今や世界でもっとも有名な怪物の一人になってしまった人物。
創作が現実をねじまげた、最大のサンプルケースと言えるだろう。
……が、その全てを創作者の傲慢である、と断言できないのも事実である。
ヴラド三世はワラキア独立を守るために手段を選ばず、トルコ側から悪魔の如く嫌われたからだ。
1462年。
彼の最大の串刺しとして知られるのが、トルコ侵略に対する防衛戦争である。
彼は怒涛のごとき15万のトルコ軍に1万の軍隊で立ち向かう為、焦土戦術をゲリラ戦を指示。
民衆をカルパチア山脈に逃がし、首都までも空にした上でトルコ軍を迎え撃った。
その時に首都ブカレストの周囲にあったのが、のべ2万人を超えるトルコ兵たちの串刺しされた姿だった。
ブカレストの城塞周囲に屹立する、無数の串刺し死体の群れ。
その異様と異臭に、勇猛を持ってなるトルコ兵たちは完全に士気をくじかれた。
“征服者”と呼ばれた剛勇・メフメト二世でさえ、
「私はどんな人間も恐ろしくないが、悪魔だけは別だ」
と残し、軍を引き上げたという。
この時の串刺しの野原は長さにして3キロ、幅にして1キロ。
オスマン・トルコ帝国は後年のワラキア占領後も、このトラウマから自治は認め続けたとされる。
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残虐にして合理的。
人間以上の視野の広さを持つ武人。
だが理解者には恵まれず、裏切りによる失望の中で人生を終えた。
それがヴラド三世の真実である。
また、余談ではあるが、キリスト教世界で初めてゲリラ戦術(パルチザン)を組織したとの意見もある。
これほどの才能を持ちながら酬われなかったのなら、確かに、正気を失うのも無理からぬ事か。
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