| 判ノ谷鉄道2000系電車 | |
| 基本情報 | |
| 運用者 | 判ノ谷鉄道→塔野高速鉄道 |
| 製造所 | 大慶重工 |
| 製造年 | 1971年 |
| 製造両数 | 16両 |
| 運用開始 | 1972年9月17日 |
| 運用終了 | 2014年3月14日 |
| 主要諸元 | |
| 軌間 | 1,067mm |
| 電気方式 | 直流1500V(架空電車線方式) |
| 最高運転速度 | 95km/h |
| 設計最高速度 | 100km/h |
| 起動加速度 | 2.0km/h/s |
| 減速度 | 3.3km/h/s(常用) 3.8km/h/s(非常) |
| 車両定員 | 本文参照 |
| 全長 | 先頭車:20,120mm 中間車:20,000mm |
| 自重 | Tc車:31.8t M1車:41.4t M2車:40.8t T車:30.0t |
| 全幅 | 2,800mm |
| 全高 | 4,050mm |
| 床面高さ | 1,200mm |
| 台車 | ダイレクトマウント空気ばね台車 電動車:OMT-25HN系 付随車:OTR-24HN系 |
| 主電動機 | 直流複巻電動機 OSM-20NHN |
| 主電動機出力 | 130kW |
| 駆動方式 | WNドライブ方式 |
| 歯車比 | 91:17(5.35) |
| 制御装置 | 界磁チョッパ制御 |
| 制動装置 | 回生・発電併用電磁直通空気ブレーキ 抑速ブレーキ |
| 保安装置 | 本文参照 |
導入の経緯
判ノ谷鉄道(判鉄)では、1961年以降カルダン駆動の新性能電車である1000系を導入し、輸送力増強及び吊り掛け駆動の旧型車の置き換えを行ってきた。しかし1960年代後半以降判ノ谷市・真砂市の宅地開発が進展し、3扉の18m級車両では輸送に限界が見え始めた。そこで設計を一新し、他社で普及してきた20m級4扉の本格的通勤形車両を導入することで混雑対策を行うこととし、また新技術を取り込むことで省エネルギー化及び冷房化によるサービス向上を図った。
車両概説
車体は普通鋼製の20m級の片側4扉車体であり、当時としては一般的なものである。これまでの判鉄の車両の暗い緑色とは異なり明るい緑色の塗装とし、新車のイメージ向上を図った(従来車との混結が不可能なため、区別の側面もある)。側面の窓は腐食防止のため2段窓(いわゆる「田の字窓」)であり、また戸袋窓が省略されている。
前面は切妻形の中央貫通扉の3枚窓形状で、窓上中央に幕式の行先表示機、左右に2灯ユニットの前照灯(合計4灯)を配置し、窓下に尾灯を備える。
接客設備
室内の化粧板は暖色系の茶色系統を採用した。床板はコルク材を敷き詰めて防音性を高めている。
座席はオールロングシートで、1人あたり着席幅400mmの扉間8人掛け/車端部4人掛けでモケット色は茶色である。座面奥行きは490mm、座面高さは430mmとした。
荷棚は通常の網棚である。
側扉は判鉄では初採用の両開き扉とし、幅は1,300mm、扉中心間隔は4,840mmである。扉はステンレス製で、室内側のみ化粧板と同型色のベージュ系で塗装されている。ドアエンジンは座席下に収納されている。
本形式は判鉄で初めて新製時より冷房装置を搭載した。装置は分散型の冷房能力12000kcal/hのものを1両あたり3基搭載し、車体にダクトを設けない代わりに扇風機による室内送風を行う「振りかけ冷房」方式とした。
乗務員室
複数編成の連結を想定して運転台は貫通路と仕切ることが可能なつくりとした。これまでの車両との区別のため色彩は淡い緑色に変更されている。マスコン・ブレーキハンドルともに手前側に傾いた縦軸式で、マスコンハンドルを戻すことで抑速ブレーキに対応している。
主要機器
判鉄初めての省エネルギー車両として本形式では界磁チョッパ制御を採用した。当時製造されていた界磁チョッパ制御装置の標準的な方式で、直列13段・並列11段・弱め界磁が多励界磁チョッパ制御による連続制御である。
主電動機は直流複巻電動機のOSM-20(端子電圧375V時定格出力130kW)を判鉄向けに改良したOSM-20NHNをM1・M2車に4基ずつ搭載。MMユニット分8基を1基の制御装置で制御する。OSM-20系は中空軸ではないため、駆動装置には新たにWNドライブ方式を採用している。
ブレーキ装置は電磁直通ブレーキとし、発電ブレーキ・回生ブレーキ・勾配抑速ブレーキを備える。
補助電源装置は電動発電機(MG)をM2車に搭載する。
集電装置は一般的なひし形パンタグラフ。
台車は当時の大下車工および大慶金属工業が売り出していた新型のOMT-25/OTR-24系を履く。この台車群は軸箱支持方式に軸梁式を採用することでペデスタルによる摺動部をなくし、蛇行動に強いという長所を備えている。ただ乗り心地の面ではペデスタル式台車などに比べて優れているとは言い難く、短期間で開発は一旦終了した。枕梁を有するダイレクトマウント式であり、枕ばねは空気ばね。基礎ブレーキは電動車/付随車ともに片押し式踏面ブレーキとした。
保安装置は軌道回路式のATSを装備した。
形式
左は判鉄時代、右は塔野高速に承継された後の形式である。
2300形→70-000形(Tc)
先頭に立つ制御車で、運転台及び保安装置を備える。
2000形→71-500形奇数(M1)
奇数(新栗寄り)の電動車で、制御装置およびパンタグラフ1基を備える。
2050形→71-500形偶数(M2)
偶数(笠布寄り)の電動車で、補助電源装置および空気圧縮機を備える。
2100形→70-500形(T)
付随車で、構内での入換用に簡易運転台を備える。
編成表
| ←新栗 | 笠布→ | |||||||
| 号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 形式・車種 | ◇ | ◇ | ||||||
| 2300 (→70-000) Tc |
2000 (→71-500) M1 |
2050 (→71-500) M2 |
2100 (→70-500) T |
2100 (→70-500) T |
2000 (→71-500) M1 |
2050 (→71-500) M2 |
2300 (→70-000) Tc | |
| 機器 | F-Ch | MG・CP | F-Ch | MG・CP | ||||
| 車両番号 | 2301 (→70-001) 2303 (→70-003) |
2001 (→71-501) 2003 (→71-505) |
2051 (→71-502) 2053 (→71-506) |
2101 (→70-501) 2103 (→71-503) |
2102 (→70-502) 2104 (→70-504) |
2002 (→71-503) 2004 (→71-507) |
2052 (→71-504) 2054 (→71-508) |
2302 (→70-002) 2304 (→70-004) |
改造
新型ATS追設工事
1983年より塔野高速鉄道全線のATSを地上子・デジタル照査式のTR-ATSに更新するのに伴い、本形式にもTR-ATSが追加で搭載されている。
1983年より塔野高速鉄道全線のATSを地上子・デジタル照査式のTR-ATSに更新するのに伴い、本形式にもTR-ATSが追加で搭載されている。
車体保全工事
1992年より施工された。化粧板を交換、座席を扉間8人掛けから7人掛け、車端部を4人掛けから3人掛けに変更、座席幅を440mmに拡張した。また先頭車に車いすスペースが設置された。
1992年より施工された。化粧板を交換、座席を扉間8人掛けから7人掛け、車端部を4人掛けから3人掛けに変更、座席幅を440mmに拡張した。また先頭車に車いすスペースが設置された。
運用
判ノ谷鉄道→判ノ谷線時代
1971年末に2編成16両が製造され、判ノ谷検車区に配置された。1972年9月16日のダイヤ改正とともに営業運転を開始したが、長い8両編成であるためホーム有効長の関係で北真砂駅より北には入らず、専用の運用が組まれた。特に朝ラッシュ時の混雑する列車に優先して入り、4扉8両の輸送力により混雑は若干緩和した。本来の計画では8両2編成のみならず4両編成を含めた多数の編成を増備する予定であったが、判鉄の経営状態の変化により導入は最初の2編成のみにとどまり、以降の輸送力強化は1000系の増備によってなされることとなった。ほか形式とはブレーキ形式の違いから混結が不可能であったため、常に単独で運用された。1979年10月1日に判ノ谷鉄道が塔野高速鉄道に併合されたのに伴い本形式も承継されたが、運用面では特に変化がなかった。1988年には判ノ谷~真砂駅間で新線が開通し、これに前後して北真砂~笠布駅間にも入線するようになった。
八真線・東栄線時代
2000年に新たな運行形態として八真線が開業したが、71系はこれによる都心乗り入れ運用の対象外とされた。起動加速度が低いこと、ブレーキ方式の違いによりATCに対応することが困難であったことが理由である。そのため、運用は商栄駅から新栗駅までの区間の「東栄線」、および北真砂駅以北の末端区間に限られ、商栄駅~北真砂駅は朝夕の入出区時のみ通る形となった。同時期に61系の車体更新車が6両編成から8両編成に組み替えられ、共通の運用に就くようになった。
廃車
本形式は塔野高速鉄道では唯一の「大慶色の濃い」車両であり、機器類の違いから他の船橋重工業製車両の中に少数のみ存在すると保守に手間のかかる車両となっていた。加えてステンレスでない普通鋼製車体は腐食による劣化が激しく、また界磁チョッパ制御にも故障が目立っていた。そんな中2006年に71-003Fが夜の東栄線からの帰区運用中に川間-南判ノ谷駅間で故障を発生、自走不能な状態となった。後続列車に救援され判ノ谷検車区に入庫したが故障の程度と車両の少数性から修理は断念され、北真砂駅構内の留置線に回送の上で廃車の手続きが取られた。この車両はのちに71-001Fの保守に必要な機器類を取り外されたうえで東南畿外環急行鉄軌(当時は遠有鉄道)に売却されている。71-001Fも同時期より積極的に運用に入らず、平日朝ラッシュ時のみの予備車的な扱いとなった。その中2014年のダイヤ改正で低加速度編成の運用が減少するのに伴い、余剰となった71-001Fは定期運用を終了。新栗~笠布駅間で臨時列車を1往復運転したのち廃車となり、この編成も遠有鉄道に売却されている。遠有鉄道に売却された車両はヤ20形に改造されている。