―――シェリルが縛血者に変えられてから、百年の時が過ぎていた。
世界が二度の大戦に揺れ動き、文明が目まぐるしく進んでゆく中、
人に戻る術をとっくの昔に無くし、失敗の度に罰として深い傷を体中に刻みこまれようとも、
シェリル・マクレガーは、血親殺しに挑むことを止めようとはしなかった。
幾千度目の挑戦……人類が生み出したジェット戦闘機という近代兵器を操縦士ごと奪い取り、標的の居る古城を強襲した。
爆弾で城壁を崩し、機関砲の掃射で、バイロンの眷属らを皆殺しにした。
だが、それでもずっと狙い続けてきた、バイロンだけは斃しきることが叶わなかった。
再生を繰り返しながら、愛しい玩具の必死の足掻きを嘲笑うように前進する魔人。
その姿に恐怖し、完全に意気を消失してしまったシェリルは、彼の操る 影の刃に四肢を奪われ…… 芋虫の如き悲惨な姿を曝していた。
そして――― 自分の目的は此処では果たせぬと悟ったバイロンは、
失血で程なく死ぬであろう我が仔に、「百年の遊戯」の相手を務め上げた礼を告げ……闇の中にその姿を溶かしていった。
近づく二度目にして、最後の死。
その瞬間を自分の血で染まった冷たい床の上で感じながら、シェリルは諦観と共に己の終焉を受け入れていた。
百年の間、彼女は鼓動を刻まぬ肉体と、実感なき生と、「今日」を繰り返し続ける停滞の輪の中で、
虚無に呑み込まれることを拒むために、自分は自分であると叫ぶために、目的を求め続けた。
それが、途方もなく巨大な化け物から、恐怖や痛みだけを刻みこまれる敗北しかない闘いでも、
シェリルにとっては、バイロンという存在を殺すことだけが、生を繋ぐ目的だったのだ。
「でも……もう、いいや……疲れた、よ」
それでも、これが最後だと。完全に心を挫かれ、苦痛に失われてゆく意識。
彼女は、終わりの時くらいはと、自分にもいたはずの、“母親” の名を呟こうとして―――
「……くくっ……はは、は……思い出せないや……」
面影も、名前も、人生最初の記憶すらも。時の中で、全て奪われていた、と。
シェリルは空っぽになった心のままに、哀しく笑っていた。
もう何もかもが億劫だ。目を閉じよう、世界を閉じよう、それできっと全てが終わる。
だが、そうやって眠りを受け入れる間際の耳に、足音が響く。
「嫌、だ……もう二度と、あんな世界には……戻るもんか……」
拒絶する言葉とは裏腹に、その瞼はゆっくりと開かれてゆく。
今更何を、この現実の先に期待しているのかと自嘲して―――
――見上げた先、シェリルの眼には、見知らぬ男の姿が映っていた…………
それが、後に相棒として行動を共にする、トシロー・カシマとの出会いだった。
「あたしって、こういう好き嫌いがはっきりしてる性格だからさ……
少なくとも、ほら、嫌いな男とずっと一緒にいるとか無理だと思うのよね」
「で、まあ……あんたは、そんなあたしと長年それなりに一緒にいる訳で……
―――って言う事は、ほら、あたしはあんたを嫌いじゃないって事になる訳だ」
「まあ、あんたの方はどう思ってるのか判らないけど……」
「まあ、うるさい女だけど、一緒に居て我慢できる程度には悪くない位なのかなー
―――とか勝手に思ってるけど……そんな感じでOK?」
シェリルは瀕死の命を拾われ、彼が夜警として北米西部 鎖輪・ フォギィボトムに仮の住いとなる小さな探偵社を得て以降も、ずっと同行し……
そして、今も彼の仕事を手伝い、陽光を 忌呪とするハンデを負いつつも、
人であった時分得られなかった、 日常の瞬間瞬間に笑ったり、泣いたりして、「生きて」いる。
「あたしはあたしの役目を果たしただけ───悩んで沈みがちなあんたの背を押す、自分の役目を……さ」
「OK。なら、あたしはいつも通り。相棒として、要らぬお節介を焼かせてもらうわ。地獄の底まで付いてくわよ」
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そんな彼ら二人のやり取りの一部 |
「ね、ね。ちょっと、この辺で停めて休もうよ」
「駄目だ」
「キャピルンッ停めないと怒っちゃうゾ」
「誰だ」
「停めなさい。これは公子としての命令よ」
「似ていない」
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それは、彼女が生来備えていたはずの、人としての明るさ、暖かさの反映なのかもしれないが―――
同時に、かつて悪党として様々な物を奪い、果てに鼓動を奪われた過去の影を忘れるための、心の働きなのかもしれない。
ただ、そうした彼女の姿に、 モーガンは 過去を重ねる自分達とは違う…… 「明日」を見て生きている女性だという印象を抱き、惚れ込んでいる。
そして、自分を救い、長年離れずにやってこれた相棒が背負っているであろう深い、深い影についても。
察して気遣いながらも、しかし、自分から立ち入る選択は絶対にしなかった。
――そこに踏み込めば、自分もまた暗闇に怯えるしかなかった過去を曝さずにはいられないから。
――それなら、ずっとこのままでいい。停滞や臆病だと言われたとしても、二人でいられるこの時間がずっと続くなら。
だが、霧の街が 杭の怪物の被害に騒然とする中、
トシローも 杭を操る狩人の少女や、再来したという 三本指の事件を前に、己の知らない顔を見せるようになり……
そして、シェリル自身も――――
二度と会う事がないと思っていた、最悪の影との再会を果たすことになる。
冷たく凍りつく彼女の意識に響く言葉、それは。
―――過去の真実はいつでも傍にある。無かった事になど出来はしない。
―――どれほど迅く、どこまで遠く逃げたとしても、己の影だけは絶対に振り切れはしないのだから。
シェリル・マクレガーにも、選択の瞬間は迫っていた――――
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