操舵手ヘボンの受難#22『憤怒の再燃』

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操舵手ヘボンの受難#22『憤怒の再燃』 - (2017/03/02 (木) 15:17:49) の1つ前との変更点

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<p align="left"><span style="color:#A52A2A;"><strong> 操舵手ヘボンの受難#22</strong></span>  『憤怒の再燃』</p> <p align="left"> </p> <p align="left"> 「…これから言うことをよく聞いてくださいねぇ、お二方」</p> <p align="left"> 随分とここ数時間で耳に馴染んだ彼女特有の間延びした声音で、螺旋階段を登る准尉は前を見たままに言った。</p> <p align="left">  「この産業塔に備えられた発着ポートは3つあります。 一つは最上部の大型艦艇等を停泊させることが可能な『第一ポート』、次にその下にあるのが戦闘機や、連絡艇の発着を行える第二ポート。 そして、最後にあるのが『第二ポート』と同じ機能を備えた『第三ポート』なんですが…これから貴方達に乗り込んで貰うツヴァッデは第二ポートに停泊しています。 状況から見て第一ポートは周囲からの目も付きやすいために、下へ移動しておいたのが幸いしました…、つい先ほど第一ポートは敵部隊に占拠された模様ですのでぇ…」</p> <p align="left"> 彼女は少々重々しく言ってから、手にしている大型拳銃の撃鉄を引き上げた。<br />    それに倣うようにして、ニールも腰から拳銃を取り出し、ヘボンも例の大型拳銃を握っては見せるが、その際に今更になって肩の付け根あたりが僅かに痛んだ。<br />    やはり、この大型拳銃の扱いは相当厄介なものであり、昼頃には辛うじて撃てはしたものの、もう二度と引き金を引きたくないと体が文句を言っているような具合である。<br />    だが、それでも嫌がる体に鞭を打って重い撃鉄を引き起こしたと同時に、ヘボン等の目の前に螺旋階段を素早く下ってきた男が現れた。<br />    螺旋階段内はぼんやりとした照明を壁に各所備えられているが、その光は弱い。<br />    そして、その光に映し出された男は私服姿で、耳目省の武装構成員の様であったが、先頭に立つレーベ准尉を見ると、険しい顔で口を開いた。</p> <p align="left">  「レーベさんっ。 第一ポートから、敵が押し寄せてきています。 中間部の方でサイモンの班が交戦していますが、突破されるのは時間の問題かと…」</p> <p align="left">  男は己の腹の前で自動小銃を構えており、頭部には何か見慣れぬゴーグルの様な物を付けて、その特殊なゴーグルのバンドで長い髪を纏めているようだ。耳目省手前の特別な装備なのかは知らないが、ヘボンもニールも見たことのないような兵器であり、ゴーグルの小さいレンズ部が赤く発光する様は少々不気味だった。</p> <p align="left"> 「…デニズの班は?」</p> <p align="left">  「第一ポートの連中は全滅しました。 敵さん無茶苦茶だ、勧告もなしに砲撃してきたと思ったら、すぐに降下してきた…。 しかも、例の『装甲兵部隊』ですよ」</p> <p align="left"> 男の口調は興奮に震えており、何処となく常軌を逸した様な色を声音に含んでいたが、准尉はそれを無視しながら返事をする。</p> <p align="left"> 「そうですかぁ…装甲兵部隊が…となると、此方の火器じゃ手が余りますねぇ…。 憲兵部隊と各支部からの増援は?」</p> <p align="left"> 「期待出来ませんね、奴ら揃いも揃って無線封鎖しています。 我々は孤立しました」</p> <p align="left">  「仕方ないですねぇ…、ではサイモンの班に一時後退してもらって、防衛戦を下層に下げてから待機しているリグィルの班と合流して、第二ポートを死守するよう連絡してください」</p> <p align="left">  話を傍らで聞くだけでも逼迫した様子が伝わって来るが、彼女はまるで主婦が料理の献立に困った程度の具合に呻くと、男へ指示を飛ばして彼をまた上層へと走らせた。</p> <p align="left"> 「…准尉、さっきの装甲兵部隊とはなんだ?」</p> <p align="left">  男が素早くその場を走り去ってから、また再び階段を上り始める内に、ニールが彼女へ脇から先ほどチラリと会話の内に出た単語について問う。<br />    それに対し、彼女は視線を正面に向けたままで</p> <p align="left">  「黒翼隊の特殊歩兵部隊の事ですよ、部隊の規模はさほど大きくないんですがねぇ。 ただ、配属兵士の装備として生体防護服を着用していましてぇ…まぁ脅威ですよね」</p> <p align="left"> そう呑気に答えはしたものの、内容自体は全く呑気ではなかった。<br />    生体防護服はヘボンも数日前に見たことがあるが、あの肉の塊のような物体がこの塔の上層で暴れまわっていると思うと身の毛がよだつ。</p> <p align="left"> 「そんな連中と殺りあって、よく持ち堪えているもんだな」</p> <p align="left">  「此方も正規軍の方々と同じで戦闘訓練は受けていますしぃ…何せ、対外的な相手を想定してませんからぁ…防護服の対策はそれなりにある訳ですよぅ…えぇ」</p> <p align="left"> そう答える准尉はニールに対して、何処か不敵に笑う様子を見せた。</p> <p align="left"> </p> <p align="left"> </p> <p align="left">  階段を暫く登り続けるうちに、上層から響いてくる反響の激しい銃声はしっかりと聞き取れる物となり、それは戦場へやってきたという事実を知らせていた。細い螺旋階段の上には大量の薬莢が散乱しており、その上や下から血が流れてくるのが見えた。<br />    更にまた階段を登ると、連続した発砲音が鳴り響き、その音の主の姿が見えた。<br />    細い螺旋階段の踊り場に機関銃を備え、散発的に上層へ続く階段へ向けては発砲を繰り返している男の姿が見えた。<br />    この男は先程に階段で現れた男とは別で、耳目省の官品であると思われる紺色のロングコートを羽織、制帽の上から例の歪な形をしたゴーグルを装着している。<br />    ヘボン達が近づいてきたことを脇目に確認すると、一旦機関銃の引き金を引き続ける指を止めて此方へ話しかけてきた。<br />    男の口には着込んでいるコートと同じ灰色のマスクがあり、声は多少くぐもっている。</p> <p align="left"> 「遅いぞっ! レーベ、何をしていたっ!?」</p> <p align="left"> 「申し訳ありません…主任。 何分、急な事でしたのでぇ…」</p> <p align="left">  「言い訳は聞きたくないな。 さっさと来ていれば、第二ポートまで敵の侵入を許すことはなかった。 挙句の果てに主任の私がマシンガンを撃ちまくる事にもならなかった!」</p> <p align="left"> くぐもった声を出しながら叫ぶ男に対し、彼女は低頭な態度で応対する。<br />    機関銃を握る男は少々腹の出た恰幅の良い体格をしていて、マスクの隙間からはみ出た目は少し怒りに歪んでいる。<br />    准尉は彼を主任と呼んだが、耳目省のお偉いさんなのかと、ヘボンは少し呑気に彼女の大きい体から覗き込むと、男はヘボンを見て目をひん剥いた。</p> <p align="left"> 「くそっ! その間抜け面を引っ込めろっ! 疫病神めがっ!」</p> <p align="left">  そう怒鳴りつけてくると、慌ててヘボンは子供の様に准尉の体の後ろへ顔を引っ込めさせたが、それを見ると男は破顔一笑して、銃声に負けないほどの笑い声をあげた。</p> <p align="left">  「別にその通りにしなくてもいい、ワトキンス軍曹。 顔を出せ、少し混乱した自体のせいで少し気が立っただけだ。 いやいや、悪かった」</p> <p align="left"> 彼はそう朗らかに声を掛けると、ヘボンとニールを手招きして傍に来るように促した。<br />    まるで親戚にでも会ったような調子だが、周囲の状況は親戚会というよりは、賑やかすぎる葬式の様なものであった。</p> <p align="left"> 「お初にお目にかかるな。 私は耳目省所属、第4戦闘独立課主任の『ビル・バッギニン』だ。 君の暴れぶりは聞いてるよ」</p> <p align="left"> そう言いながら彼は軍帽を少し取って挨拶をすると、彼の頭頂部が髪のない焼け野原になっている様がヘボンには見えた。</p> <p align="left">  「出来れば、レーベを通して顔は出したくなかったが、何分事が事だ。 なに、第二ポートだけは必ずや我々が奪還するから、君は安心していたまえよ」</p> <p align="left"> 彼はそう力強くヘボンの肩を叩いたが、ビルと名乗った彼の元気が何処から出てくるのか理解できなかった。<br />    何故、上層へ対し攻撃を続けているのが、主任一人だけであるのかわからなかった。<br />    他の武装構成員達は一体何処に行ってしまったのだろう。<br />    階段を登る途中で、散乱する薬莢等は沢山見たが、敵はおろか、構成員の死体すらヘボン達は見ていないのだ。<br />    もしかすると、上層部にて構成員達や敵が転がっているのかとも思ったが、そうすると何故ここでビル主任が機関銃を撃っているのかわからない。<br />    そんな疑問をヘボンと同じくニールも不思議に思ったか、二人は思わず顔を見合わせると、その疑問の答えは二人の脇から現れた。<br />    螺旋階段の中心である太い柱部分から、不意に何かが柱の内部で蠢くような音が鳴り響き、ただの壁と思っていた部分が4角に切り開かれたと思ったら、そこから武装した耳目省の職員達が何人も躍り出てきたのである。<br />    彼等は負傷したと思われる職員を担いでおり、ビル主任とレーベに何か素早く報告すると、3名ほどで負傷した職員を担ぎながら、下層へ下っていった。そして、残った武装職員達は素早く柱の内部へ乗り込んでいくと、切り開かれた四角の蓋が閉まって、蠢く音と共に消えてしまった。</p> <p align="left">   「…今のは一体なんでありますか?」</p> <p align="left">   その一連の様子を見て開いた口が塞がらないヘボンは、そうなんとか言葉にして主任へ聞くと、彼は愉快そうな笑みを浮かべながら説明してくれた。</p> <p align="left">   「この産業塔にはそこらの塔には導入されていないような、仕掛けが多数に設置されているのだ。 例えば、今降りてきた内部昇降機は一般の物と違って外部からは、入口がわからないように偽装され、しかも操作は内部の者しか知らない。 これを用いて、我々は第一ポートから侵入した敵を時に挟み討ちにし、有利に事を運べている。 喩え生体防護服を用いた部隊にしても、前後から襲ってくる銃弾に混乱しないわけがないからな。  まぁ、敵が産業塔自体を破壊しに掛かれば関係ないが、何せこの六王湖は様々な帝国勢力が入り乱れている。 産業塔一つの中で銃撃戦をするには黙認するような事はあるが、仮に一つの産業塔が崩れただけでも、他の塔への被害は計り知れない。 如何に敵が馬鹿でもそこまでは出来ない限り、我々の方が有利な訳だ」</p> <p align="left">   そうビル主任は誇らしげに語りつつ、言葉の最後に、その昇降機は私が設計したと自慢を付け加えた。</p> <p align="left"> 「よし、第二ポートを奪還したと報告を受けた。 このデカブツをさっさと上に運ぶぞ、レーベ、力を貸せ」</p> <p align="left"> そして、准尉を呼びつけると彼は一緒に重たい機関銃の三脚を彼女と持ち上げる。<br />    妙な話、大の男であるヘボンとニールではなく、女性である准尉に助力を求める姿は妙な気もしたが、彼女は主任よりも慣れた手つきで機関銃を悠々と担いでは階段を二人で登り始めている。</p> <p align="left">  「ボサっとするなッ! 我々は、あくまで敵を一時的に上層へ押し返しただけに過ぎないのだ。 我々の武装では混乱させることは出来ても、倒すことは出来ん。 時間との勝負だぞ」</p> <p align="left"> まだ呆然とその様子を眺めている二人に対し、主任は叱咤すると、此方の護衛をしろと命令してくる。<br />    彼の声量に思わずたじろぎながら、慌てて指示に従いながら4人は階段を登り始めた。</p> <p align="left"> </p> <p align="left"> 「しかし、こうも連中の動きが早いとは思っていなかったぞ。 やはり邪龍の生体探知能力の成せる技か?」</p> <p align="left">  「いえ、ヘボン軍曹については先程報告したとおり、邪龍の精神侵食を逃れていますので…それは違うかとぅ…、多分邪龍に備えられた例の装置にて彼女が…」</p> <p align="left"> 「馬鹿な。 レーベ、君が彼女を射殺した筈だ。 致命傷は与えたのだろう?」</p> <p align="left"> 「えぇ勿論です。 腹部と胸部に命中した筈ですので、有効な治療を早期に施したとしても、こんな短時間においては…」</p> <p align="left"> 機関銃を背負いながら、ビル主任とレーベが何か口々に話し合っている。<br />    本来なら鍛え上げられた前線歩兵達でも、そんなお喋りしながら運べるような機関銃の重量では無いはずなのだが、そんな常識など溝に捨ててきたように流暢に言葉を交わしている様子を見て、ヘボンとニールは再び顔を見合わせるしかなかった。</p> <p align="left"> 「…となると、蘇生したと考える他ないか」</p> <p align="left">  「でしょうね。 どう、部隊へこの短時間で復帰したかは不明ですが、そう考えればこの動きは妥当でしょう…中尉が口を割ったとも思えませんが、妹から辿れば容易に違いありません」</p> <p align="left"> 「だから、私は彼女を内勤に移すべきだと言ったんだ」</p> <p align="left">  「…それは非現実的ですよ、主任。 妹は少々学がないのです。 書類管理なんてとてもとても…他人の首を絞められても、ペンはまともに持てないような人間ですので…」</p> <p align="left"> 挙句の果てに流暢に会話するどころか、レーベ准尉とビル主任が機関銃を背負ったまま何か口論している。<br />    しかし、ようやく第二ポートの踊り場へ出ると、二人は口論を終えて機関銃を設置した。<br />    階段の脇にある通路から発着ポートへ繋がっており、通路からは冷たい夜風が此方へ吹き込んでくるのが感じられる。<br />    空を裂く風の音に混じって銃声や砲声が響き、先程から何度か塔が揺れるような振動も起きていたが、まだこの塔は倒れまいと必死に持ちこたえているようであった。</p> <p align="left">  「さぁ、レーベ。 彼等を連れて、ツヴァッデを飛ばすんだ。 搭乗員は時期に下層からやってくる、我々は離陸後には我々は投降する。 支援についてはヨダ地区を頼れ」</p> <p align="left">  機関銃を設置し終えると、ビル主任は照準を階段の上部へ向けながら、准尉へ指示を飛ばす。その合間に階段中央の柱から、昇降機の蠢く音が静かに響いてくる。</p> <p align="left"> 「しかし、主任。 連中が捕虜を取るかどうか…しかも我々は…」</p> <p align="left"> 彼の指示に対して、彼女は少し戸惑う様子を見せた。<br />    元より対外的なアーキルとの戦争なら露知らず、これは帝国内での内紛なのである。<br />    そこに戦争捕虜に対する条約などがある訳もなく、ましてや秘密裏に動く者が秘密裏に処理されようと誰も困りはしないのだ。</p> <p align="left"> 「そんな事は君が気にする事ではない。 耳目省職員としての仕事を果たすんだ」</p> <p align="left"> 主任は力強い眼差しをマスクの合間から覗かせながら、彼女を見やった。<br />    そんな視線を当てられた彼女は決心したように、主任に返すように強い眼差しを向ける。<br />    そして、半ば蚊帳の外であるヘボンとニールの二人は、自分らの付近で柱内を蠢く音を止めた方へ注意が向いた。<br />    どうやら、また武装職員達が降りてくるらしい。</p> <p align="left">  「…わかりました、主任。 くれぐれもご無事でぇ…。 軍曹、少尉、早くツヴァッデを離陸させましょう…早くここを飛び立たなければ…」</p> <p align="left"> そう柱の方へ注意が向いている二人を促そうと、准尉が此方へ歩み寄ってくる。<br />    だが、柱前にして突っ立っている二人は准尉が声を掛けても動こうとしない。<br />    一体どうしたのかと准尉が近寄ると、彼女の体も微動だに出来なくなった。<br />    唐突に柱の壁から男が此方に向けて拳銃を構えていたからである。</p> <p align="left"> 「…残念ながら、離陸は許可出来ないな」</p> <p align="left"> 男は勝ち誇った笑みを浮かべながら一同を見ていた。</p> <p align="left"> </p> <p align="left">  柱の中から此方へ拳銃を向けてきている男は、黒い軍帽を目深に被り、目元は判然としなかったがヘラヘラとした軽薄な笑みを浮かべた口元が特徴的であり、その体は帝国軍の軍服を着込んでいるが、一般的な朱色ではなく、闇のように暗い漆黒であった。<br />    男が何者であるかは、彼が名乗らずともわかる。<br />    幾らか広く5・6人は乗り込める昇降機内で、男の後ろに倒れ込んでいる武装構成員の姿からして、彼は紛うことなき敵であり、そして『黒翼隊』の所属であることは一目瞭然であった。</p> <p align="left"> 「…『リュッカー少尉』…何故、ここに」</p> <p align="left"> 狼狽したように准尉は声を詰まらせながら、柱の男を睨んだ。<br />    睨まれたリュッカーと呼ばれた少尉は、ニタニタとした笑みを浮かべながら銃口を一同へ油断なく向けている。</p> <p align="left">  「突撃した連中があまりにも頼りなくて、俺様からやってきたまでの事だ。 生体式防護服なんて物に頼るからいけないんだ。 兵士は生身でなくてはいけない…そうだろう?」</p> <p align="left"> 少尉はそう言いながら、手に握られた拳銃の用心金に指先を通しては、それを鮮やかに数度回転させてみせる。<br />    耳目省連中の使っていた小銃や、今ヘボンの手元に有る大型拳銃も今まで見たこともなかったような代物だったが、この少尉が今曲芸のように回している拳銃も初見である。<br />    大きさと言えば一般的な将校達が好んで使う型の大きさから脱していなかったが、異様な事はその外見にあった。<br />    拳銃の全体が生体器官に包み込まれているかのように、表面に浮き出た血管が波打っている。照星の部分には小さな小指の爪程の大きさの目玉が蠢いている様子は、帝国独特の要素であるが、ここまで気色悪い銃も中々拝めないだろう。</p> <p align="left">  「それにしても耳目省の産業塔となると、仕掛けが凝っていて面白いな。 確かに正攻法じゃ落とすのには手間だろう…まぁいい、こうして対面出来た訳だ。 さっさと銃を捨てろ」</p> <p align="left"> リュッカー少尉はそう得意げに宣いつつ、こちらに銃を地面に置くように促してくる。<br />    咄嗟に少尉から見て横に居たニールが腰に差していた拳銃に手を伸ばしたが、少尉の目は鋭くそれを素早く察すると、銃口をニールの顎先へ突きつけた。</p> <p align="left"> 「おっと、下手な真似はするなよ。 お前らが何人いようと、俺なら一度で殺せる」</p> <p align="left"> 少尉はそう悪魔地味た笑みを口元に浮かべながら、小さく笑ってみせる。<br />    脅しにしては無理があるが、彼の背後で倒れ込んで事切れている職員達の数を見るに、強ち虚勢を張っている訳でもない事は一同にはよくわかった。</p> <p align="left"> 「…それで、どっちが噂の軍曹なんだ? 俺達の用事はそいつだけだ。 大分、手荒い形でお邪魔しちまったがな」</p> <p align="left"> しかし、リュッカー少尉はその口ぶりからして、ヘボンの容姿について知らされていない様子であった。<br />    知っているのなら、ヘボンがニールの脇に立っている事により注視する筈だ。<br />    そして、少尉の言葉を聞きながら、准尉が静かにヘボンを指さそうとするので、その様子を見たヘボンは思わず彼女の指先が指し示す方向から逃れようと一歩後ろへ下がって躱そうとしたが、生憎これは准尉の指先の追尾性能が優秀だった為に逃れられなかった。</p> <p align="left"> 「…何してるんですか、軍曹。 見苦しいですよぅ…」</p> <p align="left">  このヘボンの狼狽えぶりに准尉は呆れ果てる声を出したが、リュッカー少尉はこれとは対照的に軽い笑いを起こしながら彼を嘲る様に見た。</p> <p align="left"> 「噂じゃ、鬼神さえ恐れぬ化物だと聞いていたが、とんだ臆病者だとはな…。 ふん、少佐に差し出すまでもねぇ、ここで…」</p> <p align="left"> 嘲る笑いは途中で冷酷な響きを持ち、リュッカー少尉は銃口をヘボンへ向けた。<br />    口元にはうすら笑いを浮かべたままだが、目深に被った軍帽の鍔から覗く目は残酷なまでに、ぼんやりとした照明の光に反抗するかのようにギラついていた。<br />    銃口を向けられたヘボンは恐怖に顔が引き攣った。</p> <p align="left"> だが、その恐怖が伝染したかのように同時にリュッカー少尉の顔も歪んだ。</p> <p align="left"> 「なんだっこいつはっ!?」</p> <p align="left">  そう少尉が叫んだ途端に、自身から銃口を外され、少尉の注意が完全にヘボンに移っていると踏んだニールが、自分の前を通り過ぎている少尉の腕を掴んだ。<br />    思わず揉み合いになる二人の脇から、ビル主任が素早く走り寄る。</p> <p align="left"> 「突き落とせっ軍曹! 中へ押し込むんだっ!」</p> <p align="left">  そう叫ぶ彼に従って、銃口が此方に向かぬように、少尉の手首を押さえ込みながら、ヘボンとニールは二人がかりで少尉を壁の中へ押しやる。<br />    これがもし准尉であったら、相当苦戦しただろう。<br />    運が悪ければ逆に押し返された危険さえあるが、ただ幸いなことはリュッカー少尉の体躯が細く嫋かであった点である。<br />    そして、彼を力の限り中へ押し込むと、ビル主任は壁面にある窪みを殴るようにして押し込んだ。<br />    すると、少尉が素早く立ち上がろうとしたところで、昇降機の蓋が固く閉じられた。<br />    内部より数発の篭った銃声が響き、内部で少尉が自暴自棄に発砲している様子がわかるが、それでも扉は固く閉ざされたまま開きそうにない。</p> <p align="left"> 「間一髪だったな。 奴が軍曹とは初対面で助かった」</p> <p align="left"> 「初対面の者に、あんな顔をするとは失礼であります」</p> <p align="left">  「…軍曹、君とまた会ったら、今度は鏡でも進呈しよう。 貴族共が愛用するような立派な物をな。 しかし、あの馬鹿のせいで昇降機が使えなくなってしまった、これ以上の時間稼ぎは難しいだろう」</p> <p align="left"> 閉じられた昇降機内部からの抵抗が収まると、ビル主任は額の汗を帽子で拭いながら、ヘボンと言葉を交わす。<br />    彼はヘボンの顔を改めて見ると、リュッカー少尉の様にわざと顔を引き吊らせるような仕草をしてみせたが、すぐに己へ向けるかのように一笑に付した。</p> <p align="left"> 「准尉殿、今の少尉殿も黒翼隊の所属で…?」</p> <p align="left">  「えぇ、『ベンヤミン・リュッカー』少尉…黒翼隊きっての速射の名手…それぐらいしか能が無い男と思っていましたがァ…少々厄介でしたねぇ」</p> <p align="left"> 主任の傍に立っていた准尉へ問うと彼女は少し肩を竦めながら、そう答えてみせる。</p> <p align="left"> 「危うくヘボンより上等な頭を、吹っ飛ばされるところだったぜ」</p> <p align="left">  大きく溜息を吐きながら、ニールがそう項垂れると、少々時間を喰ってしまったと再度、准尉が二人を発着ポートへ行くように促してくる。<br />    昇降機がリュッカー少尉の予約で詰まってしまったということは、既にそれを利用した戦術は使えず、敵は構うことなく上層から降りてくるということである。<br />    だが、既に時間はなかったらしく、上層より激しい銃声と怒声が広がり始めた。<br />    ビル主任がその声に反応して素早く、機関銃を握り締めたと同時に、彼らの正面階段へ、何者かが躍り出てきた。<br />    その者へ対し、彼は射撃を加えようとしたが、その男の容姿を見て手を止めた。<br />    その者とはヘボン達が先ほど見た、レーベ准尉へ連絡に走り寄ってきた武装構成員の男であった。<br />    彼は小銃を片手に待ちながらも、もう片腕で腹部を押さえ込みながら、よろけるようにして階段を下ってくる。<br />    腹部を押さえている腕の衣類からは血が滲んでおり、彼が負傷している事は明らかであった。</p> <p align="left"> 「主任、駄目です…。 昇降機を抑えられました…、サイモンの班も全滅で残りは…私だけに…」</p> <p align="left"> そう彼が苦しげに、喉の奥から声を絞り出した瞬間、彼の頭部が暗闇の中で弾けとんだ。<br />    此方からは視認できない、彼の後方より銃撃を受けたらしく、頭部を失くしバランスを崩した体は力なく階段の上に倒れこむ。<br />    その凄惨な彼の最期にビル主任は息を呑み、最早ツヴァッデへの移動すら難しいと准尉もヘボン達も得物を構えはしたが、上層より降りてきた敵の姿を見ると、抗戦意欲は完膚なきまでに叩き潰されてしまった。</p> <p align="left">  黒翼隊に塔を襲撃され、准尉に言われるがまま、部屋を飛び出た時に上層から感じたあのどす黒い殺意が、今、目の前で形を成して現れたのだ。</p> <p align="left"> 「…探したぞ、ワトキンス」</p> <p align="left"> 階段上よりその姿を現した殺意は、氷の様に冷たい声音で此方へ話し掛けてきた。<br />    だが、その瞳は烈火の如く怒りに猛っており、その感情をなんとか押し殺そうとしている節がある。</p> <p align="left"> 「そんな…死んだ筈じゃ…コアテラから落ちて…」</p> <p align="left"> 名を呼ばれたヘボンは全身の力が抜けたように、力なく側の壁に背中をもたれ掛かり、恐怖に震えた。<br />    まさか、そんな事があるわけがないという言葉ばかりが脳裏を巡る。<br />    あまりの混乱ぶりにクルカマンすら、出番がないような具合である。</p> <p align="left"> 「あの程度で私が死ぬか。 貴様をこの手で殺すまでは死ねぬ、そして邪龍の翼として帝国を再興するのだ…」</p> <p align="left"> どす黒い殺意は照明に照らし出され、その姿を一同に晒していた。<br />    先日のアルバレステア級の艦内で見た時には長かった髪も、短く切り揃えられ、怒りを超越し不敵な笑みを浮かべる口元は、その内実に強い憎悪を隠し持っている事を告げている。</p> <p align="left"> 「…前より、言い回しが面倒になりましたねぇ…『ニエン少佐』」</p> <p align="left"> 傍らで怯えるヘボンを尻目に、准尉は何処までも呑気な口調でその殺意の名を呼んだ。<br />    十数時間前に准尉とヘボンによって銃撃を受け、挙句の果てにはコアテラの片翼より落された筈の『レマ・ニエン少佐』が一同の目の前に立っていたのだ。</p> <p align="left"> 生気と狂気を漲らせながら、悠然と立つ彼女の姿に、ヘボンは寓話の悪魔が目の前で現れた様な衝撃を受けた。</p>
<p align="left"><span style="color:#A52A2A;"><strong> 操舵手ヘボンの受難#22</strong></span>  『憤怒の再燃』</p> <p align="left"> </p> <p align="left"> 「…これから言うことをよく聞いてくださいねぇ、お二方」</p> <p align="left"> 随分とここ数時間で耳に馴染んだ彼女特有の間延びした声音で、螺旋階段を登る准尉は前を見たままに言った。</p> <p align="left">  「この産業塔に備えられた発着ポートは3つあります。 一つは最上部の大型艦艇等を停泊させることが可能な『第一ポート』、次にその下にあるのが戦闘機や、連絡艇の発着を行える第二ポート。 そして、最後にあるのが『第二ポート』と同じ機能を備えた『第三ポート』なんですが…これから貴方達に乗り込んで貰うツヴァッデは第二ポートに停泊しています。 状況から見て第一ポートは周囲からの目も付きやすいために、下へ移動しておいたのが幸いしました…、つい先ほど第一ポートは敵部隊に占拠された模様ですのでぇ…」</p> <p align="left"> 彼女は少々重々しく言ってから、手にしている大型拳銃の撃鉄を引き上げた。<br />    それに倣うようにして、ニールも腰から拳銃を取り出し、ヘボンも例の大型拳銃を握っては見せるが、その際に今更になって肩の付け根あたりが僅かに痛んだ。<br />    やはり、この大型拳銃の扱いは相当厄介なものであり、昼頃には辛うじて撃てはしたものの、もう二度と引き金を引きたくないと体が文句を言っているような具合である。<br />    だが、それでも嫌がる体に鞭を打って重い撃鉄を引き起こしたと同時に、ヘボン等の目の前に螺旋階段を素早く下ってきた男が現れた。<br />    螺旋階段内はぼんやりとした照明を壁に各所備えられているが、その光は弱い。<br />    そして、その光に映し出された男は私服姿で、耳目省の武装構成員の様であったが、先頭に立つレーベ准尉を見ると、険しい顔で口を開いた。</p> <p align="left">  「レーベさんっ。 第一ポートから、敵が押し寄せてきています。 中間部の方でサイモンの班が交戦していますが、突破されるのは時間の問題かと…」</p> <p align="left">  男は己の腹の前で自動小銃を構えており、頭部には何か見慣れぬゴーグルの様な物を付けて、その特殊なゴーグルのバンドで長い髪を纏めているようだ。耳目省手前の特別な装備なのかは知らないが、ヘボンもニールも見たことのないような兵器であり、ゴーグルの小さいレンズ部が赤く発光する様は少々不気味だった。</p> <p align="left"> 「…デニズの班は?」</p> <p align="left">  「第一ポートの連中は全滅しました。 敵さん無茶苦茶だ、勧告もなしに砲撃してきたと思ったら、すぐに降下してきた…。 しかも、例の『装甲兵部隊』ですよ」</p> <p align="left"> 男の口調は興奮に震えており、何処となく常軌を逸した様な色を声音に含んでいたが、准尉はそれを無視しながら返事をする。</p> <p align="left"> 「そうですかぁ…装甲兵部隊が…となると、此方の火器じゃ手が余りますねぇ…。 憲兵部隊と各支部からの増援は?」</p> <p align="left"> 「期待出来ませんね、奴ら揃いも揃って無線封鎖しています。 我々は孤立しました」</p> <p align="left">  「仕方ないですねぇ…、ではサイモンの班に一時後退してもらって、防衛戦を下層に下げてから待機しているリグィルの班と合流して、第二ポートを死守するよう連絡してください」</p> <p align="left">  話を傍らで聞くだけでも逼迫した様子が伝わって来るが、彼女はまるで主婦が料理の献立に困った程度の具合に呻くと、男へ指示を飛ばして彼をまた上層へと走らせた。</p> <p align="left"> 「…准尉、さっきの装甲兵部隊とはなんだ?」</p> <p align="left">  男が素早くその場を走り去ってから、また再び階段を上り始める内に、ニールが彼女へ脇から先ほどチラリと会話の内に出た単語について問う。<br />    それに対し、彼女は視線を正面に向けたままで</p> <p align="left">  「黒翼隊の特殊歩兵部隊の事ですよ、部隊の規模はさほど大きくないんですがねぇ。 ただ、配属兵士の装備として生体防護服を着用していましてぇ…まぁ脅威ですよね」</p> <p align="left"> そう呑気に答えはしたものの、内容自体は全く呑気ではなかった。<br />    生体防護服はヘボンも数日前に見たことがあるが、あの肉の塊のような物体がこの塔の上層で暴れまわっていると思うと身の毛がよだつ。</p> <p align="left"> 「そんな連中と殺りあって、よく持ち堪えているもんだな」</p> <p align="left">  「此方も正規軍の方々と同じで戦闘訓練は受けていますしぃ…何せ、対外的な相手を想定してませんからぁ…防護服の対策はそれなりにある訳ですよぅ…えぇ」</p> <p align="left"> そう答える准尉はニールに対して、何処か不敵に笑う様子を見せた。</p> <p align="left"> </p> <p align="left"> </p> <p align="left">  階段を暫く登り続けるうちに、上層から響いてくる反響の激しい銃声はしっかりと聞き取れる物となり、それは戦場へやってきたという事実を知らせていた。細い螺旋階段の上には大量の薬莢が散乱しており、その上や下から血が流れてくるのが見えた。<br />    更にまた階段を登ると、連続した発砲音が鳴り響き、その音の主の姿が見えた。<br />    螺旋階段の踊り場に機関銃を備え、散発的に上層へ続く階段へ向けては発砲を繰り返している男の姿が見えた。<br />    この男は先程に階段で現れた男とは別で、耳目省の官品であると思われる紺色のロングコートを羽織、制帽の上から例の歪な形をしたゴーグルを装着している。<br />    ヘボン達が近づいてきたことを脇目に確認すると、一旦機関銃の引き金を引き続ける指を止めて此方へ話しかけてきた。<br />    男の口には着込んでいるコートと同じ灰色のマスクがあり、声は多少くぐもっている。</p> <p align="left"> 「遅いぞっ! レーベ、何をしていたっ!?」</p> <p align="left"> 「申し訳ありません…主任。 何分、急な事でしたのでぇ…」</p> <p align="left">  「言い訳は聞きたくないな。 さっさと来ていれば、第二ポートまで敵の侵入を許すことはなかった。 挙句の果てに主任の私がマシンガンを撃ちまくる事にもならなかった!」</p> <p align="left"> くぐもった声を出しながら叫ぶ男に対し、彼女は低頭な態度で応対する。<br />    機関銃を握る男は少々腹の出た恰幅の良い体格をしていて、マスクの隙間からはみ出た目は少し怒りに歪んでいる。<br />    准尉は彼を主任と呼んだが、耳目省のお偉いさんなのかと、ヘボンは少し呑気に彼女の大きい体から覗き込むと、男はヘボンを見て目をひん剥いた。</p> <p align="left"> 「くそっ! その間抜け面を引っ込めろっ! 疫病神めがっ!」</p> <p align="left">  そう怒鳴りつけてくると、慌ててヘボンは子供の様に准尉の体の後ろへ顔を引っ込めさせたが、それを見ると男は破顔一笑して、銃声に負けないほどの笑い声をあげた。</p> <p align="left">  「別にその通りにしなくてもいい、ワトキンス軍曹。 顔を出せ、少し混乱した自体のせいで少し気が立っただけだ。 いやいや、悪かった」</p> <p align="left"> 彼はそう朗らかに声を掛けると、ヘボンとニールを手招きして傍に来るように促した。<br />    まるで親戚にでも会ったような調子だが、周囲の状況は親戚会というよりは、賑やかすぎる葬式の様なものであった。</p> <p align="left"> 「お初にお目にかかるな。 私は耳目省所属、第4独立戦闘課主任の『ビル・バッギニン』だ。 君の暴れぶりは聞いてるよ」</p> <p align="left"> そう言いながら彼は軍帽を少し取って挨拶をすると、彼の頭頂部が髪のない焼け野原になっている様がヘボンには見えた。</p> <p align="left">  「出来れば、レーベを通して顔は出したくなかったが、何分事が事だ。 なに、第二ポートだけは必ずや我々が奪還するから、君は安心していたまえよ」</p> <p align="left"> 彼はそう力強くヘボンの肩を叩いたが、ビルと名乗った彼の元気が何処から出てくるのか理解できなかった。<br />    何故、上層へ対し攻撃を続けているのが、主任一人だけであるのかわからなかった。<br />    他の武装構成員達は一体何処に行ってしまったのだろう。<br />    階段を登る途中で、散乱する薬莢等は沢山見たが、敵はおろか、構成員の死体すらヘボン達は見ていないのだ。<br />    もしかすると、上層部にて構成員達や敵が転がっているのかとも思ったが、そうすると何故ここでビル主任が機関銃を撃っているのかわからない。<br />    そんな疑問をヘボンと同じくニールも不思議に思ったか、二人は思わず顔を見合わせると、その疑問の答えは二人の脇から現れた。<br />    螺旋階段の中心である太い柱部分から、不意に何かが柱の内部で蠢くような音が鳴り響き、ただの壁と思っていた部分が4角に切り開かれたと思ったら、そこから武装した耳目省の職員達が何人も躍り出てきたのである。<br />    彼等は負傷したと思われる職員を担いでおり、ビル主任とレーベに何か素早く報告すると、3名ほどで負傷した職員を担ぎながら、下層へ下っていった。そして、残った武装職員達は素早く柱の内部へ乗り込んでいくと、切り開かれた四角の蓋が閉まって、蠢く音と共に消えてしまった。</p> <p align="left">   「…今のは一体なんでありますか?」</p> <p align="left">   その一連の様子を見て開いた口が塞がらないヘボンは、そうなんとか言葉にして主任へ聞くと、彼は愉快そうな笑みを浮かべながら説明してくれた。</p> <p align="left">   「この産業塔にはそこらの塔には導入されていないような、仕掛けが多数に設置されているのだ。 例えば、今降りてきた内部昇降機は一般の物と違って外部からは、入口がわからないように偽装され、しかも操作は内部の者しか知らない。 これを用いて、我々は第一ポートから侵入した敵を時に挟み討ちにし、有利に事を運べている。 喩え生体防護服を用いた部隊にしても、前後から襲ってくる銃弾に混乱しないわけがないからな。  まぁ、敵が産業塔自体を破壊しに掛かれば関係ないが、何せこの六王湖は様々な帝国勢力が入り乱れている。 産業塔一つの中で銃撃戦をするには黙認するような事はあるが、仮に一つの産業塔が崩れただけでも、他の塔への被害は計り知れない。 如何に敵が馬鹿でもそこまでは出来ない限り、我々の方が有利な訳だ」</p> <p align="left">   そうビル主任は誇らしげに語りつつ、言葉の最後に、その昇降機は私が設計したと自慢を付け加えた。</p> <p align="left"> 「よし、第二ポートを奪還したと報告を受けた。 このデカブツをさっさと上に運ぶぞ、レーベ、力を貸せ」</p> <p align="left"> そして、准尉を呼びつけると彼は一緒に重たい機関銃の三脚を彼女と持ち上げる。<br />    妙な話、大の男であるヘボンとニールではなく、女性である准尉に助力を求める姿は妙な気もしたが、彼女は主任よりも慣れた手つきで機関銃を悠々と担いでは階段を二人で登り始めている。</p> <p align="left">  「ボサっとするなッ! 我々は、あくまで敵を一時的に上層へ押し返しただけに過ぎないのだ。 我々の武装では混乱させることは出来ても、倒すことは出来ん。 時間との勝負だぞ」</p> <p align="left"> まだ呆然とその様子を眺めている二人に対し、主任は叱咤すると、此方の護衛をしろと命令してくる。<br />    彼の声量に思わずたじろぎながら、慌てて指示に従いながら4人は階段を登り始めた。</p> <p align="left"> </p> <p align="left"> 「しかし、こうも連中の動きが早いとは思っていなかったぞ。 やはり邪龍の生体探知能力の成せる技か?」</p> <p align="left">  「いえ、ヘボン軍曹については先程報告したとおり、邪龍の精神侵食を逃れていますので…それは違うかとぅ…、多分邪龍に備えられた例の装置にて彼女が…」</p> <p align="left"> 「馬鹿な。 レーベ、君が彼女を射殺した筈だ。 致命傷は与えたのだろう?」</p> <p align="left"> 「えぇ勿論です。 腹部と胸部に命中した筈ですので、有効な治療を早期に施したとしても、こんな短時間においては…」</p> <p align="left"> 機関銃を背負いながら、ビル主任とレーベが何か口々に話し合っている。<br />    本来なら鍛え上げられた前線歩兵達でも、そんなお喋りしながら運べるような機関銃の重量では無いはずなのだが、そんな常識など溝に捨ててきたように流暢に言葉を交わしている様子を見て、ヘボンとニールは再び顔を見合わせるしかなかった。</p> <p align="left"> 「…となると、蘇生したと考える他ないか」</p> <p align="left">  「でしょうね。 どう、部隊へこの短時間で復帰したかは不明ですが、そう考えればこの動きは妥当でしょう…中尉が口を割ったとも思えませんが、妹から辿れば容易に違いありません」</p> <p align="left"> 「だから、私は彼女を内勤に移すべきだと言ったんだ」</p> <p align="left">  「…それは非現実的ですよ、主任。 妹は少々学がないのです。 書類管理なんてとてもとても…他人の首を絞められても、ペンはまともに持てないような人間ですので…」</p> <p align="left"> 挙句の果てに流暢に会話するどころか、レーベ准尉とビル主任が機関銃を背負ったまま何か口論している。<br />    しかし、ようやく第二ポートの踊り場へ出ると、二人は口論を終えて機関銃を設置した。<br />    階段の脇にある通路から発着ポートへ繋がっており、通路からは冷たい夜風が此方へ吹き込んでくるのが感じられる。<br />    空を裂く風の音に混じって銃声や砲声が響き、先程から何度か塔が揺れるような振動も起きていたが、まだこの塔は倒れまいと必死に持ちこたえているようであった。</p> <p align="left">  「さぁ、レーベ。 彼等を連れて、ツヴァッデを飛ばすんだ。 搭乗員は時期に下層からやってくる、我々は離陸後に投降する。 支援についてはヨダ地区を頼れ」</p> <p align="left">  機関銃を設置し終えると、ビル主任は照準を階段の上部へ向けながら、准尉へ指示を飛ばす。その合間に階段中央の柱から、昇降機の蠢く音が静かに響いてくる。</p> <p align="left"> 「しかし、主任。 連中が捕虜を取るかどうか…しかも我々は…」</p> <p align="left"> 彼の指示に対して、彼女は少し戸惑う様子を見せた。<br />    元より対外的なアーキルとの戦争なら露知らず、これは帝国内での内紛なのである。<br />    そこに戦争捕虜に対する条約などがある訳もなく、ましてや秘密裏に動く者が秘密裏に処理されようと誰も困りはしないのだ。</p> <p align="left"> 「そんな事は君が気にする事ではない。 耳目省職員としての仕事を果たすんだ」</p> <p align="left"> 主任は力強い眼差しをマスクの合間から覗かせながら、彼女を見やった。<br />    そんな視線を当てられた彼女は決心したように、主任に返すように強い眼差しを向ける。<br />    そして、半ば蚊帳の外であるヘボンとニールの二人は、自分らの付近で柱内を蠢く音を止めた方へ注意が向いた。<br />    どうやら、また武装職員達が降りてくるらしい。</p> <p align="left">  「…わかりました、主任。 くれぐれもご無事でぇ…。 軍曹、少尉、早くツヴァッデを離陸させましょう…早くここを飛び立たなければ…」</p> <p align="left"> そう柱の方へ注意が向いている二人を促そうと、准尉が此方へ歩み寄ってくる。<br />    だが、柱前にして突っ立っている二人は准尉が声を掛けても動こうとしない。<br />    一体どうしたのかと准尉が近寄ると、彼女の体も微動だに出来なくなった。<br />    唐突に柱の壁から男が此方に向けて拳銃を構えていたからである。</p> <p align="left"> 「…残念ながら、離陸は許可出来ないな」</p> <p align="left"> 男は勝ち誇った笑みを浮かべながら一同を見ていた。</p> <p align="left"> </p> <p align="left">  柱の中から此方へ拳銃を向けてきている男は、黒い軍帽を目深に被り、目元は判然としなかったがヘラヘラとした軽薄な笑みを浮かべた口元が特徴的であり、その体は帝国軍の軍服を着込んでいるが、一般的な朱色ではなく、闇のように暗い漆黒であった。<br />    男が何者であるかは、彼が名乗らずともわかる。<br />    幾らか広く5・6人は乗り込める昇降機内で、男の後ろに倒れ込んでいる武装構成員の姿からして、彼は紛うことなき敵であり、そして『黒翼隊』の所属であることは一目瞭然であった。</p> <p align="left"> 「…『リュッカー少尉』…何故、ここに」</p> <p align="left"> 狼狽したように准尉は声を詰まらせながら、柱の男を睨んだ。<br />    睨まれたリュッカーと呼ばれた少尉は、ニタニタとした笑みを浮かべながら銃口を一同へ油断なく向けている。</p> <p align="left">  「突撃した連中があまりにも頼りなくて、俺様からやってきたまでの事だ。 生体式防護服なんて物に頼るからいけないんだ。 兵士は生身でなくてはいけない…そうだろう?」</p> <p align="left"> 少尉はそう言いながら、手に握られた拳銃の用心金に指先を通しては、それを鮮やかに数度回転させてみせる。<br />    耳目省連中の使っていた小銃や、今ヘボンの手元に有る大型拳銃も今まで見たこともなかったような代物だったが、この少尉が今曲芸のように回している拳銃も初見である。<br />    大きさと言えば一般的な将校達が好んで使う型の大きさから脱していなかったが、異様な事はその外見にあった。<br />    拳銃の全体が生体器官に包み込まれているかのように、表面に浮き出た血管が波打っている。照星の部分には小さな小指の爪程の大きさの目玉が蠢いている様子は、帝国独特の要素であるが、ここまで気色悪い銃も中々拝めないだろう。</p> <p align="left">  「それにしても耳目省の産業塔となると、仕掛けが凝っていて面白いな。 確かに正攻法じゃ落とすのには手間だろう…まぁいい、こうして対面出来た訳だ。 さっさと銃を捨てろ」</p> <p align="left"> リュッカー少尉はそう得意げに宣いつつ、こちらに銃を地面に置くように促してくる。<br />    咄嗟に少尉から見て横に居たニールが腰に差していた拳銃に手を伸ばしたが、少尉の目は鋭くそれを素早く察すると、銃口をニールの顎先へ突きつけた。</p> <p align="left"> 「おっと、下手な真似はするなよ。 お前らが何人いようと、俺なら一度で殺せる」</p> <p align="left"> 少尉はそう悪魔地味た笑みを口元に浮かべながら、小さく笑ってみせる。<br />    脅しにしては無理があるが、彼の背後で倒れ込んで事切れている職員達の数を見るに、強ち虚勢を張っている訳でもない事は一同にはよくわかった。</p> <p align="left"> 「…それで、どっちが噂の軍曹なんだ? 俺達の用事はそいつだけだ。 大分、手荒い形でお邪魔しちまったがな」</p> <p align="left"> しかし、リュッカー少尉はその口ぶりからして、ヘボンの容姿について知らされていない様子であった。<br />    知っているのなら、ヘボンがニールの脇に立っている事により注視する筈だ。<br />    そして、少尉の言葉を聞きながら、准尉が静かにヘボンを指さそうとするので、その様子を見たヘボンは思わず彼女の指先が指し示す方向から逃れようと一歩後ろへ下がって躱そうとしたが、生憎これは准尉の指先の追尾性能が優秀だった為に逃れられなかった。</p> <p align="left"> 「…何してるんですか、軍曹。 見苦しいですよぅ…」</p> <p align="left">  このヘボンの狼狽えぶりに准尉は呆れ果てる声を出したが、リュッカー少尉はこれとは対照的に軽い笑いを起こしながら彼を嘲る様に見た。</p> <p align="left"> 「噂じゃ、鬼神さえ恐れぬ化物だと聞いていたが、とんだ臆病者だとはな…。 ふん、少佐に差し出すまでもねぇ、ここで…」</p> <p align="left"> 嘲る笑いは途中で冷酷な響きを持ち、リュッカー少尉は銃口をヘボンへ向けた。<br />    口元にはうすら笑いを浮かべたままだが、目深に被った軍帽の鍔から覗く目は残酷なまでに、ぼんやりとした照明の光に反抗するかのようにギラついていた。<br />    銃口を向けられたヘボンは恐怖に顔が引き攣った。</p> <p align="left"> だが、その恐怖が伝染したかのように同時にリュッカー少尉の顔も歪んだ。</p> <p align="left"> 「なんだっこいつはっ!?」</p> <p align="left">  そう少尉が叫んだ途端に、自身から銃口を外され、少尉の注意が完全にヘボンに移っていると踏んだニールが、自分の前を通り過ぎている少尉の腕を掴んだ。<br />    思わず揉み合いになる二人の脇から、ビル主任が素早く走り寄る。</p> <p align="left"> 「突き落とせっ軍曹! 中へ押し込むんだっ!」</p> <p align="left">  そう叫ぶ彼に従って、銃口が此方に向かぬように、少尉の手首を押さえ込みながら、ヘボンとニールは二人がかりで少尉を壁の中へ押しやる。<br />    これがもし准尉であったら、相当苦戦しただろう。<br />    運が悪ければ逆に押し返された危険さえあるが、ただ幸いなことはリュッカー少尉の体躯が細く嫋かであった点である。<br />    そして、彼を力の限り中へ押し込むと、ビル主任は壁面にある窪みを殴るようにして押し込んだ。<br />    すると、少尉が素早く立ち上がろうとしたところで、昇降機の蓋が固く閉じられた。<br />    内部より数発の篭った銃声が響き、内部で少尉が自暴自棄に発砲している様子がわかるが、それでも扉は固く閉ざされたまま開きそうにない。</p> <p align="left"> 「間一髪だったな。 奴が軍曹とは初対面で助かった」</p> <p align="left"> 「初対面の者に、あんな顔をするとは失礼であります」</p> <p align="left">  「…軍曹、君とまた会ったら、今度は鏡でも進呈しよう。 貴族共が愛用するような立派な物をな。 しかし、あの馬鹿のせいで昇降機が使えなくなってしまった、これ以上の時間稼ぎは難しいだろう」</p> <p align="left"> 閉じられた昇降機内部からの抵抗が収まると、ビル主任は額の汗を帽子で拭いながら、ヘボンと言葉を交わす。<br />    彼はヘボンの顔を改めて見ると、リュッカー少尉の様にわざと顔を引き吊らせるような仕草をしてみせたが、すぐに己へ向けるかのように一笑に付した。</p> <p align="left"> 「准尉殿、今の少尉殿も黒翼隊の所属で…?」</p> <p align="left">  「えぇ、『ベンヤミン・リュッカー』少尉…黒翼隊きっての速射の名手…それぐらいしか能が無い男と思っていましたがァ…少々厄介でしたねぇ」</p> <p align="left"> 主任の傍に立っていた准尉へ問うと彼女は少し肩を竦めながら、そう答えてみせる。</p> <p align="left"> 「危うくヘボンより上等な頭を、吹っ飛ばされるところだったぜ」</p> <p align="left">  大きく溜息を吐きながら、ニールがそう項垂れると、少々時間を喰ってしまったと再度、准尉が二人を発着ポートへ行くように促してくる。<br />    昇降機がリュッカー少尉の予約で詰まってしまったということは、既にそれを利用した戦術は使えず、敵は構うことなく上層から降りてくるということである。<br />    だが、既に時間はなかったらしく、上層より激しい銃声と怒声が広がり始めた。<br />    ビル主任がその声に反応して素早く、機関銃を握り締めたと同時に、彼らの正面階段へ、何者かが躍り出てきた。<br />    その者へ対し、彼は射撃を加えようとしたが、その男の容姿を見て手を止めた。<br />    その者とはヘボン達が先ほど見た、レーベ准尉へ連絡に走り寄ってきた武装構成員の男であった。<br />    彼は小銃を片手に待ちながらも、もう片腕で腹部を押さえ込みながら、よろけるようにして階段を下ってくる。<br />    腹部を押さえている腕の衣類からは血が滲んでおり、彼が負傷している事は明らかであった。</p> <p align="left"> 「主任、駄目です…。 昇降機を抑えられました…、サイモンの班も全滅で残りは…私だけに…」</p> <p align="left"> そう彼が苦しげに、喉の奥から声を絞り出した瞬間、彼の頭部が暗闇の中で弾けとんだ。<br />    此方からは視認できない、彼の後方より銃撃を受けたらしく、頭部を失くしバランスを崩した体は力なく階段の上に倒れこむ。<br />    その凄惨な彼の最期にビル主任は息を呑み、最早ツヴァッデへの移動すら難しいと准尉もヘボン達も得物を構えはしたが、上層より降りてきた敵の姿を見ると、抗戦意欲は完膚なきまでに叩き潰されてしまった。</p> <p align="left">  黒翼隊に塔を襲撃され、准尉に言われるがまま、部屋を飛び出た時に上層から感じたあのどす黒い殺意が、今、目の前で形を成して現れたのだ。</p> <p align="left"> 「…探したぞ、ワトキンス」</p> <p align="left"> 階段上よりその姿を現した殺意は、氷の様に冷たい声音で此方へ話し掛けてきた。<br />    だが、その瞳は烈火の如く怒りに猛っており、その感情をなんとか押し殺そうとしている節がある。</p> <p align="left"> 「そんな…死んだ筈じゃ…コアテラから落ちて…」</p> <p align="left"> 名を呼ばれたヘボンは全身の力が抜けたように、力なく側の壁に背中をもたれ掛かり、恐怖に震えた。<br />    まさか、そんな事があるわけがないという言葉ばかりが脳裏を巡る。<br />    あまりの混乱ぶりにクルカマンすら、出番がないような具合である。</p> <p align="left"> 「あの程度で私が死ぬか。 貴様をこの手で殺すまでは死ねぬ...そして、邪龍の翼として帝国を再興するのだ…」</p> <p align="left"> どす黒い殺意は照明に照らし出され、その姿を一同に晒していた。<br />    先日のアルバレステア級の艦内で見た時には長かった髪も、短く切り揃えられ、怒りを超越し不敵な笑みを浮かべる口元は、その内実に強い憎悪を隠し持っている事を告げている。</p> <p align="left"> 「…前より、言い回しが面倒になりましたねぇ…『ニエン少佐』」</p> <p align="left"> 傍らで怯えるヘボンを尻目に、准尉は何処までも呑気な口調でその殺意の名を呼んだ。<br />    十数時間前に准尉とヘボンによって銃撃を受け、挙句の果てにはコアテラの片翼より落された筈の『レマ・ニエン少佐』が一同の目の前に立っていたのだ。</p> <p align="left"> 生気と狂気を漲らせながら、悠然と立つ彼女の姿に、ヘボンは寓話の悪魔が目の前で現れた様な衝撃を受けた。</p>

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