基本情報



略歴

ルディック城の商人出身。
675年に官僚としてルディック帝国に仕官し、帝都と周辺地域の行政に携わっていたが、その手腕をバルディゴスに認められ、680年から将軍として任用された。
将軍任用後はバルディゴスの片腕として帝国の行政改革や法律の刷新などに関わる。

バルディゴス暗殺とカルディスの政変によるロー・レアルス建国の際には、ルディック城の東方で軍事物資の確保や難民の保護に奔走していたためクーデターに対応することができず、カルディスのルディック入城後にクーデターを追認せざるを得ない結果となった。

カルディス政権下ではロー・レアルス南部諸都市の復興を任せられ、彼女もその命に応えて成果を挙げた。

レザベリアスの戦いによってカルディスが戦死するのとほぼ同時期に、メファイザスの命によってルディック城に召還されカルディス急死後に混乱した行政組織の収拾を任される。
メファイザスが国主に就いてからは、ロー・レアルス国の後方支援活動や経済政策を総括するなど、メファイザスの覇道を文官の立場から支え続け、ヴェリアの大遠征においては、焦土作戦の総指揮をとった。

メファイザス没後の集団指導体制には数少ない文官の一人として参加していたが、ルディックの陣直前にベルザウスらからルディック城の民間人を疎開させる任務を託されルディック城を離れていた為、ルディックの陣には参加しなかった。
ルディック城陥落後はベルザフィリス国に降伏。

戦後、ルディック城再建において(過去のルディック城を知る人間として)ガイヴェルドに技術的な助言を行い、自らが疎開させた民間人のルディック城帰還にも携わっていたが、ルディックの陣前後から肺を患い体調が悪化。
712年2月、ガイヴェルドに引退を申し出て認められるが、翌年ルディック城にて病没。

蟠踞乱戦争以前の時代から通算して六人の君主に仕えた文官にして、ある種のテクノクラートであり、各国が発給する公的文書にはその名を残しているが、軍功は何一つ挙げていなかったため、軍記物語ではその存在が黙殺されることが多い人物である。


人物



関連項目



最終更新:2024年06月29日 12:48