ヴァルキリーズ・ストーム 第八十二話

 ●長野県松本市元松本少年刑務所
「ふうん?」
 同じ頃、松本市内にあるかつての少年刑務所の独房の一つで、水瀬は目の前に座る少女と話し込んでいた。

 かつての松本少年刑務所。
 現在の騎士短期養成所。

 戦時騎士動員法に基づき、刑務所を騎士専用の収容施設に指定。戦闘訓練を受けたことのない騎士達に、形ばかりの戦闘訓練を施し、「訓練はさせた。あとは戦ってもらう」ための施設。
 全国に12カ所存在する。
 管轄は厚生省と警察庁。
 訓練期間は、陸軍騎士部隊が訓練指導担当になる予定だった時は八週間。
 ところが、施設を効率よく運用したい厚生省は警視庁騎士警備部幹部と結託して、陸軍を排除、この訓練計画に横やりを入れた挙げ句、施設の管理・運営全てを軍から横取りし、騎士警備部が訓練を担当することになった。
 その結果、訓練期間は、最短7日という信じられないような短期間となり、満足な訓練も受けられない哀れな騎士達は、前線へと送られることになる。
 すでにすかりの数の騎士が、陸軍に臨時編成された騎士部隊に編入されているが、陸軍は騎士達をまず自らの施設に送り込んで再訓練なければ兵隊として使えない有様だ。
 何しろ、施設で教えるのは、軍服の着方、剣の装着の仕方、軍における階級。その程度。戦闘訓練と称するランニングや筋肉トレーニングしか肉体訓練を受けない。
 武器に関する様々な法律の規制によって、騎士達は真剣を手にすることさえ出来ない有様だ。
 あまりに酷すぎることは、世人の目にも明らかだった。
「騎士達を無駄死にさせるための施設」
「騎士の人権無視」
 陸軍にこうとまで呼ばれた施設の名目上の責任者であるはずの厚生大臣は、日本語になっていない答弁でのらりくらりと逃げ延びるだけ。
 自己の正当性に固執し、自分達は騎士を前線に送っているのだから、むしろ感謝されるべきだと、逆に陸軍を非常識扱いする始末。
 その間にも、「出来損ない」「肉の弾よけ」と揶揄される騎士達が前線へと送り出されていく。
 騎士達に志気はない。
 あるのは、命令と、絶望だけだ。

 ―――俺達は兵器じゃない。生け贄だ。

 自分達をそう呼ぶ騎士達には、明日への希望さえない。

 この時の水瀬は、そのまっただ中にいた。

「―――うん」
 本来、二人用の独房には、簡易ベッドが二つ持ち込まれ、水瀬ともう一人が、そこに放り込まれていた。
 ベッドに腰を下ろして水瀬と話す少女が、小さく頷いた。
「あのね?」

 この独房に押し込まれてからすでに七日。
 魔法騎士の訓練期間は一律二週間というから、すでに半分が過ぎていた。

 ポツリポツリとだが、自分の口で喋る少女を見つめながら、水瀬は口元をゆるめた。

 数日前まで泣いてばかりだった少女が、ようやく話しが出来るまでに心を開いてくれたのだから、水瀬でなくてもうれしいはずだ。

 一条楓(いちじょう・かえで)
 戸隠の出身だという。
 近所の住民と共に避難していたが、その最中、米軍の誤爆により全員が死亡。
 一人でさまよい歩いた後、収容所に収容され、魔法騎士であることを理由に、ここに送られた。
 わずか十歳だが、魔法騎士を前線に送ることで評価があがる厚生省独自のシステムの犠牲となって、今、楓の年齢欄は十三歳になっている。

 楓の口から語られるのは、戸隠の四季、蕎麦のこと、家族のこと、友達のこと、楓の知っている世界の全て。
 それがどれほど素晴らしいか。
 楓は熱心に語り続ける。
 純粋なまでの会話に、水瀬もいつしか引き込まれるように語り続けている。
 水瀬にとって、問題は、楓が自分のことを女の子だと思いこんでいることだけだ。

 楓の魔法騎士ランクはAAA。
 近衛の高位魔法騎士並のレベル。
 魔法騎士は近衛のみの配備という、暗黙のルールを破ろうとする陸軍が、厚生省と結託して水瀬と共に陸軍魔法騎士部隊創設時の要として期待する存在なのも、無理はない。

 目の前の無垢な少女が戦場に立つことを、水瀬は決して歓迎していない。

 住み慣れた戸隠に家族と共に戻してあげたい。

 そう思う。

 それが、もう無茶な願いであることを知りながら、水瀬は、どうにかして、この子を戦場に送らずに済む方法がないか、出会ってからというもの、楓の顔を見るたびに、そればかりを考えていた。

 お父さん達に身柄を預ける。

 そう決めたのは、昨日になってから。

 それまで近衛に預けることを考えていたが、教官である公安騎士が楓に言った一言で考えを変えたのだ。

「おい。陸軍が嫌でも、近衛に送られるのがオチだぞ?」

 そう。

 近衛だって、この子を兵器として扱うだろう。
 そう結論に達した結果だ。

 だからこそ、水瀬はこの晩、行動に出ようとしていた。

 脱獄。

 本来、こんな所に押し込めておく方が問題なんだし、阻止するなら、誰であれ殺す。
 水瀬は、この子を守るために本気でそうしようと決意していた。
 ただ、水瀬がそれをこの子に告げるタイミングをつかめないまま、無駄に時間ばかりが過ぎていく。

「あ、あのね?」
 楓のおしゃべりが一段落ついたと思った水瀬は、やっとそう切り出すことが出来た。

 その時―――

 ズズズンッ!

 地響きと共に、独房が激しく揺れた。
「きゃっ!?」
 楓が悲鳴を上げ、水瀬がその上に覆い被さる。
「な、何っ!?地震!?」
「―――違う」
 水瀬は険しい視線で、壁を、その向こうに広がる世界を見た。
「わからない?」
「……ま、まさか」
 楓が青くなって両手で頭を覆った。
「これ……この感じ」
「そう―――これが妖魔の感じ。覚えておいて」
「ここに来たの!?」
「そういうこと」
 ドアの向こう側も大騒ぎになっている。
 独房、雑居房に押し込められた騎士達には何もわからない。
 何が起きたか、それだけを知りたくて、騒ぎ立てているのだ。
「うるさいぞ!」
 看守を勤める公安騎士が怒鳴った。
「静かにしろ!単なる地震だ!」

 嘘だ。
 水瀬達はお互いの顔を見合った。

「これから房の鍵を解除する!いい機会だ!貴様等に夜間訓練を施してやる!全員、すみやかに中庭に集合!」

 看守の命令と同時に、独房の鍵が音を立てて開いた。

 ―――チャンスじゃない。

 水瀬はそう思った。

 脱獄のチャンスは、この訓練中だ。

 水瀬は、楓の手を握りながら、中庭に移動した。

 騎士達が不安そうな顔で並ぶ中、水瀬達もそれに習う。

 施設の外からは、言いようのない叫び声が聞こえてくるのが、騎士達の不安をあおる。
「いいか!」
 騎士達の前。演壇の上に立つ公安騎士が、メガホン片手に怒鳴る。
「これより、夜間訓練を実施する!各員、剣をとれ!」

 別な公安騎士が水瀬達の前に放り出すのは、刃の無い訓練刀。
 剣としての殺傷力は皆無に等しい代物だ。

 何をするんだ?
 あの叫び声は何だ?

 騎士達は、不安げに剣を手にする。

「これより、“ある敵”が、この施設を襲う!貴様等は、それを阻止し、この施設を守ればいい!―――簡単なことだ!」
 公安騎士は、居並ぶ騎士達を軽蔑した眼差しで一瞥すると、言い放った。
「それが、貴様等の義務だ!なお、この訓練に際しては、指揮官はつけない!貴様等の独自性を養う意味でも、その方が効果的だとの判断からだ!―――かかれっ!」

 公安騎士は、そう言い放つと、さっさと壇を降りて建物の方へ向けて走り出す。

「そ、そんなこといわれたって」
 中年の男性―――おそらく、剣とは無縁な世界にいたろうことは、その肥満体が証明してくれる―――が、困惑した声をあげる。
「て、敵って……なんだよ?」

 皆がそれぞれ、思い思いに寄り集まってそんな話をする中、水瀬は楓の腕を掴んで中庭の立木の陰に隠れた。

「楓ちゃん―――よく聞いて」

 剣を抱きしめながら、楓は驚いた顔を、無言で頷かせた。

「これから―――ここを逃げる」

「えっ?」

「襲ってくるのは魔族軍。看守達は僕たちを見殺しにして、自分達だけ逃げた。ここにいれば死ぬ。だからね?逃げるよ?」

「で、でも!」
 楓は騎士達の方に振り返って、
「こ、この人達は?」

 水瀬は無言で首を横に振った。

「君だけでも逃がす」
 楓の腕を掴む手に力がこもる。

「……そ、そんなこと」
 それでも、何故か楓は覚悟が決まらない様子だ。

「大人は大人で、生きる方法位、自分で見つけるよ。君は子供だから」

「……」

「逃げるのも方法だよ。きっと、みんな逃げ出すし」
 気休めにもならないことは、水瀬にだってわかっている。
「みんな逃げる。だからね?僕たちも逃げる。それだけ」

「みんな……逃げられるの?」

「うん」
 水瀬は頷く。

「……わかった」
 楓は頷いたが、
「でも、ちょっとだけ待って」
「えっ?」
「部屋に大切なモノを隠してあるの」
「……」
 水瀬は、止めようと思った。
 そんな時間があるかわからないのだ。
「お願い!」
 真剣な楓の目に、水瀬は折れた。
「……5分で」
「うんっ!」
 満面の笑みを浮かべた楓が建物へと駆けだしていく。

「看守や教官はどうした!?」
「どこにもいねえぞ!?」
 騎士達が騒ぎ出したのは、楓が駆けだした時だ。
「お、おい!」
 一人が興奮気味に言った。
「これ、チャンスだ!」
 皆が、その声に注目した。
「看守がいねえ!逃げられるぞ!」
「そ、そうか!」
 皆が興奮気味に互いを見合う。
 水瀬は、そんな彼らから距離をとり、立木の中へと姿を隠す。
「塀位、越えられるぜ!?」
「よし、やるぞ!」
「止める奴を殺せ!」
「応っ!」


 水瀬の目の前で、騎士達が塀めがけて駆けだしていく。

 その壁が爆発したのは、先頭を走る騎士が壁にとりつこうとしたまさに直前のこと。

 ギャッ!?
 奇妙なうめき声を残し、何人かの騎士が挽肉になった。

「なっ……なんだ?」
 吹き飛ばされた塀。
 その向こうから、何かが施設へと入り込んできたのは、両生成物のような、表現の方法がないほどグロテスクなバケモノ達だ。
 決して友好的な相手でないことは、騎士達にもわかる。
「に、逃げろっ!」
 誰かの叫びに弾かれるように、とっさに騎士達がバケモノに背を向けて逃げ出そうとするが、
 ドドドドドッ
 次々とその背に矢が突き刺さり、もんどりうって絶命する。

「く、くそおっ!」
 何人かは血路を開くべく、剣を握りしめてバケモノに襲いかかるが―――

 ギャッ!?
 ガッ!

 バケモノから放たれた触手の一撃で肉片に変えられた。

 為す術がない。

 水瀬の前で、騎士達は次々と殺されていく。

 それを、水瀬は何もせずにみつめるだけ。

 その水瀬の目の前で、塀を越えた妖魔と魔族が施設の中へと入り込む。

「まずい」
 水瀬はようやく動き出した。
 騎士達の死骸を乗り越え、建物へと。
 その目前で、

 ドンッ!

 魔法攻撃の直撃を受けた建物が吹き飛んだ。
 白煙を上げる建物に、次々と魔族や妖魔がとりつく。

「!!」
 しまった!
 水瀬は舌打ちして建物に急ぐ。
 その間にも、施設へむけた魔法攻撃は続いていた。


「あ、あった!」
 独房に戻った楓は、ベッドの薄いマットレスの下に隠したそれを手にすると、安堵に似たため息をついた。
 手にするのは、ペンダント。
 楓の母の、今となっては唯一の遺品だ。
 そして、楓がドアに向かって駆けだした瞬間。

 ドンッ!
「きゃっ!?」
 爆発が、楓を襲った。


 建物の中に侵入した妖魔と魔族はかなりの数に上る。
 魔族が、この施設を軍事施設と判断したせいだろうと、水瀬はそう判断し、魔法で隠していた刀を抜いた。

 水瀬達が押し込められていた独房は三階。
 階段は半ば崩れ落ち、妖魔達が張り付いている。

 シャァァァァッ!
 一階のロビーに巣くう、不気味な口に乱杭歯(らんくいば)を見せながら襲い来る妖魔達を、刀の一撃で切断してのけた水瀬は、階段を一気に飛ぶことで楓の元へと急ごうとしたが―――

 ドドン!

 二階の踊り場に立つ存在を前に、それを断念せざるを得なかった。

 黒い甲冑に黒い楯。
 豪華な文様が施されたそれらを纏う魔族達が、そこにいた。
 数は10近い。
 三階への侵攻を阻止する目的があることは明らかだ。

 普通なら、水瀬は問答無用で魔族達を斬り殺すだろう。
 だが、それを止めたのには理由がある。
 魔族の甲冑を飾る文様、それが何を意味するか知っていたからだ。

 ヴォルトモード卿に近い部族を示す文様。

 つまり、魔族軍の中でもかなり高い地位にいる存在だということだ。
 それが、水瀬に決定的な手段をとることを止めていた。

「―――どいて」
 水瀬は、人間以外の言葉で魔族に言った。
「友達を助けたいだけなの。どいて」

 魔族からは言葉ではなく、魔法攻撃が返ってきた。

「ちっ!」

 一階のロビーを吹き飛ばすほどの破壊を引き起こす攻撃を回避した水瀬は、一端、外に出て、それから三階を目指すことにした。

「こんな時に!」
 水瀬は毒づきながら外に出ようとしたが―――

 ドドンッ!

 爆発が、崩壊する建物というバケモノの顎(あぎと)へと、水瀬を放り込んでしまった。

「なっ!?」


 その少し前だ。

「軍事施設ではなかったか」
 巨体を豪奢な甲冑に包んだ魔族―――ズルドが獣の様な声で唸った。
「無駄なことをした―――兄貴と一緒に、他を攻めるべきだった」
 ズルドの前にあるのは、照明が落ちた監獄の残骸だけ。
 誰もいない。
 監獄の壁に大きく開いた破孔の向こうからは、炎上する松本市街の炎が見て取れる。

 いい気味だ。

 本気でそう思うと、笑い声さえ喉から出てくる。

「コラック」
 ズルドは、後ろに控えていた騎士に命じた。
「この施設は妖魔に任せ、市街地の掃討に動く。人間は構わず殺し、あらゆる人間の施設を焼き尽くせ。この地を本来の緑あふれる地に変えよ」

「はっ!」

「―――待て」
 ズルドが、残骸の陰からのぞく、それに気づいたのは、本当に偶然だった。
 コンクリートの残骸の下。
 白い何かがあった。

「人間です。まだ生きてます」

「―――よし」
 ズルドが腰の大剣を抜き放つと、剣からは、強い魔力が放出される。
 ズルドの持つ魔剣の咆哮さながらの光が、ズルドの巨体すら照らし出す。

「三千年ぶりに人間を斬り殺してやろう。連れてこい」

「はっ」

 ズルドは本気で殺すつもりだった。
 神族に味方し、最後まで刃向かい続けた憎き人間。
 それは、ズルドの妻子の敵でもあった。

 最愛の家族を奪った憎き人間共を殺す!
 いかなる人間も皆殺しだ!

 ズルドは、その憎しみだけでこの場にいた。

 だが―――

 コンクリートの残骸の下から引き出された人間を見た途端、ズルドの鋼鉄の意志が揺らいだ。
 煤に汚れているが、それは紛れもなく、年端もいかない少女だ。
 しかも―――

「……フィーリア」
 ガンッ!
 構えられた剣の切っ先が力無く床にめり込んだ。
 呆然とするズルドの前に引き出された少女―――楓―――を前に、面に隠れたズルドの顔には困惑が広がっていた。
 先程まで漲っていた殺気ですら、すでにない。

「閣下。獲物は小さいですが」
 コラックは、ズルドに問いかけた。
「殺しますか?」

「……」

「閣下?」

「ハッ!……い、いや……よそう」
 ズルドは声をうわずらせながら、大剣を鞘に戻した。
「コラック」
 コラックから―――いや、少女に背を向け。ズルドは命じた。
「その娘―――保護しろ。傷をいやし、風呂に入れ、暖かい服と食事を与えろ。部屋は俺の部屋の別室でいいだろう。女官をつけろ」

「はっ!?」
 コラックは目を丸くした。
「一軍を率いる閣下のお言葉とも思えませんが……あの」

「うるさいっ!」
 ズルドは怒鳴った。
「俺がやれといったんだ!」
最終更新:2010年03月06日 12:13
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