『覆面部隊』

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『覆面部隊』 - (2018/02/15 (木) 12:17:36) のソース

<p> <span style="color:#A52A2A;"><strong>操舵手ヘボンの受難#35</strong></span>『覆面部隊』</p>
<p> </p>
<p> ニールに肩を抱かれながら連れて行かれたのは、レリィグ上部に連なる装甲板を張り付けた様な円状テントの内の一つの酒保であった。<br />
   中に通されると昼間からでもある程度の騒がしさが場を満たしていた。<br />
 
 通路を歩いている際に彼に聞かされたが、ヨダ地区へと向かうこのレリィグは緊急時以外はほぼ止まること無く走行しており、よってこれを護衛する部隊は3つの部隊による三交代に寄るものらしい。<br />
 
 ニール自身は今までの輸送艦艦長の経験が買われているために、護衛部隊の所属では無く物資の管理を任されたらしいが、彼の前歴を踏まえれば一番任せてはいけないような職務の様な気もする。</p>
<p> 「お前は深夜帯の配置になってる。まぁ、何日も寝てたんだから、我慢しろよな」</p>
<p> 彼はそう言いながら、酒保内部の椅子に脱力しきったヘボンを下ろしながらそう言った。<br />
   ヘボンは力の抜けた顔で彼の顔を見上げながら、ぼんやりと酒保内の様子を見上げた。<br />
   酒保と言うだけあって随分広く出来ており、更にヘボンとニールが入った所から左手には後ろのテントへと続く通路口が見える。<br />
   円状の室内ではあったが、丸い椅子とテーブルが組で4つ事に配置されていた。<br />
   部屋の隅に酒保物品を積まれ、円状の壁に沿うようにして作られた箪笥の様な物が設置されている。<br />
   その箪笥の横に小さな椅子があり、そこに酒保物品の管理をしているのか、年配の短い白髪を生やした、ある程度丸い体躯をした小柄な男が座っている。<br />
   彼は地味な朱色をしたズボンを履いて、上には少し弛んだ胸筋がみっともなく形取られている紺色のシャツを着ていた。<br />
   衣服の特徴からしてこの男が空軍の所属では無く、帝国陸軍の者であるとヘボンは薄らと思いながら椅子に深く座った。</p>
<p> 「まだ、出るには何時間もあるだろ。何か飲むか?」</p>
<p> ニールは椅子に腰掛けたヘボンを立って見下ろしながら提案したが</p>
<p> 「いや、いい。ついさっき中佐殿に食事と一杯貰ったところだ」</p>
<p> ヘボンはそう言って脱力した顔を俯かせながら手を振った。<br />
   それを見てニールは皮肉げな調子にヒュっと口笛を鳴らしてみせ</p>
<p> 「随分と買われてるんだな。次は弁当でもくれるんじゃぁないか?」</p>
<p> ニヤニヤとした笑みを浮かべたが、ヘボンはそれについて言い返すような気力すら湧かなかった。<br />
 
 女の涙に負けたと言えば良いのか、上手く言いくるめられたと言えばいいのか、この先程から被っている覆面じみた飛行帽が飼いクルカに嵌められる首輪と同義のような物に思えてきた。</p>
<p> </p>
<p> 「俺の酒を返せ!」</p>
<p> ふと飛行帽を一旦脱ごうと、ヘボンが指を掛けた時に、不意に酒保の隣のテントへ繋がる通路口から怒声が響いてきた。<br />
   特徴のある濁声にヘボンは耳を覆った飛行帽越しでも声の主が『ミュラー曹長』であることが判るまでに、ここ数日間の間に彼の声が耳にこびり付いていた。<br />
 
 一体何事かと、ニールと共にヘボンは重い体を椅子から起こして通路口を覗くと、隣のテントにて椅子の上で丸々とした体を揺らしながら、ミュラー曹長が対の椅子に座っている女性に怒鳴っていた。</p>
<p> 「お願いですから…、護衛が終わるまで酒は止めてください。酔っ払って機体を墜とすつもりですか?」</p>
<p>
 そう静かに諭すようにして、ミュラーの対の席の女性は彼が幾ら怒鳴ろうと微塵も怯む様子も見せずに、彼の手から酒瓶とグラスを自身の方へ引き寄せていた。</p>
<p> 「構いやしねぇ。俺がどんな苦労をして、ここまで来たかお前さんにはわからねぇだろ」</p>
<p>
 ミュラーはそう言いながら、再度酒瓶を引き寄せようとしたが、彼女はそれを断固として防いでいる。その強固な姿勢にミュラーは負け惜しみのように恨めしげな顔を彼女へ向けたが、それ以上に彼女は絶対に彼に酒は渡してなるものかと、諭すような口調とは裏腹に随分と意地の悪い顔をして見せた。<br />
   その意地の悪い顔の頬が不気味なまでに痩せこけ、綺麗に垂れる長い黒髪を見て、酒瓶の奪い合いを通路から見ていたヘボンは、彼女が誰であるのか判った。<br />
   確か、トゥラーヤ級を襲撃した際に作戦に同行し、アルバレステア級にも突入したラーバ中佐の副官らしい『フレッド准尉』だ。</p>
<p> 「…別に、貴方の苦労について詮索するつもりはありませんが…。酒を飲ませるつもりもありません…」</p>
<p>
 フレッド准尉はそうミュラーを静かに睨み付けながら、意地が悪いと言うよりは恐ろしいまでに極悪な笑みを浮かべていたが、ふとヘボン達の視線に気付いたのか視線を此方に向けてきた。</p>
<p> 「随分と芝居がかった姿になりましたね…」</p>
<p> そう呟きながら、彼女は微笑を浮かべ、その様子にミュラーも此方に気付き丸く太い体を意外と素早く此方へ向けた。</p>
<p> 「よぉ。お目覚めな様だな、軍曹…いや、特務曹長」</p>
<p> まだ怒りが収まらないのか、彼の顔にはまだ不機嫌な色があったが、それでも彼は鋭くヘボンの軍服の階級章に目がいった。</p>
<p> 「思いもしない、昇格であります」</p>
<p>
 ミュラーにそう言われると、少し誇らしげな気分でヘボンはわざとらしく敬礼をして見せたが、それに対して彼は笑みを浮かべながら自身の胸の方を指差した。<br />
   そこには明らかに曹長階級を示す物とは違う階級章があった。</p>
<p> 「俺様に勝ったつもりでいやがるな?だが、そうはいかねぇ。こちとら将校に復帰だ」</p>
<p> 彼の膨らんだ胸には『少尉』の階級を示している階級章があった。<br />
   全く意味の無い昇格だとヘボンは思っていたが、この事態により一層『特務曹長』の階級章は何の意味もないように思えてきた。</p>
<p> 「…私よりも目上なんて、世も末ですよね…」</p>
<p> 自慢げに胸を張るミュラーを尻目にフレッド准尉は、さも嫌みったらしく此方へ同意を求めるように呟いた。<br />
   勿論その呟きは近距離からであったし、わざとらしさもあってしっかりとミュラーの耳には届いていたが、彼は豪快に笑ってそれを掻き消した。</p>
<p> 「まぁ、階級なんてここじゃどうでもいいことだ。それよりも曹長。なんでまた飛行帽を被ってやがる?お前の配置は夜だぜ?」</p>
<p> 「中佐殿の命令であります」</p>
<p> 「なるほど。確かにその方が具合が良いだろうな。他の連中と顔を合わせりゃ揉めかねねぇ」</p>
<p> 不服そうにヘボンは受け答えをしたが、ミュラーの方はさも納得したように頷いた。<br />
   そんな失礼な様子にヘボンは困ったような顔をマスクの内で浮かべたが、ふと視線を逸らすとフレッド准尉まで静かに頷いている。</p>
<p> 「…改めまして、よろしくお願いしますね…ワトキンス曹長。『アルフレッド・ビェイギス』です…」</p>
<p> 准尉は静かにそう名乗った。<br />
   改めて彼女の本名を聞くのは初めてになる。<br />
   常に陰気そうな笑みを浮かべている彼女であるが、名乗る際にはそれが余計に引き攣っているようにも見えた。</p>
<p> 「フレッドはお前の護衛配置と同じだ。精々仲良くやんな」</p>
<p> ヘボンが准尉に対して敬礼する傍らで、ミュラーが皮肉げに横槍を入れた。</p>
<p> 「折角だから、機体のとこまで案内してやれよ」</p>
<p> 彼はそう准尉とヘボンの退室を促した。<br />
   准尉はミュラーに対して咄嗟に何か口答えをしようとしたが、この時ばかりはミュラーの胸に確かに付けられている『少尉』の階級章が嫌らしく光って見えた。</p>
<p> 「…了解しました。ミュラー少尉殿…さ、ワトキンス曹長。付いてきなさい」</p>
<p> 彼の階級章から鈍く放たれる光から目を逸らすようにして、静かにフレッド准尉は立ち上がりヘボンに同行するように促してきた。<br />
   彼としてはまだ体を休めていたかったが、上官の命令とあれば仕方なく、ニールに軽く手を振りながら酒保を後にした。<br />
 
 しかし、ふと尻目に退室する間際に後ろを見ると、フレッド准尉を追い払う事に満足したのか、早速ミュラー少尉が酒の注がれたグラスを思いっきり煽っている様が映り、それに合わせるようにニールも少尉と同じく酒を煽り始めていた。</p>
<p> </p>
<p> 「…曹長、貴方にはこの護衛部隊のコアテラ隊に所属して貰います。…何せ、攻撃してくるであろう地上部隊は幾らでもいますからね…適任ですね」</p>
<p> レリィグ上部の通路をゆっくりと歩きながら、フレッド准尉は静かに言った。<br />
   背後に付き添って歩くヘボンは無言で頷きながら、視線を准尉の背中から外へ移す。<br />
   レリィグと併走しているヴァ型の部隊が見えている。<br />
   ラーヂ達の草原の背景と混ざるような迷彩が施された物と、朱色の帝国陸軍正規の物。<br />
   そして、中佐が言うには機体ごと投降してきたという黒翼隊所属であった物。<br />
   特に後者のそれは嫌でも目について、ヘボンは不安げな視線を投げかけていた。<br />
   それに気付いたのか、ヘボンが視線を准尉の背中に戻す頃には彼女は此方へ顔を半分向けて立ち止まっていた。</p>
<p> 「…この巨大な長蟲を護るためには、飛行戦力だけでは心許ないですからね…。中佐は様々な地区から兵と機体を雇いました…」</p>
<p> 准尉の声音は常に静かだったが、低く透き通る様な声でヘボンに何処か不気味な気配を感じさせる。</p>
<p> 「私は元より…囚人兵の出ですから…関係ありませんですけどね…」</p>
<p> その不気味な声音で言葉を切りながら、彼女はまたゆっくりと歩き出したので、ヘボンはその後に付いていく。<br />
 
 覆いの無い剥き出しの通路では、リューリア草原地帯独特の風が吹き荒び、ヘボンの首に掛かっている飛行帽の留め具がカチカチと揺れて不快な音を立てている。<br />
   前に立って歩いている准尉の黒髪も軍帽から溢れだし、乱れながら舞っていた。</p>
<p> 「私も貴方も、所詮は使い捨てですが…長生きしないといけませんよ…」</p>
<p> 彼女は憂いを帯びた口調のまま、まるで独り言のように呟いた。<br />
   その独り言を静かに聞きながら、ヘボンはなんとも言えぬ哀愁を彼女から感じとる頃には、機体を納めているレリィグ後部の整備倉へ付いていた。</p>
<p> </p>
<p> 整備倉の内部は長方形に角張った形状をしており、3つほどの倉を連立している為に縦に奥行きがある。<br />
   屋根は折りたたみ式になっており、機体を出し入れする際には壁に備えられているレバー操作で屋根を開閉するらしかった。<br />
 
 そして、案内された整備倉には3機のコアテラが納められており、入り口手前のコアテラが今の今まで死線を共にしてきた愛機とも呼べるソレと、ヘボンはすぐに気付いた。</p>
<p> 「…護衛とはいえ、完全武装で挑んで貰います…。この長蟲を襲う者は何人たりとも生きて返さぬ…と言うのが、中佐殿の命令です…」</p>
<p> 思わず愛機へと歩み寄ったヘボンの背後から、准尉は静かに言った。<br />
 
 確かに彼女の言ったとおり、産業塔から命からがらに飛んで逃げてきた際には武装の大半を取り外されていたが、今目の前にある機体には再び、厳つい『38連発機銃』6丁と『対地対艦噴進砲』2門が取り付けられていた。<br />
 
 漸くまともな装備をして貰ったと、どことなく機体からは誇らしげで満足げな雰囲気すら伝わってくるが、だとしても此から相手をする機体の事を考えれば、何を付けても不安は拭えそうにない。</p>
<p>
 「…あくまで強襲艇部隊には地上目標にだけ集中して貰います…本来はそうなんですけどね…強襲艇の護衛と敵戦闘機などの相手は私どもが引き受けますので…」</p>
<p> まじまじと機体の武装を確認するヘボンに対し、准尉は整備倉の壁に寄りかかる。</p>
<p> 「…部隊?」</p>
<p> ただ、彼女の言葉にヘボンは少し面を喰らったように振り向いた。</p>
<p>
 「えぇ、そうです…。…そもそも、駆強襲艇は徒党を組んで地上目的などを攻撃するのがお役目なのをお忘れで……あぁ、そういえば貴方は夜間強襲艦の所属でしたものね…失礼しました…」</p>
<p> 「いえ、コアテラの運用については知ってはいますが、『部隊』と聞いたので…。コアテラにおいての編隊飛行の経験は私にはありません」</p>
<p> 「…その点については安心してください…。強襲艇部隊の隊長は『ニベニア准尉』ですから…先日に一度貴方と訓練を為さっているはずです…」</p>
<p> 彼女はわざと言葉を切るようにして、説明した。<br />
 
 確かに『夜虫弾』の慣熟訓練の際に編隊飛行の訓練を一度だけ行ったが、ニベニア准尉自身については通信の声を聞いたのみで、どのような人物であるかは知らない。</p>
<p> 「…大ベテランですよ…彼は…」</p>
<p> フレッド准尉は静かに言いながら、口端を不気味に吊り上げて見せた。<br />
   どうやら、彼女には不気味な表情を相手に見せる天性の才があるらしい。<br />
   それについて自覚があるかどうかはわからないが、ただヘボンの背筋を薄ら寒くさせるだけの威力はある。</p>
<p> 「大体の事は彼が実地で教えてくださいます…。時期に来ますから待機していてください…それでは…私はこれで…また、会いましょう、曹長」</p>
<p> 彼女は静かにヘボンの飛行帽越しの目を見据えるようにして一瞥してから、静かに整備倉を後にした。</p>
<p> </p>
<p> 不気味な彼女が退室すると、ヘボンはガランとした整備倉内へ残された。<br />
   少し安堵感を覚えたヘボンは暫くの間、愛機の回りをグルグルと回って点検をしていた。<br />
   幸い、このレリィグのまだ見ぬ整備員達は腕が良いのか、しっかりとヘボンが恐ろしい悪夢を体験している間にしっかりと彼女を介抱していてくれたらしい。<br />
   今までの死線で被った数々の銃創痕が、完璧と言っても良い状態にまで回復していた。<br />
   機体は整備倉屋根が展開すると同時にワイヤーが取り外される仕組みとなっているらしく、半ば吊されるような形で収まっている。</p>
<p> 「また、会ってしまったね」</p>
<p> ヘボンは先程のフレッド准尉の言葉を借りるようにして、愛機へ向かって小さく呟いた。<br />
   ここまで来てしまうと異常なまでの愛着と言えば良いのか、機体との奇妙な縁を彼は感じている。</p>
<p> 「どれ、中もちゃんとしているか見せてくれ」</p>
<p> そう態とらしいまで丁寧に彼女に小さく言ってから、ヘボンは機体側面の梯子を昇って銃座へ上がっていき、中を覗いた。</p>
<p> 「おや?」</p>
<p> すると、ふと間抜けな声が出た。<br />
   コアテラ上部の銃座内に置いて、何か蠢く物を見つけたのだ。<br />
   一瞬、言いしれぬ物を感じたが、その蠢いた物はヘボンの死線に気付くと徐に身を起こして此方に視線を向けていた。</p>
<p> 「何故、君がここにいるんだ?」</p>
<p> ヘボンはその蠢いた者へ声を掛けた。<br />
   蠢いた者は彼の言葉に応えるように、薄暗い整備倉天井脇に設置された照明の灯りにその無表情な顔を照らし出させた。</p>
<p> それは『ヨトギ』と言う名のラーヂの少年だった。</p>
<p> 先日にラーヂ達の穴蔵の中で祈祷師達へ昏倒させられて以来の再会である。<br />
   ヘボンは飛行帽越しに困惑の表情を浮かべたが、彼は無表情なまでに此方をじっと見ていた。</p>
<p> 「…」</p>
<p> 無言のままに彼は銃座の縁へ身を寄せて、ヘボンがコアテラの操縦席の様子を見ようとしているのを察してか、通じる空間を確保した。</p>
<p> 「君も傭兵になったのか?」</p>
<p> 「…」</p>
<p> ヘボンの質問に対して、少年は何も答えずにただ沈黙を返してくる。<br />
   もしかすると、彼は言葉がわからないのかもしれない。<br />
   改めて思い返してみれば、彼はラーヂの穴蔵の中に置いても一言も言葉を発しなかった。</p>
<p> 「困ったな」</p>
<p>
 彼のあまりに無愛想な沈黙と対峙して、ヘボンは困惑しながら梯子から動けなくなっていた。言葉も通じぬ異国人が、銃座にずっと居座られていては、何かと困ってしまう。<br />
 
どうにかして彼を銃座から退去させるためにはどうしたものかと、ヘボンが思案していると、整備倉の扉が開く音がして、何人か倉内へ入ってくるのを見て取った。</p>
<p> </p>
<p> 整備倉へ入ってきたのはどうやら、ここにあるコアテラの搭乗者達であると思わしく、皆一様に飛行帽を被っていた。<br />
 
 きっと、この中に強襲艇部隊の隊長である『ニベニア准尉』が居るのだとヘボンは思い、彼等に相談してヨトギを退去させられないか相談しようと、一旦ヘボンは梯子を下って整備倉の入り口へと向かった。</p>
<p> 「失礼します。この度、強襲艇部隊に配属しました。ヘボン・ワトキンス特務曹長であります…隊長殿は?」</p>
<p> 入り口付近で何やら雑談している飛行帽の一団へ、ヘボンは歩み寄ってそう敬礼した。<br />
 
 しかし、ヘボンと向かい合った彼等は此方を見るには見たのだが、特に言葉を発するわけでも無く、各々の飛行帽についたレンズを鈍く光らせるのみで、暫し沈黙がまた流れた。<br />
   飛行帽を被った者はヘボンも含め、五人であり、飛行帽と一口に言ってもその装飾は区々であった。<br />
 
 精々、帽子の配色が朱色に統一されているのみで、一般的な形でレンズが対で二つあるものから、何故か8つのレンズが左右に配置された変わった飛行帽を被っている者もおり、挙げ句の果てには、縦横無尽に複数のレンズが飛行帽から突きだした、帝国人的センスで言っても独特な物を被っている者もいる。<br />
   ヘボンがこの奇妙な一団に対して、困惑を覚えると、その内の一人が彼の前に進み出て敬礼を返した。</p>
<p> 「やぁ、君が例の…」</p>
<p> 進み出た者は一般的な左右対レンズであるが、飛行帽の後頭部にホースが取り付けられた形状をしていた。</p>
<p> 「やはり、被っていたな。俺の言ったとおりだ」</p>
<p> その進み出た者の背後に居た誰かがくぐもった声を出したが、口の動きがわからない飛行帽集団では誰が喋っているのか判然としない。</p>
<p> 「…ラーバ家の家紋だ。中佐子飼いの操縦手か」</p>
<p> 「いや、聞いた話じゃ、元は第三艦隊の所属らしいぜ」</p>
<p> 「なんで、そんな奴がここにいる?」</p>
<p> 「さぁな、武勇伝は本人から聞こう」</p>
<p> ヘボンの前に進み出た者の背後で、口々に飛行帽達が囁き会っている声が、ヘボンの耳には聞こえてきたが、やはり誰と誰が話しているのかよくわからない。</p>
<p> 「静かにしてくれ。僕は、特務曹長と話しているんだ」</p>
<p> 少々五月蠅くなってきた囁き会いを、進み出た者が手で制して、ヘボンへ向き直った。</p>
<p> 「失礼したね。僕が隊長のニベニアだ。…先日は随分と世話になったね。ロイスの弔い合戦もして貰って…」</p>
<p> 進み出た者は名乗りながら、くぐもった声ながらも悲しい声音を少し響かせた。<br />
 
 彼が言うロイスとは、夜虫弾の慣熟訓練中に強襲を仕掛けてきた、今は亡きグレイソン大尉に撃墜された少尉の事だと、ヘボンは無表情な飛行帽の布越しに回想した。<br />
   彼は大尉の乗ってきた、以前の乗機であるグランミトラに墜とされた。<br />
   闇夜の中で激しく炎上して落ちていったロイス少尉のコアテラが、ぼんやりと脳裏に思い浮かぶ。</p>
<p> 「様々な偶然も重なっただろうが、君と共に戦えるのは光栄だ。よろしく頼むよ。…そうそう、同僚をご紹介しよう」</p>
<p> ニベニアはまだ若い印象を声から感じられた。<br />
   身長はヘボンよりも若干小さいが、体格は兵士らしくある程度引き締まっている感じを飛行服越しに見て取る。</p>
<p> 「僕の機の銃座手を勤める『バギャ伍長』だ」</p>
<p> 彼が背後に立っていた者を一人紹介した。<br />
   バギャ伍長と呼ばれた者は自ら一歩前に歩み出て、此方へ敬礼する。<br />
   背はヘボンより僅かに高く、こちらと同じように細い体は何処か頼りなく。<br />
   熾烈な銃座上の任務において適任であるかは疑われたが、ヘボン自身が文句を言える身でもなかった。</p>
<p> 「…バギャです」</p>
<p> 敬礼をしながらバギャ伍長は飛行帽越しに静かに分かりきった事を言った。<br />
 
 落ち着き払った声であり、如何にも冷静そうな印象を受けるが、それとは対照的に被っている飛行帽の装飾といえば、荒々しいまでに細い針が幾つも飛び出している。<br />
   大方何かのお守りでも兼ねているのだろう。<br />
   前線の操縦手の飛行帽は地域性があり、独特だ。</p>
<p> 「そして、僚機の『ヘンシェルデ兵長』と『グゥデミナ伍長』だ」</p>
<p> 続けてニベニアが紹介すると、彼の後ろの物が二人軽く挨拶をした。<br />
   二人とも良く似た飛行帽を被っているが、お互いに見分けるためか左右それぞれに角があるような形状をしていた。</p>
<p> 「此方こそ、よろしくお願いします…ところで、准尉殿。自機の銃座手は何処でありますか?」</p>
<p> ヘボンは丁寧に敬礼を返しながら、同僚達に目をやった。<br />
   飛行帽のレンズは鈍い光を放っており、目つきすら伺えなかった。</p>
<p> 「銃座手…。それなら、既に銃座からこっちを見ているじゃないか」</p>
<p> ヘボンの質問に対して、ニベニアは指を上に指してみせた。<br />
   差された方へ目をやると、ヘボンのコアテラの銃座からヨトギが此方を見下ろしている。<br />
   少々若干身を震わせているような様子が伺えるが、確かに異国人から見ればこの飛行帽集団は異様に見えるかもしれない。</p>
<p> 「…?准尉殿。失礼でありますが、彼は兵士なのでありますか?」</p>
<p> 「いや、よくわからない」</p>
<p> ニベニアの回答に困惑したヘボンは続けて質問をしたが、彼の返答はサッパリとはしていたが内容は無かった。</p>
<p> 「それはどういう意味でありますか?」</p>
<p>
 「いや、本当に彼についてはよくわからないんだ。何せ、帝国の言葉も話さないし、それどころかラーヂ達の言葉すら理解しているのか怪しい。二日前に曹長を回収した際に付いてきたんだが、何故付いてくるのか、目的はなんなのかも話さないんだ」</p>
<p> 「そんな人を何故、銃座手に?」</p>
<p>
 「人が足りてないからさ。傭兵を志願してきたラーヂ達は皆ヴァ型や歩哨になっているし、中佐が連れてきた我々の様な者は、それぞれにちゃんと兵種に分けて配置されているからね。曹長の銃座手だけは確保出来なかったんだ」</p>
<p> 「それは困るであります。彼は銃器を使えるのかすらわかっていませんし、そもそも指示すら通じるのか…」</p>
<p> ヘボンは困ったようにもう一度、コアテラの銃座を見上げた。<br />
   そこには依然としてヨトギが此方を睨んでおり、警戒する野生生物のような唸り声すら上げている。</p>
<p> 「確かに文明人ではないかもしれないけれど、ここに居る者は総じて野蛮人だよ」</p>
<p> ニベニアは肩を竦めながら、困惑するヘボンに対し同情するような視線を向けた。</p>
<p> 「何度か飛べば、幾らかの事は通じるようになる筈さ。昔に色々あって捕虜と最前線を飛んだ事があるけど、僕はこうして生きているしね」</p>
<p> 彼はそうケラケラと笑いながら、ヘボンの高い肩にポンと手をおいた。<br />
  それに対してヘボンは飛行帽越しに引きつった笑みを返すことしか出来なかった。</p>
<p> </p>
<p> 暫くの間、新たな同僚達と話を打ち合わせると、護衛を担当する深夜の時間帯になる前に飛び立つ事が決まった。<br />
   現在、ヘボン達が乗っているレリィグの周囲には数機のヴァ型が並走して護衛しているが、空には護衛機としてマコラガが二機護衛と周辺警戒に当たっている。<br />
   先程の中佐は心許ないと言っていたが、これだけの護衛兵力はそこらの辺境貴族を遥かに上回るほどに強力に思えた。</p>
<p>
 「レリィグの周辺警護のみであれば、この数でも十分事足りるんだけど、問題はレリィグが鈍重な事なんだ。元から早い輸送車両ではないけれど、それに加えて通常以上の物資・機体・人員を収容している訳だから余計に遅くなる。その為、進行方向に待ち伏せをされると不味いので、現在は先行したヴァ型が3騎とバルソナ攻撃機1機とマコラガ護衛機2機の編成部隊がレリィグの進行方向の遥か前方へ偵察に向かっている。僕達はその飛行部隊の交代として偵察任務に加わる」</p>
<p> 「随分と物々しい数でありますな」</p>
<p>
 「仕方ないよ。何せ、相手は黒翼隊だ。使えるものは病人だろうが病気の生体器官だろうが、使えるならなんでも持ち出してくると僕達の間じゃ評判だからね」</p>
<p> 整備倉内の隅に物資の入った箱をテーブル替わりにして、ニベニア准尉は新参者であるヘボンに対し、親切に状況説明を行っていた。<br />
   ヘボンの傍らには銃座から無理に引きずり出したヨトギも立っているが、彼は全く准尉の説明に興味が沸かないのか、虚ろな目を天井に向けている。</p>
<p> 「曹長も数日前にはこの草原地帯で奴等に襲われたと聞いてるけど、その時にドゥルガ級からグランビアが飛び出てくるのを見たんだろう?」</p>
<p> 「えぇ、正確に確認したのはニール中尉でありますが、確かに…」</p>
<p>
 「連中は滅茶苦茶な改修を六王湖で施してはすぐに実戦投入しているらしいけど、まさかそんな巫山戯た物まであるとはね。中佐から聞いたあの例のシヴァ級も一度はこの目で見てみたいもんだよ」</p>
<p> ニベニアはヘボンの横で欠伸をしているヨトギを完全に無視しながら、何処か楽しげに早口で話した。<br />
   ヘボンにしてみればあの例のシヴァ級はもう二度と見たくはないし、考えることすら恐ろしかった。<br />
  その困惑して無口になったヘボンの様子を見て、ニベニアは彼の調子を布越しでも見抜いたか、それ以上の言及は差し控え</p>
<p> 「まぁ、兎に角。仕事を始めよう。僕の識別信号は『鍋』、僚機のヘンシェルデは『蓋』で…曹長は『竈(かまど)』だ」</p>
<p>
 軽く通信用の説明をしながら、彼はゆっくりと自機の方へと歩き出し、ヘボンもその後に続いた。ヨトギは呆然と天井を見上げていたままであったが、ヘボンが動くとその背後へびったり付いてきた。</p>
<p> 「信号の意味は何かあるのでありますか?」</p>
<p>
 「編隊飛行の位置を示しているんだ。黒翼隊の襲撃を踏まえると、対地用のコアテラでもある程度の対空戦措置を取らざるに負えないからね。…まぁ、詳しいことは飛びながら覚えよう。この前と一緒だよ、簡単さ」</p>
<p>
 ニベニア准尉はそう不安で心中が破裂しそうなヘボンを見て取ったか、励ますような言葉を口にしたが、確かそのこの前とは戦闘機の強襲を受けた時ではなかったかと、ヘボンの胸中はより重く張り詰めた。</p>