韓馥


韓馥(かんふく)
字は文節(ぶんせつ)

(?-191?)
最初は中央の役所に務めていたが、董卓に冀州牧に推挙される。
袁紹が反董卓の兵を挙げた時には監視をして動きを封じたが、周りに諭されて袁紹の挙兵を認め、反董卓連合に加わる。
袁紹と共に劉虞を皇帝にしようとするが失敗。
その後、公孫瓚に攻められ、冀州まで侵攻。韓馥は恐れおののくと、それをつけ込んで袁紹が配下の者を韓馥に遣わし、冀州を譲るよう説得させた。
配下の者達は反対したが、結局韓馥は冀州を譲る。
韓馥は臆病な性格で、この後張邈の元に身を寄せるが、袁紹が張邈に使者を遣わすと、それを自分に対する処置だと思い、厠で自殺した。
最終更新:2010年02月11日 15:30