オリエンス大戦

オリエンス大戦
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期間 1687年12月 - 1690年13月
場所 オリエンス大陸
結果 大連合の勝利。
交戦勢力 目次
大連合
ファタ・モルガナ帝国
グランダ帝国
ワーシイワ連邦王国
imageプラグインエラー : ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。フレルミエ連合王国
コユール連合王国
晋迅連立公国
本京国
ガイエン宗教社会主義人民共和国
リベントの陣営
リベント公国
レーンカルストン連邦
指導者・指揮官
ヘルネーナ・エルメティノルナ・プラルネ・モルガニヤ
アルマストール・テレイル
【勢力2】
戦力
【勢力1】 【勢力2】
損害
【勢力1】 【勢力2】

概要

オリエンス大戦とは、1687年12月から1690年13月まで行われた戦争。 世界大戦時には大連合側に立って対外援助を行ってリベント公国が突如として周辺国に宣戦布告したことで勃発した。

背景

大連合側

  • ファ帝

西零から引き上げたファタ・モルガナ陸上戦闘隊はその人的資源の大半をワーレリア女皇領に依存しており、終戦早々に本土に引き上げてきた部隊はごく僅かであった。そのような理由によりとても惑星の反対側での戦争に即応出来るような状態になっていなかった。
このような状態で突如リベントが侵略戦争を開始した為に全く対応できず、開戦後暫くの間は直ぐ隣の晋迅が侵略されていくのを見ているしかなかった。

  • 晋迅

直前に行われていたガイエン侵攻によって、海軍はある程度損害をうけていた。また、陸軍は損害を受けていないとはいえ島国であるためそこまで重装備を保有できていなかった。空軍もリベントがジェット機を運用していたのに対して、晋迅側はジェットエンジンの試作型ができたばかりであった。このように軍備において圧倒的な格差があったことがリベントが初戦に晋迅を選んだ一因であった。また、リベント側で侵攻準備が行われていることはグランダの警告で察知していたものの、公国政府は有効な外交手段をなんら打つことができず開戦を迎えてしまった。

  • 本京

当初本京は、ガイエンの戦後処理に、一個師団と、少数の駆逐艦が、ガイエンに派遣していたが、リベントがガイエンに宣戦布告し三日で降伏したため、諸島部の部隊や、多数の駆逐艦が撃沈又は消息を絶った、ガイエン本土に残っていた部隊は有志連合の統治下にあったワーシイワ領から撤退した、この時に喪失・損傷した艦は駆逐艦八隻の内小破2中破2大破1喪失3でありほぼ壊滅状態であった

リベント陣営側

内戦時に統率者が変わり内戦を終わらせたがよりにもよって過激派で王国時の戯言の大陸統一と海洋進出を目指し戦争で疲弊した本京と晋迅を目標にした。

作戦計画

まず戦力的に低い晋迅国を攻略し動きを見て余裕をもって本京へ攻める計画だった。晋迅と本京の攻略後は中央オリエンス、南オリエンスと制圧しアウメアにも戦争を仕掛けようとした。

経過

大連合側

  • ファ帝

緒戦の敗退

当初、ファタ・モルガナ帝国はリベントのオリエンス侵略を全く予期しておらず、完全に奇襲を受けた形になった。当初は西アウレージからの戦力の引き上げも不完全であり、開戦から半年間は晋迅が侵略されていくのを見つめているしかなかった。それでも翌88年の6月には晋迅島戦線への介入準備を整え、晋迅首都宮礼都から上陸した部隊を戦線に加えることとなった。
この戦いではシャノワールとの戦役の折に理論化した全航空攻撃ドクトリンに基づいてCpT-41を装備した陸上部隊を航空支援による多層バックアップの元で統合運用することが試みられたが、大戦後第1世代ジェット機を大量に配備したリベント空軍に対して制空権の奪取に失敗し、結果として壊滅的な損害を出してしまった。
この結果ファタ・モルガナは遅延していたジェット機開発の加速などの措置を講じることになり、新型戦車の開発なども含めて大戦時には停滞していた種類の兵器がオリエンスでの戦役に際し一気に進歩することになった。

航空作戦の失敗

ファタ・モルガナ軍部隊の中で開戦当初に即応できたのは本土の航空部隊のみであった。その中でも世界大戦において対沙戦略爆撃を担当していた内の一部隊である第37爆撃空団(37 Dioulint-Rainogia)は開戦に際して偶然にも即応可能な状態であった為、最低限の部隊拡張などを受けた後に戦線投入されることとなった。
1688年1月に発動した薄明の鳥作戦(府:Arbyethatha ”Vihg Remenia”)によってCo-80、Co-77などの戦略爆撃機を装備した飛行隊がリベント本土上空へ投入された。目的はリベント南岸部の都市部を爆撃し、出鼻を挫く形で継戦能力と求心力を削ぐことにあった。37空団はレンツィアレッテナーツマなどの高高度爆撃機を擁する有力な爆撃機部隊であった。しかし軍管区の都合から作戦指揮を担当したのは対沙爆撃作戦を担当したゼレーラ・ハルミアン中将ではなく本土航空軍管区司令官であるテリル・ツィーレル大将であった。
ツィーレルは絨毯爆撃推進派のハルミアンとは正反対の精密爆撃派閥の人間であったため37空団は経験の少ない低高度爆撃を実行することになる。しかしリベント空軍の防空網は予想を遥かに超えて強力であり、特にAzc-16Azc-18BなどのAAMを装備したジェット戦闘機による迎撃により壊滅的な損害が発生することになった。
88年1月28日の第一次攻撃では48機のレンツィアと24機のレーヴァスが出撃したもののリベント空軍第32統合飛行隊のインターセプトに遭い3機のレンツィアのみを残して全滅、翌月15日の第二次攻撃でも4機のみ生還など滅茶苦茶な損害を受ける状況が続いた。それでも頑なに戦略を変えようとしないツィーレルに対し37空団のクルー達は「手の込んだ葬儀屋(Temraidho finofriah)」などと陰口を叩くようになった。
その後も作戦は継続されたが、起死回生を目論み合計252機のレンツィアとレッテナーツマが投入された第五次攻撃の失敗を以て作戦は中止、ツィーレルはアウメア航空管区副司令官職に更迭された。
その後は大規模な戦略爆撃は暫くの間は実施されなかったが、レルゼノーランディアなどの新型戦略爆撃機が戦力化されるとセルヒャード航空管区から異動してきたハルミアンの指揮の元再度リベント本土爆撃が計画されることとなった。

反攻作戦

皇立軍は1688年末頃から、緒戦での敗退以降必死になって新世代の兵器を装備した部隊を編成、膠着状態の晋迅戦線で再攻勢を実施する。
この頃にはリベント軍と同水準の航空機を主力装備とすることに成功しており、数的有利とリベント軍側の戦力移転が重なり、89年3月には航空優勢を奪取、8月には晋迅島の開放に成功した。

本京戦線への介入

晋迅を解放した後のファタ・モルガナ参謀部は「二本槍計画」と呼ばれる反攻プランを策定する。その内容は本京戦線への介入の本格化とリベント本土上陸作戦の実施の二本立てであり、これが計画名の由来であった。

リベント本土上陸作戦

第一次上陸作戦ではリベント南岸部への上陸が計画された。リベント沿海部には夥しい数の要塞砲が配備されているため事前攻撃無しでの上陸は非現実的であったが、かと言って要塞砲を破壊する為の事前攻撃を実施すればその地点へ上陸することが悟られてしまう。そう考えた参謀本部は沿岸要塞を無力化し且つ上陸地域も悟られない方法として全ての沿岸要塞を同時に攻撃、破壊する作戦を策定した。
沿岸要塞の破壊と本土上陸などが盛り込まれたこの作戦群は「大天泣作戦」と呼称されることになる。 大天泣作戦は要塞砲の同時攻撃作戦である「赤い露作戦」、南岸部上陸作戦である「新月の海作戦」、首都近郊の西岸部上陸作戦である「再収斂作戦」などが盛り込まれ、大闊歩作戦を凌駕する史上最大の作戦となった。

「核恫喝」の実施

  • 晋迅

開戦直後から 

開戦直後はガイエン戦を生き残った海軍の艦隊が総力をかけて迎撃を行ったが、航空優勢をあっさりと握られてしまってからは被害が拡大したため、すぐさま残存艦隊主義に転向した。艦隊はすぐさま南部の島々や隣国フェレスに退避を行った。このため主力艦艇は消極的な行動しか出来なくなってしまった。陸軍も沿岸部を中心に防御を固めていた。
これ以降は[[]]級やエコウ級などの潜水艦や水雷艇による無制限作戦へと移行し、残った造船所もフル稼働でそれらの建造を行っていくことになる。しかし海軍必死の抵抗もむなしく、リベントの本土上陸を許してしまう。その後の陸軍はまともな抵抗をすることができず、戦車戦では完全に遅れをとっていたため、遅滞戦術や都市部でのゲリラ戦術で対抗した。それですらリベント陸軍の侵攻は食い止めることができず、本土の南端である首都まで前線は後退し、本土からの撤退も視野に入るほどであった。

ファタモルガナ軍の介入 

絶望的な首都攻防戦晋迅に晋迅軍の士気は最低であった。しかしファタ・モルガナ帝国(以下ファ帝とする)による介入が発表されると、ある程度士気は回復し、なんとかファ帝陸軍を上陸させようと陸軍の兵士たちは奮起した。

本土奪還まで

ファ帝軍の上陸からはある程度勢力を盛り返し反攻作戦に転じることに成功した。

本土奪還後

ファ帝軍の力を借りつつ本土奪還後は歩兵師団を中心に反攻作戦にも部隊を派遣した。

  • 本京

ガイエン戦後、グランダからの情報から、満長に展開していた本京第二軍団に防衛強化指示 当初、モルンベルンへの警戒をしていたため二軍司令部が、満長北部にあり、国境付近の防衛力強化には、時間を割けることができず満長首都【満令】中央南部【南庭】のあたりまでしか行き届かず、国境付近の防衛力は中途半端になってしまった。しかし、陸軍と空軍に圧倒的な差が生じていて、みるみるうちに、防衛陣地は突破されてしまい、本京第二軍団は、満長から撤退するものの、半数近くの人員が、包囲されてしまう、一方海軍は、一時、中島へ撤退、満長軍団と反抗作戦を練っていた 満長撤退後、阿戸で、遅滞戦術を行使しつつ地の利のあるモルベルンラインロードで徹底防戦にはいる長く戦線維持をしていたが突破され、長門防衛戦に入る長門戦になると、グランダから購入した戦車や、60式を投入、空では、徹底した航空防衛戦略により、抑えこみに成功、領土を奪還するべく攻勢に転じることとなる 長門戦以前までは、潜水艦での後方攻撃を散発的に、行っていたが、制海権を有している、ため、海からの攻撃上陸作戦を展開し、撤退ルートに妨害工作を行った

  • グランダ

外務作戦総局はリベント国内に亡命したランヴェリストの調査中にリベント軍の不審な動きを察知し、大規模な侵攻計画が存在していると結論付け、大連合諸国に侵攻の兆候を警告したが、各国は真面目に受け取らなかった。グランダ政府内でもこの情報を信用する者は少なく、リベントが実際に事を起こすまで特に対応は行われなかった。しかし戦いが始まると早急に大規模な部隊をオリエンス植本京に派遣した。 初めグランダ大陸軍はCpT-41とVK-80を中心とした戦車部隊を投入したものの、リベント軍の戦車に質・量共に劣り、苦戦を強いられた。一方でジェット機や対空ミサイルの投入によりリベントの航空戦力はある程度抑えることには成功した。

  • フレルミエ

会戦当初は関心を示さず、参戦の意思も無かったものの、レンドリース代の返済等への利用価値がある事から、大連合条約の延長を口実に限定的な範囲ではあるものの参戦。前半は物的支援が中心であったが、OW中盤以降からは航空部隊の派遣などを行い、後期にはSh-77戦略爆撃機を利用したリベント本土への戦略爆撃などの大規模な航空作戦の実施も行った。

  • ワーシイワ

北オリエンス植民地を開戦前時点では放棄しており、有志連合の統治下にあった。しかし残留していたワーシイワ人やその他鷲領植民地系の移民の引き揚げ途中にあった。この際、グランダからの侵攻の兆候に対する警告を受け取り、また復興に必要な労働力を確保せよという国内世論もあり引き揚げを加速。しかし民間船舶や輸送船の徴用計画に問題があり、開戦までに引き揚げを完了することが出来なかった。その為オリエンス内のワーシイワ人の保護の名目で参戦、開戦数週間は旧植民地・グランダ植民地の警備や後方支援を主に行っていたが、戦況はすぐに悪化。そのため大規模陸上部隊に主力艦隊の派遣、新型戦闘機の投入などを行った。

リベント陣営側

当初二国に同時進行を計画されていたが軍部からは無理があるとされた為距離が近い晋迅から進行し初戦の様子から本京への進行を決定した。

晋迅戦線

まず晋迅を攻めるに当たって先の大戦で消耗していたとは言え再編したばかりのリベント海軍だけでは突破は出来てもその後の輸送が困難とされたため上陸を含めた陸海空三軍による攻略を進めた。

本京戦線

本京への進行は共同開発していた植民地のを利用し素早い進軍を進め本京側の阿戸国と満長を攻略、つづけて本京最大の都市長門の攻略を進めるも2ヶ月の攻防戦により大連合の増援が緒到着し本国への進軍も確認された為に攻略を諦めた。
この戦争の略奪や虐殺は行われなかった、これは内戦における教訓で占領地の印象を悪くした事から行わないようになった。運の悪い事故等の事がない限り無かった。

結果

分析

影響

脚注

関連項目

最終更新:2022年10月02日 04:47