袁煕



袁煕(えんき)
字は顕奕(けんえき)
袁紹伝では顕雍。

(?-207)
袁紹の次男。
けれど、長子と末子の間に挟まれた次男故の地味な人生が悲しい。
奥さんは甄氏。
後々、これがこの次男の名前を有名にしている。

名前が出てくるのは、袁紹が公孫瓚を破った頃、幽州刺史に任命しているところから。
それ以降も特に活躍がある訳ではないのだが、袁紹が亡くなった後、長男と三男の後継者争いが勃発し傍観していたのだが、弟に擦り寄られて、行動を共にしている。
しかし、曹操に踊らされてしまい、逃げ込んだ先の公孫康に首を斬られてしまった。

だが、これで歴史書から彼の名前は完全に消えた訳ではなかった。
実は袁煕は幽州に単身赴任をしていて、奥さんの甄氏は冀州に残っていた。
曹操に攻められた時に甄氏は捕らわれ、その美貌から曹丕に見染められ妻となる。
そして、彼女の産んだ子が曹叡で皇帝になるのだが、その生年があやしいと言われている。
曹丕の子なのか、袁煕の子ではないのか、というくらいのもの。
詳しくは省くが、結局正史「明帝記」が誤りだと後の歴史家は言っている。
最終更新:2012年10月01日 16:11