バセン解放戦争は、ラスティフロントの共同創作イベントです。
“戦後冷戦初期、独立戦争に立ち上がったバセンを舞台に、兵器が新旧入り混じり新たな時代の戦いを造り上げていく…”といったアイデア。
メインストリームでは無かったMBTや突撃銃、有線誘導の対艦ラケーテや攻撃ヘリといった新時代のメカやその活躍の場を考えようという企画です。
概要 |
背景 |
経過 |
参戦諸勢力 |
年表 |
登場メカ |
バセン動乱は、659年から664年にかけて鞍領バセン隷区で発生した一連の独立紛争である。
本国の意向に逆らい独自にダルト人政権を打ち立てた在バセン帝国貴族に対し、列強国を後ろ盾とした現地人の各勢力が対抗し、バセン全土を巻き込んだ大規模な戦闘となった。
このような経緯から、後の多くの記録文献では”バセン解放戦争”と呼称されている。
バセン解放戦争 | |
画像 |
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基本情報 | |
戦争 冷戦 | |
時期 パルエ標準歴659年12月2日~664年12月16日 | |
場所 バセン全域 | |
結果 バセン独立勢力の勝利 ・バセン国の復活 ・親クランダルト勢力の放逐 ・女公派と共和派の台頭 |
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交戦勢力 | |
・バセン独立勢力 正統バセン公国 バセン人民共和国 ・援助国 ヤークロ・ネネツ王国 帝政ダルト国 リューリア協商 |
・バセン連邦 クランダルト貴族諸侯軍 ・援助国 クランダルト帝国(傭兵部隊として参戦) アーキル連邦(傭兵部隊として参戦) |
指導者・指揮官 | |
・バセン女公ナナン・オブ・バセン ・バセン人民代表サモーラ・ファルハン |
・連邦盟主バルトリッヒ・フォン・ハシュキン ・軍総司令官ラーネリア・リートホーヘン ・各国傭兵部隊指揮官 |
戦力 | |
艦艇
戦闘機 地上戦力 |
艦艇
戦闘機 地上戦力 |
バセン解放戦争 | |
ブルカの戦い - ? - 『ノスギアの吹雪』作戦 - ? - ? - ポーマ・ラ・ヴィルト会戦 - ? - ? - テルナヴェーア川渡河戦 - ? |
・クランダルト帝国による植民地支配
クランダルト帝国(以下帝国)によるバセンの支配は4世紀後半より始まった。帝国による侵略の際降伏せず最後まで頑強に抵抗したという背景もあり、バセン公国は帝国が定める支配区分による序列の最下位である「隷区」に設定され、軍備や行政権の大幅な制限や職業の選択の制限、他属領に比べ重い税が課せられていた。また帝国本国より多数のクランダルト人が移住し、バセン人から住み良い土地を奪い去った他、帝国貴族はバセンの民族性や文化を考慮せず自由に領地の境界線を設定した。
バセン民族の中でこの現状を善しとするものは少なく、バセン隸区では7世紀前半に至るまで幾度にも反乱蜂起が発生したが、その度に大陸トップクラスの軍事力を誇る帝国軍により鎮圧された。鎮圧後は懲罰的な重い課税と南北戦争の前線に向かう部隊の補給進駐と称された実質的な略奪が行われ、もはや反乱の意思を抱くバセン人も少なくなっていた。
・南半球の春
バセン人に転機が訪れたのは621年の年の瀬のことであった。この時宗主国である帝国で帝作戦と呼ばれるクーデターが発生し、穏健派のクランダル・インペラート・フリッグ皇女が帝位に就いた。このフリッグ帝が626年の大寒波の到来の際に属領救済政策を行ったことに加え、644年には1世紀半にわたって続いた南北戦争が終結したことにより、旧政権によって行なわれていた属領に対する締め付けは徐々に緩和されつつあった。
この流れを受けて各属領ではこの好機を逃すまいと独立の動きが強まった。所謂『南半球の春』と呼ばれる一連のクランダルト属領の独立期の始まりである。
654年には帝国領中央部のガリアグルが4年に渡る戦争の末独立を獲得。更に655年には南北パンノニアが統一され統一パンノニア王国として成立するなど、帝国属領全体に民族自決の機運が高まっており、これはバセンにおいても例外ではなかった。
・発端
バセンにおける独立紛争の発端となったのは658年における首府ガリのマイム記念大学の学生グループらを中心とした平和的な大規模独立デモに対し、帝国の治安維持当局が発砲したことであった。これらに類する独立運動は以前から小規模ながらも存在したものの、今回のデモはバセン人世論を反映し大きな広がりを見せ、デモ開始から3時間後にはガリ行政府前には学生グループらを中心として数百人規模の大きな人だかりを形成。これを恐れたバセン行政長官ベンヤミン・ドーンベルクは武力による鎮圧を指示。独立デモを行う非武装の群衆に対し治安当局の兵士が機動偵察騎より発砲するという過激な鎮圧策に打って出た。デモの拡大に動揺した当局による武力鎮圧は多くの死傷者を出したが、その後の帝国本国のドーンベルク行政長官に対する懲戒処分は非常に軽いものであった。(ドーンベルク家が帝作戦当時貢献した皇女派の功労者の一つであったことから本国内で何らかの政治的策謀が動いたと推測される)
後に「落葉事件」と呼称されるこの事件は多くのバセン人に深い失望を与え、平和的な独立運動では祖国独立を達成するには不可能であるとの認識を与えた。
659年2月12日には反帝国団体『バセン民族解放戦線(NLFB)』によりドーンベルク行政長官がガリの路上にて暗殺され、バセン人の不満がこれまでにないほどに高まっていることを大きく示した。この頃にはかつてバセン人自らの手でアーキル連邦のダッカー豆戦車を作り上げ、クランダルト貴族を追い払った逸話が人々の間で語られ、”もう一度バセンを”というスローガンがバセンの各地で叫ばれるようになっていた。
バセンとの関係回復がもはや不可能であることを悟ったクランダルト皇帝フリッグ1世は同年4月にバセン隷区の放棄を宣言し、バセンに在住する帝国貴族に帰国するように求める勅令を発したが、多くの在バセン帝国貴族がこれを拒否し、一方的に”バセン連邦”として独立を宣言したことも火に油を注いだ。
同年11月、バセン各地にて武装市民による一斉蜂起が発生。バセン解放軍を名乗ったこの集団は集結しつつバセン南部に根拠地を形成し、かつて存在したバセン人国家であるバセン公国の正統な後継者として”正統バセン公国”の建国を宣言。
翌月12月2日、バセン連邦に宣戦布告し、ここにバセン内部での反政府闘争、内戦が勃発した。
660年1月、南部に集結した”バセン解放軍”こと正統バセン公国軍は、バセン首府であるガリを目指し軍事行動を開始。
ネネツ支援のもと大量動員された陸軍と、少数の空中艦隊がバセン中央部へと進出。迎撃に打って出た在バセン帝国軍改めバセン連邦軍の防衛部隊が旧ブルカ伯領にて衝突。ここにバセン解放戦争初となる会戦が開始された。
・バセン連邦(元クランダルト帝国貴族勢力)
帝国皇帝による帰国勅令が発されてもなお、バセンのクランダルトによる少数支配を未だなお望む帝国貴族や、帝国と密接に関りを持っており独立後同族からの報復を恐れたバセン人の上流階級層が統治する勢力。主に武装蜂起を跳ね除けたバセン北部の各所領を支配領域とする。既得権益を手離したくない旧クランダルト支配階級層が創立した実質上の傀儡国家であり、統一後は「クランダルトとの協調路線」を取る事を掲げている。動乱3国の中では最も軍事力が強く、旧クランダルト貴族軍の帝国製兵器及び兵士を主戦力とする陸軍を有するほか、旧式だが砲戦能力の高い帝国時代の空中艦艇も所有する。
・正統バセン公国(ネネツ支援勢力)
クランダルト帝国による支配に不満を持ち、バセン公の末裔を称する「ナナン・エルラグル」を盟主とする専制君主国家。バセン各所での一斉武装蜂起後、バセン南部にて勢力を拡大し建国された。ネネツ王国と密かに繋がりを持っており、列強国と同等の軍事兵器の供与及び訓練を受けているが、戦力の大半が素人の志願農民兵であるため実力は未知数。しかし明確な旗手が存在することにより士気は高い。
・バセン共和国(六王湖支援勢力)
バセン西部を根拠地とするバセン人による共和制を掲げる国家。バセン動乱期独立国家の中では最も後に建国している。反帝国組織『バセン民族解放戦線(NLFB)』が母体となっており、元々NLFB経由でヨダ地区もといバセン地方の帝国勢力へ工作を仕掛けていた六王湖より軍事支援を受けており、少数だが輸入品の最新鋭兵器を有する。
・クランダルト帝国:バセン独立に理解を示し、バセン隷区の放棄を宣言。在留している帝国貴族に対し帰国令を発する。しかし、「南半球の春」で小さくなっていく帝国の版図を快く思っていない者も多く、必ずしも一枚岩ではない。
・ネネツ王国:同じ属領としての立場から帝国からの解放を目指すバセンに同情的で、バセンの為なら支援を惜しまない。バセン女公を擁立する正統バセン公国を正当なバセン後継者とみなし、軍事支援を施している。
・帝政ダルト国(六王湖):「南半球の春」で物理的に帝国が遠くなり、対帝国戦略基地としてバセン領に目をつけている。バセン人民共和国を建国し、南北の最新兵器を買い与えて支援している。
・リューリア協商(の前身たるガリアグル国とオージア協商):「南半球の春」で独立を達成したばかりでまだまだ基盤が不安定であり、周辺諸国に向けて八方美人外交を行っている。バセン解放戦争においても中立の立場をとっているが、両陣営に対し輸送ルートの確保や南北製の軍事物資の提供を行うなど、双方に肩入れしている。
650年
クランダルト帝国領バルカにて臨時ガリアグル国政府、独立を宣言
ク帝、反乱鎮圧としてガ領へ侵攻を開始 ガリアグル独立戦争勃発
654年 4月29日
パンノニア動乱発生
ク帝軍、ガリアグル独立戦争への対応に追われ大規模戦力を投入出来ず
654年 5月
帝ガ両国、カルログラードにて講和会議
ガリアグル国の独立達成される
655年 5月19日
統一パンノニア王国建国 南北パンノニア統一へ
正統アーキル国、北部パンノニア工業地帯へ進駐
655年頃
各国の独立を受け独立の機運が高まりバセン人による独立運動が各地で発生する
ク帝国本国内では容認的な見方が強まるものの、現地クランダルト貴族内では反対の声が高まる
658年 10月
バセン隷区首府ガリにて学生グループらによる大規模な非武力独立デモ
ク帝貴族軍、武力にてこれを鎮圧
多数の死傷者が出る(落葉事件) ク帝本国はこれに対して積極的な対応策を行わなかった為にバセン内でクランダルトへの反感が高まる
659年 2月12日
首府ガリの路上にて過激派反帝国団体『バセン民族解放戦線(NLFB)』によりバセン隷区行政官ベンヤミン・ドーンベルク暗殺される
在バセン帝国貴族の指示で『落葉事件』時独立デモの武力鎮圧を命令していた
659年 4月
クランダルト帝国皇帝フリッグ、昨今の情勢を受けてバセンの独立を承認
在バセン帝国貴族にヨダ地区への「帰国命令」の勅令を出す
659年 8月
一部の帝国貴族が帰国命令を拒否し、バセン隷区全体を領域とした『バセン連邦』として独立宣言を発する
659年 11月3日
バセン隷区各所にて武装市民による一斉蜂起
集結した民兵はバセン南部、西部に根拠地を形成する
659年 11月15日
バセン隷区南部でバセン公の末裔を称するナナン・エルラグルによる『正統バセン公国』建国宣言
ネネツ王国、正統バセン公国を国家承認。軍事支援を約束
659年 12月2日
正統バセン公国がバセン連邦国に宣戦布告 バセン動乱勃発
660年 1月
バセン中央部旧ブルカ伯領にて首府ガリを目指す正統バセン公国軍とバセン連邦軍の間でバセン動乱史初となる会戦が開始される
戦闘経験の無い農民兵が主体の公国軍に対し、帝国製の潤沢な兵器や『ガリアグル帰り』の元帝国軍出身者が多数を占めるバセン連邦軍が優位に戦いを進める
660年 3月
六王湖軍事顧問団の支援の元、バセン西部〜オージア協商国境地帯にてNLFBを母体としたバセン共和国が建国される
660年 5月
バセン共和国軍が『帝国の支配からの脱却を目指す』としてバセン連邦国に宣戦布告。
660年 6月
バセン共和国軍、西部よりバセン連邦軍を側面から強襲 ガリへと潰走させる
661年 15月
正統バセン公国軍、首府ガリ攻略作戦『ノスギアの吹雪』作戦を開始 ネネツ製長砲身野砲による猛烈な間接砲爆撃と共に攻撃を開始する
対する連邦軍は帝国製空軍艦艇による制空権確保と重火力によって激しく抵抗する
662年 2月
共和国軍と公国軍が2方向から市街地へ突入を開始し、激しい戦闘の末にガリ陥落。市街地中央部行政官府にバセン旗が掲げられる。
663年 4月
ラカリアノーポリにてバセン共和国、正統バセン公国の代表が一回目の会談。
クランダルトからの支配を脱却すべく協闘していく路線で意見が一致。
以降各地で散発的な戦闘。 正統バセン公国、バセン共和国軍は何度かの勝利を重ね、徐々にバセン連邦軍を北部へと追いやっていく
663年 7月
バセン北部旧ポーマ・ラ・ヴィルト伯領にてバセン連邦軍とバセン共和国軍による空中艦隊戦(ポーマ・ラ・ヴィルト会戦)
ガリアグル級旧式軽巡1隻とゲダルン級旧式駆逐艦2隻からなる有力な砲戦能力を有するバセン連邦艦隊に対し、バレグ・ガーリェ級重砲警備艦3隻(オージア協商より輸入)からなるバセン共和国軍艦隊は戦力で劣っていたが、艦隊は森林で待ち伏せしていた地上軍のネネツ製半誘導対艦ラケーテの射程まで誘い込み全艦撃沈。誘導対艦ラケーテの有用性と新たな空中艦隊戦の形を世に示した。
663年 8月
テルナヴェーア川渡河戦
663年 10月
サヴェルラント会戦
663年 11月
オルデンベルク城塞攻略戦
バセン共和国、バセン公国連合軍により城塞陥落
バセン連邦国の消滅。
664年 1月
ガリにてバセン独立宣言
バセン連邦軍 | 正統バセン公国軍 | バセン人民共和国軍 |
空中艦船 | ||
ガリアグル級軽巡空艦 | コンスタンティン級駆逐艦 | |
航空機 | ||
艦載戦闘機グランバール | ||
地上戦力 | ||
テイム中戦車 | バセニダッカー | |
ヴェーリコフSSM |
乗員 | 350名 |
動力 | 生体器官 x1 循環器 x1 |
代謝 | 410q |
最大速度 | 155km/h |
武装 | 15fin連装砲 x5 15fin三連装砲 x1 44fin三連装対艦ラケーテ発射管 x1 14fin単装砲 x6 艦首対艦ラケーテ発射管 x4 |
旧クランダルト帝国在バセン艦隊所属であったガリアグル級軽巡空艦は、バセン解放戦争が勃発した後もバセン連邦軍によって運用され、空中戦力の主力を担っていた。
乗員 | 1名 |
動力 | 生体器官 x3 風力式循環器 x1 |
最大速度 | 220km/h(巡航) 250km/h(強制ブースト時) 270km/h(武装アタッチ無し) |
武装 | 機関銃 x2 ----機首下部アタッチ---- 機関銃 x2 ミトラ連発銃 ミトラ下方指向連発銃 12.2fin榴弾砲 x1 偵察生体カメラ 対空ピット器官 120kg爆弾 ----翼端パイロン---- ラケーテ x2 煙幕筒 x2 |
乗員 | 4名 |
動力 | 生体器官 x2 循環器 x1 |
代謝 | 11q |
最大速度 | 74km/h |
装甲(前/横/背) | 90mm/68mm/55mm |
武装 | 11.5finカノン砲 同軸機銃×1 |
コンセプトデザイン:アイス民
南北戦争後、クランダルト帝国が開発した中戦車。
ノイゼン中戦車の後継案の一つとして設計され、より大口径長砲身化され貫徹力を増した主砲と大型化し車外に突出させた生体器官により火力と機動力を両立させている。
反面、従来の伝統的な配置を無視して突出した生体器官は敵弾の貫徹を許せば容易に行動不能に陥り危険であったが、機動力を生かした回避に重点をおいた運用によってカバーする割り切った設計であった。
結局南北戦争には間に合わず、終戦後の少し後から大量に配備され始めたものの属領解放に伴う軍縮により余剰し積極的に元属領の独立国や友好国へと売却された。
バセン解放戦争においては旧クランダルト帝国貴族軍でもあるバセン連邦陸軍が多数装備していた他、戦場にて鹵獲されたものがバセン独立勢力側においても運用されていた。
乗員 | 2名 |
動力 | バセニ人造燃機関 |
代謝 | 70q |
最大速度 | 95km/h |
装甲(前/横/背) | 5mm/3mm/3mm |
武装 | 2.5finバセニカノーネ |
帝作戦期に誕生したバセン国産のダッカー豆戦車は、バセン解放戦争において正統バセン公国によって大量生産され地上戦力の中核を担った。
この時期に生産されたバセニダッカーは技術も洗練され、本国仕様のものと同等の性能を発揮した
対歩兵支援のほか、一部は対戦車誘導弾を搭載され対戦車車輛としても戦果を挙げた。
ツヴァラ多目的榴弾砲
乗員 | 7名 |
動力 | N/A |
代謝 | N/A |
最大速度 | N/A |
装甲(前/横/背) | 10mm/0mm/0mm |
武装 | 18fin榴弾砲 メバリア対戦車ラケーテ |
コンセプトデザイン:ZERO零
旧式の歩兵砲を改良し、当時から主流となっていた対戦車ラケーテの発射を可能にした、多目的ガンランチャー。
砲と観測装置に取り付けられた『目』のような生体装置から誘導波を発し、ミサイルを目標へ向かってコントロールする。
製造国 | ヤークロ=ネネツ王国 |
使用弾頭 | 対艦弾頭/対地榴弾 |
装弾数 | 1発 |
製造年 | 654 |
配備期間 | 655~ |
武装 | ネネツ王国陸軍 クランダルト帝国陸軍 バセン反乱勢力 |
ネネツ製 輸入品
コンセプトデザイン:アイス民
ネネツ王国製大型対艦誘導ラケーテ。加速ロケットにより発射基より射出されたのち予め艦に体当たりするよう条件付け教育された小型脳と生体器官を覚醒させ誘導を開始する。
ネネツの山岳要塞地帯で運用するため開発されたものだったが、バセン解放戦争において正統バセン公国へ供与され、空中戦力に乏しかった同軍の対空戦力の切り札として配備された。
大型の為航空機への搭載は不可能だったものの、空中艦への搭載や地上発射型車両への搭載等陸空を問わない運用が可能であった。
小型脳による目視独力での誘導という仕様上、煙幕のような視覚的な妨害には非常に脆弱であった。
第二紀世代
乗員 | 240名 |
動力 | パゼリア10式エンジン x1 ソナン型補助エンジン x2 C546軽浮遊機関 x1 |
出力 | 34900ps x1 14200ps x2 9800lc x1 |
最大速度 | 145km/h |
武装 | 12fin単装砲 x5 10fin榴弾砲 x4 高角砲 x2 三連対艦噴進弾 x2 艦首空雷発射管 x6 艦尾空雷発射管 x6 対空爆雷 x2 機銃多数 |
アーキル連邦崩壊後、大量に余剰した南北大戦時代のコンスタンティン級駆逐艦は多くが経済回復政策によって第三国へ売却され、その内の少なくない数はバセン反乱勢力の手へと渡った。