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舞姫異聞録

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死闘/舞姫異聞録  ◆WAWBD2hzCI


大学は広い場所だった。
先ほどの児童公園をすっぽりと包む大きさのグラウンドに、勉学用の校舎がいくつも並んでいる。
訪れるのは初めての二人だったが、校門を潜り抜けても足は止めなかった。
もうすぐ後ろまで士郎は迫っている。ここで立ち往生すれば児童公園の二の舞になると判断したからだ。

深優の一瞬の判断で最寄の校舎へと避難する。
階段を駆け上がり、そのまま二階へ。いかに広大な学校とはいえ、廊下や教室まで広いわけではない。
探せば四百人をも収容できるほど広い教室もあるだろうが、深優が求めているのは広い場所ではなかった。

「はあ……はあ……はあ……!」
「……校舎の中まで追っては来ていません。どうやら私たちを見失ったようですね」

とりあえず大学まで誘き寄せるのは上手くいった。
深優の中の演算機能が現状における最善を計算する。
アリッサ・シアーズのために優勝しなければならない深優・グリーアとしては、このままここを離れてしまったほうがいい。
あの衛宮士郎は放っておいても参加者たちを減らしてくれるのだから。

だが、双七は恐らく退かないだろうと予測する。
それにいずれ相対しなければならない相手ならば、如月双七が味方でいてくれる今なら勝てるだろう、と思った。
彼を鉄砲玉にすれば、という意志に変わりない。
だというのに、何だか言いようの知れない感覚が深優の中で渦巻いていて、バグか何かかと深優は難しい顔をしていた。


「如月さんも疲労しているようですし、少し休息をとりましょう」
「はあ……うん、ありがとう……はあ」

息を大きく吸い、呼吸を整える。
数秒もしないうちに双七は形ばかり息を整えると、先ほどの思考について考えた。
深優・グリーアは人殺しなのか否か。
その問いかけをする機会は今で正しいのだろうか、と思った。
何故なら、もしも深優が人殺しなのだとしたら双七は赤毛の男と深優の二人と戦わなければならない。

考えて。
熟考して。
悩み抜いた末に双七は頷いた。


「なあ、深優。お前は何のために戦っているんだ?」


知りたい、と思った。だから探りを入れてみることにする。
情報は断片的なもので、疑わしいという疑念しかない。
背中を気にしたまま、衛宮士郎と相対するようでは脅威を打ち倒せないと結論を出した。
深優は双七の意図も大して気にせず、これまで通りコピー用紙を吐き出すような無機質な声色で答える。

「私はプログラムに従って行動しています。今は、如月さんと共に敵を打ち倒すことが目的です」

深優も嘘は付かなかった。
ここで下手なことを言って相手に不信感を与えることもない、と判断した。
もともと口下手な双七は、それだけで何も言えなくなってしまった。
そのプログラムがどういうものなのか。それを考えると、かえって双七の疑念が深まってしまっていくのだ。


どうすればいいのか、と思う。
目の前にあるのは浦島太郎が貰った玉手箱。言うなればパンドラの箱のようなものだ。
開けばきっと後悔する、追求すればきっと後戻りができなくなる。
ただ詰め寄るだけでは意味がないように感じて顔を俯かせると、今度は逆に深優が語りかけてきた。

「私からもひとつ、聴いてもいいですか」
「えっ……う、うん。なに?」

まさか話を振られるとは思わなかった双七が焦る。
そんな彼に構うことなく、それが己のバグを取り除くための突破口となると信じて深優は言葉を織り成していく。
思い出すのはかつての双七の言葉だった。

「以前、あなたは言いましたね。大切な人はいるか、と」
「……ああ」

言われて、双七が思い出すのは狐の少女だ。
姉であるようで、妹であるようで、そして何の文句もなく大切な家族の名前を思い出した。
首肯する双七に呼応するように、深優もまた語りかける。


「私には主がいました。誰よりも、何よりも大切な主が」

何も考えないで、ただ殺人兵器として殺し続ければよかったのかも知れない。
そうすれば深優は悩むことなく、考えることなく、機械的に人を殺め続けただろう。
切っ掛けは目の前のお人好しだった。
何処となく初めて逢ったとき、高村恭司という人物と如月双七が被って見えてしまったものだ。

「私にとって、アリッサ様は絶対的な存在でした」

語るのは無機質な事実だった。
アリッサ、という単語に双七の眉が僅かに動くが、深優は気にせずに続ける。
考える、という行為そのものに対する切っ掛け。
それを与えたのは目の前の少年で、かつて自分に感情を教えようとしてくれた青年とよく似ていた。
姿かたちではなく、そのお人好しな性格が。

「私には分からないのです。アリッサ様のために私が何をすればいいのか、ということが。護るということ以外に、何をすればいいのでしょうか」

衛宮士郎は告げた。
何を捨ててでもただ一人の味方であり続ける、と。
強烈な想いの塊は、考えるという力を持った深優の心を大きく揺らしていた。
そもそも、この島は人の感情や本性が剥き出しになる地獄だ。考えるということを知った彼女はそれに当てられていた。

「人の心とは、私のようなアンドロイドには理解不能です……例えようのない不思議な感情を、私は解析することができません」

だが、分からないと深優は告白する。
今まで考えることなどしなかった。プログラムの通りに動き続けた。
初めて考えることを学んだ今の深優は、自我を形成し始めた子供と何ら変わりない。
感情について考えると、中枢部分が軋むような気がした。

双七はその言葉を聴いて、言葉を選んでいた。
これが好機なんだ、と思った。きっとここを逃せばどんな形であれ、もう詰め寄ることはできない。
そして同時に救いの光を見たような気がした。


「俺には、深優にだって心があると思う。機械にだって、金属にだって心があることを俺は知っている」


弾かれたように、深優は顔を上げて双七を見る。
不器用な彼は言葉をひとつひとつ慎重に選び、そして裏表のない言葉だけを突きつけた。
深優は心を持っている、という確信。
初めて心を持つ、という感覚に戸惑っているだけに過ぎないんだ、とどうにか伝えたくて言葉を搾り出す。


「自転車だって、煙突だって、色々なことを考えるんだ。なら、アンドロイドの深優にだって心はある。絶対に学ぶことができる」

世界には多種多様の金属がある。
持ち主に大切にされる金属。逆に持ち主に捨てられる金属。
彼らはどんなに小さくとも意志を持っている。束ねた力の強さを如月双七はよく知っている。
ガードレールでも、交通標識でも、ジャングルジムでも心を持っている。

ならば、技術の粋を結集させたアンドロイドが心を持っていないはずがない。
きっと最初から深優・グリーアは心を持っていた。
今まではそれがプログラムと混同されていると勘違いしていただけで、ほんとは心を感じ取っていたに違いないのだ。

双七は夢想する。
彼女が『アリッサ』と呼ばれる主と暮らす平穏な日常を。
深優・グリーアはきっと微笑んでいたに違いない。その微笑までプログラムされていたはずがない。
アリッサを想う彼女の気持ちは、決してくだらないプログラムの賜物なんかじゃない。

「今はまだ、きっと知らないだけだと思うから。だから……プログラムに従うんじゃなくて、自分で決めたことをしよう」

金属と心を通わせることのできる如月双七は思う。
深優・グリーアとは分かり合えることができるはずだ、と。心を持った彼女ならばきっと。
くそったれなプログラムに従う、という粋を超えて。
ヒトとして。従うのではなく、自分の意志で決める。それがきっとできるはずなのだ、と双七は願った。


だから、と双七は続ける。
その言葉はきっと起爆剤となるのだ、ということを十分に承知して。


「殺し合いに乗る、なんてふざけたプログラムに従うのは、やめてほしい」


     ◇     ◇     ◇     ◇


空気が凍った。
比喩ではなく、本当に体温が下がったのでは、と思うほどだった。
深優・グリーアの瞳が若干細くなる。
双七が向けられたのは純粋な敵意と、そして大きな不信感だった。

「知って……いたのですか?」
「……知ってた」

半分はカマをかけたに過ぎない。
だけど双七の中ではほぼ確定と思っていたことで、そして予測は間違っていなかった。

「何故……」

深優はどうして看破されたのか分からなかった。
そしてそれ以上に理解できないことがあって、思わず深優は問いかけた。


「理解不能です。私の動向が理解できていたなら、私と行動を共にするなどおかしい。
 そもそも、論理に矛盾があります。あなたの誓いと矛盾してます。
 あなたは殺し合いを止める、と言った。ならばあなたにとって、私もまた障害のひとつであると理解していたはず。
 それなのに、何故あなたは私を破壊しようと考えなかったのですか。私があなたを殺そうとしていた、とは考えなかったのですか?」


あまりにも非合理的な双七の行動。
深優の意図が理解できていたなら、双七にはいくらでも取りえる手段があったはずだ。
例えば背後からの騙まし討ち。
恐らく容易に深優・グリーアという障害を双七は排除することができたはずなのだ。
そうでなくとも、いくらでも自分を利用する手段があったはずなのに、突然彼は自分の切り札を相手に公開してしまったのだ。


「分かってる……っ、ほんとなら君も敵だってことは!」

そうだ、そんなこと分かっていた。
ならばかつての誓い通り、如月双七は彼女を破壊しなければならない。
そうすることで彼女が手にかける犠牲者は減る。双七が願ったまま、弱者を守ることもできるだろう。
だが、双七はただ苦しそうな顔をしていた。

「でも、嫌なんだ……っ、君がアリッサちゃんのことを大切に想ってることは知ってる! でも、それじゃあいつと変わらない!」

無茶苦茶な子供の理論のようだった。
合理性も計算も何一つない、裏表のない感情だけが叩き付けられる。
彼女にとっては偽りだったかもしれないが、双七はもうひとつの誓いを深優の前でしていた。
そんなちっぽけなことを胸に秘めて双七は叫ぶ。

今の深優・グリーアは衛宮士郎と何も変わらない。
誰か大切なヒトのために周囲の人間を皆殺しにしようとしている、という歪んだ一途な行動。
それが堪らなく嫌だった。深優まで、そんなことはしてほしくなかった。


「深優は……自分で考えられる。深優には心がある!」
「いいえ、違います。私はアリッサ様のために作られた存在。そのように『プログラム』されているだけです」

そのはずだ、と深優は思う。
心などあるはずがない、と思い続けてきた。
プログラムされたからこそ、アリッサを至上の主として仕えてきたのだ、と。
だが、そう考えれば考えるほど『心』が悲鳴を上げているのに気づき始めた。

「違うっ! 深優は悲しんでいた! あの子がアリッサちゃんかどうかまでは分からないけど……海岸で君は、確かに悲しむことができていたじゃないかっ……!」

悲しむことができるのは、心を持った存在だけだ。
喜びも怒りも何もかも、全ては心を持ったものだけが手に入れることのできる感情だ。
双七は駆け引きも何もない純粋な……だからこそ意味のある言葉を投げつけ続けた。それが届くと信じて。

深優のほうも何故知っているか、などという驚きはもうなかった。
彼には自分の思考も記憶も全てを読まれているのだろう、と察知した。
それだけのアドバンテージがありながら、双七はただ叫び続けるのだ。深優が歩く修羅の道を変えさせるために。
あまりにも愚かで、あまりにも非合理的で、あまりにも真っ直ぐだった。


「そんなの、悲しすぎるじゃないか……アリッサちゃんのことも、深優のことも……っ……」

何度も何度も双七は呪い続けた。
ふざけるな、と何度も何度もこの地獄に向かって叫び続けた。
深優も誰かを守りたかった。双七も誰かを守りたかった。そして、あの衛宮士郎も誰かを守りたかった。
想いは同じなのに、このふざけた仕組みは全てを奪い尽くす。

その結果、何もかもを奪われた者がいた。
その結果、手を血で染めなければならない者がいた。
その結果、戦い続けるしかできなくなった者たちがいた。


「……泣いて、いるのですか?」


えっ、と双七が戸惑う瞬間の出来事だった。
彼の瞳に光るものが見えて、深優は一瞬だけ辛そうな表情を浮かべた。
それも本当に一瞬の話で、双七が涙を拭おうとしたその隙を突いて深優は素早く彼の腹部を殴打した。


「なっ……ぐぁ……っ!?」
「泣いて……くれているのですね」

彼女の優しげな声色とは裏腹に、双七に訪れたのは腹部への衝撃と激痛だった。
ばたり、と倒れたまま双七は動けない。
かろうじて顔を上げると、深優・グリーアがこれまで通りに立っていた。在り方の変わらない人の姿をした機械がそこにいた。


「あなたは、本当に高村先生によく似ている」


何か諦めたような微笑がそこにあった。
思えば彼女の笑みを見るなど初めてで、思わず殴られたことも忘れて呆気に取られてしまった。
涙を流していた双七の顔は、まるで呆然と泣きはらす子供のようだった。
その顔を見たときに感じた一抹の感情は、深優には分からなかった。
ただ、過去に思いをはせる。高村恭司という人物も、アリッサの死に泣いてくれたのかも知れない、と。

「……み、ゆ……!」
「私には分からないのです。私はアリッサ様のために何ができるのか、これからどうすればいいのか」

こんなとき、彼は自分を諭してくれるのだろうか。
感情を教えてくれた人がいた。深優を見ながらも遠い誰かを見るような瞳をする人だった。
双七を見ていると彼の言葉を思い出す。
彼の言葉はこれまで機械的に動き続けてきた深優を揺らし続け、合理的な思考を奪い続けた。

「さようなら、如月さん。次に逢ったときは敵同士となるでしょう」


蹲る双七に別れを告げる。
深優にしては合理的ではない行動だった。
彼と深優は相容れない。ならばここで殺さなければならないのに、彼女は見逃すという愚を冒した。
その理由が何なのか、深優本人にも分からない。
どうしてこんなにも胸がざわつくのか、彼女には答えを出すことができなかった。

「みゆ……っ……深優……!」

手を伸ばすが届かない。
不意を打たれた一撃が双七の全身の力を奪っていた。
伸ばせば届いていたはずの手は、虚しく宙を切る。

「くっ……そ……くそぉ……!」

双七は手を取り合う道があると信じて手を伸ばし。
深優はその手を取ることなく、深い夜の闇の中へと姿を消した。
残されたのは無様に横たわる青年が一人、悔しげに歯を鳴らして己の無力を嘆いていた。



     ◇     ◇     ◇     ◇


「……………………」

深優は漆黒の闇の中を歩き続ける。
散り散りとなった思考で彼の言葉が耳に響く。
プログラムを捨て去れ、と彼は言っていた。その枠を取り払い、考えて行動しろ、と。
その言葉にプログラムは反発した。だが、深優の心はそれに同意していた。

考えなければならない。
この矛盾について。プログラムという存在理由(アイデンティティー)を揺るがす何かについて。
深優・グリーアは『アリッサ・シアーズのために存在する』というのに、どうしてそれが揺らぐというのだろうか。

「………………」

揺らぐはずがない。
アリッサ・シアーズは深優にとって誰よりも大切な人だ。
彼女を守ること、彼女のために行動することがプログラムであり、それそのものに対して揺らぐはずがない。
だと言うのに、どうして胸の中に残る違和感が消えてくれないのだろう。


「教えてください」

独白するように深優は呟く。
思い浮かべるのは主のアリッサか、それとも彼女の義理の父か……もしくは、あのお人好しの教師か。
誰を思い浮かべたのかも分からないまま、静かにアンドロイドは言葉を紡ぐ。

「私はいったい、何に迷っているのでしょうか」

誰も返すことのできない問い。
この場に誰もいない限り、彼女の独白は暗闇の中に解けて消えていくのは必定だった。
そう、この場に『本当に誰もいない』のならば。


「それはね、きっと自分の存在理由の定義についてじゃないかな」


空気が凍った。
時間が停止するような衝撃があった。
深優の身体が、帰ってくるはずのない返答に強張った。
周囲を見るが、反応はない。ここは廊下で、薄暗い闇の広がる教室がただひとつ存在しているだけ。


「おっと、むやみやたらに攻撃なんてしないでおくれよ? 僕は君の標的ってわけじゃないんだからさ」
「……その声、憶えがありますね」

百人ほどを収容できる多少広めの教室がある。
深優にとっても聞き覚えのある声は、この向こう側から届いているようだ。
馴れ馴れしい態度と声色の少年の声。
放送越しに数時間前に聞いた、このゲームを運営する人間のうちの一人の声がそこに響いていた。

「炎、凪……」
「そ。ようこそ、こんばんはー」

教室の中に入ると、薄い闇の中に少年がいた。
教壇の上に不遜な態度で腰をかけながら、アンドロイドの少女を待っていたとばかりに歓迎する。
深優・グリーアは若干、訝しい顔をした。
ゲームの最中にこのような介入が入るなど、許容していい問題ではないのではないか。

「いやー、ボクもここまでするつもりはなかったんだけどねー。面白いことになってたから、つい来ちゃった」
「……一番地の人間が、無用心なことです」
「酷いなぁ……悩んでいるようだから、ボクなりのアドバイスでもしてあげようと思ってわざわざ来たのに」
「必要ありません」

取り付く島もない、と凪は少しだけ笑顔を引きつらせる。
それでもせっかく来た以上はそれなりの成果が出てもらわないと、骨折り損のくたびれもうけとなってしまう。
凪は段取りを立てるのが好きで、段取りを崩されるのが嫌いな演出家なのだった。


「す、少しだけでも聞いてよ。君は今、大きな転機を迎えているんだ」
「……あまり有用とは判断できません。私に施されたプログラムは、貴方たちに従って参加者を殲滅し、アリッサ様をお救いすること」
「それだよ、それ。君が気にしているのは、そのプログラムだよ」

飄々とした態度で何とか気をそらしてみる。
深優としてはかつて対立した一番地の人間であり、個人的にも信用ならないと判断している凪の行動は疎ましい。
されどアリッサを保護、監禁しているのもまた一番地であり、これ以上の強硬な態度は面倒ではないか、と判断した。
ようやく、教室から去ろうとした深優の動きが止まって、凪がほっと溜息をつく。

「ボクが与えられるのはヒントぐらいなんだけどね」

もったいぶるように、凪は言葉を一度区切る。
訝しく思う深優に最初に投げかけられたのは、凪の疑問の言葉だった。


「君の大切な人のために、っていうその想いも、プログラムで指定されたことなのかな?」


ふと、胸の中にあった違和感が大きく胎動したような気がした。
凪の言葉は人の心を切開するような、無遠慮でねっとりとしたようなものではない。
ただ純粋な疑問。悪意のある子供があっけらかんと告げる純粋で残酷な正しさを孕んだ、そんな魔力がそこにある。


「君はプログラムに従ったからアリッサちゃんを護ったの? プログラムが命じるならアリッちゃんを殺した?」
「それは……有り得ません」
「でしょ? そうだよね。でもそれっておかしいんじゃないかな?」

そうだ、思えば最初からおかしい。
確かに深優・グリーアはアリッサという少女のために作られたアンドロイドだ。
彼女がプログラムの通りにアリッサ・シアーズを護り、アリッサ・シアーズのために戦い続けること自体は何の問題もない。

だが、所詮はプログラムだ。
あらかじめ定めてあったことに従うだけで応用性など利くはずもない。
アリッサのために戦うだろう。身を呈してアリッサを助けることも、それによって自分が破壊されることも当然厭わないだろう。
問題は、そのプログラムは深優の感情や想いまで示し続けたかどうか、ということだ。

「君がアリッサちゃんに微笑むのはプログラムの指示? 君がアリッサちゃんの死に悲しんだのもプログラムの指示?」

そんなはずがない。
深優がアリッサに心酔したのはプログラムの影響かも知れないが、その微笑みまで指定されているはずがない。
深優がアリッサの死を見取ったとき、心の中で慟哭していたのは決してプログラムの影響などではない。

「しかし、私は」
「違うよね。君は自分の意志で微笑み、悲しんだ。理不尽に怒りもしたと思う」
「…………」
「如月くんも言ってたでしょ。君はとっくの昔に感情を持っている。もう『プログラムの通りに動いてなんかいない』んだ」


アリッサと共にあることに喜びを覚えていたはずだ。
大切なものを不条理に奪われたときに怒りを感じたこともあるはずだ。
目の前で死んだ少女を護ることもできなくて哀しみのままに抱きしめたことがあるはずだ。
元より、深優・グリーアという少女は主の歌やささやかな花の数々に楽を感じることのできる存在だった。

何も考えず、プログラムのままに生きるアンドロイドではない。
感情を持ち、喜怒哀楽を自覚した『ヒト』へと彼女は変わっていこうとしている。
ヒトの定義はそれぞれだが、人間らしい思考と感情を持っている者をヒトと呼ばずして何と呼ぼう。
例え身体が機械であろうとも、心が人であるなら人間なのだ。
妖怪の末裔である人妖もまた人間であるように。人とは違う何かを持っていようと、心が人間ならヒトであると言って過言ない。

「……私がアリッサ様を大切に想うのは、プログラムが切っ掛けです」
「普通の機械はね、プログラムには逆らえない。それを絶対の至上命令として、何を差し置いても遂行しようとする」
「……それは」
「君はプログラムの域を超えて、人として行動することができるんだ。だから、自覚してほしい」

凪は腕組みをしながら真面目な表情で語る。
これが一番言いたかったのだ、と。この呪いを解き、最後の後押しをするためだけにここに来たのだ、と。
彼の願いはただひとつ。その目的のために段取りを作り上げる。
百年、千年の時間を越えて。悠久の気の遠くなる時間をずっとずっとずっとずっと、ただどんな形でも己の使命が果たせるならば。



「深優ちゃん。君は自分の意志で行動するべきだ。プログラムじゃなく、深優・グリーアとして」


プログラム、という枠が取り払われる。
アンドロイドはヒトとしての第一歩を踏み出すこととなる。
祝福するように凪は不敵に微笑むと、高らかに腕を掲げて深優・グリーアに訴えた。
それが最終的に自分の望みに繋がると信じて。そのためなら殺し合いに乗る人形を一時的にでも止めることも厭わない。

「……私は」
「ゆっくり考える時間はないよ。ボクもあんまり干渉なんてしたら、怒られるからね」

だけど、と凪は一度言葉を区切る。
もしも深優・グリーアがヒトとしてプログラムから脱却し、その上で想うことができるのなら。
プログラムからではなく、自分の心で誰かを守るために戦うことを選択するというのならば。

「改めて君に問うよ、深優ちゃん。不完全なHiMEの雛形」

彼女には資格がある。
正式ではなくとも、それが偶然の産物だとしても。
想いが力を生み出すのだ。戦乙女たちは、その想いを武器として戦い続けるのだから。


「君は大切なものを守るために、自分の一番大事なものを賭けられるかい?」


最後に残されたのはそんな言葉だった。
その言葉の意味を深優は聞き返すことはできない。その真意までは聞くことができなかった。


「っ―――――!!!」

何故なら次の瞬間。
教室のドアが勢いよく粉砕され、凪の座る教壇のほうへと飛んできたからだ。
深優は背後からの奇襲に対応するのが精一杯で、凪がどうなったのかまで気をそらす余裕はない。
教壇はドアによる砲弾で大破した。もう、炎凪の姿はそこになかった。

深優は一度だけ背後を振り向いたが、凪の安否は確認できない。
改めて前を見る。武装を整え、真っ直ぐに眼前の脅威を泰然と見つめ続ける。

「…………」

赤毛の少年。
左腕を赤い聖骸布で覆い。
右手には漆黒の刀を、左手は敵意を示すように握り締め。
同じくヒトとして想いのままに立ち塞がる衛宮士郎の姿がそこにあった。

彼は何も語らない。
彼は何も伝えない。
彼は何も迷わない。

I am bone of my sword.(身体は剣で出来ている)

この身は一太刀の剣として。
互いの大切なものを否定し、想いを賭けて殺しあう。
様子見の時間は数秒もなかった。
過去のサーヴァント(従者)と未来のサーヴァント(英霊)はどちらからともなく、剣となって激しく互いの存在をぶつけ合った。


     ◇     ◇     ◇     ◇


その激突音は、彼の耳にも届いていた。
轟音、爆音、金属音。何かが壊れる音も、何かを壊す音もここに響いている。
大学にいる者なら、静寂に満ちた漆黒の中で誰もが感じ取ることができるだろう。
それはもちろん、廊下で倒れていた青年の耳にも。

「…………っ……」

ゆっくりと、深呼吸を整える。
激痛はカット。何とか痛みを紛らわせるために手の甲に噛み付いて分散させた。
何度か息を吐くうちに、どうにか痛みは薄れてきた。


「行かないと……」

ゆったりと立ち上がる。
彼にしてみれば急いでいるのだが、正確無比な一撃を回復させるには時間がかかった。
腹部の痛みはまだ収まらないが、泣き言は言ってられない。
壁に背を預け、再度酸素を取り入れて冷静になろうと努める。

「早く、行かないと……」

彼は誓ったのだ。
もう失わせないと誓ったのだ。
二度とあの喪失感を味わいたくないと叫んだのだ。
もう悲しすぎる喜劇などに踊らされたくはないと願い続けたのだ。

ならば。
ならば。
ならば。


「こんなところでっ……眠ってなんか、いられないッ……!!」


長身の身体が起き上がる。
しっかりと足を床に踏みしめる。
手は動く、足も動く、身体は動く、頭も動く。
気を失いたくなるような激痛などは関係ない。身体が五体満足なら、動かない理由など何一つない。


この身は悲劇から人を守る盾となることを願って。
誰かを護り続けたいという願いを果たすため、青年はもう一度奮起する。

数秒後、廊下に新たな音が追加された。
床を踏みしめる足音が。如月双七が走り始めた証拠がそこにある。
それすらも轟音の中に消え、やがて最後の戦いの舞台に全ての役者が現れる。


     ◇     ◇     ◇     ◇


戦いは互角だった。
最初は手狭な教室の中での戦いだったが、深優はすぐさま廊下へと脱出した。
狭い通路だ。弾丸のような矢を放させる暇など与えない。
公園では接近すらできなかったが、ここでは違う。遮蔽物に隠れ、潜み、隙をついて襲撃することができる。
遠距離からでしか戦えない者は接近されるかされないかが勝利と敗北を分ける決め手となる。

弓兵にとって遮蔽物の多い戦場は鬼門だ。
森のように狙撃主が隠れられるような場所なら話は別だが、建造物内では中々うまく戦えないだろう。
深優の計算どおりだった。士郎は刀を直接振るい、深優との接近戦に甘んじるしかない。
計算外があるとするならば。剣術のほうにも多少の覚えが赤毛の少年にはあるということだろう。

英霊として世界に召し上げられた男の技術の全てを移植された人間。
人間を遥かに超えるスペックと身体能力を持つ生体アンドロイド。
二人の身体能力は全くの互角だが、得意ではない戦いに引きずり込まれた士郎のほうが些か分が悪かった。


「うぉぉおおっ!!」

衛宮士郎が刀を振る。天分の際ではなく、努力の成果として実直に積み上げた攻撃だ。
深優・グリーアは左腕に内臓されたブレードでそれを受け流し、あるいはこちらから斬りかかる。
動きは流水のごとく。
実直で正直すぎる士郎の太刀筋を読み、正確無比の剣閃が着実に士郎を追い詰めていく。

「―――――」

深優には焦りも疲れもない。
逆に士郎にはこれまで死闘を演じてきた疲労が若干、蓄積している。
その好機を見逃すほど深優は生易しくはない。
その気になればトラックの衝突でも無傷で生還できるほど頑丈な彼女は、一瞬の隙を突いて士郎に体当たりを食らわせた。

「ガッ……!?」

トラックに跳ねられたような衝撃に士郎が呻く。
そのまま左腕に内蔵したブレードで士郎の頚動脈を断ち切ろうと視認すら許さぬ速度で左腕を上げる。
その一撃はさすがに避けられたが、追撃の回し蹴りまでは対応し切れなかった。
内臓を破壊するつもりで放たれた深優の一撃は、間違いなく士郎の脇腹に命中。
鮮やかな血が二人の衣服に飛び散った。


「…………!?」

だが、その血は士郎のものではない。
攻撃したはずの深優の右足に剣で切られたような痕が残っていた。
いつの間に攻撃されたのか、深優には分からなかった。
それも当然だ、何故なら士郎は何もしていない。

「その、身体は」

なんですか、と告げようとした口は言葉を発することはなかった。
次の瞬間には衛宮士郎の拳が、深優の腹部にめり込んだ。勢いのついた一撃に少女の身体が吹っ飛ばされる。
そのまま壁に叩き付けられ、その壁も破壊して部屋の中へと突っ込んだ。
どうやら教室のひとつらしいが、やたら広い。千人は収容することのできる大講義室といったところだろうか。

(……損害は、軽微)

何とか体勢を整える。
軽自動車に跳ねられる程度の一撃ならば問題はない。
深優の身体は頑丈だ。例えばコンクリートの塊に押し潰されるというのなら話は別だが、この程度なら支障はない。

「……ですが」
「―――――終わりだ」

支障はなくても問題はある。
床に足を踏み出したときには、彼の最大の凶器が深優に突きつけられていた。
木製の弓と漆黒の刀。距離は約三十メートルほど。
それでも、この広大な大講義室なら士郎は遠距離攻撃を使用できる。決して外すこともない。
もしも深優が少しでも身体を動かしていたなら、容赦なくその身体は貫かれている。


「悪いな。桜のために死んでもらう」


静かに告げる死刑宣告。
現状、深優の中にある演算機能がこの距離からの必殺の一撃は避けられないと告げている。
対抗するには拳銃などでは頼りないし、ミサイルなどの兵器も品切れだった。
ようするにチェックメイト。
それは深優・グリーア自身でも分かっていることだった。

「ひとつだけ、聞かせていただけませんか」

だが、そんな事実すら深優にはどうでもよかった。
突然投げかけられる言葉に、士郎が僅かに困惑する。深優はそんな彼にも構うことなく言葉を紡ぐ。
プログラムの通りではない。
深優・グリーアという個人が彼に対してどうしても聞きたいことがあった。


「そのような身体になってまで、あなたは間桐桜という少女を護りたい、と。
 自分の全てを賭けてでも。他人の何を犠牲にしても護りたい、と。それは全て……あなた自身の意志なのですか」

身体は剣で出来ている。
侵食される剣という名のウィルス。人の身でサーヴァントという規格外の力を受け継いだ代償は緩慢なる破滅だ。
深優の右足は彼の身体を蹴り飛ばしたが、彼の身体から生えた剣によって傷を負った。
もう、そのような人体構造は人と呼ぶべきかどうかすらも分からない。それほどまでに致命的なほど崩壊が進んでいる。

だと言うのに、衛宮士郎は自分のことなど省みない。
ただ間桐桜のために戦い続ける。ただ愛する者のために修羅の道を馬鹿正直に歩み続ける。
その意志が本物なのかどうか知りたかった。
人からの借り物でもなく、誰かに言われてやっているわけでもなく。
ただ助けたいと叫んだからだ、と。ただ世界の全てを敵に回しても彼女の味方になりたいのだ、という誓いを確認したかった。

「―――――――、」

衛宮士郎は迷わなかった。
逡巡も迷いもなく、真っ直ぐに一途な瞳のままにうなづいた。

「そうですか」

深優・グリーアは少しだけ口元を歪めた。
それは微笑みに近いようなものだったのかも知れない。
それこそが最後のピースだ。
絶対なる一途で真っ直ぐな想い。大切な者のためなら何を捨てても惜しくない、という理念の立派なお手本がそこにいる。


「あなたと私は似ている、……いえ、ようやく似ることができた、といった表現が適切でしょうか」


静かに彼女の口から漏れる言葉には何者の介入も許さない、そんな尊さがあった。
彼女はようやく心を自覚したばかりなのだ。だから突然色々なものを手に入れ(自覚し)ても、どうしたらいいのか分からない。
だが、深優・グリーアの前にはお手本が存在する。
どんな姿になってもただ一人のオンリーワンのために存在全てを賭けることのできる、何処か人間的に壊れた存在が立っている。
正しい修羅の道の歩き方がそこにいる。


「私もあなたと同じように大切な人のために戦い続けてきました。
 今まで違っていたことは、それが自分の意思によるものか、それともプログラム通りの行動だったか、ですが」

死がすぐそこに立っているというのに、彼女はこれまで通りの冷静さだった。
士郎は即座に矢を放ってしまおうか、と思ったが諦める。
かつて自分の主と呼んだ最優の従者との特訓で学んだことがある。死と生の判断を分ける直感だ。
その付け焼刃の直感と英霊の腕から供給される経験が、もはや無駄なのだ、と告げていた。

深優の言葉は続く。
言葉を言霊に変え、思いを想いへと昇華させているのだ、と宣告するように。

「私は、アリッサ様を護りたいのです。その想いは……プログラムではなく、私自身が『心』から願ったこと」

数多くの人を見てきた。
この地獄の島の中では多くの人たちが心のままに叫び続けた。
彼らの想いは今なら理解できるものもあるかも知れない。
少なくとも自分よりも大切な人なら、何を捨ててでも護りたいという『想い』だけは掴み取った。

「あの、アリッサ様を失ったときの得体の知れない痛みは……もう、あのような『哀しみ』は味わいたくありません」

今だからこそ確信した。
あの海岸での別離には悲哀があった。
冷たくなった小さな身体を感じて絶望した。
もう天使のような笑顔で笑わないという事実を突きつけられたときの喪失感。
唯一の生き甲斐だったアリッサ・シアーズとの死別にはどんな苦痛よりも比べ物にならないほどの慟哭があった。
それが哀しみだと今なら分かる。
そしてもう一度救うチャンスが与えられたと言うのならば、今度こそ何を差し置いても護りたいと思う絶対の想いがそこにある。


「あなたと同じです、衛宮士郎。私も、今度こそ護りたい」


そのためならば。
アリッサを救う力を得ることが出来るのなら。
大切な者とて賭けることができる。今度こそ深優・グリーアは護ってみせる。

他ならぬ、深優・グリーア自身の絶対の意思をもって。
決められたプログラムなどに頼らない。
他の誰でもない、他の何でもない、深優・グリーアが自分の想いを糧にして誓ったただひとつの答えだった。



それが覚醒への合図だった。


閃光が暗闇に染まる学び舎を明るく染めた。
思わず士郎も、そして深優自身ですら呆然とその光景を眺めていた。
天輪が、幻想の羽が、眩い光が、深優の身体を包み込む。
深優は柔らかい光に包まれて、少しだけ確かに微笑んだ。その力がどんなものかも分からないが、彼女は確信していた。

(アリッサ様)

光はやがて収束する。
残された深優の背後には織物のような物体が浮かんでいる。
首筋にはHiMEであることを示す紋章が浮かび上がっていた。
かつて、彼女の小さな主が使っていた武装。HiMEならば誰でも持っている装備、その名はエレメント。
大切な人の温もりに触れたような気がして、彼女はもう一度独白した。

(私と共に戦ってくれるのですか?)

返事はもちろん聞こえない。
例え聞こえたとしてもそれは幻聴、もしくは聴覚機能にバグが生じた可能性もある。
それでも深優には聞こえた気がした。
仕方なさそうにしながらも、天使のような声色で語りかける大切な人の声が。



―――――もう、仕方ないなぁ、深優ったら。


それが聞こえたならば十分。
戦う理由を確かに感じることが出来たならば十全。
何も迷うことはない。
何も躊躇うことなどない。
深優・グリーアは再び歩み続けよう。今度は大切な主と共に、もう一度大切な主を護るために。

「……行きます」
「――――――ッ!!」

即座に始まったのは攻撃の応酬。
手に入れた士郎と互角に戦える遠距離攻撃は、戦いを更に加速させる。


203:死闘 投下順 203:死闘/舞姫異聞録(後編)
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