- 龔都(きょうと)
- 字は不明
(生没年不詳)
正史では蜀書『先主伝』に一行だけ登場する。
「袁紹は先主(劉備)に本来の部下達を指揮させ、再び汝南に赴き賊軍の龔都らと合流させ、その軍勢は数千人になった」
つまり、汝南において徒党を組んで賊をしていたのだろう。
官渡の戦いに登場し、袁紹の命令で派遣された劉備(当時袁紹に保護されていたが、袁紹の元を脱出しようと考えていた)と共に汝南で曹操の後方を撹乱するために戦い、曹操軍の蔡陽を殺害。
しかし、官渡の戦い後に曹操直々で劉備討伐の構えを見せると、劉備は汝南を離れ、龔都は行方不明となっている。
『三国志演義』では。
黄巾賊の残党として汝南を中心に、曹洪の攻撃を度々撃退していた。
曹操の命で関羽が討伐に来ると、袁紹の下に劉備がいることを告げて、わざと負け戦をして汝南を明け渡した。
その後、関羽は帰還。
再び汝南を奪還して、今度は袁紹の元を去った劉備を迎え入れる。
手勢の数万の軍は、劉備再起の基盤になった。
後に曹操軍と対峙した劉備軍に兵糧を届けようとしたところ曹操軍に包囲され、張飛の援軍も間に合わず、夏侯淵に討ち取られた。
最終更新:2010年02月11日 10:09