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武将名 |
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武将名 |
統一名称: 生没年:~
「 」
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勢力 |
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時代 |
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レアリティ |
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コスト |
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兵種 |
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武力 |
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知力 |
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特技 |
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計略 |
計略名 |
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必要士気 |
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効果時間 |
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Illust. |
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声優 |
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計略内容
(最新Ver.2.6.0C)
調整履歴
所感
解説
紹運は法名。本名は高橋鎮種である。
立花宗茂の父親である。
吉弘鑑理の次男にあたり、後に大友家に背き断絶する寸前になった高橋家に養子として入る。
耳川の戦い(高城川の戦い)で兄や義兄を失うと大友家は衰退し、龍造寺や秋月、島津家が大友領に侵攻。紹運は立花道雪とともに各地を転戦する。
息子である立花宗茂が立花家に婿入りする際は道雪を父のように接するように言い、担当を渡して『敵対することがあればその刀で討て』と訓戒したとされる。
龍造寺が沖田畷の戦いで衰退すると島津家が北上を開始。この時、豊臣秀吉が九州征伐を発し、島津家は小倉と博多を占領することを目的として行動を開始した。
紹運は息子の宗茂を立花山城に、次男の統増を宝満城に篭城させ、自身は、規模が小さい岩屋城に篭城する。篭城した兵は763人、対して島津軍は2万〜5万人とされる。
紹運は決死の覚悟で籠城し、島津軍も死者3000人を超える数を出すなど甚大な被害を出す。しかし半月が経過した1586年7月27日に詰の丸を残して占領され紹運は高櫓に登って割腹した。享年39。城兵763人が全員討死する壮絶な最期であった。
岩屋城の戦いでは島津方の新野忠元から
『なぜ仏法を軽んじ、キリスト教に狂い人心を惑わす非道の大友氏に尽くされるのか。貴殿の武功は十分証明されました。降伏されたし』
との問いに
『主家が隆盛しているときは忠勤に励み、功名を競う者あろうとも、主家が衰えたときには一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。
貴方自身も島津の家が衰退したとき主家を捨てて命を惜しむのか。武家に生まれた者として恩・仁義を忘れるものは鳥獣以下である』
と答えたとされる。
その後島津軍は宝満城を落とすも、立花山城を包囲したところで時間切れとなって撤退、宗茂は島津軍を追って宝満城、岩屋城を奪還した。
この紹運の命を賭した戦いは結果的に島津軍の動きを鈍化させ、島津軍の企みを砕いたのであった。
ルイス・フロイスや豊臣秀吉は紹運を稀代の名将として称え、岩屋城の攻め手総大将の島津忠長も紹運の首級の前に正座し、『類まれなる将を殺してしまった。彼と共になれたのなら最高の友になれただろう』と涙を流して手を合わせたとされる。
紹運が壮絶に戦死した岩屋城跡には家臣の子孫の手で築かれた『嗚呼壮烈岩屋城址』という石碑が激しき戦いを物語っている。
大戦シリーズにおいて
台詞
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台詞 |
開幕 |
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計略 |
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└絆武将 |
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兵種アクション |
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撤退 |
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復活 |
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伏兵 |
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攻城 |
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落城 |
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贈り物① |
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贈り物② |
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贈り物(お正月) |
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贈り物(バレンタインデー) |
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贈り物(ホワイトデー) |
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贈り物(ハロウィン) |
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友好度上昇 |
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寵臣 |
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絆武将獲得 |
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軍飾 |
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贈り物の特殊演出
①
対象武将:黄005_大友宗麟 |
会話武将 |
台詞 |
黄020_高橋紹運 |
お屋形様、わかっておりますな? |
黄005_大友宗麟 |
ええい、そのように圧をかけるでないわ! 他の英傑に負けぬよう励めと言うのであろう! |
黄020_高橋紹運 |
いえ、今再び私と道雪殿が揃ったのです…… |
黄020_高橋紹運 |
千年王国の夢、今度こそ我らが 叶えてみせるとお約束いたしますぞ。 |
黄005_大友宗麟 |
紹運……おぬし……!! |
②
情報提供・誤った点に気付いた等、何かありましたら気楽にコメントしてください。
最終更新:2025年07月28日 23:07