観測断片06 「兵站、倉庫、夢、野望」

後に大北方戦争と呼ばれる戦、その準備で帝都が徐々に騒がしくなりつつあった頃。
「次の戦争で、君の一門には、主に兵站の支援を担当してもらう」
セルベニア・イル・ベリサリウス子爵、帝國軍元帥にして軍事参議会議長は言った。隣にはサウル・カダフ元帥、現在の北方軍司令官が座っている。
「そのようになるであろうと思っていました。」
アウルス・ヴァレリウス・ロムルス宮中伯、ヴァレリウス一門の嫡子にして宗主代理は答えた。彼は一門宗主である母親と、かつて一門のナンバー2だった大叔父が2人して内務省の(つまりレイヒルフト絡みの)秘密組織に行ってしまった為、当主の印璽まで渡された実質的な当主になっている。
そしてヴァレリウス一門が兵站部分の支援に回るのは、内戦中の彼らの動きから言って順当とも言える話だった。
内戦開始時点で、彼らは帝國軍(というよりは近衛軍)と同様の普通の軍事組織だった。
だが初期に投入した衛生大隊と野戦病院が全軍から絶大な支持と要望を受けた結果、その需要と帝國軍上層部からの要請に応えてそれを可能な限り拡張していったため、内戦後半の彼らの部隊は開始時点とは完全に様変わりしていった。
一門はモリアに学校を作って軍医と看護兵を育成し、それからなる医療部隊を大量に抱えて軍へと送り出し、その結果無数の白衣の兵士達が前線と後方で勤務していた。それでもなお帝國軍からの需要に応えられず、ついには現役の軽歩兵大隊を解体し、所属していた兵士全員に看護兵教育を受けさせて転用する事まで行った。
そしてこの流れは一門に完全に定着し、十数年に及ぶ内戦を経るうちに彼らの部隊は完全に様変わりした。内戦末期には医療部隊に加えて補給、輸送、整備、情報・備蓄管理部隊を統合した巨大な兵站部隊を創設するところまで行った。
一門の実戦部隊の名誉の為に言っておくと、彼らもきちんと存在して北方で戦っていたし、宗家嫡子が機神に乗って参謀総長直下で「活躍」している事は(何をどう「活躍」しているのかは完全に秘密だったものの)伝えられていたから、兵士が言うところの「お綺麗な書類仕事」しかしていなかったわけではない。
だが帝國軍の、将軍達が魔導師によって統合管理された“Logisticus”に、兵士達が白く清潔な病院と失われた手足の代わりとなる義肢に、感銘を受けたのは仕方の無い事だ。
「誤解して欲しくないんだけどねい。」
サウル・カダフが口を開いた。
「これは帝國軍で手柄を独占するとかそういう意味ではないのよ。むしろ信頼の証と思ってもらいたいねい。」
「信頼の証。」
アウルスはサウル・カダフに一度向けた視線を、問うようにセルベニアへ戻した。
「その通りだ。」
セルベニアは力強く頷いた。
「信頼できない者に後方を任せられるものか。任せた者の選別を誤れば兵が飢えるのだぞ?それで戦争など出来るわけが無い。」
「よく分かります。」
アウルスとて理解できる話だ。なにしろ今の彼は一門の軍の総司令官代理なのだから。
「戦場での司令部の仕事が、敵を破砕できるだけの人員、武器弾薬、糧秣を叩きつける事だとしたら、誰かがそれを用意し、戦場まで運ばなければならない。それも必要な時に必要なだけ。」
「その通り。そしてそれが戦場までの司令部の仕事だ。兵站こそが戦争を決する。その支援だ、よく務めて欲しい。私からは以上だ。」
それ以上の言葉は必要ないとでも言うように、セルベニアは告げた。
「信頼に応え、微力を尽くします。」
アウルスは短く応えると、隣にいた恰幅のいい軍服の男に告げた。
「そういうわけです、プリムス・ゴップス将軍。貴方とカゼルネス将軍に実務は全て任せます。必要なものがあれば私に言って下さい。なんとかします。」
「閣下も大雑把な投げ方をされますな。」
ゴップスと呼ばれた男は溜息をついて、手を組み、視線をアウルスと眼前の2人の元帥の間で流した。
「まあ、任されました。」
そして内戦中の功績で一門から帝國軍へ引き抜かれた男は、のんびりとした口調で3人に約束したのだった。

数日後。
「倉庫?」
元老院議事堂のある一室で、カイン・オクセンシュルヌス・トゥルトニウス北方辺境侯は尋ね。
「はい、倉庫です。」
秘書を務めるリリアメスから数枚の書類を渡されつつ、アウルスは彼の問いに答えた。
「ご存知のように、我が一門は今回の戦争において主に兵站の支援を担当することになったわけですが、正直に申し上げて北方辺境~ゴーラ湾三カ国間の輸送可能量、特にトゥール・レギス~オスミナ間のそれは低いものです。」
「そうですね、北方の輸送基盤は内戦でかなり破壊されていますし、そもそもオスミナとは戦前も交易量はそれほどなかったと聞いています。」
「そのようなな中で軍が動くとなれば、河を道として活かし、トゥール・レギスに補給倉庫を開設し、さらにその北方に河港を兼ねた拠点を作る事がもっとも効率的であると、部下が進言してきました。目を通した所、かなり大規模なものとなりそうですので、こうしてお許しを得ようと思いまして伺いました次第です。」
カインはアウルスから書類を渡され、その一番上の紙を一瞥して軽く目を見開いた。
「結構大規模ですね?」
「私が持っている予想の中でこれが全力を発揮する可能性は最小ですが。」
アウルスは答えた。
「たとえ親衛軍団が来ても、その胃袋を満たす事を想定しています。」
「ああ。」
カインは頷いた。
「しかしながら、いかに人と資材を突っ込んでもそれほどの倉庫を複数、しかも早急に開設することは出来ません。時間が少な過ぎます。」
「どうなされるおつもりですか?」
「トゥール・レギスの倉庫の設営を優先させます。中間拠点は倉庫に加えて整備場と防衛設備も用意しますが、カルマル王国方面の基地の建設を優先させます。カルマル方面は北方辺境侯の領内ですが、オスミナ方面はポリトリコス一門との調整が必要でしょうし。
建設に用いる工兵隊その他の部隊はこちらで用意します。本当はそちらの地元の建設業者も使いたいところなのですが。」
「正直、僕の知る業者はどこも手一杯です。……それでこの規模というわけですか。」
「はい。事態の推移によっては、ここに一部の兵力を撤退させて立て篭もってもらう事も有り得るかもしれません。特にオスミナ方面は。」
「あまり考えたくない事態ですね、それは。」
「私もあまり考えたくありませんが、立て篭もる兵力すら帰ってこないよりはずっとよろしいかと思います。」
「ゴーラ皇帝軍やフィンゴルド軍がそこまで強大だと?」
「帝國軍の実力については何も心配していませんが、戦争は我々だけでするわけではありません。
 ゴルム帝の人となりと力について、北方辺境侯相手に私が述べるのは司教に説教でしょう。
 またハーラル大公という、一代でフィンゴルドという国を作った男の力量は多めに見積もって損はしないでしょう。
 その上でオスミナ側の、特に貴族がアテになるのか全く見通しがつかないという話が上がってきたので、そちら側にも『保険』を掛けたくなりまして。」
「ああ、こちらも同じような話を聞いています。それで大丈夫なんでしょうか?」
「帝都から見る限りでは、実際に事が起きないとまるでわかりません。故に最悪の事態に備えてあちこちに倉庫と拠点を作るつもりで閣下に話を持ってきた次第です。いかがでしょうか?」
「そういうことであれば話はわかりました。この通り進めてください。僕ももうすぐ北へ戻りますが、その前に故郷とポリトリコス一門に一筆書き送っておきます。」
「有難うございます。もし事が静かに推移、あるいは私の予想より良い事態を迎えた場合は、現地の責任者に言い含めておきますのでお好きに活用してください。所詮倉庫自体はただの容器ですので、建てて空きっぱなしはもったいないですし。」
「わかりました、よろしくおねがいします。」

数ヵ月後。大北方戦争が始まり、騒がしくなった帝都で三人の男が会っていた。
「そういうわけだ。オスミナ救援軍について何とかならないかね?」
ケイロニウス・ガリウス執政官は言った。
「なるほど。――わかりました、なんとかしましょう。」
アウルスは答えた。
「そうか、やってくれるか。」
「ただし一門内部への説得もありますので、ある程度の利益は回収させてください。もっとも、ケイロニウス一門から御代を頂く事はないでしょう。」
「それは構わない。好きにするといい。」
「それと我々が動く点について、宮中と行政府内部で支援していただいても?」
「無論だとも。宮中の事は父上に、行政府関連は私に言いたまえ。」
「北方と南方辺境侯、場合によってはシュネルマヌス一門にまで頭を下げることになるかもしれませんよ?」
「あの影に生きてきたお嬢さん二人が死なずにすむなら安いものだな。」
「驚きですね。失礼ながら閣下はもう少し冷徹な方かと考えてました。」
「戦争で誰かが死ぬ事は覚悟しているとも。だが見えている危険に手を拱いていたと思われてはその後に差し支える。わかるかね?」
「よくわかります。それに実際は、“孫娘のように”可愛いのでしょう?」
「ふっ。その辺りの感情は言わぬが華ではないかな?」
「否定はしません。一応の確認です。」
二人はある種の微笑みを―それが笑みと呼べるなら―互いに浮かべた。
そこにこの会合が始まってからじっと黙っていた男がアウルスに向かって口を開いた。
黒服に身を包み、顎鬚を生やした長身の男。顔は初老にさしかかっているが、その眼光は並人には耐えられぬ強靭さを持っていた。  
「アウルス師、ガイユス様にはなんとお伝えすればよいかな?」
「お望み通り、救援部隊をバックアップする支援部隊を主力に。
 トゥール・レギスと中間拠点の河港には歩兵と工兵、それと兵站部隊が既にいます。輸送を担う船隊が必要ならこちらでも出しましょう。
 急ぎですので、今から出すとして戦闘部隊は機装甲・騎兵・砲兵を各1個中隊、それと私の特製機をつけます。現地にいる戦力も含めればかなりの数です。
 しかし。内戦とこの間の混乱で荒れ果てた北方でどこまでどの程度進めるかは厳しいところです。河港から先は、やせ細った戦力しか出せないかもしれません。カルマル方面の兵站を優先したので、今のオスミナ方面の中間拠点にあるのは三つだけですから。」
「軍事は専門ではないが、なにがあるのだ?」
「それなりに大きな波止場、多少の倉庫と防壁、そして軍団が天幕を張っても大丈夫な平地。この3つです。現地部隊が突貫工事で建築工事中ではあるのですが……。
 それとバグナルドゥス師。例の話は?」
「今朝弟子から連絡があった。既にゴーラ領から帝國に戻ったそうだ。数日中に帝都へ来るだろう。
 事が事なので口頭で聞いてもらう事になるが、例のゴーラの導師が何か作っているそうだ。さて“機中のグイン”と比べてどの程度のものか。」
「“機中のグイン”も随分と暴れているようだな。」
執政官が口を挟んだ。
「帝國軍でも何か作っているようですね。私は見ていませんが、閣下も?」
「『6号』という名前しか知らぬ。キュリロスの秘密主義も大したものだ。」
「見る必要などなかろう。」
2人の会話を聞いて冷然と、バグナルドゥスが口を挟んだ。
「わしも機体は見ていないが、機体を作っている男は知っている。機神は専門ではないが、どのような魔導の作品を作るか見えるようだわ。」
「「ほう?」」
2人の視線を受けても表情を変えずに、“黒の導師”と呼ばれる事もある男は続けた。
「己と他者の望みを詰め込みすぎて膨らんだ、黄金を塗した風船が出来るであろうよ。」
「その新型機の完成と、グインへの対策は帝國軍に任せましょう。どの道オスミナへは来ないでしょう。」
「フィンゴルドに機神はいないはずだし、それでよかろう。ところで君が作っていた機体……“ファタ・ムリエル”だったか。どんな程度のものかね?」
ギレニウスが目元に若干の興味を浮かべてアウルスを尋ねた。
「空間戦闘と三次元機動が出来る以外は普通の機装甲です。その飛行能力も私の“デインデ・ヴァレリウス”や近衛901第2中隊の重駆逐機装甲に比べれば取るに足りません。」
「一目だけ見させてもらったが。」
バグナルドゥスが薄い笑みを、出来の良い弟子を見るような表情を浮かべてアウルスに言った。
「黄金色の角を生やしたあれを『普通の機装甲』だと言われて、納得する魔導師はいないと思うが?」
「噂されているような機神などではないですよ。軍に目をつけられたくないですしね。
 先程の『6号』とやらが頑張っていそうな、魔導戦機能は大して積んでいません。単に飛べるだけです。そして飛べるようにしたのは私の個人的な趣味です。」
「アウルス師は“デインデ”で空を飛ぶ魅力に取り憑かれたようだな。」
「趣味?そうか趣味か。趣味ならば仕方が無いな。」
真面目な顔をして告げたアウルスを見て、2人が愉快そうに笑った。
「軍にはそう言いましたから。『今度作る機装甲は飛びます。私の趣味です。』と。」
「それで軍はなんと言ったのだ。」
執政官が尋ねた。
「貴方と同じです。大笑いして『趣味ならば仕方が無い』と。」
再びアウルスが真面目な顔で応え、再び2人が笑った。
「ともあれ部隊は出します。執政官、そちらから私がケイロニウス・イリュリア公にお会いしたいと考えていると伝えていただけますか?」
「よかろう、頼む。」

「倉庫?」
フェルヌス・ユリウス・マクシムス南方辺境侯は尋ねた。
「はい、倉庫です。」
アウルスは答えた。
「どこに建てるんだ?」
「南方辺境候都と、ペネロポセス海の沿岸に一箇所。多分東方に一箇所。」
「東は知らんが、おまえの一門、南方には倉庫を前から持っているだろう?」
「それを拡張するつもりです。ですのでお許しを頂きたく。」
「訳を言ってみろ。」
「一つは物資の値動きに対する緩衝材。もう一つは『次』に供えて、多分必要になるだろうと。」
「一つ目はともかく、二つ目はどこから話を聞いた?」
「誰かに機密保持規定を破らせたわけではありません。私は皇太子補佐官で、内戦中は戦略偵察の任務と情報分析まで担当していて、ペネロポセス海で戦艦を率いていた大叔父と南方古人の部下を持つような男です。
 今はあくまで推測の域を出ません。元老院議長にして元帥である閣下だからこそ申し上げました。」
「その推測は誰かに話したのか?」
「いいえ。皇太子殿下にも話していません。」
「よし、そのまま黙って誰にも話すな。一つ目についてもう少し詳しく話せ。」
「先ほどのお話ですが、シュネルマヌスが軍を出すので、ポリトリコスの軍勢やケイロニウスの将軍だけでは不安だから、支援と『保険』が欲しい。そういう理解でよろしいですか?」
「ああ、そうだ。」
「正直に言えば意外です。閣下はオフィーリア姫にあまり好意を持たれていない上に、大ガイユス元帥とはお親しい仲でもないはずですが。」
「その通り、だがシュネルマヌスが関わるなら話は別だ。それぐらいはわかっているんだろう?」
「はい。実はさる――そう、やんごとなき筋からもオスミナに軍勢を出してくれという話を頂いておりまして。」
「聞いている。“黒の導師”にギレニウスと会っていたそうだな?大ガイユスもデキムス公も、年頃の娘の頼みには弱いらしい。」
「なぜご存知なのかという質問は省略します。閣下の前ですので政治的修飾語も省略して話を続けます。
 我が一門とその軍を評価してくださるのは有難いと思います。ですが事がシュネルマヌスに絡むと成ると、我々も『保険』を掛けねばなりません。」
「続けろ。」
「我々は既にかなりの物資を北方へ送り出しています。輸送の便から主にヴェルミヘ河とテルベ河沿いの都市で買い付けているわけですが。その結果として、流域では小麦の値段が上がっています。」
「そうだな。」
「ここで我々が参戦するとなれば、ベルグルンド公爵が我々に仕手戦を仕掛けてくる可能性があります。いえ、間違いなく仕掛けてくるでしょう。帝都でもモリアでも穀物市場で先物価格が上がるのが目に見えるようです。」
「あの男の過去の所業を考えると、否定出来んな。」
「もちろんベルグルンド公の事です。やりすぎはしないでしょうし、自分の身は潔白にしてみせるでしょう。むしろ上手く誘導して自分の政治的得点を稼ぐ事すらありえます。」
「随分とあの男を高く評価しているんだな。」
「北方での騒ぎの時、一門をあそこまで統制できた相手ですから。そしてその様な事態を招いては余計な労力を強いられます。それを防げるなら、多少金を多めに払ったり、潜在的な敵に頭を下げる方がマシです。いい気分ではありませんが、オスミナ救援に関しては政治的ゲームに費している時間の余裕がありませんから。」
「考えは分かった。それがなぜ倉庫の拡張という話になる?」
「今の南方にある倉庫はモリアの人口を支える程度の能力しかありませんし、それしか期待されていません。オスミナへの援軍だけなら既存の倉庫で別にいいのかもしれませんが、穀物価格が上がって帝國軍へ影響が出た日には私はイル・ベリサリウス元帥から吊るされます。」
「別にお前さんの部隊で全部まかなっているわけではないだろう?」
「当然です。帝國軍自前の方がずっと多いですよ。ですが穀物価格は相手を選んでくれませんから。」
「言いたい事はわかるぞ。だがお前のメンツはどうなる?」
「ベルグルンド公に一度頭を下げた程度で底値になる程安くは無いつもりです。それに。」
「それに?」
「目的の為なら気になりません。」
「俺の子もその台詞を素面で言えるようになって欲しいもんだ。」
「公のお子さんなら大丈夫でしょう。とにかく穀物価格の上昇を防ぐために、買い付けを広く行って全体としての値上がりを抑え、シュネルマヌスには頭を下げて勘弁してもらい、物資をトゥール・レギスへ集める方式を取りたいと思います。」
「いいだろう、わかった。倉庫を作るがいいさ。」
「有難うございます。」
「戦後はどうするつもりだ。」
「別に一門だけの企業体を作るつもりはありません。穀物同様、広く出資者を募りたいところです。それに倉庫の群というのは建てるだけでも物入りですので、もしよろしければ南方の倉庫については閣下にも出資していただきたいのですが。」
「おまえもちゃっかりしているな。それであの男にはなんと言うつもりだ。」
「単に『シュネルマヌスの小麦を、どうか売って頂きたい。』と。」
「何?」
「これでひたすら儲けに走るようならば。」
アウルスは静かな表情で言った。
「私はベルグルンド公の評価を改めます。」

「それで貴様は何の用でここに来た。」
ディオニュソス・シュネルマヌス・ベルグルンド公爵は彼の屋敷で尋ねた。態度には不遜さが表れている。
「お願いがありまして参りました。」
アウルスは落ち着いた態度で答えた。
「ほう、言ってみろ。下らぬ話であれば叩き返すぞ。」
「シュネルマヌスの小麦、買わせて頂く存じます。なにとぞよろしくお願いします。」
アウルスは頭を下げた。
「ほう?」
ベルグルンド公は目を細めた。
「それと買った小麦を収容する倉庫を頂きたく。」
「倉庫だと?」
「はい、倉庫です。開いている倉庫がありましたら、そちらを買います。」
アウルスは答えた。
「小僧、私を甘く見るなよ?」
ベルグルンド公は目を細め、その視線をアウルスは黙って受けた。
「お前が倉庫を北方に建てている事は知っている。」
「はい。」
「そして東方の我が領土にも建てるという。」
「はい。」
「帝國の物流利権に介入するつもりか?死ぬぞ。」
ベルグルンド公はあっさりと言った。
「会社の株式を売却して出資者を募れば死なずに済むでしょう。」
その言葉に、アウルスはあっさりと答えた。
「ほう。」
ベルグルンド公は初めて微笑みに近い表情を見せた。
「誰に出資させるつもりだ?」
「誰かに、です。買う人がいればですが。」
「分かって言っているな、宮中伯。」
「さて、どうでしょうか。」
「底値で買い叩かれるかもしれんぞ?」
「買い手が一人だけなら、そうなるでしょう。」
「ハハハハハハハ!」
ベルグルンド公は笑みを浮かべた。
「良いだろう、売ってやる。」
「有難うございます。」
「ただし値段はこちらの提示額からビタ一文負からん!そして支払期限から一刻でも遅れたら貴様の首がないと思うが良い。」
「首の代わりに金貨を洗って、お渡ししましょう。支払期限がご心配でしたら、公開市場取引でよろしいですか?」
「ふん、元からそのつもりだったのだろう?」
「さすがはベルグルンド公。」
「つまらぬお世辞を言うな。」
「いいえ、この敬意は本物です。北方の混乱の際の手際と一門の統制、お見事でした。誰にでも出来る事ではありません。」
「ふん……。」
ベルグルンド公は傍の紙片に数字を書き付けると、アウルスに投げつけた。
「それが値段と量と日付だ。さっさと代金を用意しておけ。」
「わかりました。真に有難うございます。」
「用は済んだのだろう?さっさと帰るが良いわ!」
「はい。それでは失礼させて頂きます。」
アウルスが退出し、彼が乗った馬車が門の外を出るのを窓から見届けると、ベルグルンド公は大声をあげて笑った。
「小僧。貴様は甘々だが、一つだけ評価してやる!」
笑みを浮かべ、消えていく馬車へ向けてベルグルンド公は言った。
「事を始める時にこのディオニソスに自ら頭を下げた事だ。小麦はその代価と思うが良いわ!」

「それで、部隊の人事は決まったんですか?」
屋敷へと帰る馬車の中で、アウルスは一人の男と話していた。
アレクサンドル・カゼルネス将軍。プリムス・ゴップス将軍と並んで、内戦中に能力が認められて一門で将軍の地位まで上り詰めた、後方勤務と事務処理の専門家である。ゴップス将軍が帝國軍へ引き抜かれた後は、彼が一門の軍勢の番頭役だった。
「突然でしたから閣下には苦労させられましたよ。しかもご自分の愛人を入れろと仰るし。」
「愛人じゃない。家臣だよ。」
「実態は同じでしょう。しかも乗るのは閣下御謹製の趣味機体と来た。」
カゼルネスの毒舌にアウルスは苦笑した。なぜなら、その「愛人」は馬車に同乗していたからだ。
隣に座っているマリエスがカゼルネスの言葉に沈黙を保ったままなのを気配で感じていると、同じく馬車に乗っていたヴァルタスが口を挟んだ。
「それでどうなったんだ。」
「何分急だったからな、『有能なら誰でも、どの部隊でも使ってもいい』と言われたから、帝都駐在の士官とモリアで臨戦待機していた部隊を組み合わせた。現地の部隊も含めて指揮出来る司令官も選んだぞ。」
書類を手渡されたアウルスはざっと目を通した。
「兵站部隊がフランシス・テリエル・ミカエル騎士隊長、機卒砲兵にヴァシレイア・カエリウス・マケドニア騎士長、機装甲にメリディエス・イグネウス騎士長、騎兵にヘンリクス・トゥール=アヴェルニア騎士隊長、全体指揮官がフェブダス男爵エリュトリア・ヴァレリウス・アトスリュア准将。」
「なかなかの顔ぶれですな。」
ヴァルタスが頷いた。いずれも年齢的には三十代~四十代と軍人として脂が乗っている。能力的にも手堅い人事と言えた。
「イグネウス中隊が出るという事は、ユラキスが出るんですね。」
アウルスは静かに尋ねた。
「はい。弟君、ユラキス・ヴァレリウス・ロムルス上級騎士ももう二十歳。一度実戦にも出ていますし問題はないかと。」
「死なずに帰ってくれば儲けものですが、私の弟を出すとなれば政治的意味も出る。それが狙いですか?」
表情を変えぬまま尋ねるアウルスにカゼルネスはきっぱりと応えた。
「いいえ、適した中隊に彼がいたのみです。」
「なるほど。」
アウルスは頷くと、身振りで話を続けさせた。
「顔ぶれとしては以上です。それとマリエス・イル・ヴァレリウス騎士長を閣下御謹製の“ファタ・ムリエル”付きで参加、アトスリュア准将も機装甲搭乗ですね。全員互いの顔は知っていますからそれは問題ないでしょう。
 ――ところで前々から疑問だったんですが、閣下が騎士長の名前を変えさせたので?」
カゼルネスがマリエスを見ながら尋ねると、アウルスが頷いたのを見た彼女が始めて口を開いた。
「いいえ、南方にいた頃から名前は変えていません。」
「まだ捕虜だった時に名前を聞きましたが、今と同じでしたよ。」
アウルスがマリエスの言葉を補足した。
「そりゃ偶然ですな。ともあれ人事はそんなところです。これでよろしいですか?」
「はい、これでお願いします。(……無事に帰って欲しいものだ。)」
「そうですな。」
カゼルヌスがアウルスのごく小さな呟きを引き取った。
そして軍勢を出す先の本隊とオスミナの実情を知る彼は、心中でのみ呟いた。
『……と、若様がお望みだ。皆生きて帰れよ。死ぬには馬鹿馬鹿し過ぎる戦いだ。』
カゼルヌスにとってこの出兵は、皇族と貴族の名誉の問題であり、彼のような平民出身の実務官僚からすると戦う意義が薄かった。特に出兵する他の貴族の実情を知っていては。
その思いを知ってか知らずか、アウルスは馬車の椅子に身を預けると目を閉じた。
今はこれでいい。だが『次』は?そして『次の次』は果たして来るのか?
そして主君の疲労を察した三人は、馬車が屋敷に着くまで沈黙を保ったのだった。

馬車が屋敷に着くとアウルスはヴァルタスとカゼルヌスに職場に戻るように、マリエスに自室で待機するように命じると、自らは書類を整理しながら執事に着替えと外出の準備と来客の準備を同時にするように告げた。
そして彼が着替えて直ぐ、自室に執事がもたらした知らせは、予想が的中した事を彼に教えた。
数分後、特別な応接間に現れた漆黒の男を、アウルスは完璧な皇族への礼をもって迎えた。
「突然の来訪の無礼をお許し頂きたい。」
レイヒルフトは穏やかに微笑むと、腰を折ったままの相手に声を掛けた。
「副帝陛下におかせられましては、当家に御行啓あらせられました事、恐悦至極に存じます。」
「丁寧な挨拶を有難うございます。楽になさってください。」
レイヒルフトはアウルスのやや古式なの挨拶に応えて来賓用の椅子に座ると、彼にも座るよう勧めた。
アウルスはレイヒルフトの言葉を受けて始めて姿勢を戻すと、席に着いた。
「それ程長い話ではありません。直ぐに済みますので、少しお付き合い下さい。」
「はっ。」
「この度の戦争への兵站支援、ご苦労様です。」
「御言葉、有難く存じます。」
「その支援に関して、各方面に補給倉庫を建てる話を進めていると聞きました。」
「はい。」
「確かに倉庫はあると便利なものです。ですが無くても北方への支援は出来たでしょう。」
レイヒルフトの口調に責める色は一切無かった。故に聞く側の緊張があった。
「なぜ建てられるのか、お聞きしてもよろしいですか?」
「はい、それは。」
アウルスはレイヒルフトの瞳を見て応えた。努力が必要だった。
「内戦にせよ、内戦後の混乱とオスミナ紛争にせよ、此度の戦争にせよ。」
レイヒルフトはあの瞳でアウルスを見返しながら聞いた。
「少なくとも北方に関する限り、問題なのは物資の多寡ではなく、物資の流通にあると考えたからです。」
「なるほど。」
静かにレイヒルフトは答えた。
「ユリウス・マクシムス公から、貴方がこの戦争の後の事も考えていると聞きました。」
「はい。」
「皇太子補佐官として、貴方が帝國の将来について考えているのは嬉しい事です。」
「はい。」
「しかしながら、一部とはいえ帝國軍の兵站を担うのは重い負担である事でしょう。ですので、貴方の一門の軍勢の帝國軍への更なる統合を進めるべきかと考えます。」
「はっ。」

来た。

「また、貴方がユリウス・マクシムス公に仰られたとおり、その倉庫を管理する会社は出資者を広く募るべきだと思います。」
「それに関しましては、経営にも関わる大口の出資者として副帝陛下にご紹介頂きたい方がございます。」
「ほう。」
レイヒルフトの瞳の色が、若干変化した。
「どなたの事でしょうか?」
「コケイウス・マルサス伯爵家。」
レイヒルフトの顔に、微笑みが浮かんだ。
「なるほど。」
「ご紹介頂けますでしょうか?」
「構いませんよ。」
レイヒルフトは優しいと表現してよい顔つきになってアウルスに答えた。
「有難うございます。」
アウルスは、座ったまま深々と頭を下げた。
「近いうちにご紹介しましょう。出資額等についてはその際にまた。おお、そうです。以前頂いた蜜香紅茶をその際持ってきていただけますか?」
「喜んで。」
頭を下げたまま、アウルスは答えた。
「それとオスミナへ一門の軍勢を出して頂けるとか。妹を嫁がせた身としてお礼を言います。」
「勿体無い御言葉です。兵も奮起する事でしょう。」
「それでは、これで失礼致します。今日は突然失礼しました。」
「ははっ。本日はお越しになられました事、有難うございました。お見送りさせていただきます」
レイヒルフトは立ち上がって特別室を出て行き、アウルスはその3歩後ろを歩んでついていった。
そしてレイヒルフトが玄関を出て馬車に乗るのを、再び腰を深く折って見送ろうとした。
その時。
「アウルス・ヴァレリウス・ロムルス宮中伯。」
馬車へ乗り込もうとしたレイヒルフトが振り返って尋ねた
「はっ。」
アウルスは腰を折ったまま答えた。
「貴卿に、婚姻のご予定はありますか?」
「残念ながら、今だ良縁に恵まれずにおります。」
「そうですか、わかりました。」
そう言うとレイヒルフトは黒い、巨大な馬車に乗り込み、玄関前から前庭を通って正門を通り出て行った。
アウルスはその馬車の気配を自分が感じ取れなくなるまで、ずっと腰を折って礼の姿勢のままでいたが、ようやく体勢を戻すと、屋敷の正門をどこか遠い目で見つめた。
これが帝國なのだ。
自分の目的は単に、皇太子補佐官として帝國にささやかなりとも貢献し、ついでにこの戦争で一門が費やした費用を後々回収する事。後は若干の感傷を満たせれば良いだけだった。
だが副帝陛下がいる限り、決してそれでは済まないともわかっていた。
なら答えは一つしかない。思う通り動くだけ動いて、彼が来たら下駄を預けてしまうのだ。それで自分の考えが少しでも通り、帝国内部で利が周り、一門の出費が有効活用され、そして飢える人が減るなら、ユリウス・マクシムス公に言ったように気にはならない。
今の自分ではあらゆる点で副帝陛下に比ぶるべくも無い。
だからベルグルンド公への敬意も本物だ。副帝陛下の政敵でありながら、数々の事態を潜り抜けて一向に滅びぬあの手腕は特筆に価する。
だが。
だが。
今のままではいられない。いるわけにはいかない。
私は皇太子補佐官だ。いつまでこの地位にいるかもわからない。カタリナ殿下の即位の可能性を示唆するだけでも不敬の罪に値するかもしれない。それに即位された時に私が殿下のお側にいるかわからない。
それでも。
それでも、なお。
「私は彼を越えたい。」
小さく呟く。誰にも聞こえないように。
「私は自分が流す血の量に値する事をしたい。」
再び小さく呟く。誰にも聞こえないように。
「彼が私に、人々に見せたもの、これから見せるもの。それを越えるものを世界に見せたい。」
三度小さく呟く。誰にも聞こえないように。
大それた野望だ。自分でも笑って投げ捨てたくなる、子供じみた夢だ。
だが、それでも。
「アウルス様。」
背後からマリエスの声がする。私は空を見上げる。星々が光る夜空を。
「アウルス様。」
再びマリエスの声がする。私は空を見上げ、星々の海に思いを馳せる。
「マリエス。皆にも伝えておいてくれ。」
「はい。」
しっかりとした答えが帰ってくる。
「この戦で死ぬ事は許さない。絶対に帰って来なさい。」
「はっ。」
背後で姿勢を正す気配を感じながら、私は宇宙へ右手を伸ばし、指の間から星々を見る。
どうせ野望(ゆめ)を見るなら、見果てるまで見たいではないか?

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蛇足な補足
ヴァレリウス一門にとって、軍から北方戦争絡みの役割分担の話が来た時点で、オスミナはワンオブゼムというか、「一応保険掛けておく」程度の優先順位でしかない。

そしてオスミナ派兵問題が発生して、悠陽様がベルドに相談した蟹様の文章を見て考える。
「この手の話で、悠陽様がデギン公に何も話してないって事は無いよな。」
「そういえばベルドいるなら、部下にバグナードもいるんじゃないか?」
「フェルヌスはオスミナとかどうでもいいかもしれないけど、DIO様の動きに何もしないって事はないよなあ。」

結果として、デギンはギレンに話を振り、バグナードは(原作では本気で忠誠を誓っていた)ベルドが悩んでいるなら自分に何か出来ないかと考え、フェルヌスはシュネルマヌス一門とオスミナ救援軍で張り合えそうな一門を探すと判断。

かくしてギレンはケイロニウス一門と縁の深いヴァレリウス一門に話を振り、バグナードは魔導と縁の深いヴァレリウス一門に話を振り、フェルヌスはそれなりに力があって、かつ知己のある宗主代理がいるヴァレリウス一門に話を振る。
ギレン・バグナード・フェルヌスはそれぞれ何か対価は示したんだろう。バグナードに関しては魔導で彼の協力が得られるなら美味しいとは思う。

かくしてアウルスはオスミナ救援軍に兵を出す事になり、それ絡みでまた色々動いたら悪党の注意を引いて(それ自体は彼自身薄々わかってたが)たっぷりと可愛がられましたとさ。


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蛇足な補足2(作中登場人物の元ネタ)

プリムス・ゴップス:ゴップ(機動戦士ガンダムORIGIN)
アレクサンドル・カゼルネス:アレックス・キャゼルヌ(銀河英雄伝説)
ギレニウス・ケイロニウス・ガリウス:ギレン・ザビ(機動戦士ガンダム)
バグナルドゥス:バグナード(ロードス島戦記)
フランシス・テリエル・ミカエル:フランソワ=ミシェル・ル・テリエ(史実の人物。フランス陸軍大臣。通称ルーヴォワ侯)
ヴァシレイア・カエリウス・マケドニア:四条貴音(アイドルマスター)及びバシレイオス2世ブルガノクトロス(史実の人物。ビザンツ帝國皇帝)
メリディエス・イグネウス:サウス・バニング(機動戦士ガンダム0083)
ヘンリクス・トゥール=アヴェルニア:アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(史実の人物。フランスの軍人。通称テュレンヌ)
エリュトリア・ヴァレリウス・アトスリュア:アトスリュア・スューヌ=アトス・フェブダーシュ男爵・ロイ(星界の戦旗)
ユラキス・ヴァレリウス・ロムルス:コウ・ウラキ(機動戦士ガンダム0083)


どんなキャラを入れていいか分からなかったし思いつかなかったし、オスミナ救援軍があまりにも酷い有様だったので、頼れそうな人を一杯呼んでみました。

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最終更新:2013年05月01日 22:11