Angels Cry log.16

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Angels Cry log.16 - (2017/04/10 (月) 07:10:08) のソース

<p>#16  『Angels Cry』</p>
<p><br />
屋上の発着場では、揚陸艇から降り立った一個小隊程の兵士達が産業塔内部への突入準備を整えつつあった。<br />
命令下達の後に着剣を済ませ、分散警戒の態勢をとっている。<br />
艇の生体機関の前面に大きく描かれた紋章から、彼等は特殊陸戦群の所属であると考えられた。<br />
先程殲滅した警備兵達とは比べ物にならない程の重装備であり、中には銃床と握把を設けた重機関銃を携えた者も見える。</p>
<p>揚陸艇から50m程離れた所にある大きなコンテナの陰から、ユーリはその様子を伺っていた。<br />
傍らにはエルゼを掩蔽させており、自らも頭だけを暴露させて揚陸艇を睨みつけている。<br />
コンテナは搭内部への入口のすぐ隣にあり、兵士たちが突入を始めれば交戦になるのは明確であった。</p>
<p>「・・・絶対に、そこから動くな。すぐに戻る。」</p>
<p>ユーリは屈み、エルゼへと囁いた。<br />
そのまま小銃の弾倉底部を軽く叩き、コンテナから飛び出そうとした。<br />
途端にエルゼによって握られた外套の裾が彼の体を引き留める。</p>
<p>若干の苛立ちを眉間に表しながら、ユーリは彼女の顔を覗き込んだ。<br />
しかしその瞳に言い様の無い不安と焦燥が感じられることを認めると、小さく溜息を吐いて再び傍らに腰を下ろした。</p>
<p>「大丈夫だ。・・・ヒグラートじゃこういう事は何度もあったはずだ。お前も憶えてるだろう?」</p>
<p>ユーリは優しく相手を宥めた。<br />
グランダルヴァと共に経験した幾多の空戦に於いては、このようにして生体機関を安心させたことが何度もあったことを彼は思い出していた。<br />
同時に、目の前にいる女への愛情とそれを守らねばならないという義務感が彼の精神を大きく揺さぶる。<br />
ユーリはエルゼの肩をしっかりと抱いた。</p>
<p>「・・・片づけてくる。」</p>
<p>そして一言、自信と決意に裏打ちされた声で言った。</p>
<p><br />
突入を直前にして、第一梯隊となる分隊の長が自らの隊員を集めた。<br />
重い武装に身を包んだ大柄な兵士達が彼の正面へと群がり、横隊で整列する。</p>
<p>「短間隔、右へならえ!」</p>
<p>分隊長である軍曹の怒号に対し、兵士たちは各々の間隔と足並みを素早く整えた。<br />
半長靴の側面が擦れる硬い摩擦音と共に、それぞれの銃が僅かな金属音を立てる。</p>
<p>「注目!これよりルーア軍曹が当分隊の指揮を執る!」</p>
<p>整列していた分隊員達の中から小さな笑い声が上がった。</p>
<p>「貴様・・・、何が可笑しい?」</p>
<p>軍曹は列の中心にいた一人の隊員に詰め寄った。<br />
顔を人工肺のマスクで覆ったその兵士は、ゴーグルの奥の目元を笑みで歪ませていた。</p>
<p>
「いや、だってですよ・・・。無能なあんたが今回長を任されてんのは、簡単な仕事ならこなせるかなぁ・・・と皆が気を遣って花を持たせたからですよ。それなのにまぁ、偉そうにしちゃって・・・。」</p>
<p>兵士はくぐもった声で、時折笑いを堪えながら言葉を紡いだ。<br />
軍曹は今にも彼を腰の拳銃で射殺せんとする表情で拳を震わせていたが、やがて思い直したかのように踵を返し元いた位置へと歩いていった。</p>
<p>「・・・リシェク伍長、貴様の処分は帰ってから決める。まずはその『簡単な仕事』をこなしてから・・・」</p>
<p>振り向いて口を開いた彼の背後の空間で、何らかの歪みが発せられたのが見えた。<br />
途端に軍曹は発言を止め、その場に立ち尽くす。</p>
<p>「おい、何で俺が処分なんざ受けにゃならん?」</p>
<p>リシェクと呼ばれた兵士は軍曹に歩み寄り、その胸を拳で軽く叩いた。<br />
途端にその体は後ろへと倒れ、胴体から千切れた頭が床に転がった。<br />
断面から血が流れ出し、石材が赤黒く染められる。</p>
<p>「敵だ!散開しろ!」</p>
<p>リシェクは辺りに怒鳴り、自らも小銃の銃床を肩に押し付けた。<br />
そのまま兵士たちは輪形に陣を取り、警戒方向を広く分散させる。</p>
<p>先程の警備兵達とは違い、この部隊が事態の急変に対応出来ていることをユーリは小高い給水塔の上から眺めていた。<br />
そして暫く何かを思案していたが、やがて弾帯に挟んでいた一発の柄付手榴弾を左手で握った。<br />
そのまま弾体上部の螺子を回し、目下にいる敵達の陣の中央に向けそれを放る。</p>
<p>鉄の塊が石材の上で跳ねる鈍い音を耳にし、兵士達は一斉に発着場の床へと伏せた。<br />
その直後、爆轟と共に無数の破片が辺りに飛散する。</p>
<p>圧力によって鼓膜と内臓が損傷し、破片による傷を免れた兵士達も倒れたままのたうち回った。<br />
口から血を垂れ流しながら喚き散らす者、両腕で頭を抱いたまま転がる者。<br />
しかし、屈強な体格に恵まれた数人はやがて立ち上がり、給水塔から飛び降りた人影に向け射撃を始めた。</p>
<p>空間が切り裂かれる不快な甲高い音と共に、幾発もの曳光弾が足元で跳ね外套の裾に穴を穿つ。<br />
ユーリは低い姿勢のまま、右手の小銃を半ば床で擦るようにして発着場を駆け抜けた。<br />
そのまま近くにあった金属製の弾薬箱の陰へと滑り込み、素早く右半身を暴露させ小銃をそこから突き出す。<br />
此方へ眩い銃口炎を放っている兵士達を照門に見出し、照星頂をその胸に重ねた。</p>
<p>
傍らに居た数人が血を吹き出しながら倒れていく中、重機関銃を脇に挟んだその兵士はユーリの放った小銃弾を数発胸に受けても全く動じることなく射撃を続けた。<br />
体には幾重にも機銃弾のベルトが巻かれており、さながら鎖帷子の如くその巨大な体躯を覆っている。<br />
ユーリは素早く肺から息を吐き出すと、兵士の頭部――鉄帽のつばの下にある額へと照星を合わせ直した。<br />
切替軸を連発に入れ替え、一瞬だけ引鉄を引く。</p>
<p>生き残りのその兵士が鉄帽を歪に変形させ、やがて倒れるのを見て取ると、揚陸艇の下で待機していた第二梯隊が前進を開始した。<br />
散発的に小銃や軽機関銃を腰撃ちで発砲しながら、僅かずつではあるが確実に距離を詰めてくる。<br />
ユーリが掩蔽していた弾薬箱には連発砲の砲門の様に無数の穴が穿たれ、やがて敵弾の貫通を許し始めた。<br />
弾帯に付けられた弾嚢はその殆どが空になっており、重量による肩への負担が軽減される代わりにこれ以上の継戦が困難であることを意味していた。</p>
<p>金属片が頬を掠り、細く長い傷を作った。<br />
ユーリは此方を鬱陶しく照らしている揚陸艇の探照灯に向け数発射撃した。<br />
硝子の弾ける小さな破裂音と共に辺りが暗転する。</p>
<p>遊底が後退位置で止まったことを認めると、ユーリは小銃をかなぐり捨て太腿の刀を鞘から抜いた。<br />
錆と反射を防ぐ為の表面加工を施された黒い刀身が、月光の下で異様な鈍い光を放つ。<br />
やがてユーリは身を起こすと、敵の射撃の間隙をついて飛び出した。<br /><br /><br />
右翼にいた支援狙撃手の銃が、保持していた右腕ごと床に落ちた。</p>
<p>「撃て!殺せ!」</p>
<p>苦痛を一切表情に表すことなく、残った左手で腰の拳銃を抜きながら狙撃手が怒鳴った。<br />
その声に淀み無く反応し、兵士達は隊の傍らを走り抜ける黒い人影に向け一斉に射撃を開始する。<br />
投薬と身体改造により並外れた戦闘能力を誇る彼等であっても、背中の雑嚢から暗視眼鏡を取り出し装着するだけの余裕は無かった。<br />
僅かな夜空の光を頼りに、照門を覗くことも無くそれぞれの火線を伸ばす。</p>
<p>ユーリは敵弾筒を持った一人の大柄な兵士の懐に素早く潜り込み、その下顎に刀身を突き刺した。<br />
頭頂部から切っ先が覗き、兵士の体がユーリの肩に力無くもたれ掛かる。<br />
そのまま其れの肩に吊られていた短機関銃を右手に取ると、ユーリは兵士の広い背中を盾にして肩越しに射撃を始めた。</p>
<p>円形の弾倉が激しく回転し、無数の拳銃弾が銃口より吐き出される。<br />
横薙ぎに射線を動かすと、新たに四人程が震えながら倒れるのが見えた。</p>
<p>やがて敵弾の着弾によって、盾にしていた死体が激しく揺れ始める。<br />
吹き飛ばされた脳や臓物、そして大量の血がユーリの外套を凄惨な様相へと変えつつあった。</p>
<p><br />
先程の手榴弾による衝撃で混濁していたリシェクの意識が徐々に鮮明さを取り戻した。<br />
四肢を動かし自分の体が五体満足であることを確認すると、彼は傍に落ちていた小銃に手を伸ばす。<br />
ゆっくりと体を起こし、20m程先にいる何かを睨みつけた。<br />
それはもはや肉塊となった同僚の死体を傍に放り投げると、その周りで動かなくなっていた兵士たちの頭部へ向け発砲を始めた。</p>
<p>リシェクは弾帯に括り付けていた銃剣を抜き、小銃の先に取り付けた。<br />
そのまま震える手で被筒と銃床を握り締め、深く息を吸った。</p>
<p>形容し難い程に野蛮な、かつ獰猛な雄叫びを耳にし、ユーリは身を強張らせた。<br />
故郷で狩猟の際に何度か聞いたことのある音だという錯覚があった。<br />
真っ直ぐに此方へと接近してくる男の姿をその目で捉えた頃には、それはもう目と鼻の先にいた。</p>
<p>重く鈍い発砲音が轟いたかと思うと、その兵士は床にその身を倒れ込ませた。<br />
小銃が転がり、喧しい金属音が立てられる。<br />
背中に背負った人工肺の循環機構の辺りに大きな弾痕が穿たれており、やがて彼はピクリとも動かなくなった。</p>
<p>散乱する大量の死体の向こうに、重機関銃を持ったエルゼの姿が見えた。<br />
細い腕をピンと伸ばし、機関部から煙を上げるその巨大な得物を懸命に保持している。</p>
<p>ユーリは死体を踏み越えながら彼女に歩み寄った。<br />
そのままエルゼの強張った背中に手をやり、その手から重機関銃を優しく離させようとした。</p>
<p>突然眩い光が彼等を照らしたかと思うと、揚陸艇の方から飛んできた一発の噴進弾がすぐ傍らに着弾した。<br />
強烈な爆風によって二人は床に叩きつけられる。<br />
咄嗟にエルゼをその身で掩蔽させた為、ユーリの骨には圧力によって至る所に粉砕や亀裂が生じた。<br />
黒煙が視界を支配し、気管に入った粉塵によって二人は激しく咳き込んだ。</p>
<p>辺りの死体を包んでいた戦闘服が着火し、炸薬の匂いに混じって肉の焼ける有機的な其れが立ち込める。<br />
視界が少しずつ戻ってくると、ユーリは震える瞼を必死に見開き揚陸艇を睨みつけた。<br />
探照灯の一つが復旧されており、収容区画の上にある六連装の砲門が此方へ向け低俗な――しかし明確な殺意を放っていた。</p>
<p>「・・・すまない。」</p>
<p>ユーリはその身を起こし、傍らで蹲っているエルゼの肩に手を置いた。<br />
彼女はやがて振り向き、煤で汚れたその美しい顔をゆっくりとユーリへ向けた。<br />
その瞳には彼を責め立てるような感情は一切表れておらず、寧ろ感謝と安堵の様なものが見て取れる。</p>
<p>完遂とは言えないが、成すべき事は成したという無責任な達成感と諦めがユーリの思考を停止させた。<br />
そのまま、程なく訪れるであろう、苦しみに満ちた自我の終わりに身を任せようとした。</p>
<p>唐突に、揚陸艇の艦橋構造部で立て続けに爆発が起こった。<br />
硝子片や粉々になった機材と共に、船員達の物とみられる血と肉が大量に発着場へと降り注ぐ。<br />
やがて指揮区画と収容区画を繋ぐ爆砕ボルトが誤作動を起こし、さながら巨人が腰を折るような様で船体が分断された。<br />
上部が落下した衝撃で発着場の床に大きく亀裂が入り、割れた石材と共に収容区画がバランスを崩し下界へと滑り落ちていくのが確認できた。<br />
数秒後、とてつもない爆音と共に産業塔が振動し、此処からでも確認できる程に高い煙の柱が上がる。</p>
<p>唖然としている二人の頭上を、一機の戦闘機が擦り抜けていった。<br />
ユーリはその機影を誰よりもよく知り、また並々ならぬ愛着をそれに感じていた。<br />
グランダルヴァはその大柄な体を旋回させると、屈強な着陸脚によって、散乱している金属片や死体を蹴散らしながら発着場へと滑り込んだ。<br />
機首の螺旋榴弾砲の砲身は薄ら赤く輝いており、先程の砲撃が自らによるものであることを静かに主張していた。</p>
<p>ユーリ達が駆け寄ると、操縦席の風防が勢いよく開かれ乗っていた長身の男が翼を介して発着場の床へと降り立った。</p>
<p>「乗れ!さっさと逃げろ!」</p>
<p>ブロンコは立ち尽くす二人に怒鳴った。<br />
彼の飛行服には血痕が至る所に見られ、肩からは負い紐によって散弾銃が提げられている。</p>
<p>「・・・お前、何故?」</p>
<p>ユーリは困惑を隠せない声で尋ねた。</p>
<p>「気まぐれだ。気が変わらないうちに乗れ!」</p>
<p>苛立たし気に航空靴の底を踏み鳴らしながらブロンコは言った。<br />
ユーリは頷き、戦闘機の翼によじ登る。<br />
そのまま後に続いてきたエルゼの体を腕で持ち上げた。</p>
<p>「・・・御嬢さん。少しいいかな?」</p>
<p>ブロンコが下からエルゼに言った。<br />
彼女が翼の上から此方を覗き返したことを認めると、彼は話し始めた。</p>
<p>「今こいつには急ごしらえの制御装置しか載せられてない。装甲も粗悪品だ。」</p>
<p>その言葉に対し、ユーリは後部機関へと目を向けた。<br />
かつて幻惑的な輝きを放っていた特殊加工膜は取り払われており、機関の血によるものであろう汚れが至る所に見られた。</p>
<p>「いつ飛べなくなってもおかしくない。・・・でも、君がいれば何も問題無いはずだ。あいつを手伝ってやってくれ、いつものように。」</p>
<p>エルゼはしっかりと頷き、ユーリに続いて操縦席へと潜り込んだ。</p>
<p>ブロンコが距離を取るや否や、すぐさま密閉式の風防が閉じられ大柄な機体が宙に浮かび上がった。<br />
着陸脚が畳まれると同時に、機首が北東へと向けられる。<br />
そのまま衝撃波を伴いながら凄まじい速さで飛び去って行く様子を、ブロンコは目を細めながら見守っていた。</p>
<p>やがて其れが夜空に溶け込み完全に見えなくなると、ブロンコは辺りで散らばっている燃える死体や揚陸艇の残骸に目を移した。</p>
<p>「・・・参ったね。」</p>
<p>そして近くにあった木箱に腰掛けながら呟いた。</p>
<p><br />
「中尉、何に参ったんです?」</p>
<p>瞼を開けると、天井の白いパネルと此方を覗き込む同僚の顔が見えた。<br />
目を擦りながら上体を寝台から起こす。<br />
居室の窓から、正午の明るい太陽光が差し込んでいた。</p>
<p>「・・・何も。済んだ話だ。」</p>
<p>ブロンコは大きく欠伸をすると、若干の不快感を込めた声で答えた。<br />
人の寝顔を覗き込むのがこの准尉の悪癖であり、それは航空学校にいた頃から続いていた。<br />
いい加減に改めて欲しいと感じているのではあるが、上官に口利きをして自分を帝都防空軍に入れてくれた恩義からそれを伝えられずにいる。</p>
<p>
三年前に起こった「技術省管理被検体7-15号脱走案件」への加担の容疑によって、ブロンコは一時はその身柄を拘束されたものの、結局は証拠不十分として釈放された。<br />
それも、この准尉による虚偽のアリバイ証言による影響が大きい。</p>
<p>この数日、あの日の出来事がよく夢に現れることをブロンコは訝しがっていた。</p>
<p>「・・・いい加減に教えてくれてもいいじゃねぇですか?あの時あんたが何をしたのか。」</p>
<p>准尉は制服に身を包み始めたブロンコに対し、口元をニヤつかせながら言った。</p>
<p>「駄目だ・・・。お前も連中に弄られたいのか?」</p>
<p>その言葉に対し、准尉はあからさまな拒否感をその彫りの深い顔に浮かばせた。</p>
<p>「嫌ですよ!俺は人間のまま死にたい。」</p>
<p>「・・・だろうな。俺もだ。」</p>
<p>ブロンコは窓際へと歩き、繋留搭の下界を眺め始めた。<br />
国境に近いが故の雑多な雰囲気ではあるが、帝都とは全く違ったその健康的な景色が広がっているのが見える。<br />
今回リューリエ・ラントに軍事顧問として派遣された理由には、静養しろという上官達の気遣いもあるのではないかと思える程に、この地はブロンコにとって心地良かった。</p>
<p>「・・・飯はもう食べたのか?」</p>
<p>駐屯地の近くに立ち並ぶ商店の群れの方から立ち込めてきた香ばしい匂いが彼の食欲を刺激した。<br />
思えば九年前に軍に入って以来、日々の基地食に慣れ切った味覚のせいで街に出て何かを喰おうという欲求は滅多に起こらなかった。<br />
帝都の劣悪な空気によるものだったのかもしれないが、今回は久しぶりに首をもたげたその感情に身を任せてみようとブロンコは思い立った。</p>
<p>「まだですよ!行きますか?」</p>
<p>目を輝かせながら同意した准尉の顔は、軍人とは思えないほどに無垢で純粋なものであった。</p>
<p><br />
主に人造肉を用いた料理を振る舞うその店は、駐屯地の正門より歩いて10分程の所にあった。</p>
<p>「街に来てまで合成肉って・・・、どういうことなの・・・。」</p>
<p>そうぼやきながらも、准尉は皿に盛られた料理に喰らい付いていた。<br />
店の中では、まるで統一性の無い恰好をした他の客たちが同じようにそれぞれのテーブルを囲んでいる。</p>
<p>「慣れたものじゃないと腹を壊すかもしれないだろう。それに、帝都の飯よりこれは何倍も旨い。」</p>
<p>ブロンコのその言葉を耳にし、店主とみられる大柄な男が此方へ歩いてきた。</p>
<p>「そりゃあ有難いね、軍人さん。こいつも喜んでる。」</p>
<p>そう言って足元にいた、これもまた屈強な体格をしたクルカの頭を撫でた。</p>
<p>「馬鹿にでかいな、こいつ。名前は何ていうんだ?」</p>
<p>目を丸くしてそのクルカを眺めていた准尉が店主に尋ねた。</p>
<p>「ルーデルだ。ウチじゃあ何世代も前から、飼ってるクルカにはそう名付けてる。」</p>
<p>そう得意気に話す店主の肩越し――店の窓の外に、ブロンコはある人影をみた。</p>
<p>着込んだ外套のフードによって顔は見えなかったが、彼は其れに対し何らかの違和感を覚えた。</p>
<p>「・・・すぐに戻る。待っててくれ。」</p>
<p>ブロンコは二人にそう言うと、店を出て行った。</p>
<p>「あっ、食い逃げか?」</p>
<p>おどけた調子で店主が言った。</p>
<p>「んな訳あるかよ。俺たちゃ操縦士だぞ。金には困ってねぇ。」</p>
<p>准尉が口の中で肉を租借しながら返した。</p>
<p><br />
店の脇の裏路地に入ると、壁に這わされていた太い下水管にもたれ掛るようにして立っているその男の姿がすぐに確認できた。<br />
随分前に付いたのであろう、血痕が至る所で黒く乾いている粗末な灰色の外套に身を包んでおり、両腕で毛布にくるまれた何かを後生大事に抱きかかえている。<br />
フードの中の顔は無造作に伸びた髪と髭によって全容を把握できないほどに覆われていたが、その奥で鋭く光っている碧い瞳には見覚えがあった。</p>
<p>「・・・ユーリ?」</p>
<p>ブロンコは呟いた後に暫く呆然と立ち尽くしていたが、やがて男に歩み寄りその顔を覗き込んだ。</p>
<p>「何で此処にいるんだ?それに、あの子・・・エルゼはどうした?」</p>
<p>尋ねながら、ブロンコは男の肩に手を置いた。<br />
この時初めて、彼は眼前の浮浪者同然の男の顔が病的なまでに痩せていることを認識した。<br />
男は何も答えず、ただ力なく地に座り込んでしまった。</p>
<p><br />
「開けてくれ、すまない!」</p>
<p>ブロンコはユーリに肩を貸しながら、人造肉屋の裏口に回った。<br />
戸を何度か叩くと、先程の店主が驚いた顔でそれを開けてくれた。</p>
<p>「何事ですかい、・・・彼は?」</p>
<p>「友人だ。何か飲む物をくれ。」</p>
<p>ブロンコは裏口に入ると、近くにあった木製の椅子にユーリを座らせた。<br />
程なく店主が瓶入りの水を手に、准尉と共に戻ってきた。</p>
<p>「中尉・・・、まさかこいつが?」</p>
<p>困惑した声で尋ねる准尉には答えず、ブロンコはユーリの口元に瓶を宛がってやった。<br />
しかし彼はただ小さく首を振るだけで水を飲もうとはしない。</p>
<p>「おい、俺が分かるか?」</p>
<p>ブロンコは彼の頬を軽く叩き、その意識を確認した。<br />
僅かに顔をしかめ小さく唸った所から見るに、気は確かなように思われた。</p>
<p>「・・・この子に、何か食べ物を。」</p>
<p>ユーリは抱いていた大きなものをブロンコに預けた。<br />
よく見てみると、それはまだ一つにもならないであろう幼子であった。<br />
ユーリの姿とは対照的に血色は良く気持ちよさそうに眠っていることから、彼が自分の身をよそにしてこの子に施してやっていたことは容易に想像できた。</p>
<p>「エルゼの子か?」</p>
<p>そうブロンコが尋ねるのは無理もない程に、その幼子の目元はかつての被検体である彼女に瓜二つであった。</p>
<p>「・・・そうだ。エルゼと、俺の・・・」</p>
<p>ユーリは激しく咳き込み始めた。<br />
飛び散る唾に混じって、何か赤いものが彼の喉から吐き出されていることにブロンコは気付いた。</p>
<p>「まずい、医者に行かないと・・・」</p>
<p>そう言おうとした彼の手を、ユーリは素早く掴んだ。</p>
<p>「必要無い・・・。このままでいい。」</p>
<p>喉から絞り出すような弱々しい声で話すユーリの顔を、ブロンコ困惑に満ちた顔で眺めていた。</p>
<p>「・・・何があった?」</p>
<p>やがて呼吸が落ち着くと、ユーリは少しずつ言葉を紡ぎ始めた。<br />
三年前に帝都を脱出した後バセンとの境界に近い村落に身を寄せたこと、そこでの幸福に満ちた仮初の暮らし、やがて彼らが子をもうけた事をユーリはゆっくりと、静かに語った。</p>
<p>「・・・彼女は、今も生きてるのか?」</p>
<p>「半年前になる。・・・流行り病だ。幾ら強靭な幹細胞を持っていても、病には勝てなかった。俺の腕の中で・・・、笑いながら・・・」</p>
<p>既に枯れ果てたと言わんばかりに、話し続けるユーリの眼には僅かな涙も浮かんでいなかった。<br />
対照的に、その声は聞く者の心を抉るほどの悲壮感を湛えており、いつの間にかブロンコは自らの両目から涙が止め処なく溢れていることを認めた。</p>
<p>やがて、ユーリは椅子に座ったまま意識を失った。</p>
<p>「あぁ、クソッ。どうすればいい!?」</p>
<p>ブロンコは力なく俯く旧友を前にして、子供の様に喚き始めた。<br />
それに感応するかのように、腕の中の幼子が泣き声を上げ始める。</p>
<p>「落ち着け、軍人さん。・・・俺はちょいと変わった職でね、やれるだけのことはしてやるよ。」</p>
<p>見かねた店主がブロンコから幼子を抱きとり、奥の部屋へとユーリを運ぶよう促した。</p>
<p><br />
「耳目省・・・ってのを聞いたことあるかい?」</p>
<p>店主は泣き止んだ幼子を気遣うように、抑えられた声でブロンコに尋ねた。<br />
既にユーリの体は寝台に横たえられており、その右腕には何らかの薬剤の点滴針が刺されていた。</p>
<p>「・・・国の情報機関だろう、あんたはそこに?」</p>
<p>ブロンコは怪訝そうな顔で尋ね返した。</p>
<p>「まぁ、端的に言えばそういうことだ。実際はちょいと複雑なんだがな。・・・いずれにせよ、俺はこの男の案件も知ってる。」</p>
<p>店主は幼子を、クルカの物であろうか箱型の小さな寝台に寝かせた。</p>
<p>「・・・こいつをどうするつもりだ?」</p>
<p>ブロンコは名状し難い不安感をその瞳に浮かばせながら言った。</p>
<p>「どうもしないさ。・・・恐らくこの男はもう長くない。長いこと荒野を彷徨ってたんだろうよ。敗血症も起こしてる。」</p>
<p>店主は作業机の椅子に腰掛けながら淡々と言った。</p>
<p>
「それよりもこの子だ。戸籍も無ければ、ましてや人間かどうかも疑わしい。・・・あんたはこの子を養う気でいるんだろうが、難しいぞ。一軍人風情にはな。」</p>
<p>話し続ける店主をよそに、いつの間にか部屋に入った例の大きなクルカが、眠っている幼子を机の上から不思議そうに眺めている。</p>
<p>「・・・じゃあどうすればいい?」</p>
<p>今にも再び泣きだしそうな顔でブロンコは店主に言った。</p>
<p>「簡単だ。あんたがウチに来ればいい。・・・別に操縦士と掛け持ちでも今は問題無い。いい話じゃないか?」</p>
<p>店主は事も無げに言ってのけた。</p>
<p>「中尉・・・!自分も、・・・」</p>
<p>傍らに居た准尉が唐突に口を開いた。</p>
<p>「駄目だ。・・・お前言ってただろう、人間のまま死にたいって。」</p>
<p>静かに答えたブロンコに対し、准尉はその後の言葉を飲み込んでしまった。</p>
<p>「・・・さて、どうするかね軍人さん。親友の子の為に毒蛇の巣に飛び込む勇気はあるか?」</p>
<p>ブロンコは伏せていた目を真っ直ぐに店主の顔に向け、しっかりと頷いた。</p>
<p>「いいだろう。・・・耳目省へようこそ。」</p>
<p>店主はそう言うと、クルカと共に部屋を出て行った。</p>
<p><br />
その夜、ブロンコは准尉だけを駐屯地に戻らせ、自らは眠ることなくユーリの傍らに座っていた。</p>
<p>自分は三年前、否、五年前に彼に対し如何に振る舞うべきだったのか。<br />
その疑問だけがブロンコの脳の中を回り続けている。</p>
<p>「・・・良い空だ。青い。初めてあいつと飛んだ日を思い出す。」</p>
<p>横たわっていたユーリが、窓の外の夜空を眺めながら呟いた。<br />
弱り切った彼の感覚神経では、漆黒の其れも美しい青空に見えるのであろう。</p>
<p>「良いな。凄く良い。」</p>
<p>悲しみの極みか、今やブロンコの頭の中にも彼と同じような景色が広がっていた。</p>
<p>「迷惑をかける。・・・俺に会ったばかりに。」</p>
<p>全く悪びれたような調子も見せずにこのような文言を連ねるのは、ユーリの昔からの癖であった。<br />
ある日ヒグラートで彼が誤って放った機銃弾が自分のグランビアの右翼を貫いた際にもこうして謝罪されたことを思い出し、ブロンコは思わず苦笑した。</p>
<p>「気にするな。・・・それより、あの子に名前はあるのか?」</p>
<p>例の小さな寝台で寝息を立てている幼子の方を見やりながら、ブロンコは尋ねた。</p>
<p>「当たり前だろうが。無い訳がない。」</p>
<p>僅かに笑いながらユーリは答えた。</p>
<p>「そんな言い方をしなくてもいいだろう。・・・で、どんな名だ?」</p>
<p>一瞬だけ若干の憤怒を覚えたが、やがてそれは抱えていた悲壮感と混じり合い、一時的な心の平穏をブロンコに与えた。</p>
<p>「エルヴィラだ。エルゼが付けた。・・・何処かの湖の名前らしいが、俺はよく知らない。」</p>
<p>そう答えるユーリの碧眼はどこか遠い所にある何かを優しく見つめていた。</p>
<p>「・・・エルヴィラ、か。俺も聞いたことは無いな。今度誰かに聞いといてやるよ。」</p>
<p>ブロンコは、あたかもそれが成就されることであるかのように言ってのけた。</p>
<p>唐突に、ユーリは寝台から上体を起こした。<br />
そのまま細い指を生やした手でブロンコの上腕を掴んだ。</p>
<p>「あの子を、生かしてやってくれ。あの子だけは生きねばならない。」</p>
<p>こうした芯の太い彼の声を聞くのはいつ以来であろうか。<br />
ブロンコは若干の戸惑いを見せたが、やがて息を吸い込むと自らもしっかりとした声で彼に答えた。</p>
<p>「分かった。必ずあの子を育て上げる、安心しろ。」</p>
<p>最後まで聞こえていたのか定かではなかったが、ユーリは再び目を閉じその意識を霧散させた。</p>
<p>ブロンコが彼の口元に手を当てると、既に呼吸は止まっていた。<br />
微塵の悲哀や苦痛を感じさせないその安らかな死に顔は、さながら宗教絵画の肖像の様にブロンコの目には映った。</p>
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<p>ユーゲンが語り終えた時、装甲板の穴からは日の出の淡い光が筋となって差し込んでいた。<br />
既にリシェクとカイの煙草の箱は空になっており、彼らは口寂しそうに火の消えたシケモクを咥えている。<br />
話の途中で、自分の分を切らしたユーゲンに要求されるがままに手渡していたのが一つの要因であった。</p>
<p>毛布の上に体を横たえたダレルが、必死に何かを思案しているのが見て取れた。<br />
ユーゲンに対し何らかの言葉を掛けてやるべきであるとの義務感からであろうが、話し終えた彼女はどこまでも落ち着き払っており、その必要性は無いように思われた。</p>
<p>「あれ、あんたいつの間に起きたんだ。痛みはあるか?」</p>
<p>カイがダレルの顔を覗き込みながら尋ねた。</p>
<p>「・・・大分マシになった。心配無い。」</p>
<p>「心配なんざハナからしてねぇよ、おっさん。」</p>
<p>そう言ったリシェクの表情には、言葉とは裏腹に大きな安堵が感じられた。</p>
<p>「・・・さて、何か質問はあるか?」</p>
<p>ユーゲンは穴から漏れる朝日に対し目を細めながら傭兵たちに尋ねた。<br />
彼らは暫く互いに顔を見合わせ無言で何かを相談していたが、やがて揃って口を開いた。</p>
<p>「なし。」</p>
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朝日の方角、東から小さな生体音が聞こえ始めた。</p>
<p>「ようやく来たな。迎えだ。」</p>
<p>ユーゲンの言葉通り、その音は紛れもなく傭兵達の汎用戦闘艇のものであることが分かった。<br />
やがて彼らは天井の装甲版をめくり、朽ち果てた生体機関の殻の外へと這い出る。</p>
<p>逆光の元、その見るからに鈍重そうな姿を晒す船体は、言葉では表し様の無い安心感を傭兵たちの心に与えた。<br />
上部銃座からはマイヤーとみられる兵士が、その太い腕を此方へ向け必死に振っているのが見える。</p>
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カイが軽快なステップを踏みながら、見るからに嬉しそうに、荘園に降り立った戦闘艇へと向かっていく。<br />
それに続くように、残りの四人がゆっくりと歩き出した。</p>
<p>「・・・どうしたの?変な顔して。」</p>
<p>リシェクと共にダレルに肩を貸していたレフラが怪訝そうに言った。</p>
<p>「いや、さっきは言わなかったがね。・・・あの帝都の話の辺り、親父に似たようなのを聞いた気がするんだよ。」</p>
<p>何かを思い出そうと眉間に皺を寄せながら、リシェクが答えた。</p>
<p>「まさかぁ・・・。有り得ないでしょ。」</p>
<p>さも馬鹿らしいといった調子でレフラが言うと、彼は自分を納得させるように何度か頷いた。</p>
<p>「・・・うん、そうだ。有り得ん。」</p>
<p>戦闘艇の操舵席から、此方へ向け出迎えのサインを送るカルラの姿が確認できた。</p>
<p>「ほら、さっさと帰るぞ。風呂が待ってる。」</p>
<p>ユーゲンが振り向いて傭兵たちに言った。</p>
<p>彼方の山頂で輝く太陽が、今の彼等にとっては何よりも神聖なものである様に思われた。</p>
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