- 戯志才(ぎしさい)
- 字は不明
(生没年不詳)
死亡時期は190年前半辺りではないかと思う。
曹操の創世時代を支えていた軍師の一人。
だが、その活躍が記されることなく亡くなっている。
魏書『郭嘉伝』に、二か所だけ名前が出ているだけ。
郭嘉は曹操に仕える前に袁紹の下にいたが、結局離れた。
その前に曹操に重く用いられ策略に優れた戯志才が亡くなった、とある。
曹操は荀彧に手紙を送って「戯志才が亡くなった後は、計略を相談できる者がいない。君の出身地にはたくさん優れた人がいるだろうから、誰かいないか」
そして、郭嘉が推挙された。
つまり、郭嘉と戯志才は曹操にしてみれば似たような立ち位置に存在し、かゆいところに手が届くお気に入りの軍師だったことが想像できる。
最終更新:2010年02月11日 09:55