間でもなく、被害者であったミントに言われた事がミトスには一番堪えた。
『伝えたかったこの想いが力となるのなら、力は絆と言えるなら。私にも貴方の背を押せるでしょうか。
私にも、癒せるでしょうか』
私にも、癒せるでしょうか』
ミトスは応えない。
ミトス=ユグドラシルの持つ闇にとって、ミント=アドネードは直視したくない全ての権化だった。
英雄ミトスが堕天使ミトスたる、最後の砦。
カイルに壊されても未だ残っていた四千年の努力を水泡に帰す、最後の引き金。
ミトス=ユグドラシルの持つ闇にとって、ミント=アドネードは直視したくない全ての権化だった。
英雄ミトスが堕天使ミトスたる、最後の砦。
カイルに壊されても未だ残っていた四千年の努力を水泡に帰す、最後の引き金。
『――――――前を見なさい。彼女という現実すら見えないようでは、未来は到底見えませんよ、ミトス』
告げられた言葉の重さに息を呑む。頬を思い切りぶたれた様な、痛みを伴う強い衝撃が胸を打った。
背後から聞こえたのは、懐かしさを漂わせる優しくも威厳のある声。
ミトスははっとする。四千年を、自分の全てを捧げてきた愛しい人の澄んだ声を聞き間違える訳がない。
がばりと顔を上げようとするが、それよりも前に女が強く、けれども慈愛に満ちた腕で優しくミトスを抱擁する。
背後から回された手、背に当たる身体。そして耳元に聞こえる呼吸の音に、ミトスの脳は得も言われぬ悦楽に満ちた。
女神マーテル、いや……マーテル=ユグドラシル。
そこに居たのは神話の女神でも大樹の精霊でも何でもない、ただの姉だった。
背後から聞こえたのは、懐かしさを漂わせる優しくも威厳のある声。
ミトスははっとする。四千年を、自分の全てを捧げてきた愛しい人の澄んだ声を聞き間違える訳がない。
がばりと顔を上げようとするが、それよりも前に女が強く、けれども慈愛に満ちた腕で優しくミトスを抱擁する。
背後から回された手、背に当たる身体。そして耳元に聞こえる呼吸の音に、ミトスの脳は得も言われぬ悦楽に満ちた。
女神マーテル、いや……マーテル=ユグドラシル。
そこに居たのは神話の女神でも大樹の精霊でも何でもない、ただの姉だった。
『気付いているのでしょう? 過ちに、支えてくれていた人に、自分の存在に。
貴方は、一人ですが決して独りではなかった事に』
貴方は、一人ですが決して独りではなかった事に』
その言葉にどくん、と心が脈を打つ。
支えてくれる人が居た。分かり合える仲間が居た。最高のパートナーが居た……僕は独りじゃない。
あぁ分かってる。分かってるんだ。ずっと理解しようとしなかった。
自分の哀しみが他者から理解されるなんて思いもしなかった。
だから、奪ってきた。
喪う気持ちがお前らに分かるのかと、分からないだろうと全てを殺してきた。
まるで……苛められっ子が泣きじゃくりながら苛め返すみたいに。
姉様の願いまで自分に都合良く捩じ曲げて……全く、格好悪いったらありゃしない。まるで餓鬼の我儘だった。
そしてその我儘の先に残ったものは、孤独と虚しさと、深い絶望だった。
支えてくれる人が居た。分かり合える仲間が居た。最高のパートナーが居た……僕は独りじゃない。
あぁ分かってる。分かってるんだ。ずっと理解しようとしなかった。
自分の哀しみが他者から理解されるなんて思いもしなかった。
だから、奪ってきた。
喪う気持ちがお前らに分かるのかと、分からないだろうと全てを殺してきた。
まるで……苛められっ子が泣きじゃくりながら苛め返すみたいに。
姉様の願いまで自分に都合良く捩じ曲げて……全く、格好悪いったらありゃしない。まるで餓鬼の我儘だった。
そしてその我儘の先に残ったものは、孤独と虚しさと、深い絶望だった。
気付いてた。ずっと気付いてたんだよ、姉様。僕は……とんでもなく馬鹿だった。
ミトスは姉の腕の残香をゆっくりと堪能し、腕からするりと抜け、顔を上げる。
凛と輝く双眸は確りと二人の女神を見据えていた。
―――――すまない。
ミトスの目がミントにそう言った。曇り一つ無いその硝子玉に、ミントはいいえ、と微笑む。
マーテルはそのやりとりを見て表情を和らげると、小さく息を吸い口を開いた。
凛と輝く双眸は確りと二人の女神を見据えていた。
―――――すまない。
ミトスの目がミントにそう言った。曇り一つ無いその硝子玉に、ミントはいいえ、と微笑む。
マーテルはそのやりとりを見て表情を和らげると、小さく息を吸い口を開いた。
『漸くいい目になりましたねミトス。……全てを理解した貴方に、私達から話す事はもう何もありません。
だって、ほら。貴方はもう、自分の足で此所に立っているんですもの』
だって、ほら。貴方はもう、自分の足で此所に立っているんですもの』
ミトスはぽかんと口を開け、言葉を失う。
屈託の無い笑顔を見せる二人から、ミトスは暫く目が離せなかった。
マーテルの言葉に、ぽっかりと空いた胸の穴が満たされてゆく。
屈託の無い笑顔を見せる二人から、ミトスは暫く目が離せなかった。
マーテルの言葉に、ぽっかりと空いた胸の穴が満たされてゆく。
此所に、立っている。
……何と壮大な響きだろうか。ミトスは胸に込み上げる熱いものをぐっと堪え、息を詰まらせた。
下唇を固く噛み、ぎゅうと瞼を下ろして二人の幻を脳裏に刻み込む。
もう、先程の抱擁されていた感覚は無い。けれども温かさは何時までもそこにあった。
ミトスにはそれだけで充分だった。充分過ぎた。
だから二度とマーテルに抱き付く事はない。その必要は、もうないのだ。
ミトスは唇の周りの筋肉をわなわなと震わせた。柄にもなく鼻水を垂らしながら、我慢していた嗚咽を零す。
姉の言葉が、抱擁が弟の何もかもを溶かしてしまった。
幾ら歳を取ろうが……姉にとって弟は何時までも子供なのだ。
下唇を固く噛み、ぎゅうと瞼を下ろして二人の幻を脳裏に刻み込む。
もう、先程の抱擁されていた感覚は無い。けれども温かさは何時までもそこにあった。
ミトスにはそれだけで充分だった。充分過ぎた。
だから二度とマーテルに抱き付く事はない。その必要は、もうないのだ。
ミトスは唇の周りの筋肉をわなわなと震わせた。柄にもなく鼻水を垂らしながら、我慢していた嗚咽を零す。
姉の言葉が、抱擁が弟の何もかもを溶かしてしまった。
幾ら歳を取ろうが……姉にとって弟は何時までも子供なのだ。
ミトスは震えながら、姉の名を名残惜しそうに口にする。
消えゆく姉にその言葉は届いただろうか。再びミトスが顔を上げた時、そこには人一人、居はしなかった。
情けない顔で天を仰ぐ、ハーフエルフが一匹居ただけ。それ以上も以下もなかった。
ミトスは、マーテルの弟であれた事を誇りに思っている。姉との思い出は一生忘れない事だろう。
だが、もうミトスが姉の影に縛られる事はない。だって、“居場所は此所でも良かった”のだから。
消えゆく姉にその言葉は届いただろうか。再びミトスが顔を上げた時、そこには人一人、居はしなかった。
情けない顔で天を仰ぐ、ハーフエルフが一匹居ただけ。それ以上も以下もなかった。
ミトスは、マーテルの弟であれた事を誇りに思っている。姉との思い出は一生忘れない事だろう。
だが、もうミトスが姉の影に縛られる事はない。だって、“居場所は此所でも良かった”のだから。
『いってらっしゃい』
――――――いってきます。
【EXスキル追加:マジカル――――――――――――――複合スキル発生―――――――“マジカルブースト”!!】
『本当の事言うとさ。オレ、あの洞窟で終わってたんだ。あの人の言葉が無かったら、きっと今頃無様に死んでた』
空と大地の境界が混ざり合って生じた、眩暈がする様な光の中でその声だけがやけにはっきりと鼓膜を揺らしていた。
だがミトスは声の主へと見向きもしない。ただ黙したまま数千万の星々が輝く天を仰ぎ続けていた。
油断すると零れてしまいそうな何かを抑える様に、熱い目頭を冷ます様に、悠久の空を見上げていた。
声の主にはこの無様な顔を絶対に見られたくなかったからだ。
だがミトスは声の主へと見向きもしない。ただ黙したまま数千万の星々が輝く天を仰ぎ続けていた。
油断すると零れてしまいそうな何かを抑える様に、熱い目頭を冷ます様に、悠久の空を見上げていた。
声の主にはこの無様な顔を絶対に見られたくなかったからだ。
『オレは強くなんかない。馬鹿でチビで弱虫で我儘な、ただの子どもだ。
誰かが居なくちゃ駄目なんだ。寂しいのは嫌なんだ。喪うのは嫌なんだ。一人で生きるのは、無理なんだ』
誰かが居なくちゃ駄目なんだ。寂しいのは嫌なんだ。喪うのは嫌なんだ。一人で生きるのは、無理なんだ』
ぽつぽつと呟かれた言葉は、脆さと弱さに塗れていた。
震える声は現実への悲しみよりも、むしろ自らの不甲斐なさへの怒りに満ちている。
ミトスの指先が小さく跳ねた。その原因が自分にあるのだろうと気付いたからだ。
カイル、と小さく胸の中で呟く。今、後ろを向けば。向きさえすれば、まだ間に合うかもしれない。
“未練”。その二文字がミトスの身体を底無し沼へと引き摺り込む。
震える声は現実への悲しみよりも、むしろ自らの不甲斐なさへの怒りに満ちている。
ミトスの指先が小さく跳ねた。その原因が自分にあるのだろうと気付いたからだ。
カイル、と小さく胸の中で呟く。今、後ろを向けば。向きさえすれば、まだ間に合うかもしれない。
“未練”。その二文字がミトスの身体を底無し沼へと引き摺り込む。
『だから、頼むよ。こっちを向いてくれ。オレもそっちを向く。自分は死んで未来は預けるなんてそんなのッ』
言うな。今更卑怯だろ。泣くなよ。迷わせるなよ。逝かせろよ。
『夢があるなら助からなきゃ、嘘だろ! 来たいって、生きたいって、言えよ!』
頼むよ。全部が自信に満ちてる選択な訳がないんだ。僕だって、分かってるんだよ。
『まだ、死にたくないって、言えよ……!』
言うな。今更卑怯だろ。泣くなよ。迷わせるなよ。逝かせろよ。
『夢があるなら助からなきゃ、嘘だろ! 来たいって、生きたいって、言えよ!』
頼むよ。全部が自信に満ちてる選択な訳がないんだ。僕だって、分かってるんだよ。
『まだ、死にたくないって、言えよ……!』
英雄が零すには余りにもか細い声は、目が眩む様な光に掻き消されてしまいそうだった。
ミトスは喉元まで競り上がった台詞を飲み込む。言ってしまえばどれほど楽なのだろう。
どれほど二人は救われるだろう。
ミトスは喉元まで競り上がった台詞を飲み込む。言ってしまえばどれほど楽なのだろう。
どれほど二人は救われるだろう。
『オレはお前にも、本当は―――――――――』
とん、とカイルの背に柔らかな衝撃が伝わる。
何かを咎める様な肉の重さにカイルは目を僅かに見開くが、その意味に気付き直ぐに細める。
背に触れた肌は小刻みに震えていた。カイルが零した言葉は、ミトスにとってあまりにも残酷過ぎたのだ。
咄嗟に後ろを向きたい衝動に駆られたが、カイルは拳を握り感情を抑える。
他人の決意をないがしろにする事なんて、今更誰にも出来る訳が無かったのだ。
捩じ曲げたい願いはあれど、決して捩じ曲げていいものではないのだ。
越えるべき相手が、震えながらも振り返らずに居るのだ。己が此処で折れて如何すると言うのか。
何かを咎める様な肉の重さにカイルは目を僅かに見開くが、その意味に気付き直ぐに細める。
背に触れた肌は小刻みに震えていた。カイルが零した言葉は、ミトスにとってあまりにも残酷過ぎたのだ。
咄嗟に後ろを向きたい衝動に駆られたが、カイルは拳を握り感情を抑える。
他人の決意をないがしろにする事なんて、今更誰にも出来る訳が無かったのだ。
捩じ曲げたい願いはあれど、決して捩じ曲げていいものではないのだ。
越えるべき相手が、震えながらも振り返らずに居るのだ。己が此処で折れて如何すると言うのか。
『ごめんミトス。そうだよな。オレがどうかしてた。それじゃ、駄目なんだよな』
それに、振り返らないのは“約束”だった。一度した約束を破るほど、格好の悪い漢は居ない事を二人は知っていた。
『……うん。だからミトス。その代わりにオレ、絶対忘れないよ。
お前と出会った事、お前と戦った事、お前が助けてくれた事。お前が夢を託してくれた事。
確かにお前の選んだ道を、オレは認める事なんて出来ない。
けれど、お前がくれた“おもいで”は……たとえ何度生まれ変わっても絶対に忘れない。
忘れそうになったとしても意地でも思い出してやる。死んでも思い出してやる。いや死なないけど!』
お前と出会った事、お前と戦った事、お前が助けてくれた事。お前が夢を託してくれた事。
確かにお前の選んだ道を、オレは認める事なんて出来ない。
けれど、お前がくれた“おもいで”は……たとえ何度生まれ変わっても絶対に忘れない。
忘れそうになったとしても意地でも思い出してやる。死んでも思い出してやる。いや死なないけど!』
ミトスは少しも頭を動かさないまま、小さく笑う。酷く震えた声だった。
……そこまで言われちゃあ、奇跡を信じたくなるじゃないか。
だって、こんなにも自信満々に大言壮語を吐くのだ―――――――――
……そこまで言われちゃあ、奇跡を信じたくなるじゃないか。
だって、こんなにも自信満々に大言壮語を吐くのだ―――――――――
『だから……お前も絶対に忘れるなよ。死んでも、忘れるな。お前も俺も、いきる。“漢の約束”だ』
―――――――――たった一つの想いさえ、貫く事が難しいはずだったこの空の下で。
肩を震わせて辛そうに笑うミトスに背を向けたまま、カイルは未来を……自分の歩むべき方向を見据える。
ミトスには何となく分かっていた。カイルが律義にこちらに背を向け、“約束”を守っている事が。
もう迷わない。例え幻であろうが、相手が本人であろうがなかろうが一度立てた旗を折る様な真似は二度としないだろう。
背面越しの英雄。何処までも、二人は意地っ張りだった。
ミトスには何となく分かっていた。カイルが律義にこちらに背を向け、“約束”を守っている事が。
もう迷わない。例え幻であろうが、相手が本人であろうがなかろうが一度立てた旗を折る様な真似は二度としないだろう。
背面越しの英雄。何処までも、二人は意地っ張りだった。
『夢も未来も、おなかいっぱい受け取った。だから、オレにもちょっとはお返しさせてくれよ。
お前の……君の背中を押す事くらいなら、オレにだって出来るからさ』
お前の……君の背中を押す事くらいなら、オレにだって出来るからさ』
背にどんと大きな力が乗る。大気が震撼し、マナと熱気の波が周囲の湿っぽさを吹き飛ばした。
空を焦がす様な光は何処までも愚直で、まるで誰かのようだなとミトスは微笑む。
何時しか背の気配は消えていたが、お互いに悔いなど少しもありはしない。
これで、良かったのだ。
空を焦がす様な光は何処までも愚直で、まるで誰かのようだなとミトスは微笑む。
何時しか背の気配は消えていたが、お互いに悔いなど少しもありはしない。
これで、良かったのだ。
『期待しても、何も言わないぞっ。“漢は黙って別れるもんだ”って、父さんが言ってたんだ』
……誰が期待なんかするかよ。黙って行ってこい、“英雄”。
<――――――奇跡四撃・クライマックスコンボ。
私の凍結領域下では、貴方にこの奇跡は絶対に打破出来ない……受けなさい、これが希望の力です―――――――――>
私の凍結領域下では、貴方にこの奇跡は絶対に打破出来ない……受けなさい、これが希望の力です―――――――――>
ミトスは幻達を笑い飛ばす様に鼻から息を吐き、顎を少しだけ上げて節を口ずさむ。
嗄れた声はボーイソプラノと呼ぶにはあまりにも醜かった。
けれども、確かにそれは天使の歌声。奇跡の旋律。
絆が紡ぎ出す聖なる歌は、決して誰にも語られる事の無い孤高の譜。
だが確かに此所に在った。雄大で、絢爛で。そして荘厳な生き様が確かにこの瞬間に在ったのだ。
嗄れた声はボーイソプラノと呼ぶにはあまりにも醜かった。
けれども、確かにそれは天使の歌声。奇跡の旋律。
絆が紡ぎ出す聖なる歌は、決して誰にも語られる事の無い孤高の譜。
だが確かに此所に在った。雄大で、絢爛で。そして荘厳な生き様が確かにこの瞬間に在ったのだ。
世界に染み渡る様な音律に合わせ、天使の背に二重三重と虹が集ってゆく。
煌びやかな鱗粉は世界を取れる程に豪勢な旋風と化し、天使の背へごうごうと渦巻いていった。
そしてその小さな銀河とも言うべき渦は圧縮され、大きく羽ばたく為の翅と成るのだ。
かつて天使が持っていた翅よりも遥かに大きく、この舞台で散った天使の影よりも遥かに煌びやかな翅。
だが、それは最早翅と呼ぶには壮大過ぎるだろう。言うなればこれは運命を越える為の――――――――――翼。
ばさりと一度だけ背の翼の感覚を確かめる様に羽ばたき、大天使ミトス=ユグドラシルは首を捻りぱきりと慣らした。
そして躊躇い無く術を編み、唱う。対価は命とこの立派な翼だが、今更惜しむ理由が無かった。
リダクションによる魔力消費率減少、ディフェンドによる肉体劣化速度低下。
マジカルとマジカルブーストによる時間停止時間上昇、スペルエンハンスの硬直解除による即時詠唱連結。
リズムとスピードスペル、スペルボルテージとランダマイザーによる運すらをも味方にした詠唱時間短縮・破棄。
その恩恵達が響き合い、瞬く間に四節の魔紋様を編んでゆく。
天空に広がる陣……否、“球”は半径十数メートルにも及んでいた。
四連の上級超魔術となれば平面の陣如きでは御せはしない。立体化は半ば必然だった。
薄さ数ミクロンの白銀の糸が、まるでミシンで縫われるかの様に高速かつ精密に空間を這い回り、ミトスを中心を球となり取り囲む。
銀色の髪よりも細く頼りない魔糸だが、その強度は金剛石をも上回っていた。
煌びやかな鱗粉は世界を取れる程に豪勢な旋風と化し、天使の背へごうごうと渦巻いていった。
そしてその小さな銀河とも言うべき渦は圧縮され、大きく羽ばたく為の翅と成るのだ。
かつて天使が持っていた翅よりも遥かに大きく、この舞台で散った天使の影よりも遥かに煌びやかな翅。
だが、それは最早翅と呼ぶには壮大過ぎるだろう。言うなればこれは運命を越える為の――――――――――翼。
ばさりと一度だけ背の翼の感覚を確かめる様に羽ばたき、大天使ミトス=ユグドラシルは首を捻りぱきりと慣らした。
そして躊躇い無く術を編み、唱う。対価は命とこの立派な翼だが、今更惜しむ理由が無かった。
リダクションによる魔力消費率減少、ディフェンドによる肉体劣化速度低下。
マジカルとマジカルブーストによる時間停止時間上昇、スペルエンハンスの硬直解除による即時詠唱連結。
リズムとスピードスペル、スペルボルテージとランダマイザーによる運すらをも味方にした詠唱時間短縮・破棄。
その恩恵達が響き合い、瞬く間に四節の魔紋様を編んでゆく。
天空に広がる陣……否、“球”は半径十数メートルにも及んでいた。
四連の上級超魔術となれば平面の陣如きでは御せはしない。立体化は半ば必然だった。
薄さ数ミクロンの白銀の糸が、まるでミシンで縫われるかの様に高速かつ精密に空間を這い回り、ミトスを中心を球となり取り囲む。
銀色の髪よりも細く頼りない魔糸だが、その強度は金剛石をも上回っていた。
ミトスは幾何学模様の複雑な魔紋様に力を注ぎながら、黄金に輝く時計の文字盤へと歌を捧げ続ける。
魔方球から迸る光の柱が呼んだ聖なる風は、箒星が翔んだ方向へと勢い良く吹き抜けた。
風は星へと届かないかもしれない。星は燃え尽きているかもしれない。未来は誰にも分からない。
だが、それでも風は未来へと進み続ける。自らが神風となって英雄の背を押す事を信じて。
喉元からは肉がぼろぼろと剥離していた。全身の節という節は、がくがくと笑っていた。だが、天使は尚も唱う事を止めない。
翼から翅を数百数千と落としながら、命を文字通り散らしながら朽ちた唇を震わせた。
その姿を応援するかの様に、四つの文字盤には数字と針が再び浮かび上がり、天使を前後左右から取り囲む。
全ての盤の間を、立体化した数十の魔紋様の歯車が噛み合いながら巡り、輝くマナの鎖は螺旋状に巻き付いた。
それは天地人魑魅魍魎、万物に通ずる絶対の法の固定……即ち儀式の完成を意味している。
天使は息を小さく吸い、瞳を閉じて心に祈った。
どうか守ってくれ。運命よ捩じ曲がれ。道よ拓け。
魔方球から迸る光の柱が呼んだ聖なる風は、箒星が翔んだ方向へと勢い良く吹き抜けた。
風は星へと届かないかもしれない。星は燃え尽きているかもしれない。未来は誰にも分からない。
だが、それでも風は未来へと進み続ける。自らが神風となって英雄の背を押す事を信じて。
喉元からは肉がぼろぼろと剥離していた。全身の節という節は、がくがくと笑っていた。だが、天使は尚も唱う事を止めない。
翼から翅を数百数千と落としながら、命を文字通り散らしながら朽ちた唇を震わせた。
その姿を応援するかの様に、四つの文字盤には数字と針が再び浮かび上がり、天使を前後左右から取り囲む。
全ての盤の間を、立体化した数十の魔紋様の歯車が噛み合いながら巡り、輝くマナの鎖は螺旋状に巻き付いた。
それは天地人魑魅魍魎、万物に通ずる絶対の法の固定……即ち儀式の完成を意味している。
天使は息を小さく吸い、瞳を閉じて心に祈った。
どうか守ってくれ。運命よ捩じ曲がれ。道よ拓け。
「時よ止まれ、未来は美しい―――――――――魔術四連。タイム、ストップ」
ぼそぼそと吐かれた情けない台詞は、祈りでも願いでも何でもなく、一人のハーフエルフの餓鬼としての純な想いだった。
そこには歳や肩書きやプライド、虚栄……それらを含む僅かな飾りさえもなく、
声音には真理に迫る様な何かが、世界を震わせる強い何かがあった。
だから今こうして訪れている一瞬の静寂は、世界がこのたかが一匹の死体に慄いている様にさえ見える。
そこには歳や肩書きやプライド、虚栄……それらを含む僅かな飾りさえもなく、
声音には真理に迫る様な何かが、世界を震わせる強い何かがあった。
だから今こうして訪れている一瞬の静寂は、世界がこのたかが一匹の死体に慄いている様にさえ見える。
そして世界が人の子の想いに応えたかの様に―――――――――全てが溶けてしまう様な光の束が、高く高く構える空を割った。
完全なるテトラスペルが放たれる。ミトスは遂に完成させたのだ。ソーディアンの力も借りずに一人の力で。
根元から翼をもがれながら、ミトスは瞳から滴を一筋流した。
目頭が熱い。喉に息が詰まる。胸がぎゅうと絞まる様だ。頬に這う水滴が心地良い。
根元から翼をもがれながら、ミトスは瞳から滴を一筋流した。
目頭が熱い。喉に息が詰まる。胸がぎゅうと絞まる様だ。頬に這う水滴が心地良い。
―――――あぁそうか、忘れてたよ。これが……涙か。
数えるのも億劫になる年月我慢してきた“涙”がミトスの瞳からぼろぼろと零れ落ちる。
溢れても溢れても止まらない感情の激流に、ミトスは四千歳若返った気分だった。
そしてミトスは皆を想う。この気持ちを思い出させてくれた、仲間達を。
溢れても溢れても止まらない感情の激流に、ミトスは四千歳若返った気分だった。
そしてミトスは皆を想う。この気持ちを思い出させてくれた、仲間達を。
そう……皆と出会わなければ、皆に力を貸して貰わなければ、今の自分はきっと居ないだろう。
何時か裏切られる。どうせ差別される、いずれ取り残される、居場所なんてある訳がない……馬鹿め。だから何だと?
今更グチグチ言って過去が変わるか? 今が変わるか? 未来が良くなるか?
この際どうせ死ぬなら受け入れてやるよ、全部。後悔も未練も残して逝ってなんかやるもんか。
生きてよかった。死んでよかった。一人を貫いてよかった。
此所に居てよかった。独りじゃなくてよかった……そう思いたくて一体何が悪い。
今までの自分を笑い飛ばしてやる―――――――――それも含めて、“人生”なのだと!
感謝しよう。お前達に出会えた、これまでの全てに!!
何時か裏切られる。どうせ差別される、いずれ取り残される、居場所なんてある訳がない……馬鹿め。だから何だと?
今更グチグチ言って過去が変わるか? 今が変わるか? 未来が良くなるか?
この際どうせ死ぬなら受け入れてやるよ、全部。後悔も未練も残して逝ってなんかやるもんか。
生きてよかった。死んでよかった。一人を貫いてよかった。
此所に居てよかった。独りじゃなくてよかった……そう思いたくて一体何が悪い。
今までの自分を笑い飛ばしてやる―――――――――それも含めて、“人生”なのだと!
感謝しよう。お前達に出会えた、これまでの全てに!!
「――――――――――――――――――ありがとう!!!!!!!」
尊敬する師へありがとう。仲間へありがとう。最高のパートナーへありがとう。
最愛の姉にありがとう。あいつらにありがとう。かけがえのない出会い達に、全てに……ありがとう。
最愛の姉にありがとう。あいつらにありがとう。かけがえのない出会い達に、全てに……ありがとう。
無い筈の中指を天に向けて立て、ミトスは泣きじゃくりながらも心底無邪気に笑った。
世界の理そのものを嘲笑うかの様な、純粋過ぎる笑みだった。
世界の理そのものを嘲笑うかの様な、純粋過ぎる笑みだった。
<―――――……“ありがとう”……だぁ……? はあぁぁ!? こっちがぶつけた手にありがとうだああぁぁあぁぁ!?!?
み、認めッ……ふざ、そ、そんな手ッ、こんな茶番ッ! こ……こんなもん、こんな……こんな……―――――>
み、認めッ……ふざ、そ、そんな手ッ、こんな茶番ッ! こ……こんなもん、こんな……こんな……―――――>
凍て付いた時間が、何かを思い出したかの様に騒がしく動き出す。最期の文字盤の針が歪み、魔法が砕けてゆく。
マナの輝きも、魔方陣も、七色の翅も。全てが不可逆な時の流れの前に等しく朽ちていった。
歴史が直ぐ側に待ち構えていたかの様に慌ただしく動き出す。世界に茜色が満ちてゆく。
奇跡が霧散してゆく。勇気も決意も、想いも。そこには全てが無い。何もかもが正常に戻ってゆく。
時間の狭間で起きた小さな奇跡など、歴史は無視して進んでゆく。
夕闇に喰われた天地へ散り逝くマナの鱗粉に、燃える斜陽は何時までも見とれていた。
固まっていた風が“動き”を思い出し世界を吹き抜け、ミトスの身体を通り抜けていく。
頬を掠め髪を靡かせる微風は、何処までも清々しく心地良かった。
マナの輝きも、魔方陣も、七色の翅も。全てが不可逆な時の流れの前に等しく朽ちていった。
歴史が直ぐ側に待ち構えていたかの様に慌ただしく動き出す。世界に茜色が満ちてゆく。
奇跡が霧散してゆく。勇気も決意も、想いも。そこには全てが無い。何もかもが正常に戻ってゆく。
時間の狭間で起きた小さな奇跡など、歴史は無視して進んでゆく。
夕闇に喰われた天地へ散り逝くマナの鱗粉に、燃える斜陽は何時までも見とれていた。
固まっていた風が“動き”を思い出し世界を吹き抜け、ミトスの身体を通り抜けていく。
頬を掠め髪を靡かせる微風は、何処までも清々しく心地良かった。
終わる世界。
素肌に死を感じながら、天使は安らかな表情を浮かべる。
見上げた悠久の大空には、鮮やかな雲達が優雅に泳いでいた。
ミトスは大地に墜ちながら静かに息を吸う。澄んだ空気は冷たく、熱くなった胸を内側から静かに冷やしていった。
素肌に死を感じながら、天使は安らかな表情を浮かべる。
見上げた悠久の大空には、鮮やかな雲達が優雅に泳いでいた。
ミトスは大地に墜ちながら静かに息を吸う。澄んだ空気は冷たく、熱くなった胸を内側から静かに冷やしていった。
今頃同じ空気をあいつも吸っているのだろうか、と思う。
身体を受け止めた大地はミトスを砕くには充分に固かったが、複合EXスキル“パッシブ”がその衝撃を和らげる。
肉を抱く大地は冷たいはずだったが、ミトスには不思議と暖かささえ感じられた。
土を、空気を、世界の感覚を確かめる様にミトスは瞳を閉じて大自然に身を任せる。
身体を受け止めた大地はミトスを砕くには充分に固かったが、複合EXスキル“パッシブ”がその衝撃を和らげる。
肉を抱く大地は冷たいはずだったが、ミトスには不思議と暖かささえ感じられた。
土を、空気を、世界の感覚を確かめる様にミトスは瞳を閉じて大自然に身を任せる。
青臭い匂いが鼻腔をくすぐった。
これが世界、これが歴史……これが己の歩んで来た道。
こんなにも美しく雄大な世界に抱かれて逝けるなら―――――あぁ……命ってのも、悪くない。
これが世界、これが歴史……これが己の歩んで来た道。
こんなにも美しく雄大な世界に抱かれて逝けるなら―――――あぁ……命ってのも、悪くない。
未来は、夢は、居場所は――――――――――――――――――ここにある。
「はは。ざまあみろ、ダオス。僕だって……やるときゃやるんだ」
見たか世界よ、おののけ神よ。何が運命、何が現実。
たかが一人の想いに罅を走らす脆き壁、砕けぬ訳があるものか。
たかが一人の想いに罅を走らす脆き壁、砕けぬ訳があるものか。
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――turn shift
「ンなっ、お前、こ、こん」
顔面を青一色に染め上げたベルセリオスの口から単語未満の音声が零れ落ちる。
無様を少しでも光に晒さぬ為か右手で顔を覆うが、その見事なまでの狼狽え振りは隠しきれるものではない。
最早演技もへちまも無い、剥き出しの驚愕が傷ついた論理の隙間から噴出していた。
「ププププ…………ああ、失敬………クク、ップクック……」
サイグローグは戦いが始まってから初めて御目にかかったそれを満足げに眺めた。
あれほど高慢ちきに相手を散々こき下ろしていた上座が、見事なまでにカウンターでその鼻柱を圧し折られたのだ。
その無様たるや、石膏で型を取って胸像を作り廊下に飾っておきたいレヴェルだ。
だが、無理もないとは思う。
ベルセリオスが組み立てた包囲網は完璧だった。不確定な要素を極限まで排除した万に一つも抜けられぬ壁だった。
現に、枯渇寸前の群青の輝石と廃棄寸前の天使の輝石が融合したところで、ただ輝石の機能を僅かに延命するのが関の山だ。
天使のポテンシャルそのものを復活させることなど出来るはずが無い。だからこそベルセリオスはそれを脅威と認識しなかった。
しかし一瞬、一瞬だけベルセリオスは見逃していた。奇跡を、キセキの滑り込む余地を見逃した。
(群青はEXスキルを発動する間もなく滅びた…………つまり、EXスキルは何一つ“確定していなかった”)
確定していない要素は、矛盾さえなければ如何なるタイミングでも開闢可能。
未確定要素。それは言わば、パンドラの箱だ。
その中にあるのは絶望か希望か。先にその鍵を開けた者だけがそれを選ぶことができる。
あの城の中に眠っていた最後の宝箱――――――それこそが、女神の切札だった。
恐らく、常のベルセリオスならば見逃すはずもないだろう。真っ先に潰すであろう、逆転の布石。
だが全てを見通すベルセリオスの瞳は、この刹那覆われてしまったのだ。
顔面を青一色に染め上げたベルセリオスの口から単語未満の音声が零れ落ちる。
無様を少しでも光に晒さぬ為か右手で顔を覆うが、その見事なまでの狼狽え振りは隠しきれるものではない。
最早演技もへちまも無い、剥き出しの驚愕が傷ついた論理の隙間から噴出していた。
「ププププ…………ああ、失敬………クク、ップクック……」
サイグローグは戦いが始まってから初めて御目にかかったそれを満足げに眺めた。
あれほど高慢ちきに相手を散々こき下ろしていた上座が、見事なまでにカウンターでその鼻柱を圧し折られたのだ。
その無様たるや、石膏で型を取って胸像を作り廊下に飾っておきたいレヴェルだ。
だが、無理もないとは思う。
ベルセリオスが組み立てた包囲網は完璧だった。不確定な要素を極限まで排除した万に一つも抜けられぬ壁だった。
現に、枯渇寸前の群青の輝石と廃棄寸前の天使の輝石が融合したところで、ただ輝石の機能を僅かに延命するのが関の山だ。
天使のポテンシャルそのものを復活させることなど出来るはずが無い。だからこそベルセリオスはそれを脅威と認識しなかった。
しかし一瞬、一瞬だけベルセリオスは見逃していた。奇跡を、キセキの滑り込む余地を見逃した。
(群青はEXスキルを発動する間もなく滅びた…………つまり、EXスキルは何一つ“確定していなかった”)
確定していない要素は、矛盾さえなければ如何なるタイミングでも開闢可能。
未確定要素。それは言わば、パンドラの箱だ。
その中にあるのは絶望か希望か。先にその鍵を開けた者だけがそれを選ぶことができる。
あの城の中に眠っていた最後の宝箱――――――それこそが、女神の切札だった。
恐らく、常のベルセリオスならば見逃すはずもないだろう。真っ先に潰すであろう、逆転の布石。
だが全てを見通すベルセリオスの瞳は、この刹那覆われてしまったのだ。
(四大天使の輝石は“全て一回づつ使われていた”。これが迷彩になった……)
『輝石の一手は全て使い終わった。まさかもう一度同じ死者を使う訳がない』。
ベルセリオスはこの盤に熟達しているが故に、プレイヤーとしての常識に引っ張られた。
ベルセリオスはこの盤に熟達しているが故に、プレイヤーとしての常識に引っ張られた。
論理で世界を切り分けるこの絶望は、己が論理に眩まされたのだ。そして―――
「終わりです、下郎よ。これが貴方が見ようとしなかった力です」
その僅かな間隙にロイヤルストレートフラッシュを作り上げた女神。論理の楔によって磔にされたベルセリオス。
その実力が、神が神たる所以がハッキリと示していた。
4連続タイムストップが成立したことで、炎剣がC3に逃げ込むに十分な時間が残った。
もうそろそろ効果が切れるが、このままの速度でいけば、抜けても15秒は余裕があるだろう。逃げ切りと言っていい時間と距離だ。
精緻な金細工と思えたベルセリオスの現実でさえ、こうして真っ向から並べて比べれば、泥団子にも見える。
それほど神の紡ぐ真実は美しく、完璧に絶望を貫いていた。
正にこの世界は灰色のオセロ。絶望が極まれば極まるほど、それを打破する希望は頂天に輝く。
今や、ベルセリオスが作り上げた絶望など――――神の希望を輝かせる為だけの踏み台に過ぎなかった。
その僅かな間隙にロイヤルストレートフラッシュを作り上げた女神。論理の楔によって磔にされたベルセリオス。
その実力が、神が神たる所以がハッキリと示していた。
4連続タイムストップが成立したことで、炎剣がC3に逃げ込むに十分な時間が残った。
もうそろそろ効果が切れるが、このままの速度でいけば、抜けても15秒は余裕があるだろう。逃げ切りと言っていい時間と距離だ。
精緻な金細工と思えたベルセリオスの現実でさえ、こうして真っ向から並べて比べれば、泥団子にも見える。
それほど神の紡ぐ真実は美しく、完璧に絶望を貫いていた。
正にこの世界は灰色のオセロ。絶望が極まれば極まるほど、それを打破する希望は頂天に輝く。
今や、ベルセリオスが作り上げた絶望など――――神の希望を輝かせる為だけの踏み台に過ぎなかった。
冷やかに敵を見据える女神に対し、ベルセリオスの視線はどんどんと散逸を強め、身体のバランスも崩れていく。
恐らくは必死に打開策を考えているのだろう。だが、皆まで言わずともその苦悶の表情と抜けない楔が答えを教えていた。
タイムストップが発動している間はあらゆる力が通じない。
魔剣のような規格外があれば話は別だが、この周囲には存在しない。希望側に利用されぬよう、ベルセリオスが先に排除してしまったからだ。
つまりこの盤上で今動けるのは天使と炎剣、そして蒼紅の2刀のみ。
炎剣の操作権は現在女神が占有しており、そして天使と2刀が今、絶望を、ベルセリオスの魔手を撥ね退けた。
虎の子<強制首輪爆破>ももう不可能だろう。爆弾で川の流れをせきとめようとするようなものだ。
追い風と向かい風が逆転した今、ここまで回りくどい手を仕掛けてからやるには手数が掛かり過ぎる。
(……そもそも、絶望側が望むのは禁止エリア発動による炎剣の爆破。ここでその前提を崩すなら本末転倒です。
遊びが過ぎましたな、ベルセリオス様。貴方らしくも無い)
油断か、性格か、それとも別の何かか。彼の内にあった何かが、理の極みたるその思考を僅かに硬直させた。
その結果が盤上に写る。時間が停止し物理干渉が通じぬ今、ベルセリオスが干渉できる余地が無いのだ。
恐らくは必死に打開策を考えているのだろう。だが、皆まで言わずともその苦悶の表情と抜けない楔が答えを教えていた。
タイムストップが発動している間はあらゆる力が通じない。
魔剣のような規格外があれば話は別だが、この周囲には存在しない。希望側に利用されぬよう、ベルセリオスが先に排除してしまったからだ。
つまりこの盤上で今動けるのは天使と炎剣、そして蒼紅の2刀のみ。
炎剣の操作権は現在女神が占有しており、そして天使と2刀が今、絶望を、ベルセリオスの魔手を撥ね退けた。
虎の子<強制首輪爆破>ももう不可能だろう。爆弾で川の流れをせきとめようとするようなものだ。
追い風と向かい風が逆転した今、ここまで回りくどい手を仕掛けてからやるには手数が掛かり過ぎる。
(……そもそも、絶望側が望むのは禁止エリア発動による炎剣の爆破。ここでその前提を崩すなら本末転倒です。
遊びが過ぎましたな、ベルセリオス様。貴方らしくも無い)
油断か、性格か、それとも別の何かか。彼の内にあった何かが、理の極みたるその思考を僅かに硬直させた。
その結果が盤上に写る。時間が停止し物理干渉が通じぬ今、ベルセリオスが干渉できる余地が無いのだ。
(その完璧さが、仇と成った…………水も漏らさぬ絶望の壁が、逆に希望の楯と機能した……)
今やベルセリオスの敵は、女神などではなく己が積み上げた絶望だった。
兎にも角にも天下分目の天王山。天使の攻防を突破した今、英雄の道を遮るものは何も無い。
後は動くことの出来ぬベルセリオスの口と鼻をそっと塞ぐだけで、息の根を止めることができる。
兎にも角にも天下分目の天王山。天使の攻防を突破した今、英雄の道を遮るものは何も無い。
後は動くことの出来ぬベルセリオスの口と鼻をそっと塞ぐだけで、息の根を止めることができる。
「Smothered Mate<自駒による窒息>。貴方は神の力に敗れたのではない。想いの、絆の力に、敗れ去るのです……ッ!!」
全てが窒息する世界で、撃鉄が引かれた。
「ざっけんなあああああああァアアあああァあああアああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
静寂、後に爆発。自らを絡めとる杭を強引に引き千切ってベルセリオスは僅かに抜けた腕を伸ばす。
目指すは炎剣…………否、あの一線を越えれば英雄に“成る”駒。
されどその手は虚空を抜けるばかりで、何もつかめない。
目指すは炎剣…………否、あの一線を越えれば英雄に“成る”駒。
されどその手は虚空を抜けるばかりで、何もつかめない。
「何が想いだ、何が絆だッ!! そんなものがこの世にあったか!?
誰かがそれを発見したか!? ちゃんと荷電子の数を見たか!? X線を当てて干渉縞の幅を調べたか!?
お前らは何時だってそうだ。愛だ、希望だ夢だ友情だ奇跡だって、
ありもしないものを、分析も証明も出来ないものを、僅かな言葉に無理矢理閉じ込めて全てを知った気になってる!!」
誰かがそれを発見したか!? ちゃんと荷電子の数を見たか!? X線を当てて干渉縞の幅を調べたか!?
お前らは何時だってそうだ。愛だ、希望だ夢だ友情だ奇跡だって、
ありもしないものを、分析も証明も出来ないものを、僅かな言葉に無理矢理閉じ込めて全てを知った気になってる!!」
宙を泳ぐ指先が軌跡を描く。もし、今ここに何も知らぬ誰かが現れてそれを見れば、ただのエアダンスにも見えたかもしれない。
全ての駒を天使の翅に収束させ、今や動かせる駒を持たぬベルセリオスには何もできないからだ。
全ての駒を天使の翅に収束させ、今や動かせる駒を持たぬベルセリオスには何もできないからだ。
「私は違う! 私は全てを“偽らない”!! 事実だけを縁に、現実だけを標に、私はわたしを構築した。
希望と言う名のまやかしを破る絶望を―――お前と言う嘘を斬り裂く、真実の刃を!!」
希望と言う名のまやかしを破る絶望を―――お前と言う嘘を斬り裂く、真実の刃を!!」
だがサイグローグには、そして女神には分かっていた。否応にも理解した。
その指の先、爪の先一線までも貫く意思が、指手から伝わってくる。
ベルセリオスから一切の余裕が消えた。軽薄な悪辣に覆われていた感情が剥き出しになって迸っている。
だが、一体この完全に詰んだ状況から何を―――――――
その指の先、爪の先一線までも貫く意思が、指手から伝わってくる。
ベルセリオスから一切の余裕が消えた。軽薄な悪辣に覆われていた感情が剥き出しになって迸っている。
だが、一体この完全に詰んだ状況から何を―――――――
「もういい! せめて死に際位は美しく飾ってやろうかと思ったが、もう止めだ!!
絆だろうが、想いだろうがグチャグチャのベチャベチャのドッロドロに原型留めない位ほど解剖して、ホルマリンに漬け込んでやる。
コレが神の希望だってなら、とくと見ろ――――――――――――絶望という名の、真実をッ!!」
絆だろうが、想いだろうがグチャグチャのベチャベチャのドッロドロに原型留めない位ほど解剖して、ホルマリンに漬け込んでやる。
コレが神の希望だってなら、とくと見ろ――――――――――――絶望という名の、真実をッ!!」
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
『どうやら、なんとか行きそうだな』
そう言って、ディムロスが空を見上げる。
死より生へと逃げ続けるカイル達を見下ろす空は、漸くその色彩を落ちつけようとしていた。
最初は色気のないモノクロームだった空が、侵蝕するかの如く夕の赤と宵の黒を滲ませて、
モノクロとカラーの間でマーブルになった空は次第に追いつめられるようにして色味を取り戻した。
そして、あわやあと一色でフルカラーになろうとした世界は、“最後の意地”とでも言うようにもう一度だけ全ての色を消し去った。
カイル達は、その色彩の拮抗が何を意味しているのかを誤るほど馬鹿ではなかった。
死より生へと逃げ続けるカイル達を見下ろす空は、漸くその色彩を落ちつけようとしていた。
最初は色気のないモノクロームだった空が、侵蝕するかの如く夕の赤と宵の黒を滲ませて、
モノクロとカラーの間でマーブルになった空は次第に追いつめられるようにして色味を取り戻した。
そして、あわやあと一色でフルカラーになろうとした世界は、“最後の意地”とでも言うようにもう一度だけ全ての色を消し去った。
カイル達は、その色彩の拮抗が何を意味しているのかを誤るほど馬鹿ではなかった。
『もう直ぐ、効果が切れるか……』
そして今、夜明け前の空の如くあるがままの色を取り戻しつつある世界の意味も。
「アトワイト……」
カイルはおぼつかない意識で、腰に差した二刀のうちの1つに声をかける。
彼女はどうしたの、などとは答えない。
敵としてカイルに相対してきた彼女にはカイルの言いたいことは何となく分かっていた。
「あいつ、俺に託すって。俺なんかに、4000年もかけてきた夢を」
『そうね。私には過去を託して、あなたには未来を託したんだわ』
「未来、か……」
なんて聞こえのいい言葉だろう。だが、カイルにはその言葉の綺麗さとは真逆の感情が浮かんでいた。
時間の流れが無いためか、出している速度に比べれば風圧は緩い。
だが、心を吹き抜ける得も言われぬ風に、カイルはぎゅっと胸を握り締めずにはいられなかった。
重なる鼓動、響き合う魂。
例えこの感覚が幻であり、瞼の暗闇に映る姿が幻視に過ぎないとしても、吐き出さずにはいられなかった。
疲れて疲れて全身から液体をみんな出して、それでも頬を伝う一筋が、アトワイトには見えていた。
カイルはおぼつかない意識で、腰に差した二刀のうちの1つに声をかける。
彼女はどうしたの、などとは答えない。
敵としてカイルに相対してきた彼女にはカイルの言いたいことは何となく分かっていた。
「あいつ、俺に託すって。俺なんかに、4000年もかけてきた夢を」
『そうね。私には過去を託して、あなたには未来を託したんだわ』
「未来、か……」
なんて聞こえのいい言葉だろう。だが、カイルにはその言葉の綺麗さとは真逆の感情が浮かんでいた。
時間の流れが無いためか、出している速度に比べれば風圧は緩い。
だが、心を吹き抜ける得も言われぬ風に、カイルはぎゅっと胸を握り締めずにはいられなかった。
重なる鼓動、響き合う魂。
例えこの感覚が幻であり、瞼の暗闇に映る姿が幻視に過ぎないとしても、吐き出さずにはいられなかった。
疲れて疲れて全身から液体をみんな出して、それでも頬を伝う一筋が、アトワイトには見えていた。
「――俺に鼓動を重ねるくらいなら、生きればよかったのに!」
『カイル……』
『カイル……』
アトワイトは言葉に窮した。
何故、ミトスが生を望まなかったのか。カイルと共に死より帰還することを望まなかったのか。
生と死の狭間の戦いで、生きるということの意味を少年は知ったのに。
彼女は……その答えを知っていた。正確には、この島で一番彼と共にあった存在として“多分そうなのだろう”という推測だが。
それをカイルに伝え、ミトスを代弁して慰めることはできるかもしれない。
だが、口にするのはおろか、頭で浮かべた先から言葉が腐っていくのを感じた。
どれだけ真実に近くとも、それはアトワイトの推測だ。ミトス以外がそれを口にするのは、許されない。
何故、ミトスが生を望まなかったのか。カイルと共に死より帰還することを望まなかったのか。
生と死の狭間の戦いで、生きるということの意味を少年は知ったのに。
彼女は……その答えを知っていた。正確には、この島で一番彼と共にあった存在として“多分そうなのだろう”という推測だが。
それをカイルに伝え、ミトスを代弁して慰めることはできるかもしれない。
だが、口にするのはおろか、頭で浮かべた先から言葉が腐っていくのを感じた。
どれだけ真実に近くとも、それはアトワイトの推測だ。ミトス以外がそれを口にするのは、許されない。
(後は、カイル一人で乗り越えるしかない。貴方なら、いつか分かるわ)
<いつか? そんなに待たせるなよ。ほら、手伝ってあげるからさ――――――――――――
<いつか? そんなに待たせるなよ。ほら、手伝ってあげるからさ――――――――――――
沈黙するアトワイトに、何を思ったか。カイルは、少しだけ首を横に回した。
何故、一緒に生けなかったんだ。何で、俺だけに行けといったんだ。
答えが返ってくる訳が無い。だが、カイルはそれを求めずにはいられなかった。
もう少し首を捻れば、後ろが見える。そこに、アイツが居る。“振り返れば”――――――
何故、一緒に生けなかったんだ。何で、俺だけに行けといったんだ。
答えが返ってくる訳が無い。だが、カイルはそれを求めずにはいられなかった。
もう少し首を捻れば、後ろが見える。そこに、アイツが居る。“振り返れば”――――――
【言ったはずだよ。一度でも振り返ったら、人間の内には間に合わないって】
―――――――――――――――――――――天国で屑肉と仲良く答え合わせしなッ!!>
―――――――――――――――――――――天国で屑肉と仲良く答え合わせしなッ!!>
パァン。
その時、紅が咲いた。モノクロの世界で夕日よりも真っ赤な、真っ赤な血の花が。
その時、紅が咲いた。モノクロの世界で夕日よりも真っ赤な、真っ赤な血の花が。
「ぎ、な……ッ」
『カイルッッ―――――!!』
『カイルッッ―――――!!』
カイルの脇腹から噴き出る血液に、ディムロスが絶叫した。
『カイル、無事か、カイル!!』
「…………なん、とか………』
『ディムロスは黙って! ……良かった―――肉が抉れたけど、骨まで届いていない』
「へへ………ミトスが、教えてくれなきゃ、逝ってた、かも……」
「…………なん、とか………』
『ディムロスは黙って! ……良かった―――肉が抉れたけど、骨まで届いていない』
「へへ………ミトスが、教えてくれなきゃ、逝ってた、かも……」
そう言ってカイルは笑うが、その笑顔には血よりも先に放出しようと汗がどっと溢れ、見る間に生気を減じている。
間髪で捩じらなければ骨にまで達していたであろう威力が、カイルの体にありありと刻まれていた。
それに呼応するように、箒の制動が緩みブレ始める。
間髪で捩じらなければ骨にまで達していたであろう威力が、カイルの体にありありと刻まれていた。
それに呼応するように、箒の制動が緩みブレ始める。
『く…………誰だ!? 一体、何処からッ!!』
『それより、今はまだ時間が止まってるはず――――どうやって!?』
『それより、今はまだ時間が止まってるはず――――どうやって!?』
カイルという主翼を弱らせた航空機が、サブエンジンで辛うじて自らを安定させる。
その間も、ディムロスとアトワイトは周囲に目を凝らしていた。
だが、その心中は肉体以上に揺さぶられていた。
突如傷付けられたカイルの翼。鋭利さは微塵も無く、ただ肉を引き千切られたような傷跡。
刃というよりは握力。“強奪”。古今東西無数にある言葉の中では、そう呼ぶのが一番しっくりきた。
ディムロス達はそれを考慮さえしていなかった。時間や、速度やら……そんな曖昧な概念よりも最も警戒すべき“直接的暴力”を。
その間も、ディムロスとアトワイトは周囲に目を凝らしていた。
だが、その心中は肉体以上に揺さぶられていた。
突如傷付けられたカイルの翼。鋭利さは微塵も無く、ただ肉を引き千切られたような傷跡。
刃というよりは握力。“強奪”。古今東西無数にある言葉の中では、そう呼ぶのが一番しっくりきた。
ディムロス達はそれを考慮さえしていなかった。時間や、速度やら……そんな曖昧な概念よりも最も警戒すべき“直接的暴力”を。
だが、それを以てディムロス達に罪を詰ることはできない。それは“ありえない”のだから。
誰が奪う<フーダニット>――――――時間の止まった世界で、誰が。
何処から奪う<ホウェアダニット>―――――止まった世界を高速で進む鳥を、何処から。
どうやって奪う<ハウダニット>――進めない止まった世界の中で、どうやって。
なぜ奪う<ホワイダニット>――――――――お前が絶望する様が見たいから!!。
誰が奪う<フーダニット>――――――時間の止まった世界で、誰が。
何処から奪う<ホウェアダニット>―――――止まった世界を高速で進む鳥を、何処から。
どうやって奪う<ハウダニット>――進めない止まった世界の中で、どうやって。
なぜ奪う<ホワイダニット>――――――――お前が絶望する様が見たいから!!。
もうマーダーはほとんどいない。クレスが態々カイルを狙う理由も無い。
誰もカイルを妨害しない。妨害できない。なのに、どうやって―――――――
誰もカイルを妨害しない。妨害できない。なのに、どうやって―――――――
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
「ぐふ、、ぐひゃ、ひゃはははははは!!!! 最初からこうすれば良かった!!
七面倒な構成組むくらいなら、こうしておけば、どれだけ楽だったか………」
改めて両腕両足を鎖に雁字搦めにされながらも、ベルセリオスは笑った。
もう何も出来ぬはずなのに、その口から湧き出る嘲笑は途絶えることは無く、南へ逃げる炎はその勢いを大きく弱めていた。
「バカな、どうやって…………」
サイグローグが盤面を凝視する。あり得るはずの無い略奪が盤面にて繰り広げられた。
見まごうこと無き犯行の現場―――――だが、犯人が存在しない。これほど矛盾に満ちた犯行があるだろうか。
「絶望側……説明をお願いします。駒の追加申請は受けておりません。この攻撃が誰の手で行われたのか、お答えください。
さもなければ論理破綻、虚偽のルール違反としてペナルティを執行いたします――――――――!!!」
真正面からの反則行為にサイグローグはベルセリオスを拘束する黒き鎖に力を注ぐ。
『はぐれた仲間達を探せ』『ペナルティを克服し次の階を目指せ』『各階層開始時に参加メンバーを設定』――――――
“自らの領域に対しルールを敷く”能力、その具現こそがこの鎖であり、この道化が判定者を務められる理由である。
もしも僅かにでも矛盾があれば、か細いベルセリオスの肉体はミートソースのようになっていただろう。
七面倒な構成組むくらいなら、こうしておけば、どれだけ楽だったか………」
改めて両腕両足を鎖に雁字搦めにされながらも、ベルセリオスは笑った。
もう何も出来ぬはずなのに、その口から湧き出る嘲笑は途絶えることは無く、南へ逃げる炎はその勢いを大きく弱めていた。
「バカな、どうやって…………」
サイグローグが盤面を凝視する。あり得るはずの無い略奪が盤面にて繰り広げられた。
見まごうこと無き犯行の現場―――――だが、犯人が存在しない。これほど矛盾に満ちた犯行があるだろうか。
「絶望側……説明をお願いします。駒の追加申請は受けておりません。この攻撃が誰の手で行われたのか、お答えください。
さもなければ論理破綻、虚偽のルール違反としてペナルティを執行いたします――――――――!!!」
真正面からの反則行為にサイグローグはベルセリオスを拘束する黒き鎖に力を注ぐ。
『はぐれた仲間達を探せ』『ペナルティを克服し次の階を目指せ』『各階層開始時に参加メンバーを設定』――――――
“自らの領域に対しルールを敷く”能力、その具現こそがこの鎖であり、この道化が判定者を務められる理由である。
もしも僅かにでも矛盾があれば、か細いベルセリオスの肉体はミートソースのようになっていただろう。
「何度も言わせるな。私は――――――“偽らない!!”」
だが、ベルセリオスの一喝と共に、鎖が粉々に砕けてゆく。
当然だ……真実は、誰にも縛れない。例え、誰も望んでいない真実だとしても。
「ックッ……ベルセリオス様……説明をッ!!」
「ああしてあげるともさ、単純明快明朗快活愉快痛快な答えを教えてあげるよ…………」
当然だ……真実は、誰にも縛れない。例え、誰も望んでいない真実だとしても。
「ックッ……ベルセリオス様……説明をッ!!」
「ああしてあげるともさ、単純明快明朗快活愉快痛快な答えを教えてあげるよ…………」
ベルセリオスの指が断頭台を降ろす腕の如く振り下ろされた。
狂える隕石の様に、真っ直ぐに一か所を目指して。
狙うは唯一つ、ベルセリオスがかつての盤上にてそうしたように。
その熱い熱い血潮を溜めた、その軟い軟い筋の塊を。
狂える隕石の様に、真っ直ぐに一か所を目指して。
狙うは唯一つ、ベルセリオスがかつての盤上にてそうしたように。
その熱い熱い血潮を溜めた、その軟い軟い筋の塊を。
「その心臓と引き換えにねッ!!」
希望に夢見て、走って、走って、どれだけ走っても、その果てに待っていたものは変わらない。
結果は、歴史は変わらない。小さな少年は、英雄になれぬまま、胸を、腹を穿たれて死ぬのだ。
結果は、歴史は変わらない。小さな少年は、英雄になれぬまま、胸を、腹を穿たれて死ぬのだ。
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Turn Shift
「あああッッ」
<な!?>
<な!?>
歴史を決定づける刹那、鈍い炸裂音が静止空間に木霊する。
その音の中心、カイルの胸の前で二つのソーディアンの刀身が交差していた。
ハッキリ言えば無意識だった。無我夢中で剣を前に出しただけだった。
誰が、どこから、何が来るかなど分かっていようはずもない。だが“腹<ここ>だけは今度こそ”守らなければならない。
そんな曖昧すぎる確信がカイルを防御させ―――――それは的に中った。
そしてその威力は未だ剣に乗っていて――――カイルを襲う“敵”がまだそこにいた。
その音の中心、カイルの胸の前で二つのソーディアンの刀身が交差していた。
ハッキリ言えば無意識だった。無我夢中で剣を前に出しただけだった。
誰が、どこから、何が来るかなど分かっていようはずもない。だが“腹<ここ>だけは今度こそ”守らなければならない。
そんな曖昧すぎる確信がカイルを防御させ―――――それは的に中った。
そしてその威力は未だ剣に乗っていて――――カイルを襲う“敵”がまだそこにいた。
<ギリギリで読んだか、よくやるよくやる。まぐれに凌いだご褒美だ――――――死ぬ前に答えを教えてやる>
『も、もしかして。こ、これが……?』
『まさか、先のあれも同じだというのか……? バカな……有り得ん』
『まさか、先のあれも同じだというのか……? バカな……有り得ん』
ソーディアン2本が交差する一点、そこにそれは在った。
鉛よりも薄汚れた灰色で、金属よりも卑屈な複合鉱物で、銃弾よりも軟弱な決意。
なんの殺意も無く、ただ其処に在る。ただ其処に在って、カイルを殺す。
鉛よりも薄汚れた灰色で、金属よりも卑屈な複合鉱物で、銃弾よりも軟弱な決意。
なんの殺意も無く、ただ其処に在る。ただ其処に在って、カイルを殺す。
意思なき殺人装置――――――握りこぶし大の、石がそこに在った。
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
「ば、かな…………正気、なのですか……」
サイグローグは絶句した。息を呑むとか圧倒されるなどというものではなく、本当の懐疑と侮蔑を以て。
盤上で起こったことは、ハッキリと理解できた。
サイグローグは絶句した。息を呑むとか圧倒されるなどというものではなく、本当の懐疑と侮蔑を以て。
盤上で起こったことは、ハッキリと理解できた。
【炎剣の進行方向に拳大の石が中空で停止しており、炎剣はそれにぶつかった】。以上。
「いやー、なんせ音速の何割かで飛んでるんだ。ぶつかればそりゃあこうなるよね。現実的に考えて」
高速で進む何かが襲いかかったのではない。“静止した物体に高速で進む炎剣がぶつかったのだ”。
「タイムストップ中だからなあ。普通なら前方衝撃波で吹き飛ぶんだけど、時間的に断絶してるからなあ」
タイムストップ中は、一切の存在は動けない。
故に、衝撃波だろうが、何がぶつかろうと“動かない”。炎剣という空間の特異点に接触するまでは。
「さっきの戦闘で風とかいっぱい吹いたしね。石とか礫が空中に飛んでたんだろうね」
勿論タイムストップ中に干渉が出来るはずもないから……時間が止まる寸前、そこに落下しようとしていたのだ。“そういう設定に書き換えた”。
高速で進む何かが襲いかかったのではない。“静止した物体に高速で進む炎剣がぶつかったのだ”。
「タイムストップ中だからなあ。普通なら前方衝撃波で吹き飛ぶんだけど、時間的に断絶してるからなあ」
タイムストップ中は、一切の存在は動けない。
故に、衝撃波だろうが、何がぶつかろうと“動かない”。炎剣という空間の特異点に接触するまでは。
「さっきの戦闘で風とかいっぱい吹いたしね。石とか礫が空中に飛んでたんだろうね」
勿論タイムストップ中に干渉が出来るはずもないから……時間が止まる寸前、そこに落下しようとしていたのだ。“そういう設定に書き換えた”。
朗々とベルセリオスが語るは、確かに“説明”だった。起こった現象を一本の筋を通して説明していた。
だが……その説明を受け止められるモノがどれだけ居ただろうか。
石が風で舞い上がった。それがタイムストップ詠唱中に落下していた。それが炎剣のエアライン上に在った。
サイグローグでさえ、それを額面通りに受け止められるはずが無い。
確かに……かつての盤に於いて、罠によって敗れた駒は在った。だが、これはそれとは根本から異なる。
あの時の罠には、誰かを殺す為に作られた……誰かを殺そうという意思が存在したのだ。だから殺せた。
運命を、世界を変えるには、意思が必要なのだ。小さな胸に秘められた想いが。
誰か未知の存在がこっそりと戦いを観戦し、炎剣の速度と航路を分析し、悪意を以て石の罠を置いたというならまだ分かる。
その誰かの意思が炎燃え盛る剣の意思を、運命を阻んだのだ。それならば、まだ納得もできる。
だが……その説明を受け止められるモノがどれだけ居ただろうか。
石が風で舞い上がった。それがタイムストップ詠唱中に落下していた。それが炎剣のエアライン上に在った。
サイグローグでさえ、それを額面通りに受け止められるはずが無い。
確かに……かつての盤に於いて、罠によって敗れた駒は在った。だが、これはそれとは根本から異なる。
あの時の罠には、誰かを殺す為に作られた……誰かを殺そうという意思が存在したのだ。だから殺せた。
運命を、世界を変えるには、意思が必要なのだ。小さな胸に秘められた想いが。
誰か未知の存在がこっそりと戦いを観戦し、炎剣の速度と航路を分析し、悪意を以て石の罠を置いたというならまだ分かる。
その誰かの意思が炎燃え盛る剣の意思を、運命を阻んだのだ。それならば、まだ納得もできる。
「いやあ、運が無い。現実は時に厳しいッ!!」
そんな一縷の望みさえ、人間が悪魔のように吐き捨てる。
意思など無い、在ったのは唯の偶然だと。
星より重き絆、意思の力―――――――――――そんなモノなんて無くたって、未来は“壊せるのだと”。
意思など無い、在ったのは唯の偶然だと。
星より重き絆、意思の力―――――――――――そんなモノなんて無くたって、未来は“壊せるのだと”。
「こ、こんなことあり得る訳が……」
「無いって言える? “普通は”とか“常識的に考えて”とか、そういう接頭語無しで。
…グヒャヒャヒャヒャッ!! 言える訳が無い!! だって、今ここにそうなってるんだから!!」
「無いって言える? “普通は”とか“常識的に考えて”とか、そういう接頭語無しで。
…グヒャヒャヒャヒャッ!! 言える訳が無い!! だって、今ここにそうなってるんだから!!」
普通は、在り得ない……言いかえれば、普通じゃなかったら、在り得る。
常識的に、在り得ない……言いかえれば、非常識の中では、在り得る。
そう、在り得るのだ。それは天文学的極小の確率だが“ある”。そして―――――
常識的に、在り得ない……言いかえれば、非常識の中では、在り得る。
そう、在り得るのだ。それは天文学的極小の確率だが“ある”。そして―――――
「1%=100%。この盤上では、可能性さえあれば“存在する”。
確率的にしか存在しない可能性の分岐の中から“選択”できる」
確率的にしか存在しない可能性の分岐の中から“選択”できる」
例えば、移動方向。北に行くか南に行くか、西か東か。
何の外圧情報も無ければ、移動しない可能性を含めて5通り……確率的には20%だ。
それを、選ぶことができる。もし空を飛べる可能性を提示できれば、その選択肢はさらに広がるだろう。
例え100回に99回は同じ選択を行くような太い手筋もあれば、1回のか細い筋もある。
そして、プレイヤーはそれを選ぶことができるのだ。
何の外圧情報も無ければ、移動しない可能性を含めて5通り……確率的には20%だ。
それを、選ぶことができる。もし空を飛べる可能性を提示できれば、その選択肢はさらに広がるだろう。
例え100回に99回は同じ選択を行くような太い手筋もあれば、1回のか細い筋もある。
そして、プレイヤーはそれを選ぶことができるのだ。
「それを止めたきゃ、否定するしかない。その可能性が“存在しない”ことを証明しなきゃいけない!!
そしてぇ、それはぁ、原則、出来ない。消極的事実の立証困難性――――――つまり、悪魔の証明だ!!」
そしてぇ、それはぁ、原則、出来ない。消極的事実の立証困難性――――――つまり、悪魔の証明だ!!」
可能性があることは言える。今ベルセリオスが盤面でそうしたように、その可能性の結果を示せば良い。
だが、その可能性が存在しないことは……言えない。
例え、今ベルセリオスが提示した可能性を否定したとしてもそれ以外の可能性を否定したことにはならない。
また新しい可能性を引っ張り出して、望む結果に合わせればいいのだから。
だが、その可能性が存在しないことは……言えない。
例え、今ベルセリオスが提示した可能性を否定したとしてもそれ以外の可能性を否定したことにはならない。
また新しい可能性を引っ張り出して、望む結果に合わせればいいのだから。
「グヒヒヒヒッ! 石を取り除いたところで幾らでも“設置してやる”。
狂える隕石の数は無限――――――この手は、絶対に止められない!!」
狂える隕石の数は無限――――――この手は、絶対に止められない!!」
【在り得ないとは言えない。だから在る】
小難しい設定も、複雑な知識も要らない、完全なる偶然<確率論>による力押し。
マーダーならば、利を説けば味方になる可能性もあるだろう。
狂気に呑まれた哀れな一般人ならば、辛抱強く想いを伝え続ければ正気に戻る可能性もあるだろう。
小難しい設定も、複雑な知識も要らない、完全なる偶然<確率論>による力押し。
マーダーならば、利を説けば味方になる可能性もあるだろう。
狂気に呑まれた哀れな一般人ならば、辛抱強く想いを伝え続ければ正気に戻る可能性もあるだろう。
誰かは言った。人の心に、色など無いと。
僕達は真っ白なカンパスであり……なんにでもなれるのだと。
だから、変われる。
だから、分かりあえる。
だから、信じられる。だから―――――奇跡は起こる。
僕達は真っ白なカンパスであり……なんにでもなれるのだと。
だから、変われる。
だから、分かりあえる。
だから、信じられる。だから―――――奇跡は起こる。
だが……こうも言える。心に、色など無いと。
私達は真っ黒なカンパスであり―――――――“なんにもなれないのだと”。
だから、変わらない。ゼロに何を掛けてもゼロなように。
だから、理解できない。無いモノを分かりあえるはずがない。
だから、信じる必要が無い。信じなければ奇跡は起きないかもしれないが―――――偶然は起こる。
私達は真っ黒なカンパスであり―――――――“なんにもなれないのだと”。
だから、変わらない。ゼロに何を掛けてもゼロなように。
だから、理解できない。無いモノを分かりあえるはずがない。
だから、信じる必要が無い。信じなければ奇跡は起きないかもしれないが―――――偶然は起こる。
「どうよ女神サマぁ……? これが私の奇跡だ。お前らが縋っていたものの正体だ!
N個の賽の目を振って全て6が出る確率も、全て1が出る確率も、等しく1/6のN乗。
奇跡と偶然の間に、絆や意思というモノしかないのなら…………“違いなんて、無い”ッ!!」
N個の賽の目を振って全て6が出る確率も、全て1が出る確率も、等しく1/6のN乗。
奇跡と偶然の間に、絆や意思というモノしかないのなら…………“違いなんて、無い”ッ!!」
唯の石に意思など無い。そして意思なき偶然に奇跡は、届かない。
シンプル故に最強のロジックは、例え神でさえも否定はできない。
シンプル故に最強のロジックは、例え神でさえも否定はできない。
「理解した? 満足した? だったら、仕舞いだ――――――――――――CHECKMATE!!」
ベルセリオスの宣誓と共に、神の絶対領域が打ち砕かれる。
時間の針が動き出し、世界が色を取り戻す――――――真っ黒な真っ黒な夜色が。
時間の針が動き出し、世界が色を取り戻す――――――真っ黒な真っ黒な夜色が。
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
【17:59'01】
「う、ああああああああ!!!」
黒き夜は青の闇に、白き光は赤い陽に。黒と白が混交する世界に、本当の色彩が戻る。
時の縛めが砕けたのと、カイル達が衝突した“不運”が砕けたのは同時だった。
そして、カイル達を繋ぐモノが砕けたのも。
時の縛めが砕けたのと、カイル達が衝突した“不運”が砕けたのは同時だった。
そして、カイル達を繋ぐモノが砕けたのも。
『カイルァァァァァァァァ!!!!』
『ディムロスッ! カイルッ!』
『ディムロスッ! カイルッ!』
ディムロスとアトワイトは、それぞれが違う方向から吹き飛ぶカイルを見ていた。
カイルに害を成す石と砕くと引換に、ソーディアン達はその柄をカイルの手から離されてしまった。
“運悪く”アトワイトとディムロスはそれぞれが違う場所に弾かれ、空を泳ぐカイルに息を呑む。
『くッ! カイルッ、箒を掴め!』
己が剣である身を激しく呪いながら、自らのことなど気にせずにディムロスが叫ぶ。
分かたれたのはソーディアンだけではなかった。もはやカイルの足とでも呼ぶべき魔法の箒さえも、カイルの足から無くなっていた。
カイルの真横で泳ぐミスティブルームを掴めと剣は叫ぶ。足の骨という骨を粉砕されたカイルでは、一度墜落すればもう起き上がる術が無い。
なのにカイルの腕はピクリとも動くことは無く、最後の翼さえもカイルから離れていく。
カイルに害を成す石と砕くと引換に、ソーディアン達はその柄をカイルの手から離されてしまった。
“運悪く”アトワイトとディムロスはそれぞれが違う場所に弾かれ、空を泳ぐカイルに息を呑む。
『くッ! カイルッ、箒を掴め!』
己が剣である身を激しく呪いながら、自らのことなど気にせずにディムロスが叫ぶ。
分かたれたのはソーディアンだけではなかった。もはやカイルの足とでも呼ぶべき魔法の箒さえも、カイルの足から無くなっていた。
カイルの真横で泳ぐミスティブルームを掴めと剣は叫ぶ。足の骨という骨を粉砕されたカイルでは、一度墜落すればもう起き上がる術が無い。
なのにカイルの腕はピクリとも動くことは無く、最後の翼さえもカイルから離れていく。
『カイル! 何をしているッ、カイルッ!!』
『……血が出てない…………尽きた、の……?』
『……血が出てない…………尽きた、の……?』
ひたすら呼び続けるディムロスの声も空しく、カイルの肉体は筋一本の反応さえも見せはしない。
ディムロスの死角で、アトワイトはカイルの裂けた腹の傷から血がろくに流れて居ないことを認識していた。
一見しただけならば出血量が少なく、傷が浅いと喜ぶことも出来るだろう。
だが、カイルのバイタルを常に確認していた彼女にはそれは喜びとは真逆の印だった。
噴出することなく、ただ重力に沿って垂れるだけの体液。
血が勢いよく噴き出るならば、まだいい。それは流れるだけの命が余っている証拠だ。
それさえ、カイルには無い。血液を送り出すポンプが機能していない。
熱を逃がすことを止めた汗や張りを失った皮膚も、同じことをアトワイトに伝えていた。
ディムロスの死角で、アトワイトはカイルの裂けた腹の傷から血がろくに流れて居ないことを認識していた。
一見しただけならば出血量が少なく、傷が浅いと喜ぶことも出来るだろう。
だが、カイルのバイタルを常に確認していた彼女にはそれは喜びとは真逆の印だった。
噴出することなく、ただ重力に沿って垂れるだけの体液。
血が勢いよく噴き出るならば、まだいい。それは流れるだけの命が余っている証拠だ。
それさえ、カイルには無い。血液を送り出すポンプが機能していない。
熱を逃がすことを止めた汗や張りを失った皮膚も、同じことをアトワイトに伝えていた。
(――――――――――本当に“切れた”)
タンパク質。脂質。炭水化物。糖質。カイル=デュナミスを維持し続けていた全てが、途絶えた。
今までも決して十分に残っていた訳じゃない。疾うに擦り切れ肉体を強靭な意思で凌駕し続けて誤魔化してきた。
苦しくても、辛くても、走っていたから走り続けられたのだ。
だが、それが今、無慈悲で理不尽過ぎる害悪によって無理矢理止められてしまった。
今までも決して十分に残っていた訳じゃない。疾うに擦り切れ肉体を強靭な意思で凌駕し続けて誤魔化してきた。
苦しくても、辛くても、走っていたから走り続けられたのだ。
だが、それが今、無慈悲で理不尽過ぎる害悪によって無理矢理止められてしまった。
想像できるだろうか。
張り裂けそうな心臓を抱え、砂嵐の奔る視界で、軋る肋骨を笑わせながら、
それでも後少し、後少しと動き続ける身体を無理矢理動かして、走り続けている。
それが最後の最後で“路傍の小石に蹴躓いてしまったとしたら”。
手は動かない。汗は気持悪く冷えている。一息つくごとに喪われていく熱。摺り向けた膝小僧。痛みに塗り潰される精神。
「どうしてこんなことに」「立ち上がらなきゃ」「足が痛い」「肺がチクチクする」「動けない」
「もういやだ」「運が無かった」「もう間に合わない」「立てない」「仕方ない」「立ちたくない」
「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」
張り裂けそうな心臓を抱え、砂嵐の奔る視界で、軋る肋骨を笑わせながら、
それでも後少し、後少しと動き続ける身体を無理矢理動かして、走り続けている。
それが最後の最後で“路傍の小石に蹴躓いてしまったとしたら”。
手は動かない。汗は気持悪く冷えている。一息つくごとに喪われていく熱。摺り向けた膝小僧。痛みに塗り潰される精神。
「どうしてこんなことに」「立ち上がらなきゃ」「足が痛い」「肺がチクチクする」「動けない」
「もういやだ」「運が無かった」「もう間に合わない」「立てない」「仕方ない」「立ちたくない」
「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」「いやだ」
か細くも、燃え続けていた灯りが消える。
一度灯りを失えば、疲労という名の闇を否応なく直視せざるを得ない。
幾ら耳を閉じようが、その意思の声を掻き消すほどに肉体の声を聞かざるを得ない。
一度灯りを失えば、疲労という名の闇を否応なく直視せざるを得ない。
幾ら耳を閉じようが、その意思の声を掻き消すほどに肉体の声を聞かざるを得ない。
生き続けることが出来ても、生き返ることが出来ないように。
“走り続けること”よりも“走り始めること”は何倍もの意思が要る。
そしてその意思は、魂は―――――――――――滅びかけた肉の器には、宿れない。
欠けた杯には、酒を満たすことは出来ないのだ。
“走り続けること”よりも“走り始めること”は何倍もの意思が要る。
そしてその意思は、魂は―――――――――――滅びかけた肉の器には、宿れない。
欠けた杯には、酒を満たすことは出来ないのだ。
『……こんな、こんなことが……在り得て堪るか……カイルッ!! 戻って来いッ!!!』
剣の声も空しく、宙を舞う少年は途絶えていく。
その手に剣は無く、その足に翼は無く、その心に灯は無い。
全て“もがれた”。少年と世界を結ぶ何もかもが断ち切られた。
その手に剣は無く、その足に翼は無く、その心に灯は無い。
全て“もがれた”。少年と世界を結ぶ何もかもが断ち切られた。
自らを生かしていた全てを断ち切られた人形は、そのガラスの瞳に空を映す。
太陽の殆どが喪われた夜空に流れる星々は――――――――彼を愛していなかった。
太陽の殆どが喪われた夜空に流れる星々は――――――――彼を愛していなかった。
【17:59'15】
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
それは、もう戦いでさえ無かった。
まだ時間はある。30秒以上残っている。天使がその命と引き換えに作り上げた時間が。
だが、もう意味が無い。
ソーディアンはおろか、箒からも切り離して、炎剣を空中に放り投げた。
両足を粉砕されている炎剣では、一度墜ちればもう立ち上がれない。
這って動いても、箒と剣二本を回収できるはずもない。
あれだけ命を掛けて紡ぎ出した時間が、台無しになった――――――――完全に、終わった。
まだ時間はある。30秒以上残っている。天使がその命と引き換えに作り上げた時間が。
だが、もう意味が無い。
ソーディアンはおろか、箒からも切り離して、炎剣を空中に放り投げた。
両足を粉砕されている炎剣では、一度墜ちればもう立ち上がれない。
這って動いても、箒と剣二本を回収できるはずもない。
あれだけ命を掛けて紡ぎ出した時間が、台無しになった――――――――完全に、終わった。
「グシャシャヒャイーッハァッハッハァ!!!! 完ッ璧! 計画通ぉりッ!! イッツァパーフェクツッ!!!
ざまぁないわ奇跡! ダサ過ぎるわ神様!! あんた達のご都合展開なんて所詮こんなもんなんだよ!!!」
ざまぁないわ奇跡! ダサ過ぎるわ神様!! あんた達のご都合展開なんて所詮こんなもんなんだよ!!!」
ベルセリオスの嘲笑が部屋の空気を震え上がらせる。
だが、今までのそれに比べれば僅かばかり乾いたようにも感じられた。
……それは、本来“やるべきではない”行為なのだ。
ルール上禁止はされてはいないが、在る程度経験を積んだプレイヤーならば自戒する汚れ技。
それを行わざるを得なかった…………自らを一流と謳うベルセリオスにとってそれは屈辱であっただろう。
しかもそれは、なんの美しさも輝きも無い、唯の投石だった。
懸命に演目を行う役者に対し、観客席から「つまらない」と野次と一緒に投げつけられた泥団子だった。
これまで、壮大に絢爛な仕掛けと策を展開していたあのベルセリオスが、子供のように石飛礫を投げつけている。
だが、今までのそれに比べれば僅かばかり乾いたようにも感じられた。
……それは、本来“やるべきではない”行為なのだ。
ルール上禁止はされてはいないが、在る程度経験を積んだプレイヤーならば自戒する汚れ技。
それを行わざるを得なかった…………自らを一流と謳うベルセリオスにとってそれは屈辱であっただろう。
しかもそれは、なんの美しさも輝きも無い、唯の投石だった。
懸命に演目を行う役者に対し、観客席から「つまらない」と野次と一緒に投げつけられた泥団子だった。
これまで、壮大に絢爛な仕掛けと策を展開していたあのベルセリオスが、子供のように石飛礫を投げつけている。
まさに、無様。
サイグローグは、虚空に嘲笑う下種を仮面の奥から眺めていた。
……本気を出せば、摘まみ出すことも不可能ではない。無礼に振舞う客を持成すホストなどいないように。
だが、そうしなかった。サイグローグには、出来なかった。
これが、人間の叡智の極限なのか。だとしたらなんと醜いのだろう。
神の御業に比べれば人の技の、なんと卑しいことだろう。
そんなものにしか縋れぬ人間の絶望の――――――なんと哀れなことか。
……本気を出せば、摘まみ出すことも不可能ではない。無礼に振舞う客を持成すホストなどいないように。
だが、そうしなかった。サイグローグには、出来なかった。
これが、人間の叡智の極限なのか。だとしたらなんと醜いのだろう。
神の御業に比べれば人の技の、なんと卑しいことだろう。
そんなものにしか縋れぬ人間の絶望の――――――なんと哀れなことか。
ベルセリオスは、これまでの六戦で徹底的に対戦相手を屠ってきた。
時に飴を与えより多くの鞭を与え、逃げまどう所に火と油を浴びせ、死体の山を築いていた。
容赦も憐憫も許容も一切なく、機械のように執行するその様は一見すれば圧勝そのものだっただろう。余裕さえ感じ取れただろう。
だが、今ならハッキリと分かる。この第七戦こそが、本当の人間と神の戦力差なのだ。
緻密な計算の元相手の全てをコントロールし、罠に嵌め、相手の力を出させずに完封して“ようやく勝てる”。
こうして、神と真っ向から対立すれば…………ご覧の有様だ。
謎というヴェールを剥いでしまえば、後に残るのは卑劣で浅ましく往生際の悪い人間が一人。
時に飴を与えより多くの鞭を与え、逃げまどう所に火と油を浴びせ、死体の山を築いていた。
容赦も憐憫も許容も一切なく、機械のように執行するその様は一見すれば圧勝そのものだっただろう。余裕さえ感じ取れただろう。
だが、今ならハッキリと分かる。この第七戦こそが、本当の人間と神の戦力差なのだ。
緻密な計算の元相手の全てをコントロールし、罠に嵌め、相手の力を出させずに完封して“ようやく勝てる”。
こうして、神と真っ向から対立すれば…………ご覧の有様だ。
謎というヴェールを剥いでしまえば、後に残るのは卑劣で浅ましく往生際の悪い人間が一人。
だが、それでもベルセリオスは諦めなかった。
知略を尽くし、持ち得る駒を全て使い、禁忌を通った。
それほどに、ベルセリオスは本気なのだ。遊びなど微塵も無い。
知略を尽くし、持ち得る駒を全て使い、禁忌を通った。
それほどに、ベルセリオスは本気なのだ。遊びなど微塵も無い。
全ては、全ては勝利の為に。
「―――――――判定、通しです。結果を…………反映させます」
その意思<選択>を――――――――――――――この私が否定できるものか。
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――Turn Shift
流れ出る血液が、身体の熱を急速に奪っていく。
吹き抜ける空気が寒い。
ああ、もしかしたら。
脇腹の傷に今までの消耗も重なって、思考がおぼつかない。
もしかしたら、もうだめかもしれない。
っていうより、落ちてて、傷まみれで、動けなくて。ディムロスもアトワイトも、誰もいなくて。
もう、だめだろ。ダッサいなあ。
やっぱり、ひとりじゃ何もできないんだ。
ひとり。
アイツはひとりだ。自分だけ残って、戦い続けた。それを貫くことは、きっとすごく難しい。
アイツはそれが出来るんだからすごいよな。
吹き抜ける空気が寒い。
ああ、もしかしたら。
脇腹の傷に今までの消耗も重なって、思考がおぼつかない。
もしかしたら、もうだめかもしれない。
っていうより、落ちてて、傷まみれで、動けなくて。ディムロスもアトワイトも、誰もいなくて。
もう、だめだろ。ダッサいなあ。
やっぱり、ひとりじゃ何もできないんだ。
ひとり。
アイツはひとりだ。自分だけ残って、戦い続けた。それを貫くことは、きっとすごく難しい。
アイツはそれが出来るんだからすごいよな。
ああ、だから、ひとりだけ北に残って――――
ごめん、ミトス。
もう、身体が言うこと聞かないんだ。
働いているのはバカな頭だけで、動けない。寒くて寒くて仕方がないんだ。
もう、身体が言うこと聞かないんだ。
働いているのはバカな頭だけで、動けない。寒くて寒くて仕方がないんだ。
幾度と聞いてきた罵声が、遠く掠れる程の小ささで聞こえる。
そんな顔、するなよディムロス。死にたいなんて、これっぽっちも思ってない。
そんな顔、するなよディムロス。死にたいなんて、これっぽっちも思ってない。
―――――――俺、やっと分かったんだよ。
俺がしたいこと。俺が前に進むための力。俺の中に残ってた、最後の気持ち。
言いたいことがいっぱいあるんだ。俺の我侭に最後まで付き合ってくれた、お前に最初に伝えたいんだ。
俺がしたいこと。俺が前に進むための力。俺の中に残ってた、最後の気持ち。
言いたいことがいっぱいあるんだ。俺の我侭に最後まで付き合ってくれた、お前に最初に伝えたいんだ。
だから、生きたい。
まだ、もう少し生きていたい。
出来ることなら、ずっと生きていたい。
けど、血が寒くて、眼が霞んで、砕けた膝が笑ってる。陽の光が無くて、夜が痛い。
時間が無いのが、悔しい。音にする時間さえ惜しい。
ああ、誰か、俺に時間を。
時間が無いのが、悔しい。音にする時間さえ惜しい。
ああ、誰か、俺に時間を。
「誰か……」
夜空に瞬く流星に、カイルは呟いた。それは最早願いですらなかった。
「誰か……」
消え墜つ星に自分を重ねた、哀れな子供の泣き声だった。
<無いよ。お前一人が此処で死ぬ。ここで、私の手で終わるんだ!!>
愛を墓場に、正義を土に、夢を棺に、幸福を骨壷に。
泡沫の光よ、闇に抱かれて永久に眠れ。
私の全力で、この漆喰の夜空に煌めき墜ちろ箒星。
星の光に三度祈る願いは――――――間に合わないからこそ、奇跡なのだから。
泡沫の光よ、闇に抱かれて永久に眠れ。
私の全力で、この漆喰の夜空に煌めき墜ちろ箒星。
星の光に三度祈る願いは――――――間に合わないからこそ、奇跡なのだから。
<想いなんてありはしない。絆など何処にもない。祈りは届かない。
私は絶望、私は真実、私は式。全ての嘘を斬り裂く黒刃!!>
私は絶望、私は真実、私は式。全ての嘘を斬り裂く黒刃!!>
でも、なんだか懐かしい気がする。もしかしたら前にもこんなことがあったのかな。
はは。そんな訳ないか。
でも、じゃあ何が懐かしいんだろう。ハイデルベルク? ラディスロウ?
はは。そんな訳ないか。
でも、じゃあ何が懐かしいんだろう。ハイデルベルク? ラディスロウ?
ああ、でも、あの雪の日を思い出すよ。
<我が名はベルセリオス。その名の下に、神々の座よりあんた達を奈落へと引き摺り落とすッ!!
死ねよ伝説【レジェンディア】ッ! これが希望を断ち切る、終わりの剣だあああああああああッッッ!!!!!!>
死ねよ伝説【レジェンディア】ッ! これが希望を断ち切る、終わりの剣だあああああああああッッッ!!!!!!>
話さなきゃならないことが、貴方に――――――――――――――――――
伝えたいことが、君に――――――――――――――――――――――――
伝えたいことが、君に――――――――――――――――――――――――
「誰か……ッ!!」
<以上の過程に於ける結果を以て、ここに希望の不在を、証明する!!!>
| |
| 絶 |
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その後、かれの行方を知る者は、 | | | 誰もいなかった――――――――――――――
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| 瞬 |
| ・ |
| 影 |
| ・ |
| 迅 |
| ・ |
| ッ |
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| ! |
| 絶 |
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その後、かれの行方を知る者は、 | | | 誰もいなかった――――――――――――――
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| 瞬 |
| ・ |
| 影 |
| ・ |
| 迅 |
| ・ |
| ッ |
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| ! |
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――は?
―――――――――――――――――――――――――――は?
はあああああああ!?ああああああああ!?!?!?!?!?ああああああああ!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?
吹き抜ける冷気。
氷のように厳しい威圧。
包帯で覆われた左目。
アイスブルーの三つ編み髪と紺色の服。
凍てついた瞼の奥の光の、僅かな、温かさ。
氷のように厳しい威圧。
包帯で覆われた左目。
アイスブルーの三つ編み髪と紺色の服。
凍てついた瞼の奥の光の、僅かな、温かさ。
<もう分かっているでしょう? 時間がないので、一言だけ――――>
「助ける。絶対に」
少年の絶望に割り込むように、誰かの声が響く。
心の奥底にまで届くように、反響する。
心の奥底にまで届くように、反響する。
誰もいない草原で、カイルは人の声を聞いたような気がした。
もちろん人がいる訳なんてない。ここにいるのは自分と、ソーディアン2人だけだ。
誰かがいて欲しかった。そんな期待から出てきた、ただの幻聴なのかもしれない。
カイルは思考の片隅で前向きな可能性を閉ざそうとした。
だが確かにカイルは聞いた。低く、それでも熱の籠もった声を。
いつも自分を庇い、傷ついてきた声を。
馬鹿だ、とカイルは不謹慎にも思った。自分だって馬鹿なのに、そんな奴に言われるんだから、「あなた」は相当な馬鹿だ。
だってここは、あとほんの少しで誰1人居てはならない場所になるのに。
カイルはそれでも、声が聞こえたことは真実だと思った。
『……!!』
空に漂うディムロスは息を詰まらせた。カイルと同じことを考えているのだ。
否、ディムロスは既に、声の正体を知っていた。
カイルは、意識を通じ合わせる相棒が見ている方へ、無意識的に顔を動かした。
もちろん人がいる訳なんてない。ここにいるのは自分と、ソーディアン2人だけだ。
誰かがいて欲しかった。そんな期待から出てきた、ただの幻聴なのかもしれない。
カイルは思考の片隅で前向きな可能性を閉ざそうとした。
だが確かにカイルは聞いた。低く、それでも熱の籠もった声を。
いつも自分を庇い、傷ついてきた声を。
馬鹿だ、とカイルは不謹慎にも思った。自分だって馬鹿なのに、そんな奴に言われるんだから、「あなた」は相当な馬鹿だ。
だってここは、あとほんの少しで誰1人居てはならない場所になるのに。
カイルはそれでも、声が聞こえたことは真実だと思った。
『……!!』
空に漂うディムロスは息を詰まらせた。カイルと同じことを考えているのだ。
否、ディムロスは既に、声の正体を知っていた。
カイルは、意識を通じ合わせる相棒が見ている方へ、無意識的に顔を動かした。
墜ちるカイルは最後に、何かを見た。
見渡す限り赤く焼け爛れた草原に、走る黒い影を見た。
何かは分からずに、少年は疲れきって霞んだ視界を瞼の奥に閉じこめた。
意識を手放すのは安堵ゆえか、現実逃避なのかどうかは分からない。
見渡す限り赤く焼け爛れた草原に、走る黒い影を見た。
何かは分からずに、少年は疲れきって霞んだ視界を瞼の奥に閉じこめた。
意識を手放すのは安堵ゆえか、現実逃避なのかどうかは分からない。
ただ、少年は笑っていた。
何故かは分からないけど、笑っていた。
何故かは分からないけど、笑っていた。
『何故だ……』
ディムロスは疑問を吐露する原因となった影を見据える。
『何故、此処にいる』
アイスブルーの三つ編み髪と紺色の服。包帯で覆われた左目。
得物である大剣こそ構えていないが、ディムロスにとって誰であるかを判じるには充分すぎた。
何者かがこの草原にいる。ディムロスにとっては1番予想外の出来事であり――――1番予想できる来訪者だった。
『状況が分かっていないわけではないだろう』
来るとしたらこいつしかいないだろう。
ディムロスが抱いた感想もカイルと同じだった。馬鹿が、と。
ディムロスは疑問を吐露する原因となった影を見据える。
『何故、此処にいる』
アイスブルーの三つ編み髪と紺色の服。包帯で覆われた左目。
得物である大剣こそ構えていないが、ディムロスにとって誰であるかを判じるには充分すぎた。
何者かがこの草原にいる。ディムロスにとっては1番予想外の出来事であり――――1番予想できる来訪者だった。
『状況が分かっていないわけではないだろう』
来るとしたらこいつしかいないだろう。
ディムロスが抱いた感想もカイルと同じだった。馬鹿が、と。
水のように透き通った銀糸。
翠鎧が砕け傷を負ってもなお、立ち続ける長躯。
既に無き左眼の虚空は、ただ墜ち行く少年だけを見つめている。
翠鎧が砕け傷を負ってもなお、立ち続ける長躯。
既に無き左眼の虚空は、ただ墜ち行く少年だけを見つめている。
『地獄に降りて、何をしに来た! ヴェイグ!! ヴェイグ=リュングベルッ!!』
蒼き氷が、影断つ程に迅く。夕闇の中でも決して見逃さぬ輝きとと共に。
「――――――――――――――――約束を、果たしに」
絆というものに形があるのなら―――――――きっと、こんな形なのだろう。
彼は錬術「絶・瞬影迅」を纏い、落下するカイルへ向かって駆け続ける。
北にて待ち続けていた者が、更に北の草原に毅然と立っていた。
来訪者の存在に、ディムロスはヴェイグに向かって叱責する。
1分もしない間に首が飛ぶのだ。怒りたくもなる。だが、青年は素知らぬ風にディムロスの言葉を聞き流す。
『約束だと? ふざけるな。ここがどのような場所なのか分かっているだろう!?』
「分かっている」
『ならばお前は命を捨てに来たのか?』
「違う」
『ならば、何故だ!?』
ヴェイグの心情を推し量ることもできず、ディムロスは苛立った唸りを上げた。
「ディムロス、あんたは約束を破るのか?」
ヴェイグの質問に、ディムロスは顔があるならば顰めていたことだろう。
『約束? それは、お前とカイルの』
「違う。そうじゃない。あんたは言ったはずだ、必ず生きて戻れと」
切迫した思考の中、ディムロスは記憶を辿る。記憶の糸を辿り、言葉を探す。
意識と呼んでいいのだろうか。蓄積された情報が、曖昧な輪郭線で作られた光景となる。映像を巻き戻すかのように、光景が前へ通り過ぎていく。
ミトスと戦い、アトワイトを取り戻し、ティトレイを止め、クレスと戦い――――
ああ、そうか。そうだった。この村に来る前――――
北にて待ち続けていた者が、更に北の草原に毅然と立っていた。
来訪者の存在に、ディムロスはヴェイグに向かって叱責する。
1分もしない間に首が飛ぶのだ。怒りたくもなる。だが、青年は素知らぬ風にディムロスの言葉を聞き流す。
『約束だと? ふざけるな。ここがどのような場所なのか分かっているだろう!?』
「分かっている」
『ならばお前は命を捨てに来たのか?』
「違う」
『ならば、何故だ!?』
ヴェイグの心情を推し量ることもできず、ディムロスは苛立った唸りを上げた。
「ディムロス、あんたは約束を破るのか?」
ヴェイグの質問に、ディムロスは顔があるならば顰めていたことだろう。
『約束? それは、お前とカイルの』
「違う。そうじゃない。あんたは言ったはずだ、必ず生きて戻れと」
切迫した思考の中、ディムロスは記憶を辿る。記憶の糸を辿り、言葉を探す。
意識と呼んでいいのだろうか。蓄積された情報が、曖昧な輪郭線で作られた光景となる。映像を巻き戻すかのように、光景が前へ通り過ぎていく。
ミトスと戦い、アトワイトを取り戻し、ティトレイを止め、クレスと戦い――――
ああ、そうか。そうだった。この村に来る前――――
――――いいかカイル。言った以上は嘘はつくなよ――必ず、生きて戻れ!
言った本人が先に絶望し、戻ろうともがく手を打ち払おうとしていたとは。
戦場において最も無謀な、しかし勇気を奮わせる約束を公言していたのは、何よりもディムロスなのだ。
こんなことも忘れてしまっていたのか。それほど死が付き纏う地なのだろう。
戦場において最も無謀な、しかし勇気を奮わせる約束を公言していたのは、何よりもディムロスなのだ。
こんなことも忘れてしまっていたのか。それほど死が付き纏う地なのだろう。
思考を中断させるかのように、渦巻く水の轟音が聞こえた。
ディムロスにとって、それは全くもって予想外の事象だった。
ヴェイグに気を取られている内に、「それ」は激しい水流を纏いながら高速回転し、ディムロスへと接近していた。
大きさは剣よりも小振り。短剣だろうか。その程度のサイズでしかない。
今になって何の因果か。確かにそれはディムロスをしかと狙っていた。
疑なる思考を呈し始めていたディムロスは、その思考ごと――――凍り付かされた。
視界の片隅に、青い光を観測して。
ヴェイグに気を取られている内に、「それ」は激しい水流を纏いながら高速回転し、ディムロスへと接近していた。
大きさは剣よりも小振り。短剣だろうか。その程度のサイズでしかない。
今になって何の因果か。確かにそれはディムロスをしかと狙っていた。
疑なる思考を呈し始めていたディムロスは、その思考ごと――――凍り付かされた。
視界の片隅に、青い光を観測して。
『ディムロス!』
同じく空中を舞うアトワイトは、番いの異変を感じ取って姦しい声を上げた。
ディムロスから少し離れていた彼女は遠目から状況を眺めていた。もちろん襲いかかっていたものの正体も分かっている。
あれは、短剣でも何でもない。あれは――――
『……っ!?』
彼女は地面から現れたモノに絡め取られた。そしてそのまま、無造作に放り投げられた。
ちょうどB3とC3の境目に着地し、結果的には禁止エリアから脱したことになる。
だが素直に喜んでもいられない。そもそも、首輪のないソーディアンに禁止エリアの概念はさして関係ないのである。
アトワイトは視界を動かした。
彼女には、こちらに飛んでくる冷凍ディムロスの姿が見えた。
同じく空中を舞うアトワイトは、番いの異変を感じ取って姦しい声を上げた。
ディムロスから少し離れていた彼女は遠目から状況を眺めていた。もちろん襲いかかっていたものの正体も分かっている。
あれは、短剣でも何でもない。あれは――――
『……っ!?』
彼女は地面から現れたモノに絡め取られた。そしてそのまま、無造作に放り投げられた。
ちょうどB3とC3の境目に着地し、結果的には禁止エリアから脱したことになる。
だが素直に喜んでもいられない。そもそも、首輪のないソーディアンに禁止エリアの概念はさして関係ないのである。
アトワイトは視界を動かした。
彼女には、こちらに飛んでくる冷凍ディムロスの姿が見えた。
水流を纏う「何か」は、ディムロスの刃に接触した瞬間、別の「力」によって、矢も剣も問わずまるごと凍結した。
だが運動は未だ絶えず、氷付けにされたまま回転し続け、操縦手の下へと帰還する。
無論、標的<ターゲット>であるディムロスを引き寄せて。
魔力がなければ貫けぬ氷が溶け始め、皹が入る。そして音を立てて砕け散る。
引き剥がされたディムロスは運動力に振り回されたまま円弧を描き、くるくると落ちて、地に着く前に力強く掴まれた。
そのまま振り払われる。ディムロスは握られたまま再び前進し、動き始めた。
氷のフォルスで大剣を凍らせていたヴェイグが、なおも墜ちるカイルへ向かって疾走する。
表情に曇りは微塵も見えない。
だが運動は未だ絶えず、氷付けにされたまま回転し続け、操縦手の下へと帰還する。
無論、標的<ターゲット>であるディムロスを引き寄せて。
魔力がなければ貫けぬ氷が溶け始め、皹が入る。そして音を立てて砕け散る。
引き剥がされたディムロスは運動力に振り回されたまま円弧を描き、くるくると落ちて、地に着く前に力強く掴まれた。
そのまま振り払われる。ディムロスは握られたまま再び前進し、動き始めた。
氷のフォルスで大剣を凍らせていたヴェイグが、なおも墜ちるカイルへ向かって疾走する。
表情に曇りは微塵も見えない。
一体、どのような気持ちで待っていたのだろうか。
タイムストップによって時が止まっていたということは、ヴェイグは自分たちが現れる前からここに向かっていたのだ。
逆に言えば、“タイムストップがなければ自分たちは今彼の目の前にすらいない”。
時間停止を知らないヴェイグの視点を想像すれば、いきなり中空に人影が現れたようなものである。
ただ空しく広がる落陽の原を見続けることの、なんと寂しいことか。なんと無謀なことか。
残り時間1分にも満たない空には誰もいない。諦めてもいい理由は、どこもかしこも散らばっていたはずだ。
それを、ヴェイグは立ち続けていた。待ち続けていた。
約束を信じて、悲観すべき圧倒的な現実と、無理だと嘆く自分の心を否定し続けていた。
ただ、手を繋げるために。小指の約束を解かないように。
諦めるつもりなど更々なかったのだ。
そしてカイルは現れた。窮地の少年を助けるため、手を伸ばした。
恐らくヴェイグが諦めて踵を返していれば、この好機は訪れることすらなかっただろう。
だが、未だ状況は暗雲に支配されている。
タイムストップによって時が止まっていたということは、ヴェイグは自分たちが現れる前からここに向かっていたのだ。
逆に言えば、“タイムストップがなければ自分たちは今彼の目の前にすらいない”。
時間停止を知らないヴェイグの視点を想像すれば、いきなり中空に人影が現れたようなものである。
ただ空しく広がる落陽の原を見続けることの、なんと寂しいことか。なんと無謀なことか。
残り時間1分にも満たない空には誰もいない。諦めてもいい理由は、どこもかしこも散らばっていたはずだ。
それを、ヴェイグは立ち続けていた。待ち続けていた。
約束を信じて、悲観すべき圧倒的な現実と、無理だと嘆く自分の心を否定し続けていた。
ただ、手を繋げるために。小指の約束を解かないように。
諦めるつもりなど更々なかったのだ。
そしてカイルは現れた。窮地の少年を助けるため、手を伸ばした。
恐らくヴェイグが諦めて踵を返していれば、この好機は訪れることすらなかっただろう。
だが、未だ状況は暗雲に支配されている。
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
「何だ……? 何でこいつが、ここにいる……?」
椅子に打ちつけられたままのベルセリオスは、盤上に現れた駒を見て素直に呻いた。
しばし盤を黙視していたが、やがて口元をぬうっと笑みで歪ませ、高らかな声を上げた。
まるで啄むべき獲物を見つけたかのように。
「ジャッジ! こいつ、こいつは規則違反、論理破綻だ! 氷剣と射手は、既に行動を凍結されている! ここに来れる筈がない!!」
ベルセリオスは窮地に見つけた相手の失策を、こことぞばかりに攻めたてる。小さな穴も、何度も突けば大きな風穴となるように。
悪辣な笑みを浮かべ、大きく開いた口からは舌が飛び出かけている。
舌は悪意を乗せる。
操られる言葉も、あっかんべと垂れられる蔑みも、それがなければ成り立たない。
そして悪意は、啄む嘴から哀れな供物へと――――
椅子に打ちつけられたままのベルセリオスは、盤上に現れた駒を見て素直に呻いた。
しばし盤を黙視していたが、やがて口元をぬうっと笑みで歪ませ、高らかな声を上げた。
まるで啄むべき獲物を見つけたかのように。
「ジャッジ! こいつ、こいつは規則違反、論理破綻だ! 氷剣と射手は、既に行動を凍結されている! ここに来れる筈がない!!」
ベルセリオスは窮地に見つけた相手の失策を、こことぞばかりに攻めたてる。小さな穴も、何度も突けば大きな風穴となるように。
悪辣な笑みを浮かべ、大きく開いた口からは舌が飛び出かけている。
舌は悪意を乗せる。
操られる言葉も、あっかんべと垂れられる蔑みも、それがなければ成り立たない。
そして悪意は、啄む嘴から哀れな供物へと――――
「……だから、貴方は過ちを犯すのです」
崇高で、気高い神が、フレンチキスを越えた浅ましいものでも求めると思ったのか。
女神の凛とした声がベルセリオスの誘惑を打ち払う。
「聡い貴方にも見えていないのですね。動かぬ時と、動くヒトの理が」
すらりとした、白磁の指が盤を指し示す。しかし、示しているのは北の草原ではなく、ベルセリオスが凍結されたと主張する村の北地区。
「一見、氷剣と射手は凍結されていたようにも思える……ですが、ここで思い出してほしいことがあります」
そこには今、誰もいない。空間を凍結していた鎖と錠前もなく、自由に空気が行き渡っている。
「……凍結を宣言したモノは、懐中時計の針。
では……ベルセリオス、今ここで“証明”してください――そのとき、懐中時計はどこにあったのか!」
「――――っグ、ぐゥ……っっ!!」
ベルセリオスは脂汗を垂らして唸った。額には青筋が浮かんでいた。
こいつは、こいつは自分と同じ論法を使ったのだ。
在り得ないとは言えない。だから在る。
確率が1%でもある限り、可能性がある限り、否定はできない。
女神の凛とした声がベルセリオスの誘惑を打ち払う。
「聡い貴方にも見えていないのですね。動かぬ時と、動くヒトの理が」
すらりとした、白磁の指が盤を指し示す。しかし、示しているのは北の草原ではなく、ベルセリオスが凍結されたと主張する村の北地区。
「一見、氷剣と射手は凍結されていたようにも思える……ですが、ここで思い出してほしいことがあります」
そこには今、誰もいない。空間を凍結していた鎖と錠前もなく、自由に空気が行き渡っている。
「……凍結を宣言したモノは、懐中時計の針。
では……ベルセリオス、今ここで“証明”してください――そのとき、懐中時計はどこにあったのか!」
「――――っグ、ぐゥ……っっ!!」
ベルセリオスは脂汗を垂らして唸った。額には青筋が浮かんでいた。
こいつは、こいつは自分と同じ論法を使ったのだ。
在り得ないとは言えない。だから在る。
確率が1%でもある限り、可能性がある限り、否定はできない。
そう、18時を迎えていたのはあくまで北地区という場所であり、そこに人がいたかどうかまでは分からない。
なにせ誰かがいたという証拠がないのだから、現場不在証明<アリバイ>がない。
ないということは、つまり、その時間に現場にいたかどうかは“分からない”ということだ。
――――いや、そもそも、“本当にそこは北地区だったのだろうか?”
ただ、時計は18時を指し示した。提示された事実はそれだけなのだ。
それが、C3であろうとB3であろうと単に袋の中であろうと、指し示したことに変わりはない。
論理破綻を起こしかねないのはベルセリオスの方だった。
白も黒も在り得る灰色の中、女神が先手を取った以上、ベルセリオスは氷剣の出現を否定する手段をなくした。
「全く、貴方は本当に“信用ができない”。そしてこれは、貴方が成立させた初級術式にも言えるのです」
時間<time>=距離<distance>÷速度<velocity>……時は四連魔法によって停止・延長させ、速度は蒼紅の二剣による加速機関の構成によって崩された。
そして、距離。
「炎剣が帰るべき約束の場所は、地ではない。約束を果たすべき人の前です。そして、動くヒトである以上……距離は固定値ではなく変数へと成り得る!」
分子が大きく減少すれば、導かれる値も同じく減少することは自明の理。
ベルセリオスが構築した論理の鎖を、女神はいともたやすく書き換えた。
女神の手に光槍<ブリリアントランス>が生み出される。
なにせ誰かがいたという証拠がないのだから、現場不在証明<アリバイ>がない。
ないということは、つまり、その時間に現場にいたかどうかは“分からない”ということだ。
――――いや、そもそも、“本当にそこは北地区だったのだろうか?”
ただ、時計は18時を指し示した。提示された事実はそれだけなのだ。
それが、C3であろうとB3であろうと単に袋の中であろうと、指し示したことに変わりはない。
論理破綻を起こしかねないのはベルセリオスの方だった。
白も黒も在り得る灰色の中、女神が先手を取った以上、ベルセリオスは氷剣の出現を否定する手段をなくした。
「全く、貴方は本当に“信用ができない”。そしてこれは、貴方が成立させた初級術式にも言えるのです」
時間<time>=距離<distance>÷速度<velocity>……時は四連魔法によって停止・延長させ、速度は蒼紅の二剣による加速機関の構成によって崩された。
そして、距離。
「炎剣が帰るべき約束の場所は、地ではない。約束を果たすべき人の前です。そして、動くヒトである以上……距離は固定値ではなく変数へと成り得る!」
分子が大きく減少すれば、導かれる値も同じく減少することは自明の理。
ベルセリオスが構築した論理の鎖を、女神はいともたやすく書き換えた。
女神の手に光槍<ブリリアントランス>が生み出される。
「不可能を消去し、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる……絆が見えない貴方には、正に奇妙でしょう。
ですが、それは貴方の落ち度。貴方の視野の狭さ。貴方の思考の、弱さと限界です。
なぜならこれは、唯一無二の真実なのですから!!」
ですが、それは貴方の落ち度。貴方の視野の狭さ。貴方の思考の、弱さと限界です。
なぜならこれは、唯一無二の真実なのですから!!」
真実を照らし、虚偽を払う一閃の光が、ベルセリオスの腹を穿つ。激痛に潰れた悲鳴を上げ、上座の指手は大きく痙攣する。
息を荒げ、じくじくと痛む腹を押さえるベルセリオス。
汗に涙に顔は液体まみれだが、まだ憎たらしい笑みまでは曇らない。
「ったく、女神サマは真似っこが、好きだねえ……格調高い神様が人間風情なんかの真似しない方がいいと思うよ――――高が知れる」
「人の子に心配されるのも神の役割でしょう――――見抜いてないと、思っていたとでも?」
――否、それは劣勢を隠すための苦し紛れに浮かべられたものだった。
苦痛に顔を歪めながら、僅かに動く人差し指と中指を動かすベルセリオス。
まだやるのか、とサイグローグは思った。呆れたと言ってもよかった。
確かに、ここで足掻かなければベルセリオスが詰むのは間違いない。
だが、先程ベルセリオスは、凍結されていたと思っていた駒の名を挙げた。
そして間違いなく「もう1人の名」を呼んだ。
自分でさえ無意識の認識があるのだ。女神が見捨てておくはずがない。
神と人間の狭間に立つ道化には、見えていた。四肢を縛されても足掻くベルセリオスの死角で、女神がもう一本槍を隠し持っていることを。
携えるは、もう一つの槍。その神性には似つかわしくない、怨磋を上げる禍々しき槍<デモンズランス>。
光あるところに闇はある。その言葉にふさわしい、正義を照らすための闇が。
息を荒げ、じくじくと痛む腹を押さえるベルセリオス。
汗に涙に顔は液体まみれだが、まだ憎たらしい笑みまでは曇らない。
「ったく、女神サマは真似っこが、好きだねえ……格調高い神様が人間風情なんかの真似しない方がいいと思うよ――――高が知れる」
「人の子に心配されるのも神の役割でしょう――――見抜いてないと、思っていたとでも?」
――否、それは劣勢を隠すための苦し紛れに浮かべられたものだった。
苦痛に顔を歪めながら、僅かに動く人差し指と中指を動かすベルセリオス。
まだやるのか、とサイグローグは思った。呆れたと言ってもよかった。
確かに、ここで足掻かなければベルセリオスが詰むのは間違いない。
だが、先程ベルセリオスは、凍結されていたと思っていた駒の名を挙げた。
そして間違いなく「もう1人の名」を呼んだ。
自分でさえ無意識の認識があるのだ。女神が見捨てておくはずがない。
神と人間の狭間に立つ道化には、見えていた。四肢を縛されても足掻くベルセリオスの死角で、女神がもう一本槍を隠し持っていることを。
携えるは、もう一つの槍。その神性には似つかわしくない、怨磋を上げる禍々しき槍<デモンズランス>。
光あるところに闇はある。その言葉にふさわしい、正義を照らすための闇が。
ベルセリオスとて技術だけなら最高峰のプレイヤーだ、恐らくその槍があることを見抜いている。
だが、それでも尚、足掻こうとしている。
もしも万が一にでも、女神が見落としていたとしたら。
女神が決戦の地に呼び出したのが、炎剣に因縁のある氷剣だけだったとしたら。
だが、それでも尚、足掻こうとしている。
もしも万が一にでも、女神が見落としていたとしたら。
女神が決戦の地に呼び出したのが、炎剣に因縁のある氷剣だけだったとしたら。
一流の指し手は敗北を悟った時点でリザインを宣言する。
それが自分の賢明さと潔さの主張でもあり、相手の指手に対する敬意の証明でもあるからだ。
何よりも、作り上げてきた美しい譜面を汚すことを、一流は許さない。
ベルセリオスは自分を一流であると自負している。
それを、相手のミスを願って手を進めるなど、ベルセリオスにとって唾棄すべき屈辱であろう。
それが自分の賢明さと潔さの主張でもあり、相手の指手に対する敬意の証明でもあるからだ。
何よりも、作り上げてきた美しい譜面を汚すことを、一流は許さない。
ベルセリオスは自分を一流であると自負している。
それを、相手のミスを願って手を進めるなど、ベルセリオスにとって唾棄すべき屈辱であろう。
――――だが、それよりも許せないことがあるのか。
例えそれがプライドというものさえも棄ててしまう、唯々醜い行為だとしても。
この女神を前にその知的なる健闘を讃え、素直に王の駒を倒すことなど――仲良しこよしで握手をするなど許せるはずもないと。
例えそれがプライドというものさえも棄ててしまう、唯々醜い行為だとしても。
この女神を前にその知的なる健闘を讃え、素直に王の駒を倒すことなど――仲良しこよしで握手をするなど許せるはずもないと。
「ああ、真実……真実ね……それ、ッだけは認めてやるよ。
たかが一人ポッと出てきたところで現実は何も変わりはしないってこともね!!」
たかが一人ポッと出てきたところで現実は何も変わりはしないってこともね!!」
故に、ベルセリオスは盤上に指を差すことを止めない。
既に光明“しか”ないと分かり切っていたとしても。
既に光明“しか”ないと分かり切っていたとしても。
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
『……馬鹿者が。お前一人で何ができる?』
言葉の節々に心地よい甘さを滲ませつつ、ディムロスは己の浅慮さと相手の愚鈍さを嘆いた。
哀れみと言ってもおかしくはなかった。
どんなに約束のためとはいえ、無謀すぎる。
約束を信じ、果たそうと駆けつけた。思わず誰かに語り継ぎたくなるような美談だ。
しかし、自分の命を省みぬ万歳突撃では意味がない。これを美しいと思うのは突撃した人間だけだ。
核弾頭と呼ばれた突撃兵は、確かに苛烈で、迫りくる大波をより強い波で返すような男だ。
だが決して無策ではなかった。
戦局を見据え冷静に。後続の兵士の損害をできるだけ少なく。それでいて士気を鼓舞し、勇ましく敵を断ち切る。
「必ず生きて戻れ」と口にする戦好きが、たぎる血のまま、欲のままに力を行使した筈がない。
だからこそ、ヴェイグの行動はただの無鉄砲、自己犠牲にしか思えないのだ。
「そうだな。俺1人では、何も出来ないかもしれない」
だが、言葉とは裏腹にヴェイグは首を横に振る。
そして強く柄を握る。ディムロスに自分の思いを伝えようかとするかのように。
篭められていたものは、撤退の意思なき強い思い。決して退かず、諦めない心。
言葉の節々に心地よい甘さを滲ませつつ、ディムロスは己の浅慮さと相手の愚鈍さを嘆いた。
哀れみと言ってもおかしくはなかった。
どんなに約束のためとはいえ、無謀すぎる。
約束を信じ、果たそうと駆けつけた。思わず誰かに語り継ぎたくなるような美談だ。
しかし、自分の命を省みぬ万歳突撃では意味がない。これを美しいと思うのは突撃した人間だけだ。
核弾頭と呼ばれた突撃兵は、確かに苛烈で、迫りくる大波をより強い波で返すような男だ。
だが決して無策ではなかった。
戦局を見据え冷静に。後続の兵士の損害をできるだけ少なく。それでいて士気を鼓舞し、勇ましく敵を断ち切る。
「必ず生きて戻れ」と口にする戦好きが、たぎる血のまま、欲のままに力を行使した筈がない。
だからこそ、ヴェイグの行動はただの無鉄砲、自己犠牲にしか思えないのだ。
「そうだな。俺1人では、何も出来ないかもしれない」
だが、言葉とは裏腹にヴェイグは首を横に振る。
そして強く柄を握る。ディムロスに自分の思いを伝えようかとするかのように。
篭められていたものは、撤退の意思なき強い思い。決して退かず、諦めない心。
ディムロスは意思こそ持てど、その身はただの剣である。
自身の力で空中に留まることなどできない。重力に身を任せ、あえなく落ちていくばかり。
だが、それを途中で放棄させられるということは。地面にキスをせずに済むということは。
そこに、何者かの意思が確固として介在しているということなのだ。
人はそれを何と呼ぶだろうか。運命か、奇跡か。否、そんなものでは到底生温い。
相違ない――――人はそれを――――
自身の力で空中に留まることなどできない。重力に身を任せ、あえなく落ちていくばかり。
だが、それを途中で放棄させられるということは。地面にキスをせずに済むということは。
そこに、何者かの意思が確固として介在しているということなのだ。
人はそれを何と呼ぶだろうか。運命か、奇跡か。否、そんなものでは到底生温い。
相違ない――――人はそれを――――
ずさ、と草が踏まれ、青い匂いが少しだけ風に薫る。
夕闇時の風は疲弊した者を癒すかのように涼しく、心地よい爽やかさだ。
夕闇時の風は疲弊した者を癒すかのように涼しく、心地よい爽やかさだ。
まだだ。尚もカイルは落ち続けるままだ。
俊速を保ち、ヴェイグは少年の下を目指す。草を蹴り、ただひたすらに。足は前へ前へ。
カイルと共に太陽は落ち、終末への残り時間を告げている。タイムリミットまでには数十秒と満たない。
あと少しで落下地点まで到達する。
同時に、禁止エリアの予定地に入っていることを意味している。
ヴェイグは一歩足を大きく踏み出し、力を込める。つま先をバネにして空へ跳躍。
だが、上空のカイルにはまだまだ届かない。届く距離ではない。ならば何故ヴェイグは跳んだのか。
俊速を保ち、ヴェイグは少年の下を目指す。草を蹴り、ただひたすらに。足は前へ前へ。
カイルと共に太陽は落ち、終末への残り時間を告げている。タイムリミットまでには数十秒と満たない。
あと少しで落下地点まで到達する。
同時に、禁止エリアの予定地に入っていることを意味している。
ヴェイグは一歩足を大きく踏み出し、力を込める。つま先をバネにして空へ跳躍。
だが、上空のカイルにはまだまだ届かない。届く距離ではない。ならば何故ヴェイグは跳んだのか。
「俺は、約束を破るつもりはない。1人では無理でも……俺には、仲間がいる!!」
緩やかな放物線が描かれ、頂点を過ぎたときだ。
ヴェイグの通過経路に、大輪の葉が広がる。ヴェイグはそれに着地し、すぐさま跳躍する。更に跳んだ先にも葉は広がっていた。
葉はもちろん地面から生えてきている。ただ、自然にではなく、ちょっと人外の力を加えられているが。
ヴェイグの通過経路に、大輪の葉が広がる。ヴェイグはそれに着地し、すぐさま跳躍する。更に跳んだ先にも葉は広がっていた。
葉はもちろん地面から生えてきている。ただ、自然にではなく、ちょっと人外の力を加えられているが。
【17:59'25】
「ったく、俺の出番遅すぎだろ。――いいかヴェイグ、“あと30秒”だ!」
声の主は充填した矢にフォルスを込める。そして遠くへと発射する。
一見なんの狙いもない弾丸に見えるだろう。
しかし、着弾した場所から蔓が伸び、一気に逞しく――異常に成長した。大きな葉を広げ、人1人の重さくらいなら耐えられるまでに。
『ティトレイ……!?』
後方からの声にディムロスは視線を移した。
エバーグリーンの蓬髪と全身緑の装束が、左手の弓に矢をつがえながら前を向いていた。
その横には、同じく飛ばされていたはずのアトワイトが地に突き立てられていた。
「ま、ヴェイグに何を言ったって無駄だぜ。そうそう簡単に引き下がる奴じゃないからな」
ティトレイはにかっと笑っている。
確証はないが、地平線の向こうに僅かに村の影が見えることを考えると、ティトレイが立っているのはB3とC3の境目――そのC3側だ。
このままなら、ティトレイだけは首輪の爆発を免れる位置にいる。身を挺して救助に向かうヴェイグと比べて、ティトレイの態度は浅薄にも思える。
――違う。ただ、信じている。間違いなく、自分たちを信じているのだ。
ディムロスをヴェイグに渡すための水塊、「蒼破連天脚」が何よりの証拠だ。
「ったく、果報者だよなあ!」
呆れるしかなかった。何と、何と馬鹿な者たちか。
しかし、すぐに自身のことを思い返す。
一見なんの狙いもない弾丸に見えるだろう。
しかし、着弾した場所から蔓が伸び、一気に逞しく――異常に成長した。大きな葉を広げ、人1人の重さくらいなら耐えられるまでに。
『ティトレイ……!?』
後方からの声にディムロスは視線を移した。
エバーグリーンの蓬髪と全身緑の装束が、左手の弓に矢をつがえながら前を向いていた。
その横には、同じく飛ばされていたはずのアトワイトが地に突き立てられていた。
「ま、ヴェイグに何を言ったって無駄だぜ。そうそう簡単に引き下がる奴じゃないからな」
ティトレイはにかっと笑っている。
確証はないが、地平線の向こうに僅かに村の影が見えることを考えると、ティトレイが立っているのはB3とC3の境目――そのC3側だ。
このままなら、ティトレイだけは首輪の爆発を免れる位置にいる。身を挺して救助に向かうヴェイグと比べて、ティトレイの態度は浅薄にも思える。
――違う。ただ、信じている。間違いなく、自分たちを信じているのだ。
ディムロスをヴェイグに渡すための水塊、「蒼破連天脚」が何よりの証拠だ。
「ったく、果報者だよなあ!」
呆れるしかなかった。何と、何と馬鹿な者たちか。
しかし、すぐに自身のことを思い返す。
ディムロス・ティンバー中将は1人で戦っていたか?
その背に負っていたものは、守るものばかりだったのか?
率いる白装束の背後には――――共に戦う、大勢の人間達がいたではないか。
その背に負っていたものは、守るものばかりだったのか?
率いる白装束の背後には――――共に戦う、大勢の人間達がいたではないか。
すぐにディムロスは笑った。笑ってみたくなった。
運がいいだとか、巡り合わせがいいだとか、そんなことは関係がない。
ただ、カイルによって今までに、ここまでに紡がれてきた絆の力に、心から感謝を表したくなったのだ。
動くことも叶わないが故に、ただの戦争の道具でしかないが故に。
鼓動を重ね、きっと途方もない何かを犠牲にしてまで繋いだ友誼に、ディムロスは心の中でそっと落涙した。
涙と一緒に、重々しい憑き物がどこかに流れていって、吹っ切れてしまった。
ディムロスは、今己を掴んでいる氷の青年に向かって言った。
『残念だったなヴェイグ。今、我のマスターはお前ではなくあいつだ。それはもう覆らないぞ』
こんな状況下なのに減らず口を叩くとは。我ながら余裕ぶったものだ、とディムロスは昴ぶった心で皮肉を吐いた。
突撃兵は突撃兵らしく。ただ愚直に、素直に言葉を発すればいいのだ。
『……だから、一人の友人として頼む。――助けてくれ、あいつを、カイルを助けてやってくれ……!!』
ヴェイグはこんな時でさえ笑わない。ただ柄をぎゅっと握り締めて答えるのみだ。
沈黙の中に、意思だけが存在する。
運がいいだとか、巡り合わせがいいだとか、そんなことは関係がない。
ただ、カイルによって今までに、ここまでに紡がれてきた絆の力に、心から感謝を表したくなったのだ。
動くことも叶わないが故に、ただの戦争の道具でしかないが故に。
鼓動を重ね、きっと途方もない何かを犠牲にしてまで繋いだ友誼に、ディムロスは心の中でそっと落涙した。
涙と一緒に、重々しい憑き物がどこかに流れていって、吹っ切れてしまった。
ディムロスは、今己を掴んでいる氷の青年に向かって言った。
『残念だったなヴェイグ。今、我のマスターはお前ではなくあいつだ。それはもう覆らないぞ』
こんな状況下なのに減らず口を叩くとは。我ながら余裕ぶったものだ、とディムロスは昴ぶった心で皮肉を吐いた。
突撃兵は突撃兵らしく。ただ愚直に、素直に言葉を発すればいいのだ。
『……だから、一人の友人として頼む。――助けてくれ、あいつを、カイルを助けてやってくれ……!!』
ヴェイグはこんな時でさえ笑わない。ただ柄をぎゅっと握り締めて答えるのみだ。
沈黙の中に、意思だけが存在する。
人はそれを何と呼ぶだろうか。運命か、奇跡か。否、そんなものでは到底生温い。
相違ない――――人はそれを、真なる希望と呼ぶ。
相違ない――――人はそれを、真なる希望と呼ぶ。
ティトレイは間髪なく矢を放つ。葉の足場を空へ空へと作っていく。
大剣士であるヴェイグの跳躍力を見誤らず、的確に、タイミング良く。
正に2人の息のあった――否、息に息を重ねていく、玲瓏とも言えるコンビネーションの賜物だ。
ディムロスは感嘆の息をつく。ならば次は自分か。
刀身に熱き血潮が巡る。そして、冴え冴えとした氷結の力が迸る。
何度も何度も繰り返してきた現象だ。自然すぎて、これが当然の経路だと思える。
今一度、炎と氷の力で、大局を揺るがす玲々たる大気を生み出す!
届け。絶望がカイルを引き寄せるより前に。
「――――風神剣ッ!!」
ヴェイグは思い切り跳ぶ。剣に暴風を纏わせ、足場に叩きつける。炸裂した風はヴェイグの巨躯を持ち上げる。
大剣士であるヴェイグの跳躍力を見誤らず、的確に、タイミング良く。
正に2人の息のあった――否、息に息を重ねていく、玲瓏とも言えるコンビネーションの賜物だ。
ディムロスは感嘆の息をつく。ならば次は自分か。
刀身に熱き血潮が巡る。そして、冴え冴えとした氷結の力が迸る。
何度も何度も繰り返してきた現象だ。自然すぎて、これが当然の経路だと思える。
今一度、炎と氷の力で、大局を揺るがす玲々たる大気を生み出す!
届け。絶望がカイルを引き寄せるより前に。
「――――風神剣ッ!!」
ヴェイグは思い切り跳ぶ。剣に暴風を纏わせ、足場に叩きつける。炸裂した風はヴェイグの巨躯を持ち上げる。
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
「あ、ギャアアァアィア痛、いだい、ひゃ、ややや!!!!!」
予想通りに輝光の槍が右肩を、予定調和に悪魔の槍が左肩を穿つ。
四肢を四重論理の楔に射抜かれ、雁字搦めに拘束する鎖を打たれては誰も動けはしない。
ベルセリオスは鉄の海の中でもがく。
網目をうまくくぐり抜けて突き出た腕。だが、それでも指先は駒に触れることはない。
あと少しで届くかと思えば、するりと駒が抜けていく。その繰り返しだ。
リピートする度に駒はB3からC3への境界線へと進んでいく。
ベルセリオスの指から逃げているようにも見えるが、別の見方をすれば、ベルセリオスが押しているようにも見える。
しかし、ベルセリオスの願いは炎剣を――英雄の駒を引き留めることだけ。叶わぬ内は、顔を歪めることしかできない。
予想通りに輝光の槍が右肩を、予定調和に悪魔の槍が左肩を穿つ。
四肢を四重論理の楔に射抜かれ、雁字搦めに拘束する鎖を打たれては誰も動けはしない。
ベルセリオスは鉄の海の中でもがく。
網目をうまくくぐり抜けて突き出た腕。だが、それでも指先は駒に触れることはない。
あと少しで届くかと思えば、するりと駒が抜けていく。その繰り返しだ。
リピートする度に駒はB3からC3への境界線へと進んでいく。
ベルセリオスの指から逃げているようにも見えるが、別の見方をすれば、ベルセリオスが押しているようにも見える。
しかし、ベルセリオスの願いは炎剣を――英雄の駒を引き留めることだけ。叶わぬ内は、顔を歪めることしかできない。
「畜生……ふっざけんな……」
下の下手を打ってまで炎剣を殺そうとしたのだ。今更はいそうですかと諦めることはできない。
なんとしてでも、行かせるのを拒まねばならない。
ベルセリオスは苦痛を堪えて、動けぬ身体の中でまだ唯一機能している器官――――口を動かした。
下の下手を打ってまで炎剣を殺そうとしたのだ。今更はいそうですかと諦めることはできない。
なんとしてでも、行かせるのを拒まねばならない。
ベルセリオスは苦痛を堪えて、動けぬ身体の中でまだ唯一機能している器官――――口を動かした。
「なあ……何で……こいつを生かすんだ? 生き残ったって……この傷じゃもう……戦うに戦えない。
ただの、お荷物……ルーンボトルで変化させたってどうせガラクタだよ? 他の駒の、モチベーションの為……? 最低だな時の紡ぎ手」
手足を動かせない中、ベルセリオスは顔の筋肉だけで侮蔑の表情を作り上げる。
「お前が絆だ想いだなんて喚くから、先の絶望まで頭が回らない、見えていない。全く、眩しさが目をくらませる典型例だな。
いいや、本当は、教えないつもりだったけど、此処まで私を追いつめたご褒美だ……教えてやるよ」
ただの、お荷物……ルーンボトルで変化させたってどうせガラクタだよ? 他の駒の、モチベーションの為……? 最低だな時の紡ぎ手」
手足を動かせない中、ベルセリオスは顔の筋肉だけで侮蔑の表情を作り上げる。
「お前が絆だ想いだなんて喚くから、先の絶望まで頭が回らない、見えていない。全く、眩しさが目をくらませる典型例だな。
いいや、本当は、教えないつもりだったけど、此処まで私を追いつめたご褒美だ……教えてやるよ」
これが……今可能な、最後の一手だというように。
「“この先には誰もいないんだよ”。炎剣の仲間も、家族も、想い人も、憎たらしい奴も、だあれもいない。
聖女に会いに行くとかのたまってるけど――バッカじゃないの。そんなこと出来たらどこの誰も苦労してないに決まってるだろ!
世の中、死ぬより生きる苦しみってモンもあるんだよ? 神様って無慈悲なもんだよなあ!!」
勢いづくための酒を煽るかのように、ベルセリオスは大きく息を吸い呼吸を整える。
「……いや、違った。死ぬ生きるの問題じゃなかった」
能面みたいな無表情でベルセリオスは呟いた。ぴたりと止まった時は針の氷原のように刺々しい。
聖女に会いに行くとかのたまってるけど――バッカじゃないの。そんなこと出来たらどこの誰も苦労してないに決まってるだろ!
世の中、死ぬより生きる苦しみってモンもあるんだよ? 神様って無慈悲なもんだよなあ!!」
勢いづくための酒を煽るかのように、ベルセリオスは大きく息を吸い呼吸を整える。
「……いや、違った。死ぬ生きるの問題じゃなかった」
能面みたいな無表情でベルセリオスは呟いた。ぴたりと止まった時は針の氷原のように刺々しい。
「“こいつを受け入れられる場所がもうないんだ”。世界の、どこにも。お前も分かるだろう? 分かってるんだろう?」
この先には絶望しかない。生きても意味などない。
彼が配置し用意した絶望は、死に至らせるためのもの。
決して、呼吸のたび肺に刺さる鋭い針ではない。生きるために設計されたものではないのだ。
ベルセリオスの言葉に、女神の瞳が一瞬だけ陰る。そして……その鎖が、僅かに緩んだ。
彼が配置し用意した絶望は、死に至らせるためのもの。
決して、呼吸のたび肺に刺さる鋭い針ではない。生きるために設計されたものではないのだ。
ベルセリオスの言葉に、女神の瞳が一瞬だけ陰る。そして……その鎖が、僅かに緩んだ。
「だから……とっとと捨てろよ、未来なんてさあああぁぁぁぁぁ!!!」
刹那の間隙を縫い、ベルセリオスは留めるよう、懸命に手を伸ばす。
あと少しで手が届きそうなくらいに――――掴めないものをやっと引き留めるかのように――――
あと少しで手が届きそうなくらいに――――掴めないものをやっと引き留めるかのように――――
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
ヴェイグは思い切り跳ぶ。剣に暴風を纏わせ、足場に叩きつける。炸裂した風はヴェイグの巨躯を持ち上げる。
墜ちるカイルと昇るヴェイグ。2人は次第に接近していく。
だらりとして動かないカイルの身体に向かって、ヴェイグは両手を伸ばす。
「カイル……ッ!!」
後少し、後少し。指先まで伸ばし切る。
目の前に、影の落ちたカイルの姿が映る。髪は輪をかけてぼさぼさで、全身は傷でぼろぼろだ。
ヴェイグは、掴むことはせず、そっと手を差し伸べた。
開いた掌の上に、カイルの背が重なる。ふっと触れた衣服の感触のすぐ後に、どさりと落ちてきた。
力が入っていない少年の体はいやに重い。
改めて目の前で見てみると、カイルの損傷はひどいものだった。下手に触れれば逆に悪化しかねない。
ヴェイグは少年の身体を慎重に、だが手早く自分の方へと寄せ、抱え上げる。
汗にまみれ、弾性のない子供らしからぬ肌は、とても冷えていた。まるで、脇腹の傷から命そのものをこぼしていっているように。
僅かに伝わる心臓の鼓動だけが、生きていることを伝えていた。
生きている。まだ、生きている。
ここがどんなに命を奪う死の草原であろうと、カイルはまだ生きている。
ヴェイグは意識のないカイルの頭を、そっとぽんぽんと叩いた。
吹き飛ばされかけていた微かな命の灯火を、再び消させることはしない。
墜ちるカイルと昇るヴェイグ。2人は次第に接近していく。
だらりとして動かないカイルの身体に向かって、ヴェイグは両手を伸ばす。
「カイル……ッ!!」
後少し、後少し。指先まで伸ばし切る。
目の前に、影の落ちたカイルの姿が映る。髪は輪をかけてぼさぼさで、全身は傷でぼろぼろだ。
ヴェイグは、掴むことはせず、そっと手を差し伸べた。
開いた掌の上に、カイルの背が重なる。ふっと触れた衣服の感触のすぐ後に、どさりと落ちてきた。
力が入っていない少年の体はいやに重い。
改めて目の前で見てみると、カイルの損傷はひどいものだった。下手に触れれば逆に悪化しかねない。
ヴェイグは少年の身体を慎重に、だが手早く自分の方へと寄せ、抱え上げる。
汗にまみれ、弾性のない子供らしからぬ肌は、とても冷えていた。まるで、脇腹の傷から命そのものをこぼしていっているように。
僅かに伝わる心臓の鼓動だけが、生きていることを伝えていた。
生きている。まだ、生きている。
ここがどんなに命を奪う死の草原であろうと、カイルはまだ生きている。
ヴェイグは意識のないカイルの頭を、そっとぽんぽんと叩いた。
吹き飛ばされかけていた微かな命の灯火を、再び消させることはしない。
しかし、このままでは落ちるばかりだ。
ヴェイグはカイルを抱える手の片方を離し、ディムロスに再び風を纏わせる。
風神剣による跳躍は、風を地面に叩きつけた際の、反発する局地的な気流によって成り立つ。
逆に言えば、大きく跳んでいるのではなく、単に気流に乗っているだけなのだ。
ヴェイグはカイルを抱える手の片方を離し、ディムロスに再び風を纏わせる。
風神剣による跳躍は、風を地面に叩きつけた際の、反発する局地的な気流によって成り立つ。
逆に言えば、大きく跳んでいるのではなく、単に気流に乗っているだけなのだ。
「……カイル……済まない」
ヴェイグは一言謝った。
「……お前は頑張ったな。よく、頑張った。だからもう大丈夫だ」
もう片方の手がカイルから離れる。風を帯びる剣が振り下ろされる。
ヴェイグは一言謝った。
「……お前は頑張ったな。よく、頑張った。だからもう大丈夫だ」
もう片方の手がカイルから離れる。風を帯びる剣が振り下ろされる。
「俺は死なない。カイル、お前も……死なせは、しない! それが、交わした約束だからッ!!」
ごう、と風が迸る。同時にパキィンという尖った音が聞こえ、先鋭な破片が飛び流れる。
ディムロスは瞳を開け、あらん限りに見開いた。
赤黒い空の中で飛び散るのは、僅かな光に反射して煌めく氷の欠片。ほとんどが粉々に砕けており、星のようにも見える。
欠片は追い風に乗って飛んでくるため、まるで襲いかかってくるようにも見える。現に、ヴェイグの皮膚には真新しい切り傷があった。
だが、これは――――ヴェイグがもう片方の手で少年の後方に発した、氷のフォルスで作られた氷壁の断片だ。
ヴェイグはカイルに背を向けていた。氷の壁に叩きつけられた風神剣のせいで、カイルが風に流されたためだ。
それでも。
それでも、此岸と彼岸の境界線にはまだ届かない。
もう1度風神剣を行う暇はない。その前に地面に着いてしまうだろう。
何かないのか、とディムロスは考える。
ヴェイグは振り返り、カイルの方へと手を伸ばす。必死に伸ばす。生へと繋ぎ止めるように。
左手がカイルの右手首を掴む。そのまま落ちていく。
残り時間は僅かばかり。もう駄目だ、おしまいだ。四度叩いて開けた運命が、涎を垂らしながらまた大きく嘲い出す。
ディムロスは瞳を開け、あらん限りに見開いた。
赤黒い空の中で飛び散るのは、僅かな光に反射して煌めく氷の欠片。ほとんどが粉々に砕けており、星のようにも見える。
欠片は追い風に乗って飛んでくるため、まるで襲いかかってくるようにも見える。現に、ヴェイグの皮膚には真新しい切り傷があった。
だが、これは――――ヴェイグがもう片方の手で少年の後方に発した、氷のフォルスで作られた氷壁の断片だ。
ヴェイグはカイルに背を向けていた。氷の壁に叩きつけられた風神剣のせいで、カイルが風に流されたためだ。
それでも。
それでも、此岸と彼岸の境界線にはまだ届かない。
もう1度風神剣を行う暇はない。その前に地面に着いてしまうだろう。
何かないのか、とディムロスは考える。
ヴェイグは振り返り、カイルの方へと手を伸ばす。必死に伸ばす。生へと繋ぎ止めるように。
左手がカイルの右手首を掴む。そのまま落ちていく。
残り時間は僅かばかり。もう駄目だ、おしまいだ。四度叩いて開けた運命が、涎を垂らしながらまた大きく嘲い出す。
<おいで。辛くて苦しい現実なんて捨てて、こっちにおいで。だからその手を払いなよ!>
「その手、しっかり掴んでおけよ――ヴェイグ!」
「その手、しっかり掴んでおけよ――ヴェイグ!」
声に呼応して、ヴェイグはぎゅっと強く手を握った。
決して離さないよう、強く、強く。
例え少年の手首にしばらく痣が残ってしまうようなことになっても、彼は厭わない。
そんなもの、ここで死んでしまうことよりは、馬鹿馬鹿しくて笑えるだろう?
黒い皮手袋が、ぎり、と軋む音を立てる。
手首の先にある少年の手が、僅かにぴくりと、指先だけ動く。
まるで、壁に指をかけるかのように。指に力を込め、壁を乗り越えようとするかのように。
決して離さないよう、強く、強く。
例え少年の手首にしばらく痣が残ってしまうようなことになっても、彼は厭わない。
そんなもの、ここで死んでしまうことよりは、馬鹿馬鹿しくて笑えるだろう?
黒い皮手袋が、ぎり、と軋む音を立てる。
手首の先にある少年の手が、僅かにぴくりと、指先だけ動く。
まるで、壁に指をかけるかのように。指に力を込め、壁を乗り越えようとするかのように。
いきたい。行きたい。――――生きたい!
「もし手ェ離したら、お前のこと、初めて軽蔑してやる!」
ヴェイグの身体に、しなやかな蔓が巻き付く。蔓の先を辿れば――発生源である樹のフォルスの持ち主、ティトレイへと行き着く。
蔓は上腕にまで巻き付いていた。そしてティトレイの両手は、綱引きの要領で蔓を掴んでいる。
もちろん、樹のフォルスは便利なものなので、わざわざ自力で引っ張りあげなくても大丈夫ではある。
だから、これは様式美だ。あちらからこちらへと引き寄せる、生きとし生ける現実からの呼び声のための。
ヴェイグの身体に、しなやかな蔓が巻き付く。蔓の先を辿れば――発生源である樹のフォルスの持ち主、ティトレイへと行き着く。
蔓は上腕にまで巻き付いていた。そしてティトレイの両手は、綱引きの要領で蔓を掴んでいる。
もちろん、樹のフォルスは便利なものなので、わざわざ自力で引っ張りあげなくても大丈夫ではある。
だから、これは様式美だ。あちらからこちらへと引き寄せる、生きとし生ける現実からの呼び声のための。
「でぇぇぇェェりゃあぁぁぁぁァァァァアッ!!!」
ティトレイがあらん力の限りで蔓を引く。
蔓が波を打つようにたわみ、巻き付かれているヴェイグと手を掴まれているカイルが上方へと持ち上がる。
手にかかる力は相当のものだろう。だが、ヴェイグは離さない。ここまで来て離す理由もなかった。
軽蔑される気もさらさらない。
蔓が引かれ、空の2人は近づいていく。
オールデッドから、首輪が爆発するか否かの、生と死の狭間にあるデッドラインへと。
蔓が波を打つようにたわみ、巻き付かれているヴェイグと手を掴まれているカイルが上方へと持ち上がる。
手にかかる力は相当のものだろう。だが、ヴェイグは離さない。ここまで来て離す理由もなかった。
軽蔑される気もさらさらない。
蔓が引かれ、空の2人は近づいていく。
オールデッドから、首輪が爆発するか否かの、生と死の狭間にあるデッドラインへと。
<ああ、だめだ駄目だダメだ、いくな、行くな逝くな生くないくなぁぁぁああああ!!!>
引き寄せられるのと共に、通り過ぎていく涼やかな大気。
ディムロスははたと気づいた。
風だ。
風が、吹き抜けている。
それは、鳳凰の風の余韻だった。
北からの風が神風となり、追い風となり、カイルの背中を押す。
見えない風の翼が、往けと押し進める。
鳳凰は英雄が誕生した時にのみ現れる――――即ち、この風は新たな英雄への祝福であり、送別。
もしかしたら、北に残った誰かが、カイルが振り返らぬよう吹かせているのか。
いったいそれは誰なのだろう。身を挺してまで帰り道を作り上げた天使か、それとも風を作り上げる源となった両親だろうか。
それとも、少年を支えてきた多くの絆たちか。
例え翼をもがれても、強く織り込まれた綾が大きな翼を作り上げる。
どんなことがあっても尽きない、尽きさせない推進力。それがカイルの強さなのだ。
『カイル、胸を張れ。お前の旅立ちを、多くの人達が見送っている!』
ディムロスは意識のないカイルに届かせるよう、一喝した。
ディムロスははたと気づいた。
風だ。
風が、吹き抜けている。
それは、鳳凰の風の余韻だった。
北からの風が神風となり、追い風となり、カイルの背中を押す。
見えない風の翼が、往けと押し進める。
鳳凰は英雄が誕生した時にのみ現れる――――即ち、この風は新たな英雄への祝福であり、送別。
もしかしたら、北に残った誰かが、カイルが振り返らぬよう吹かせているのか。
いったいそれは誰なのだろう。身を挺してまで帰り道を作り上げた天使か、それとも風を作り上げる源となった両親だろうか。
それとも、少年を支えてきた多くの絆たちか。
例え翼をもがれても、強く織り込まれた綾が大きな翼を作り上げる。
どんなことがあっても尽きない、尽きさせない推進力。それがカイルの強さなのだ。
『カイル、胸を張れ。お前の旅立ちを、多くの人達が見送っている!』
ディムロスは意識のないカイルに届かせるよう、一喝した。
<祝福だと? 送別だと? 馬鹿らしい。
何だァ? 誕生日のケーキのロウソクをふーっと吹き消すってでもいうのか? んなの、命の灯火くらいでいいんだよ!
ああいいよ。どうぞ1回生まれ変わってからハッピーリバースデーってロウソク吹き消せばいいよ。だからとっとと終われ!!
ふざけるな……ふざけるなあぁぁァァァッ!!>
何だァ? 誕生日のケーキのロウソクをふーっと吹き消すってでもいうのか? んなの、命の灯火くらいでいいんだよ!
ああいいよ。どうぞ1回生まれ変わってからハッピーリバースデーってロウソク吹き消せばいいよ。だからとっとと終われ!!
ふざけるな……ふざけるなあぁぁァァァッ!!>
ただ、分かることは1つ。
<――――――彼は、死にはしない>
デッドラインは、始めの一歩を踏み出す国境線に過ぎないのだから。
未来はここから、ここから始まるのだ。
ここに、カイル・デュナミスの冒険譚は始まる。
未来はここから、ここから始まるのだ。
ここに、カイル・デュナミスの冒険譚は始まる。
「戻ってこい。俺は、お前の背を見送りたいんだ」
<ふざけるな、時の紡ぎ手――――――グリューネ、グリューネぇ、グリューネエェェェェェェェェエエエエエ!!!>
力の差を知りなさい、人の子よ。これが――――――――――
力の差を知りなさい、人の子よ。これが――――――――――
渦潮にでも吸い込まれるかのようにティトレイへ接近していく2人。
互いの距離を証明する緑色の綱はどんどん短くなっていく。
少し。
少し。
あと少し。
ティトレイが片手を離し、フォルスを集中させる。
ヴェイグが再びディムロスを構え、風を集わせる。
2人が正面から激突しそうになる、その間際。
ティトレイの手から溢れた大量の葉が。
ヴェイグから放たれた風神剣が。
互いの威力を相殺し、緩衝材となり、ヴェイグの運動を止める。
互いの距離を証明する緑色の綱はどんどん短くなっていく。
少し。
少し。
あと少し。
ティトレイが片手を離し、フォルスを集中させる。
ヴェイグが再びディムロスを構え、風を集わせる。
2人が正面から激突しそうになる、その間際。
ティトレイの手から溢れた大量の葉が。
ヴェイグから放たれた風神剣が。
互いの威力を相殺し、緩衝材となり、ヴェイグの運動を止める。
どさり、と最小限の高さからヴェイグは倒れ込む。
手を掴まれているカイルも一緒に倒れ込む。
手を離し、仰向けになったまま、ヴェイグは星々の浮かぶ空を見つめる。
横になった2人を見下ろすティトレイは、気軽な挨拶でもするかのように、手を額の際あたりに持ち上げていた。
ヴェイグの身体から蔓がすっと消え、やっとヴェイグは大きく、ゆっくりと息をついた。
「よくやったなヴェイグ。それでこそ俺の親友ってもんだぜ」
手を掴まれているカイルも一緒に倒れ込む。
手を離し、仰向けになったまま、ヴェイグは星々の浮かぶ空を見つめる。
横になった2人を見下ろすティトレイは、気軽な挨拶でもするかのように、手を額の際あたりに持ち上げていた。
ヴェイグの身体から蔓がすっと消え、やっとヴェイグは大きく、ゆっくりと息をついた。
「よくやったなヴェイグ。それでこそ俺の親友ってもんだぜ」
しかし、隣で横たわるカイルはぴくりとも動かず、ひどく青ざめている。
脇腹の傷から垂れていた血は、既に固まりかけている。流すほどのものもなかった。
「カイル。おい、カイル。起きてくれ」
上体だけ起こしたヴェイグはカイルの身体を揺さぶる。だが身体は小さく横に震えるばかりで、反応はない。
「カイル……?」
更に揺さぶるも、やはり何の返事もない。ぐったりと垂れた全身はぴくりとも動こうとしない。
伏せられた瞼は開けられることはなく――――ただ、重く閉ざされていた。
まさか。そんな。
ヴェイグの中で最悪の予想が過ぎる。いくらなんでも、こんな結末はあんまりだ。
「カイル! カイルっ!」
必死に呼び覚まそうと、ヴェイグは少年の身体を揺さぶり、叫ぶような大音量の声で呼びかける。
ティトレイも立ちすくんだまま、ヴェイグの後方からカイルを見下ろしていた。
ヴェイグは目を細め顔を歪ませた。
このまま、このまま眠ったまま――――――
脇腹の傷から垂れていた血は、既に固まりかけている。流すほどのものもなかった。
「カイル。おい、カイル。起きてくれ」
上体だけ起こしたヴェイグはカイルの身体を揺さぶる。だが身体は小さく横に震えるばかりで、反応はない。
「カイル……?」
更に揺さぶるも、やはり何の返事もない。ぐったりと垂れた全身はぴくりとも動こうとしない。
伏せられた瞼は開けられることはなく――――ただ、重く閉ざされていた。
まさか。そんな。
ヴェイグの中で最悪の予想が過ぎる。いくらなんでも、こんな結末はあんまりだ。
「カイル! カイルっ!」
必死に呼び覚まそうと、ヴェイグは少年の身体を揺さぶり、叫ぶような大音量の声で呼びかける。
ティトレイも立ちすくんだまま、ヴェイグの後方からカイルを見下ろしていた。
ヴェイグは目を細め顔を歪ませた。
このまま、このまま眠ったまま――――――
「――ただいまぁ」
声に意識が引き寄せられたのか、眉間をひくつかせる。
意識を失っているカイルはむにゃむにゃと、寝言でも言うかのように呟いた。
寝返り付きで。
ぷしゅり、と脇腹から命の証明が流れる。
意識を失っているカイルはむにゃむにゃと、寝言でも言うかのように呟いた。
寝返り付きで。
ぷしゅり、と脇腹から命の証明が流れる。
2人は呆然として顔を見合わせる。
その間抜け面といったら、形に残せれば後世にまで残るようなものだろう。
しばらく怠けた顔で見つめ合った後、ティトレイは1度吹き出した。腹を抱え必死に笑いを堪えている。
しかしそれもつかの間、堰を切ったかのように大声で笑い転げ始めた。
ヴェイグは口をへの字に曲げ、何とも言えない表情を浮かべる顔を逸らした。
恥ずかしいのか、僅かに紅潮している。
『アトワイト、お前はカイルの状態が分かっていたはずだろう』
『ええ。でも、あの子ならこうするかな、と思って』
くすくすと笑いながらアトワイトは3人の様子を見ていた。
嫌なマスターに感化されたものだ、とディムロスはため息をつく。
その間抜け面といったら、形に残せれば後世にまで残るようなものだろう。
しばらく怠けた顔で見つめ合った後、ティトレイは1度吹き出した。腹を抱え必死に笑いを堪えている。
しかしそれもつかの間、堰を切ったかのように大声で笑い転げ始めた。
ヴェイグは口をへの字に曲げ、何とも言えない表情を浮かべる顔を逸らした。
恥ずかしいのか、僅かに紅潮している。
『アトワイト、お前はカイルの状態が分かっていたはずだろう』
『ええ。でも、あの子ならこうするかな、と思って』
くすくすと笑いながらアトワイトは3人の様子を見ていた。
嫌なマスターに感化されたものだ、とディムロスはため息をつく。
顔を隠していたヴェイグは、もう1度カイルの方へと向く。
いい夢でも見ているのか、寝顔は安らかなものだった。
いい夢でも見ているのか、寝顔は安らかなものだった。
「……ああ、おかえり」
ヴェイグはそれを微笑んで迎えた。
やれやれ、とティトレイが目線を逸らそうと手元の懐中時計を開き、見やる。
へへ、ざまーみろ――――そう小さく笑った。
やれやれ、とティトレイが目線を逸らそうと手元の懐中時計を開き、見やる。
へへ、ざまーみろ――――そう小さく笑った。
【17:59'45】
カイルは、約束を果たしたのだ。
<Turn End>
「って」
何をめでたし、めでたしみたいなムードで収めようとしているのか。
「ヴェイグ! 6時、もう6時だ!」
ぱちん、と懐中時計の蓋を勢いよく閉じたティトレイは、未だに倒れている2人の方へと素早く顔を動かす。
表情は見事に青ざめかけている。
それを見たヴェイグは少しの間思案した後、彼らしくもなく慌てて起き上がり、カイルを背負い始める。
意識を失っているカイルはともかく、状況を把握していないディムロスとアトワイトはさっぱりちんぷんかんぷんである。
『おい、どういうことだ。もうすぐ放送なのだから、大人しく……』
「すまない、事情を話す時間もない」
「とにかく急ぐぞヴェイグ!」
フォルスの蔦を使ってB3に落ちていたミスティブルームを回収すると、ティトレイはアトワイトと2人分の荷物を持ってC3村へと駆け出そうとする。
「あ、いや待てよ。その前に流石にカイルを回復させた方がいいのか? いや、だけどな……」
「村に急ぐぞ。お前よりキールの方が回復は得手だ」
ヴェイグはカイルの脇腹に手をかざし、傷口を凍結させる。そして絶・瞬影迅を発動させ、1人で勝手に走り始めてしまった。
「ちょ、マジかよおいヴェイグ! ふざけんなあ!」
荷物を両手で抱えたままティトレイは叫び、しかし後続した。
『な……! おい、ヴェイグ、ティトレイ!』
ディムロスが声をかけるも2人は黙ったままだった。
だが、確かに今のままではカイルが危険だ。一刻も早く回復させなければならない。性急になる理由は十分だ。
全速力のもう一段先で走る2人の顔面には必死さが張り付いていた。ここまで必死になるなら来なければよかっただろうと正直思った。
全くこういう時に剣という身は辛い。
しかし、走る2人の表情は張り詰めてはいるものの、どこか晴れやかなものだった。
ディムロスは無表情のティトレイと、いつも朴念仁のような面持ちのヴェイグしか知らない。
こんな表情をするのか、とディムロスは半ば新鮮な目で見ていた。
『落ち着いてディムロス。放送なら、私たちが把握しておけばいいのよ』
『そうかもしれないが……腑に落ちん……』
『除け者にされて寂しいだけでしょう』
ふう、と息をついたアトワイトは子犬を見るような目でディムロスを見ていたのだろう。
仮定形なのが幸いだ。実際に見えていたらディムロスは恐らく羞恥心のあまり卒倒している。
「なあ、カイルの状態はどうなんだ」
ティトレイがアトワイトに問いかける。彼女はデータを整理し、現状を弾き出した。
『そうね……まあ、掻い摘んで言えば……。
両足粉砕骨折、両睾丸破裂、右腕裂傷、左足甲刺傷、背部鈍痛、頬に切り傷と火傷、鼻頭裂傷、
左手損傷、肩に裂刺傷、腿に裂傷、頭部切り傷、脇腹大裂傷……』
「死にかけじゃねえかそれ!」
『落ち着いて。大声はそれこそ傷に障るわ』
「いやその惨状を自分で言って落ち着いていられるとか、それもどうなんだよ」
何をめでたし、めでたしみたいなムードで収めようとしているのか。
「ヴェイグ! 6時、もう6時だ!」
ぱちん、と懐中時計の蓋を勢いよく閉じたティトレイは、未だに倒れている2人の方へと素早く顔を動かす。
表情は見事に青ざめかけている。
それを見たヴェイグは少しの間思案した後、彼らしくもなく慌てて起き上がり、カイルを背負い始める。
意識を失っているカイルはともかく、状況を把握していないディムロスとアトワイトはさっぱりちんぷんかんぷんである。
『おい、どういうことだ。もうすぐ放送なのだから、大人しく……』
「すまない、事情を話す時間もない」
「とにかく急ぐぞヴェイグ!」
フォルスの蔦を使ってB3に落ちていたミスティブルームを回収すると、ティトレイはアトワイトと2人分の荷物を持ってC3村へと駆け出そうとする。
「あ、いや待てよ。その前に流石にカイルを回復させた方がいいのか? いや、だけどな……」
「村に急ぐぞ。お前よりキールの方が回復は得手だ」
ヴェイグはカイルの脇腹に手をかざし、傷口を凍結させる。そして絶・瞬影迅を発動させ、1人で勝手に走り始めてしまった。
「ちょ、マジかよおいヴェイグ! ふざけんなあ!」
荷物を両手で抱えたままティトレイは叫び、しかし後続した。
『な……! おい、ヴェイグ、ティトレイ!』
ディムロスが声をかけるも2人は黙ったままだった。
だが、確かに今のままではカイルが危険だ。一刻も早く回復させなければならない。性急になる理由は十分だ。
全速力のもう一段先で走る2人の顔面には必死さが張り付いていた。ここまで必死になるなら来なければよかっただろうと正直思った。
全くこういう時に剣という身は辛い。
しかし、走る2人の表情は張り詰めてはいるものの、どこか晴れやかなものだった。
ディムロスは無表情のティトレイと、いつも朴念仁のような面持ちのヴェイグしか知らない。
こんな表情をするのか、とディムロスは半ば新鮮な目で見ていた。
『落ち着いてディムロス。放送なら、私たちが把握しておけばいいのよ』
『そうかもしれないが……腑に落ちん……』
『除け者にされて寂しいだけでしょう』
ふう、と息をついたアトワイトは子犬を見るような目でディムロスを見ていたのだろう。
仮定形なのが幸いだ。実際に見えていたらディムロスは恐らく羞恥心のあまり卒倒している。
「なあ、カイルの状態はどうなんだ」
ティトレイがアトワイトに問いかける。彼女はデータを整理し、現状を弾き出した。
『そうね……まあ、掻い摘んで言えば……。
両足粉砕骨折、両睾丸破裂、右腕裂傷、左足甲刺傷、背部鈍痛、頬に切り傷と火傷、鼻頭裂傷、
左手損傷、肩に裂刺傷、腿に裂傷、頭部切り傷、脇腹大裂傷……』
「死にかけじゃねえかそれ!」
『落ち着いて。大声はそれこそ傷に障るわ』
「いやその惨状を自分で言って落ち着いていられるとか、それもどうなんだよ」
ぼろぼろの身体を見ているだけで嫌になってくるが、改めて言葉として定義されると眩暈がしてくる。
幼い少年には余りに多過ぎる、そして似つかわしくない傷の量だった。
正直、本当に、よく生きていると言ってもいいようなものだ。
ティトレイは手に持っていたミスティブルームを見る。
箒草の端々は燃え尽きて灰になっており、触れば簡単にこぼれ落ちていく。
柄の部分もひびが入っており、いつぱっかりと割れ、折れてしまってもおかしくない。
サドルも数々の無理がある運動のせいか、ガタが来ている。近いうちには外れてしまうだろう。飛んでいる時に放り出されては話にならない。
箒を宙に浮かせる仕組みまでは分からないが、これ以上無理を強いれば物理的に全壊する。
「骨折して足が動かせないってことは、これがないとマズいよな。いつまでもヴェイグがおんぶしてる訳にもいかねえし。
アニーの時みたいに交代交代って訳にもいかねえしなあ……」
走りながら、ティトレイは箒に樹のフォルスを込めてみる。
『それは?』
「箒だって元々は植物だ。俺のフォルスなら直せるかもしれないだろ?」
細かい部分は自分の手で直さなければならないだろうが、箒という「木」そのものは、生命力を込めれば少しは保つはずだ。
現に、ひび割れていた部分は接合が始まっている。それどころか乾燥されている箒草は再び鮮やかな小豆色を取り戻しかけているくらいだ。
柄からは小さな芽も出ている。流石にまずいと思い、フォルスの放出を留めた。
『不思議なものね。何でもできる力なのね』
「それ、フォルス能力者なら誰でも言われるんだろうな」
前方を走るヴェイグが微かに表情を歪めていたことは、誰も気付かなかった。
「けど、この調子なら箒も直せそうだ。……つっても、急がねえと何もかもおじゃんだけどな」
約束の時間は疾うに過ぎている。
だが、何としてでも間に合わせるために。カイルの治療を行うために。2人は更に加速する。
幼い少年には余りに多過ぎる、そして似つかわしくない傷の量だった。
正直、本当に、よく生きていると言ってもいいようなものだ。
ティトレイは手に持っていたミスティブルームを見る。
箒草の端々は燃え尽きて灰になっており、触れば簡単にこぼれ落ちていく。
柄の部分もひびが入っており、いつぱっかりと割れ、折れてしまってもおかしくない。
サドルも数々の無理がある運動のせいか、ガタが来ている。近いうちには外れてしまうだろう。飛んでいる時に放り出されては話にならない。
箒を宙に浮かせる仕組みまでは分からないが、これ以上無理を強いれば物理的に全壊する。
「骨折して足が動かせないってことは、これがないとマズいよな。いつまでもヴェイグがおんぶしてる訳にもいかねえし。
アニーの時みたいに交代交代って訳にもいかねえしなあ……」
走りながら、ティトレイは箒に樹のフォルスを込めてみる。
『それは?』
「箒だって元々は植物だ。俺のフォルスなら直せるかもしれないだろ?」
細かい部分は自分の手で直さなければならないだろうが、箒という「木」そのものは、生命力を込めれば少しは保つはずだ。
現に、ひび割れていた部分は接合が始まっている。それどころか乾燥されている箒草は再び鮮やかな小豆色を取り戻しかけているくらいだ。
柄からは小さな芽も出ている。流石にまずいと思い、フォルスの放出を留めた。
『不思議なものね。何でもできる力なのね』
「それ、フォルス能力者なら誰でも言われるんだろうな」
前方を走るヴェイグが微かに表情を歪めていたことは、誰も気付かなかった。
「けど、この調子なら箒も直せそうだ。……つっても、急がねえと何もかもおじゃんだけどな」
約束の時間は疾うに過ぎている。
だが、何としてでも間に合わせるために。カイルの治療を行うために。2人は更に加速する。
アトワイトはふっと全員を眺める。
気絶しているカイルはともかく、誰も後ろには省みなかった。
誰も、あの地に残されたものに思いを馳せようとはしなかった。
それが彼の願いでもあるから。
アトワイトにはそれが何だか微笑ましいものに思えた。
男というものはそういう生き物なのだろう。
気が済むまで殴り合って、満足したらお互いに笑い合って、別れるときはもう、背中を向けて振り返らない。
正味、ここまでやらなければ満足できないのか、アトワイトには理解できなかった。
けれど、アトワイトにも分かることはあった。後方から、血気盛んに戦う突撃兵を見ていた彼女は分かっている。
何かを背負った背中は雄大で、それだけで声なき言葉を発している。
男は背中で語る。よく言われることだけど、本当にそうだと、アトワイトは思う。
だから、相手の思いを背負った背中を向けるだけでいい。お前の志は受け取ったと、示すだけでいい。
あとは黙って見てやがれ――――全く、男はいつまでも子供じみたものだ。
……ええ、貴方は振り返るなと言うでしょうね。
一人であること。それが貴方の決めた結末であり、強さなのだから。
気絶しているカイルはともかく、誰も後ろには省みなかった。
誰も、あの地に残されたものに思いを馳せようとはしなかった。
それが彼の願いでもあるから。
アトワイトにはそれが何だか微笑ましいものに思えた。
男というものはそういう生き物なのだろう。
気が済むまで殴り合って、満足したらお互いに笑い合って、別れるときはもう、背中を向けて振り返らない。
正味、ここまでやらなければ満足できないのか、アトワイトには理解できなかった。
けれど、アトワイトにも分かることはあった。後方から、血気盛んに戦う突撃兵を見ていた彼女は分かっている。
何かを背負った背中は雄大で、それだけで声なき言葉を発している。
男は背中で語る。よく言われることだけど、本当にそうだと、アトワイトは思う。
だから、相手の思いを背負った背中を向けるだけでいい。お前の志は受け取ったと、示すだけでいい。
あとは黙って見てやがれ――――全く、男はいつまでも子供じみたものだ。
……ええ、貴方は振り返るなと言うでしょうね。
一人であること。それが貴方の決めた結末であり、強さなのだから。
――――ああ、でも。
でも、私は女だから。
少しくらいは、振り返ってもいいでしょう?
でも、私は女だから。
少しくらいは、振り返ってもいいでしょう?
心は弾かれたように、けれども体はゆっくりと、アトワイトは後ろへ振り向いた。
そこには、何もない。
ただ夕日は沈んで、広大な藍の夜空だけが広がっていた。
静かな夜が始まっていた。
何もない。誰もいない。あるのは、そよぐ草原の音だけ。
ふっと気の抜けた、安堵の微笑をアトワイトは浮かべた。
手の掛かる子供を相手にして、観念したときのような笑顔だった。
素直に見送るなんてようなマスターではないと思っていたけれど――――ちゃんと、“見ている”のね。
そういうところでは貴方とルーティは似ているのかもね、とアトワイトは目を伏せた。
妙なところで意地っ張りで、でも本当はとても素直で優しくて、内に譲れないものを持っている。
ああ、素直っていうなら、物欲と金銭欲にはもともと素直かしら。アトワイトは笑いながら訂正した。
やっぱり、よく似ている。欲望の種類は違うけれど、とても素直だったから。
何だ、類は友を呼ぶというのは、こういうことなのか。
(じゃあ、貴方は弟のようなものだったのかしら……駄目ね。貴方のお姉さんは1人しかいないもの。せいぜい近所のお姉さんくらいね)
流石にそれを言ったら笑われるだろう。
夜空に吹く風は冷やされ、刀身をひどく凍えさせる。彼のマナの温かみは、もう心許ない。
『ねえディムロス、ダイクロフトでみんなと別れた時のことは覚えている?』
『ああ……忘れたくても忘れられない。忘れるものか』
『ええ。……あの時はそうするしかないと思っていたし、覚悟も決めていたから、何だか自然に受け入れられたの。けれど……』
言葉を途切れさせたアトワイトは頭を振った。
『駄目。しおらしいなんて、らしくもない。きっと今頃笑われてるわ』
アトワイトは、前を向いた。
剣に伝えられていたマナの流れも既に消え失せていた。今あるのは、鍔に据えられた勲章だけ。
もう、そこに振り返るべき理由はなかった。
貴方の過去は受け取ったから。想いも受け取ったから。強さも、思い出も、ぜんぶぜんぶ、受け取ったから。
そこには、何もない。
ただ夕日は沈んで、広大な藍の夜空だけが広がっていた。
静かな夜が始まっていた。
何もない。誰もいない。あるのは、そよぐ草原の音だけ。
ふっと気の抜けた、安堵の微笑をアトワイトは浮かべた。
手の掛かる子供を相手にして、観念したときのような笑顔だった。
素直に見送るなんてようなマスターではないと思っていたけれど――――ちゃんと、“見ている”のね。
そういうところでは貴方とルーティは似ているのかもね、とアトワイトは目を伏せた。
妙なところで意地っ張りで、でも本当はとても素直で優しくて、内に譲れないものを持っている。
ああ、素直っていうなら、物欲と金銭欲にはもともと素直かしら。アトワイトは笑いながら訂正した。
やっぱり、よく似ている。欲望の種類は違うけれど、とても素直だったから。
何だ、類は友を呼ぶというのは、こういうことなのか。
(じゃあ、貴方は弟のようなものだったのかしら……駄目ね。貴方のお姉さんは1人しかいないもの。せいぜい近所のお姉さんくらいね)
流石にそれを言ったら笑われるだろう。
夜空に吹く風は冷やされ、刀身をひどく凍えさせる。彼のマナの温かみは、もう心許ない。
『ねえディムロス、ダイクロフトでみんなと別れた時のことは覚えている?』
『ああ……忘れたくても忘れられない。忘れるものか』
『ええ。……あの時はそうするしかないと思っていたし、覚悟も決めていたから、何だか自然に受け入れられたの。けれど……』
言葉を途切れさせたアトワイトは頭を振った。
『駄目。しおらしいなんて、らしくもない。きっと今頃笑われてるわ』
アトワイトは、前を向いた。
剣に伝えられていたマナの流れも既に消え失せていた。今あるのは、鍔に据えられた勲章だけ。
もう、そこに振り返るべき理由はなかった。
貴方の過去は受け取ったから。想いも受け取ったから。強さも、思い出も、ぜんぶぜんぶ、受け取ったから。
だめだった。
(私、泣けないの。どんなに胸がいっぱいで、張り裂けそうでも、貴方のために、涙を流すこともできないのよ)
私は剣だから殴り合うこともできない。
背中を合わせ共に戦うこともできない。
並んで同じ世界を見ることもできない。
がんばったわね、ってこの手で撫でてあげることもできない。
背中を合わせ共に戦うこともできない。
並んで同じ世界を見ることもできない。
がんばったわね、ってこの手で撫でてあげることもできない。
(だから、忘れないで。どうか“おもいで”を忘れないで。私も、貴方のこと、絶対、絶対に)
私には、背負うことしかできない。
『――――忘れないから』
涙を流せないなら、せめてこの行き場のない感情は、心の震えだけは、レンズの瞳を通して届いてほしいと願った。
吹いた風に、彼のマナの香りが微かに燻り、消えていく。
細やかな、僅かな虹色のマナのかけらが、彼女のユニットから朝露のように散っていった。
吹いた風に、彼のマナの香りが微かに燻り、消えていく。
細やかな、僅かな虹色のマナのかけらが、彼女のユニットから朝露のように散っていった。
さようなら、ミトス。
さようなら、姿なき過去の英雄。
さようなら、手の掛かるソーディアンマスター。
さようなら、姿なき過去の英雄。
さようなら、手の掛かるソーディアンマスター。
これから、この瞳からどうか世界を見守っていてね。
【カイル=デュナミス 生存確認】
状態:HP3% TP5% 両足粉砕骨折(処置済み) 両睾丸破裂(男性機能喪失)
右腕裂傷 左足甲刺傷(術により処置済み)背部鈍痛 覚悟+ 意識不明 疲労困憊
頬に切り傷・火傷 鼻頭裂傷 左手損傷 肩に裂刺傷 腿に裂傷 頭部切り傷 脇腹大裂傷(傷口凍結済)
所持品:フォースリング 忍刀血桜 料理大全 首輪 レアガントレット(左手甲に穴)
セレスティマント ロリポップ クローナシンボル ガーネット アビシオン人形
漆黒の翼のバッジ ペルシャブーツ エメラルドリング ダオスのマント 要の紋なしエクスフィア
基本行動方針:リアラに会いに行く
第一行動方針:???
第二行動方針:ヴェイグのことはその後
現在位置:C3・北境界付近の草原
状態:HP3% TP5% 両足粉砕骨折(処置済み) 両睾丸破裂(男性機能喪失)
右腕裂傷 左足甲刺傷(術により処置済み)背部鈍痛 覚悟+ 意識不明 疲労困憊
頬に切り傷・火傷 鼻頭裂傷 左手損傷 肩に裂刺傷 腿に裂傷 頭部切り傷 脇腹大裂傷(傷口凍結済)
所持品:フォースリング 忍刀血桜 料理大全 首輪 レアガントレット(左手甲に穴)
セレスティマント ロリポップ クローナシンボル ガーネット アビシオン人形
漆黒の翼のバッジ ペルシャブーツ エメラルドリング ダオスのマント 要の紋なしエクスフィア
基本行動方針:リアラに会いに行く
第一行動方針:???
第二行動方針:ヴェイグのことはその後
現在位置:C3・北境界付近の草原
【ティトレイ=クロウ 生存確認】
状態:HP35% TP35% リバウンド克服 放送をまともに聞いていない 背部裂傷
所持品:S・アトワイト フィートシンボル メンタルバングル バトルブック(半分燃焼) チンクエディア
オーガアクス 短弓(腕に装着) ミスティブルーム
基本行動方針:罪を受け止め生きる
第一行動方針:C3村中央広場へ向かう
第二行動方針:ミスティブルームの修理
第三行動方針:ミントの邪魔をさせない
SA基本行動方針:ディムロスと共に在る
現在位置:C3・北境界付近の草原
状態:HP35% TP35% リバウンド克服 放送をまともに聞いていない 背部裂傷
所持品:S・アトワイト フィートシンボル メンタルバングル バトルブック(半分燃焼) チンクエディア
オーガアクス 短弓(腕に装着) ミスティブルーム
基本行動方針:罪を受け止め生きる
第一行動方針:C3村中央広場へ向かう
第二行動方針:ミスティブルームの修理
第三行動方針:ミントの邪魔をさせない
SA基本行動方針:ディムロスと共に在る
現在位置:C3・北境界付近の草原
【ヴェイグ=リュングベル 生存確認】
状態:HP25% TP15% 他人の死への拒絶 リオンのサック所持 刺傷
両腕内出血 背中3箇所裂傷 胸に裂傷 打撲
軽微疲労 左眼失明(眼球破裂、眼窩を布で覆ってます) 胸甲無し カイルを背負っている
所持品:S・ディムロス 忍刀桔梗 ミトスの手紙 漆黒の翼のバッジ ナイトメアブーツ ホーリィリング
基本行動方針:罪を受け止め生きる
第一行動方針:C3村中央広場へ向かう
第二行動方針:カイルを治療してもらう
第二行動方針:カイルに全てを告げる
SD基本行動方針:アトワイトと共に在る
現在位置:C3・北境界付近の草原
状態:HP25% TP15% 他人の死への拒絶 リオンのサック所持 刺傷
両腕内出血 背中3箇所裂傷 胸に裂傷 打撲
軽微疲労 左眼失明(眼球破裂、眼窩を布で覆ってます) 胸甲無し カイルを背負っている
所持品:S・ディムロス 忍刀桔梗 ミトスの手紙 漆黒の翼のバッジ ナイトメアブーツ ホーリィリング
基本行動方針:罪を受け止め生きる
第一行動方針:C3村中央広場へ向かう
第二行動方針:カイルを治療してもらう
第二行動方針:カイルに全てを告げる
SD基本行動方針:アトワイトと共に在る
現在位置:C3・北境界付近の草原
※ミトスの荷物、および魔玩ビシャスコアはB3の草原に放置してあります。
<Turn End.Winner is hope:Grune>
――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――・――――
<GameSet―――――――――――――――Sweep all away in the grave for the Last Game>
ソレは、夢を見ていました。
姉と旅をする夢でした。些細なことから生まれた故郷を追われ、新たな居場所を求める夢でした。
長く、辛い旅でした。彼らの内側に流れる血は、彼らの美しき髪の奥に隠れた耳は、その運命を示すのに十分なのです。
遠からず、その時は来ました。食べるモノもろくに食べず、唯一の力である魔術も尽き、たかが野獣の熊に追いつめられたのです。
ソレは、自分より傷ついた姉に守られながら、自らを呪い殺していました。
自分の弱さに、自分達を助けてくれない人達に、自分達を愛してくれない世界に、あらん限りの憎しみと絶望を込めた呪いを。
同時に、ソレは諦めていました。どうせ、ここで生きながらえたとしても、終わりはそれほど変わらないのだろうと。
今日熊に殺されるか、明日人間に殺されるかの違いしかないのなら、今日死ぬ方が無駄がありません。
姉と旅をする夢でした。些細なことから生まれた故郷を追われ、新たな居場所を求める夢でした。
長く、辛い旅でした。彼らの内側に流れる血は、彼らの美しき髪の奥に隠れた耳は、その運命を示すのに十分なのです。
遠からず、その時は来ました。食べるモノもろくに食べず、唯一の力である魔術も尽き、たかが野獣の熊に追いつめられたのです。
ソレは、自分より傷ついた姉に守られながら、自らを呪い殺していました。
自分の弱さに、自分達を助けてくれない人達に、自分達を愛してくれない世界に、あらん限りの憎しみと絶望を込めた呪いを。
同時に、ソレは諦めていました。どうせ、ここで生きながらえたとしても、終わりはそれほど変わらないのだろうと。
今日熊に殺されるか、明日人間に殺されるかの違いしかないのなら、今日死ぬ方が無駄がありません。
現実と大差ない、幾度繰り返されようと結末だけは同じ夢。
ですが……今日の夢は、少しだけ違っていました。
ですが……今日の夢は、少しだけ違っていました。
「どりゃ!!」
風のような一閃に、熊は倒れ伏します。倒れ行く巨躯と、姉の影からソレは自らを助けた人を知ります。
「ふ~~あッぶね。大丈夫だった!?」
姉と自分を助けてくれたのは、自分と同じくらいの年頃の、自分とは違う金色を持った少年でした。
風のような一閃に、熊は倒れ伏します。倒れ行く巨躯と、姉の影からソレは自らを助けた人を知ります。
「ふ~~あッぶね。大丈夫だった!?」
姉と自分を助けてくれたのは、自分と同じくらいの年頃の、自分とは違う金色を持った少年でした。
そうして、彼らは事情を聞いたその少年に導かれて、少年の街へと辿り着きました。
都から近くもなく遠くもなく、お世辞にも裕福そうには見えない街でした。
ですが、そこには久しく忘れていた人の温度と生活の匂いがありました。
彼らは孤児院――――少年の家に招かれ、包帯とパンとスープを貰うことができました。
それは決して豪華でもなく、都の水準に比べれば安いものではありましたが、
久しく忘れていた人間らしい食事に、ソレはスープに余計な塩気を混ぜてしまいました。
都から近くもなく遠くもなく、お世辞にも裕福そうには見えない街でした。
ですが、そこには久しく忘れていた人の温度と生活の匂いがありました。
彼らは孤児院――――少年の家に招かれ、包帯とパンとスープを貰うことができました。
それは決して豪華でもなく、都の水準に比べれば安いものではありましたが、
久しく忘れていた人間らしい食事に、ソレはスープに余計な塩気を混ぜてしまいました。
「もし貴方達が良ければだけど、ここで暮してはどうかしら?
千年も永く宿木になることはできないかもしれないけど、ほんの少しの間の、羽を休める場所として」
千年も永く宿木になることはできないかもしれないけど、ほんの少しの間の、羽を休める場所として」
お礼をして足早に立ち去ろうとする彼らを前に、白衣の美しい女性――――少年の母親の姉だそうです―――はそう言いました。
彼らの中に流れる血は、何れ不幸を呼ぶかもしれない。それを理解した上で差し出された掌でした。
ソレは――――少しだけ迷った後、その差し出された掌を掴みました。まるで刃の柄を握る様に、強く、強く。
彼らの中に流れる血は、何れ不幸を呼ぶかもしれない。それを理解した上で差し出された掌でした。
ソレは――――少しだけ迷った後、その差し出された掌を掴みました。まるで刃の柄を握る様に、強く、強く。
後は、語るもつまらない、何も無い日々。
日が暮れるまで、少年や孤児院の子らと遊ぶ日々。
何か役に立てることは無いかと、彼女に手当の仕方を教えてもらう日々。
いつかは此処を出なければと将来に悩み、街の司祭に悩みを告げる日々。
国内の巡察に来た、騎士団の団長に弟子にしてくれと頼み込む日々。
仕方ないとばかりに溜息をつかれ、団長に先生と付いて回る日々。
一緒に孤児院で手伝いをしていた姉に付きまとう隣国の騎士を追い払う日々。
そして――――姉が結婚するのを、涙ながらに見送った日。
日が暮れるまで、少年や孤児院の子らと遊ぶ日々。
何か役に立てることは無いかと、彼女に手当の仕方を教えてもらう日々。
いつかは此処を出なければと将来に悩み、街の司祭に悩みを告げる日々。
国内の巡察に来た、騎士団の団長に弟子にしてくれと頼み込む日々。
仕方ないとばかりに溜息をつかれ、団長に先生と付いて回る日々。
一緒に孤児院で手伝いをしていた姉に付きまとう隣国の騎士を追い払う日々。
そして――――姉が結婚するのを、涙ながらに見送った日。
びっくりするくらい普通で、どうしようもないくらい退屈で―――――――涙が零れてしまうくらい、幸せな日々。
それは、あまりにも都合の良過ぎる物語。
たったひとつの願いの為に、形の違うパズルピースを無理矢理くっつけて、ぎゅうぎゅうと握り締めただけの物語。
矛盾だらけで、不細工で、歪で――――まるで―――――いいえ、直ぐにでも壊れてしまいそうな雪兎。
たったひとつの願いの為に、形の違うパズルピースを無理矢理くっつけて、ぎゅうぎゅうと握り締めただけの物語。
矛盾だらけで、不細工で、歪で――――まるで―――――いいえ、直ぐにでも壊れてしまいそうな雪兎。
でも、こんな果ての果ての最果てまで来なければ、願うことさえできなかった夢の破片。
ソレはそれを抱きしめ続けていました。陽の光に晒されれば直ぐにでも壊れてしまうだろうそれを、
愛おしく愛おしく、融けて散ってしまうその瞬間まで。
愛おしく愛おしく、融けて散ってしまうその瞬間まで。
【17:59:45】
そこは、かつて草原でした。
北に海を讃え、東に森を翳す肥沃な大草原。日がな一日、そこでお日様と青空を眺めてぼうっとしていたくなるような、安らかな場所でした。
ですが、今やそこには何もありませんでした。
生気に溢れた緑色は焼け焦げた灰の荒れ野原となり、温かなる日差しは失せに失せていました。
天然の鯨幕がかかった空と相まって、必要以上に厭味でした。
ムスペルヘイムよりは熱くなく、ニブルヘイムよりは寒くなく、ただ暗く、冥いだけの場所。
本当の地獄というものがあるのならば、もしかしたらこういうものなのかもしれません。
既に死に絶え―――――そして今からもう一度死ぬ大地。そこには死以外の何物もありませんでした。
北に海を讃え、東に森を翳す肥沃な大草原。日がな一日、そこでお日様と青空を眺めてぼうっとしていたくなるような、安らかな場所でした。
ですが、今やそこには何もありませんでした。
生気に溢れた緑色は焼け焦げた灰の荒れ野原となり、温かなる日差しは失せに失せていました。
天然の鯨幕がかかった空と相まって、必要以上に厭味でした。
ムスペルヘイムよりは熱くなく、ニブルヘイムよりは寒くなく、ただ暗く、冥いだけの場所。
本当の地獄というものがあるのならば、もしかしたらこういうものなのかもしれません。
既に死に絶え―――――そして今からもう一度死ぬ大地。そこには死以外の何物もありませんでした。
だから、そこに在ったのもまた、死でした。
幹から圧し折れて、二度と花を咲かせられない樹の根の傍にソレは在りました。
肉の形のようでした。頑張れば、人の形も見えたかもしれません。
辛うじて残った様々な色は斑過ぎて今一つとりとめもなく、結局使い古した雑巾のような黒に落ち着いていました。
ただ、その周りに散らばった翅の破片と、力無い白髪に残った髪の色が少しだけ綺麗でした。
その綺麗なものは秒を刻むまでもなく淡雪のように隠れていきます、
綺麗なものを亡くしながら佇むソレは、既に死んでいて、今から死に、これから死ぬだろう何かでした。
肉の形のようでした。頑張れば、人の形も見えたかもしれません。
辛うじて残った様々な色は斑過ぎて今一つとりとめもなく、結局使い古した雑巾のような黒に落ち着いていました。
ただ、その周りに散らばった翅の破片と、力無い白髪に残った髪の色が少しだけ綺麗でした。
その綺麗なものは秒を刻むまでもなく淡雪のように隠れていきます、
綺麗なものを亡くしながら佇むソレは、既に死んでいて、今から死に、これから死ぬだろう何かでした。
白い糸から、汚物が伝いました。そこには濁ったガラス玉がありました。
夢でも見ていたのでしょうか。
顔が無い為、よくわかりませんが、枯れ切った表面がほんの少しだけ歪んだ気がします。
夢でも見ていたのでしょうか。
顔が無い為、よくわかりませんが、枯れ切った表面がほんの少しだけ歪んだ気がします。
ソレは、木にもたれかかりながら、南を眺めていました。
夜の空に遠く過ぎ去ってしまった渡り鳥を見つめるように。
鳥は……望む樹に辿りつけたのでしょうか。目指す空に、辿り着けるのでしょうか。
羽を失くしたソレには知る術もありませんでしたが、小さな溜息をついてそれを考えることを止めました。
こんなにも真っ暗な空を見ながら出る答えなんて、お先真っ暗しかないのですから。
夜の空に遠く過ぎ去ってしまった渡り鳥を見つめるように。
鳥は……望む樹に辿りつけたのでしょうか。目指す空に、辿り着けるのでしょうか。
羽を失くしたソレには知る術もありませんでしたが、小さな溜息をついてそれを考えることを止めました。
こんなにも真っ暗な空を見ながら出る答えなんて、お先真っ暗しかないのですから。
全てが終ってしまった後に残った此処は、終わる前と変わらない、醜い世界の一部でした。
ですが、今ソレが見る世界は終わる前に比べて、少しだけ星空が輝いて見えました。
夜の黒も、大地の白も、全ては唯の灰色です。
何も変わらないの色彩。ならばなぜ、今こんなにも、世界は美しく見えるのか――――
ですが、今ソレが見る世界は終わる前に比べて、少しだけ星空が輝いて見えました。
夜の黒も、大地の白も、全ては唯の灰色です。
何も変わらないの色彩。ならばなぜ、今こんなにも、世界は美しく見えるのか――――
ソレが本当の意味でモノになるその時でした。ソレの目の前に、光が集ったのは。
凍える月夜の下でも温かく、柔らかい碧の光でした。
それが、ソレの前で集まり1つの形を作り上げます。
その輪郭が完成した時、ソレは痰にも似た驚きを上げました。
凍える月夜の下でも温かく、柔らかい碧の光でした。
それが、ソレの前で集まり1つの形を作り上げます。
その輪郭が完成した時、ソレは痰にも似た驚きを上げました。
(はは………最後に、また、逢えるなんて。なんて、都合のいい夢なんだろう)
それは、女性の形でした。
長く、すらりと伸びた翠銀の髪と凛々しくも優しい佇まい。
そして、全てを受け入れてくれそうな美しい女神ような微笑。
まるで、聖母。それは―――――――彼が四千年をかけて終ぞ辿り着けなかった願いの果てでした。
長く、すらりと伸びた翠銀の髪と凛々しくも優しい佇まい。
そして、全てを受け入れてくれそうな美しい女神ような微笑。
まるで、聖母。それは―――――――彼が四千年をかけて終ぞ辿り着けなかった願いの果てでした。
(ねえ――――聞いてよ。凄い、変な奴に会ったんだ。ほんともう、僕よりも変な奴)
ソレは、横に腰かけた彼女に楽しそうに語りかけます。
四千年分の想いの、どれから語ろうかと思ったのですが……結局、一番新しい想い出をソレは選びました。
頭が可笑しいだの、男のくせに箒に跨ってるなど、とてもとても暑苦しくて鬱陶しかっただの。
喋り立てるソレに彼女は黙って微笑むだけでした。それで伝わっているとソレが信じるには、十分でした。
四千年分の想いの、どれから語ろうかと思ったのですが……結局、一番新しい想い出をソレは選びました。
頭が可笑しいだの、男のくせに箒に跨ってるなど、とてもとても暑苦しくて鬱陶しかっただの。
喋り立てるソレに彼女は黙って微笑むだけでした。それで伝わっているとソレが信じるには、十分でした。
(それで言うんだよ……俺は、彼女に会いに行く、ってさ)
それは、ソレが聞いた最後の決意。何が起ころうとも二度と覆らない、鳥が空を渡る為の力。
虹の翅よりも羨ましい、紅き翼。
彼女は優しく語りかけました。行けるかしら、と。
ソレは、頬の骨をひくつかせて乾いた笑みを作りました。
虹の翅よりも羨ましい、紅き翼。
彼女は優しく語りかけました。行けるかしら、と。
ソレは、頬の骨をひくつかせて乾いた笑みを作りました。
(無理だよ、きっと)
その言葉に彼女はソレの方を向きますが、ソレは今までと変わらず、慈しむように空を見上げていました。
どうしてかしらと彼女が問いかけると、それは笑う代わりに堰き込んで、ズタボロの喉で唸ります。憶えてるかな、と。
どうしてかしらと彼女が問いかけると、それは笑う代わりに堰き込んで、ズタボロの喉で唸ります。憶えてるかな、と。
(前に、言ってたじゃない。主催者が――――可哀想って、こんな事をして喜びを得るなんてって。
“違ったよ”。“そいつ”は、喜びとか悲しみとか、憎しみさえも、そういう過程は要らないんだ)
“違ったよ”。“そいつ”は、喜びとか悲しみとか、憎しみさえも、そういう過程は要らないんだ)
そういいながら過去を見つめるソレのガラス玉は、更に濁りを詰めていました。
かつてソレは世界に完全に愛されていたのです。
起こりうることの全てが自分にとって幸せを呼ぶものであり、不幸と呼ばれるものが勝手に何処かに行ってしまうくらいに。
少なくとも、今日太陽が高くにあった時は、そう信じられたのです。神の―――目の前にいる彼女の加護なのだと。
ですが……ソレは、知ってしまったのです。彼女が、そんなことを望んでいなかったことを。
幸せを集めていたのは彼女ではないのです。ですが、誰かがいなければあまりも“収まりが悪過ぎる”。
だからこそ別の“何か”がいると、そう思ったのです。彼女ではない、別の“何か”。
彼女への思慕を、購われぬ太古の後悔を、見えざる糸と括り付けて自分を操っていた“何か”。
この完璧すぎる箱庭を見下ろす玉座を遥かに超えた遠く、遠くの“何か”を。
かつてソレは世界に完全に愛されていたのです。
起こりうることの全てが自分にとって幸せを呼ぶものであり、不幸と呼ばれるものが勝手に何処かに行ってしまうくらいに。
少なくとも、今日太陽が高くにあった時は、そう信じられたのです。神の―――目の前にいる彼女の加護なのだと。
ですが……ソレは、知ってしまったのです。彼女が、そんなことを望んでいなかったことを。
幸せを集めていたのは彼女ではないのです。ですが、誰かがいなければあまりも“収まりが悪過ぎる”。
だからこそ別の“何か”がいると、そう思ったのです。彼女ではない、別の“何か”。
彼女への思慕を、購われぬ太古の後悔を、見えざる糸と括り付けて自分を操っていた“何か”。
この完璧すぎる箱庭を見下ろす玉座を遥かに超えた遠く、遠くの“何か”を。
(“結果だけなんだよ”。結果だけが欲しいんだ。その為だけに、この世界は在る)
運も、必然も、愛も、夢も、絆さえもを材料として、完璧な世界を構築する“何か”を感じずには居られなかったのです。
(それが主催者のことなのか、あるいは運命なんて言う漠然としたものなのかは分からない。
でも、そいつは結果を意地でも残すつもりだ。時を戻そうが、優勝して願おうが―――全てを無かったことになんて“させる気が無い”のさ。
それが本当に可能だろうが何だろうが、このゲームの結果は、遺される。
だからアイツの願いは多分、叶わない。ひょっとしたら、それ以前に―――――――)
ソレはガラス玉の瞳を閉じて、自分のパートナーのことを思い浮かべます。
喪われた彼女の本当のマスター。彼女が愛した刃。その刃の持ち主は彼の父親。“ならば、それらを結ぶ糸の先には”。
そこまで考えて、ソレは考えることを止めました。そこから先は、託した相棒の考えることなのですから。
複雑な皺を浮かべるソレに彼女は尋ねます。ならば何故、あの子に手を差し伸べたのかと。
叶わぬ願いと分かっているなら、未来など残酷なだけではないかと。
(僕には、この夜空に鬱蒼な闇しか見ることができなかった)
彼女の問いに、ソレは皺を歪めました。少し小馬鹿にしたような笑みでした。
少年達の運命が、暗く、ロクでもないものであることなど最初から分かり切っているのですから。
(それが主催者のことなのか、あるいは運命なんて言う漠然としたものなのかは分からない。
でも、そいつは結果を意地でも残すつもりだ。時を戻そうが、優勝して願おうが―――全てを無かったことになんて“させる気が無い”のさ。
それが本当に可能だろうが何だろうが、このゲームの結果は、遺される。
だからアイツの願いは多分、叶わない。ひょっとしたら、それ以前に―――――――)
ソレはガラス玉の瞳を閉じて、自分のパートナーのことを思い浮かべます。
喪われた彼女の本当のマスター。彼女が愛した刃。その刃の持ち主は彼の父親。“ならば、それらを結ぶ糸の先には”。
そこまで考えて、ソレは考えることを止めました。そこから先は、託した相棒の考えることなのですから。
複雑な皺を浮かべるソレに彼女は尋ねます。ならば何故、あの子に手を差し伸べたのかと。
叶わぬ願いと分かっているなら、未来など残酷なだけではないかと。
(僕には、この夜空に鬱蒼な闇しか見ることができなかった)
彼女の問いに、ソレは皺を歪めました。少し小馬鹿にしたような笑みでした。
少年達の運命が、暗く、ロクでもないものであることなど最初から分かり切っているのですから。
(でも、アイツなら……こんな空さえも綺麗だと言い切れるアイツなら…………何か違ったものも、見えるのかもね)
ソレはそう言って、頸のあたりを淋しげに見つめました。
自分で付けた肉の筋が逆向けのような傷痕ではなく、かつてそれを覆ったスカーフを見ていました。
自分で付けた肉の筋が逆向けのような傷痕ではなく、かつてそれを覆ったスカーフを見ていました。
(ずっと、ずっと心の何処かで思ってたんだ。何で僕なんだろうって。
アイツだったら――――アイツだったら、良かったのに)
アイツだったら――――アイツだったら、良かったのに)
それは、ソレが最初に見た夢でした。
この島で初めてソレが見たのは、自分よりも大きく、自分よりも強く――――自分よりも、姉に相応しい存在でした。
こんな風になれたら、彼女を喪わずに済んだでしょうか。いいえ、喪ったとしても、取り戻すことができたでしょうか。
もし、彼がソレだったならば。世界に愛されたのが、彼だったならば。
この島で初めてソレが見たのは、自分よりも大きく、自分よりも強く――――自分よりも、姉に相応しい存在でした。
こんな風になれたら、彼女を喪わずに済んだでしょうか。いいえ、喪ったとしても、取り戻すことができたでしょうか。
もし、彼がソレだったならば。世界に愛されたのが、彼だったならば。
彼は護るべき人をニンゲンの手によって殺され、世界を再び憎悪したでしょう。
そして彼は全てを敵に回しても、彼女を蘇らせたでしょう。
ソレよりも強い力で、ソレよりも強い憎悪で、ソレよりも強く強く願ったでしょう。
2人の姫を容易く奪い、この世界の最後の魔王として君臨できたでしょう。
しかして2人の騎士は、あるいはどちらかが、魔王を殺す剣を携えて、死体として剣を献上したでしょう。
そして彼は全てを敵に回しても、彼女を蘇らせたでしょう。
ソレよりも強い力で、ソレよりも強い憎悪で、ソレよりも強く強く願ったでしょう。
2人の姫を容易く奪い、この世界の最後の魔王として君臨できたでしょう。
しかして2人の騎士は、あるいはどちらかが、魔王を殺す剣を携えて、死体として剣を献上したでしょう。
そして全てが終わった時――――生き残るのは、たった一人です。
それは、今よりも遥かに完璧な夢。徹頭徹尾他の夢の“存在さえ許さぬ”夢。
そうであったならば、どれだけ安らげたか。どれほどまでに安心して死ねたか。
そうであったならば、どれだけ安らげたか。どれほどまでに安心して死ねたか。
たった一つ。たった一つ“エリクシールを交換しなかったら”良かったのに。
金色の魔王が紡ぐ眠り姫の物語。その時、その夢は永遠に叶わなくなりました。
“そいつ”は―――――最も完璧な物語の1つを喪ったのです。
“そいつ”は……何を思ったのでしょうか?
羊皮紙を広げ、羽筆にインクを染み込ませ、書き始めようとした完璧な物語。
その一文字目で筆を止め――――クシャクシャにしてクズ箱に捨ててもう一度書き直した“そいつ”は。
より完璧な1枚目を捨ててまで、何を書きたかったのでしょうか。
“そいつ”は―――――最も完璧な物語の1つを喪ったのです。
“そいつ”は……何を思ったのでしょうか?
羊皮紙を広げ、羽筆にインクを染み込ませ、書き始めようとした完璧な物語。
その一文字目で筆を止め――――クシャクシャにしてクズ箱に捨ててもう一度書き直した“そいつ”は。
より完璧な1枚目を捨ててまで、何を書きたかったのでしょうか。
きっと、それは―――――――――
どうしたの? と彼女が言うと、それははっとしたようにガラス玉をヒクつかせました。
(多分、要らないんだろうけどね。扉でも無し、宝箱でもなし。本当に何の為のものやら)
それは彼女にそう答えました。
ソレの問いに彼女は少しだけ悲しそうな表情を浮かべましたが、
ソレにはその表情に返せる言葉を持っていませんでした。
少しだけ、一秒にも刹那さえにも満たぬ静かな沈黙が、ソレらを包みました。
沈黙の中、彼女はゆっくりとソレの胸に手を添えます。
そこには、石がありました。
かつてはとてもとても美しく輝いていた宝石だったのでしょうが、今や見る影もなくくすんで汚れた屑石でした。
僅かに残った罅割れた輝きに、彼女は指を這わせます。永く傷ついてきたソレの歴史を、せめてこれ以上傷むことなく終わらせる為に。
ソレの問いに彼女は少しだけ悲しそうな表情を浮かべましたが、
ソレにはその表情に返せる言葉を持っていませんでした。
少しだけ、一秒にも刹那さえにも満たぬ静かな沈黙が、ソレらを包みました。
沈黙の中、彼女はゆっくりとソレの胸に手を添えます。
そこには、石がありました。
かつてはとてもとても美しく輝いていた宝石だったのでしょうが、今や見る影もなくくすんで汚れた屑石でした。
僅かに残った罅割れた輝きに、彼女は指を這わせます。永く傷ついてきたソレの歴史を、せめてこれ以上傷むことなく終わらせる為に。
(ごめん――――壊さないで)
ですが、ソレは微かな、しかしハッキリとした意思で拒みました。
手も無く、足も無いそれには拒む仕草さえもできませんでしたが、彼女の指先を止めるのに十分でした。
手も無く、足も無いそれには拒む仕草さえもできませんでしたが、彼女の指先を止めるのに十分でした。
(分かってる。どっちにしたって永くないことは。それでも、少しでも、こうしていたいんだ)
彼女を止めたのは、渇望……いいえ、余韻でした。
数秒後、自分がどうなるのか。その後、不死さえ使い果たしたこの心がどうなるのか。
それを分かっていても、ソレはその想いに抗うことはできませんでした。
この空をもう少し眺めていたい。髄に這う痛みを確かめていたい。
この胸に確かにある夢を、もう少し、もう少し味わっていたい。
遥か遠くに忘れ去ったあの意味を、自分から捨て去ることなど出来なかったのです。
数秒後、自分がどうなるのか。その後、不死さえ使い果たしたこの心がどうなるのか。
それを分かっていても、ソレはその想いに抗うことはできませんでした。
この空をもう少し眺めていたい。髄に這う痛みを確かめていたい。
この胸に確かにある夢を、もう少し、もう少し味わっていたい。
遥か遠くに忘れ去ったあの意味を、自分から捨て去ることなど出来なかったのです。
最後に、1つ教えてもらえないかしら。彼女は指先を止めたままそう言いました。
ソレは、答えずただ黙って南の空を向いたままでした。
彼女はソレを抱き締めました。強く、しかし優しく、
傷付きひび割れた表面が柔らかな感触につつまれ、甘やかな乳房の匂いが遥か遠くの記憶を誘います。
ソレは、答えずただ黙って南の空を向いたままでした。
彼女はソレを抱き締めました。強く、しかし優しく、
傷付きひび割れた表面が柔らかな感触につつまれ、甘やかな乳房の匂いが遥か遠くの記憶を誘います。
生きたいとは、思わなかったのですか?
未来を捨ててまで、貴方は何を願ったのですか?
未来を捨ててまで、貴方は何を願ったのですか?
ああ、とソレは観念したような溜息をつきました。
永劫の果て、ソレが待ち望んで止まなかった安らぎがそこにありました。
本当に、それだけがソレに遺された最後の問いだったのです。
永劫の果て、ソレが待ち望んで止まなかった安らぎがそこにありました。
本当に、それだけがソレに遺された最後の問いだったのです。
ずっと昔に忘れた、生きるという意味。ずっと傍に在った、支えてくれた人達。
それらを思い出ました。それらを取り戻しました。
死より遥かに尊い、ソレがソレである意味―――――――――それを知ってなお、ソレは“こうなる”道を選んだのです。
それらを思い出ました。それらを取り戻しました。
死より遥かに尊い、ソレがソレである意味―――――――――それを知ってなお、ソレは“こうなる”道を選んだのです。
先生の願いだったからでしょうか。
彼の愛する人を死に貶めた贖罪の為でしょうか。
理想の続きを、彼に託したからでしょうか。
きっと全てが本当でした。しかし何かが僅かに欠けていました。
彼の愛する人を死に貶めた贖罪の為でしょうか。
理想の続きを、彼に託したからでしょうか。
きっと全てが本当でした。しかし何かが僅かに欠けていました。
(僕が、僕が、夢見たのは。本当に、願ったのは)
きっと、師匠も、相棒にも筒抜けだったでしょう。
それはもっと簡単で、バカバカしいくらい単純で、下らない答えでした。
それはもっと簡単で、バカバカしいくらい単純で、下らない答えでした。
それは―――――それは―――――――――――――――
・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・
「おまえなんかにおしえてやんないよ、バーカ」
「おまえなんかにおしえてやんないよ、バーカ」
そう言ったソレは―――――昔のように、何処までも不敵にに嗤うのでした。
彼女は―――彼女の幻は、微かに己を振るわせながら一瞬悲しそうな表情を浮かべ、
しかし、直ぐに穏やかな笑みを浮かべました。それでこそ、それでこそ貴方は貴方であり、彼女の手など必要なかったのだと。
ソレにはもう何もいらなかったのです。全てが、その朽ち果てた骸の中に満たされていたのですから。
彼女は―――彼女の幻は、微かに己を振るわせながら一瞬悲しそうな表情を浮かべ、
しかし、直ぐに穏やかな笑みを浮かべました。それでこそ、それでこそ貴方は貴方であり、彼女の手など必要なかったのだと。
ソレにはもう何もいらなかったのです。全てが、その朽ち果てた骸の中に満たされていたのですから。
ソレの意思に応えるように、彼女の体が再び淡く碧い光に包まれて粒のように波のように散って行きます。
救いも、同情も、施しも――――彼女がソレに与えられるものなど、無いのですから。
ですから最後に彼女は、消えゆく指先をスウと真横に伸ばしました。
ガラス玉の瞳が、その指し示す先に視線を這わせます。
救いも、同情も、施しも――――彼女がソレに与えられるものなど、無いのですから。
ですから最後に彼女は、消えゆく指先をスウと真横に伸ばしました。
ガラス玉の瞳が、その指し示す先に視線を這わせます。
今更、この瞳に映すものなど何もないのに。一体、何を―――――――――――
【17:59:58】
それは、線でした。
天と海を分かつ一本の線でした。
太陽の僅かな頭がその線の奥に沈もうとする瞬間でした。
清々しき青空は疾うに失せ、燃え盛るような夕日も失せて、全てが闇に満たされる刹那でした。
天と海を分かつ一本の線でした。
太陽の僅かな頭がその線の奥に沈もうとする瞬間でした。
清々しき青空は疾うに失せ、燃え盛るような夕日も失せて、全てが闇に満たされる刹那でした。
雲が、白く燃えていたのです。線に隠されてなお輝く炎が、空を照らしていました。
天海の境に近ければ近いほど白く紅く、遠ければ遠いほど黒く蒼く。
黒染の夜空もまた木目細かいグラデーションで紫の虹を浮かべています。
天海の境に近ければ近いほど白く紅く、遠ければ遠いほど黒く蒼く。
黒染の夜空もまた木目細かいグラデーションで紫の虹を浮かべています。
天が、白く輝いていました。
海が、黒く輝いていました。
大地と世界が、光と影に満たされていました。
昼と夜の間に、生と死の境に、全てが其処にありました。
海が、黒く輝いていました。
大地と世界が、光と影に満たされていました。
昼と夜の間に、生と死の境に、全てが其処にありました。
光が、ソレを包みました。光源を失った狭間に映るのは一瞬だけの、弱い光です。
ですが、弱いからこそ影を作ることなく世界を光に充たしています。
白い翼だけでは得られない光。漆黒の死郷では見ることも出来ない完全なる美。
かつてソレが目指した遥かな理想、全てが一つになった世界……存在しない世界。
それは、確かに在ったのです。
一つになっては決して届かぬ、狭間が無ければ決して辿り着けぬ――――――――
その一瞬が永遠に続くかと思いたくなるほどの、黄金の王国でした。
ですが、弱いからこそ影を作ることなく世界を光に充たしています。
白い翼だけでは得られない光。漆黒の死郷では見ることも出来ない完全なる美。
かつてソレが目指した遥かな理想、全てが一つになった世界……存在しない世界。
それは、確かに在ったのです。
一つになっては決して届かぬ、狭間が無ければ決して辿り着けぬ――――――――
その一瞬が永遠に続くかと思いたくなるほどの、黄金の王国でした。
とくん、とくん、とくん。
これは最後の光でした。
昼は黄昏を経て夜へ。輝きは昏がりに隠れ、これより逢魔の闇が世界を覆います。
生は送別を以て死へ。その輝きは死ぬ前の命の光であり、その煌めきは燃え尽きる魂の色彩でした。
全てが終わる神々の黄昏に相応しき、黄金の断末魔でした。
昼は黄昏を経て夜へ。輝きは昏がりに隠れ、これより逢魔の闇が世界を覆います。
生は送別を以て死へ。その輝きは死ぬ前の命の光であり、その煌めきは燃え尽きる魂の色彩でした。
全てが終わる神々の黄昏に相応しき、黄金の断末魔でした。
カチ・カチ・カチ。
ソレはその光をただじっと、覗きこむように見ていました。
歌劇のクライマックスが終わり、少しずつ黒幕が降り始めた真白き舞台を少しでも長く楽しむように。
既に最終楽章もアンコールも済んでしまい、鼓膜の破れた耳に入るのは秒間一拍の音律だけ。
この光が終わった時、その音が途絶えた時、ソレは終わります。
歌劇のクライマックスが終わり、少しずつ黒幕が降り始めた真白き舞台を少しでも長く楽しむように。
既に最終楽章もアンコールも済んでしまい、鼓膜の破れた耳に入るのは秒間一拍の音律だけ。
この光が終わった時、その音が途絶えた時、ソレは終わります。
パチ・パチ・パチ。
ですが、その優しい光を浴びたガラス玉はとても優しく輝いていました。
終わりの光を受けて爛々と。死を告げる心音は、喝采の拍手を続けています。
そこには慈悲も救いも無く、故に一切の悔いも未練もありませんでした。
彼女が最後に、指差したものが分かったからでした。
終わりの光を受けて爛々と。死を告げる心音は、喝采の拍手を続けています。
そこには慈悲も救いも無く、故に一切の悔いも未練もありませんでした。
彼女が最後に、指差したものが分かったからでした。
どうして、こんなにも世界が美しく見えるのか。だって、
どうして、何もかもを失って、充たされているのか。それは、
どうして、何もかもを失って、充たされているのか。それは、
「なんだ。もともと―――――――――――――――
黄昏のくせに、まるで――――――――――――――
黄昏のくせに、まるで――――――――――――――
【17:59:59】
蒼穹を抜けて何処までも高く拡がる青空に、鳥が飛ぶことを楽しんで鳴いていました。
暑過ぎず寒過ぎず、風は適度に湿り、昨日の雨が上がった大地は踏みしめ易く、絶好の旅日和でした。
そんな田舎街の入り口で、ソレは自分の故郷を見ていました。
一日経ったでしょうか。千日経ったでしょうか。
初めてこの街に来たときのように見つめた景色は、相も変わらず貧乏臭く元気しか取り柄のない素晴らしい街でした。
不意に、空を見上げます。一つの月と一つの星が浮かぶ青空にソレは苦笑いを浮かべました。
あの大きな星のように、自分の故郷はこの大地に無いと思った頃を思い出したのでした。
随分とこじんまりした故郷だったなあ、とソレは気恥ずかしさから笑いました。
笑いの止まぬうちに、ソレは踵を街の外へ向けます。これ以上懐かしんだら、もう暫く留まりたくなると分かっていたからです。
暑過ぎず寒過ぎず、風は適度に湿り、昨日の雨が上がった大地は踏みしめ易く、絶好の旅日和でした。
そんな田舎街の入り口で、ソレは自分の故郷を見ていました。
一日経ったでしょうか。千日経ったでしょうか。
初めてこの街に来たときのように見つめた景色は、相も変わらず貧乏臭く元気しか取り柄のない素晴らしい街でした。
不意に、空を見上げます。一つの月と一つの星が浮かぶ青空にソレは苦笑いを浮かべました。
あの大きな星のように、自分の故郷はこの大地に無いと思った頃を思い出したのでした。
随分とこじんまりした故郷だったなあ、とソレは気恥ずかしさから笑いました。
笑いの止まぬうちに、ソレは踵を街の外へ向けます。これ以上懐かしんだら、もう暫く留まりたくなると分かっていたからです。
「おい、待てよ!!」
馬鹿臭い呼び声に、ソレは心底鬱陶しそうな顔をしました。
せっかく黙って出てきたのに、なんと間の悪いことでしょうか。
いっそ他人と無視してそのまま進もうと思いましたが、どうせ追い付かれると分かっていたので、ソレは声の主を待ちました。
せっかく黙って出てきたのに、なんと間の悪いことでしょうか。
いっそ他人と無視してそのまま進もうと思いましたが、どうせ追い付かれると分かっていたので、ソレは声の主を待ちました。
「ぜえ、ぜえ……………俺、聞いて、無いぞ…………おま、今日、あびに、どぅる……って……」
それはそうだよ、だってお前には言ってないから。
そう言いながら、それは手持ちの水筒から水を差し出しました。
水は一人分しかなかったのですが、どこかで汲めばいいと思ったのです。
「どうして、あがぼがぼど、ざんも、まおぶ、るさんも、ぶっはぁ、お前のこと……」
とりあえず、飲むか喋るかにしとけよとソレは思いましたが、面倒なので口にはしませんでした。
勿論、彼が我先にと爆睡に入ったのを見計らって、彼女達には今日のことを伝えてありました。
二言、三言僅かな灯りの中で話をして、今日が来ました。
もう翅の傷は癒えたから、羽撃たこうと思ったのです。
そう言いながら、それは手持ちの水筒から水を差し出しました。
水は一人分しかなかったのですが、どこかで汲めばいいと思ったのです。
「どうして、あがぼがぼど、ざんも、まおぶ、るさんも、ぶっはぁ、お前のこと……」
とりあえず、飲むか喋るかにしとけよとソレは思いましたが、面倒なので口にはしませんでした。
勿論、彼が我先にと爆睡に入ったのを見計らって、彼女達には今日のことを伝えてありました。
二言、三言僅かな灯りの中で話をして、今日が来ました。
もう翅の傷は癒えたから、羽撃たこうと思ったのです。
「でも、お前、姉さんのこと―――――」
いいんだよ。それはもう、叶ったから。
いいんだよ。それはもう、叶ったから。
ソレがそう言えば、流石な彼の鈍い頭でも理解することができました。
あの指輪が姉の薬指に入った時、小さな教会で憂い一つ無いとびっきりの笑顔を見たときに、そう思ったのです。
だから……今日、この時を迎えることが出来たのです。晴れ渡る青空に巣立つ、今この時を。
あの指輪が姉の薬指に入った時、小さな教会で憂い一つ無いとびっきりの笑顔を見たときに、そう思ったのです。
だから……今日、この時を迎えることが出来たのです。晴れ渡る青空に巣立つ、今この時を。
「何処に……行くんだ?」
彼は神妙な顔をして、そう問いました。恐らく、彼もいつかは旅立とうと思っていたのでしょう。
それをほんの少し先に越されて、定まらない心を定めようとしているかのようでした。
さあね、とソレは空を見上げながら言います。
先生の後を追って騎士団に入るもよし、散らばっているであろう未だ見ぬ同族に会いに行くも良し、
敢えて……あの森に一度帰ってみるのもいいかもしれません。
眼前に広がる草原には、道などありません。だから―――――――何処にだって、いけるのですから。
それをほんの少し先に越されて、定まらない心を定めようとしているかのようでした。
さあね、とソレは空を見上げながら言います。
先生の後を追って騎士団に入るもよし、散らばっているであろう未だ見ぬ同族に会いに行くも良し、
敢えて……あの森に一度帰ってみるのもいいかもしれません。
眼前に広がる草原には、道などありません。だから―――――――何処にだって、いけるのですから。
もう一度……英雄になってみるのも、悪くないかな。
「え゛、ちょ、おま、待て。待ってったら!! それは俺が先! 俺が先になるんだよ!!」
「え゛、ちょ、おま、待て。待ってったら!! それは俺が先! 俺が先になるんだよ!!」
冗談めかしてソレが言った言葉に、彼が取り乱したかのように叫びます。
コレだから莫迦は飽きないのです。いっそ、彼が悔しがる様を見る為だけに目指してみるのも、面白いかもしれません。
人よりは永く、しかし確かに限りある命。使い切らなければ、勿体無いじゃないか。
コレだから莫迦は飽きないのです。いっそ、彼が悔しがる様を見る為だけに目指してみるのも、面白いかもしれません。
人よりは永く、しかし確かに限りある命。使い切らなければ、勿体無いじゃないか。
「くっそー、負けるもんか! 見てろ。俺は、必ず英雄になってやる。誰も見たことのない、本当の英雄に!!」
そう。じゃあ、精々頑張りなよ。無様な所だけはばっちり見ておいてやるからさ。
「うわあ、すげえムカつく」
そういってソレと彼は笑いました。バカバカしく、しかし確かに聞き届けたと認め合う為に。
笑い声が途絶えた時、ソレと彼は黙って背中を向きました。
この青空が青空で在るうちに旅立たなければならないのですから。
そう。じゃあ、精々頑張りなよ。無様な所だけはばっちり見ておいてやるからさ。
「うわあ、すげえムカつく」
そういってソレと彼は笑いました。バカバカしく、しかし確かに聞き届けたと認め合う為に。
笑い声が途絶えた時、ソレと彼は黙って背中を向きました。
この青空が青空で在るうちに旅立たなければならないのですから。
一羽の鳥が、空を楽しそうに泳いていました。
「――――――あんな風に、空を飛んでいけたら、楽なのにな」
そうでもないよ。二本の足で歩いて行くのも、悪くないさ。冒険なんだから。
「――――――あんな風に、空を飛んでいけたら、楽なのにな」
そうでもないよ。二本の足で歩いて行くのも、悪くないさ。冒険なんだから。
「また、逢えるかな」
さあね、分からないよ。冒険なんだから。だから、こう言っておくよ。
さあね、分からないよ。冒険なんだから。だから、こう言っておくよ。
さよなら。
そういって、ソレは歩き始めました。陽の沈む方へ。夜の行く方へ。
ですが――――最後に、もう一度だけ、彼は言いました。
そういって、ソレは歩き始めました。陽の沈む方へ。夜の行く方へ。
ですが――――最後に、もう一度だけ、彼は言いました。
「違うよ、ミトス。こういうときは、こう言うんだよ。俺達、まだ子供なんだからさ」
彼の一言に、ソレは――――――“少年は”思い出しました。
ああ、そうだった―――――――――――――そんなことも、忘れてた。
ああ、そうだった―――――――――――――そんなことも、忘れてた。
少年達は別れました。
彼は陽の沈む方へ、彼も陽の沈む方へ。誰にも彼にも等しく黄昏が来ます。
だから彼らは言うのです。了解でもなく、約束ですらない、唯の言葉を。
彼は陽の沈む方へ、彼も陽の沈む方へ。誰にも彼にも等しく黄昏が来ます。
だから彼らは言うのです。了解でもなく、約束ですらない、唯の言葉を。
「「また、明日」」
黄昏を越えた夜の、その先にこそ―――――――――――――黎明があるのですから。
そこは、かつて草原でした。
北に海を讃え、東に森を翳す肥沃な大草原。日がな一日、そこでお日様と青空を眺めてぼうっとしていたくなるような、安らかな場所でした。
ですが、今やそこには何もありませんでした。
生気に溢れた緑色は焼け焦げた灰の荒れ野原となり、温かなる日差しは失せに失せていました。
鯨幕は取り払われ、役目を終えた斎場の灯りは閉ざされました。
ムスペルヘイムよりは熱くなく、ニブルヘイムよりは寒くなく、ただ暗く、冥いだけの場所。
本当の地獄でした。既に死に絶え―――――そして今もう一度死んだ大地。
そこには死以外の何物もありませんでした。
北に海を讃え、東に森を翳す肥沃な大草原。日がな一日、そこでお日様と青空を眺めてぼうっとしていたくなるような、安らかな場所でした。
ですが、今やそこには何もありませんでした。
生気に溢れた緑色は焼け焦げた灰の荒れ野原となり、温かなる日差しは失せに失せていました。
鯨幕は取り払われ、役目を終えた斎場の灯りは閉ざされました。
ムスペルヘイムよりは熱くなく、ニブルヘイムよりは寒くなく、ただ暗く、冥いだけの場所。
本当の地獄でした。既に死に絶え―――――そして今もう一度死んだ大地。
そこには死以外の何物もありませんでした。
だから、そこに在ったのもまた、死でした。
僅かな温もりの幻も、思い出せぬ彼女の柔らかさも、失せてしまうのは瞬きの間のことでした。
後は、何も在りません。何も残らず、何も遺さず、ただ砕けた破片と頸の無い骸が在るだけです。
埋められず、燃やされず、啄ばまれず、乾かず、吊られず、ただ在るだけです。
後は、何も在りません。何も残らず、何も遺さず、ただ砕けた破片と頸の無い骸が在るだけです。
埋められず、燃やされず、啄ばまれず、乾かず、吊られず、ただ在るだけです。
此処には、死しかありません。
だって、生けるモノは、ここにはもう無いのだから。
だって、生けるモノは、ここにはもう無いのだから。
ミトス=ユグドラシル、墜ちる黄昏に駆け抜けた始まりの英雄よ。
どうか安らかに―――――――――――――――いつか、いつか来ると夢見た黎明まで。
どうか安らかに―――――――――――――――いつか、いつか来ると夢見た黎明まで。
【18:00:00】
【ミトス=ユグドラシル 死亡確認】