- 程普(ていふ)
- 字は徳謀(とくぼう)
(生没年不詳)
呉軍の中では最年長の武将で、人々は尊重して「程公」と呼んでいた。
威厳のある風采を持ち、将来の見通しが利き、人との応対も巧みで、気前よく他人を援助したり、また多くの有能な人材と交流を結んでいた。
最初は郡や州の役人になっていたが、後に孫堅の下で黄巾の討伐に活躍、董卓の軍勢を撃ち破っている。
孫堅の死後は孫策に従い、呉国建国の為に各地を転戦。
孫策が祖郎を攻めた時、大勢の敵兵に囲まれ退路を断たれたが、自ら血路を開き命を救った。
孫策が急死すると、張昭・周瑜らと共に孫権を補佐して黄祖征伐などに参加。
赤壁の戦いでは周瑜と共に最高指揮官に任命された。
周瑜が死去すると、その後任として南郡太守となり、やがて将軍となるが、病気で亡くなった。
一説には、反逆者数百人を自ら火の中に身投げさせた為に、その祟りだと言われている。
最終更新:2010年02月11日 16:08