- 張燕(ちょうえん)
- 字は不明
(生没年不詳)
張燕の本当の姓は褚という。
184年、黄巾の乱が起きた時に若者を集めて盗賊団を作った。
各地を攻め荒らして、郷里に戻った時には一万余人にもなっていたという。
違うところで張牛角も徒党を集めて挙兵、褚燕(張燕)と合流し、褚燕は張牛角を頭目としていたが、戦いで張牛角が矢に倒れた。
臨終の際に「必ず褚燕を頭目とせよ」と残して死ぬと、仲間は褚燕を頭目に戴く。
その為、褚燕は姓を張に変えた。
剽悍敏捷(ひょうかんびんしょう/素早く荒々しい)だったので、軍中では彼を飛燕と呼んでいた。
その後、人数が増え河北奥地周辺の賊とも誼を通じ、軍勢は百万にもなった。
朝歌県南西の黒山一帯を根拠地にしていたので、185年、自分達の集団を「黒山」と号した。
当時の霊帝は討伐することができなかったが、後に張燕は都に使者を送り降伏を請うて認められ、領河北諸山谷事に任じられる。
これは「河北奥地はあんたに任せた」ということで、余程その存在が恐ろしいのか、ただ関わりたくないのか不明。
最終更新:2010年02月13日 14:27