- 公孫続(こうそんしょく)
- 字は不明
(生没年不詳)
公孫瓚の息子。
名前が出てくるのは、公孫瓚が袁紹の猛攻撃を受けて公孫瓚に救援の手紙を送った時。
その為、それまでの人生は全く分からない。
公孫瓚が公孫続に送った手紙は以下の通り。
「彼(袁紹)の攻撃ぶりは鬼神にも似て、鼓角(太鼓と笛)が地中から湧き起こり、雲梯・衝車は我が城樓を攻め立てる。日に日に勢いは窮まってどうする術もない。お前は張燕に頼み込んで(砕けるほど頭を打ち付けて頼み込み)軽騎兵をよこしてくれ。到着したら北の方角で狼煙を挙げよ。私はそれに呼応して城から突出しよう。そうしないと、私の死後、お前は安住の地を求めても得られないぞ」
この手紙は袁紹側に渡ってしまい、袁紹軍が挙げた狼煙に公孫瓚は飛び出し、用意されていた伏兵に蹴散らされた。
公孫瓚は、その後に妻子を殺害して自殺しているが、公孫続も屠各(とかく/異民族である匈奴の中心部族)によって殺されている。
ちなみに、死んだ年は分からない。
(後漢書「劉虞公孫瓚陶謙列伝第六十三」には詳しく載っていない)
公孫瓚が亡くなった後に殺されていることは間違いなく、199年以降そう離れた年月は経っていないだろう。
更に。三国志「二公孫陶四張伝第八」には、公孫続が屠各に殺されたことは載っていない。
最終更新:2010年02月11日 11:17