[[戻る>霧の海域]] 遠方での仕事を済ませた一行は、珍しく船での帰途についていた。 滅多にない船旅を何日か楽しみ、もうすぐ港に着こうかという最後の晩、夜も開けようかという頃に事件は起きる。 「ん……なんだ、騒がしいな」 そう呟いて、ウェインはむくりとベッドから起き出した。自分の船室の前で、誰かが言い争いをしているのだ。 気にとめず、もう一度寝てしまおうかとも思ったが、部屋のすぐ前で騒がれるものだからそれも出来そうにない。仕方なく、ウェインは様子を見るために部屋を出た。 「今、この船はどのあたりにいるんだ!」 「す、すまねぇ、ちょっとわからねえんだ」 部屋を出てみると、向かいの部屋の客が船員になにかを問い詰めているようだ。その剣幕に押されてか、船員は眉をハの字にして謝っている。 「何かあったのかい?」 ウェインが船員に尋ねると、船員は助けが来たと言わんばかりにウェインに振り返った。 「あ、あぁ。どうも妙な霧が出てきちまってねぇ、船が進んでいないみたいなんだ」 「妙な霧……? まあいいや、ありがとさん」 「すまないな、今日中に港に着けるかどうかも分からないんだ。今、みんなで周囲の様子を見てるところなんだが……。ああ、そうだ。もし甲板に出るなら、蝋燭か何かを持っていってくれ。真っ暗だからな」 「ああ、分かった」 ウェインと船員が話し終わるやいなや、また怒鳴り出す客を尻目にウェインが立ち去ろうとすると、後ろからウェインを呼び止める声があった。 「よう、ウェイン。こりゃあいってぇ何の騒ぎでぇ?」 仲間の一人である[[ロック]]だ。どうやらあの客の怒鳴り声はロックの部屋まで聞こえていたらしい。 「妙な霧が出て船が止まってるとか……。しかもこの雰囲気、全く怪しいもんだ」 ウェインはまだ怒鳴り続けている客を一瞥した後、ため息をついた。 「ふぅん……」 ロックは少し思案げに腕を組み、辺りを軽く見まわす。 「もしかしたら何か[[モンスター]]の仕業かもな」 ウェインはロックの真剣そうな顔を見て、自分も深く頷いた。 「ああ、そうだな。だが……まあそれはそれとして」 「うん?」 ウェインはニヤリと笑ってロックに賽を見せる。 「……暇だしこいつでちと遊ばないかい?」 ロックは呆れたように「何馬鹿言ってんだ」とため息混じりに呟いた。 船内の慌ただしい雰囲気に、ガイストは目を覚ました。こんな時間だと言うのに、甲板や廊下を走る音が聞こえるのだ。 「ふむ、不自然ですねえ…」 ガイストはベッドの上に座り、顎に手を当てる。そうして僅かに考えた後、眼鏡をかけて部屋を出た。 「ルツィエ、起きて下さい」 ガイストが訪ねたのはパーティーの紅一点である、ルツィエの部屋だ。 ノックををしてしばらく待つと、小柄な影がドアをかちゃりと開いた。 「んぅ……なんですか……? ガイストさん、なにかあったんですか?」 ルツィエはまだ眠たそうな顔をしていたが、ただならぬ気配に気が付いたのか、持っていた手持ち燭台をガイストに手渡し、すぐに部屋を出る準備を始める。 「まだ何も分かっていません。ただ、何かがおかしいですね……」 ルツィエはロングの金髪をポニーテールに纏めながらガイストを顧みる。 「おかしい……ですか?」 「ええ。船内が慌ただしい気がします」 「ガイストさまー」 ガイストに呼び掛ける声がして振り返ると、仲間のググル神官、メリスがこちらに走ってきていた。 「メリス、あなたも起きたのですね」 「はい! ガイストさま」 少年らしく無邪気に答えるメリス。しかしこの少年が油断ならない人物であることは、もはやパーティーの全員が知っていることだ。 ガイストはルツィエの準備があらかた整ったのを確認すると、騒がしい甲板をちらりと見上げて、眼鏡に軽く触れた。 「とりあえず、甲板に出てみましょう」 「分かりましたです」 「はい!」 ウェインとロックが甲板に出ると、辺りは暗闇に包まれていた。 月すら見えない深い霧に、この船は閉ざされてしまっていたのだ。甲板にはぽつぽつと松明の明かりが見えるが、それすらもほんの少し遠ざかるだけでかき消されてしまいそうだ。 「確かに、真っ暗だなこりゃあ。船の端が見えねぇ」 「おいロック、気を付けろ。周りの精霊の気配がおかしい」 ウェインは戦士だが、同時に[[精霊魔法]]の使い手でもある。きっとこの空気に、どこか感じることがあるのだろうとロックは思った。 「ほう……」 「なぁに? 穏やかじゃ無いわね」 甲板の出入り口から、一人の女性が赤い髪を結びながら出てくる。 「凄い霧ね……月が何処に有るかさえ分からないわ」 彼女は――否、彼というべきか。仲間のヴェーナー神官、ガーネットだ。 ガーネットを交え、ウェイン達が警戒しつつ話していると、既に甲板に出ていたらしいガイスト達が近づいてきた。 「ウェイン、起きたのですね」 「お前らも出てたのか」 仲間達六人が揃い、現状の確認を始める。皆ただ事でない気配には気が付いているようで、真剣な面持ちで話し合い始めた。 「ウェイン、この付近の精霊はどうなっていますか?」 ガイストはウェインに尋ねる。ガイストや他の仲間達にはせいぜい「嫌な雰囲気」程度にしか感じられないこの状態も、精霊使いのウェインにとってはもっと明確に理解できるからだ。ウェインは「そうだな」と一つ前置きをし、愛用のハルバードに少し身を預けて答えた。 「火、水、光、闇、生命、精神、負の生命の精霊がいるな。風が居ないのと負の生命の精霊が居るのが気になるんだ」 ガイストは「なるほど」と呟いて、考えるようなしぐさをする。こういった時、彼の頭の中では大量の知識が渦を巻いている。そのことは仲間も承知しているので、ガイストの考え事を邪魔するようなことはしない。 負の生命と聞いて、メリスが顔をしかめる。 「負の生命の精霊ですか、道理で嫌な空気のハズですね」 「[[アンデッド]]系モンスターの仕業か?」 「嫌な予感しかしないわね」 ロックの予想に、ガーネットが若干不安そうに眉を寄せる。 ガーネットの不安顔を見上げるルツィエ。ふとその時、ルツィエは視界の端に船の帆を捉えた。松明の僅かな明かりを頼りにじっと帆を見れば、帆は受ける風もなくたわんでいる。 「船、止まっちゃってるですか?」 ルツィエがたわんだ帆を見上げながら呟くと、通りがかりの船員が答える。 「ああ、どうもそうみたいなんだ。こんなこと、今まではなかったんだけどなぁ……」 「ここらへんって、割と霧が出やすい海域なのかしら?」 「そんなことないはずなんだけどなぁ……。海の怪物なんかの話も聞かない、安全な航路だったはずなんだ」 ガーネットの問いに答える彼もまた、状況が把握できていないのか不安そうな顔をしている。 「せめて風さえあれば、それなりには動けるはずなんだがな。波に流されてるのかどうかさえ、ほとんど分からないんだ……」 そう、ウェインが先ほど言っていたように、風の精霊が居ない。だからこそ、深い霧も晴れずにいるのだろう。 ルツィエは少し考えるようなそぶりをした後、船員に尋ねる。 「こういう話ってよくあることなんですか? なにか手がかりがあったら私の知ってるサーガになにか解決方法があるかもです」 「いやあ、ここの航路はいつも通るんだが、こんなことは初めてだよ……」 「ちょっと、思い出してみますです」 戦士であるルツィエだが、吟遊詩人としての知識もそれなりにある。今回のことに纏わる伝承が有っただろうかと、少し考えているようだ。 しかしどうにも思いだせないのか、眉をきつく寄せてしまっている。 その様子をみたガイストは慰めるようにルツィエの肩を叩いたが、ルツィエは少し不機嫌そうに頬をふくらませてしまった。 ガイストはそれを見て「はは」と笑い、無駄に輝かんばかりの笑顔を浮かべている。それがまた腹立たしかったらしく、ルツィエはぷいとそっぽを向いてしまった。 「ガイストさん、嫌いです。……ガーネットさんは、何か思い当たることないです?」 ルツィエは同じく吟遊詩人としての知識を持つガーネットに尋ねる。 「そうねぇ。……あ」 ガーネットの方はどうやら思い当たる伝承が有ったらしく、仲間達にその伝承を語り始めた。 「こういう話があるわ。昔、海と死者の神であるレンターンを信仰する司祭によって、大きな災害がもたらされたの。彼を討伐しようと船を出した人たちがいたんだけど、今回みたいな黒い霧の中に閉じ込められて、不死者達と戦ったのよ。――どうかしら、この霧って、今回の状況に似ていると思わない?」 語り終えたガーネットを、ルツィエが目を丸くして見つめている。 「ガーネットさんすごいです……」 ガーネットは若干照れくさそうに自分の髪を手で梳いて、軽く笑った。 「ふふ、たまたま知ってただけよ。知識の量じゃそんなに多く無いわ」 「だがそれが本当だとすると、こいつはやっぱアンデッドの仕業ってことか」 ロックは頭をぼりぼりと掻き、的中してしまった悪い予感に顔をしかめた。 「レンターンの司祭と言えば、高位の者になると船一つを不死と化して、幽霊船とする魔法を使えたはずですね」 ガーネットの話を聞きながら何かを考えていたガイストが、ぼそりと口にする。 「あ、僕も知ってます。『クリエイト・ゴーストシップ』っていう魔法ですね。でも相当高位じゃないと使えないはずですけど……」 メリスもまた知っていたらしく、ガイストの意見を補足する。パーティーの頭脳とも言える二人の言葉に、一行はアンデッドの仕業だと確信するのだった。 しかし、未だアンデッドの姿が見えていない以上、なんとも手は打ち難い。何か手はないかと一行が頭を抱えている時、船首の方からランタンの明かりが近付いてくる。 一行の横を通り過ぎる明かりの主は、この船の船長だった。船員を二人連れて慌ただしく歩きながら、何くれと指示を飛ばしているようだ。 「困ったことになったな。もう一度、航路を確認しよう。知らないうちにルートを外れていたのかもしれん」 「そんなことないですよ、俺たちはそんなヘマしません」 「もちろんそう思っているが、事実こうして異常な事態になっておる」 船長たちはどうやら、このまま船尾にある船長室へと向かっているようだ。 「ふむ……。私は少し船長に話を聞いてきましょう」 ガイストは仲間達の顔を見て告げ、ルツィエに微笑んだ。 「ほら、ルツィエ行きますよ?」 しかしルツィエはさっきの事をまだ少し引きずっているらしく、「知りません」と顔をそむけてガーネットの後ろに隠れてしまう。 「あらあら……」 「はっはっは、嫌われたなガイスト」 その様子を見た一行は緊急事態ながらに、少し心を和ませるのだった。 「ルツィエちゃん行っちゃったー」 「はは、まあ仕方ないでしょう」 結局ガイストはメリスと一緒に船長を追いかけ、船長室へと向かっていた。船長室までの道のりには、やはり何人かの不安そうな客や、その客達を客室へと誘導する船員たちの姿が有った。 船長室の前まで来たガイストはメリスを待機させ、扉をノックする。 「失礼」 中から船長が「誰かね」と尋ねた。ガイストは部屋の中まで聞こえる程度に声を張り、事情を教える。 「この船に居合わせたものです。まあ冒険者というやつですね。この霧は異常だ。進路が狂っているかどうかを調べる手助けができるかと思いましてね」 「ああ、君か。名を忘れてしまったが……そうだな、入ってくれ」 どうやら船長もガイストのことを覚えていたらしく、ガイストを受け入れてくれる。ガイストは船員が開けてくれたドアを通り、中へと入った。 船長室の中には大きな机と、壁や机に沢山張られた大きな地図、海図がある。船長は入口の真正面の位置に座り、机を挟んで船員たちと話し合っているところだったようだ。 「君も座りたまえ。今丁度航路を確認しているところなんだがね」 そう言って前置きした船長はガイストに現在の状況の大まかなところを教えてくれる。 「――とすると、霧が出始めるまでの航路に間違いはなかったようですね」 「ああ、確かだ。順調に進んでいるとしたらそろそろ陸が見えてくる頃だろう」 「しかし今、風はありません」 「その通りだ。風もなく船が進む訳はなく、『順調に進んでいるとしたら』などという仮定はあり得ない。今の時点で、どれほど波に流されてしまっているのか、今どの辺りに居るのかなどということは正直なところ、全く分からない」 「なるほど……現在位置を確認できる目印でもあれば良いのですが」 「普段だったら容易だろうが、この霧だ。簡単には目印も見つからん。とはいえ、それぐらいしか現在地を確認する方法がないことも事実だ……」 「分かりました。外に出て探してみる事にします」 「ああ、頼む」 「それと、不死者の気配がします、皆に気をつけるように知らせてください」 「ああ、分かった」 ガイストは手早く船長との相談を終え、席を立った。帰り際はまた船員が扉を開けてくれる。 部屋の前で待っていたメリスがガイストを笑顔で出迎えた。 「ガイストさま、おはなしは終わったんですか?」 「メリス、待たせました。皆のところへ戻りましょう」 そう言ってガイストはメリスを連れて、元いた場所へと戻ったのだった。 船長室へと向かうガイストとメリスを見送った後、ガーネットがぽつりと言った。 「ねえ、もしアンデッドが出たとして、アタシ達で船員さん達を守りきれるかしら……? それが出来なかったら最悪の場合、アタシ達何処に向かってるのかも分からず船の上でのたれ死ぬわよ」 そう、一行には船を操舵する技術はない。冒険者である自分達の身だけ守っても、陸地に帰れなくなってしまう可能性があるのだ。 「そうなりたくなきゃ、意地でもやるっきゃねーだろーよ」 ロックがぶっきらぼうに言う。ガーネットは思案げに唇を指でなぞり「さて、どうしようかしら」と呟いた。 「そういえば、この船にもうひと組冒険者が居たわよね。アタシ、とりあえずあの人達探した方がいいと思うんだけど。この状況だと、もしもの時の為にあの人達にも協力を仰ぐべきだと思うのよね……」 そう、この船には実はもうひと組のパーティーが乗っているのだ。ただ、はっきり言えば彼らはこちらの一行よりも実力が見劣りする。しかも四人のパーティーだ。しかしそれでも彼らは一般の客や船員に比べれば充分に戦力と成り得る。彼らに協力を求めるのは妥当と言えた。 ロックも、ガーネットのこの意見に同調した。 「そうだなぁ、俺もそう思うぜ。適当に船員捕まえて居場所聞いてみるか」 そう言ってロックは近くにいた若い船員を呼び止め、彼らの居場所を聞いた。 「あの方々でしたら……あなた方より先に起きてきてましたよ。確か、船首の方に行ったと思います。船長と何か話してたと思いますけど、今もいるんですかね。霧がなければ、ここからでも普通に見えるんですが……」 「ん、サンキュー」 ロックは船員に礼を行って戻ってくる。 「だってよ。行ってみるか、船首」 「そうね、行きましょう」 「はい」 ロックを先頭に、ガーネットが続き、ルツィエがポニーテールをはねさせながらついて行く。 そして最後に、今まで霧の向こうを見ながら賭け事のことを考えていたウェインがあくびをしながらついて行くのだった。 ロック達が船首に近づくと、明かりの中に見覚えのある顔が有った。男性の戦士と術師、女性の盗賊と神官が居る。 「お、いたいた」 「ちょっと、いいかしら」 ガーネットが話しかけると、リーダー格の戦士が返事をする。 「ああ、どうした。……って、君たちか」 「ちょっと話聞きてぇんだが、いいか?」 「話? 残念だが、この霧に関しては我々も全く掴めていないんだ」 術師は苦々しそうに顔を歪めて答える。冒険者としてはかなりおとなしそうな神官もまた、不安げに答えた。 「ただ、嫌な気配はしますよね……」 「そうか……。何か知ってることがあったら教えてもらいてーなと思ってたんだけどな」 「この霧が自然なものではないと感じてる、という程度だな。この海域でこんな霧が発生した話なんて、ここ数十年では無いはずだ」 「困ったもんよねぇ、この霧。こちとら依頼の期日があるってのに」 「あら、貴方達はこれから依頼なの。大変ねぇ……」 「あーもう、一日でも期日過ぎると報酬無しとかマジで言うからなぁアイツ」 「た、大変なんだな……」 「もし無事に戻れたらお手伝いしましょうか?」 不満そうに言い募る女盗賊に、ルツィエが申し出る。しかし戦士が苦笑しながら首を振った。 「いや、既に仕事自体は終えててな。報告に戻るだけなんだが以前も似たようなことがあって、期日を過ぎたからと報酬をかなり渋られてなぁ」 「だからアイツの依頼また受けるの止めよーって……」 「賭博で金をすった仲間がいなければ、そうしていたがな」 「うっ……」 どうやらこのパーティーにもこのパーティーなりの事情があるようだ。戦士に白い目でにらまれた盗賊は目を泳がせて焦っている。 彼らが内輪の話を始めたのを見計らって、ロックがガーネットに耳うちしてくる。 「なぁ、どう思う? あの伝承のこと教えてもいいもんかね」 「迷ってるのよ。無駄に混乱はさせたくないし……でももしもの時は手伝ってほしいし」 「だよなぁ……」 ロックとガーネットが少し離れている間に、ウェインが真剣な顔で彼らに警告する。 「シャーマン、という立場からアドバイスしておくとだな。負の生命の精霊、つまりアンデットの気配がするな。お前らも一応用心しておいた方がいい」 「……ああ、やっぱりそうなんですね。確証はありませんでしたが、そんな気がしていました」 ウェインの警告を聞いた神官が顔を曇らせる。どうやら薄々気づいては居たようだ。 「ありがとう、気を付けるよ」 「そんなことより……」 ウェインは眉をきつく寄せ、妙にもったいぶった間を作り、盗賊に近づいた。 「それよりもねーちゃん、これ、やるのかい?」 懐から賽を取り出して、にへら、と笑った。 「あんたねぇ……」 「ウェインさんこんな緊急時になにいってるんですか!」 仲間の呆れと怒りを受けて、ウェインは「まあまあ」と手のひらを見せる。 一瞬呆気にとられていた盗賊だったが、にやりと笑って二の腕をぱん、と叩いて乗ってくる。 「あんたも好きそうね……それじゃ景気付けに一丁」 しかし戦士が盗賊の肩をきつく掴んでそれを止めた。 「その前に金を返せ」 戦士は笑顔だが、頬がひきつっている。それを見てさすがにまずいと察したのか、盗賊は苦笑して肩をすくめた。 「……ってなわけで、この勝負は預けとくわ」 ウェインもまた肩をすくめ、「それは残念だな」と笑うのだった。 ガイストとメリスが元の場所に戻ると、仲間たちは居なくなっていた。 「あら? 皆どこに行ったんですかねえ」 「みんな、何処にいったんでしょうねー」 パーティーの頭脳とも言える二人が、同じようなことを呟きながらきょろきょろと辺りを見回している。 しかし霧が濃く、すぐ近くには居ないということしか分からない。仕方なくガイストは、船長に頼まれた目印になりそうなものを探す。 「とにかく、星でも岩でも、何か目印は……ん?」 その時だ。深く、暗い霧の中に何かが見えた。 ぼんやりと浮かぶそれをガイストはじっと見つめる。 「明かり……?」 そう、それは明かりだった。ただ深い霧の中、ほんの僅かだが海の上に明かりが見える。 不審に思ったガイストは、その明かりに対して『[[センスマジック]]』を試みたが、魔法の気配は感じない。 「ガイスト……さま?」 一点をじっと見つめるガイストを、メリスが何事かと見上げている。 「メリス、あそこに明かりが見えませんか」 ガイストが指さす方角をメリスは目を細めて見つめる。 最初は分からなかったが、ガイストの言う通りうっすらと明かりが見える。しかも、一つではない。いくつか並んでいるように見える。 「ガイストさま! 光が何個? 1つ2つ……何でしょうか?」 見ているとその明かり達は、ゆっくりと、僅かずつではあるが―― 「近づいてきている……? 嫌な予感しかしませんね……!」 ガイストは急いで呪文を詠唱し、明かりの近くに『[[ライト]]』を飛ばす。 照らされたそこにあったのは、船だった。 霧の所為で遠く感じられていた明かり――船は、いつの間にかこちらの船に相当近づいている。 「うわー船でしたか……あれ? ガイストさま、何かおかしいですよ……ね?」 ガイストは思う。おそらくはあの船こそ、レンターンの司祭によって作り出された幽霊船だろう。どちらが船首かまでは暗くて分からないが、どうやら幽霊船はこちらの船に横付けするように近づいてきているようだ。 「少し気付くのが遅かったですかね……!」 幽霊船の上には人影が見えた。ライトの明かりに照らされたそれをよく見れば、人間にしては線が細い。 否、ガイストはすぐに気付く。人ではない。動く骸骨、スケルトンだ。 「ここまで分かりやすいと助かりますよほんとにね……」 すぐ近くまで迫って来ている幽霊船にため息を一つつき、ガイストは仲間の姿を探すのだった。 「大体わかった。俺らはまた向こうで何かねーか調べてくる。そっちも何かわかったら教えてくれ。そんときは情報交換と行こうじゃねーか。どうだ?」 冒険者達との話を終え、ロックが協力関係のまとめに入る。どうやら彼らも異存はないようで、快く応じてくれた。 「ああ、いいぜ。お互い無事な姿で陸を見たいからな」 「よし決まりだ。そういうことになったが、皆構わないな?」 「もちろん構わないわよ」 ロックが振り返り、仲間達に確認を取る。無論仲間達も異存はない。 「よし決まりだ。じゃー、また後でな」 ロックは軽く手を挙げて、彼らと別れた。 彼らからほんの少し離れたあたりで、ウェインが次にどうするかを提案する。 「さて、後はガイスト達との合流か」 「そーだな」 「とりあえず元の場所に戻ってみるか?」 「そうねぇ、船長室に向かってみた方が早くないかしら」 口々に意見を言い、四人で相談しながら歩く。その時、ふとロックが声をあげた。 「って、何だありゃ」 ロックの視線を仲間達が追うと、そこにはぼんやりと明かりのようなものが浮いている。そこは本来海の上で、何かがあるような場所ではない。 「ん? アレは……」 「なんでしょうか?」 疑問を口にするが、それが何かは分からない。ただ後ろから、先ほどまで一緒にいた冒険者たちの慌てたような声が聞こえてきた。どうやら彼らも明かりを見つけたようだ。 「……早くガイストちゃん達と合流しましょう」 「だな……」 ただならぬ気配に早く合流した方が良いと感じ、明かりを見るために立ち止まっていた一行はそそくさと元の場所へと戻るのだった。 ガイストが『ライト』で幽霊船を照らした後、仲間を探して辺りを見回すと、丁度ロック達がこちらに向かって駆けてくるところだった。 「おいおい、何だありゃあ! もしかして、幽霊船ってやつかぁ?」 「うわーやっぱりかぁ……」 頭を抱える仲間達に向かって、ガイストは若干おどけて笑って見せる。 「THE・幽霊船といった感じですね。はっはっはっはっは」 しかし、もはや笑いごとでない事態になっていることは仲間達全員が把握している。 ルツィエが幽霊船を見つめながら呟く。 「近づいてきてるけど……大丈夫なんですか?」 「何言ってんだ。どう見てもこの船を襲うつもりだろうがよ」 ロックの分かり切ったことを、と言わんばかりの口調に少しルツィエはむっとして言い返す。 「わたしのことばかにしてます? それはわかるですけど、このまま船をぶつけられたら……」 「やるっきゃねーだろうな」 そう言ってロックはブロードソードを抜いて構える。 それを見たルツィエも呼応するように、腰に差された二本のバスターソードの内の一本――銀製のバスターソードを抜くのだった。 ルツィエが仲間達の中で誰よりも力強い剣士であることを意識するのはこんなときだ。ルツィエがその美少女然とした容貌に似つかわしくない、巨大なバスターソードを構えた姿を見るたび、仲間達はこの少女を頼もしく思うのだ。 「ガイストさまー近づいたら『ターン・アンデット』試してもいいですか?」 一方、ルツィエと同じくらい小柄な少年神官、メリスも相当に頼もしい。十五歳という若さでありながら、その[[神聖魔法]]の実力は十以上も年上のガーネットをしのぐ。 「やめとけ。あの程度の相手に、精神力の無駄だろ……」 「いえ、やっちゃってください」 ウェインが僅かに反対する。しかしガイストがメリスに許可を出した次の瞬間、メリスは『ターン・アンデット』を発動した。 しかし、スケルトン達に弱ったり、動きが鈍ったりした様子はない。 「……あれ?」 むしろスケルトン達は怒り狂ったように動きを荒げている。どうやら『ターン・アンデッド』をした際稀に起こる、アンデッドの凶暴化のようだ。 「うわ……みなさんゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ!」 「過ぎたことをくよくよ言うな。今は目の前に集中だ」 「仕方ないわよ……」 必死に謝るメリスをロックとガーネットが慰め、ガイストが頭をぽんぽん、と叩く。メリスはそれが相当に嬉しかったらしく、目尻を下げて微笑んだ。 「えへへガイストさまやさしいです」 そうこうしているうちに、ガイストの『ライト』や一行の様子に気が付いた船員達が騒ぎ出した。 「どうかしまし……うおっ、なんだあの船は!」 「い、一体これは、どこから……!?」 「左舷から何か来るぞッ! 武器を持てーッ!」 いよいよ幽霊船がすぐ傍まで近づいて来たのを見て、ガーネットが叫ぶ。 「……まずいわ。ぶつかるっ……!」 遂に幽霊船がこちらの船にぶつかった。船は転覆するほどではないにせよ大きく揺れ、何人かの船員が倒れる。 「ッキャ!」 ルツィエもまた、衝撃に対する対応が間に合わず転倒してしまう。 しかし、どうやら向こうの船のスケルトンも何匹か転倒しているようだ。その隙にガイストがルツィエを助け起こす。 スケルトン達を見ると、どうやら船と船の間に橋げたを渡そうとしているようだ。それに真っ先に気付いたウェインは甲板を突っ走り、幽霊船へと飛び移った。 着地と同時に武器を構えたウェインは、スケルトン達を睨めつけて不敵に笑う。 「死にたい奴は――って死んでるか……」 幽霊船の上で数体のスケルトンとウェインが交戦状態に入ったのとほぼ同時に、幽霊船からいくつもの橋げたが飛びだすように渡されてくる。 「橋げたをおとします!」 「ガイストさまー、手伝います~」 ガイストとメリスは渡されてきた橋げたの一つに走り、協力して橋げたを海へと落とす。橋げたに足をかけていたスケルトンが一匹ひっくり返ったのが見えた。 一方、体勢を立て直したルツィエとロックは、ガイストとメリスが落とせない位置にある橋げたの前に立ちふさがり、スケルトンを迎撃できるよう身構えた。 雪崩のようにこちらに渡ってくるスケルトンの攻撃をロックは軽々と避け、一撃を叩きこむ。一度の攻撃ですぐ倒れるとまではいかずとも、ロックの敵になる相手ではないようだ。 「何だ、ただの雑魚か」 ロックが吐き捨てるのとほぼ同時に、後ろから強い光が放たれ、ロックが攻撃したスケルトンが崩れ去る。ガーネットの『ホーリー・ライト』だ。 また、その光はロックが相手をしていたスケルトンだけでなく、ルツィエの前に飛びだしたスケルトン達にも効果があったようだ。 光にひるんだせいか、それともルツィエが腰を深く落として構えているせいか。スケルトンの攻撃はルツィエに当たらない。ルツィエは目を見開くと、大きく声をあげバスターソードをなぎ払った。 「いきます!」 ガイストの『ライト』を照り返し、銀のバスターソードが白く煌めく。無慈悲な一撃にスケルトン達は三体纏めて砕き割られ、骨のかけらとなって海へと落ちていった。 「ふう……みなさん大丈夫ですか?」 ルツィエがバスターソードを引きずりながら戻ってくる。隣のロックもまた腰に剣を収めながら戻ってきているところだった。 「ええ、ルツィエちゃんも大丈夫だった?」 「これくらいなら全然大丈夫です!」 「俺もこの通り、全然問題ないぜ」 心配するガーネットにルツィエとロックは笑いかけ、ガーネットを安心させる。 「……それにしても……。この船どうしたものかしら」 そう言ってガーネットが幽霊船の方を見やると、単身乗り込んでいたウェインが、あらかたの『掃除』を終えて戻ってきたところだった。 「さて、これからどうする?」 ウェインの問いかけに皆が考え込む。 自分達のパーティーに損害こそ出なかったものの、霧は未だ晴れず、幽霊船はこちらの船に横付けしたまま離れる気配はない。スケルトンとの戦いで負傷した船員も多く、到底まだ落ち着けるような状況ではなさそうだ。 「残念なお知らせですが、この幽霊船にお帰りいただくには持ち主に少し寝ていただく必要がありそうですねえ」 「ガイスト」 「この魔法――『クリエイト・ゴーストシップ』は基本的には永続です。ただ、この魔法をかけた者がこの船に居るのならば、それを倒すことでなんとかできるかもしれません」 「アンデットはまだこの中に居そうだぜ? 負の生命の気配が消えていない。この中に入って倒してきちまうのがてっとり速いと思うがなあ……」 「この船に乗りこんでボスを倒す……ってとこか。なるほどな」 一行がこれからの指針を話し合っていると、船首に居た冒険者達がやってくる。幸いにして彼らも無事だったようだ。 「よう、さすがに無事だったか。どうも、思った以上に深刻な事態みたいだな」 「まーな。お前らこそ、大丈夫だったかよ」 「ああ、よかった。貴方達も無事だったのね」 「まあ、何とかな。大した相手じゃないから良かったが、船員の中に怪我してるのが何人かいたみたいだ。今は船長が、これからどうするかを考えているところらしい」 そう言って戦士は親指を立てて後ろを指した。その先には幽霊船を見ながら船員と相談している船長が居る。 「そうね……神官が必要なほどじゃなければいいけれど」 「ガイストも言ってるが、このおかしな現象を引き起こしてるやつを直接叩くしかねーと思うぜ俺は」 ロックが仲間達に振り返り、好戦的な顔つきで言った。 どうやらあちらの冒険者達もそういった結論に達していたらしく、術師がため息をついて同意する。 「やはり、そうせざるを得んか……」 「この幽霊船に乗り込んで術者を倒すか、または外部から船を直接叩くか……まぁ、前者でしょうなあ」 ガイストが、霧の中かすかに見える幽霊船のマストを見上げて呟く。眼鏡の中の目は真剣そのものだ。 「ええ。後者はあまり現実的な方法が無いわね」 「ガイストさま、行くしかないのですね……」 メリスとガーネットも真剣な面持ちで賛同する。 いよいよ方針が決まろうかという時、船長がこちらに声をかけてきた。 「君たち。少し良いかね?」 どうやら君達、とはこちらのパーティーだけでなく、もう片方のパーティーも含めて呼びかけているらしい。 口々に返事をすると、船長は両方のパーティー、計十人を見回して軽く頷いた。 「うむ、この濃い霧に続いて、このような奇怪な船の攻撃だ。この船に何かしらの元凶があるのではないかと睨んでおるのだが……どうだろうか、この船に乗り込んで調査、可能なら除去してもらえんか。もちろん報酬はある、港に着いたら一万Gを支払おう」 一万Gという大金にガーネットが驚いて口に手を当てる。 「まあ……、そんなに?」 メリスもまた驚いたらしく、「大金ですね……」と嘆息している。 二人の反応を見て安堵したらしい船長は、表情を緩めて微笑んだ。 「安すぎると突っぱねられないか、逆に心配だったのだが……どうやら君らは、そういう類の冒険者ではないようだな」 実際船長からすると手の打ちようのない場面である。足元を見て報酬金を釣り上げようとする冒険者で無かったことは船長にとって幸いだったと言えるだろう。 「だってこのままでは私達も立ち往生ですし……。私達にもとっても必要な行動を依頼としてお金を出して頂けるのですから、安すぎるなんてとんでもないですよ」 ガーネットが船長に微笑み返すのを見て、ウェインは仲間を振り返った。 「どっちにしろこの船をなんとかしなけりゃ進めないんだから、受けるべきだと思うが……どう思う?」 「ああ、別に構わねーぜ。俺もそれしかねーと思ってたとこだしな」 「わたしは受けようと思います」 その様子を見ていた向こうのパーティーが一行に話しかけてくる。 「……ふむ、片方はこちらの船を守る為に残らなくてはいけないだろうな。依頼を受けるとすればそちらか、こちらかのどっちかだ。そちらの方が腕が立つ。俺としてもできればそちらに受けて貰いたい」 「この船を完全に空けるわけにもいきませんものね……」 「船に乗り込む方のパーティが報酬を総取りってわけね」 「そうせざるを得んだろう」 船に残る方が危険が少ないとはいえ、無報酬ということに若干不満げな女盗賊を見て、ルツィエがおずおずと申し出る。 「えっと、じゃぁ、あの。神官さんにもし余裕があったら、精神力をわけてもらえませんか? それで報酬は半分こで……」 「流石ルツィエちゃん、冴えてる~」 メリスがルツィエのアイデアに賛同する。あちらのパーティーにとっても異存はないようだ。 「ええ、お役に立てることがあれば何なりと」 「相手から積極的に打って出るつもりがないってんなら、こっちに戻ってきて休むことだってできるしな」 皆が了承するのを見て、ガイストが「決まり、ですな」と言い、一行はそれに頷き合う。 「話はまとまったかな。では、よろしく頼む。くれぐれも気を付けてな」 話の成り行きを見守っていた船長が、沈痛な面持ちで軽く頭を下げる。 「では、行きましょうか」 ガイストがそう言ったのを合図に、一行は霧に浮かぶ幽霊船をじっと見つめた。 ただ、ちょうど神官から精神力を分けて貰っているところだったメリスだけは、妙に顔を赤らめてモジモジとしているのだった。 [[次へ>霧の海域3]]