馬騰


馬騰(ばちょう)
字は寿成(じゅせい)

(?-212)
羌族の血を引く(お母さんが羌族)。身長が8尺(約184cm)以上あったという。
韓遂らと独立勢力となり、192年、漢王朝に対して反乱を起こすが、負けて涼州に帰った。
その後、韓遂と仲間割れをするが、鍾繇が和解させた。
そして服従を促され、馬超を鍾繇の下に送った。
208年、都から召し寄せられ、馬休らと共に都へ入り、隠遁生活を送った。
が、211年。馬超が韓遂と連合して反乱。
212年、馬超の罪に連座し三族皆殺しなった。


三国志演義では、立場も話も全く逆。
漢に尽くす忠臣として曹操に対抗するが、処刑されている。
馬超は、その敵討ちの為に挙兵したのだ。
最終更新:2010年02月10日 11:10