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この儚くも美しい絶望の世界で(前編)

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紺色のマントが蛸の足のように、無数の触鞭となって飛び交う。
ガッシュの魔力を通し、自らの手足のように柔軟に撓っては、時として鉄以上の強度で敵対者を叩き伏せる。
リーゼロッテの魔爪すら貫通を阻み、炎の障壁すら突き破り槌のように強烈な殴打を繰り出す。

「チッ」

後方へ飛び退き、仕切り直しを狙うが、ガッシュは躊躇わず肉薄する。
モルガンの杖を横薙ぎに払い、魔力の衝撃波を放つが、マントを全身に覆いガッシュは自身を砲弾のように加速させ突破。
杖を振り切ったリーゼロッタの胸部へとマントの殴打が炸裂した。
骨が軋み、肉が震え、皮が捻じれる。鍛えた達人であっても眉を顰めるであろう激痛に、リーゼロッテは慣れたような表情で顔をしかめた、
痛みはあれど、この程度で魔女を止めるには至らない。それはガッシュも分かっていた事だ。

「ッ────!!」

黄金の暗殺者の斬撃が降り注ぐ。絹のような長い金髪が枝分かれし、四振りの刃が頭上に向かった。
前線を張るガッシュにリソースを割かせて、本命の攻撃はヤミが担当する。
頭部に杖を翳して、二振りの斬撃を受け止め、残った斬撃が肉体を切り裂いた。
吹き出す鮮血が、蛇を形作り宙を舞ってガッシュへと襲い来る。

「ザケル」

拡散する電撃のカーテンが蛇を焼き、抹消する。
だが、血が飛び散った大地から百足が沸いて、ガッシュの足元へと巻き付く。
刺々しい容姿は、その外見に反さず高い殺傷力を得ているに違いなかった。

「「風」(ウィンディ)!」

女神を模したような、疾風の精霊が百足の魔獣を包み上げて、縛り上げる。
四大元素のひとつ、この世を構成する要素を象徴する精霊の一体は、慈悲深く、しかし強固に百足達を拘束する。

距離が、間合いが、広がらない。

リーゼロッテとて接近戦も心得ている。生半可な戦士であれば、赤子の手を捻るより簡単に相手を殺傷できる。
しかし本職は魔術師であり、その術式もオーソドックなもの。
体術を術式に見立て、権能を行使するなどできない。
彼女が本格的な大技を撃つ場合、発動までのラグは少なからず存在する。
またその性質も、中・遠距離に対応する術が主であり、常に肉薄されている戦況では発動前に叩きつぶされてしまう。
ガッシュ達の動きは、明らかにそれを狙い、また魔術師の弱点を熟知していた。

(フリーレンから、色々教えて貰っておいてよかったわ)

一姫がフリーレンと再度別れる前、彼女はシュライバーに対しての脅威と対策を。
フリーレンはリーゼロッテと遭遇した場合の、魔術師の弱みを。
互いに情報を交換し合っていた。

前線にガッシュとヤミを置き、そして後方には殺傷には向かないが、拘束などのフォローであれば多彩な力を駆使できるさくらを置く。
あらゆる妨害を粉砕し、突き進みリーゼロッテを決して離させはしない。
一姫の立てた作戦はシンプル極まりない。
攻撃は最大の防御を地で行く、猛攻に次ぐ猛攻。
リーゼロッテに魔術の発動をさせず短期決戦が潰す。

それはリーゼロッテ本人も既に看過した。
けれども、クリア戦を前に最大限体術を磨き上げたガッシュと、仮にも宇宙を股に掛ける暗殺者。
そして後衛には最高位の魔術師の正当後継者。
ルールブレイカーで魔力を遮断され、弱体化されたリーゼロッテにとっては、この難攻不落の城壁を崩す手立ては多くない。

「人を殺す魔法(ゾルトラーク)」

その少ない手立ての中で、最も手っ取り早いのは司令塔を潰す事。
風見一姫を消せば、彼らの連携は瓦解する。
また、ガッシュは術者が詠唱しなければ戦闘が出来ず、また仮に単独で詠唱できたとしてもガッシュ自身が気絶する。
一姫が落ちれば、一気に戦力としてはダウンだ。

「セット、ザケルガ!!」

杖に集約された魔力の光、雷がリーゼロッテを照らすが既に遅い。
ゾルトラークは卓越した貫通量を持つ。
不意を突いたとはいえ、孫悟空にすら通用した殺傷魔術がザケルガ程度にかき消されるいわれはない。

「っ……!!」

だが、ザケルガの軌道が変化する。
タクトのように一姫の手が横薙ぎに払われており、詠唱前にガッシュも導かれるように自らを駒のように回転させていた。
意識を失ったガッシュは、気絶前の勢いのままザゲルガを口から放出して、薙ぎ払いの軌道を描く。
振り被ったバッドのように、リーゼロッテの華奢な体躯は打ち上げられた。
放たれた光線は一直線にしか進まない。
銃弾のように、打ち放たれた光線の行先はリーゼロッテには制御不能。
放出元が吹き飛ばされた事で、ゾルトラークは狙っていた一姫を射線上から完全に見失っていた。

(この対策まで……やはり、フリーレンの仲間だったのね)

ガッシュ達がリーゼロッテを知っている反応を示した事から、予想はしていたが、この手際の良さから、もう疑いようはない。
ゾルトラークをラーニングされたことまで想定して、対策を考慮されていたのだろう。
防御不可であれば、それを当てさせなければ良い。
本体を真っ先に殴り、射線をずらしてしまえば当たる事はない。

「首輪を狙いなさい!!」

地べたへ打ち付けられたリーゼロッテへ、ヤミがすかさず接近する。
伸ばした金髪は首元へ、首輪の誘爆を狙うように巻き付いた。
あとはヤミがそれを引っ張るだけで、首輪への負荷で起爆する。
例え不死の力があろうとも、この島で首輪による爆死だけは何者をも拒めない。

「あなたに恨みはありませんが」

地球に訪れる以前、冷酷な殺し屋として淡々とターゲットを排していた頃のように。
感情のない冷たい瞳で、一切の同情も揺らぎもなく、ヤミはその手を汚そうとする。

「やめてよ、ヤミさん」

凍てついた心に火が灯される。けれども、その日は地獄の業火の一端であり、ヤミの罪の根源。
死んだはずの友が、結城美柑の姿がそこにはあった。
ヤミが握った首輪の主が、銀髪の少女からヤミにとっての安らぎであり、太陽のような輝かしい存在へと変容していた。

「みか……────ッ」

違う。これは美柑ではない。何故なら、彼女は死んだ。
その遺体を腕に抱いたのは自分で、孫悟飯に見捨てられ殺されたのだ。
だから、ここにいる彼女は違う。姿形を似せただけの別の……。

「また……私を殺すの?」

美柑の体に赤黒い穴が点々と空いていく。それは銃創だ、
ヤミも経験から知っている。銃殺された遺体にある、痛ましい傷口の数々。
そこから、血という命の通貨が流れ出す。

「ちが、わたし………………ッ」

何故、知っている? この場面を、自分が致命的な取り返しの付かない失態をして、絶対に失わせてはいけなかった尊い命を亡くしてしまった光景を。
首輪に巻き付いた髪は、ヤミの意思を反映して緩み解けていく。
これは都合のいい幻想だ。だって、ヤミが美柑の窮地に辿り着いた時には、もう手遅れだった。
彼女は生きてはいなかった。
この光景はまるであの時のやり直しを、あとほんの数分でも正気に戻るのが早ければ、救えなかったヤミにとって都合のいいやり直し。

「ヤミ!!」

それはガッシュの叫びか、一姫の叱咤か。
どちらの声かは分からなかったが、ヤミはもうその声で我に返る事はない。
何もかもどうでもいいと思えていたヤミの中に明確な感情が、願望が、使命が湧きたっていた。
ただただ、守れなかったあの時のやり直しを。
結城美柑に見せかけた、魔女を守るようにヤミはガッシュ達へ振り返り、金髪の刃を翳す。

「そのものはお主の友ではない!!」

マントが軋む。斬撃の五月雨を受けて、防御に展開した鉄壁の魔布を伝いヤミの激情が伺い知れる。
ガッシュの表情が苦悶に歪み、眼前の敵対者へと叫び呼び掛ける。

「………………ッ、く、ぅ……」

分かっている。分かっていた。
自分の背後にいるのが、魔女なのは。
これは、幻覚、泡影のように消えてなくなる儚い幻。
悪意を以て、自分を惑わす悪夢の類なのは。

幻燈結界。

ガムテの少年にはその体質故に破られたが、元来人の身であれば決して突破することは叶わぬ絶望の幻。
特に友を失い戦う理由すら見失った暗殺者など、リーゼロッテにとってはカモに過ぎない。

「もう一度……やり直そうよ、ヤミさん」

ほら、こんな風に。
甘くて魅惑的な餌をぶら下げてやれば、簡単に意のままに操れる。
さくらという少女の助けになろうとした儚い使命すらも容易く塗りつぶす。

「やめて! ヤミさん!!」

乃亜の制限で範囲が絞られていて疑似展開しか叶わないとはいえ、ガッシュやさくらには通じていないようだ。
それでも、宇宙を股に掛ける殺し屋を手駒に出来るのだから、お釣りが来る。

(へえ……あの坊や、なるほど)

ヤミの見る幻覚を再現するにあたり、雛見沢症候群を発症させた悟飯を知る。
誰かは知らないが、中々に面白い仕込みをやってくれたものだ。
まあ、恐らくはあのニンフに近しい天使を率いた金髪の少女がやったのだろうが。
だがヤミの記憶上ではその二人も死んだようだ。
とことんヤミというのは敵味方問わず厄病神な女だと、リーゼロッテは内心で苦笑する。

(この子達を始末して……孫悟空と息子を殺し合わせても楽しいわね)

悟空ならばいざ知らず、既に正気を失った悟飯には幻燈結界は効果抜群だろう。
全ての参加者をヤミであると誤認させるだけで、悟飯が加減をする必要は一切消えてしまう。
その幻覚に抗う術もない。
幻覚に長けた雪華綺晶が悟飯を救えたのならば、同じく幻覚を操れるリーゼロッテも悟飯をより深い地獄へ叩き落とす事が可能なのだから。

果たして、自分の愛すべき息子が無辜の子供を殺し、その血に塗れた姿を見てどう思うのか。
世界を壊す余興としては、悪くない見世物だ。

「覚悟を決めて。
 あれを放置するのは不味いわ……分かっているでしょう?」

一姫の目ではヤミがリーゼロッテを庇う不可解な光景にしか写らない。
しかし、当のヤミの見る世界は異なるのだろう。
もしもこれが、雛見沢症候群を発症した恐れのある悟飯に適用されれば、伝言だけでも察せられる凄まじい暴力性が指向性を得て、誘導されることになる。
悟飯の自滅を待つプランが台無しになるどころか、残された全ての参加者がリーゼロッテによって滅ぼされてしまう。

「ッ……ぅ……ヌゥ……!!!」

ガッシュも躊躇う。だが、逡巡の末に決意を固める。
あれはシン・ポルクに似た強力かつ、危険な魔法だ。
模擬戦とはいえ、キャンチョメに完全敗北したガッシュ故に危険性を理解していた。
ヤミを手加減して無力化する余裕はなく、あのリーゼロッテを取り逃がせば更なる被害者を生み出す。
場合によっては……リーゼロッテだけでなく、その覚悟も決めなくてはならない。

「待って……ガッシュ君! 一姫さん……まだ」

「さくらは下がって」

さくらには無理だ。
この先の血で血を洗う戦いに、彼女の優しさでは耐え切れない。
一姫の中の優先順位はさくらが上でヤミがその下にある。
幻覚に囚われ、救う術がない以上、彼女は切り捨てる。
冷酷で冷淡な判断を下し、一姫はさくらへ一瞥をくれた。
さくらもまた、その眼光にたじろいで何も言えなくなる。
悪夢に囚われたヤミを救う方法がさくらにも分からない。

「テオザケル!!」

紡がれる詠唱は、殺すつもりで心の力が込められた雷の攻撃魔法。
疾風のように駆けて、刃を振りかざすヤミへ。
両者の攻撃には明確な殺意が乗せられていた。

「ッ────!!」

電撃を正面から突破し、体を覆うように紫電がばちりと音を鳴らす。
だがヤミは表情を歪めながら、ガッシュの眼前へと突進する。

「目を覚ますのだ!! あの者に惑わされてはならぬ!!!」

決意は固めた。だが、それでも一寸の希望に縋り、ガッシュは呼び掛け続ける。
マントと斬撃の応酬が乱れ合い、剣戟にかき消されないように声を張り上げて。

「ザケルガ!!」

剣戟の中で生じる僅かな隙の中で、直線状のルートを見出した一姫による詠唱。
収束した電撃の光線がマントと剣を掻い潜り、ヤミへと着弾した。

「ああッ!!」

ヤミの足が地から浮き、ザケルガの衝撃に引っ張られ後方へ吹き飛んでいく。

「マーズ・ジケルドン」

電撃の終息と、ガッシュの意識が戻った瞬間、ほぼノータイムでさらなる呪文を詠唱。
繰り出されたのは人一人を簡単に飲み込めそうな黒の球体。
飛んでいくヤミを追うように放出され、空中で態勢を立て直し、髪の刃で切り裂こうとして弾かれる。

「これ、は……!!?」

マーズ・ジケルドンの性質は反発。
角度によってはディオガ級、魔物の最大術すら弾く。
そして。

「ッッ!!?」

吸収。
磁力のように、対象をその内部に取り込み幽閉する。

(やはり、判断力が落ちているわね)

マーズ・ジケルドンの内部に吸い込まれるヤミを見て、一姫は確信する。
幻覚とは言え、恐らく本調子のそれではない。
弱った精神に付け込んだものであり、ガッシュや一姫達に仕掛けないのは効果が薄いからだろう。
加えてヤミも自失したまま戦闘を継続しているせいで、テオザケルを正面から受けて体の動きが鈍っているのに白兵戦を仕掛けて、その上マーズ・ジケルドンへ不用心に触れていた。

「畳みかけるわ!」

「ヌゥああああああ!!!」

意識を取り戻したガッシュはそのまま前方に立ち塞がっていたヤミを蹴散らし、砲弾のように爆ぜる。
リーゼロッテへ向かい一直線に、視界の中に留め狙いを定めて、攻撃を仕掛けた。

リーゼロッテの槍を虚空へ突き、ガッシュは体を屈める。
ガッシュの上体があった場所に青い閃光が煌めいて、破裂するように炸裂した。
対象の内部を内側から破壊する魔術ではあるが、クリア戦を前に技を磨いたガッシュは魔力を探知する術がある。
不可視の攻撃であろうと、魔力を探知し事前に避けることが可能だった。

「おおおおおッッ!!」

棍棒のようにマントを振りかぶって、薙ぎ払うようにリーゼロッテへ翳す。
魔槍とマントがせめぎ合い、鍔迫り合いが生じる。
だが、流し込んだ魔力を操作し、マントの面積が増す。
それらはリーゼロッテを包むように巻き付いて、彼女を締め上げる。

「エクセレス・ザケルガ!!」

ガッシュの持つザケル系の派生の中でも高火力を誇る電撃。
千年前の魔物の中でも、指折りの実力者パムーンの持つエクセレスと同級である術。
X字の巨大な電撃の放流が、マントの中に拘束されたリーゼロッテを襲う。

「ぐッ、あああああああああああああああああ!!!」

行き場のないマントの中で魔女の体を貫き、その絶叫が響き渡る。

(違う……あの女じゃ)

だが、一姫はすぐにその異変に気付いた。

「ほんと、美しい友情だわ」

マントの先端が切断されていた。
エクセレス・ザケルガが巻き上げた粉塵の中にある人影も二つ。
一つはもう一つを庇うように、まるで盾のように折り重なっている。

「が、ッ……ァ……」

角を生やし、電撃により体をビクつかせて、意識が飛びかけていたヤミがリーゼロッテを庇っていた。

「ダークネス、便利な力ね」

マーズ・ジケルドンの内部をワープで脱出し、エクセレス・ザケルガの着弾に割り込み、リーゼロッテを庇ったのだ。
美柑の死によるショックとエネルギーの消失から、封じられたダークネスへの変身が、例え幻覚であろうと友の二度目の死の危機によって再び目覚めさせられた。

「み……か、ん……」

だが、既に消耗しきった状態で、上位の魔物の術が直撃すればダークネスといえど死に体だ。
膝を折り、縋るように美柑へ……そう見えているリーゼロッテに寄り掛かる。

「お主……なんということを……!!」
「あら? これをやったのは私じゃないわ」

あなたの電撃が大事なお仲間を焼いたのでしょう。
そう続けるリーゼロッテに、反吐が出そうになる悪感情を持ちながら一姫は観察を続けた。
これがこの女のやり方ということなのだろう。
人間の心を乱して弄び、悪戯に壊して退屈を凌ぐ。
なるほど、見た目は自分と年の変わらない少女だが、その実態は性根の腐った老害だ。

「安心なさい。お仲間の息はまだあるから、助けたいなら……助ければいいわ」

自分に寄り縋るヤミの頭髪を握って、片手で持ち上げると物を投げ捨てるようにガッシュへと投擲する。
ガッシュは一瞬硬直し、すぐさまマントを広げてヤミを受け止めようとした。

「下を向きなさい!!」

一姫の叫びを聞き、自身の行動をキャンセルして視線を足元へ移動させる。
不可解ではあるが、一姫の指示に過ちがない事をガッシュは知っている。

「ザケル!」

そのまま意識が飛び、口から電撃が発射されガッシュは反動のまま空に打ち上げられた。
意図の分からない術の無駄打ち。
だが、空へ上昇する電撃の柱を貫通して、光線が迸る。

「ッ、ああああああああああッッ!!」

先程までガッシュがいた場所を過り、後方の一姫の胸を穿つ。
それは人を殺す魔法を模して再現したリーゼロッテの魔術。

「ッ……!!?」

投擲したヤミごと貫通し、もしもガッシュが打ち上げられていなければ、今頃胸に穴をあけていたのはガッシュその人だっただろう。

空中で意識を取り返したガッシュも瞠目し、そして事態を瞬時に把握する。

「一姫!!」

マントをプロペラのように回転させ、一気に滑空し、倒れかけた一姫を受け止める。

「大丈夫よ、思ったより……傷は、ごほっ……!! 酷く、な…い……それ、に…あなたが無事なら、どうにか……なる……」

もっとも酷くないとは、即死はしないという意味であり。
早くに処置をしなければ、手遅れになることに違いはない。

「ヤミさん!?」

さくらがヤミに駆け寄る。
血で、赤い水たまりが作られていた。無造作に冷たいアスファルトの上に投げ捨てられていた。
ヤミの顔は呆然として、涙で頬を濡らして絶望に染まっていた。

「く、ぅ……ァ……」

あれが本物の美柑でないことは分かっていたのに、それでもどうしてもやり直しを望んでしまった。
挙句に、目晦ましの道具代わりに使われて、捨てられて。

「…………して」
「え……」
「…………ころ…………して………………」

もう駄目だった。どうしても耐えられない。
早く終わりにしてほしかった。なんでもいいから、どうなっても構わないから。

さくらを助けたいと、さくらの助けになろうとした決意すら、こんなに柔くて脆かった。
簡単に折られて、地獄をまた見せつけられて。
自業自得だと分かっているけれど、血塗れの友の姿をまじまじと見せられて。

もうこれ以上は心がもたない。

「なん、で……」

死なせてあげた方がいいの?

さくらにとって、初めて過った選択肢だった。
人が死ぬのは悲しい事だ。傷付けるのも、だからそうならないように例え見知らぬ他人でも困っている人がいたら、さくらは助けようとして、時として魔法の行使も躊躇わないだろう。
でも、ここでヤミを助けてあげることが、本当にいい事なのか、さくらにはもう分からなかった。

(…………わからないよっ……わかんないよッ!!)

藤木に向けられた視線、今までに感じた事のないねっとりした嫌らしい眼光は、悪意であった。
恩着せがましく思う気はないけれど、傷の手当てをした相手にあんな風に思われる経験はさくらにはない。
あの時は気のせいだと流したけれど、きっと藤木はあのまま同行していたら、酷い事をしていたのかもしれない。
実際に一姫は、藤木がマーダーの可能性を話して、さくらは納得し「鏡」のカードをコナン達に貸し出したのだから。

(なんでなの……どうしたらいいの……!!)

ヤミを死なせたくない。死なせたくないのに、この世界にはこの人を傷つけるものが多すぎる。
恨みを買ったから、この人が取り返しの付かない過ちをしたから、こんなことになってしまうのか。
もしも、ここでさくらが手を差し伸べても、またヤミは傷付くのかもしれない。
贖罪という名の拷問が、この先も待ち構えているのかもしれない。

(そんなの、そんなのって……!!)

このまま、ヤミという少女を終わらせるのが、それが正しい事なのだろうか。

人の悪意に、絞り尽くされた彼女を。

シュライバーという少年は言っていた。父親と、そういうことをしたことはないのかと。
さくらも中学校入学を控えている年頃、どういった事か理解もすれば、本当に好き同士であればまだしもそういった意味ではないのは、よく分かった。
あまりにも悍ましくて、自分の想像も及ばない世界。
さくらの周りにはたくさんの好きが溢れていて、形は違っても悲しいことがあっても、みんなが人を思いやれる世界だった。
幸せというものがすぐそばにあって、最後はきっとみんなが笑い合えるような。
だけど、人の悪意というものは……さくらの思いもよらない場所に潜んでいて、これまではたまたま自分はその毒牙にかからなかっただけ。

ここで倒れているヤミは、もしかしたら自分のありえたかもしれない姿かもしれない。
この島に攫われたのが知世や小狼で、さくらが何かの要因で正気を奪われていれば……。
人の悪意に、その矛先が自分に向けられていたのであれば。
知世と小狼が自分のせいで死んでしまったら、さくらだって。

「楽にしてあげるわ」

青い光がさくらとヤミを照らし出す。
上空へ浮かんだリーゼロッテが振り上げた魔槍が、次元を歪めて魔城を顕現させる。
別の世界、奇しくも同じく魔女と呼ばれた毒婦が生涯をかけて望んだ白亜の城。
さくら達へ道を作るように、無数の光の槍が降り注ぎ、滑空路を築き上げる。

(この一撃で終わりよ)

ガッシュの最大呪文、バオウならば対抗できるだろう。
しかし、ガッシュのパートナーの一姫は深手を負い、パートナーを変更するにはさくらも酷く動揺している。
最早、この大魔術の前に為す術はない。

「疑似・はや辿り着けぬ理想郷(ロードレス・キャメロット)」

モルガンの魔槍から再構築した宝具。
その生涯を具現化し顕わした妖精國を統べた女王の恩讐。

そして、同じく世界を呪う魔女の憎悪そのもの。

死刑台を自ら辿る階段のように、槍によって作られた導線はさくら達の命を狩りとらんと輝く。
頭上から顕現する巨大な魔光の槍(ロンゴミニアド)が、このエリア一帯を覆うような莫大な光量を秘めて、今振り下ろされんとする。

「「時」(タイム)!!」

だが突如として、槍の落下が空中で停止する。
リーゼロッテの表情が歪み、怪訝な視線をさくらの振るったカードへ向ける。
叫んだ名の通り、光の槍の時間が止められている。

「時間の操作────? そんなものまで」

全く、驚嘆に値し、またあの礼装を作り上げた魔術の実力には感服する。
時間という概念にすら干渉し、使い手の魔力次第で強制停止をも可能にするとは。
リーゼロッテをもってして、あの礼装を作った魔術師は、これまでに見たどの魔術師よりも才覚に溢れていた。
叶う事なら、魔道を極めた者として一目見てみたかったものだ。

「……少し驚かされたけど、いつまで持つかしら」

しかし、ロンゴミニアドの落撃は緩やかにはなれど、決して完全な停止はしていない。
また時間に干渉しながらリーゼロッテや他のガッシュ達も意識がある。
乃亜のハンデによる弱体化と、恐らくは力の強い者は時間停止に耐性を持つのだろう。

「それに、あなたは本当にこの槍を止めたいと思っているの」

加えて、さくらの迷いが魔法にも反映されている。
徐々に進行していくロンゴミニアド、その破壊規模は計り知れず、このまま離脱したとてさくら達が逃げ切れる保証はない。
ゆえに、迎え撃つしか生き延びる選択肢はないというのに。
「時」による時間停止も半端であり、完全に止めきれていないのがその証左だ。

「ヌゥ、……!!」

一姫の容態を見るに、バオウザケルガを撃てるだけの体力は削れた。
当然ながら精神的に追い詰められたヤミも。
ならば、ガッシュが独力でバオウザケルガを唱えるか?
だが、意識をなくすデメリットが厄介であり、パートナーのフォローがなければ発動前に妨害を受ける可能性が高い。
なにより、心の力を借りず召喚したバオウザケルガで、あのロンゴミニアドを相殺できるのか。

(どうしよう、私が……なんとか、しないと……)

今こうしている間にも「時」により魔力は摩耗して、ロンゴミニアドは完全停止せずどんどん近づいていく。
他の方法を考えなければいけないのに、さくらは迷いを振り切れない。
自分の後ろにいるヤミを、いやガッシュ達までいるのに。

(ここをなんとか、できても……わたしは……)

まだシュライバーだっている。次に出会った時、どうやってあんな子に対処したらいいのか分からない。
首輪だって手掛かりがない。乃亜にも勝てるのか、分からない。
何より、人の悪意が……怖かった。
藤木のように、何食わぬ顔で他人を騙してしまうような人だっている。
リーゼロッテのように楽しんで、人を傷つけるような人間も。
乃亜のようにそれらを眺めて嘲笑い楽しむ人間も。
ヤミが不可抗力とはいえ、過ちを犯したとはいえ、こんなにまで追い詰められて、自ら死を懇願してしまうほどに追い詰められて。
悟飯というとても強い人が暴れ出して、他にも酷い人達がたくさんいて。
どんどん、事態は悪化していっている。

(…………こわい、よ……わたし、……)

頑張っても、どれだけ頑張っても……いつもなら辿り着けたはずのハッピーエンドに、今回だけはどうにもなりそうもない。
本人も、そして周りの人達も優しさに溢れ、囲まれていた少女にとって悪意は毒のように侵食していく。
本来あったはずの力を、十全に発揮できなくなるほどに、さくらの力を麻痺させる。

『なに、迷ってるんや! さくら!!』

ぺちっと頭を叩かれるような感覚、随分と懐かしく感じる声。

『さくらはさくらや、いつも通りやればええ』

自分の前にふわふわと浮いて、叱咤を飛ばすのは、紛れもなく自分の部屋に住み着いた縫いぐるみのような生き物。

「ケロちゃん……?」

この島にいるらしきことは聞いていた。紗寿叶と共に海馬コーポレーションに残されてしまったと、日番谷が話していた。
無事に、逃げてここまで来たの? そう言おうとして、さくらは違和感に気付く。

『…………幽r、アストラル体ってやつやな』

体が薄れていた。半透明で、それはまるで幽霊のように。

『ワイの仲間にきらきーってのがおったんやけど、そのきらきーがアストラル体になるのを見て、ワイも駄目元でやってみたんや』

さくらが怖がらないように言葉を選んで、ケルベロスは言う。
ヤミと雪華綺晶の交戦で、雪華綺晶はクラスカードを利用するべく、真紅に与えられた物質(ボディ)を捨て、ヤミのエネルギーの波を相殺した。
その場面に他ならないケルベロスも立ち合っていた。
さくらがエリオルとの対決で「闇」と「光」を同時にさくらカードに変えた際、ケルベロスとユエはさくらの星の杖と一体化した事もある。
自身を別の概念に変換させた経験は初めてではなく、また一度その雪華綺晶がアストラル体に戻るプロセスを間近で見たのなら、絶対に不可能ではないという確信もあった。

『まあ、驚いたで。あのドロテアとかいうおばん、けったいな剣で殺しに掛かってくるからに。
 ほんま焦ったけど、何とか魂をアストラル体にするのが間に合ったみたいや』

魂砕きで首を刎ねられる寸前、迷う暇もなく、ケルベロスは賭けに出た。
恐らく、クロウ・リードにより作られた生命体であったこと。
この島が無数の魔術や様々な異能が混ざり合い、混沌とした環境であったことも影響したに違いない。
もっとも成功したとして、他の参加者に全く干渉できず、ようやくさくらのみ話しかけられる、微弱で儚い存在として留まるのが限度。
そして、もう長くはこの状態も維持できない有様だが、それでもさくらの窮地には間に合った。
もし決断が遅ければ、魂砕きの影響で魂ごと殺され、アストラル体になることも叶わなかっただろう。

「ケロちゃん……死んじゃったの」
『さくら……それはええ、どうしようもあらへんことや。ワイは結構長生きしたさかい、ええんや。
 それより、さくらのことや』

さくらを落ち着かせ、宥めかせながらケルベロスは穏やかに言う。

『そら、嫌な奴はたくさんおるし、この殺し合いは、ほんまもんの悪党がぎょうさんおるで。
 けどな、さくらがそんな奴等に負けてやる理由だってない』

「ケロちゃん……でも、わたし……」

『ワイは……駄目やった。駄目駄目のクソ雑魚や……そこにナメクジを付けたしたってええ』

悔いるように、ケルベロスは僅かに俯く。

『悟飯には悪いことした。もうちょい、話聞いてやればよかった。
強い言うても、まだ子供やのに……年長のワイは何をやってたんやろな。
美柑も、ジュジュも、のび太も、きらきーもや。
ワイは何の力にもなれんかった。
だけど、さくらは違うやろ? ワイの知ってるさくらは、ワイなんかより……もっともっと強かったで』

そこに挙げられた名前の中は、顔も知らない人達ばかりだったけれど、この島でケルベロスが会ってきた人たちなのは分かった。
その顛末も……何となく、さくらには察しが付く。

『そこのヤミっていう姉ちゃんのこと、助けたいんやろ?
 なら、それは間違いやあらへん』

「……だけど、凄く苦しそうで…………」

死を懇願された。
さくらには、それを無下にする行為に思えてならない。
自分がどんなに頑張ったって、それが救いになると考えるのは烏滸がましく思える。

『それでもや。
 その姉ちゃんが死んだら、さくらは悲しいんやろ?』

悲しい……確かに、さくらにとって初めてあったばかりの人で、命懸けで助ける義理なんてない人だった。
怖くないと言えば嘘になるし、未だにダークネスの話も理解できていない。
だけど、この人の好きを……さくらが知世に向けるようなものであれ、小狼に向けるようなものであれ。
大切な好きって思いを、ヤミにも……他の誰にでも否定なんかさせたくない。
そんな思いのまま、悲しいままヤミに死んで欲しいなんて思えない。

「ケロちゃん、体が……」

『ごめんなさくら、ワイはもう長くもたん……だから、そばには居れへん』

半透明だった体が更に薄くなり、もう残された時間が僅かなのは知識のないさくらでも分かる。

「駄目……やだよ、ケロちゃん……ケロちゃんが消えるなんて……!」

居なくなってほしくなかった。
心細かった自分は、気を置ける唯一の存在がこのまま消えてしまうなんて。

『なあ……さくら? そら悪い奴等はたくさんおる。
けど、さくらを信じてくれる仲間だっておるやろ?』

「さくらッ……お主の力がいる、一姫の代わりに呪文を唱えて欲しいのだ!!」

自分を信じてくれている、強い思いの籠った目で。
ガッシュは自分を見つめていた。

「ガッシュ、君……」
「お主の力がなければ、ここにいる者達がみな死んでしまう。
 頼むッ! 私を信じてくれぬか!!?」

力強い目でさくらを見つめ、赤の魔本を向けてくる。

『大丈夫や、さくら……悪い奴等がいくらおっても、さくらは一人やあらへん。
それに、さくらには無敵の呪文があるやないか』

無敵の……呪文?
忘れかけていたそれを思い出して、さくらはケルベロスを見つめる。

「っ─────!!」

もう、そこには何もなかった。
幻を見ていたかのように、虚空しかなく、さくら以外のガッシュもケルベロスが見えていた様子はない。
さくらの懐からカードが一枚、不自然に落ちた。
「夢」のカード。
対象に特殊な夢を見せるカードだった。

(いまの……全部、夢だったの?)

ガッシュの叫びに、さくらは涙を拭って、赤の魔本を手に取る。

「さくらッ!!」
「…………やろう、ガッシュ君」
「さくら……! ウヌ!」

杖と魔本を握る手に力が入る。
今までも、負けられない戦いはあった。自分の背に守らなくてはいけない人達がいる重圧もあった。
ここでも同じだ。同じ、絶対に負けちゃいけない戦いで、でも自分は一人だと思って心が折れかけていた。
だけど、それは違っていた。形は違っても、自分を信じてくれる人はまだいるのだと。

(ありがとう、ケロちゃん)

例えそれが夢で、あれが本物でなくても、それを気付かせてくれたのはケルベロスだ。
だから心の中でもう二度と会えない使い魔にお礼を言って、空を……魔女の座する天空を見上げる。



「手間取らせてくれる」


「時」の妨害を魔力をさらに押し流す事で、力付くで突破する。
多少のラグが生じたが、ロンゴミニアドの破壊規模を考えれば、然したる問題ではない。


「さようなら」


慈悲とは程遠い蔑むような冷たい声色で、蒼炎の槍が大地へと突き立てられる。

「さくらッ!!!」

だがその瞬間、蒼炎を掻き消さんばかりの紅蓮の輝きが、魔本から発せられる。

「バオウ・ザケルガ!!!」

ガッシュの口から膨大な雷が圧縮され収束、そして一気に解放される。
雷は西洋の龍を形作り、ロンゴミニアドの匹敵する巨体を伴って顕現された。

「バオオオオオオオオオォォォォォ!!!!!!!」

その雷は意志を持ち、強大にして凶暴、そして貪欲でもある。
目に写るもの全てを食らいかねない禍々しさと、金色に輝く雷の鱗は神々しくもある。
一エリア程度吹き飛ばしかねないロンゴミニアドに、真正面から食らいつき、その牙を打ち立てる。
クリア・ノートをもってして、でかく凶悪な力と称されるドラゴンの魔獣。
しかし、その力はダウワン・ベルが仲間達を魔界を守るために、生み出したもの。

「絶対……絶対、大丈夫だよ……!!」

守る為の力。
それは、さくらにとって最も重要で、彼女の性格にあった力の性質。
魔本から流れ込む心の力を媒介に、バオウはより強大に咆哮を轟かせる。


「沸騰する混沌より冒涜の光を呼び寄せん。原初の闇より生まれ死万物を、今、その座に還さん」


ロンゴミニアドを食らい、飲み干さんとする刹那。
地獄の底から亡者が怨念を吐くかのような声で、リーゼロッテが詠唱を完了させる。
光の槍は、その輝きを濁らせ青から黒へと変色していく。
同時に、それらを取り込み消化するはずのバオウもまた内側から、濁って、龍の雄叫びに苦悶が混じる。

始原の焔(オムニウム・プリンキピア)。

あらゆる生命を食らい尽くし、闇へと取り込む暗黒魔術にしてリーゼロッテの最大攻撃魔術の一つ。
その特性は、触れた精霊力(ぞくせい)を闇精霊(ラルヴァ)へと変換し取り込む力。


「バオオオオオッ、ゴオオオオオオオオオォォォォォ!!!!」


「やるじゃない。今のは驚いたわ」

バオウが悪しき心を噛み砕き食らうのであれば、全てを闇に染めて自らの糧にするのがこの黒き焔。
食らい合う二つの力が激突したのであれば、その勝敗は純粋な力のぶつかり合いによって決定する。

(こ……これは、なん……なのだ……バオウが、食べられていく?)

目の前の光景が見えていないながら、ガッシュにはその異様さが手に取るようにわかる。
バオウに腹部が破裂し、黒い閃光が沸き立つ。
徐々に徐々に、バオウを構成する雷が分解され、闇精霊の一部に取り込まれていく。

「そのドラゴンは凶悪で恐ろしい力だったけど、惜しかったわね」

始原の焔でなければ、リーゼロッテの現状の手札では対応のしようがない。
まさしく、ガッシュの最大呪文に恥じない力だ。
しかし、始原の焔とは致命的に『相性』が悪すぎる。
この焔は如何なる精霊力も侵食し、闇精霊へと取り込んでしまう。
リーゼロッテの世界の魔術の思想に当てはめれば、電撃は風精霊に属する力であり、始原の焔に抗えるものではなかった。
それでも分解され、変換されるまでの処理速度を上回る圧倒的な力があれば、あるいは勝ったかもしれないが。
それこそ、始原の焔単体ならばまだ勝敗の行方は分からず、リーゼロッテもルールブレイカーの影響で本調子ではなく、確実に打ち勝てていただろう。
だが、『はや辿り着けぬ理想郷』との重ね掛けで強化・増幅された焔を前に、バオウとて為す術はなく。
漆黒の焔を纏った、魔槍の顕現はバオウの力を以てしても止まらない。

(負けては……ならぬ、バオウ!!)

腹を割かれたのを機に、バオウの全身が黒く染まり上がる。
完全に分解され消失するまでの、前兆であった。
抗うようにガッシュは力を込めるが、バオウを侵食する闇精霊に圧し負ける。

(ドラゴンが黒くなる……黒、黒い…のは、……そうだ!)

それがガッシュ一人であれば。

「闇よ。雷を飲み干す暗黒を阻め────「闇」(ダーク)!!」

バオウに心の力を送り込みながら、さくらは一枚のカードを翳し杖に振り開放する。
さくらカードの中で最上位に位置する二対のカードの内の一枚。
闇を司る精霊の魔府。

「なに────ッ」

リーゼロッテの表情が初めて歪む。食らい尽くす寸前の、バオウに体に再び雷の力が取り戻されていく。
闇精霊として取り込んだ筈のバオウに取り込まれ出す。
バオウを覆うように、解放された「闇」は自らを黒いカーテンのような幕へと変えて、バオウを包む。

「バオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

如何なる存在をも、生きとし生けるものを分解し食らう暗黒の力をも。
それが、同じ闇そのものであれば食らうことはできない。

(闇精霊の使役、なんて忌々しい!!)

魔力の供給が足りない。
ガムテによって遮断された接続から流れ込む魔力量では、
クロウ・リードの生まれ変わりにして、存命する魔術師の中で最強と謳われるひとり、柊沢エリオルの魔術を真っ向から打ち破ったさくらと、魔界の王子ガッシュの持つバオウをまとめて相手取るには不足する。

「幻燈結界」

ならば、力付くの一手ではなく搦手で仕留める。
より残酷で冷酷で、愉悦に富んだ手段で絶望の底に鎮めよう。
あそこで、ボロ雑巾のように転がるゴミのような女には、まだまだ利用価値がある。

「────だって、ヤミさんと私は友達だもんね?」

囁くように、罪悪感を刺激し贖罪を促して。
血と涙でぐちゃぐちゃになったヤミへ、リーゼロッテは再び悪夢の帳を下ろそうとする。

「…………やめ」

また始まる。あの光景が、誰よりも再会したいはずの友の姿が、今は何よりもの畏怖の象徴になる。
さくらという少女の力になりたいと、もう一度歩み直せたかもしれなかったのに。
ヤミの中にあるトラウマを引き摺り出し、変えられない過去の中に閉じ込められてしまう。

「い……や、だ…………も、う……」

血塗れになった美柑は、微笑を浮かべて命じてくる。
ヤミはゾンビのようにゆらりと立ち上がって、その指示に従う。逆らう事なんて考えられない。
そうしなければ償えないから、これが偽りと分かっていても……跳ね除ける精神力はヤミには……。

「させない────もう誰にも、ヤミさんのことも美柑さんのことも……二人のことを弄ぶなんて、絶対にさせない!!」

二枚のカードがさくらの頭上を舞う。

もう決めた事だ。
ヤミがどれだけ許されないことをしたとしても、きっとやり直せると信じてみたい。
あんなに悲しい顔で死を願われたとしても、きっと笑える時が来ると思いたい。

「助けるって、決めたの……だから、お願いカードさん達、力を貸して!!」

もしも、この先も誰かの悪意が襲い掛かるとしても、さくらはそれから守り通したい。

「時よ、盾よ……科せられし制約を解き、悪夢から我らを守れ!!
 ───────「時」!! 「盾」(シールド)!!!」

乃亜のハンデを、「時」のカードによりインターバルを短縮し、シュライバーすら突破が困難と唸らせた「盾」のカードが再顕現する。
ドームのように魔力の障壁がさくら達をヤミを覆う。
その盾は使い手の守るべき意思を反映し、鉄壁の防御となる。
それが守るのはありとあらゆる攻撃、例えそれが悪夢という目には見えない心を蝕む毒であろうとも。



「幻燈結界の……阻害────ッ!!?」



幻覚は祓われ、亡霊の皮を剥ぎ取られたその姿は、ヤミの目から見ても魔女の歪んだ表情しか写らない。
そこに友の呪うような、歪な笑みは何処にもない。
恩讐の槍と暗黒の魔術を食らい、黒く闇色に染まったバオウが天空の魔女へ牙を打ち立てる。

「バオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

悪夢が終わる。

「………………さく、ら…………」

消え去った悪夢、雨上がりの空のように明るい日の下で、自分よりも小さな少女の背中が大きく見えた。
こんな自分のために、殺したって罰は当たらない。生かしていても災いの元にしかならないような、こんな自分のためにあの少女は戦ってくれた。

「勝手な事を言っちゃうのかもしれないけど……」

光りを背にして、さくらは憂慮するようにヤミへと声をかける。

「…………きっと、また笑えるようになれるように……ヤミさんのことも皆のことも守れるように、私…頑張るから……」

それは自分の我儘だと分かっている。
理想の押し付けかもしれない。
だけど、本当に死んでしまうのが救いだなんて、思いたくなかった。


「だから、お願い……もう死にたいなんて、言わないで」


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