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☆ 本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」 (「戦後再発見」双書) 「hontoネットストア」より
なぜ米軍は自国ではできない危険なオスプレイの訓練を日本では行なうことができるのか? なぜ日米地位協定は日本国憲法の上位法として扱われているのか? 基地問題だけでなく原発事故やその再稼働問題、TPP参加問題など、現在の日本で起きている深刻な出来事の多くが在日米軍がもたらす国内法の機能停止状態に起源をもっている。ベストセラー『戦後史の正体』に続くシリーズ第二弾は「戦後日本」最大のタブーである日米地位協定に迫る!

日本はなぜこんな国になってしまったのか。現代の不平等条約である「日米地位協定」についてQ&A形式で解説し、その運用マニュアルといえる機密文書「日米地位協定の考え方」を紹介する。「日米地位協定」の全文も収録。【「TRC MARC」の商品解説】




■ なぜ日本が不利?「日米地位協定」知られてこなかった問題点と運用の根拠とは 「Yahoo!ニュースオリジナル(
2022/06/23)」より
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沖縄慰霊の日にあたる6月23日は、「日米地位協定」の発効日でもある。今年、本土復帰50年を迎えた沖縄には、約5万人の米軍関係者が駐留する。彼らには、日本のいくつもの法律が適用されない取り決めがある。それが日米地位協定だ。基地周辺の住民に及ぼす影響が大きいこの協定は、約62年、一度も改定されていない。2004年には背景に「合意議事録」という"密約"があったことも明らかになった。一般に知られてこなかった協定の問題点を、グラフィックで解説する。(Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/企画:森健/監修:琉球大学准教授・山本章子)
+ 続き
優遇される米軍関係者の地位
日米地位協定では、公務中の米軍関係者が刑事犯罪を起こした場合、米国の軍法裁判で裁かれると規定している。日本の捜査機関や司法が扱えるのは、米軍が身柄引き渡しを認めた場合に限る。
米兵は出入国管理法から除外され、米軍基地経由で日本にパスポートなし・検疫不要で入国できるとしている。そのために、沖縄県では米軍関係者からコロナ感染が広まったとされる。
米軍機は日本の空港への事前通告なしでの使用が事実上認められ、民間機よりも優先的な空港使用が認められている。米軍機が民間空港に着陸した回数は2021年で314回にのぼり、民間機が空港に降りられない問題も起きている。
日米地位協定は、1960年に当時の岸信介内閣により締結された、全28条の協定だ。日米安全保障条約(日米安保)の改定時に、それまであった日米行政協定(1952年調印)が改定されて作られた。基本的には、駐留米軍の地位や、自由な行動を保障する内容となっている。公務中の事件・事故は米国側に第一次裁判権があるため、過去には軍関係者が犯罪を起こした場合に基地に逃げ込んでしまい、日本の捜査機関が捜査や刑事訴追ができないなどの問題が起きてきた。

琉球大学准教授の山本章子氏は、成立の経緯について下記のように補足する。

山本章子氏
1952年の日米行政協定について、当時の吉田茂首相は国会審議や承認を経ず、日米の外務当局者の交渉だけで成立させました。明らかに不平等な内容で、国内での反対は自明だったからです。その後、日米行政協定への不満が高まり、国内で全面改定が要求されてできたのが日米地位協定です。

山本章子(やまもと・あきこ)/琉球大学 准教授
1979年北海道生まれ。一橋大学法学部卒業、同大学院法学研究科修了課程修了。編集者を経て2015年に一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年から現職。専攻は国際政治史。
米軍基地の7割が集中する沖縄県では、これまでに米軍関係者によるさまざまな事件が発生し、その影響は日米地位協定をめぐる動きにも及んだ。

1995年の少女暴行事件後、日米合同委員会は17条の「運用改善」に合意。殺人や性的暴行など重大事件に限り、日本側が起訴前の米兵の身柄引き渡しを要請した際に米軍側が「好意的配慮」を払うとした。また、米軍基地に由来する環境汚染事故を受けて、2015年には調査のための日本側の基地立ち入りを限定的に認める「環境補足協定」、2017年には軍属(軍人ではない、米軍関連の仕事に就いている米国人)の範囲を見直し、地位協定の対象を絞り込む目的の「軍属補足協定」なども結ばれた。

沖縄県は1995年(大田昌秀知事)、2000年(稲嶺恵一知事)、2017年(翁長雄志知事)に地位協定自体の見直しを要請してきた。しかし、地位協定そのものはこれまでに一度も改定されず、強制力を伴わない実務的な「運用改善」や「補足協定」での対応が重ねられてきた。山本氏は本質的な改善に至っていない点を指摘する。

山本章子氏
「運用改善」は、米軍の努力義務で強制力がありません。1995年の合意後も「好意的配慮」はなかなか行われず、身柄引き渡しは実現しない期間が続きました。日本政府が度重なる要請をした結果、身柄引き渡しが行われるようになりました。一方で2017年の軍属補足協定も、本来は軍属の人数を減らすのが目的でしたが、締結後に逆に増えている現状があります。

沖縄の問題だけではない、日米地位協定に残された課題
日米地位協定が抱える問題は沖縄県だけにとどまらず、基地周辺で多くの課題を残している。

日米地位協定の3条は、米軍は訓練などの運用を必要に応じてできると規定している。飛行訓練などは夜10時以降しないと1996年の騒音規制の運用改善で取り決めがなされた。だが、実際には現在もその時間を超えて活動している。
4条により、米軍には基地返還時の原状回復義務がなく、土壌が汚染された場合も補償する必要がない。そのために、米軍基地周辺からは泡消火剤などに含まれる発がんが疑われる有機フッ素化合物「PFOS」などの有害物質が検出されており、汚染土壌から地下水を通じて公園の湧き水でも検出されている。
18条により、米軍関係者による事件・事故で、被害者が加害者側に民事請求した場合、日本政府が一部負担で補償金を払うことになっているが、米軍が責任を認めないと進まない。このため1996年に「SACO(日米特別行動委員会)見舞金」の制度が設けられた。これにより日本政府の判断のみで補償が可能になったが、補償金は十分ではなく、手続きも煩雑で被害者の負担は大きい。

日本は常に"有事"? 駐留米軍の運用、他国との比較
地位協定は、他国軍の駐留を受け入れる場合に、その駐留についての法的な地位を定めるためのもので、米軍を受け入れてきた国には日本のほかドイツ、イタリア、韓国などがある。だが、ドイツやイタリアでは、NATO(北大西洋条約機構)軍地位協定における、国別の補足協定の改定を実現している。

その結果、有事の際はNATO軍地位協定が優先されるが、平時においては、ドイツでは米軍の訓練にドイツ側の許可や承認を得ることが必要になり、イタリアでは同様にイタリアの司令官に事前通告と承認を得ることが必要になった。また、米軍機の事故ではドイツ軍やイタリア軍が主体的に調査できるようになるなど改定された。

山本章子氏
ドイツ・イタリアと比較して、日本は平時と有事の区別がなく、いかなるときも有事を想定した訓練に使える点が問題。そのために、夜間でも有事を想定した戦闘機などの離発着訓練も可能になっているのです。

なぜこうなった?
実は日米地位協定の条文には、あまり具体的なことは書かれていない。長年明らかにされてこなかった「合意議事録」の存在が大きく、この文書のなかに書かれていた"密約"が、今まで起きてきた問題の大半を占めている。

Q.日米地位協定合意議事録とは?
山本章子氏
日米地位協定合意議事録(以下、合意議事録)は、日米安保改定の際、日米両政府の担当者が日米地位協定とは別に作成し、2004年まで非公開でした。合意議事録という形式は、交渉担当者が後任に引き継ぐ「備忘録」でしかありません。にもかかわらず、地位協定本文よりも重視されてきました。例えば、日米地位協定では刑事裁判権について、基地の外で起こった事件・事故の捜査は日本との取り決めに従う、とあります。しかし合意議事録では、日本の警察が捜査できない内容となっており、こちらが重視されてきました。国家の主権にかかわる問題が起きています。

Q.具体的に、何が問題なのか?
山本章子氏
日米地位協定は民主主義的な決議を経ておらず、国会で議論せずに運用が決められています。そもそも、日米行政協定の改定は占領期における米軍の地位の特権をなくすことが目的でした。なのに、実際には合意議事録という形で特権が維持され、改定の趣旨を台無しにしていることも問題です。

Q.解決するにはどうすればいいのか?
山本章子氏
合意議事録は法的には日米両国間の行政的な取り決めですが、国会の審議を経ていないがゆえに、本来は廃止する場合も日米両国の合意があれば廃止できる存在です。問題は、政府にその意思があるかどうか。日本が米国に改定を要求してこなかったのは、米軍にとって不利な運用を要求すると、日本から撤退されるかもしれないという懸念があるのでしょう。「米軍がいれば国の安全が守られる」という日米安保に依存した安全保障政策の影響が、このような形で表れているといえます。安全保障上、日米安保は重要でしょう。ただ、それを維持するのと地位協定や合意議事録をそのままにするのは同じではないはずです。地位協定がどうあるべきか、国民的な議論が必要ではないでしょうか。

北方領土
■ ぼ ぉ ~ っ と、生きている人。 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2018年12月21日)」より
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戦争で奪われたモノを、戦争で取り返した。

それが、サハリンの南半分だった。

そして、今度は、卑怯であろうが何であろうが。日本を後ろから斬りつけて、千島列島を奪った。ロシア(当事はソ連)の兵士が、血で購(あがな)った。その神聖な領土を、単なるお話で返すなど、そう考えるのは、三流の単なる空想家の幻想でしかない。わが郷・左近尉が思うに。歯舞・色丹だって、プーチンは返すつもりはない。安倍晋三は、サンフランシスコ講和体制を、日本の独立元年だとか。おもいきり、お馬鹿を語ってきた。台湾と朝鮮を奪われ。その旧領土は、今度は米国が国際巨大ゴロツキ金融の力で、カネの奴隷にしている。こうした現実を辨える。そして、日本は経済の実質世界一。この力でもって、米国だとか英国のユダヤ金融から、朝鮮と台湾を呪縛を解き放つ。これが出来て、はじめて一流の政治家と言える。
https://blog.goo.ne.jp/wagasato/e/a94f6ca2ade6f94730d3026040038152

米軍基地ない北方領土、日本は確約を…露大統領
https://www.yomiuri.co.jp/world/20181220-OYT1T50156.html
2018年12月20日 21時16分
(※mono....引用記事略)
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つまり、自衛隊機に飛行差し止めを言い渡した、横浜地裁の佐村浩之裁判長は、その社会的な行為で、 『立派!!???』 に、自分が、ポチとか、タマであると、証明した。つまり、日本国の厚木基地には、日本の国家権力は及ばない。つまり、つまりと重ねて書くが、日本国の六法よりも、安保条約の地位協定のほうが、上位の法であると厳命したのだ

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)
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が、100万名もの殺戮をくり返した。その米穀は日本との、戦略的平和構造の構築者なのだといふ。大きすぎる力には抗えない。それで、日本はその大儀名文としての、日米安保条約を結んだ。その地位協定などを見れば、米軍は軍靴を履いていさえすれば、何処へでもずかずかと闖入する事が出来る。つまり、やろうとすれば、日本の政治家を銃剣を突きつけて逮捕する事だって出来てしまう。この窮極の不平等条約が、日本の健全な発展を妨げている。
https://blog.goo.ne.jp/wagasato/e/7f28f98f5a354cdf34ad69ea4a9960b9


日米地位協定
■ 石破氏が日米地位協定の改定明言 安倍首相との違い鮮明に(横田一) 「BLOGOS(週刊金曜日編集部2018年09月10日 10:30)」より
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安倍晋三首相(自民党総裁)は26日、視察先の鹿児島県垂水市で総裁選(9月7日告示・20日投開票)への出馬を正式表明した。既に出馬表明を終えた石破茂元地方創生担当大臣との一騎打ちとなる見通しだが、総裁選の争点などについて聞かれた安倍首相は「どのような国造りをしていくのかだ。骨太の議論をしていきたい」という抽象的回答。

ただ同日の自民党鹿児島県連の会合では改憲の必要性を強調した上で「今まで以上に全ての人生を懸け、努力を重ねる」と訴え、自衛隊を憲法9条に明記する改憲原案を秋の臨時国会に提出する意向も明らかにしていた。

これに対して石破氏は「(改憲は)スケジュールありきでやるべきものとは考えていない」と釘を刺す一方、フリーの記者も参加可能な政策発表会見(8月17日)では、「憲法9条改正より参院の定数問題や緊急事態条項について優先して議論すべき」と代替案を示した。と同時に日米地位協定改定の必要性も強調、目玉政策にしようとしていた。7月26日に共同通信加盟社論説研究会が主催した講演会で次のように訴えたのだ。

「日本が(現在は米軍側が持つ)管理権を日本が持ち、米軍がゲストとして存在することは不可能なことではない」「(防衛大臣時代に)日米地位協定の『運用改善』に努めてきたが、『改定』そのものに取り組まねばならない」

ちなみに安倍首相は、去年12月から1月にかけて沖縄でヘリ事故が頻発した後も、国会答弁で「日米地位協定は運用改善だけで十分。改定は必要ない」という立場を取り続けていた。

8月21日の構想日本主催のフォーラムでも、日米地位協定改定へのこだわりを見せた。質疑応答で沖縄問題について聞かれた石破氏は、辺野古新基地建設について、次のように持論を繰り返した。

「(沖縄では)犯罪、騒音、事故といろいろあります。その時に沖縄県民が『日本政府は日本人の味方だよね』と思ってもらえるのは大事。つまり(地位協定改定をした)イタリアで米軍機が事故を起こすと、イタリア政府が『飛行差し止め』をするわけです。それは『イタリア国民が一番大事』だからですよ。日米地位協定改定は今まで『アンタッチャブルだ。日米安保協定を変えないと不可能』と言われてきたが、そうでしょうか。『日米地位協定の改定はできない』と決めつけるものではないと思っています」

【種子法廃止でも違い鮮明】

対米追随で「米国益第一・日本国民二の次」の安倍政権(首相)との違いは、米国製武器購入についても明白だった。地方創生がテーマの24日の会見で「秋田と山口でイージス・アショア反対運動が起きているが、北朝鮮情勢が変わっているのに強行しようとしている」と政権の姿勢について聞くと、こんな回答が返ってきた。

「『なぜ、そこでなければならないのか』ということについて地域の理解なくしてできることではない。イージス・アショアは将来の艦船のシステムを代替するものであり、イージス・アショアだけではなく、海上自衛隊の能力をいかに活かして日本の安全保障のために活用するのかを議論すべき。『また高い買い物をするのか』『地域の住民の理解なくしてやるのか』ということを払拭をすることは当然、必要だと思っています」

また種子法廃止について「地方自治体が(種子法)廃止法案を肩代わりする条例制定をしているが、種子法廃止が日本の農業の潜在力を奪うことにならないのか」と聞くと、石破氏はこう答えた。

「いかに日本の農業の技術を伝承していくのか。消費者の安全をどう確保するのかを考えていくべき。国が法律を作って各地に条例ができるのが必ずしもノーマルな形だと思っていない。種子法が地方や農業者の意見も入れていきながらきちんと運用されるように、法改正にさらに務めていくべきと考えています」

9条改憲や日米地位協定改定や種子法廃止などで、安倍首相と石破氏との違いが浮き彫りになっていく。総裁選で論戦が期待される。

(横田一・ジャーナリスト、2018年8月31日号)


+ 記事
 沖縄は5月15日、本土復帰45年の節目を迎えた。基地問題をめぐり、亀裂が深まる「本土」との関係修復は可能なのか。

 5月初めの沖縄は、梅雨入り間近を予感させる特有の湿気をまとっていた。静寂が覆う密林地帯。うっそうとした茂みの中で、そこだけが柔らかな光に包まれていた。献花台を埋め尽くす花々やお菓子、ぬいぐるみ、ペットボトル……。数日前、この現場で一周忌の法要が営まれた。

 元海兵隊員の米軍属による暴行殺人事件が発生したのは昨年4月29日。犠牲者は20歳の女性会社員だった。自宅近くでウォーキング中、事件に巻き込まれた。

 一周忌の法要で女性の父親は、遺体が遺棄された雑木林に向かって、娘の名前を何度も呼び、「一緒に帰るよ」と呼び掛けた。父親は4月27日、書面で現在の心境を明らかにしている。

「今なお、米兵や軍属による事件事故が相次いでいます。それは沖縄に米軍基地があるがゆえに起こることです。一日でも早い基地の撤去を望みます。それは多くの県民の願いでもあるのですから」

 献花台のすぐ近くを通る県道104号線は、「キセンバル闘争」で知られる反基地闘争の象徴的な場所だ。復帰翌年の1973年から97年まで180回にわたって実弾砲撃訓練が繰り返された。その都度、県道は封鎖され、砲弾が着弾地の山肌をえぐり続けた。

●森の奥から響く射撃音 復帰は間違いだったか

 森の奥から乾いた射撃音が響く。一帯は米軍演習場のレンジが幾重にも連なる。この演習場内の工事現場で、工事車両や水タンクが破損し、車両付近や水タンク内から銃弾のような物が見つかったのは、つい先月のことだ。5月2日、沖縄県議会が原因究明や再発防止を求める抗議決議と意見書を全会一致で可決した。

 こうした異常な出来事が、沖縄では日常的に起きる。演習場周辺の民間地への被弾などは今回を除き復帰後27件繰り返されているが、日米地位協定の「壁」に阻まれ、いずれも立件には至っていない。ほかにも、復帰後の米軍機の墜落・不時着は709件、米軍関係者による事件は5919件、事故は3613件(昨年末現在)に上る。

 敗戦と占領の残滓が色濃くにじむ沖縄で、復帰は何だったのか、との問いが繰り返されるのは必然といえる。「祖国復帰運動」は、基本的人権や平和憲法を明記した「憲法の下への復帰」がスローガンだった。

「だれもが評価する『戦争放棄』はピカピカに輝いていましたからね。しかし結局、ピカピカの平和憲法の下に帰るということをもって、復帰の真相が覆い隠された面もあったのではないでしょうか」

 復帰運動を牽引した屋良朝苗主席の下、琉球政府職員として「復帰措置に関する建議書」の策定に携わった宮里整さん(84)=那覇市=は、淀みない口調でこう続けた。

「私は今、冷静に振り返れば、復帰運動は間違いだったという結論に行き着いています」

●危機感訴える「建議書」 缶詰めになり作成

「建議書」は、復帰準備作業が本土政府ペースで進められ、県民の意向が反映されていないことに危機感を抱いた当時の琉球政府が、沖縄側の反論と要望を日本政府に訴えるためにつづった全132ページの文書だ。

 復帰を翌年に控えた71年10月。那覇市の八汐荘の畳敷きの大広間は男たちの熱気に包まれていた。顔を真っ赤にして議論する者、食事時間も惜しんでどんぶり鉢を片手に黙々と資料をあさる者……。顔ぶれはさまざまだったが、共通の使命を負っていた。琉球政府の若手職員ら約30人と学識経験者からなる「復帰措置総点検プロジェクトチーム」の中に、行政管理課から選ばれた宮里さんもいた。建議書は彼らが缶詰め状態で1カ月足らずでまとめた。

 翌11月17日、屋良主席は建議書を携えて東京に向かう。しかし、羽田空港に到着する直前、衆院特別委員会で自民党が沖縄返還協定を強行採決した。これが、のちに「幻の建議書」と呼ばれるゆえんとなる。

 建議書の印象的な一節を紹介したい。

「県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからにほかなりません。(中略)復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」(建議書「はじめに」)

 97年11月の沖縄の施政権返還25周年を記念する復帰式典。大田昌秀知事は「当時、政府が建議書を真剣に受け止め、県民の願いをその後の沖縄政策に生かしていたら、わが県はもっと違った姿になっていたのではないかと思われてならない」と発言した。

 宮里さんは13年前の筆者の取材に、建議書をこう総括している。

「復帰時点に指摘された問題は積み残しの状態で、本質の解決は図られないままメッキを塗ってごまかして今があるのではないでしょうか」

 今やメッキもはがれ落ちてしまった感が否めない。沖縄県内の全市町村長や議会議長が参加した要請団が2013年1月、米軍普天間飛行場の県内移設断念などを求める「建白書」を政府に提出した。しかし、その後の選挙でも示された民意はことごとく踏みにじられ、先月25日、政府は辺野古埋め立ての第1段階である護岸工事に着手した。

「政府は沖縄を領土の観点でのみ捉え、いかに軍事利用するかということだけに集中しているように見えます。ただ、こうした政府の処遇は今に始まったことではありません」(宮里さん)

●信託統治か潜在主権か 独立への道も存在した

 日本政府は明治期に、安全保障上の所要を満たすため、武力威嚇を伴う「琉球処分」によって沖縄を日本国家の版図に組み込んだ。太平洋戦争で沖縄は、本土決戦のための時間稼ぎの「捨て石」として住民が根こそぎ動員された揚げ句、4人に1人が亡くなる地上戦に引きずり込まれた。そうした歴史の連なりの中に今がある。

 そう捉える宮里さんの視座は、政府批判にとどまらない。矛先は自身を含む「沖縄」にも向けられている。

 敗戦時、宮里さんは12歳だった。軍国主義一辺倒の皇民化教育を受け、島くとぅば(沖縄方言)の使用も禁止されていた宮里さんは、沖縄にかつて王政が存在したことや、独自の文化や歴史が育まれてきたことも知らなかった。

 戦後沖縄の教育は、収容所での青空教室に始まり、米軍の指示で沖縄独自の教科書編集が行われた時期もあった。沖縄の歴史が記述されたガリ版刷りの教科書が配られるまで、宮里さんは「首里城」の「首里」という文字を、「みやざと」という自分の姓と重ね、「くびさと」と黙読していたという。

 日本という国家の中で沖縄は取るに足りない地域──。「そういう頭づくり」がされた延長のまま復帰運動に接続した、と宮里さんは振り返る。

「つまり、親元に帰る、祖国復帰という言葉で、私も一緒になって復帰運動に傾注しました。そういう範囲でしか物の判断ができなかったというのが、今の沖縄の状況を生み出す背景にあったと思うんです」

 宮里さんが「歴史的な反省点」に挙げるのが、52年発効のサンフランシスコ講和条約の第3条に関する解釈だ。講和条約と日米安保条約の発効によって日本本土は「独立」し、沖縄は米軍占領の継続・再編成という状況に置かれた。

 講和条約第3条はこう規定する。沖縄などは米国を「唯一の施政権者とする信託統治制度の下におく」との提案が国際連合に対してなされた場合、日本はこれに同意する。さらに、この提案までは、米国が沖縄などに対して「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」。そのうえで、日本には「潜在主権」が残るとされていた。

 宮里さんは「信託統治制度」についてこう言及する。

「敗戦までは日本が南洋諸島を委任統治していましたから、その感覚が頭にあって、南洋諸島みたいに差別された地域にされる、という反発が先に立ったのです」

 一方で、「日本の潜在主権」が認められた点は、「希望」だったという。

「潜在主権が認められたことで、いずれ日本に復帰できるんだ、それが沖縄県民にとっては救いだという錯覚を起こしてしまったんですよ」

「錯覚」という言葉に、筆者は内心動揺した。宮里さんの心域はそこまで「日本」から離れてしまったのか。

 かつての南洋諸島は戦後、米国の信託統治を経て独立している。

「つまり当時、沖縄自らが信託統治を欲し、そこから独立につなげる道を選んだほうがよかったんじゃないかということです。そのチャンスを逃がしたばかりに、沖縄は本土に軍事利用され続ける、今日の混迷と不幸があるのです」

●沖縄を守らない9条と 憎しみに包囲された基地

 宮里さんは今、戦後沖縄のテクノクラートの一人として沖縄社会を「日本復帰」に誘導する一端を担った過去を心の底から悔やんでいるのだ。

 安倍晋三首相は5月3日、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と明言。戦争の放棄を定めた9条に自衛隊の存在を明記した条文を追加することなどを挙げた。

「日本を軍事国家にしたいのでしょうが、結局、本土による沖縄の軍事利用強化につながるのでは」

 そう受け止める宮里さんの視点は、本土の改憲派、護憲派のどちらにもくみしない。

「そもそも9条は沖縄に適用されてきたのか。本土は9条を生かすために沖縄を利用してきた、という解釈もありますよね
。そういう意味では、これからも9条にぶら下がるというのは、私は非常に違和感をもっています」

 沖縄の政治潮流に詳しい獨協大学地域総合研究所の平良好利特任助手は『戦後日本の歴史認識』(東京大学出版会)で、
「沖縄と本土の溝」の章を担当。かつてないほど沖縄と本土の政治空間に隔たりが生じてしまった根本要因として、沖縄に偏在する基地負担を戦後日本が解決できなかったことにある、と分析している。

 本土で米軍基地が縮小されていった50年代後半に、本土から沖縄に移駐した米海兵隊が在沖米軍基地の約7割を占める現状を、本土のどれだけの人が知っているだろうか。

 平良氏は言う。

「日米同盟の本質は、基地を提供する代わりに守ってもらうことです。しかし、基地という最も重要な『実』の部分の大半が沖縄に局地化されて見えなくなり、その『実』の部分を脇に置いたまま、『日米同盟』は深化・発展していったのではないでしょうか」

 米軍統治下の沖縄で弾圧と闘った政治家、故瀬長亀次郎氏の軌跡を展示する資料館「不屈館」が那覇市にある。

「復帰して良かったことはいっぱいあります。パスポートなしで本土に行けるし、医療保険制度や年金の恩恵も受けられます。基地付きの復帰になったことで、すべてダメだと言って、本土の人と喧嘩しても始まりません」

 そう話す館長の内村千尋さん(72)は亀次郎氏の次女だ。内村さんは辺野古新基地建設など政権の強権的な姿勢に強い反発を覚えながらも、本土の人たちにも粘り強く理解を得る努力が必要だと考えている。

 亀次郎氏が残した言葉は今も沖縄の反基地闘争を鼓舞する力をもつ。今年3月の辺野古のキャンプ・シュワブゲート前での集会。大会決議文で引用された「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」もその一つだ。

 帰り際、内村さんが亀次郎氏の言葉をもう一つ、教えてくれた。

「民衆の憎しみに包囲された軍事基地の価値はゼロに等しい」

 本土に向けられた言葉でもある。(編集部・渡辺豪)

AERA 2017年5月22日号










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最終更新:2024年01月16日 16:06