- 沮授(そじゅ)
- 字は不明
(?-200)
若い頃から大志を抱き、出仕して役人となる。
県の県令を二回歴任した後に、韓馥に仕える。
袁紹が冀州を支配すると、そのまま袁紹に仕えた。
この時、「青・冀・幽・并州の四州を併合し、天子(帝)を迎えれば、これこそ覇業の道でしょう」と進言するが、結局袁紹は帝を迎えることはしなかった。
しかも、その四州を一族に治めさせてしまう。
これが結果的に後継者問題に禍をもたらすこととなる。
官渡の戦い前に、「曹操は帝を擁しており、名分なき戦いは避けるべき」と諌めるが、袁紹は郭図・審配の積極策を採用。
しかも、郭図の讒言を信じ、沮授の権限を縮小させてしまう。
沮授は敗戦を覚悟して、一族に財産を分配した。
戦いの中で、顔良一人を派遣したり、黄河を渡って官渡に進軍するのを諌めたりしたが、いずれも袁紹は聞き入れなかった。
それどころか、沮授の統括する軍を取り上げ、郭図に所属させてしまう。
結果として、袁紹は敗北。沮授は捕虜となった。
曹操は沮授の才能を惜しみ、「共に国家の計を図りたい」と持ちかけたが、「一族は袁氏に託しています。公の思し召しとあらば、早く死なせて下さい」と答え、曹操は嘆息した。
後に袁紹の下へ逃亡を図り、殺害された。
彼も田豊と同じで、家臣の讒言により地位の権限を奪われている。
結局、袁紹に『気に入られる』ことができなかった。
その為、沮授がどれほど進言しようとも、彼は聞き入れなかったのだ。
※何故、ゲーム・動画では韓馥軍なのか。
それは一度、韓馥に「仕えている」からである。
(袁紹の下へ行った荀彧・郭嘉はあくまで客将で、本格的には仕えていなかったと思われる)
その点では張郃も同じ。
最終更新:2010年02月11日 15:41