&image(https://img.atwiki.jp/flightglide/attach/1037/2207/Cs-70.png, width=720) |>|>|>|Cs-70 防空システム Cs-70 Air Defense System| |>|>|>|BGCOLOR(#000):COLOR(#fff):基本情報| |種別|防空システム|命名規則|| |前級||次級|| |設計|船体:新カルタグ造船|所属|[[統一パンノニア王国]]&br()フォウ王国| |製造|26+7隻|世代|&strong(){第三紀後期}| |>|>|>|BGCOLOR(#000):COLOR(#fff):性能諸元| |全長|XXmlt|全高|XXmlt| |機関|モジューラ浮遊嚢器 4器&br()ラーンIII 補助推進用エンジン 2基|機関最大出力|| |最高速度|155km/h|航続距離|XXgaias| |武装|Cs-70-F-1 高高度迎撃ミサイル 54発|補助装備|| |乗員|46名||| |>|>|>|BGCOLOR(#1e90ff):COLOR(#fff):二次創作| |>|>|作者名|六方晶ダイヤモンド| #region(概要, remember, open) パンノニア軍が配備している船舶型広域防空システム。対航空機・対艦艇での運用も可能ではあるものの、BMDがこのシステムの主要任務である。パンノニア参謀本部兵站局の分類上は軍艦ではなく移動型防空ラケーテシステムとして登録されているものの、アーキルのメーハン空軍年鑑や供与先のフォウ艦隊では防空駆逐艦として登録されている。 冷戦期、パンノニアは西海岸に対して爆撃機・戦闘機数において優勢であったものの、戦略ミサイル戦力はほとんど保有していないという抑止の非対称性を抱えていた。Cs-70防空システムは、この"ラケーテ・ギャップ"を埋めるために開発がはじまったもので、674年に戦力化された。当初は軍の中のラケーテ非脅威論者や大蔵省などから本システムの価値について疑問の声が少なからずあったものの、676年のラドラ危機においてその必要性は大多数の国民に支持されるようになった。 主たる迎撃対象は中~長射程バダダハリダで、その迎撃のための一連のプロセス(探知、発射、誘導)の一連のプロセスを一隻で完結することができるのが特徴で、単独でも任務を実施できるものの、原則として3~4ユニット単位で運用され、地上または非常事態用空中指揮機の管制のもとで迎撃作戦を行うものとしている。1ユニットあたりの同時対処能力は8群。680年にはデータリンクシステム"フラム"により地上及び艦艇の防空システムと統合運用ができるようになり、より効率的かつ重層的な迎撃が可能となった。 国内向けには26ユニットが配備され、秘密保持や冗長性確保などの目的で常に半数は場所を明確にせずに空中哨戒を行っている。これらはすべて艦隊ではなく防空軍の管轄・指揮下にある。パンノニア防空軍の所有するユニットは全て国内及びマン王国に配備されており、西方の海外基地などは(対抗するバダダハリダの射程から)より近距離用のシステムに任せるという分業が行われている。 パンノニア以外で同システムを導入しているのはフォウ王国のみ。南ミテルヴィア進駐事件などの余波で674年からフォウ王国がオリエント条約機構加盟交渉を開始すると、"バダダハリダ外交"による妨害を阻止するある種の外交カードとして供与が決まり、676年から682年にかけて7ユニットが無償譲渡された。これらはすべてオルドヴァ経済圏の防衛用として配備されている。 Cs-70は1隻あたり大型護衛艦2隻に相当する予算が必要で、防空専従艦としてはかなり高価であった。しかしながら、参謀本部の行ったシミュレーションでは射程やユニット数の関係から戦略級バダダハリダの20%前後しか撃墜できないとの分析が出ており、"ラケーテ・ギャップ"を完全に埋めるには程遠かった。それでも、比較的低いエスカレーション段階においては本システムの迎撃能力は一定の戦略的役割を果たしていたことは間違いなく、前掲のフォウ王国のOTA加盟交渉や戦略兵器制限交渉(ドブルジャ戦争により結局は破談となったが)などの外交きっかけの一つにもなったと言われている。また、全面戦争時に20%を迎撃できるのであれば、シェルターに退避するまでの時間稼ぎには貢献し、国土が荒廃したとしても多くの人命を救うことができたかもしれない。 また、本システムの地上配備型としてCs-72ミサイルシステムが存在し、これはシルナトリツェ及びカルタグ近郊にのみ配備されている。 689年には後継となるCs-90システムの配備が始まった。一部のCs-70は目覚め作戦において事前集積拠点の防空任務に参加した。 #endregion()