概要
戦闘に至るまでの背景
▲685年7月における勢力図
バルディゴス討伐連合軍解散後、もともといくつかの国で国境を巡っての小競り合いもあった緊張状態の各国は、本格的な武力衝突へと一気に加速していった。
それは、まるで連合軍として戦い戦場で何万という血を流したことが、それまでかろうじて理性を保っていた「乱世」へ踏み込むきっかけとなったかのように、にらみ合いで済んでいた国ですら本格的な戦乱へと足を踏み込んだ。
最も早く動き出したのは、かねてよりこの戦乱の時代の到来を待っていたとも思われる
シャリアル国の若き国主
メスローであった。
連合時代に軍事的才能のなさを看破された隣国
イージル国の
キャルスに向かって攻撃を開始、便乗して西の
アル国、北の
バルド国まで侵攻を開始し、僅か一年にして
イージル国は存亡寸前にまで追い込まれた。
もはや国主を見限った数多くの将がこの出陣要請を無視して他国へと走り、
バルド国への出兵どころではなくなった
イージル国軍に、
メスロー自らが
シャリアル三牙王を従えた主力部隊を率いて攻め込んでくる。
あてもなく逃亡をはじめた
イージル国軍だが、シシリス盆地で追いつかれ、
イージル国最後の戦いが始まることとなる。
両軍の戦力
戦闘経緯
シャリアル国軍から逃げるかのように行軍していた
イージル国軍、彼らがどこを目指していたのかは資料が残されていないが、
キャルスが自分たちの妻子を伴っていたことから、
アル国か
バルド国へ亡命を図っていたのではないかと思われる。
しかし、もはや流浪の避難民に等しく、非戦闘民も多く引き連れていたため移動速度の遅い
イージル国軍に、精鋭揃いの
シャリアル国軍が追いつく。
戦意を喪失した
イージル国軍は、3000人いた兵力(ちなみに、
蜉蝣戦記における兵数とは、兵站部隊、輸送部隊といった後方の兵員も全て含めている。同じ兵数でも、純粋に戦闘参加者だけを記載した
六界戦争とは異なる)も、7月12日に
シャリアル国の先陣
フォールが戦場に到着する頃には次々と脱走し、1000を切る程になっていた。
軍師である
レニースは、せめて
キャルスの一族だけでも脱出させようと、国に殉じようとした1000人の兵と共に時間稼ぎを敢行するが、
シャリアル三牙王、
フォール、
ガルダ達によって完膚なきまでに打ち破られ、
レニースは生け捕られる。
馬車で脱出しようとした国主
キャルスとその妻子も退路を断たれて囚われ、そのまま
メスローの目前に引き出された。
ここにきて、突如として自らを臣下にせよと訴える
キャルスであったが、
メスローはただ一言「使えない者はいらない」とだけ言い、
キャルス、
レニース、そしてその妻子を悉くシシリスにて処刑した。
戦いの結末
同じ連合軍に参加していた国が僅か1年で滅ぼす者と滅ぼされる者になったという事実は、周辺諸国に衝撃をもたらした。
先に動かなければ倒されるという脅迫概念により、これより先、更に本格的な戦乱が巻き起こることとなる。
最終更新:2024年07月07日 00:03