台与(壱与)

これはあくまで「倭国」の女性顔グラで、
特別「台与」だけのものではないんだけどね。

台与(とよ)
壱与ともある。中国の歴史書によって「漢字」が違い、またその「漢字」も現代のもの(台与・壱与)ではない。なので、「読み方」・「漢字の解釈(代用)」は結論が出ていない

(生没年不詳)
正史『三国志』の中には、番外編みたいなものに周辺諸国を記した書があり、当時の日本について記されているのが『魏志倭人伝』なのだ。
当時の日本を知る貴重な史料である。
その中には、卑弥呼が倭国の女王になり魏へ遣いを送ったことや倭国の様子が記されている。

壱与は、卑弥呼の親族で13歳で女王となった。

卑弥呼の死後は男の王が立ったが国を治められず内乱となり、卑弥呼の親族である壱与が13歳で女王となり、魏に遣いを送っている。
それ以降の記録は載っていない。
なので、何時生まれ何時死んだのか分からないのだ。
最終更新:2010年02月11日 09:53