+ ニュースサーチ〔東条英機〕




2024/03/02
1:15 太平洋戦争と東條英機の真実
4:43 昭和天皇の意志を受けた東條の苦悩
9:23 東條英機の最後のメッセージ
15:43 海外の反応


※ 東條英機元首相公的遺書全文 「尊皇隊」より




ケンワージー中佐は、東條元首相のことを、処刑の4年後に次のように述べている。『私が巣鴨刑務所の獄窓を越えて、有名な東條大将の姿を初めてちらと一瞥して以来、私はかつてただの一度といえども、私が彼の「看視者」であり、彼が私の「囚人」であるといったような気持になったことはなかった。大将と私との関係はむしろ「先生」と「生徒」というような関係だったのである。もちろん、先生は彼であり、生徒は私だった。
私が東條大将からまず第一に教えられたものは「寛容」ということだった。私は自分の同僚にもあるいは自分の環境にも、絶対に腹をたてないという寛容の美徳を彼から学びとった。そして一度この寛容の徳をしっかりと身につけた者の魂と心は、どんなに厳重な房の窓も、いかに高い刑務所の壁も、もはやこれを遮りとどめることができない、ということを知るようになった。巣鴨刑務所における東條大将は、既にこんな境地にあったのである。かくて大将は刑務所内の同囚の人々はもちろんのこと、この浮世の皮肉な運命によって、一時彼を監獄のなかに押しこめておく立場に立つわれわれ「看視者」の者たちにも、インスピレーションをもたらす指導者になりきっていた。
東條大将の家族は、非常にしばしば面会にやってきたが、大将の家族に対する愛情も美しいものだった。私はこうした面会にはおりおり立ちあっているので、彼の家族に対する深い愛情と献身の美しさを物語る、いろいろと小さな挿話を知っている。だが、限られた面会時間に、東條大将がその愛する家族とむつみあう一時を、できるだけ邪魔しないように、遠くからそっとその美しい情景をながめていた私は、これを全く同じ理由によって、こうした挿話の数々は彼の家族と、そして許されるならば「沈黙の立会人」であったこの私の記憶のうちに、そっととっておかるべきものと思う。ただ最後に一言するならば、東條大将は家族に限りない愛情を注ぐ夫であり父であったと共に、永久のサムライであった』

「米憲兵隊長・市ヶ谷の記録」『文藝春秋』昭和28年1月号



2018/08/11 に公開
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東条英機 遺書 最後に彼は何を語ったのか 戦後70年余りを過ぎた今、彼に対する海外評価の変化とは?

東京裁判」は、勝者である連合国が敗戦国を一方的に裁いた不法不当な裁判です。
戦争からしばらくたった今、東条英機の海外評価が変わりつつあります。
ビートたけしが東条英機を演じるドラマ「日米開戦と東條英機」は、
場面構成の再現度がかなり高かったことでも評価され、当時を知るひとつの手段としてお勧めです。


昭和23年12月23日の絞首刑前日(22日)に書かれた東条英機の遺書の全文があるので転載する。
ブログ「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」の記事より

東条英機の遺言
(全文)


 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。
 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。
元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。

 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
 また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

 こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。

 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
 第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
 第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
 米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

 なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

 青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

 今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

 最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。


 (ブログ主様のコメント)以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。











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最終更新:2024年03月12日 20:18