6月18日
エースは負けない!涌井4連勝で40勝一番乗り
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/06/19/07.html
【西武8−1ソフトバンク】表情からは読み取れないが、涌井は勝つための投球に徹していた。8回を投げ7安打を許したが、失点はペタジーニに浴びたソロ本塁打のみ。自身4連勝を飾り、リーグ戦再開初戦の投球を自己分析した。
【西武8−1ソフトバンク】表情からは読み取れないが、涌井は勝つための投球に徹していた。8回を投げ7安打を許したが、失点はペタジーニに浴びたソロ本塁打のみ。自身4連勝を飾り、リーグ戦再開初戦の投球を自己分析した。
「一番良かった球種は…ないと言えばないですね。追い込んでからの制球が良かったと思います。交流戦が終わって1発目だったので、勝ちたい気持ちでした」
初回に3安打を許しながら無失点。無死一塁から本多のバントを素早く処理して併殺を奪ったことが効いた。3者凡退は3イニングだけ。それでも最少失点に抑える投球術が、涌井を支えた。
5月に入り150キロを計測するなど、直球の手応えは上がった。だが「逆にフォークが悪くなった」と不思議な現象に陥っていた。この日も川崎に右前打を許すなど、フォークはいまひとつ。それでも、配球からフォークを外すことはない。見せ球として配し、決して本調子ではない直球を生かす。「守備にも助けてもらったので良かった」と控えめだが、打者1巡目は13球だった直球を、3巡目に18球と増やしても打たれなかった。
リーグトップに並ぶ9勝目には「いつの間にか一番になっちゃいました」とおどけた。チームの連敗を3で止め、両リーグ最速で40勝に到達。渡辺監督が残した「エースらしい投球だった」という言葉に、涌井の125球が凝縮されていた。
西武の“本田”涌井が4連敗の危機救う
http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100619-643102.html
4連敗の危機を救ったのは西武の“本田”だった。中村、石井一ら故障者続出で迎えたリーグ再開初戦。「大事かどうかは分からないけど、勝てて良かった」ととぼけたヒーロー涌井秀章投手(23)が、サッカー日本代表のMF本田の姿にダブった。ともに86年6月生まれ。負けられない一戦で決める勝負強い星の下に生まれている。
4連敗の危機を救ったのは西武の“本田”だった。中村、石井一ら故障者続出で迎えたリーグ再開初戦。「大事かどうかは分からないけど、勝てて良かった」ととぼけたヒーロー涌井秀章投手(23)が、サッカー日本代表のMF本田の姿にダブった。ともに86年6月生まれ。負けられない一戦で決める勝負強い星の下に生まれている。
チームメートの上本達之捕手(29)が「本田のキャラは、ウチでは涌井」という。いつも強気の姿勢を崩さないポーカーフェース、時にビッグマウスを放つ共通点がある。涌井はサッカーも得意だ。投手練習で行うリフティング対決では、抜群のボールさばきを披露する。相手の利き足でない方にボールを出すなど、いやらしい攻め方で追い込む。遊びとはいえ、勝負と名のつくものでは大の負けず嫌いが顔を出す。
「W杯? 見てない。試合が長いんでゴール集を見れればいい」と素っ気ない。ただ、個性的な本田は目にとまった。「腕時計を2本したりしないですよ」と奇抜なファッションを引き合いに出すなど、気になる存在だ。そんな本田のように8回1失点と求めていた勝負強さを見せつけ、両リーグ最速40勝目をもたらした。渡辺久信監督(44)は「走者は出しても点はやらない。エースらしい投球だった」と絶賛した。
リーグ最多タイの9勝目を挙げたマウンドは、05年にプロ初勝利を挙げた記念すべき日でもある。大事な日にきっちり決めて勝つ。キャラクターが似ているだけではない。W杯初戦で決勝ゴールを決めた本田同様、09年のWBC優勝メンバーの涌井も何かを持っている。
6月25日
涌井10勝!両リーグ1番乗り!…西武
http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20100626-OHT1T00023.htm
◆西武7―3オリックス(25日・西武ドーム) 珍しく、涌井が肩で息をしていた。汗も止まらなかった。志願して向かった9回のマウンド。141球目、渾(こん)身のスライダーで荒金を捕邪飛に打ち取ると、ホッとした表情を見せた。「シコースキーにセーブがつく場面ではなかったので(9回も)行かせてもらいました。ヘロヘロでしたよ」。仲間思いのエースが少しだけはにかんだ。
◆西武7―3オリックス(25日・西武ドーム) 珍しく、涌井が肩で息をしていた。汗も止まらなかった。志願して向かった9回のマウンド。141球目、渾(こん)身のスライダーで荒金を捕邪飛に打ち取ると、ホッとした表情を見せた。「シコースキーにセーブがつく場面ではなかったので(9回も)行かせてもらいました。ヘロヘロでしたよ」。仲間思いのエースが少しだけはにかんだ。
調子は悪かった。直球、カーブともにキレはなかった。2回に日高に2ランを浴びてから「スライダーはコントロールできたので」と多投した。「5回まで投げれば逆転してくれる」と仲間を信じて粘った。修正しながら今季4度目の完投を成し遂げるあたりはさすがエース。両リーグ最速となる5年連続2ケタ10勝目を必死につかみとった。
恩返しがしたかった。21日に24歳になり、翌22日に、仙台市内の飲食店で大迫トレーニングコーチや西口らが祝ってくれた。誕生日当日もナインに祝福を受け、2日連続でバースデーケーキを食べていた。父親のように慕う大迫コーチから「これからもみんなで応援するから、もっと上を目指そうな」と励まされて感激。シャイな男は「ありがとうございます」と短い言葉に感謝を込め、この日の勝利を誓っていた。
入団1年目、05年2月の春季キャンプでは「どこにいるのか分からないくらい、存在感がなかった」(潮崎投手コーチ)という。5年後、風格を漂わせ、誰からも愛されるエースに成長した。渡辺監督は「良くはなかったが、修正しながら試合を作ってくれた。勝てるピッチャーの証しだよね。良く投げたよ」と頼もしい限りのまな弟子に賛辞を惜しまなかった。
2ケタ勝利に到達した日を比較すると、沢村賞に輝いた昨年は7月9日で、自己最多の17勝をマークした2007年でも6月29日と、過去4年を上回る最速ペースだ。「なかなか続けて2ケタは難しい。5年もよくやったな」と珍しく自分を褒めた。「前半で勝てるだけ勝ちたい」というその目は、日本一奪回だけをにらんでいた。
涌井両リーグ最速10勝5年連続2ケタ
http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100626-645980.html
会心の投球ではない。それでも両リーグ最速の10勝目を、3失点完投で決めてしまうところが西武のエース涌井秀章投手(24)だった。2年目から5年連続の2ケタ勝利。「5年もよくやったと思います」とまるで人ごとだった。2回に2ランで先制を許すなど、調子は良くなかったが、味方の援護にも恵まれて修正した。「抑えにセーブがつかないんで、行かせてくださいって言いました」と、志願して9回を141球で投げきった。
会心の投球ではない。それでも両リーグ最速の10勝目を、3失点完投で決めてしまうところが西武のエース涌井秀章投手(24)だった。2年目から5年連続の2ケタ勝利。「5年もよくやったと思います」とまるで人ごとだった。2回に2ランで先制を許すなど、調子は良くなかったが、味方の援護にも恵まれて修正した。「抑えにセーブがつかないんで、行かせてくださいって言いました」と、志願して9回を141球で投げきった。
18日のソフトバンク戦。相手先発は育成出身の山田だった。試合前日に涌井が言った「相手が相手だし、気が抜ける」という冗談が相手ファンの反感を買った。勝利の翌日、自身のオフィシャルサイトには発言を非難する書き込みもあった。この日のお立ち台で「24歳になっての初白星? そう言われましても、特には」と切り返して笑いを誘ったように、ユーモアあふれる言動が特徴。それゆえ誤解されることもあるが、心根は思いやりにあふれている。20日に5年目の田中が右ひじ痛で登録を抹消された。チームメートの前では「やっぱりな」とちゃかしたが、後で電話を入れていた。「焦るな。じっくり治してこい」。今季初めて1軍に上がり、チャンスを逃すまいと無理をしかねない後輩にブレーキをかけた。
過去4年を上回るペースで10勝目を挙げ、単純計算では初の20勝にも手が届く。「後半しっかり勝てれば、20勝も不可能じゃない」とサラッと言って、続けた。「でもまずは優勝したいんで」。最優先はチームの勝利。涌井の軸は決してブレない。
西武・涌井10勝!W杯観戦せず野球に集中
http://www.sanspo.com/baseball/news/100626/bsg1006260504001-n1.htm
(パ・リーグ、西武7−3オリックス、7回戦、西武5勝2敗、25日、西武ドーム)“球界の岡ちゃん”の前に、獅子のエースが立ちはだかった。オリックス打線を3点に封じ、涌井が今季3度目の完投勝利。西武では2003年松坂(現レッドソックス)以来の、両リーグ10勝1番乗りを果たした。
(パ・リーグ、西武7−3オリックス、7回戦、西武5勝2敗、25日、西武ドーム)“球界の岡ちゃん”の前に、獅子のエースが立ちはだかった。オリックス打線を3点に封じ、涌井が今季3度目の完投勝利。西武では2003年松坂(現レッドソックス)以来の、両リーグ10勝1番乗りを果たした。
「もうヘロヘロでしたね。きょうも逆転してもらったし、こんなに早く10勝できたのは、みんなのおかげです」
入団2年目から5年連続の2けた勝利を決めたエースは、援護してくれた打線に感謝した。この日は立ち上がりに制球に苦しみ、2点を先制される悪い流れ。
だが、逆転してもらってからは「唯一コントロールできた」というスライダー中心の組み立てで、最少失点で切り抜けた。
サッカーW杯で日本が16強入りを果たし、日本中が歓喜に沸いていたこの日未明、涌井は「ふつうに寝ていましたね」と夢の中。先発投手の責任を果たすべく、しっかりと自分の生活リズムを守っていた。以前からW杯への関心は高くなく、テレビのニュースをチェックし、「ゴールシーンが見られればいいですから」と満足していた。
「よくこれだけ勝てていると思う。いつも後半戦で勝てないので、これからも勝てるようにしたい」
区切りのウイニングボールは惜しみなくスタンドに投げ入れた。さらに高みを目指す涌井にとって、10勝はただの通過点にすぎない。




