&image(https://img.atwiki.jp/flightglide/attach/973/2116/%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%88.png, width=720) |>|>|>|シララト・フェアナ| |>|>|>|BGCOLOR(#000):COLOR(#fff):基本情報| |種別|戦列艦|命名規則|| |前級|[[(P級)>https://w.atwiki.jp/flightglide/pages/556.html]]|次級|| |設計|中央アノール造船所|所属|[[アーキル連邦]]| |製造|X隻|世代|&color(#080){&strong(){第二紀}}| |>|>|>|BGCOLOR(#000):COLOR(#fff):性能諸元| |全長|XXmlt|全高|XXmlt| |機関|ユク541エンジン 4基&br()パゼリア8式エンジン 5基&br()C523重浮遊機関 3基&br()C523軽浮遊機関 1基&br()ドブルジャタンク|機関最大出力|36500ps x4&br()12400ps x5&br()27200lc x3&br()9800lc x1| |最高速度|189km/h|航続距離|XXgaias| |武装|18fin連装砲 14基&br()12fin単装砲 66門&br()5fin速射砲 44門&br()2mull連装機銃 6基&br()2mull単装機銃 14基|補助装備|&br()ユーフー戦闘機 6機| |乗員|2400名||| |>|>|>|BGCOLOR(#1e90ff):COLOR(#fff):二次創作| |>|>|作者名|六方晶ダイヤモンド| #region(概要, remember, open) 138門もの砲を備えた巨艦であるとともに異様に高速な戦列艦。当時模索された突撃戦列艦というコンセプトに基づくプロトタイプで、のちの自由パンノニアのコンセプトに部分的に類似するものであった。しかし結局アーキルでは狙撃砲ドクトリンが主流となったため、本級に続くような艦が量産されることはなかった。速力の代償として舵の効きがすこぶる悪く、ジェット気流航行には対応していない。また装甲も戦艦としては不十分なもので、位置づけとしてはのちの巡空戦艦に近い。運用のしづらさからあまり前線に出ることはなく、戦争の大部分を通して東アノール管区に留め置かれ、老朽化した後はその門数と収容人数の多さを活かし砲術練習艦として運用された。 このように歴史の陰に消えていったシララト・フェアナの門数主義には幻の後継艦計画があった。 &image(https://img.atwiki.jp/flightglide/attach/973/2117/300%E9%96%80%E8%89%A6.png, width=720) ▲タカトゥラヤン提督の超巨大戦列艦 シララト・フェアナの建造を熱烈に支持していた門数閥の首魁タカトゥラヤン提督の提案した次期主力戦列艦計画は、そのコンセプトを限界まで拡大して300門級とする予定であった。折れそうなほど長い船体に約300門もの砲を載せており、時間あたりの投射火力ではクンバカルナさえ上回ったと考えられる。もし実際に建造されていたなら、700年代までパルエ最長艦の座を譲らなかったかもしれない。しかし、予算競争において狙撃閥に破れたため詳細な設計図がひかれることもなかった。そもそも当時の技術で実際に建造することが可能であったかは、軍事マニアの間で常に議論の対象である。しかしかりに建造できたとして、シララト・フェアナ以上に扱いづらいお荷物になったことは後知恵とはいえ疑うべくもない。 #endregion()