● 石原莞爾〔Wikipedia〕
石原 莞爾(いしわら かんじ、明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 昭和24年(1949年)8月15日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。栄典は従四位・勲三等・功三級、満洲国勲一位柱国章(日本の勲一等瑞宝章に相当)叙位叙勲。「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。
関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、のちに東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気のため戦犯指定を免れた。





大東亜戦争
■ 日本帝國の戦いを偽って伝えることなかれ 「浮世風呂(2014.4.19)」より
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戦後教育を受けた世代は、石原莞爾といえば「満州国」又は「満州事変」というイメージをもつ人が多いと思う。戦後のWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)によって戦争についての罪悪感を植えつけられている日本人は日本軍が満州事変を起こして侵略したと思っている。

ところが石原莞爾は戦後の東京裁判で裁かれていない。同じ満州事変に関わった板垣征四郎は死刑になった。WGIPに洗脳されていてもこういう不整合に気づいている人もいるかもしれない。実際には満州国は正当な国家であり、日本の侵略ではなく、満州と支那はそもそも別ものである。東京裁判はインチキ裁判であった。なのに石原莞爾は罪に問われてはいない。

石原莞爾は昭和16年には予備役になっており、終戦は講演先で玉音放送を聴いている。昭和20年9月以降、全国に講演旅行を続けていた。昭和21年1月以降は持病が悪化し、入院している。

米、英、ソの検事が臨床尋問した際には「戦犯の中で第一級は、空襲、原爆投下で非戦闘員を殺害し国際法を蹂躙したトルーマンで、本当の元凶は鎖国の日本を脅かし、開国させ、日本を台湾、朝鮮、満州に赴かせたペリーである」と答えた。東条英機と意見が対立していたというではないかとの問いには、「東條には思想も意見もなく、意見のない者と意見の対立はない」と答えている。
(※ 以下略、詳細はブログ記事で)

■ 石原莞爾「最終戦争論」を読んでの所感 「ねずさんの ひとりごと(2010.11.10)」より
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石原莞爾先生の「最終戦争論」は、要約すると、人類の行った戦争には「決戦戦争」と「持久戦争」があって、二つの戦争様式は古代から相互に繰り返しながら進化してきた。

けれども、人類がその兵器を進化させ、大量破壊兵器によって戦士ではなく一般人を人質にとる段階に至ると、もはや戦争は起こせなくなる。

その結果、武力をもって国家間に行なわれた闘争心は、人類の新しい総合的大文明建設の原動力に転換せられであろう、むしろそれを打ちたてて行くことが、われわれ日本人に課せられた命題である、というものです。
(※ 後略、詳細はブログ記事で)



■ ニュース1











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最終更新:2014年04月22日 19:21