あらすじ
URAファイナルズをメジロドーベルとともに制したトレーナー。理事長室に呼び出しを受けた帰りにタキオンの研究に付き合わされたところ、なんと体がウマ娘に……?
主要な登場人物
+ | メジロエスキー |
メジロドーベルのトレーナー。
アグネスタキオンのクスリを飲んでウマ娘になってしまった。 |
+ | メジロドーベル |
メジロ家のウマ娘。
SS開始の時点でトリプルティアラ・阪神JF・エリザベス女王杯(連覇)・URAファイナルズ優勝まで達成している。 |
+ | アグネスタキオン |
己の研究で速さのその先を目指す、マッドサイエンティストチックなウマ娘。
開発中のクスリを飲ませたメジロドーベルのトレーナーがウマ娘になってしまい、お話に巻き込まれる(巻き込む?)ことに。 |
本編
+ | 序章① |
「ねぇ、そこに座っているあなたは誰……?」
「え、オレは君の──」 「えっ、でもあなたウマ娘でしょ?」 「な、なにを言ってるんだドーベル。そんなこと……え……うそ……だろ……?」
──話は少し前に遡る。担当のメジロドーベルがURAファイナルズで優勝した功績で担当ウマ娘を増やすよう理事長からお願いされたものの、どうしたもんかと考えながらトレーナー室へ帰る途中、
「そこのトレーナー君、ちょうど良いところに来てくれたじゃないか」
と怪しげな瞳をしたウマ娘に声をかけられた。
「えーっと、君は確かアグネスタキオンだったか? 変な実験しているせいで生徒会から目をつけられているっていう噂の」
そうこのアグネスタキオンというウマ娘、超光速とまで呼ばれる脚を持ちながら模擬レースにすら参加せず、退学勧告を受けるほど怪しげな研究に没頭していたらしいと同僚から教えてもらった。今はトレーナーも付き、レースにも参加しているとのことだ。
「人聞き悪い言い方をするねえ君は。私はただ速さの果てに何があるかを見たいだけなんだよ。で、君、今少し時間はあるかな?」
「まだ時間はあるけど、もしかして実験に付き合えって言うじゃないだろうな? そういうのは自分のトレーナーにお願いすればいいじゃないか」 「モルモッ……私のトレーナー君にも飲んでもらったんだが、サンプルは多いに越したことはないからねぇ。少しだけでいいから付き合ってくれよー ほらほら、飲んでくれたまえ」 と謎の液体が入ったビーカーを押しつけてくる。まあ何かあったらトレーナーに責任を取ってもらえばいいかと思い、 「今回だけだからな」 と一気飲みするが────
「これでいいのか? 何も起こらないぞ」
体は光らない。倒れることもない。 「おや、入れる材料を間違えたかな? まあいい、何か体に変化があれば伝えてくれたまえ」 と、タキオンは少し残念そうに去っていった。
「結局なんだったんだ……まあトレーニングメニューと次のレースについてはまとめてあるし、あとはドーベルを待つだけだな……ってふわぁ……」
と、トレーナー室に戻り資料の確認をしていると突如眠気が。
「さっきのアレの効果が出てきたのか。まだドーベルが来るまで時間あるし、ソファーで少し寝るか……とりあえず適当にタイマー設定してっと……寝てる間にドーベルが来ませんように」
このとき体が光るレベルではないとんでもないことが起こっていることをオレは気づかず眠るのであった……
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+ | 序章② |
ピピッピピッ────
もう起きろと言うようにアラームが鳴り出すが、 「まだ眠いからもうちょっと寝させて……」 と寝ぼけ眼でアラームを止め二度寝を始めるオレ。実はこの時にはもうウマ娘となっていたのだが。
コンコンッ「トレーナー、遅れちゃってごめん。急いでトレーニングを……っていない?」
誰かが部屋に入ってくる音が聞こえる。たぶんドーベルだな。もう少し寝ていたかったなと思いながらも体を起こす。ん? 何かいつもより目線が低いような?
「お疲れドーベル。少し遅かったけど何かあったのか?」
といつものように声をかけたはずが、
「ねぇ、そこに座っているあなたは誰……?」
と怪訝な顔で変な返事をされた。 「何かの冗談かドーベル。オレは君のトレーナーじゃないか」 と返すとさっき以上の怪訝な表情で 「えっ、でもあなたウマ娘でしょ?」
……意味が分からない。ドーベルは一体何を言っているんだと思い、スマホの画面で今の自分の顔を確認すると、
「え……うそ……だろ……?」
そこには自分の顔ではなくウマ娘の姿が写し出されていた……
「それであなたは誰なの? トレーナーの知り合い?」
「知り合いじゃなくてオレがトレーナーだ。タキオンの実験に付き合っただけなんだって」 「タキオンさんならあり得るかも……じゃああなたが私のトレーナーって証拠を見せて」
証拠と言われると厳しい……クリスマスにもらったブローチは置いてあるし、2人で行った遊園地のチケットなんて確固たる証拠にはならない。
「物はないが、2人しか知らない思い出とかでもいいか?」
「それなら、まあ……」 「休日一緒にべじキャロリンの映画観に行っただろ? あと夏合宿の時ドーベルの弟妹のために写真いっぱい撮ったりしたよな。クリスマスの時は───」 と思い出話に耽っていると、赤い顔したドーベルに 「ああ、もうっ! 分かった、分かったから!」 とせっかくの昔話を遮られてしまった。
「とりあえず責任はタキオンさんに取ってもらうとして……トレーナーすごく可愛くない? 目もこうくりっとしてるし黒い髪も綺麗だし。私より小さいからなんだか妹がもう1人できたみたい」
「そ、そうか? よく自分では分からないんだけど……」 「こんなに可愛かったら私も……ってそうじゃなくって。ねぇトレーナー、今日私外泊届出すからさ、一緒にメジロのお屋敷に来ない?」 「……なんでいきなりそうなるんだ?」 「だってトレーナー、女性用の服とか下着とか持ってないでしょ? 校門まで車で迎えに来てもらうように連絡したから、とりあえず今日のところはさ」 「ドーベルがそこまで言うなら……」 と押し切られる形でメジロのお屋敷へのお泊りが決まり、お迎えの車に乗り込むことになった。
……車の中でドーベルが「よし、昔買ったけど着れなかったあの服をなんとかして着てもらって、あとはイラストのモデルに……」とブツブツ呟いていたことは聞かなかったことにしよう……
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+ | メジロ家お屋敷編① |
「やっぱりメジロ家って凄いなあ」
メジロのお屋敷に着くやいなや、ドーベルに「ここで待ってて」と放り込まれた部屋の広さに驚く。 「天蓋つきのベッドにウォークインクローゼット……オレの一人暮らしの部屋とか比べ物にならないな」 と部屋を見渡していると姿鏡を見つけたので、そういえば体全体がどうなっているか見ていなかったなと近くまで行ってみると、 「何この可愛いウマ娘……本当にオレなのか?」 若干幼さが残るが綺麗な顔立ち、頭に生えた2つのウマ耳、長く綺麗な黒い髪と尻尾。あとはなんといっても、 「背が縮んだけどその分出る所は出てるなあ…それも凄く」 目線から考えるに20cmは縮んだであろう身長、ただその栄養が全て女性的な部分に変換されたのではと思わせるバストとヒップ。もちろん腰はギュッと締まっている抜群のスタイル。
「タキオンに感謝しないとな。もちろん責任は取ってもらうけど」
鏡に向けていろいろとポーズをとってみるだけに飽き足らず、 「こんな思いははーじめてー」 調子に乗ってうまぴょいうまぴょいしていると、
「トレーナー、入るよ……って、何してるの……かわいい……」
とドーベルに恥ずかしいところを見られてしまった。
「えーっとだな、ちょっと興に乗っちゃって……」
と見苦しい言い訳を繰り出すオレ。ただドーベルは、 「ねぇ今度はさ、曲に合わせて踊ってくれない? もちろん歌つきで」 とスマホをこちらに向けて言ってくる。いつもとキャラ違わない? 「もしかして……撮るの?」 「……ちょっと今描いてる漫画に必要でさ」 目を逸らしながら言い訳っぽいことを言うドーベル。かなり疑わしいが、 「1回だけだからな?」 「ありがとうトレーナー。じゃあ曲流すよ」
───────
「ふぅ、やっぱりこの曲疲れるな……」 「よし、じゃああとはグループに投げて……よし」 ん? ちょっと今聞き捨てならない単語が聞こえたような? 「ドーベル、今もしかして……」 「あぁー、間違ってライアンたちに動画送っちゃった。あ、もう反応が来てる」
『この可愛い子だれ???』
『ドーベルだけで独り占めなんてズルいですわ!』
「明日お屋敷に来たら会わせてあげるね……っと」
「おい、まさか……」 「明日ライアンたちお屋敷に来るから、服も考えないといけないね」 「もしかしてそれが目的だったのか……」 ドーベル、恐ろしい子…! 「トレーナー、私たちが髪とかしっぽどう手入れしてるか知らないでしょ? 一緒にお風呂入ろうって誘いに来たのにトレーナーが踊ったりしてるから、ついね?」 「本当今回だけだからな……ってお風呂!?」 大丈夫? ○刑では? 「とりあえず早くお風呂行こっ」 抵抗も叶わずドーベルに腕を掴まれてお風呂へ連行されていく。ドーベルはオレが元々男だって忘れてない? |
+ | メジロ家お屋敷編② |
ポタッポタッ─────
「(いきなり一緒にお風呂なんて大胆すぎたかな…でもいいつかは……)ってそうじゃなくて!」 「いきなり大声は滑りそうになるからやめて……ただでさえ目開けられないのに」
お屋敷のお風呂、というか大浴場に問答無用で連行されたオレは今ドーベルに髪の毛を洗ってもらっている。お湯が耳に入らないように丁寧にしてくれる上にこう洗うんだよと教えてくれてはいるんだが……
(後ろにはタオル1枚だけ巻いたドーベルがいるし、自分自身もウマ娘だから女の子の体してるから見てられないし……) 「……それでお風呂出たら乾かし方とかトリートメントの、ってトレーナー聞いてる?」 「ごめん……全然聞いてなかった……」 「もうっ、毎日一緒になんて入ってあげられないんだからちゃんと聞いてよね。じゃあ次はしっぽの洗い方だけど……」 「ひゃああああ! いきなり触らないで!」 「触らないと洗えないでしょ! ほら暴れない!」
─────
「とりあえずこれで一通りできたでしょ。トレーナーが何回も大きな声出すからメイドが駆け込んで来た時はびっくりしたけど」 「だってドーベルがいきなりタオル外して体洗おうとするから……」 ドーベルと並んで湯船に浸かりながら語ろう私たち。最初は恥ずかしかったけど今はもう大丈夫になったかも。 「じゃあ明日は朝ごはん食べたらおばあさまに挨拶ね。そのあとメジロのみんなが来るまで私の用事に付き合ってもらうから」 「おばあさまかあ……初めて会うからちょっと緊張しちゃうな……」 「トリプルティアラ達成した時とかURAファイナルで優勝した時とか何回も会ってるでしょ? 覚えてない?」 「そうだったっけ? ちょっと覚えてないかも…」 「まあこの姿で会うのは初めてだしね。怖そうに見えるけど優しいから大丈夫」 「なら良かった……」 「とりあえず長湯しすぎても良くないしもう出ちゃおっか。一緒にご飯食べたら私の部屋で寝よ?」
───
「じゃあ電気消すからね」 「お風呂だけじゃなくて寝る時も一緒だなんて……緊張して眠れそうにないかも……」 「横になって目閉じてたら大丈夫だよ。じゃあおやすみなさい、トレーナー」
やっぱりすぐ隣にドーベルがいるから緊張しちゃうけど、言われたとおりに目を閉じていると徐々に眠りに落ちていった……そういえばドーベルが言ってたトレーナーって何のことなのかな……?
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+ | メジロ家お屋敷編③ |
ピピピッピピピッ─────
翌朝7時、アラームが鳴る。 「ほら、もう朝だから起きて」 「ふわあぁ〜……あと5分……」 「だーめ。朝ごはん食べたらおばあさまに挨拶するんだから」 「えぇー、姉さまのいじわるぅー」 「こら、抱きつかない。甘えない。早く離れてよ……って姉さま?」
何かの聞き間違いかもしれない。当たり前だけどトレーナーから「姉さま」なんて呼ばれたことはない。親と話しているところを聞かれて「ベルちゃん」って1回呼ばれたことはあるけど、その時以外は専ら「ドーベル」って呼んでくれているのに。
とりあえず念のため聞き返してみると、
「えっ? 姉さまは姉さまですよね?」 聞き間違いではなさそう……もしかしてタキオンさんのクスリのせいで記憶が曖昧に? もしかして私が考えてるより大変なことが起きてるんじゃ?
そう物思いに耽っていると、
「ねえねえ姉さまどうされたんですか? 考えごとですか?」ギュー 「もう、いい加減離れてよ……」 流石に抱きつかれてる上に上目遣いでジッと見つめられたままじゃそう考えもまとまらない。というかこの柔らかい感触、やっぱり私より大きいような…… 「もしかして姉さま、わたしのこと嫌いになったんですか……うぅ……」ウルウル 「嫌いになるわけないじゃない。むしろ好きになっちゃったっていうかなんというか……じゃなくって! ねえあなた名前は?」 そう聞くと、少し首を傾げながら、 「おかしなこと聞く姉さまですね? わたしはメジロエスキーですよ姉さま」
メジロエスキー。そんな名前は聞いたことがない。小さい頃、ライアンとお屋敷の書庫でメジロ家全員の名が記されている本を見つけ一緒に読んだことがある。もちろんその中にエスキーといった名前はなかったし、大きくなってからも名前を見た覚えがない。
これ以上おばあさまに迷惑をかけたくないけど、こうなったらもう仕方ないよね。
「ごめんねエスキー。ちょっと爺やに電話するから離れてくれる?」 「はーい姉さま」 この子に話を聞かれないように廊下に出てから電話をかける。
プルルップルルッ───ガチャッ
「ねえ爺や。おばあさまはもう起きてる?」 「ドーベルお嬢様おはようございます。えぇ、既に朝食を済ませられて部屋に戻られております」 「じゃあ今から会いに行ってもいいかな? 伝えたいことがあるの」 そう伝えると、爺やは何かを悟ったようで 「何やら事情があるようですね。承知しました。申し伝えておきますので、10分ほどされたらお越しください」 「ありがとう爺や。またあとで」
電話を切ると部屋に戻り、
「ねぇエスキー。ちょっと私用事ができちゃったから先に食堂でご飯食べといてくれない?」 とトレーナーに伝える。 「姉さまと朝ご飯一緒に食べたかったです……」プクー 「もうそんなに膨れないで。終わったら早く行くから、ね?」 そう頭を撫でるとなんとか分かってくれたみたいで、 「早く来てくださいね? 約束ですよ?」 「うん、約束」
────
コンコンッ「おばあさま、朝早くからごめんなさい。とても大事なことが」 「もしかして……連れてきたあの子のことかしら?」 「そうですけど、あれ、タキオンさん?」 一礼した顔を上げるとなぜかタキオンさんが部屋で待っていた。 「やあドーベル、おはよう」 「おはようございます、タキオンさん。もしかしてトレーナーのことで呼ばれたんですか?」 「私も着いたばかりなのだが恐らくそうだろうね。昨日の夜寮へ戻る途中に連絡を受けてね」 「昨日使用人にあなたが屋敷に連れてくる子について調べもらいました。なぜか制服ではなくジャージを、しかも丈が合っていないものを着ている。それだけならあなたが貸しただけとも考えられますが、あなたのトレーナーへの連絡がつかない。聞き取りをしてもらったところ、トレーナーがアグネスタキオンさんから手渡された何かを飲んでいた情報が手に入りました」 え、メジロ家の情報網ってそんなに凄かったんだ……
おばあさまはそのまま、
「それで少し考えづらいことですが、あの子はアグネスタキオンさんが調合した謎の液体を飲んだトレーナーだと結論づけました。合ってるかしら」 「いやあ、メジロ家の主人は発想が柔軟だねぇ。恐らく、ではなく間違いなく飲んでもらったものが原因だろうね」 「それは分かるんだけど、人がウマ娘になるって一体……」 「まず本題の前に、私が元々開発しようとしていたのは、ウマ娘たちの『本格化』を早める薬でね。もちろんドーピングの類ではなく、ウマ娘特有の細胞や遺伝子を刺激して筋肉の発達の促進や心肺機能の増強に繋がるような、簡単に言えば栄養ドリンクのようなものだ。『本格化』を早く迎えるウマ娘が増えるほどより『速さの果て』へたどり着く可能性が高くなるからね。ここまで理解できるかい?」 「ま、まあなんとか……」 「よろしい。それではヒトとウマ娘が生活をともにしてからかなりの年月が経過し、ヒトにもウマ娘の遺伝子や細胞が微量ながら含まれていることは知っているね? 薬を開発していた時このことをふと思い出し、もしかしたらヒトにも使えるのではないかと推測した。そこで私のモルモッ……トレーナーに飲んでもらったら良好な結果が出てねぇ、そこでより広く被験者を募ろうと思って研究室を出た時に出会ったのが君のトレーナーだったということだよ。ただこのような結果になるとは思わなかったが」 「それで元に戻る方法はあるんですか?!」 「少し落ち着きたまえ。可愛い顔が台無しだ。もちろんこのような事態となった責任として解毒薬の研究を進める。ただ開発していたのはあくまでも『本格化』をサポートするものだから、ある程度すれば効果は薄れるはず。だから時間が経てば元に戻る可能性は高いだろうね」 「それっていつになるの……?」 「これも推測にはなるが、『本格化』が落ち着く頃、約3年といったところだろうね。本当に彼には申し訳ないことをしたと思うよ。責任はしっかり取らせてもらう」 「……お願いですからね」
「それでドーベル、私に言いたいことがあるのでしょう?」
危ない、タキオンさんとの話に夢中になって肝心なことを言うのを忘れるところだった。
「あの子をメジロ家で預かることはできませんか?」
「それはなぜ?」 「あの子、自分はメジロだ、『メジロエスキーだ』と言っていました。もしこのまま1人で帰してしまうと、あの子が本当にメジロだと思った連中から守ってあげることができないと思うんです。だからあの子をメジロ家で保護してもらえないかって」 「良いでしょう。学園の方にも転入できるよう伝えておきます。まああの子もあなたを慕っているみたいだし。フフッ、『姉さま、姉さま』って可愛いわね」 え、うそっ、電話越しに聞かれてたの??? 「へえ、『姉さま』ねぇ……良いじゃないか、妹が増えたみたいで」 「タキオンさんからかわないでっ!」 赤くなった顔でそう返すと、 「すまない、冗談だよ冗談。では私は学園に戻ってトレーナー君を元に戻す手段を考えるとしよう。失礼するよ」
「おばあさまごめんなさい。いろいろ迷惑を掛けることになって……」
「良いんですよこれぐらい。トレーナーさんがいなくなって一番悲しむのはあなたなのですから」 「べ、別にそんなこと……でもありがとうございます。失礼します」
もしかしておばあさまに私の気持ち気づかれてるのかな……いやいやそんなこと…… とにかく私ができることはやったし、とりあえずタキオンさんに任せるしかないよね。
……あっ、ご飯一緒に食べよって言ってたのに話長くなりすぎちゃったな……
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+ | メジロ家お屋敷編④ |
拗ねるトレーナーを宥めてから朝ごはんを食べ、今度はトレーナーと2人でおばあさまの部屋へ。トレーナーにはさっきタキオンを含めた3人で話したことは伏せておかないとね。
「お、おはようございます、おばあさま。メジロエスキーです」
「そんなに緊張しなくていいのよエスキー。これからよろしくお願いしますね」 「は、はい!」 流石におばあさまの前だと緊張しちゃうみたい。そういえば担当が決まって会った時もトレーナーガチガチに緊張してたっけ。 「とりあえずあなたは来月からトレセン学園に転入することになります。必要な物は部屋に準備してもらっているから後で確認してちょうだいね。学園のことはドーベル、後であなたから教えてあげなさい」 「はいっ、姉さまと一緒に頑張りますっ! それでおばあさま、わたしも天皇賞制覇を目指せばいいのでしょうか?」 「もちろん天皇賞制覇はメジロ家の悲願です。ただあなたにはメジロ家のもう1つの悲願、日本ダービー制覇をお願いしたいのです。厳しい道となりますが覚悟はありますか?」 「もちろんです、おばあさま。髪の毛1本の差、埋めてみせます」
前にトレーナーが「メジロ家はあと少し、それこそ髪の毛1本の差でダービーを逃してしまったんだ。アルダン、ライアンを以ってしても届かない高く厚い壁。それがメジロ家にとっての日本ダービーなんだ」と言っていたことを思い出す。つまり記憶が消えてしまったけどトレーナーの知識は残ってる……?
─────
「緊張しましたぁ〜」 「おつかれエスキー。ちょっと部屋に戻って休もっか」 「ありがとうございます姉さま。休んだらマックイーン姉さまたちとお茶会でしたよね?」 「元々はその予定だったんだけど、みんなエスキーと一緒に走ってみたいって言ってるけどどうする?」 そう伝えるとトレーナーは目を輝かせ、 「そんな皆さんと一緒に走らせていただけるなんて嬉しいですっ! すぐに部屋に戻って準備してきますね!」 と走って自分の部屋に戻っていってしまった。
「……まあ本当はついさっきアタシからみんなにお願いしたんだけどね」
中央のトレーナー試験は彼の東大の試験より難しいと聞いたことがある。それほどの試験を突破できるほどの知識は間違いなく武器になる。あとはどれほどの脚を持っているのか。アタシだけでも良かったんだけど、より実際のレースに近づけるためにマックイーンたちにも事情を説明して協力してもらうことに。 「アタシもちゃんと準備しなきゃね。あの子の前でみっともない姿は見せたくないから」
─────
「おはよう、ドーベル。言われたとおり準備してきたよ」 「おはよう、ライアン、みんな。無理言ってごめんね」 「私(わたくし)含めみんな走りたかったのですから良いんですのよ。それで例の子はどこに?」 「もうすぐ来ると思う。大丈夫だと思うけど、このことはメジロ家とタキオンさん以外には内緒だからね。トレーナーは海外遠征にって話になったんだから」 「大丈夫大丈夫! 私口堅いからたぶん言いふらさない!」 普通なら大丈夫かなって思うけど、パーマーに話した悩みごとが外で漏れたことはないし、他のみんなも大丈夫だと思う。ほんとにメジロ家でよかったな。
「お待たせしました〜 あ、アルダン姉さま、マックイーン姉さま、ライアン姉さま、パーマー姉さま、ブライト姉さまおはようございます! 今日はよろしくお願いしますねっ」ニコッ
(*1)))))
元々トレーナーだって知らなかったら今すぐギュッと抱きしめたくなる可愛さにみんなやられちゃってる。ま、まあアタシもイラストのモデルとか頼もうとしてたぐらいだし、みんなのこと言えないんだけど。
「ほ、ほらみんな早くコースに行くよっ」
このままだと何をしに来てもらったのか分からなくなるのでメジロ家専用のコースに行くようみんなを急かす。いやほんと可愛いのは分かるんだけどさ。
「コース設定なんだけどみんなの適性も考えて、左回り・芝2400mでやろうと思うの。それでアタシのよーいドンのかけ声でスタートってことでいいかな?」
「オッケー、任せてよ! もちろん全力で勝ちに行くからね!」 ライアンはやっぱり心強いな……本人は自然とやってることなんだろうけど、いつになっても支えてもらっちゃってる。
「それじゃいくよ。よーいドン!」
全員出遅れることなくスタートを切る。もちろん逃げるのはパーマー、少し離れてアルダンさんとマックイーンが続く。そこからまた少し空けてトレーナー。またそこから少し空いてアタシ、ライアン、最後方にブライトといった隊列でレースが進んでいく。
(ペースが速ければ少し下げて最後に脚を残せるし、遅くても前を十分に捉えられる。それでいて後ろが動いてもすぐに対応できるポジション取り。やっぱり知識は間違いなく残ってる。あとは最後の脚がどれほどかだけど……)
隊列は変わらないまま第3コーナーを過ぎる。アルダンさんやマックイーンが前のパーマーを捉えに行かんと動き始めた刹那、
(トレーナーも動いた……!)
アタシたち差し追い込み組も負けじと動き、ペースが上がり先頭と最後方の差がぐっと縮まる。
ほぼ一団となったまま最終コーナーから最後の直線へ。ここで先頭はあるダンさんに代わる。ただパーマーも抜き返さんと粘っていて、その外からはマックイーンも先頭と並びかける位置にまで来ている。そしてその外には、
(まさか交わせるの…!? いやでもアタシがまとめて一気に差し切る!)
残り200メートルを過ぎる。マックイーンが抜け出したところ、トレーナーがそのすぐ後ろから捉えようと迫る。まだ少し差があるけど、
(負けない……アタシは『世界一強いウマ娘』なんだから…!)
大外強襲。前を捉え切り、ライアンやブライトの追い上げを凌ぎきったところがゴール板。
「ハァハァ……勝っちゃった…… でもトレーナーのあの脚、これからトレーニングを重ねたら……」
差し切れないかもしれない。でもこれならダービーもきっと……
「姉さますごいです! もしかしたら勝てちゃうかもって思ったんですけどやっぱり姉さまの脚には敵わないですね」
とみんなの視線に気づかずにキラキラした瞳をしてアタシに近づいてくるトレーナー。 「ありがとうエスキー。エスキーも凄かったよ。もう少しで負けちゃうところだった」 「次は勝ってみせますから! トレセン学園でも頑張りますね!」
1着 メジロドーベル(2:25.2)
2着 メジロエスキー(アタマ差) 3着 メジロマックイーン(クビ差) 4着 メジロライアン(ハナ差) 5着 メジロアルダン(1/2バ身差) 6着 メジロブライト(1バ身差) 7着 メジロパーマー(1バ身差) |
+ | ジュニア級編① |
今日ついにトレセン学園に入学することになりました! 昨日の夜は緊張してなかなか眠れなかったけど、ドーベル姉さまがギュッと抱き締めてくれてから安心して寝ることができました。まだまだわたし子どもだなあ……
今日はお屋敷から学園まで姉さまと一緒に車で登校です。
「エスキー、大丈夫? 緊張してない?」
「大丈夫です、姉さま。寮でも一緒の部屋ですから」 姉さまと同じ部屋だった方は長期の海外遠征で部屋を空けられているので、そこに入ることができました。姉さまと同じ部屋かぁ…… 「こらこら、そんなうっとりした顔してないで。もう着いたから降りるよ」 「……はっ! 待ってください姉さま〜!」
───
「───これから君達が切磋琢磨し活躍することを心より祈念し祝辞とさせていただく。生徒会長シンボリルドルフ」
入学式が終わり教室に新入生たちが教室へぞろぞろと戻っていく。生徒会長の威厳凄かったなあ……
自分の席に座りそんなことを考えていると、前の席の子が 「生徒会長凄かったよね! やっぱり7冠ウマ娘ってカッコいいな〜 ねえ、君名前は?」 「メジロエスキーです」 「あの名門メジロ家の! あ、ワタシはミズノラムレット。ラムレットって呼んでね。エスキー、これからよろしくね!」 「は、はい。これからよろしくお願いします、ラムレットさん」 もう友だちが出来ちゃった。部屋に帰ったら姉さまに報告しようっと。
───
「ティーケイシンボリです。この学園に来たからにはシンボリ家として恥じない走りをしてみせます。これからよろしく」 シンボリ家って生徒会長もそうなんだよね。背も高いし黒くて長い髪も綺麗。姉さまには負けるけどクールビューティーだなあ。姉さまには負けるけど。
そして自分の番になり、
「メジロエスキーです。メジロの一員としてふさわしい走りをしてみせます。皆さまよろしくお願いいたします」 姉さまみたいに少しは優雅に見えたかな? やっぱり初めての挨拶って緊張しちゃうなあ。
「それでは今日の所はここまでにします。早速ですが明日は皆さんの適性測定を行います。体力測定のようなものですが、1600mを1本走ってもらうことになりますのでしっかり準備しておくように。では、起立、礼!」
担任の先生の掛け声とともにみんな席を立って解散していく。早速できた友達と一緒に遊びに行こうとする子やコースへ先輩たちの練習風景を見に行こうとする子などなど。そんな中わたしは、
「ねえ、エスキー。そろそろお昼だしカフェテリア行ってみない?」
「誘っていただいたのにごめんなさい、ラムレットさん。今日は姉さまと一緒に食べようって約束してるんです。また明日でもいいですか?」 「いいよいいよ、気にしないで。ちなみに姉さまって誰のこと?」 「姉さまはメジロドーベル姉さまです。本当の姉ではないんですけど、いつも優しく面倒を見てくださるので。寮も同室なんです」 そう言うとラムレットさんは驚いた顔をして、 「メジロドーベル先輩ってトリプルティアラを獲ったあの!? いいなあ、羨ましい……ってそんな待たせちゃいけないよね。それじゃまた明日!」 「はい! ではまた明日教室で!」
──────
コンコンッ「失礼します。姉さま、いますか?」 待ち合わせ場所はトレーナー室。ご飯を食べるならカフェテリアでも良かったのになんでここにしたんだろう? 「いいよ、入って。そのままソファーに座っていいから」 勧められたとおりソファーに座ると、姉さまもパソコンの作業を止めてわたしの隣に移ってきた。そんな姉さまは真剣な顔をしてこう切り出した。
「ねえエスキー。ご飯を食べに行く前に大事な話があるの。いい?」
「はい姉さま。どんなお話でも」 「アタシたちはトレーナーがついて初めてレースに出られるのは知ってるよね? そのトレーナーのことなんだけど、アタシのトレーナーにこの前メジロ家のみんなと走ったレースのことを話したら、是非ともスカウトしたいって言っててね。エスキーが良かったらどうかなって」 「本当ですか、姉さま! 姉さまと同じトレーナーさんに見ていただけるなんて嬉しいです! でもそのトレーナーさんはどちらにいらっしゃるんですか?」 部屋にいるのはわたしと姉さまの2人だけ。そんな話ならトレーナーさんも一緒に、というよりトレーナーさんに直接言ってもらう話のような?
そんなことを考えているのが伝わったのか、
「トレーナーも直接言いたかったみたいなんだけど、いきなり長期の海外研修に行かなくちゃいけなくなってね。研修も大変で連絡する暇がないからアタシから言うようにって」 「じゃあ練習メニューやレース決めはどうすればいいんでしょうか? せっかくスカウトしていただいたのに……」 そう言うと姉さまは 「それがトレーナー凄くてね。研修が決まってからの短期間でエスキーの3年間のレースプランと練習メニューを作ってくれたの」 と作業をしていたノートパソコンの画面をこちらに向けて説明してくれた。そこにはメイクデビューをどのレース場のどの距離にするか、このレースを走るならどういった練習メニューにすればいいかといった内容が事細かに記されていました。これはすごい…… だけど……
「これをわたし1人でこなすということですか、姉さま?」
「ううん、そこはアタシがサポートするから大丈夫。アタシもドリーム・シリーズに向けての練習があるんだけど、今までよりは時間に余裕ができるから。理事長にも許可はもらってるよ」 「やったあ! 姉さまと一緒にトレーニングできるなんて、エスキー生まれてきてよかったです!」 「もうっ、大げさなんだから。とりあえず細かい話は寮に戻ってからするとして、明日の能力測定は2000m走るつもりでペース配分してみて。エスキーだったらできるよね?」 「任せてください姉さま!」 「結果報告楽しみにしてるからね。じゃあお昼食べに行こっか」 「はいっ!」
─────
翌日の能力測定。芝かダートかといったバ場適性、短距離寄りか長距離寄りかといった距離適性、そして前で運ぶタイプか後ろで脚を溜めるタイプかといった脚質適性をざっくりとテストしたあとレース形式で行われた1600m走では、 「メジロエスキーのタイム、1分34秒7!」 先生がそう発した瞬間、周囲がざわつく。「ウソでしょ……」「この時期に出すタイムじゃないでしょ……」「もしかしてマイラーなんじゃない?」「でも適性は中長距離向きらしいよ……」 姉さまに言われたとおり2000m想定で走っただけなんだけどな……すぐ次の組がスタートするから急いでコースから離れると、 「お疲れさまエスキー。すごいタイムだね! はいドリンク」 とラムレットさんがびっくりした顔をしながらドリンク片手に声をかけてきた。 「ラムレットさんありがとうございます。たまたま想定どおりに走れただけですから」 「それでもすごいって! ワタシなんて36秒台だよ? これでクラシックなんて走れるのかなあ?」 「ラムレットさんもクラシック路線に?」 「そうだよー じゃあエスキーも同じなんだ。てことはワタシたちライバルだね」
といったこれからの話を2人で談笑していると、横から
「流石はメジロ家のご令嬢」 「ティーケイシンボリさん……ありがとうございます」 「さっきクラシック路線に進むと聞こえたけど」 「そうなんです。わたしたちライバルとして頑張っていこうって話していたところで」 「じゃあ私もライバルだね。これからよろしく」 「こちらこそよろしくお願いします」 そう伝えお互い握手を交わす。 「ちょっと、ワタシもいるんだけどー」 「ごめんごめん、ラムレットさんもよろしくね」
こうやって来年のダービーに向け一歩を踏み出したわたしたちなのでした。
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+ | ジュニア級編② |
─────
「はぁ〜〜〜、疲れましたぁ……」 「お疲れさま、エスキー。ちょっと遅かったね」 寮の部屋でエスキーと能力測定のこととかレース選択のこととか話そうと考えてたら、エスキーの帰りが意外と遅く、すっかり夕方になってしまっていた。 「たくさんトレーナーさんたちに捕まってしまって……『2人でトゥインクル・シリーズの頂点を目指さないか?』とか『うちのチームに入ってくれ!』って……」 「あの人たち熱意すごいからね……それでちゃんと断れた?」 「説明させてもらってなんとか……」 「まあ今の時期にあのタイム出してたら普通は引っ張りだこだよ。エスキーもいいトレーナーさんがいたらその人についてもらっても良いんだからね?」 と少し意地悪なことを言ってみると疲れていたのを忘れたような声で 「そんなこと絶対にしません!!! 姉さまと一緒じゃなきゃイヤです!!!」 って大きな声で反論されちゃった。
「冗談だから、冗談。それで改めてだけど今日どうだった?」
「姉さまの言われたとおり、2000m走ってるつもりで1600m走ってみました。なので上がり自体は全然なのですが、これで良かったのでしょうか……?」 「完璧だからそんな顔しないで」ナデナデ 「ふわぁ……姉さまの撫で方気持ちいいですぅ……」ウットリ 全体のタイムを見るととても優秀なんだけど、確かに1600mのレースで上がり35.7秒はこの時期としても平凡な数字に思える。ただアタシたちが狙っているのは来年のクラシック戦線。この子に瞬発力があるのはこの前一緒に走ったレースで分かってるから全然心配してない。 「大丈夫だよ。ちゃんとアタシの言ったとおりに走って結果を出してくれたんだからそれで十分」 「姉さま、ありがとうございます。それで、あの……もっと撫でてもらえませんか……?」 「ああもうっ。これが終わったらちゃんとレースの話するからね、分かった?」 「ふぁーい姉さまぁ……」
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満足するまで撫でてあげたあと、言ったとおりレースの話を始める。 「まずメイクデビューなんだけど、アタシが考えてるのはダービー翌週の土曜日の東京芝1600mか、宝塚記念の日の阪神芝1800mのどっちかなんだけど、エスキーはどっちがいい?」 この2つのメイクデビューは毎年素質がある子たちが多く出走してくるレースになっている。特に宝塚記念の日の方は後のGⅠウマ娘も数多く輩出してるレースとして近年有名になってるから、そこを狙って出走してくる子も多い。もちろんどっちを選んでもエスキーにとっては通過点だとアタシは思ってる。 エスキーは少しの逡巡ののち、 「そうですね……1600mは走ったので、距離延長になる阪神の方にしたいです。東京のコースは次走れますから、少しでもいろんなレース場の経験を積みたくて」 思ってたよりこの子も自信家みたい。 「了解。じゃあこのレースでも先を意識して走ってね。トレーニングのメニューはまたこれまで通りで」 「はいっ、姉さま!」 |
+ | ジュニア級編③ |
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とある掲示板のとあるスレ タイトル『明日のメイクデビューに大物が出る件』
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レース直前の控え室、2人きりのときはいつも元気いっぱいに話しかけてくるエスキーが今日は静かに横に座ってる。もしかして……
「緊張してる? 大丈夫?」 「えへへ……姉さまにはバレバレですね……やっぱりいざ多くの皆さんの前でレースって思うと不安で……」 「今までの練習のこと考えたら大丈夫だから。ねっ?」 「じゃ、じゃあ姉さま、勝ったらご褒美くれますか……?」 「うーん、それでエスキーがレース頑張れるならいいよ。その代わり5バ身差つけて勝つこと。いい?」 「ありがとうございます、姉さま。じゃあ最後に頭撫でてください」 「はいはい、頑張って走ってきてね」ナデナデ しばらく撫でてたら出走者が集合しないといけない時間になった。 「……うんっ、気合い入りました! エスキー頑張ってきます!」ガチャタッタッタッ 頑張ってね、エスキー。
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姉さまが応援してくれてるから絶対に勝たなきゃ……勝ってご褒美もらうんだから!
『──さて8人全員がゲートに収まり……今スタートしました。1番人気メジロエスキー良いスタートです。しかしそれを制するように外から2人ほど上がっていき最初から早いペースになっています』
良かった、予想通り。レース前日のネット記事で「絶対逃げます!」って言ってた子2人が逃げてくれたからスッと3番手を確保できた。後ろの子たちはペースの速さに気づいてあんまり追ってこないし、前の子は間違いなく4コーナー前で垂れてくる。わたし? わたしはこんなペースでバテるほどスタミナ少なくないから大丈夫です。
『さて3コーナーを過ぎ、そろそろ最初の1000mですが……58.8!? とんでもないペースで前が飛ばしています! 開催後半の渋ったバ場でこれは果たして最後まで持つのでしょうか!?』
変わらないハイペースのままレースは最終コーナーに差しかかるところ。思ってたとおり前が垂れてきたのをスッと交わして先頭へ。まだ後ろは来ない。これなら…!
『ここで先頭はメジロエスキーに代わるが彼女も脚は残っているのか?』
実況さん心配ありがとうございます。ですがそんな心配
なんて吹き飛ばしてみせます……!
『直線に入りメジロエスキーリード3バ身、4バ身グングン開いていく! これは圧勝ムードか!?』
後ろを振り返ってみても全然追ってこない。じゃあご褒美のためにもうちょっと頑張っちゃお!
『残り200m、メジロエスキー後ろを振り返り……さらに加速!? 7バ身、8バ身。後ろにはなんにも来ない! 後ろにはなんにも来ない! 後ろにはなんにも来ない!』
ってやりすぎちゃったかも……?
『メジロエスキー圧勝! デビュー戦をなんと大差で制しました! そしてタイムは1分44秒5! とてつもないレコードが飛び出しました!』
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「えーっと、姉さま? もしかして怒ってます?」 控え室に戻ると、姉さまがニコニコした顔で近づいてくる。そして…… 「いふぁいれすれえしゃわぁ〜! ほっへふぁひっふぁららいへくらさい〜!」 「エ ス キ ー ? アタシが言ってきたこと忘れてない???」 「おふぉへへふぁすっへ〜!(覚えてますって〜!)」 そう言うとやっと離してくれた……ほっぺたいたい…… 「ここで全力出してどうするの。アタシたちが目指してるのは?」 「日本ダービーです……」 「そう。大事なのは2400mを全力で走るためのペース配分とトレーニング。1800m走り切るのに全力使っちゃ駄目なの、分かった?」 「はぁーい……」 「分かったならいいよ。言ってたとおりご褒美もあげる。何が欲しいの?」 「今度のお休みの日、姉さまと2人だけでお出かけしたいです!」 「それぐらいならいつでも行ってあげるんだけど……分かった、1日一緒に出かけよっか」 「やったぁ!」 なんとかご褒美剥奪は避けられたみたいです。姉さまやっぱりやさし…… 「でも今日の罰として1ヶ月アタシのベッドに潜り込んでくるの禁止だから」 「姉さまひどいですぅー!!!」
そのあとなんとかして1週間にしてもらいました。やっぱり姉さまは優しいです。
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+ | ジュニア級編⑤ |
「姉さまと〜♪ デート〜♪」
「アンタこの1週間それしか言ってなくない?」 衝撃のデビュー戦から2週間。次のレースも無事決まり、メジロ家での夏合宿もまだ少し時間があるからここら辺でご褒美のお出かけをすることになったんだけど……部屋で休んでる時もご飯食べてる時もずっとこの調子は恥ずかしいというかなんというか…… 「だって姉さまとデートですよ!? 歌っちゃうのも仕方ないじゃないですか!」 「そ、そうなのね……別に一緒に出かけるぐらいアタシはいつでも構わないんだけど」 そう呟いた瞬間、エスキーの顔がキラッキラに輝いた。それはもうタキオンさんのトレーナーぐらい……いやあれはちょっと違うかな…… 「本当ですかっ!?!?!?」 「休みが合えばね。明日早いんだからもう電気消すよ」 「は〜い、おやすみなさ〜い♪ えへへ〜♪」 ああ、今日の夜もアタシのベッドは狭い……
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「姉さま姉さま! いっぱいお店ありますよ! どこから行きますか???」 「もう急がない急がない。それとそんなに腕に抱きついたら歩きにくいでしょ」 翌日、電車に揺られてやってきたのは海風薫るショッピングモール。昔はよく行ってたんだけど、最近はレースで忙しくって全然行けてなかったんだよね。本当はトレーナーを誘ってって思ってたんだけど、今はこんなのになっちゃったから…… 「とりあえずゆっくり夏物見て回ろっか。それで適当なタイミングでランチにしよ?」 「分かりました! じゃあ早速あそこのお店から回りましょー!」 「こら、そんなに腕引っ張らないの!」
それでも「このワンピース姉さまにぴったりです!」とか「このロングスカートどう? エスキーが着たら絶対可愛いと思うよ」ってお互いがお互いの服をチョイスしながらショッピングを続けている最中、エスキーが何かを思い出したようで、
「あ、姉さま! 夏物っていったら水着忘れてました! せっかくですし行きましょ行きましょ!」 「水着かぁ……」 海にもプールにもそんなにいいイメージがない。夏合宿の時は水着を着ていても周りはトレーニングに集中してる子ばかりだったから、視線とか全然気にならなかった。けどそれ以外で海とかプールに行ったら他の人に見られるって怖くって全然行けてないんだよね。でもいつかはトレーナーと海に……っていやいやいや何考えてんのアタシ! そんな変な妄想を吹き飛ばすようにブンブン頭を振っているアタシを不思議に思ったエスキーが小首を傾げて、 「姉さまどうされました?」 と聞いてきた。 「大丈夫大丈夫。ちょっと雑念を追い払ってただけだから」 「もしかして……見せたい方がいらっしゃるとか?」 え、なにこの子、こわい。 「そ、そ、そんなわけないじゃない。ほら、早く行くよっ」 とっととこんな危ない所から離れようとするも、エスキーが 「いーやーでーすー! 水着見ましょうよー!」 と思いっきり腕を引っ張って店に入ろうとする。この子なんか力強くない?
結局先にスタミナが切れたアタシを引っ張る形でお店に入っていくエスキー。
「ねえねえ姉さま? 姉さまが水着をお見せしたい過多って……もしかしてわたしたちのトレーナーさんのことですか?」 「いやいやいやいや! トレーナーに可愛い水着姿見せるとかありえないから!!!」 「だって姉さまが最近描かれている漫画、姉さまに似たウマ娘が少しずつトレーナーに惹かれていく作品が多いですよね? それでもしかしたらって思ったんですけど……図星ですか?」 ウマ娘になる前はこういうの鈍感だったくせに……ってちょっと待って。 「エスキー? アタシの描いてる漫画、なんで内容知ってるの……?」 「えっ? だって姉さまご自身の机によく置かれてるじゃないですか。なので見ていいものなのかと思ったんですが違いました?」 う、迂闊……! 「今後は絶対読んじゃダメだから! あと別にアタシはトレーナーのこと好きでもなんでもないから!」 「好きかどうかは聞いてないですよ姉さま? 好きなんですか姉さま?」 はぁ……今日のアタシは駄目かもしれない……
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「今日は本当に楽しかったです! また行きましょうね姉さま!」 「そ、そうね…、秋になったらまた行こっか」 「秋ですか……合宿もありますし仕方ないですね……その代わり絶対約束ですからね!」 ヘトヘトになってるアタシと指切りげんまんして元気よく跳ねるように歩いていくエスキー。まるであの子にアタシの元気を吸い取られたみたい。 「ま、頑張るしかないか、全部」 そう、エスキーのこともこの気持ちのことも、全部。 |
+ | ジュニア級編⑥ |
あっという間に夏が過ぎ秋を迎える。メジロ家の夏合宿でライアンやマックイーンたちに優しく、時に厳しく鍛えられたエスキーはそれはもう同世代の子たち相手には負けないぐらい仕上がっていて、これから先どうやって育てていけばいいのかなって悩み中……
そんな中、アタシがそう頭を抱えているのを意に介さないかのようにエスキーは強い走りをしてくれた。年末のG1や来年のクラシックの登竜門とされている重賞、東京スポーツ杯2歳Sでも、 『メジロエスキー、2着に5バ身差をつけ圧勝! タイムは1分46秒4! 最後は流して悠々とゴール板を駆け抜けました!』
さらに年末のジュニア級G1の1つ、ホープフルSでも
『メジロエスキー完全に抜け出した! リードを2バ身、3バ身とつけ今ゴール! タイムは2分ちょうど! レースレコードを涼しい顔をして叩き出しました! 来年はこの子の独擅場となってしまうのか!?』
……もうアタシこの子に教えることないと思うんだけど。メンタル面もこの子ホープフルS始まる直前に客席の最前列にいたアタシに近づいてきて、
「姉さま! レース終わったらご褒美くださいね!」 って勝つ前提で話しかけてくるぐらいだから。こっちへ向かってくる時は、せめてG1の発走直前にくる緊張への対処法とか少しでも教えてあげられたらって思ってたんだけど、拍子抜けしちゃって、 「あ、うん、分かった。頑張ってね」 としか言えなかったんだよね……とりあえずレースのあと控え室に戻ってからギュッて抱き締めてナデナデしてあげたら満足してくれたみたい。
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年末年始はメジロ家のみんなでお屋敷で年越し。普段はこっそり漫画を描いてる時ぐらいでしか夜ふかしはしないんだけど、年を越すこの時だけはみんなと一緒に夜ふかし。エスキーは頭カックンカックンさせてたからすぐに寝かしてあげたんだけどね。
「姉さま、あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いしますね!」
「あけましておめでとうエスキー。振り袖よく似合ってるじゃない」 「えへへ〜、ありがとうございます姉さま! 姉さまもよくお似合いですよ!」 メジロ家みんなでの初詣。マックイーンはまた屋台に興味津々だったけど、流石にトレーナーストップがかかってたみたいで泣く泣くお汁粉だけ啜ってた。可哀想だからおせちはアタシの分ちょっと分けてあげよっと。
そしてみんなで一緒に絵馬に願いごとを書いた。お互い見せないようにしてたんだけど、みんなレースのことなんだろうな。アタシ? アタシは
『この子がどうか無事に走り切れますように。いつか元の姿に戻りますように』 って。もちろん絶対にエスキーに見られないように離れた所に吊るしてきた。 「姉さま! 姉さまはなんて書いたんですか?」 「アタシ? アタシはエスキーが無事に走れますようにって書いたよ。エスキーは?」 うん、ウソは言ってない。だけどもう1つの願いは言わない、言えない。 「わたしはずーっと姉さまと一緒に過ごせますようにって書きました!」 「…っ!」 その言葉と笑顔に心が痛む。いつかは元の姿に戻る。たぶん記憶も消えると思う。それなのにこの子は何も知らず未来を笑顔で語っている。辛い……でも…… そんな葛藤が顔に出てしまっていたのかエスキーも顔を暗くして、 「……姉さま? どこか具合でも悪いんですか?」 「ううん、ごめんね心配させちゃって。全然大丈夫だから」 「……無理はしないでくださいね」 「うん分かった。ありがとねエスキー」ナデナデ
いつかその時が来たらアタシは耐えられるだろうか? 不安だけが募る初詣になってしまった。
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+ | クラシック級編① |
年明け早々にトライアルレースを使わずに皐月賞へ直行することを決めたのち、ひたすらトレーニングを続けていたある日、突然タキオンさんから学園近くの病院にアタシとエスキー2人で招かれることになった。
「アグネスタキオンさんはじめまして! 噂はよく伺っているのですがなぜわたしと姉さまが?」 「はじめましてエスキー君。君の走りに何か光るものを感じてねぇ。少し体を調べさせてもらおうと思ったんだ。ドーベル君を呼んだのはその付き添いでね。何もなしにメジロ家の君を研究に巻き込んだらいろいろと面倒だからねえ。今から準備するからまた呼ぶまで部屋の外のベンチで待ってくれたまえ」 「はーい、では呼ばれるの待ってますね」 タキオンさんの発言に違和感を覚え、あの子が部屋を出たのを確認してから 「タキオンさん、どういうことですか? いつもの研究室じゃなくてこんな所でなんて」 と尋ねる。するとタキオンさんは聞かれると分かっていたかのように 「“おばあさま”にエスキー君を診てもらうよう頼まれてねえ。学園の研究室も考えたんだが流石に確認したい内容に対して設備が不足していたんで、“おばあさま”を通してここを貸してもらったというわけさ」 「なるほど……じゃあアタシが来なくても良かったんじゃ?」 「ほぼ初対面の私と一対一で会うより懐いている君と一緒の方が都合が良いと思ってね……っと準備ができたからあの子を呼んできてもらってもいいかい?」 「……分かりました」
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ひと通り“診察”が終わって、結果は後日連絡すると最後に伝えられ病院の外に出る。 「脳波調べて血も採られて、筋肉の働きを見るのにランニングマシンで走ってって言われて……流石に疲れちゃいました……」 「お疲れさまエスキー。半日も大変だったね。頑張ったご褒美にどこかカフェ寄ろっか」 「やったー! 何頼もっかなー♪」 「ただし、レース前なんだからね」 「はーい、分かってまーす♪」 他愛のない会話。こうした日常がずっと続くといいのに。そう思いつつカフェへと歩いていった。
─────
そしてついに迎えたクラシック第1戦、皐月賞。エスキーは今までの勝ちっぷりを評価されたのか、年内初戦ながら断然の1番人気に支持された。離れた2番人気は現在重賞3連勝中のミズノラムレットさん。 「エスキー緊張してない? 大丈夫?」 「全然大丈夫です! またご褒美期待してますね!」 レース直前の控え室でもこの調子。全然心配いらないみたいね。 「ただ今回は今までのレースと違って2000m走り切ること。エスキーの力は信じてるけど万が一のことは避けたいから」 「分かりました姉さま。では行ってきます!」 タッタッタッと元気に走る音が遠ざかっていくのを聞いている最中、不意にポケットのスマホが震えた。 「こんな時に誰だろう……タキオンさん?」 『レース直前にすまない。今時間あるかな?』 「少しだけなら」 『では手短に話そう。まず先日エスキー君を診させてもらった結果だが、とりあえず現状は何も問題はなかった。このままレースを走り続けても大丈夫だ』 「良かった……」 ホッと胸をなでおろす。しかし話はまだ先があり、 『ただ今回の結果を加味して元に戻すクスリを開発中なんだがあまり芳しくなくてね……悔しい限りではあるが自然に戻るのを待つしかなさそうだ』 「そう、ですか……それでもあの子はトレーナーの姿に戻るんですよね、2年ぐらい経ったらちゃんと」 『ああ、元のクスリの効能から推測する限りではあるがそこは大丈夫だろうね。ただこちらも推測だが、ヒトが経験することのない負荷に3年も耐えることになる手前、体は元に戻っても回復のために一定期間は眠ったままの可能性が高い』 「そんな……でもちゃんと元に戻ってくれるなら……」 そこからいくつか“診察”の中身を聞いているとあっという間にレースまであと10分ほどになってしまった。 「すいません、もうレースが始まってしまうので失礼しますね」 『長くなってすまなかった。詳しいことはまた学園で』ブツッ 「良かった、本当にトレーナー戻ってきてくれるんだ……ってレース見逃したらエスキーに怒られちゃうから急がなきゃ」 なぜか少し開いたままになってたドアに違和感を覚えつつも足早に観客席へ向かう。あの子の勇姿を見るために。
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「いけないいけない、姉さまにレース前に頭を撫でてもらうの忘れてました……」 最初のレースでやってもらってからずっと続けてもらってるのに、こんな大事な時に忘れちゃうなんてエスキーうっかりさんです。姉さまも言ってくれたらよかったのに。 足早に控え室に戻りドアを開けようとすると中から姉さまの声が聞こえた。誰かと電話してるのかな? そう思って少しだけドアを開けて聞いてみると、 「──あの子はトレーナーの姿に戻るんですよね、2年ぐらい経ったらちゃんと」 思わず声が漏れそうになった口を手で抑える。だけど元に戻るって……どういうことですか姉さま……わたしって元々ヒト……? トレーナー……? 理解が全然追いつかない。 そうしている間にレースの時間が迫ってきたから控え室に入らずに離れたけど……頭の中がぐるんぐるん回っちゃってて、自分が今どこにいるのか全然分からないまま気づいた頃にはゲートに入っていた。
『全員がゲートに収まり、今スタートしました! まずは先頭争いですが……えっ!? なんと1番人気の5番メジロエスキーがハナを切っていきました! これは驚きの展開。場内がざわめいております! これはどうでしょう解説の横永さん』
『うーん、これは予想していなかった展開ですね。もしかすると掛かってしまっているのかもしれません』
1番人気? 展開? そんなの知らない。レースを早く終わらせて姉さまにいっぱい聞かなきゃいけないのに。
『最初の1000m通過は59秒2。少し速い流れになっていますが逃げているメジロエスキーにとってはどうでしょう?』
『彼女はこれより速い流れを経験していますが、今まで逃げたことがないですからね。最後は苦しくなるかもしれませんよ』 『まもなく第4コーナーに差し掛かります。先頭から2番手までまだ5バ身ほどの差がありますが後続は詰めてこれるのか?』
頭がふわふわしている。何も考えられない。後ろから誰か来てるの? 早く坂を登りきってゴールに行かなきゃいけないのに……脚が……
『先頭メジロエスキー坂の途中で一杯になったか? バ群の中からノンワードが迫ってくる! さらに大外が凄い勢いでミズノラムレットが飛んできた! 残すか! 差すか! 3人並んでゴールイン!』
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「ハァハァ……」 レースが終わって初めてこんなに感じる胸と脚の痛み。写真判定を待っている間ターフに膝をつき必死に息を整えていると、 「お疲れさまエスキー。まさか逃げると思ってなくてびっくりしたよ。もしかして作戦どおり?」 とラムレットさんが声をかけてきた。わたしは酷い顔を必死に笑顔に変えて、 「そんなところです。でも最後は苦しくなってしまって……まだまだ鍛えないとですねっ」 「またダービーに向けてお互い頑張らなきゃだね。その前にワタシはNHKマイルカップ出るかもだけど……っと結果出たみたいだね」 ターフビジョンには、 1着5番、2着2番、3着11番の文字が点灯していた。 「か、勝った……」 「おめでとうエスキー。ワタシも頑張ったんだけどなー、届かなかったかー」 そう言いながら立ち去っていくラムレットさん。わたしも立ち上がり、観客の皆さんへ一礼してから足早にターフから去っていく。酷く歪んだ顔を見られないように。
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「エスキーどうしちゃったんだろ……逃げるなんて言ってなかったのに」 先に控え室に戻り、終わったばかりのレースをパソコンで映像を見ながら振り返っていく。 「ここ出て行く時は何もヘンじゃなかったしな。ってエスキーお疲れさま……ってその顔どうしたの……?」 ガチャッと音がしたからパソコンから顔を上げると、そこにはさっき勝ったとは思えないほど怒った顔をしたエスキーがアタシを睨んでいた。
「姉さま、わたしに隠しごと、してますよね」
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+ | クラシック級編② |
姉さま、あたしに隠しごと、してますよね」
その言葉を聞いた瞬間頭が真っ白になった。え、うそ、どこで……? 苦し紛れに 「え、えーっと、隠しごとって何のこと?」 とごまかそうとしても、 「姉さま、答えてください。電話、誰としてました?」 もう全部知ってると言わんばかりの詰められ方に流石に観念して全てを話す。 「1年ぐらい前の話になるんだけど、エスキー、いやアタシのトレーナーがタキオンさんの実験に付き合ってクスリを飲んだらエスキー、あなたの姿になったの。それで最初はトレーナーも自我があったんだけど気がついたら……」 「完全に“わたし”になっていたということですね。正直理解に苦しみますけど、姉さまは“ウソ”はつかないって信じてるので受け止めます……ただ少し1人にさせてください。姉さまとも今は一緒にいたくないです……」 静かに控え室を出て行くエスキーの背中に声をかけようとするも言葉が何も出てこなかった……
……ウイニングライブ終了後、エスキーの姿はどこにもなかった。
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走る、走る、走る。行くあてなんてどこにもない。学園にも寮にも戻りたくない。ましてやお屋敷なんて…… ただひたすらに暗い街を駆けていく。何かを避けるように、何かから逃げるように。
我に返った時目の前にあったのは見知らぬアパートだった。
「ここはどこなんでしょう……でももうどこでもいいか……ってなんでポケットにカギなんて入ってるんでしょう?」 ライブが終わった時急いでカバンやポケットに物を詰め込んでいたせいかもしれない。丁寧に部屋番号が書かれたタグまで付いてある。 「でもこれもしかしたらここのカギだったりして。うーん、流石にそんなことはないかな……」 そう思いつつタグに書いてあった部屋のカギ穴に突っ込んでみると、 「あれ、開いた……」 誰かいたらごめんなさいと思いつつ部屋に足を踏み入れるが幸い人の気配はなかった。 「すいません、失礼しまーす……あれ、あそこに飾られてるのは姉さまの写真?」 テレビの横に姉さまの写真ばかりのフォトフレームがいくつも飾られていた。 「これは阪神JF勝った時の写真で、こっちはトリプルティアラ達成した時の写真、これは……誰かと一緒に写ってる?」 姉さまが男の人と写真を撮るところなんて見たことがない。ましてや体が触れるほど近距離でなんて。もしかして…… 「この人が姉さまのトレーナー、わたしの元の姿……? じゃあここは……」 間違いなく“わたし”の部屋だろう。試しに机に置いてあったパソコンを立ち上げてパスワードを適当に入力してみると、 「ログインできました……」 デスクトップには「トレーニングメニュー」や「レース別データ」といったまさしくトレーナーのパソコンといった名前のフォルダがずらりと並んでいた。その中に、 「経過報告? これは何でしょうか?」 罪悪感を抱きながらフォルダを開くと、全てのファイルのタイトルが日付となっていた。いくつかファイルを開いてみると、 『チーフトレーナーに代わって今日からドーベルのトレーナーになった。まだ少し警戒されてるけど、これから頑張っていこう!』 『今年はなんとかトリプルティアラ全て獲らせてあげることができた。来年はあのテレビ番組を見返してやるぐらい2人で頑張っていこう!』 『クリスマスをドーベルと過ごした。ブローチももらって夢も語ってくれて……本当に最高のクリスマスを過ごせた気がする。明日からまた頑張らないとな!』
「どのファイルも姉さまのことばっかり……トレーニングのことだったり日常の些細なことだったり……こんなに想ってくれる人がいるなんて姉さまが羨ましくなっちゃう」
そこで気づいたのは、 「わたし小さな頃の姉さまとの記憶全くないのってこういうことだったんだ。この人の記憶に引っ張られてるから。じゃあ姉さまを慕うこの気持ちも……」 たぶんそういうことなのかな……よかったね、姉さま。
他にも姉さまのトレーニングのデータや姉さまの写真をたくさん見ているうちに寝落ちしてしまって、気がつくと朝になっちゃってた。
「そっか、昨日レースだったから今日学校あるんでした……でももう7時過ぎちゃってるし、ここから制服で外に出たら目立っちゃうし……うーん……」 そんなことを考えていた時、不意に玄関の扉が開き、 「やっと見つけた、エスキー……ここにいたんだ……」 「姉さま……」 朝の陽射しと一緒に姉さまがやってきた。
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エスキーがいなくなってすぐメジロ家のみんなや学園に連絡したけど見つかる気配がなかった。 「学園にもいない、寮にも戻ってない。お屋敷の中も探してもらったけど見つからない……あの子一体どこ行ったの……?」 なりふりなんて構ってられない。元々トレーナーだったことなんて今は関係ない。“あの子”のことが今は一番心配。 時間だけが過ぎていき苛立ちがどんどん募っていく。数時間だけ仮眠をとったあと、スマホの充電器はどこだったかなとカバンの中を探していると、 「あれ? トレーナーの部屋のカギがなくなってる……?」 トレーナーがエスキーに変わってお屋敷に連れて行く時、トレーナーの荷物も一緒に持って行った。そのあと万が一を想定してトレーナーの部屋のカギはカバンにいつも入れておくようにしてたんだけど、 「もしかしてレース前の控え室に置き忘れちゃったのかな。ちょっとカバンの中身ひっくり返しちゃった時に……ってあっ!」 もしかしたらあの子間違えてカギ持って行っちゃった……? じゃあ今あの子は…… 「ううん、“あの子”はトレーナーの部屋なんて知らないはず……でも記憶がかすかに残っているんだったら……」 可能性はある。すぐにトレーナーの部屋まで車を回してもらうと、 「やっぱりね」 カギが開いていた。そこには、 「やっと見つけた……」 「姉さま……」 闇の向こうにエスキーを見つけた。
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昨日ぶりの再会に少し戸惑うわたし。姉さまになんて言えばいいか…… 「えっと……昨日はごめんなs……」 「ごめんねエスキー。辛いこと聞かせちゃって」 謝ろうとするわたしの言葉を遮って姉さまが頭を下げた。 「ううん、いいんです。姉さまは悪くないですから。むしろわたしのために動いてくれてるんですよね?」 「そうはいってもほとんどタキオンさん任せなんだけどね。あの人にしては珍しく罪悪感すごいみたいで、電話聞かれたこと伝えたら次会ったら謝らせてほしいって」 「分かりました。その時はちょっぴり怒っちゃうかもですけど許してあげます!」 「エスキーはいい子だね」 姉さまに褒められるとやっぱり嬉しい。ただ…… 「でも姉さま、わたしこのまま走り続けていいんでしょうか……?」 「えっ、どうして?」 「人からウマ娘になったことはもうそういうものなんだって納得しました。それでも他のウマ娘として生まれた子たちを押しのけてダービーなんて走っていいのかなって……わたしなんかが走っちゃ駄目なんじゃないかって、そう思えてきたんです」 たぶんこの悩みは理解されない。そう思って俯いていると、 「うーん……あっそうだ。エスキー、今から時間ある? 行きたいところあるんだけど」 「えっと、姉さま? 今日は学校があると思うのですが……」 「元々学校にはアタシとエスキー2人休むって言ってあるから大丈夫。もちろん行きたいって言うなら止めないけど、どうかな?」 「いえ、姉さまと一緒にお出かけは最優先事項なので!」 「ありがと。でもそこはレースって言ってほしかったな……じゃあもうすぐ出発するからパソコン切って早く行くよ!」 「……姉さま、ちなみにどこに行く予定なんですか?」 「ん? 温泉」 「へっ?」 |
+ | クラシック級編③ |
カポーン
「は〜〜いきなり姉さまが温泉行くって言い出した時はびっくりしましたけどいいお湯ですねえ〜〜」 「アタシが言っていいことじゃないけど、アンタ昨日と今日で変わりすぎでしょ……」 トレーナーの部屋から車で数時間。周囲を山々に囲まれた旅館に到着するやいなや、調子を少し取り戻したエスキーに引っ張られて早速温泉に入ることになったアタシたち。今は2人並んで湯船に浸かってるとこ。 「だけど本当に良かったんですか? 学校サボって温泉なんて」 「そこはレースの次の日だし多少は大目に見てくれるから大丈夫。アタシは実質卒業してるのと同じだしさ」 「姉さまがそう言ってくれるなら……それにしても姉さま」 「どうしたの、エスキー…、ってひゃあっ!?」 エスキーがジリジリと距離を詰めてきたと思ったらいきなり抱きついてきた! 「やっぱり姉さまのお肌はスベスベで気持ちいいですね〜」 「こらっ! 体スリスリさせない! ほっぺたも撫でない! ってキャッ!? そんなところ触らないっ!」 「姉さま? もしかして去年見た時より大きくなってませんか?」フニフニモミモミ 「あっ……んっ……え、エスキーの気のせいでしょっ……もうこれ以上は流石に怒るからねっ!」 「は〜い、姉さま成分いっぱい補充できたので離れま〜す♪」 「はぁはぁ……もうこの子は……」 疲れをとりに来たのになんでアタシは疲れてるんだろう……
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「そういえば姉さま、なんでこの温泉旅館にされたんですか? 他にもいい旅館たくさんあったと思うのですが」 浴衣に着替えて部屋に戻り、夕食まで休憩中のアタシたち。エスキーは畳が気に入ったのかずっと畳の上をゴロゴロしてる。 「それはそうなんだけど、ここじゃなきゃいけない理由があってね。あとで教えてあげる」 「えー、今教えてくれないんですかー!」 「あとでちゃんと教えてあげるから。ね?」 「はーい。でもそもそもなんで温泉なんですか? 疲れをとるのもおいしいご飯を食べるのもお屋敷に帰ればなんでもあるのに……」 「それはね、ご褒美だから。エスキーが頑張ったご褒美。だけど本当はもっと後で来るつもりだったの。全てが終わってから」 「全てってもしかして……」 「そう、アンタのレースがひと段落して元の姿に戻る直前にね。ご褒美って名目で連れてきて、ここで全てを伝えようって」 メジロ家に貸し切りにしてもらって、ここで全てを打ち明けて。何が起きても隠せるように。バレたとしても少しの期間匿えばトレーナーの姿に戻るんだから絶対に見つかることはない。アタシがどうなったとしても。 「でももうバレちゃったから計画はパァ。でも皐月賞のご褒美は何がいいかなって思ったら、じゃあここでいいかなって」 本当の理由はもう1つあるんだけど……これはあとで話してあげる。 「そうだったんですね……でももしそんなことされてたらわたし姉さまに何してたんでしょうね〜、あはは」 顔は笑ってるけど目は笑ってない………! 何があってもって思ってたけど、この子ならもしかして…… 「あはは、それはちょっと怖いな……あはは……」 笑ってごまかすしかなかった。
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「ご飯美味しかったですね! 山菜の天ぷらはサクサクしてましたし、カニも季節外れと思ってたら身がたっぷり詰まってて……ふぃー、もうお腹いっぱいです」 「アタシの分まで食べようとしてたぐらいだしね」 豪華な夕食に舌鼓を打ち、旅館の外へ腹ごなしに2人で散歩。日も落ち、すっかり暗くなった道をゆっくり歩く。 「ねえエスキー」 「なんですか姉さま?」 「アンタ今悩んでることあるでしょ」 「え、えー、そんなことないですよー」 あからさまな目そらし。やっぱりねと思い、 「もしかして『こんな自分が走っていいのかな』なんて考えたりしてない?」 「ギクッ。な、なんで分かったんですか?」 「いやアンタあの部屋でそれっぽいこと言ってたじゃない。悩んでるならそれしかないって」 「うぅ……そうなんです姉さま……人からこの姿になったことには自分なりに納得できたつもりなんです。でもそれとレースを走っていいとはならないんじゃないかなって……しかもみんなが必死に目指してそれでも18人しか出ることができないダービーの舞台にわたしなんかが出ていいのかなって……」 顔を俯かせ足を止めるエスキー。後にも先にもない悩みをあの子は今抱えこんでしまっている。アタシが助けてあげられるのか分からないけど、トレーナーにいっぱい助けてもらったんだから、今ここで返さなきゃどうするの! 「ねえ昨日の皐月賞、何番人気だったか覚えてる?」 「はい? 1番人気でしたがそれが何か関係あるんですか?」 「1番人気ってことはエスキーが勝つって信じてる人が1番多かったってこと。つまりそれだけエスキーを応援したい、頑張ってほしいって思ってくれる人がいるの。他の誰でもないあなたを」 「わたしを応援……」 「そう、そこにエスキーが元々人だなんて関係ない。アタシだってエスキーがエスキーだから応援してるの。エスキーの走ってるところを応援したいの」 「わたしが走ってるところを……」 俯いていた顔を上げ、アタシの顔を見つめる。 「もしこれからエスキーがこのことで悩んだときはアタシが何度だって隣で言ってあげる。アタシにとってエスキーが1番強いウマ娘だって。応援したいウマ娘だって」 エスキーの顔が崩れ、その瞳から涙がこぼれる。 「姉さま……わたし、走りますね……ううっ……」 そっとハンカチを差し出し、エスキーが泣き止むまで静かに待つ。そして、 「ねえエスキー。上、見てみて」 「ぐすっ……上、ですか……あっ、すごいきれい……」 頭上に広がる満天の星空に息を呑むエスキー。 「見せたかったの、この星空を」 そう、ここに来たのは温泉のためだけじゃない。この空をエスキーにも見せたかったから。 「姉さまと見たこの景色、絶対忘れません、絶対に」
─────
「じゃあ電気消すよ」 「はい姉さま、おやすみなさい」 ゆっくり部屋へ戻り、既に敷かれていた布団の中に入る。 目を閉じ明日のことを考えていると、横からエスキーが小さな声で 「姉さま、そっちに行ってもいいですか?」 と寂しそうに言ってくる。 「断っても潜り込んでくるんでしょ。はいどうぞ」 「やったー、姉さまありがとうございます♪」ギュー 「甘えん坊さんなのは変わらないね」ナデナデ 「それは姉さまだからです。姉さまのこと大好きですから」 「ありがと。アタシもエスキーのこと大好きだよ」 「やった、姉さまと両想いです!」 「こーら、変なこと言わない。明日朝10時には出ないといけないんだから早く寝なさい」 「はーい、姉さま。おやすみなさーい」 しばらくしてすぅすぅとした寝息が聞こえてきたのでアタシも目を閉じる。 明日からもいい日になりますようにと願って。 |
+ | クラシック級編④ |
『トゥインクル・シリーズを愛する皆様! ついにこの時がやって参りました! 本日のメインレース! ウマ娘の祭典! 東京優駿、日本ダービーです!』
ワァァァァァァァ 『まずは1番人気から紹介いたしましょう。前走の皐月賞は見事1着! 無敗で2冠を制覇するか! 1枠1番メジロエスキー!』
(メジロ家の悲願、果たしてまいります!)
『続いて2番人気。重賞3勝、皐月賞・NHKマイルカップそれぞれ3着と惜しいレースが続いております2枠3番ミズノラムレット!』
(皐月賞は外々を回らされての3着、NHKマイルは直線で他の子からの不利を受けての3着。ここで無念を晴らすんだ!)
『3番人気は前走の皐月賞がハナ差2着でした1枠2番ノンワード! 今回はそのハナ差をひっくり返せるか!』
(あと一歩仕掛けが早かったら私が勝ってたのに……その屈辱はここで晴らしてみせるんだから!)
『4番人気は前走ダービーと同条件の青葉賞を制したティーケイシンボリ! その舞台経験をここで発揮できるか!』
(エスキーさん、ラムレットさん。悪いけどここは勝たせてもらいますよ)
─────
『さて18人全員がゲートに収まって係員が離れました……スタートしました! 一線のスタートからわずかに遅れたのが9番ショウヘイファスト。さあメジロエスキーは少し前の位置、ミズノラムレットとノンワードは中段少し後ろの位置になりそうです。そして一気に前に内にと入っていきました13番ウイニングヴァレーが先頭に立ちました。ティーケイシンボリはちょうど中段外の位置につけ、第1コーナーから第2コーナーに向かいます』 うん、予想通り! 思ってたより前の子が飛ばすからペースは速いけど、これなら脚は全然大丈夫! ティーケイさんとラムレットさんが怖いけど、仕掛けさえ間違えなかったら後ろから差されることはない!
『──さて向こう正面に入りまして、隊列はあまり変わらず依然先頭はウイニングヴァレーです。その3、4バ身後ろに15番ゲームバランスがつけまして、またそこから少し離れた5、6番手の位置に1番人気メジロエスキーがいます。最初の1000mの通過は……59秒8、やや速めのペースか』
前の子相変わらず飛ばしていくなあ……2番手の子は釣られてないけどちょっとしんどそう。最後の直線伸びなさそうだからちょっと進路は気をつけなきゃ。
『──第3コーナーを過ぎ残り800mを切りました。先頭は変わらずウイニングヴァレーですが差はやや詰まってきたか。後続のウマ娘が一気に前に迫ってきて残り600mを通過。メジロエスキーはもう先頭に並ぶ位置、ミズノラムレットは外を回って中段から好位に向かって上がってくる。そして第4コーナーを回り最後の直線に向きました!』
前には誰もいない。脚は全然残ってる。ティーケイさんとラムレットさんも上がってきてるけど、これなら! そう思い足を踏み込もうとした瞬間、不意に頭に言葉が流れ込んでくる悪魔の言葉。
(元々人なんだろ? そんなお前がダービー勝っていいのか?)
……違う
(見てみろよ他の子の顔を。あれだけ必死な顔してるのに元々人のお前に負けるなんて可哀想って思わないのか?)
違う
(お前のことなんて誰も応援も期待もしてないんだ。諦めて楽になれよ)
違うっ!!!
元々人だなんて関係ない。今は、この時はわたしはわたしなんだから! それに、
「エスキー!!!」「頑張れー!!!」「ぶちかませー!!!」
あんなに応援してくれる人たちを、
「エスキー!!! アタシは見てるからね!!!」
わたしのことを1番だって言ってくれた姉さまを裏切ったりなんてしない! だから!
「絶対負けるもんかあああああ!!!!!」
『──残り300mでメジロエスキーが先頭に代わる! 外を突いてティーケイシンボリ、さらに大外からミズノラムレットも追い込んでくるが……抜けた抜けた抜けたぁ! メジロエスキー後続をグングン引き離す! 3バ身から4バ身! これは強い!』
メジロの誇り、みんなの期待、姉さまの応援、全てを背負って、わたしは今、
『──2番手にはティーケイシンボリとミズノラムレットが上がってくるが大勢決した! メジロエスキー圧勝で今ゴールイン! 2冠達成! そして今ここにダービー史上、初めてメジロの名前が刻まれます!』
……勝ったよ、姉さま、おばあさま、そして応援してくれたみんな。
『そしてなんとタイムは…2分21秒5!? ものすごいレコードが生まれました! メジロエスキー、このウマ娘はどこまで強いんでしょうか!』
─────
第○○回東京優駿(日本ダービー)(GⅠ) 1着 メジロエスキー(2:21.5) 2着 ミズノラムレット(6バ身) 3着 ティーケイシンボリ(1バ身) 4着 マチカネユウヤケ(アタマ) 5着 テラユニバース(アタマ) |
+ | クラシック級編⑤ |
─────
まだ体の熱が治まらない。 「わたし、ダービー、勝ったんだよね……」 ウイニングランを終え、姉さまが待つ控え室へ地下バ道を小走りで駆けていく。 「だけどまだ獲らなきゃいけないものは何個もあるんだよね。ここを最高点にしちゃいけないんだから」 気合いを入れ直し息を整えたところで控え室のドアを開ける。
「姉さま、ただいま戻りましt……ってわぁ!? どうしたんですか姉さま?!」
ドアの前でずっとわたしが戻ってくるのを待ち構えていたのか、ドアを開けた瞬間姉さまにギュッと抱き締められた。それはもう強く、強く。 「エスキー……おめでとう……! 頑張ったね……!」 「姉さま、ちょっと痛いです……でもありがとうございます。エスキー、頑張りました!」 皐月賞の時にできなかった分、悩みを苦しみを乗り越えた分強く熱い抱擁。この時間がずっと続けばいいのにな…… と思った瞬間姉さまの方からパッと離されちゃった、残念。 「っていつまでも感傷に浸ってちゃ駄目だよね。エスキー、次のレースどうしよっか? 神戸新聞杯かセントライト記念かだったら距離が近い神戸新聞杯かなってアタシは思うけど」 「うーん……」 しばしの逡巡。王道なら確かに神戸新聞杯なんだけど……
「3冠達成の最短記録って何戦でしたっけ?」
「確か7戦だったかな……ってもしかしてアンタ……」 「はい! 直行します♪」 そう答えた瞬間頭を抱える姉さま。 「はぁ、トレーニングメニュー変えなきゃいけないじゃない……で、もちろん考えはあるんだよね?」 「はい、もちろんです!」 メジロ家の姉さま方と走った時から薄々感じていた、わたしにはとてつもないポテンシャルがあることを。それを活かす頭脳も持ち合わせていることも。そしてダービーをレコードで駆け抜けたことで確信に変わる。それは…… 「もはや日本に敵はいません。あとは世界へ飛び出すだけです。そのための準備も始めたいので」 「もうアンタって子は人の時もウマ娘の時もびっくりすること言うんだから……そうとなったら明日からレースプランとか遠征先とか決めなきゃだから忙しくなるよ」 「はい、よろしくお願いします、姉さま!」 |
+ | シニア級編① |
宣言通りぶっつけ本番となった菊花賞では、
『──さあ4コーナーを回ったところで早々とメジロエスキーが先頭に立ちました! どんなレースを見せるのかメジロエスキー! 前走の日本ダービーでは6バ身ぶっちぎりのレコードというもの凄いレースをやってのけたメジロエスキーですが、果たして今日は一体どんな結末を見せてくれるのか? 先頭から4、5バ身後方で内テラユニバース、外ヒシミエハークが身体を接して上がってくるが……これは強い! 黒い髪を靡かせて、どうだこの強さメジロエスキー! 6戦6勝のキャリアでクラシック3冠達成!』 スタート直後に2番人気のノンワードが転倒し競走中止になるアクシデントが発生するも、エスキーは先団で落ち着いてレースを展開。第4コーナーで先頭に並ぶとあとは突き放すだけの大差圧勝で無事に3冠を達成。
年末の有馬記念では大外15番枠を引くというハプニングが起きるも、
『──さあ4コーナーから直線へ入ります! 先頭シチーオブダンス逃げ込みを図りますが外からメジロエスキーが並んでかわす! さらに後方からティーケイシンボリが強烈な追い込みを見せますが2番手争いまで! 大外枠もなんのその! メジロエスキー今1着でゴールイン! 無敗対決はメジロエスキーに軍配が上がりました!』 最後の何完歩か流す余裕を見せながらも3バ身差の完勝。その後の勝利インタビューでは、 「来年は海外を中心に走ります! 世界が相手でもわたし負けません!」 と堂々と決意表明&宣戦布告。ウマ娘になる前からあまり確信がない発言はしないことは変わらないんだけど、それでも言い切れるメンタル凄いなあ……アタシもまだまだ鍛えないと。
─────
「あけましておめでとうございます、姉さま!」 「あけましておめでとう、エスキー」 有馬記念も終わり、無事新たな年を迎えることができたアタシたち。今年は去年と違って晴れやかな気持ちで初詣を終え、着々と海外遠征の準備を進めている。 「でもほんと理事長には感謝しないといけないね」 「そうですね。遠征を発表してすぐにURAにも掛け合って全面支援してくれるなんて……」 そう、内密に遠征を計画していたこともあり、最初はメジロ家の援助だけで行く予定だったのが、 『応援ッ! これほどのウマ娘を支援せずに送り出すとはトレセン学園の名折れ! 期待ッ! 君たちの活躍を日本から見守っているぞっ!』 といった感じで支援を願い出てもらった。 「とりあえずおばあさまにはもうお礼伝えてるから、三が日が終わったら理事長とURAに挨拶、その翌日出発の予定だからね」 「分かりました! ……フランス楽しみだな〜」 「旅行に行くんじゃないからね」 「分かってまーす。でも少しぐらいはいいですよね?」 「まあレースの直前じゃなかったらね」 「やったー♪ 姉さまとフランスで2人暮らし〜♪」 「はぁ……全くこの子ったら……」 少し能天気なところに呆れてため息をつく。すると、 「でも姉さま? 『憧れのあの人と海外遠征!? しかも1年同じ屋根の下で2人暮らし!?』って題材で漫画描かれてましたよね? てっきり姉さまも楽しみにされているのかと思ってました」 「えっ!? もしかしてまたアタシに隠れて読んでたの!?」 「『2人肩を並べて朝ごはん。こんな時間がずっと続けばいいのに』ってシーンも良かったですし、『今日は2人でルーヴル美術館。なんだか新婚旅行に来てるみたい……って流石に早すぎでしょアタシ!?』ってシーンも可愛かったですね〜」 「声に出さないでっ! 今すぐ忘れてっ!」 「あれ、もしかして今回の遠征って姉さまの予行演習だったりします?」 「エ ス キ ー ?」 「はぁーい、これ以上はやめておきますね……えへへ……」 なんとかエスキーを黙らせることに成功し遠征の準備を再開する。まあ予行演習って話は……あながち嘘じゃないんだけど……これは黙っておいた方が良さそうね。
─────
出発の日。空港でメジロ家のみんなや学園の子たち、ファンの人たちに盛大な送り出しを受け、飛行機に乗り込む。 「もう離陸だけど心の準備はできてる?」 「大丈夫です! あとは勝つだけなので!」 「ふふっ、心配なさそうね」 「それじゃいざ出発です!」 いざフランスへ──! |
+ | シニア級編② |
1月初めに日本からフランスの地へ降り立ったアタシたち。そんなアタシたちが海外初戦に選んだのは──
「3月でもちょっと暑いですねー」 「夜でもこれって流石ドバイだね。というかこれ1回フランス行く必要あった? 日本から直接行けたんじゃない?」 中東が誇る競馬の祭典、ドバイワールドカップデーのGⅠレースの1つ、ドバイシーマクラシック。昨年の目覚ましい活躍により現地から熱烈なラヴコールを受け、招待レースならと出走することになった。 「まあせっかく招待いただいたんですし、初めての海外戦として申し分ないですから」 海外初戦の選択肢はいくつかあった。1月アメリカで行われるペガサスワールドカップターフ、4月のオーストラリアのクイーンエリザベスステークスか香港のクイーンエリザベスⅡ世カップも候補に挙がっていたんだけど、フランスからの距離やレースの距離も考えた結果このレースを選択することに。 「でもなんで2410mって中途半端な距離なんだろ」 「2400mだったらゲートの位置がゴール板に被るからみたいですよ」 「へー、詳しいじゃない」ナデナデ 「えへへ。今調べたんですけどね」 「撫でたの返してよ……ってもう集合の時間。エスキー、頑張って」 「はい! 勝ってきます!」
─────
『──さあ残り300mで日本のメジロエスキーが抜け出した! 後ろから去年のフランスダービーウマ娘と年末の香港覇者が迫ってくるがこれはセーフティーリード! メジロエスキー1着で今ゴールイン! 海を渡っても無敗は続く! これでGⅠ6連勝!』 海外初戦とは思えない気合のりと軽快な足取りで悠々と勝利。これでヨーロッパでのGⅠ戦線に堂々と乗り込むことができてひと安心。せっかくの長期遠征なんだから結果は残したいしさ。
「姉さま勝ちましたよ! ぶいっ!」
「おめでとうエスキー。だいぶ余裕あったね」ナデナデ 「えへへ……芝とコース形態が日本とあまり変わらなくて走りやすかったですから、これなら負けません」 「ただこれからはヨーロッパのレースばっかりになるから練習いっぱいしないとね」 「ふぁーい……」 1月にフランスに渡ってから練習を積み重ねてきたものの、日本と違って芝が重く、さらにコース全体のアップダウンが激しくてその対応にエスキーといえども苦慮していた。 「とりあえず次のレースまでは2ヶ月以上あるから頑張ろ?」 「……姉さまに応援してもらえるならエスキー頑張ります!」 「ふふっ、ほんと単純なんだから……」
次走、プリンスオブウェールズステークス。
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+ | シニア級編③ |
前のレースから約3ヶ月、ユーロスターでドーバー海峡を渡り、そこから現地のURA職員に車で送られやってきたのがここアスコットレース場。
「やっぱりこのコース形態おかしくないです? おにぎりの形してますよ」 「まあヨーロッパのレースって昔は貴族たちがお抱えのウマ娘たちを自分の庭で走らせていた延長って話だから、そこに柵とかスタンドを足していって独特の形になったみたい」 「それでもよくこんなコースでいいって分からないですね……レースが始まった時代が違えばここまで変わるんですか……」 「ほんと凄いよね」 調べてみてびっくりしたんだけど、他にもアタシたちの蹄鉄の形をしたコースとかLの文字を反転させたようなコースとかいろいろあるみたい。それでいてアップダウンも日本と比べ物にならないほど激しいから、昔から日本のウマ娘たちが挑戦するも対応しきれず敗退するのが常だった。
でもアタシたちは違う。
「エスキー、今日の目標は?」 「もちろん1着です!」 「よし、普段どおりね。じゃあ頑張って!」 「はい、行ってきます!」
─────
『──さあ長い長い上り坂が終わり残り200m! ここでわずかに抜け出してきたのは日本のメジロエスキー。ただ後続から昨年の覇者たちが襲いかかってくるが……逆に突き放す! メジロエスキー、2バ身ほどのリードを保って今ゴールイン! 舞台がイギリスに移ってもこのウマ娘の連勝は止まりません!』 前半の下り坂でもペースを上げることなく先団グループで後半へのスタミナを温存。そしてラスト1ハロンで抜け出しそのままゴール。 「全く危なげないレースっぷり、お疲れさま」 「ありがとうございます姉さま。いくらコースの形を勉強していても実際走ってみたらやっぱり慣れないですね……」 「それでも最後余裕ありそうだったけど」 「わたし自身よく分からないんですけど、なぜだかこの体に合ってる気がするんです。練習で慣れただけかもしれないですけど、日本よりしっくりくるというか」 「ふーん……? まあとにかくこれでアップダウンには対応できることが確認できたから、次は本番を想定して距離伸ばしてみよっか」 「はい!」 次走、真夏の決戦、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス。 |
+ | シニア級編④ |
前走のプリンスオブウェールズステークスから約1ヶ月、アタシたちは再びアスコットレース場に足を運ぶことになった。上半期における欧州最強を決める戦いに赴くために。
「姉さま姉さま、やっぱり変だと思うんです」 レース前いつものルーティン(アタシがエスキーを膝の上に乗せて頭を撫でる)をしていると不意にエスキーが疑問をぶつけてきた。 「コースの形が変なことは理解できましたし、アップダウンが激しいことも分かったんですけど……距離中途半端じゃないですか? ドバイの時はゲートがゴール板と被るっていうしっかりした理由がありましたけど、ここはそうでもないですよ?」 そう、今回のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの距離は2400mではなく“2390”m。ちなみに前走エスキーが勝ったプリンスオブウェールズステークスも2000mじゃなくて“1990”mだったりする。 「昔は12ハロン=2400mとして開催してたみたいなんだけど、計測方法は改正されて11ハロン211ヤード=2390mになったんだって」 スマホで出てきた情報を見せてあげると、不満げな表情を浮かべたエスキーは、 「そこは10m延長して12ハロンで開催してほしかったですね……やっぱりヤード・ポンド法ってk…むっ…」 危ないことを言いかけたエスキーの口を急いで塞ぐ。もちろん手で。 「それ以上はメジロ家令嬢としてNGだから。あとやっぱり伝統と格式があるからなかなか変えられないんじゃない? 何十年も続いてるレースだし」 「ぷはっ…まあ姉さまがそう言うなら……ってそろそろ時間ですね」 集合の時間が近づき、エスキーがアタシの膝から下りる。 「じゃあ今日も頑張って」 「はい! ちなみに今日勝ったときのご褒美なんですけど……」 少し顔を赤らめモジモジするエスキー。 「今度もデート? パリ観光はこの前したし……」 「デートもそうなんですけど、チュ、チューを……」 「えっ、ちょっ、はぁ!?」 流石に予想外すぎて変な反応をしてしまった。チューって…… 「いやいやいや流石にそれは」 「じゃあほっぺにでも!!!」 「そ、そこまで言うなら……ほっぺただからね!」 「ありがとうございます姉さま! これで勝てます!!!」 さっきまでのモジモジ具合はどこへやら、颯爽とコースへ向かって走っていってしまった。 「アタシも甘いなあ……」 あの子の圧に負けたとはいえあんな約束をしちゃうなんて…… 「いやでもマウストゥマウスは断ったし、うん、大丈夫! ……って何が大丈夫なんだろ……」 せめてそれは運命の人にとっておきの場面でアタシの方から……
─────
『──さあ最終コーナーを曲がり直線に向かう! おっとここで1人抜け出してきたのは……なんと日本のメジロエスキーだ! しかしまだ400mあるぞ! アイルランドダービーウマ娘や去年のフランスダービーウマ娘たちが一斉に襲いかかってくる! 坂を上る! メジロエスキー粘っている! 粘って粘って、1バ身しのぎ切ってゴールイン! ヨーロッパ上半期最強はなんと、極東からの挑戦者、メジロエスキー!』 ほんとに勝っちゃうなんて……
─────
「姉さま、ただいま戻りました!」 「お、お疲れエスキー。おめでとう……」 「あれ、姉さまどうされたんですか? なんだかあまり嬉しくなさそうな……」 「ううん、違うの。とっても嬉しいんだけど、その……」 「あっ! もしかして照れてるんですか!? わたし勝ったからチューしなきゃって考えてて!」 「もうっ、口に出さないで! ……ちょっとこっち来て」 片やニッコニコの笑顔、片や今にも爆発しそうな赤い顔。どっちがどっちって言うまでもない。 「目は閉じてね……」 「は〜い♪」 エスキーが目を閉じたのを確認し、心を落ち着かせるために一度深呼吸をして、
チュッ
「これで満足した?」
手で口を拭いながらエスキーに問いかけると、それはもう表情筋が攣るんじゃないかと感じるぐらいの満面の笑顔で、 「はい!!! 今日のことは一生忘れません!!!」 と答えてくれた。 「満足くれたんだったらよかった……女の子にもしたことなかったんだからそうじゃなきゃ困るから」 そうポツリと漏らすと、なぜかエスキーはアタシに向けて合掌。 「姉さまの初めて……ごちそうさまでした♪」 「こらっ! 誤解を招く言い方しないっ!」 「本当のことじゃないですか姉さま〜」 この子は調子に乗ったらめんどくさいんだから……! 「……それ以上口応えするならデートはなしだからね」 そう言うとそんなに嫌なのかシュンとした表情で頭を下げ、 「ごめんなさい姉さま、調子に乗りすぎました……」 「分かってくれたならいいの。これからも気をつけること。いい?」 「はい姉さま!」
─────
夏はウマ娘がターフを駆け抜けるがごとくあっという間に過ぎ去り、すぐさま秋が顔を出した。 次走、アイリッシュチャンピオンステークス。 |
+ | シニア級編⑤ |
前走から明らかに練習の調子がいいエスキー。たぶんレースが終わったあとのアレが原因だとは思うんだけど、前より甘え具合が加速してる気が……
「ふぅ…よし、自己ベスト更新です!」 「お疲れさまエスキー。はいドリンク」 「ありがとうございます姉さま!」ギュー 「汗かいてるんだから離れて! 先に汗拭く!」グイーッ 「むぅ……はぁい……」 「……ちょっとだけならギュってしてあげる」 「……! ありがとうございます姉さま! 大好きです!」ギュー こんな感じに露骨にガッカリするから、こっちも罪悪感を感じて折れちゃうんだよね……アタシも甘いな…… 「……はい、もうおしまい! 今日の練習はこれで終わりだから一緒に着替えに戻ろ? 家に帰ったら晩ごはん作るから手伝ってね」 「はーい♪ 姉さまの手料理楽しみ〜♪」 「ほとんど毎日食べてるでしょ」 「毎日食べてても楽しみなんです〜♪」 「はいはい……」
─────
「やってきましたね、レパーズタウンレース場!」 「パリから直行便があってよかったね。もしなかったら電車とフェリー乗り継いでこないといけなかったから」 アタシたちはパリ・ボーヴェ・ティレ空港からアイルランドのダブリン空港への直行便に乗り、空港からはアスコットの時と同じく現地のURA職員に車で送ってもらった。 「ここはまだコースの形普通ですよね。上り坂は多いですけど」 「それはアスコットとかグッドウッドみたいなレース場のインパクトが強すぎるだけで、日本のと比べたらやっぱりアタシは違和感あるかな」 「あと思うのが日本だったらGⅠは大体フルゲートですけど、こっちでフルゲートってあんまり見ないような……今回だって8人立てですし」 「強い子が出るならわざわざぶつけないっていうのと、バ場が合わなかったら直前にでも回避するからね。ゴタゴタが重なってGⅠなのに3頭立てになったこともあったみたいだし、そこはヨーロッパ特有なのかなってアタシは思うな」 「出れるなら出たらいいのに……」 「それはアンタは出たら勝てるからね……」 「むぅ……」 「むくれてないで。もうすぐ集合時間だから行っておいで」 「はぁい。今日も勝つところ見ててくださいね!」 「うん。1番前で見ててあげる」
─────
『──さあ4コーナーを回って最後の直線、上り坂! さあここで中を突いて上がってきたのは1番人気メジロエスキー! 昨年BC覇者やインターナショナルS覇者が襲いかかってくるが問題なし! 2バ身、3バ身突き放して今ゴールイン! ヨーロッパ10ハロンの頂上決戦もあっさり突破! 来月のロンシャンがさらに楽しみになってきました!』 もはやこの距離に敵はなしと言わんばかりの楽勝劇。これなら……!
「ただいま戻ってきました!」
「お疲れエスキー。今日も強かったね」 「アスコットより走りやすかったのでスタートからスーッと行ったらあっさり勝てちゃいました、えへへ……」 「やっぱりエスキーは凄いね。じゃあ今回のご褒美は何が欲しい? もちろんデート以外でね」 「うーん、そうですねぇ……あっ」 「何か思いついた?」 「姉さま姉さま、ちょっとこっちに来てくださいっ」 「? いいけど……ってわっ!?」 グッと腕を引っ張られお互いの体が密着する。そしてエスキーの顔がアタシの顔に近づいてきて…… チュッ 「んっ……今回はこれで満足することにします♪」 「口にされるのかって思って目閉じちゃったけどほっぺたで良かったの?」 「えっ、姉さま、口が良かったんですか!? では今からゆっくりねっとり……」 「そ、そ、そんなわけないでしょ!!! バカなこと言ってないでライブの準備してきて!!!」 「残念……わたしはいつでも待ってますからね♪ じゃあ行ってきますっ!」 駆け足でライブの準備に向かっていくエスキー。
「……将来のこと考えたらいろいろ練習した方がいいのかな……っていやいや何考えてるのアタシ……」
頭をブンブン振って邪念を振り落とす。これからもあの子のペースに巻き込まれないようにしないと……
次走、日本の夢、凱旋門賞。
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+ | シニア級編⑥ |
「いよいよ来たね……」
「はい……流石にわたしも緊張します……」 10月、パリ・ロンシャンレース場。なんのために来たかというと…… 「凱旋門賞、世界一を決めるレース。ほんとにここまで来ちゃうなんて」 「わたし頑張りましたから! もちろん姉さまが支えてくれたおかげですけどね」 「ありがと。レースプランは大丈夫? コースの形は頭に入ってる? 蹄鉄はちゃんと打ってる?」 「大丈夫ですよ姉さま。いつも通りで問題なしですっ!」 これまで大きなレースに送り出してきて慣れたつもりだったけど、凱旋門賞となったらやっぱり緊張しちゃうんだよね…… 「じゃあいつも通り1番前で勝つところ見てるから」 「はいっ! ではまた控え室で待っててください!」
─────
『──回凱旋門賞、さあ今ゲートが開きました! 横一線ほぼ綺麗に揃いました。1、2コーナー中間のポケットからおよそ1000メートルでの先行争いです。大方の予想通りペースメーカーとされる2人が前でレースを引っ張る形となりそうです。有力ウマ娘たちは後方に控える形となりました。日本のメジロエスキーも後方の少し外側でレースを進めています』 うん、大丈夫。思っていたよりペースは上がってないけど、この位置なら十分脚も溜められるし、前も捌いていける。ただ後ろの子がわたしをマークしてる気がするんだよね……
『──さて最初の1000mですが……1分5秒ぐらいで通過したでしょうか。少し遅い流れになっています。まもなく上り坂が終わる第3コーナーに差し掛かります。この辺りから徐々にバ群が固まってきて一気に坂を下りながら右にカーブを曲がってまいります』
よし、プラン通りある程度前の位置が取れました。あとはこの位置をキープしつつ最後の直線まで足を溜められたら……!
『──さあ最後の直線に入ってまいりました! ここで先頭入れ替わっておりますが、ここで英愛ダービーウマ娘が中を割って上がってくるか……いやその外から日本のメジロエスキーとフランスダービーウマ娘が前に並んできて残り300mを切ります!』
やっぱりこの子、わたしが仕掛けるのを待ってたみたいに一緒に上がってきてる……でも最後の瞬発力なら日本のわたしの方が……!
『──200mを切りましてこれは完全に2人のマッチレースになった! さあ日本の夢かフランスの意地か!』
負けない! 絶対に負けない! これはわたしだけの夢じゃない。姉さまの、メジロ家の、日本のみんなの夢なんだから!
「絶対に負けるもんかあぁぁぁぁ!!!!」
『──ここでわずかにメジロエスキーが抜け出した! フランスダービーウマ娘も粘っているが突き放す! 1バ身ほどのリードで今ゴールイン! 日本の夢が! 今! このロンシャンの舞台で叶いました! この凱旋門賞、勝ったのは日本のメジロエスキー!』
「やった……勝ったんだわたし……」
まさに全力を出しつくしてフラフラとなりながらも声援をくれる観客席に向かって深々と一礼。そして顔を上げるとそこには姉さまの姿が見えた。そこで安心してしまったのか体がグラっと傾き、 「エスキー!? 大丈夫!?」 「あ、姉さま……ありがとうございます……」 姉さまが受け止めてくれた。 「無理して立ち上がらなくていいから。ほら、アタシの背中におぶさって」 大勢の観客の前で少し躊躇ったけど、ここでまた倒れちゃったらそれこそ恥ずかしい。だから姉さまに甘えることにした。 「ご褒美もらっちゃいましたね……」 「これがご褒美なわけないでしょ。とにかく控え室まで運んでいくから」 「はい……」 やっぱりわたしこんな優しい姉さまが大好きです……
─────
「んっ……あれここは……?」 「起きた? あ、無理して起きなくていいから」 目覚めたのは控え室じゃなくて近くの病院の診察室だった。けどわたしたち以外には誰もいないような…… 「え、わたし怪我してるんですか? どこも痛くないですけど。あとウイニングライブは……」 「ううん、そうじゃなくて。ライブはまだ全然間に合うから大丈夫……じゃああとは説明お願いしますタキオンさん」 「突然すまない、エスキー君。凱旋門賞制覇おめでとう」 姉さまの呼びかけにドアから現れたのはまさかのタキオンさんだった。 「あ、ありがとうございます……でもタキオンさんがどうしてここに?」 「もちろん世界最高峰の戦いで何か研究に活かせるものはないか見たかったというのもあるんだが、1番は君、エスキー君のことだよ」 「わたし……?」 「端的に言おう。エスキー君、君の体はもう限界だ」 「えっ……」 タキオンさんの言葉に一瞬頭が真っ白になる。でも…… 「いやでも去年の春にあと2年ぐらいはって……」 「私もそう考えていた。だが、君は私たちの想像以上に走った、いや走れてしまったんだ」 言葉に詰まるわたしを差し置くかのようにタキオンさんは話を先に進めていく。 「先ほど君が眠っている間に少し体を調べさせてもらった。ウマ娘特有の細胞や遺伝子の活性化について詳しくは割愛するが、その活性化の数値が我々の想定を超える減少を見せていた。おそらく君の体はそのまま年を越すことはできない。体への負担を考えるとレースもあと1つ走れるかどうか……」 「え、そんな……」 覚悟は決めていたつもりだった。でもそれはもう少し先の話で、あと2ヶ月もないなんて考えもしなかった。 「突然の話で本当にすまない。だが伝えるとすれば今しかなかった。何も知らずに送り出すなんて無責任極まりないことは、この事態を引き起こした張本人が1番やってはいけないことだからね」 「いい、いいんですタキオンさん。いずれ来ることでしたから」 頭を深々と下げるタキオンさんに頭を上げてもらう。 「……とりあえずライブしないと怒られるのでレース場に戻りますね」 「ちょ、ちょっとエスキー!?」 ベッドから下りスタスタと病室から出ていくわたしを姉さまは慌てて追いかける。だけどわたしはそれに気づかないふりをして走ってレース場へ戻っていった。
(じゃあこのわたしの気持ちは……)
─────
「ねえエスキーどうしたの? ずっと黙ってないで。怒ってるならアタシにもちゃんと言ってよ。全部受け止めるから」 ウイニングライブを終えレース場から家への帰り道、ずっと姉さまはわたしに声をかけ続けてくれていた。おそらくわたしがタキオンさんのことを怒ってると思っているのだろう。でもそれは……
その状態は家に着くまで続いた。
「……ただいま。とりあえず早くシャワー浴びてご飯食べて寝ないと……ってエスキー!?」 家の玄関のカギを締めるやいなや姉さまの腕を掴み引っ張っていく……寝室に。 「わっ!? ほんとにどうしたのエスキー!?」 ベッドに投げるように姉さまの腕を離しその上に覆い被さる。そして、 「ちょっ、それは駄目だかr…んっ……」 まるで唇を奪い取るかのような強引なキス。舌を無理やりねじ込み絡ませていく。ただそんな時間も長くは続かず、姉さまがわたしの顔を引き剥がすかのようにして終わりを告げる。 「……ぷはっ。ちょっとエスキー! これは一体どういう了見で……って泣いてるの?」 姉さまに言われて自分の瞳から涙が零れていることに初めて気づく。 「あれ……なんでわたし泣いてるんでしょう……泣きたくなんてないのに……」 目尻に溜まった涙を姉さまがそっと指先で掬ってくれる。 「ねえエスキー。今日だけは我慢しなくていいから。前にも話したでしょ。事実を伝えたとき何があっても受け止めるって。だからエスキーの気持ちが静まるなら、いいよ。さあおいで」 「姉さま……姉さまぁ!」 その夜は長く長く続いた。2人とも疲れて眠り込んでしまうまで、淫らな水音と2つの嬌声を響かせて……
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外が眩しい。ベッドの横の時計を見やるともう朝の10時を過ぎていた。ベッドには自分1人ということは姉さまは既に起きてるみたい。 「んしょっと……」 いくら家でも何も着ないのは恥ずかしいから衣装ケースからパジャマを引っ張り出し、それを着てリビングに向かう。 「姉さまいるかな……」 そーっとリビングへ足を踏み入れると、キッチンで朝ごはんを作ってる姉さまを見つけた。 そのまま気づかれないようにじっと見ていると目が合ってしまい、 「あ、エスキー起きた? おはよう。朝ごはん食べるよ」 「お、おはようございます姉さま……」 気づかれてしまっては仕方ないのでリビングに入り、姉さまと朝ごはんを食べ始める。 (き、気まずいです……昨日の今日では流石に……) 「エスキー? 早く食べないと冷めちゃうよ」 「へっ?! あ、そうですね……」 姉さまはまるでいつもどおりの朝を迎えたかのように振る舞っている。 (あれ、もしかしてこれわたしがおかしいんでしょうか……) 「エスキー、ずっと黙ってるけど、もしかして昨日のこと気にしてる?」 「えっ、あの、その、はい……」 「それはアタシもびっくりしたよ? ベッドに押し倒された時はどうなるのかなって怖かったけど、泣いてるエスキーの顔を見たら、ああこの子今までずっと溜めてた気持ちをどこかにぶつけたがってるんだって気づいてね。その気持ちがアタシにぶつけて解決するなら1番マシかなって」 「ね、姉さま……」 「あっ、ただこれからは絶対駄目だからね。もしやってきたら一生口聞いてあげないから」 「そ、それは肝に銘じておきます……」
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朝食を食べ終わり、昨日忘れていたシャワーを2人して浴び、朝の準備を終える。 「じゃ、もう気持ちは切り替えられた?」 「はい……たぶん」 「なんかあったらすぐ言ってね」 「分かりました姉さまっ!」 「それとあとラストランのことなんだけど……」 「やっぱり最後は有馬記念にしたいです。海外でやりたいことはできましたから」 「うん、分かった。学園の方にはアタシの方から連絡しとく」 「姉さまありがとうございます」 「ということは今週でここを引き払ってすぐ日本に戻って調整始めないとね。エスキーも片付け手伝ってね」 「はいっ!」
次走、ラストラン、有馬記念。
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+ | シニア級編⑦ |
次走が有馬記念に決まってからの日々はそれはもう忙しかった。学園と日本のURAに帰国の連絡、滞在していたフランスのURAに赴き送迎の手配含めいろいろお世話になったことへの御礼、家の片付けなどなど…… 日本に戻ってからも今度は学園と日本のURAへ御礼に赴いた。マスコミ対応として記者会見を開くことになり、有馬記念への練習に初めて入ることができたのは帰国して1週間が経ってからのことだった。
「練習お疲れさま。はい、ドリンク。久しぶりの日本の芝はどう?」
「ありがとうございます姉さま。走り出しは少し違和感あったんですけど、なんだかんだ1年半走ってきた芝なのですぐに慣れました。あとはヨーロッパとは違うペース感覚に戻せたら本当は大丈夫なはずなんですけど……」 「もしかして、体がもう衰えてきて……?」 「おそらくそうだと思います。今考えると、キングジョージの時がMAXだったんじゃないかなと。凱旋門賞もその時の調子だったらもっと2着の子を離せていたと思うんです」 「ということは今回の有馬記念は……」 「みんな期待してくれてますけど、正直ギリギリかなって思ってます。しかも相手するのは……」 「同世代のティーケイシンボリか」 エスキーを除けば中長距離界では世代屈指の実力を持つティーケイシンボリ。ロブロイやデジタルもいるけど、おそらく最後は2人のマッチレースになる公算が高い、エスキーの衰えが確かであれば。 「ただ、衰えていたとしても今までのレース経験と鍛えた事実、そしてレースの知識が消えるわけじゃありません。そこで戦えれば勝算は十分あります」 「うん、分かった。アタシはエスキーの言葉を信じる。2人でラストランをしっかり飾ろうね」 「はいっ、姉さま!」
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『午後3時現在、11万8000人ものファンが詰めかけております中山レース場。いよいよ枠入りが始まろうとしておりますが、解説の田吉さん、やはり去年の1、2着の子が中心と考えてみてよろしいんでしょうか?』 『そうですね。おそらくシンボリの方は去年の雪辱を果たそうとメジロを目標にレースを進めると思うので、後続はその2人の動きを見ながら動いていくという展開になると予想されますよね』 『同じく解説の西さん、注目しているウマ娘といえば誰なんでしょうか?』 『やはり大外13番のメジロエスキーでしょうか。日本初の凱旋門賞ウマ娘ですからね。ラストランということで有終の美を飾るのか期待したいところです。クラシック級ではやはりゼンノロブロイでしょうか』
『さあ枠入りは順調に進みまして最後にこれがラストラン、グランプリ連覇なるか13番メジロエスキー。ゆっくりとゲートに入っていきました。さあ態勢完了……今ゲートが開きました! 13人綺麗にゲートを出まして3コーナーから4コーナーのカーブへ向かってまいります』
よし、スタートはバッチリ。今回も大外枠引いちゃったけどすっと中団前につけることができた。ただすぐ後ろには、 (エスキーさんと走るのは今回が最後。ダービーと去年の有馬の雪辱、果たさせてもらいます!!!) 並々ならぬオーラを漂わせてティーケイさんが構えている。わたしを徹底的にマークするように。
『──正面スタンド前に出てきまして、おっとこれは意外な展開。シチーオブダンスは控える形! なんと3番手でレースを進めております。その後方にゼンノロブロイ、メジロエスキー、外目を突いてティーケイシンボリら5人ほど固まって、また少しバ群が開きまして4人、また少し開いて最後方に1人といった隊列でレースが進んでおります』
レースが中盤に差し掛かり、かなり長い隊列になった。先頭は今年の菊花賞を勝った子が引っ張る形だけど、いつもの有馬記念よりペースが速い。いくら菊花賞を前目で運んで勝ったスタミナがあるとはいってもたぶんレース終盤で垂れてくるはず。前はシチーオブダンスさんが残るかどうか。やっぱり最後は……
『──先頭から殿まで20バ身以上の縦長の展開で2度目の3コーナーへ向かいます。さあ前は固まってまいりまして、この辺りでシチーオブダンスが内を突いて先頭に迫ります。』
(*2)
『──とここでメジロエスキーとティーケイシンボリが楽な感じで4番手、3番手。シチーオブダンスは苦しいか!』
2人同時に仕掛ける形になって前に迫る。位置取りはわたしの方が前だけど、その分少し前半で控えたティーケイさんの方が脚が残ってるはず。勝負は完全に五分五分。
『──さあ第4コーナーを回って最後の直線! 先頭は早くもここでメジロエスキーとティーケイシンボリの2人に替わる! 後続を突き放し完全にマッチレースになった! 後続とのリードは3バ身、4バ身と広がっていくがマッチレースはまだ続いているが、わずかに外の方が勢いがいい!』
内がわたしで外がティーケイさん。リードはもうない。むしろ逆にこの勢いなら……そう俯きかけた瞬間、
「エスキー!!! 頑張れー!!!」
姉さまの声が聞こえた。わたしを、わたしだけを応援してくれる姉さまの声が。
そう、負けちゃ駄目だ。これが姉さまと臨む最後のレースなんだから。そう、このレース、
「勝つのはわたしだあぁぁぁぁぁ!!!!!」
『──いやここで内も盛り返す! 凱旋門賞ウマ娘の意地か、天皇賞ウマ娘のプライドか、勝つのはどっちだあぁぁぁ!』
全く並んでゴール板を駆け抜ける。たぶん写真判定になるのだろう。ただ、ティーケイさんがわたしの所に駆け寄ってきて、 「おめでとうございます、エスキーさん」 「えっと、まだ判定が……」 「いえ、エスキーさんが勝ってます、悔しいですが」 ハナ差の決着、それもわずか数cmの差であってもどっちが勝ったか感覚的に分かるウマ娘も多いと聞く。わたしは無我夢中で走り抜いただけだから全く分からなかったけど。 「ほら、見てください」 そうティーケイさんが指差したターフビジョンの掲示板に、 1着 13 2着 12 3着 3 4着 2 5着 1 の数字が点滅していた。 「勝ったんだ、本当に……!」 「今までありがとうございました。雪辱を果たせなかったのが本当に残念です。これからは一体?」 「えーっと……少し海外を見て回ろうかと思ってます。トレーナーの研修について行こうかと」 「では将来はトレーナーに?」 「一応そのつもりです」 「それは楽しみです。いつかあなたの姿をまた見られること期待してますよ」 「……はい。頑張りますね」 ちょっと嘘をついちゃった。でもトレーナーに戻るんだから、またよろしくねティーケイさん。
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「ただいま戻りました……ってわぁ!? 姉さまどうされたんですか!?」 「良かった……本当に良かった……うぅ……」 涙で目を腫らした姉さまに強く抱き締められた。それはもう強く。 「姉さま泣きすぎですよ。まだお別れじゃないんですから」 「だって、だって、もうこれで走るの最後なんだから……!」 「よしよし……姉さまは泣き虫ですねっ。これじゃどっちが姉さまか分からないじゃないですか」 「うぅ……えっぐ……」
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そうした時間がしばらく続き、姉さまが落ち着いたところでゆっくりと2人でソファに腰掛ける。 「これからウイニングライブですけど、終わったら予定通り……」 「そうね。メジロ家のお屋敷に戻ってそこで……」 元の体に戻って意識を取り戻す。わたしは、いなくなる。 「わたしの記憶はどうなるんですか……?」 「分からないけど、タキオンさんが言うには夢みたいに消えていくんじゃないかって。今のエスキーがトレーナーの時の記憶がないように」 「そう、ですか……やっぱり……」 分かっていたことではあった。でも姉さまとの楽しかった3年ほどの思い出が消えてしまう。全部。 (一体どうしたら形に……あっ……) 「姉さま姉さま、姉さまは漫画描かれますよね」 「ま、まあ上手くはないけど」 「じゃあこのレース勝ったご褒美にこれまでエスキーと過ごしたこと全て描いてください。それで元に戻った“わたし”に見せてください。お願いしても、いいですか?」 「そっか、そうすれば思い出を形に残せる……うん、任せて。アタシの全てで描いてみせるから」 「ありがとうございます姉さま。ではよろしくお願いしますね」
これで悔いはほとんどなくなった。あと姉さまにお願いすることは……
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+ | 終章 |
12/28(日)夜
ライブを終えたエスキーをメジロ家のお屋敷に連れて行く。
「クラスの子とのお別れはしなくてよかったの?」 「ティーケイさんにはレース直後に挨拶できましたし、ラムレットさんはレース観戦に来られていたのでライブ前に少しだけお話しました。もう大丈夫です」 「そっか……」 アタシたち2人にしては珍しく会話が続かない。というよりエスキーが静かにしているからちょっと落ち着かない……
「ねえエスキー」
入浴、夕食と済ませ、自身の部屋に戻ろうとするエスキーを呼び止める。 「どうされたんですか姉さま?」 「あのね……一緒のベッドで寝ない?」 「姉さまの方から誘ってもらえるだなんて……ふふっ、もちろんいいですよ」 「ありがと、じゃ行こっか」 手を繋ぎ2人でアタシの部屋に向かう。
ぽつりぽつりと会話を交わしているうちにお互いうつらうつらしてきたから寝る準備を始める。
「じゃあ電気消すからね、おやすみエスキー」 「はい、おやすみなさい姉さま」
電気を消し布団に入る。ただ、
(やっぱりちょっと寂しい……あっ、そうだ) 「ねえエスキー。まだ起きてる?」 「はい、まだ起きてますよ」 「ちょっとこっちに来てくれる?」 「? はい、構わないですけど……」 そうエスキーがじりじりと近づいてきたところをギュッと抱き締める。 「えーっと姉さま? どうされたんですか?」 「ううん、ちょっと寂しくなっちゃっただけ。嫌だった?」 「全然そんなことないですっ! じゃあわたしもギュってしていいですか?」 「うん、ありがと。エスキー、大好きだよ」 「っ!? はい、わたしも姉さまが大好きですっ!」 そう話しているうちに疲れていたのかお互いすぐに夢の中へ落ちていった。
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次の日はおばあさまにこれまでいろいろ手助けしてもらったことに2人にお礼を伝えにいった。 「おばあさま、この2年半ほどお世話になりました。学園への編入、海外遠征の援助、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました」 「こちらこそありがとうと伝えさせてちょうだい、エスキー。あなたにはメジロの夢をいくつも叶えてもらいました。ダービー、海外制覇、そして凱旋門賞。私の方こそ感謝してもしきれません。ドーベルもエスキーを支えてくれてありがとう」 「いえ、トレーナーにしてもらったことを返していたまでです」 「あなたはもう少し素直になった方が相手に気持ちが伝わりやすいと思うわよ」 「なっ……!? べ、別に好きな人なんていませんからっ!」 「あらあら、うふふっ」
「おばあさまってあんなこと言う人だったかな……」
「姉さまが分かりやすいからじゃないですか?」 「今、なんて……?」 「なんでもありませーんっ。えへへっ」 「はぁ、もうこの子は最後まで変わらないんだから……」
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翌日30日はアタシからのお願いでコースで一緒に走ってもらった。 「マックイーン姉さまやライアン姉さまたちは呼ばなくてよかったんですか?」 「ううん、呼んだんだけど『最後なんだから2人で走ったら』って言われちゃって」 1番最初にこの子と走った時と同じようにメジロ家のみんなにも声をかけたんだけど、アタシの気持ちを知って知らずか、みんなに『2人で走ってきて。自分はいいから』って断られちゃった。 「わたしは皆さんとでもよかったんですけど、姉さまを独り占めできるならそれはそれで嬉しいですっ!」 「アタシも。じゃあ行くよ。位置について、よーい、ドンッ!」 アタシの合図で2人一斉に走り出す。ペースも距離も考えずにただ走る。お互い楽しそうに、笑いながら。 お互い息が切れたところで足を止め、ターフの上に寝転がる。 「ハァハァ……姉さまやっぱり速いですね……」 「ハァハァ……エスキーこそ……ほんとは衰えてないんじゃないの……?」 「姉さまとだから頑張れたんですよ。もう体はだめだめです……」 「そっか……ありがとねエスキー。アタシのわがままに付き合ってもらって」 「ううん、いいんです。わたしの方が今までいっぱいいーっぱいわがまま言ってたんですから」 「それもそっか」 「えーっ!? そこは否定してくださいよぉ!」 「ふふっ、ごめんごめん」 「もう姉さまったら……ふふっ」
お屋敷の部屋に戻ってからはずっと2人でこれまでの思い出を笑いながら、時には少し涙を流しながらお互い寝落ちするまで語り合った……
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翌朝、エスキーがなかなか目覚めなかった。もしかしてもうその時がと思って焦っているところで目を開けホッとする。だけど、 「姉さま……なんだか体が重いです……あと少し熱っぽいかも……」 「ベッドでじっとしてて! すぐに主治医とタキオンさん呼んでくるから!」 あらかじめタキオンさんには何が起きてもいいように朝から待機してもらう手はずを整えていた。もちろんただの体調不良の可能性もあるからメジロ家専属の主治医もともに来てもらう。
「ねぇ主治医」
「ドーベルお嬢様、エスキーお嬢様は風邪でも病気でもありません。誠に申し訳ないですが原因は……」 「そうですか……ということはタキオンさん」 「あぁ、その時が近づいているということだね」 「そう、そっか……」 今日で最後なのは分かっていた。でもやっぱりこれでお別れなんて…… 「ドーベル君、君に聞きたいことがある」 そう言うとタキオンさんは懐から謎の液体が入った試験管を取り出した。 「もし、もしだ。これで明日からもエスキー君がいてくれるなら、どうする?」 「えっ……そんな……ほんとですかっ!?」 魔法の言葉に迷わず食いつく。そんなことっ……! 「ちょっと待ちたまえ。確かに成分は君のトレーナー君に飲ませた物を再現している。ただあくまであの時飲んだのはヒト。それをまだウマ娘なこの子に飲ませたときにどうなるかの保証は私にもできない。もちろん問題なく作用する可能性もあるが、最悪の場合……」 そこまで言って口を閉ざすタキオンさん。おそらく、 「細胞が暴走、ないしは遺伝子の過活性化によって、死、もしくは一生目を覚まさないかもしれないってことですよね」 「完璧な補足ありがとう。そう、だから一研究者としてはオススメできない。だから私からはこの子に飲むようには勧められない。君に一任するよ」 そう言うと試験管をアタシに渡し、主治医とともに部屋を去る。アタシは渡された試験管をぐっと握りしめ、エスキーをただ見つめるしかできなかった。
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いつまでそうしていただろうか。気がつけば日が暮れ、夜の帳が下りていた。 「これをエスキーが飲んでくれたらまた一緒に……ううん、でもこれで一生目が覚めなかったらそのときアタシは……」 自責の念に駆られ、後を追うかもしれない。 そんな時、 「ねえ、姉さま……」 「エスキー!? 目が覚めたの!?」 「姉さまの独り言で目が覚めちゃいました……えへへ……」 「あっ、ごめんね……」 「それで、姉さまはどうされたいんですか?」 「えっ、聞いてたの……?」 「少しだけですけどね……で、姉さまはその試験管の中身をわたしに飲んでほしいんですか?」 「えっ、いや、それは……」 いざ本人に聞かれると逡巡してしまう。それを察してか 「もし姉さまが本当にわたしに飲んでほしいと思うならわたしは飲みます。ただ姉さまには考えてほしいんです」 「なにを……?」 そう返すとエスキーは息をスッと吸い込み、 「姉さまが本当にこれから一緒にいたい人は誰ですか? わたし、ですか?」 息が止まる。そうだ、アタシは…… そんなアタシの顔を見てエスキーは微笑んで、 「気づいてくれてよかったです」 その言葉を聞いて窓の外に試験管を放り投げる。アタシってほんとバカだなあ…… 「ふふっ、姉さま勢い良すぎです……あっ……」 「エスキー!?」 少しベッドから起き上がっていたエスキーがまたベッドに倒れ込む。 「ねえ、姉さま。最後にわたしのお願い聞いてもらえますか……?」 「うん……うんっ! アタシにできることならなんでも言って!」 「えへへ、ありがとうございます……じゃあ姉さま。姉さまの想い、ちゃんと伝えてください」 「アタシの……気持ち……?」 「はい。もしかして気づかれてないと思ってたんですか?」 隠してたつもりだったんだけどバレバレだったんだ……まあ元々あの人だったわけだし、それでこれだけ一緒にいて気づかれないわけないか。 「うん、分かった。約束。指切りげんまん」 「ウソついたら夢の中で毎日出てきちゃいますからね……」 「あはは、それはちょっと困るかな……」 そう返すと、エスキーは、 「ああ、そろそろ時間みたいです……眠たくなってきました……」 「エスキーっ……! エスキーぃ……!」 「泣かないでください姉さま……また会えますから……」 「えっ……それはどういう……」 アタシの言葉に笑顔で返し、エスキーはそっと目を閉じる。そしてもう目を開けることはなかった。
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翌朝目が覚めた時、エスキーが眠っていた所にはトレーナーがいた。まるでいつもの朝を迎えるかのように。 「エスキー……ううん、アタシがこれ以上ヘコんでてどうするの。エスキーとの約束、守らなきゃ」
そこからの日々はひたすらエスキーと過ごした日々を描き続けた。時にはレースの映像を振り返りながら。時には2人で撮った写真を見て思い出を振り返りながら。トレーナーが起きるまでずっと、ずっと。
そして桜が咲き誇り、エスキーとの2年半を描き上げた日、トレーナーの目が覚めた。
「おはよ、トレーナー」
─────
長い、長い夢を見ていた。ターフを駆け、栄光を掴む、そんなありえない夢を。 少しベッドから体を起こし窓の方に顔を向けると、ドーベルの顔を見つけた。胸に何か本を抱えている。 「おはよ、トレーナー」 「ドーベル……」 「ん、まだ寝ぼけてるの? シャンとしなきゃ」 「そ、そうだな。でも何か長い夢を見ていたような気がするんだ。ありえないことなんだけど」 「ふぅん。アタシもトレーナーが寝てる間のこといっぱい話したいんだ」 「もしかしてその本……」 「そうなんだけど、ちょっと待って」 ドーベルはそこで言葉を切り、少し深呼吸。そしてこっちをキッと見つめて、 「あのね、トレーナー。アタシトレーナーのことがずっと──」
─────
それから数年。とある病院にて。 オンギャアオンギャア 「おめでとうございます! 元気なウマ娘ですよ!」
あの日想いを伝えたアタシはトレーナーと無事結ばれ、今日1人の子どもをもうけることになった。
「良かった……」
そう1人呟き生まれてきてくれた赤ちゃんの顔を見ると、頭に電流が走った。 (あっ、もしかしてこれ……)
エスキーが言っていた。また会えるって。あの時は全く意味が分からなかったけど、
(そういうことだったんだ……また会えるって……)
(じゃあ、この子の名前は……)
そう思った瞬間、トレーナー、いや愛する人が部屋に駆け込んできた。
「良かった……無事産まれたんだな……」 「そうだよあなた、ううん、パパ」 「なんか照れくさいな……それでこの子の名前は……」 「決まってるよ。エスキモー。メジロエスキモー」 「え、その名前って……」 「そうこの子は……」
そういうことだったんだ、また会えるって。
「これからはずっと一緒だよ、エスキー」
そう呟くと、
(はいっ! これからずっと一緒ですっ! 姉さまっ!)
そんな声が聞こえた気がした。
─終─
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