柚木明成(ゆのき あきなり,1852〜1933)とは,経済学者。また明成大学の設立者としても知られる。
1852年に現在の新都特別市奈川区にあたる地域(柚木は地名からとった姓で,実際出生地は現在柚木駅がある場所に近い)に生まれる。経済学を学び,これを人々に教えるべく自身の名前をとり1891年に明成経済塾を創設。またそれだけでなく「さまざまな学問を教える,総合的な学舎を作りたい」と,1897年にはこの塾を「政府が義務教育として行う学校の上にある存在」との意味で明成上位学校に改変。なお,工学科の創設メンバーには船岡進も参画していた。また(大学の項にもある通り)本当に誰にでも門戸を開けていたため,当時としては非常に珍しく女子生徒がいた。1913年に教育の第一線からは退いた。
1933年に81歳で逝去するが,彼の信念は今でも大学に残っている。