観測断片07 「大ガイユス」

屋敷にレイヒルフトが訪れた翌朝。
払暁と共に屋敷を出発したアウルスは参謀本部へと向かった。
軍らしく、早朝でも本部の庁舎には人がいた。待たされる事無く会う予定の相手へ通された。
「早くからすまぬな。」
ゼノン・シリヤスクス・ガイユス参謀総長。通称大ガイユス。現在の帝國における元帥の筆頭とみなされている。
早朝にも関わらず彼は出勤してきていた。そして聞いた話では、部下は帰らせて最後まで残っている事もしばしばだという。
「かまいませぬ、仕事柄早起きには慣れました。」
敬意を込めた笑みを浮かべつつアウルスは答えた。皇太子補佐官就任から今日まで、無定量の勤務に服しているのは彼も同じだった。
「そうか。」
そんなアウルスの答えに微かに笑みを返して、大ガイユスは仕事机から立ち上がると、総長室に隣接している応接間へとアウルスを案内した。
二人の後ろに、従卒が部屋に食事を載せた台車を押して入ってくる。
「使いの者にも伝えさせた通り、最近は朝食をこの時間に取るのでな。貴公も共にどうかと思ったわけだ。」
「有難く頂きます。」
この二人にはちょっとした繋がりがある。他の内戦当時の軍司令官同様、大ガイユスもアウルスを偵察任務に使った事があるのだ。
また“クルル=カリル”配備前は、帝國にとってアウルスの“デインデ・ヴァレリウス”を使う事が機密を保ちつつもっとも早く文書を輸送する手段の一つだった。
このためアウルスは数度、命を受けて帝都から東方へと飛び大ガイユスに荷物を渡した事がある。荷物はおおむね物理鍵と魔導鍵が双方掛かった箱で、もちろんアウルスは中を見た事が無い。ただ重いものではなかったので、おそらく文書類だったはずだ。
基本的にはレイヒルフトが大ガイユス(場合によってはエドキナ大公にも)に送り、相手が箱の中身を処理した後で(多分返事を書いたりして)アウルスに箱を渡して返す。そのため、アウルスには通常休息を取る時間があった。
ただ、一度だけ大ガイユスが「VRQC(ヴァレリウス・ロムルスを可及的速やかに、という単語の略称)」という緊急通信を送って来た時があり、その時は全速力で帝都と東方を往復した記憶がある。
応接間で大ガイユスと共に従卒から配膳を受けている間、アウルスはそのような事を思い出していた。今となっては、内戦も随分と前の事に思えた。
従卒が部屋から出て行き、二人だけになると、大ガイユスがアウルスに言葉を掛けてきた。
「副帝陛下からもお聞きした。ヴァレリウス一門がオスミナへ兵を出してくれるそうだな。感謝する。」
大ガイユスはアウルスへ向かって深々と頭を下げた。
「元帥閣下、頭をお上げください。私は単に務めを果たしただけです。」
軽い驚きを覚えて椅子から立ち上がると、アウルスは目の前で頭を垂れている獅子に頭を上げてくれるように頼んだ。
「そうか。」
大ガイユスは頭を上げると椅子に座り、アウルスにも座るように薦めた。食べ始めてよいという意思表示なのか、茶にも口をつける。
「だがオスミナのために、貴公はこの情勢下で軍勢を出してくれた。それもベルグルンド公に頭を下げて小麦を調達したと聞く。」
「あれは、帝國軍用も兼ねていますので。」
レイヒルフトに会っていた時とは別の緊張感を感じつつ、アウルスは食器を手に取り、皿の上の朝食の一品、ソーセージを切り始めた。
軍人らしく、元帥という身分を考えると簡素だが量はたっぷりある、大ガイユスの年齢を考えると一般人ならば食べすぎを心配されるような食事だった。
「帝國軍の兵站の支援を命ぜられた以上は、政治的ゲームでそれに支障をきたしたくはなかったのです。」
「なるほどな。」
大ガイユスは頷きながら、皿の上の卵焼きを一口で飲み込んだ。
「そう考える辺りが、貴公がその仕事を任された所以であろう。」
「はあ。」
アウルスはどうにもくすぐったい感じがした。
「それに私は閣下から感謝されるような立場ではないのです。」
アウルスは茶に口をつけたあとで言った。
「オスミナ方面の拠点ではなく、カルマル王国方面の拠点の整備を優先したのは私です。もしオスミナ方面にもっと力を入れていれば、帝國軍の部隊をもっと大量に送り込めたかもしれません。」
大ガイユスは首を振った。
「その件ならば知っている。あの当時の戦況では当然であろう。それに貴公のその決定を最終的に裁可したのはわしだ。」
「はい。」
「だからその件で貴公を責めるつもりは無い。それにそれ以前がどうあれ、オスミナへ派兵してくれるというのであればそれで十分だ。」
「はい。」
思わず、『あと一ヶ月あれば』と言葉が出そうになる。
そう、あと一ヶ月あれば拠点を更に整え兵站部隊の増援を送り、帝國からオスミナへの兵站路も大規模に開設できた。そうすれば水路と併用でもっと大規模な部隊でも支えられたかもしれない。
だがその想像には意味が無い。現状の戦況で一ヶ月は永遠に等しいし、そのような状況になったら恐らくフィンゴルド軍は撤退しているだろうからだ。
「バグナルドゥスから話を聞いた時から、貴公には礼を言うつもりであったよ。恐らく、貴公の一門の軍勢が救援軍の背骨となるだろう。」
「有難い評価です。部下も奮い立つでしょう。」
「貴公が内戦で北方と浅からぬ縁が出来たのは知っているし、それを利用するようですまぬが、一時はどうなるかと思っていたのでな。」
「……ポリトリコスとシュネルマヌス。指揮官がケイロニウス。それにグラックスの援軍。それほど悪い軍勢とは思えませんが。」
アウルスがいささかの疑問を持って尋ねた。
彼が貴族として持っている知識で言うと、シュネルマヌスは豊かで強大な軍勢を抱えているし、確かにポリトリコスもグラックスも懐は苦しいが、持っている軍は中々のもののはずだ。それをケイロニウスの将軍が束ねるというのも、格としては差し支えない。
「確かに言葉の上ではな。だが彼らには今の戦争を勝つ上で必要なものが欠けている。貴公にもいずれそれが分かろう。」
「……内部での人心の和に問題が?」
アウルスは尋ねた。貴族の寄り合い所帯の軍勢なら珍しくも無い話だからだ。
「それもある。だがそれだけではない。彼らが何よりも貴族であるのが問題なのだ。」
大ガイユスの言葉にアウルスは考え込んだ。
「貴公も貴族であるし、こればかりは口で言っても中々分からぬであろう……かつてはわしもそうだった。内戦の時はどこの貴族の軍勢を見た?」
大ガイユスは牛乳を飲み下しつつ尋ねた。
「自分の一門はもちろんそうですが、他の諸侯の軍勢ですと……。」
思い出しつつアウルスは答えた。
「まず敵側ではアドルファス一門とその他北方諸侯、それに教会軍。実は反乱側だった時のユリウス一門も。」
指を折って数えつつアウルスは答えた。
「味方ではシリヤスクスにカストレウスにシュネルマヌス、無論ケイロニウスも。それとセルウィトスにユリウス・マクシムス公の時のユリウス一門の軍勢も。」
「なるほどな。わしの考えた通りか。」
「とおっしゃいますと?」
「貴公が見たのは貴族の軍勢ではない。今貴公があげた『諸侯の軍勢』とはつまり、北方軍と東方軍と西方軍と近衛軍と南方軍だ。近衛軍の予備として扱われていた貴公の一門の軍勢もこの範疇に入れてよかろう。」
「――ああ。閣下が仰られたい事が分かった気がいたします。」
アウルスの言葉に大ガイユスは頷いた。
「貴公が挙げたのはいずれも東方の諸侯か、貴族というよりは大貴族の更に上に属する、他国で言えば王の中の王といってよい規模の一門の軍勢だ。普通の王国ならどれほど強大でも貴族が十万の兵を動員するなどありえぬ。だが内戦中、北方はどれほど動員した?」
「正確な数は分かりませんが、総数ではそれを遥かに超えていたはずです。」
「そもそも辺境侯などという爵位は帝國にのみ存在する。例えばかつての北方辺境侯がゴーラ帝國に赴いた時は大公としての礼を受け、これでも問題になりかけたと聞く。」
「はい、確かに。」
「元々帝國の各一門は機神を有しているが故に他国での王国に匹敵する権威を誇るが、今貴公が挙げた一門はその中でも質量ともに別格だ。そして帝國の貴族のほとんどは、たとえ一門の規模であっても彼らのようではない。」
「つまり、同じ『一門の軍勢』でも、質は異なると。」
「そうだ。それは兵の錬度もさることながら、彼らのあり方に問題がある。彼らは兵士や将校であるまえに、一門のものや貴族である事を優先する事が多々あるのだ。」
「そして身分開放令もあわせて考えるならば、今の帝國軍が求めているのは、たとえ身分が何であっても軍人という職業への忠誠意識を持った者である、という事でしょうか?」
「しかり。故にアル・カディア戦役でも、此度の戦争でも貴族軍を前線から外さねばならなかった。そして帝國軍のみで戦った。」
「……この戦争でも、我が軍は今まで前線に出ていません。イル・ベリサリウス、サウル・カダフ両元帥からは、『これは信頼の証だ』とのお言葉を頂きましたが。」
アウルスはあまり彼らしくない濁した口調で言った。
「私が前線に出る事が無理であろう事は承知しておりました。ですが正直に申し上げますと、一門を預かる身として一門の者に武勲を立てさせてやりたいという思いはありました。またアル・カディア戦争の時はともかく、今回一門の説得にはそれなりの労を費やしました。内戦の例があるとはいえ、あの時は実戦部隊が前線まで出て行きましたので。」
「そうであろう。だがこの流れは止められぬ。そしてそれはゆくゆくは東方諸侯と言えども例外ではなくなるのであろうよ。」
大ガイユスはアウルスを労わるように、そしてアウルスの目が曇っていないのなら、微かに寂しげに告げた。
「その意味で貴公の一門は幸運とも言える。これからの帝國軍は物資をますます必要とするであろうし、その中で『兵站など功績に値しない』と考える馬鹿は出世出来ぬであろうしな。」
「実は今回閣下にお会いする件に関しましては、それへのお願いもありました。」
アウルスは食事する手を止めてじっと大ガイユスを見つめた。
「『兵站の支援』が『信頼の証』であるのならば、一時は不眠不休で前線の帝國軍兵士を支えた我が一門の兵士達にも正当な評価と賞勲をお願いいたしたく存じます。」
両手の食器をテーブルの上に置くと立ち上がり、アウルスは大ガイユスに頭を下げた。
「私はもう、十分に帝國から賞された身です。なにとぞ私の分も、部下に報わせたく存じます。」
「未だこの戦争は終結しておらぬ。故に軍人として終わった後の事の話は口に出来ぬが。」
大ガイユスは、その職にふさわしい威厳と共に答えた。
「参謀総長としては、兵站への貢献は十分に功績に値すると考える。……席に座られるが良い。」
「ははっ。」
アウルスは頭を上げると席に戻った。
気がつけば、二人の前にあった朝食はあらかた消えていた。
「……この後はどうするのだ?」
食後の茶を飲みつつ大ガイユスが尋ねた。
「まずは皇太子殿下の下へ。次にオスミナへ出立する予定の我が軍の視察を済ませ、その後ケイロニウス・イリュリア公及びケイロニウス・クレムディウス将軍とお会いするつもりでおります。」
「そうか。」
大ガイユスは頷いた。
「皇太子殿下に、大ガイユスがよろしく言っていたと申し上げてくれ。」
「お伝え申し上げます。」
「今日はいい機会であった。最近一人で食う事が多かったのでな。」
「小ガイユス将軍とはご一緒されていないのですか?」
「あれはもう結婚したし、住まいも別だからな。義娘は気遣って誘ってくれるが、夫婦の場を邪魔するわけにも行くまい。」
「……お叱りを承知でお聞きしますが、親しい女性はいらっしゃらないので?」
真面目な顔でアウルスが聞くと、大ガイユスは愉快そうに笑った。
「あいにくおらん。貴公こそ一門を預かる身として早く結婚すべきではないのか?」
「これは失礼をば。昨日副帝陛下から同じ事を聞かれました。」
「ほう、そうか。」
大ガイウスは答えると茶を飲み干して立ち上がった。アウルスも立ち上がると、大ガイユスに促されて応接間を出た。
「では失礼いたします。今日はご馳走いただき有難うございました。」
「うむ。貴公がケイロニウス・イリュリア公と会われる時に、わしも同席する事になるだろうが、話は公と貴公でされるがよい。」
「かしこまりました。」
「ヴァレリウス・ロムルス侯。」
「はっ。」
大ガイユスの声には、背筋を無意識に立たせる何かが含まれていた。
「…………。」
だが大ガイユスはその次を言う事無く、一瞬瞑目すると。
「ご苦労であった。」
そう告げて、仕事机に戻っていった。
そしてアウルスも一瞬だけ、帝國で軍人として位人臣を極めた男の背中を眼に焼き付けると、一礼して執務室を去った。

アウルスは参謀総長の執務室を出た時一瞬振り返り、そして再び歩き始めた。
あの最後の時、大ガイユスが何を言いたかったか。それぐらいの事はわかる。
あの時「オスミナを(あるいはオフィーリア王妃を)頼む」と一言言われていたら、アウルスは即座に承諾しただろう。
そしてこの戦争が終わった後も、大ガイユスが逝った後も、男と男の約束として与う限りこれを守ろうとしただろう。彼にもそれはわかっていたはずだ。
だが彼は言わなかった。
何故か?アウルスに完全に理解する事は出来ない。だがこれだけは言える。
あの偉大な男の、あれほど無念の表情を見たのは、多分私だけだ。
「(約束ではなく、個人的な誓いになるが)」
報いを。
あの偉大な獅子に、どうか正当な報いを。
そして、あの偉大な男に無念さを刻み込んだ者達にも、正当な報いを。
「(必ず再び、ゴーラを叩く)」
参謀徽章をつけた誰かが、驚いた顔をしてこちらを見ながらすれ違う。
「(フィンゴルドは、歴史にする)」
肩に星をつけた将官が思わず足を止めた。そのまますれ違う。
「(そしてオフィーリア姫を一度でもいい、帝都へ再びお連れする)」
例えそのために、オスミナ王国が消滅するとしても。
その時は、共に大ガイユス元帥の下へ向かう事をお許し願おう。
そしてもちろんこれの為に、帝國貴族としての義務を放棄する事は出来ない。
「(出来るかどうかわからない目標が増えたな)」
内心で苦笑する。
だが後悔は無かった。微塵も無かった。
あるとすれば、大ガイユスに対する些かの謝罪の念だけだ。多分彼は、このような事を望まないからこそ、何も言わなかったのだから。
自分の考えを知ったら激怒するかもしれない。勝手に相手の感情を慮ったようなものだからだ。
幸運な事に自分は大ガイユスの怒りに触れたことは無いが、もしそれを知った時震え上がらないという確信は無い。
それでも。
あの顔を見てしまった以上、見なかった事にする事は出来ない。
あの偉大な男にあんな表情をさせた者たちを、許す事は出来ない。
多分。
それを許す、自分が許せないだけなのだとしても。
「(私は……意外と自己本位だったのだな)」
そう考えながら参謀本部の正面玄関から出ようとした時。
「ヴァレリウス・ロムルス候。」
玄関の階段を上がってくる人影から、聞き覚えのある声がした。
「これはイル・ベリサリウス元帥。」
一礼して、挨拶をする。
「早朝からご苦労な事だ。オスミナ救援軍の件か?」
「はい。本決まりいたしましたので大ガイユス元帥の下へ挨拶に。」
「そうか。」
セルベニアはアウルスの顔をじっと見つめると、一言言った。
「顔が変わったな。」
「顔、ですか?」
アウルスは首を傾げて尋ねた。
「ああ、少なくとも今の候の顔はこの戦争が始まる前より――」
一度言葉を切ると、彼女はアウルスの瞳を見て言った。
「危険で、魅力的だ。」
「…………。」
一瞬の沈黙の後、アウルスは微笑むと。
「有難うございます。」
人を蕩かす、背筋を柔らかく撫で上げるような声でそう言うと、再び見事な礼をした。
そして微笑みと共に、参謀本部を後にしたのだった。

なお。
「参謀総長の執務室からヴァレリウス・ロムルス候が何か覚悟を決めた顔をして出て行った」という噂はその日の午前中には本部に広まる事になるが、それはまた別の話だ。

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最終更新:2013年05月01日 22:14